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00:00LALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALAL
00:30降り注ぐ光と音
00:39この空に怯えた人たちがいます
00:50やっぱり花火を見たくないという人も結構おられます
00:57私は最初花火嫌いだった
01:02サイレント真っ暗になって
01:06真っ赤に燃えるでしょう
01:08嫌いだった
01:1080年前長岡の空を覆った悪夢
01:18たくさんの命を失いました
01:22この女性もまた戦争の空を知っています
01:45花火はものすごくある爆弾に似てますし
01:50花火が飛んでる音も爆弾に似た感じしました
01:56アメリカ軍が日本に対して行った
02:03焼夷弾による無差別爆撃
02:06空襲を指揮した司令官の肉声が残っています
02:14多くの都市が炎に包まれ
02:28市民たちは炎で赤く染まった空をぼう然と見上げていました
02:39花火の街
02:53新潟県長岡市
02:56この街も80年前
03:00空襲で焼き尽くされました
03:02当時8歳だった谷芳雄さん
03:08今は戦争の悲惨さを語り継ぐ語り部として活動しています
03:16その一人一人の人生が
03:22あの空襲で一夜にして消されてしまったの
03:26六軸銀行ね
03:30私のうちはね
03:34この六軸銀行からね
03:36100メートル離れてるか離れてないくらいのところ
03:40この場所で起きた忘れられない出来事があります
03:46結局ここにお店があったんです
03:56お店があって
03:58それからそこに池があって
04:02工場がもうちょっとそこまであって
04:04消防ポンプなどを売る商店の息子として生まれた谷さん
04:12住人兄弟の末っ子
04:17甘えん坊の男の子でした
04:20大好きな母の八重さんに褒めてもらいたくて
04:26何でも一生懸命だったといいます
04:29空襲があったのは夏休み初日の夜
04:50自宅で眠っていた谷さんは母に起こされ
04:58姉と3人で逃げ出しました
05:00空全体が真っ赤の中を飛行機が飛んでるような印象ですね
05:07空が赤くなっているなんて見たことがない姿を見てるわけですから
05:14それは恐ろしいというよりも異様なものを見てるという感覚はあったと思います
05:21燃え盛る街を横目に母の後を追いました
05:28しかし69銀行の前に来ると
05:35母の八重さんは商売に必要な財産を守るため
05:54一人で家に引き返したといいます
05:57母ちゃん
06:01母ちゃん
06:02吉尾少年の叫び声が届くことはなく
06:08母の姿は消えていきました
06:111945年8月1日
06:21アメリカ軍が16万発以上の焼夷弾を投下
06:25長岡駅近くの人口密集地が狙われ
06:32市街地の8割が焼き尽くされました
06:351歳から86歳まで
06:421488人が犠牲に
06:46最も被害が大きかったのは
06:54町の中心部にある平方神社
06:57境内にあった防空壕には
07:01当時多くの市民が逃げ込んだといいます
07:05しかし平方神社ではおよそ300人が亡くなり
07:13防空壕の中からは
07:15谷さんの母八重さんの遺体も発見されました
07:19母が命をかけて守ってくれた財産で
07:26店は再開
07:28でも心の奥にずっと寂しさを抱えていました
07:35私の頑張りを褒めてくれる母がいなかったことが
07:40それほど暴れもらったと思う
07:47今も
07:54まあ参ったな
08:0380歳になっても
08:09母ちゃん言っていたからね
08:14甘いもですよね
08:16同じように空襲で家族を失った女性がいます
08:29空襲から逃げる人並みに流され
08:39家族5人でたどり着いた先が平方神社でした
08:43ここですね
08:47平方神社があったのはね
08:50この辺で父が亡くなったのかなと思うんですけど
08:55途中で父の栄作さんと
09:01弟範江さんとはぐれた星野さん
09:04弟の行方は今も分かっていません
09:10日の中で一人でどんなに心細かったかと
09:165歳でしょ
09:18かわいそうね
09:20かわいそう
09:21そういう子供さんたちもたくさんいたんだろうと思うんですよ
09:25みんなが地獄みたいでしょ
09:28逃げる場所がなくて火の中で死ぬんです
09:31母の美代さんが当時のことを書き残しています
09:39炎の中を逃げ回ったこと
09:44井戸へ飛び込み助かったこと
09:48最後に書き記していたのは
09:52自分を責める気持ちでした
09:55大変なことを思い出したのです
10:02それは井戸の中で
10:05私たちの下になられた人のことです
10:09それは確か女の人一人だったと思います
10:15本当に申し訳ないことをしました
10:21私たちのために命を落とされたのです
10:27どこのどなたでしょうか
10:31思い出すたびに心が痛みます
10:36人様は本当に人様を犠牲にして
10:41私は助かったんだなと思うと
10:44やっぱり今でもつらいですね
10:47なんで助かったんだろうかと
10:5280年間消えることのない苦しみ
11:10アメリカ軍による空襲は
11:16当時全国で行われていました
11:19東京、名古屋、大阪、神戸など
11:24大都市のみならず地方都市にも
11:28終戦当日まで続きました
11:32その攻撃を指揮した現場のトップ
11:40カーチスルメイ少将の肉声が残っています
11:44消費団による無差別爆撃の有効性を主張したルメイ
12:10消費団は特定の建物を狙うのではなく
12:16都市を丸ごと焼き尽くすための兵器です
12:19なぜ無差別爆撃が行われたのか
12:26その理由がアメリカ陸軍トップの日記に記されています
12:33アメリカ軍は当初
12:58高高度から軍事工場などを狙いましたが
13:02日本の気象条件などが障害となり
13:05正確性を欠きました
13:07そこでルメイは
13:11的確にダメージを与えられる
13:14低高度からの無差別爆撃へと
13:17作戦を変更したのです
13:19これは焼夷弾を製造する映像
13:25筒状の爆弾が38発ずつ束ねられています
13:31中にはナパームと呼ばれる
13:47ゼリー状の油が入っていて
13:49着弾すると
13:51引火したナパームが飛び散り
13:53火災を引き起こすという仕組みです
13:56アメリカ軍は
14:01日本の木造家屋や街並みを再現
14:04実際に爆撃機から焼夷弾を投下して
14:09その効果を検証しました
14:11消火が難しいとされていた
14:24ナパームの火
14:26実験では
14:28当時の日本と同じ消火器具などが使われ
14:31アメリカ軍が
14:33徹底的に研究していたことが分かります
14:36夜空に落とされた焼夷弾
14:45遠くから見ていた当時の子供たちの中には
14:52その様子を意外な言葉で表現する人もいました
14:56花火のような感じですね
14:59もうものすごくきれいだったんですよ
15:02本当に
15:03怖かったけども
15:05冷静になると見上げるときれいだったよ
15:09ものすごく反射受けてさ
15:10火の反射でキラキラキラキラしてさ
15:14全国から100万人以上が訪れる長岡花火
15:23戦後80年がたち
15:28そこに込められた思いを知らない世代が増えています
15:32長岡で明治時代に始まった花火大会は
15:41昭和に入ると戦争のため中止に追い込まれます
15:46そして空襲によって街が破壊された翌年
15:52市民のために長岡復興祭を開催
15:56その次の年に花火大会が復活し
16:021948年からは
16:05空襲のあった翌日に合わせて行われてきたのです
16:158月1日は長岡にとって特別な一日となります
16:20花火の裏にある平和への誓い
16:29空襲の始まった時間に合わせ
16:37打ち上げられる白菊
16:40犠牲者の墓に花を手向けるように
16:52花火大会当日
17:04一人の女性が訪れましたウクライナ出身のミロンチューク・ビクトリアさんです目に留まったのは焼け野原になった長岡の写真この写真は大体今ウクライナの現実
17:272022年に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻
17:41突然サイレンが鳴り響きました
17:46ビクトリアさんも家族と共に木の幹のまま逃げたといいます
17:55留学をきっかけに今は日本で暮らしていますが
18:04ふるさとには家族を残したまま
18:07私の知り合いで亡くなった人もいます
18:15亡くなった家は建て直す
18:20亡くなったものはまた変える
18:24亡くなった命は戻せない
18:27それは残念です
18:30戦災資料館で語り部をしている空襲経験者の谷さん
18:41自分と似た経験をしたビクトリアさんに
18:4880年前の出来事を話しました
18:51戻っていく母親に私が母ちゃん母ちゃんと大きい声で呼んだんだけど
18:58逃げていく大勢の人たちで見えなくなった
19:02それが母親との別れになるとはその時思っていなかった
19:08一つ一つの話で日本と今ウクライナも毎日起こってて
19:15もう慣れながらもたまらない
19:19すごく心が痛いです
19:45復活した当初は音や光が空襲と重なる人が多く
19:59反対する声もあった長岡の花火
20:09花火をね私は中学生くらいまでは嫌いだった
20:14あの花火が上がる時というのはね
20:17長岡市町中がね一旦電気消して真っ暗になるんです
20:23それでサイレンがなってね
20:25そのサイレンが戦争の時の空襲警報と同じでしょ
20:31それで真っ暗になってね
20:34だいぶ時間を置いて
20:37それでタダーンと花火が上がるわけね
20:40それがね戦争と重なってね
20:43私は最初花火を嫌いだった
20:45私は最初花火を嫌いだった
20:45私は最初の家も一口風内で
21:00大雪の飛び出し
21:16花火は、ものすごく爆弾に似ていますし、
21:20花火が飛んでいる音も、最後の上がりの音も
21:27少し爆弾に似た感じしました
21:31長岡空襲の経験者の話を聞いて
21:36ウクライナのことも思い出して
21:39花火と爆弾の比較をしないような時代が来てほしい
21:45みんなただ花火だけを楽しめるような時代を来てほしいです
21:57犠牲者への慰霊と復興の願いが込められた長岡花火
22:05あの日恐ろしかった空を今では特別な思いで見上げます
22:12いい花火だねって言って
22:15平和になっていかったねって
22:18私と一緒に
22:21みんなが見ててくださる気がするんですよ
22:26亡くなった人
22:33思いますね
22:35花火が嫌いだった谷さん
22:45今はね花火を見るとね
22:48何せかね涙が出る
22:51花火を見て涙が出るのは
22:53なんか関係あるからね
22:56空襲を語れる人も少なくなりました
23:02平和への思いは次の世代に託します
23:08戦争になって初めて平和のありがたさが分かっても遅いと思うんです
23:17私たちは物を失ってからその不自由に気が付く
23:22先人たちが伝えてきた思いをどう受け継いでいくのか
23:32先人たちが伝えてきた思いをどう受け継いでいくのか
23:46今年の夏も花火が上がります
23:56あの日の空を忘れないために
24:03ご視聴ありがとうございました
24:07ご視聴ありがとうございました
24:09ご視聴ありがとうございました

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