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教育
トランスクリプション
00:00第1話 戦時中
00:27招集され陸軍にいた父の記録
00:31日本が戦争に負け
00:50父が軍隊から離れた後も記録は続いていた
00:57その辺の記載がありましてそれの厚生省の方に紹介をしたというものが残っておりましたので
01:04父の名は東寺健太郎
01:12働き盛り32歳から過ごした場所は菅野プリズンだった
01:20先般戦争犯罪人として囚われた
01:278月30日
01:33金曜
01:34晴れ
01:35午後2時入所
01:39所持品検査
01:41健康診断
01:43予防注射等を済ませ
01:46独房に落ち着く
01:49室内設備の広さ約3畳
01:53机の蓋を取れば洗面台
01:59椅子の下は水洗便所
02:02家族と隔てること300里
02:08ふるさとに同じ虫の音を聞きつつ第一夜の音につく
02:16地中が描いたものはですね
02:38この辺りに並べておりました
02:41もっとたくさんあるんです
02:44当時克也さん70歳
02:49父の日記を保管している
02:51父の健太郎が菅野プリズンで書いたのは
03:011946年の入所から52年までの6年分
03:07残された人たち
03:10家族も含めてですね
03:12自分
03:14特に子どもたちに対して
03:17父親がどういう
03:19人だったのかと
03:21何をやってどうやって
03:23死刑で
03:26自分の命が失われるということは
03:29もう覚悟していたので
03:30どうやって死んでいったのかということを
03:32伝えたいという気持ちが一つあったと思います
03:36それともう一つはですね
03:38事実
03:40何があったのかということを
03:44残しておきたいというものがあったんじゃないでしょうかね
03:48健太郎の家は
03:53博多商人の町
03:55川端の和文具店
03:58母歌にとっては大事な一人っ子だった
04:04母の愛情を一心に受けて育った健太郎は
04:10東京商科大学
04:12現在の一橋大学に進学
04:15大学時代は
04:18剣道部の首相としてならした
04:20卒業した年に招集され
04:271939年
04:29結婚したばかりの安代を残し
04:32中国へ出征する
04:34途中
04:39陸軍経理学校を挟み
04:423年を中国で過ごした
04:44福岡城の後に置かれていた西部軍に
04:55首刑中尉として臨時招集されたのは
04:581944年2月
05:01そして
05:06運命の日が訪れる
05:091945年6月19日
05:20深夜11時過ぎ
05:22福岡の町を米軍機が襲う
05:26飛来したB-29爆撃機は221機
05:30投下された焼夷弾
05:33およそ1500トンが
05:34市街地を焼き尽くした
05:36死者
05:39行方不明者
05:40合わせて1000人以上
05:42この中に
05:48当時健太郎の母
05:50宇多がいた
05:51翌日
05:55遺体が安置された小学校で
05:58健太郎は母を見つけた
06:01当時は
06:05お母さんと一言軽く声をかけられ
06:09右膝をついて
06:11男泣きに泣き崩れました
06:13西武軍司令部には
06:21九州一円に墜落した
06:23B-29の搭乗員たちが
06:25集められていた
06:26司令部の大工小屋で
06:31母の棺を作っていた健太郎は
06:33庭の隅が騒がしいことに気づき
06:37様子を見に行くと
06:38そこで
06:39搭乗員たちの処刑が
06:41行われていた
06:46私は処刑者として
06:48最もふさわしいものだ
06:53自ら処刑を志願した健太郎は
06:57刀を刈り
06:58アメリカ兵一人の首を切った
07:03その後さらに命令によって
07:05三人の命を奪った
07:11健太郎は敗戦の翌年
07:171946年
07:20戦犯
07:21戦争犯罪人として
07:24連行される
07:25そして福岡から東京
07:31豊島区へ
07:33米軍が管理する
07:35菅野プリズンに
07:36収監された
07:37私は終戦と同時に
07:48米軍によって
07:49囚われることを予想した
07:51ある人は
07:53逃亡を進めたし
07:55ある人は責任回避的な
07:58陳述を進めた
07:59しかし
08:02私は事実をありのままで
08:04進むことを決心して
08:06静かに囚われる日を待った
08:10人は
08:13私を
08:15馬鹿正直と笑い
08:16あるいは
08:19楽観に過ぎると
08:20非難する
08:21しかし
08:24私は
08:25真実ということを
08:27唯一の道として
08:29選んだ
08:30安代との間には
08:34二人目の息子が生まれていた
08:379月20日
08:42お母さんは
08:45よく私に
08:46お前は
08:47親思いで
08:48高校だから
08:49私は
08:51本当に
08:51嬉しいと
08:52言っておられました
08:53それにも
08:56かかわらず
08:56親も妻子も
08:59不幸の
08:59どん底に
09:00突き落として
09:01しまいました
09:01お母さん
09:05教えてください
09:07私は
09:09どうしたら
09:10憎しんを
09:11思う
09:11この苦しさから
09:12救われるのでしょうか
09:14どうしたら
09:17家族は
09:18決して
09:18苦しんでいないと
09:20信じられるでしょうか
09:22お母さん
09:25教えてください
09:26どうかどうか
09:29お導きください
09:31菅野プリズンまで
09:37面会に
09:38抱き欲がある
09:39健太郎の
09:40次男
09:41信也さん
09:42よくは
09:44詳しくは
09:45知らなかったから
09:46時々
09:46親父とも
09:48あんまり
09:48会ってないし
09:49小さい頃は
09:50だって
09:52高知省に
09:53いましたから
09:54死刑囚だった
09:56そういう状況の中で
09:59僕を連れて
10:00私の母が
10:02私は
10:03信也と言うんですけど
10:04信也行こうと言って
10:06親父に会わせたかったんだと思うんです
10:08多分
10:10母の気持ちでした
10:12健太郎のもとへ
10:19安代が
10:21一歳の
10:22次男を連れ
10:23面会に
10:24訪れる
10:24安代
10:29ありがとう
10:31遠い福岡から
10:33はるばると
10:34子供を連れ
10:36汽車の
10:37混雑に
10:37揉まれての
10:38旅は
10:39どんなに
10:40つらかっただろう
10:41私は
10:43ただ
10:43君の顔を
10:45見ただけで
10:46ありがたさに
10:47涙が
10:48こぼれそうになった
10:49君や
10:51信也の顔を
10:53はっきりと
10:53見たかった
10:54しかし
10:57私たちの
10:58間に
10:58貼られた
10:59金網が
11:00光って
11:00霞が
11:02かけたようだ
11:03夫が
11:08いない中
11:08安代は
11:10文具店を
11:11真相
11:12回転し
11:12商売を
11:14続ける
11:14安代へ
11:19新店書を
11:20書く
11:21君と
11:23君との
11:24結婚が
11:25私にとって
11:26最大の
11:27幸福であったのに
11:28君にとっては
11:30最大の
11:31悲しみであったか
11:32と思うと
11:33苦しい
11:33だからといって
11:36思わずにはいられない
11:38私たちにとっては
11:40私たちにとっては
11:41私たちには
11:41二人の
11:41子供が
11:42ある
11:42君と
11:45私の
11:45愛の
11:46結晶であり
11:47私たち
11:48二人の
11:49命と
11:50精神の
11:51延長である
11:52君は
11:55私の
11:56ため
11:56子供の
11:58ために
11:59必死の
11:59戦いを
12:00している
12:00私も
12:03戦わねば
12:04ならぬ
12:05君は
12:07世の
12:08荒波と
12:08戦う
12:09私は
12:11静かに
12:13自分
12:13自身と
12:14戦う
12:15いずれも
12:18この
12:18運命との
12:19闘争である
12:20菅野プリズンの
12:27外では
12:28連合国による
12:30占領政策の
12:32もと
12:32戦後復興が
12:34進められて
12:35いた
12:359月2日
12:41日本の
12:45敗戦は
12:46政府や
12:47軍閥の
12:48罪であるが
12:49この
12:50政府や
12:51軍閥は
12:52国民の
12:53政府軍閥で
12:54あった
12:55だから
12:57国民の
12:58罪である
12:58さらに
13:02言えば
13:02敗戦
13:03そのものよりも
13:05かかる
13:05戦争を
13:06誘い
13:06あるいは
13:08もっと早く
13:09終わるべきを
13:10いたずらに
13:11引き延ばしたことに
13:12対しての
13:13責任である
13:14こんな風に
13:17考えると
13:18我々は
13:20当然
13:20負うべき
13:21山のような
13:22責任があるのだ
13:23それなら
13:25日本人
13:26全体の
13:27罪ではないか
13:28という人も
13:29あるだろう
13:29しかし
13:33現在
13:34戦犯が
13:34問われているのは
13:36個人的な
13:38事件のみである
13:39スイーツ
13:49健太郎がいた
13:53西武雲で
13:54殺害された捕虜は
13:56およそ40人
13:57戦争犯罪人として
14:00被告となったのは
14:01民間人も含め
14:03およそ60人だった
14:05西武軍事件の
14:10主任弁護人は
14:11アメリカ人の
14:13フランク・サイデル
14:14そして
14:16健太郎を担当したのが
14:18横浜弁護士会の
14:19桃井刑事だった
14:21午前中
14:25桃井弁護士と会う
14:27前から横浜裁判の
14:31仕事に携わった
14:32人だそうで
14:33中年の働き盛り
14:35という感じだ
14:36私の弁護について
14:40非常に困難で
14:42処刑者中
14:44最悪の条件にあるという
14:46そのことは
14:51十分承知しています
14:53承知しました
14:55志願されたのが
14:58致命的な
14:59悪条件になっています
15:01私もそう思います
15:04私は処刑者としての
15:08責任は
15:08喜んでおりますが
15:10殺人者としての
15:12罪は
15:13来たくありません
15:14あなたがやらなくても
15:18誰かが処刑したのですから
15:20その点は
15:21ご希望に沿うよう
15:23できるだけの努力はします
15:25承認大に立って
15:30自分の口から真実を述べようとした
15:33健太郎
15:34桃井様
15:38承認大に立ちたく
15:41再度お願い申し上げます
15:43せめて自分の言いたいことを言って
15:47判決を受けたいと思うのです
15:49しかし
15:53健太郎のような処刑の実行者たちは
15:55承認大に立つことが
15:58叶わなかった
15:59重い判決を予想した健太郎は
16:05面会に来た安代には
16:07あえて楽観的な見通しを伝えた
16:1012月19日
16:16安代よ
16:19私を嘘つきと君は責めるだろうか
16:23どんなに後で責められても
16:26私はそうするより仕方がなかったことを
16:30分かってほしい
16:31安代
16:34明日法廷では
16:37軽い気持ちで別れよう
16:39判決間近
16:45菅野プリズンの若いゼーラー
16:49監視との会話
16:5012月22日
16:57私たちのいる6号棟に来る
17:02十数名のゼーラーの中で
17:04特に私の親しい一人がいる
17:07君の気持ちはよく分かる
17:12君がお母さんを殺されて怒ったのは当然だ
17:16もし僕がそのような立場に置かれたら
17:19君と同じことをやったに違いない
17:22君もそう思うか
17:26僕にとってあまりに自然で
17:30そうするより仕方はなかった
17:33今でも君は
17:36米兵に対して怒りを持っているか
17:40いや全然持っていない
17:44今は母はアメリカ人に殺されたのではなく
17:49大きな戦争のために死んだとしか思っていない
17:544人処刑した時は
17:58どんな気持ちだったか
18:01死難するまでは本当に怒っていたが
18:06処刑の位置に着いた時には
18:09ただ立派に処刑を遂行することより
18:13他は考える余地がなかった
18:15後で私の妻にこの処刑のことを話したら
18:21妻は
18:22その飛行士たちには
18:25奥さんや子供があったでしょう
18:27と言った
18:28僕は言葉がなかった
18:32しかし
18:35これが戦争というものだ
18:38と思った
18:39この翌日
18:48永久戦犯7人の死刑が
18:52菅野プリズンで執行される
18:54死への恐れと緊張が高まっていた
19:01そして
19:0312月29日
19:09ついに来るべき判決の日は来た
19:14公主刑
19:18これが私に与えられた判決である
19:23健太郎に宣告されたのは
19:29死刑だった
19:32米軍に接収され
19:39BC級戦犯を裁く軍事法廷が開かれた
19:43横浜地方裁判所
19:45当時
19:50弁護人の多くを務めたのは
19:53横浜弁護士会の弁護士たちだった
19:55どういうような検討が行われて
20:00公主刑の数が劇的に減ったのか
20:05先輩たちの仕事を検証している
20:11これは原本の方でした
20:17本文書に渡さなかったの
20:20出してくれって言われたんだけど
20:23出さなかったの
20:25当時 健太郎の弁護を担当した
20:29桃井弁護士
20:30健太郎の裁判資料を手元に留めていた
20:35非常に難しい事件ですよね
20:41当時は処刑者の数多いわけで
20:45それを何とか弁護したいという
20:49情熱をお持ちだった桃井先生が
20:55こういう弁護方針の依頼の手紙をもらって
21:02やるぞと思っていて
21:04それができなかった
21:05できなくて最悪の判決が出ちゃった
21:10そこの弁護人としての責任感といいますかね
21:17当時の裁判自体
21:20十分な真理が尽くされていなかった
21:23ということなんだろうと思いますね
21:26真鍋弁護士は
21:29裁判の真理に不備なところがあったとしても
21:32先般裁判には意義があったと話す
21:37危ういところで
21:40戦争犯罪人が裁判にかけられないで
21:46処刑されるということがあり得た
21:49裁判があることで何が裁かれたか
21:54どういう犯罪をこの軍人はやったか
22:00というのが記録されることになったんですね
22:03これだけでも非常に
22:07歴史的意味はあったと思うんです
22:09つまり検証ができる
22:12何が起きたか
22:13どういうひどいことをやったか
22:15死刑の宣告を受けた
22:21藤治健太郎
22:22まだ34歳だった健太郎は
22:26気持ちを切り替え
22:29最新に原刑の望みをかける
22:31安代も探案書を集め
22:36署名活動に奔走する
22:38そうした中
22:45死刑囚の塔からは
22:47刑を執行される人々が旅立っていく
22:51戦勝国が敗戦国を裁いた
23:00戦犯裁判
23:02そもそも日本を無差別爆撃していた
23:06米軍機の搭乗員は
23:08戦争犯罪には問われないのか
23:11横浜裁判でそれを争った人がいる
23:22岡田タスク中将
23:24名古屋市に置かれた東海軍の司令官だ
23:28B-29爆撃機の搭乗員を処刑したことについて
23:35岡田中将は
23:37米軍機の無差別爆撃は国際法違反であり
23:42処刑は正当と主張する一方で
23:46部下をかばい
23:47一人だけが公主刑となった
23:50日蓮州の信者だった岡田は
23:55死刑囚たちの心の拠り所となる存在だった
23:59岡田タスク中将の長男の妻
24:11純子さん
24:12純子さんは横浜裁判の法廷で
24:18岡田に結婚の報告をした
24:21言葉はもうかけられないんで
24:26もうニコニコして
24:29ちゃんとこうやってうなずいてくだすって
24:33嬉しそうにしてくだすった
24:37ちゃんと座ってらしてきちんと
24:42いろいろ聞かれても
24:46ちゃんと堂々と言ってらっしゃいます
24:50立派でした
24:51なんか若い監修のアメリカ兵が
24:59騒いだりすると
25:01お父さんは英語で叱ったりしたようですよ
25:1020日後
25:12純子さんは死刑の判決を法廷で聞いた
25:18ちょうどその日はね
25:23もうこっちは緊張してるだけで
25:27それでもう
25:29お父さんはお部屋を出ないんだけど
25:33見送るだけで
25:36もう言葉も出ないんです
25:38本当に緊張して
25:41ああなんていうのかしら
25:45そんな判決が出るってね
25:48ならないようにってずっと思ってたのにね
25:54やっぱりちょっとショックでした
25:59やっぱり誰か処刑されるようですよ
26:07足音は一人のようです
26:11某を一つ一つ音ない挨拶するらしく
26:16下駄の音が近づいてきた
26:18誰だろう
26:20声が低くてわからない
26:22私たちの部屋の前に来た人を見て思わず
26:28あっと言ってしまった
26:30岡田閣下である
26:33君たちは気なさんだ
26:39閣下は水のごとき静けさでそう言われた
26:43閣下
26:45私たちのことはご心配なく
26:49うんと頷いてそのまま廊下を消えていかれた
26:54間もなく各坊から
26:59正代の声が聞こえ
27:01それが次第に大きくなった
27:04私も立ったまま大きな声で唱える
27:08閣下の声がひときわ高く
27:12閣下から聞こえる
27:14間もなく大廊下との境の鉄の扉が閉まる音が響いた
27:21とうとう閣下は去られた
27:28菅野の父と呼ばれ慕われた
27:36教会師の田島隆順
27:39仏教の教えを説くだけでなく
27:42死刑囚たちの除名嘆願に奔走した
27:46処刑の日には刑場まで寄り添ったという
27:51岡田が書いた遺書
27:57こんな世に特に葬式法要一切不要です
28:04おまんだらの前に写真や俗名を並べてくれたら
28:10それで結構です
28:16この遺書を田島教会師は手書きで写していた
28:21写しには構成の跡がある
28:25そしてこの遺書は本に納められて世に出ることになる
28:35菅野プリズンで処刑された男性を知る人を訪ねて
28:45大分県へ向かった
28:47アメリカの国立公文書館が所蔵する写真の人物を特定するためだ
28:56沖縄の石垣島でアメリカ兵の捕虜を殺害したとして死刑になった貸し官
29:07成迫は戦死した武田さんの兄の友人だった
29:20はあ
29:24武田さんは死刑の判決後
29:40探願書を持って菅野プリズンを訪れたという
29:44しかし近親者しか会えないと言われた
29:48これは叩くのさ
29:53これは叩くのさの間違いがない
29:582、3歩入らせたら3歩と言われて
30:03花瓶中で押し返されたんですよ
30:08ああしてもどうしてもああいうのこの
30:12この兵の向こう側に
30:17おるのにああしてくれたりとかすぐに
30:21ああいうのって言ってもう
30:23情けのうで
30:26ワンが泣いたんですよ
30:29もう背中にあの
30:31ジョミタンが村上の
30:34署名簿を担いで行ったんですけど
30:38石垣島事件では
30:543人の米軍機搭乗員が処刑された
30:582人は首を切られ
31:011人は縛られた上
31:04大勢から銃剣で刺された
31:06死刑になったのは全部で7人
31:15当時健太郎は
31:22別れの挨拶に来た7人の様子を
31:25日記に書き留めていた
31:274人目はナリサコ君
31:33これもニコニコと笑っている
31:36やあお世話になりました
31:41いよいよ行きますよ
31:44残念だが仕方がない
31:46すっきり死んでください
31:48ええ
31:49私もすぐ追っかけますからね
31:55いやあまりいいところじゃありませんからね
31:59計上へ行くことだけはやめてください
32:02そう言ってもどうせ行かなくてはならんでしょう
32:07しかし変ですね
32:10なんともありませんよ
32:12そうですか結構です
32:16じゃあ行ってらっしゃい
32:20さよなら行ってきます
32:231950年4月7日
32:337人の死刑執行
32:3613と書かれた扉の奥に
32:41公主台があった
32:43その後スガモプリズンの状況が変わる
32:536月25日
33:00朝鮮戦争を勃発
33:02北朝鮮の軍隊が北緯38度線を超え
33:07南部への進撃を開始
33:09アメリカとソ連の冷戦構造の下
33:13米軍を中心とした国連軍が韓国を支援する
33:187月11日
33:23西部軍全員原刑の方
33:26臨室より西部軍事件7名向きに原刑の方あり
33:34おめでとう
33:36都市編が来た
33:38あまり突然なので信じられず
33:41そのまま仕事をしていると
33:44海下の一般機欠のリーダーが
33:47皆さんに申し上げます
33:50今朝のラジオニュースによれば
33:53西部軍事件7名向きに原刑の旨発表されましたとアナウンスし
33:59それに応じて大勢の拍手が聞こえた
34:04石垣島事件の死刑執行から3ヶ月後
34:12健太郎は終身刑に原刑された
34:16その3日後
34:237月14日
34:28米兵出発
34:31監視から近日中にここは日本政府の管理に移され
34:39米兵は全部朝鮮へ出動すること
34:42すでに一部は出発したことを聞いた
34:46当初に監視として勤務しているのは
34:50大部分が20歳前後の若い兵で
34:54米国から渡ってきて間もない未教育の者もだいぶいる
34:59これらの兵が北朝鮮軍の銃貨にバタバタと死ぬのか
35:06と思うと私はかわいそうでならない
35:10彼らもすっかり憂鬱な顔をしている
35:15戦争は
35:18嫌だ
35:20石垣島事件の処刑を最後に
35:31菅野プリズンでの死刑執行はなくなった
35:35健太郎が見送った死刑囚は
35:4126人を数える
35:43私は死刑から原刑になった
35:52しかしいつかは死ぬ
35:56人間の一生で死ほど確実なものはなく
36:01刻々に死が迫っている
36:06全ての人は生まれながらにして死刑囚なのだ
36:101951年
36:18日本はサンフランシスコ平和条約に調印し
36:22翌年発行
36:24菅野プリズンの管理が
36:27アメリカから日本へ移管される
36:32書内には明るい兆しが見えてきた
36:35健太郎は
36:42先般たちが書いた詩題をもとに
36:45版画を彫っている
36:46この頃健太郎は
37:07処刑された先般たちが残した遺書をまとめることを思いつき
37:11発起人となった
37:13遺書
37:17変算多忙につき
37:20日記
37:21以後つけず
37:22翌年
37:271953年に刊行された
37:31正規の遺書
37:33菅野プリズンだけでなく
37:36アジア太平洋で先般として命を絶たれた
37:41701人の遺書が収録された
37:44お母さん
37:52叩くには
37:54死ぬるということを知らないものになったということです
37:58だから
38:00永遠に生きているということになります
38:05お母さん
38:06おやすみなさい
38:08子供は軍人にはなすな
38:15時勢が変わってもだ
38:17これは
38:19死死存存に伝えよ
38:22戦争がいかに残酷なものであるかということは
38:28みなよく知ったと思う
38:33いかなることがあっても
38:36戦争は絶対反対
38:40
38:41命のある限り
38:45子にも
38:46孫にも
38:48叫んでいただくとともに
38:50世界
38:51永遠の平和
38:53のために
38:56貢献していただきたいことであります
38:581956年
39:0910年の月日を菅野プリズンで過ごした健太郎は
39:13仮出所し
39:15福岡へ帰る
39:16そして
39:19妻が守ってきた文具店を
39:22手伝い始める
39:23健太郎は
39:28海が見える高台に
39:30対の住みかを構えた
39:33三男の勝也さんが
39:37中学生になる頃だ
39:399つ上の次男
39:44信也さんは
39:45大学生で東京にいた
39:47菅野プリズンが亡くなる際の
40:13式典の映像が残っていた
40:15控えめに端に座る
40:2044歳の健太郎
40:221958年
40:35最後の18人の出所式
40:39死ぬことを覚悟した
41:07やっぱり
41:11やっぱり経験ないことよね
41:14覚悟したはず
41:16だから僕を連れて行った
41:20やっぱり
41:26命が流れて
41:30流れたために
41:33精一杯やらなくてはいけない
41:35というところも
41:35あったんじゃないでしょうかね
41:37亡くなった方々のためにも
41:40自分たちが
41:42精一杯やらなくてはいけない
41:44という思いは
41:44あったと思いますよ
41:45勝也さんは
41:53家業の文具店を継いでいる
41:55ありがとうございました
42:01ありがとうございました
42:02菅野プリズンから帰ってきた健太郎は
42:10思い切って福岡の一等地に店を構え
42:14商いを大きくした
42:16まだまだカードなんて
42:21なじみがない頃にですね
42:23グリーティングカードの専門店を
42:25作りまして
42:27でも時代が早すぎてですね
42:30なかなか売上的には
42:32厳しいものがあったようでございます
42:34健太郎が
42:37地元のテレビ番組に出演した時の
42:40映像があった
42:41お前たちは日本が
42:42私はね
42:44いかに戦時中であると言っても
42:50無抵抗な人間をね
42:51自ら志願して
42:534人も来るなんてこと
42:54言語道断だと
42:55日本国民はね
42:57被害者意識が非常に
42:59それを世界中に訴えようとしておりますけど
43:01加害者としての反省が
43:03国民的な反省がないと思います
43:05実は本当の愛国心というものは
43:09自分の国が周囲の国々から
43:12愛される国にすることだと
43:15だから我々が持っておった
43:17かつての愛国心というのは
43:19間違ってたんだと
43:2060歳を過ぎた頃から
43:25健太郎はアジアからの留学生の支援に
43:28力を注いだ
43:30自宅に招き
43:33留学生たちをもてなす健太郎
43:36留学生たちからも慕われていた
43:40いつも当日さんのお世話になっています
43:46優しい人ですね
43:50軍人として大東戦争に参加した
43:53一人ですけれども
43:54その当時ね
43:56日本の軍隊はね
43:57アジア諸国にね
43:58大変な迷惑をかけてますよ
44:00やはりおじさんたちが
44:02おじさんが日本の軍隊に
44:04殺されたという人がありましたし
44:05自分の昔の家
44:07うちの昔の家は
44:08日本の軍隊に焼かれたという人もおります
44:10僕の方が問いかけたら
44:12そういう答えが出てきた
44:13そういう答えは決して言いません
44:15弱く生たちって何にも言いません
44:17そういうことを考えますとね
44:20私は日本人としてね
44:22個人的にね
44:23アジアの人々に対してね
44:26やはり
44:27攻めを感じますね
44:291983年
44:44健太郎は自宅で倒れた
44:47心不全で68歳の生涯を閉じた
44:52健太郎は自宅の庭に
45:08アメリカ兵のための地蔵を建立していた
45:12自分が手にかけた人数と同じ
45:194体の地蔵には
45:21小さな子供の地蔵も添えられている
45:24健太郎が菅野プリズンで読んだ歌
45:29我が子らと我が処刑世史米兵の子が
45:37相合わんこともあらんか
45:39健太郎の死後
45:47地蔵は福岡市の油山観音に託された
45:51西部軍の事件で処刑された
46:02アメリカ兵を慰霊する法要が営まれた
46:05アメリカから関係者もウェブ上で参加した
46:16ヘザー・ブキャナンさんの祖父は
46:22処刑された一人
46:23チャールズ・アップルビー
46:26健太郎が手をかけた可能性がある
46:44アメリカ兵たち
46:46国民と国民の間には
46:50人と人との間には何の恨みもないんですよね
46:53そこを無理やり恨みを持たされて
46:56戦わされるという
46:57そういう矛盾が戦争にはあると思います
47:01そういうものを
47:02私は一人一人が感じ取って
47:07戦争を回避していくというものが
47:13必要なんじゃないかなというふうに思います
47:15健太郎らが編纂し出版された
47:35正規の遺書は話題となり
47:38その収益金で記念の像が作られた
47:41両手を挙げて東京駅に何かを語りかけている
47:48そこには何の説明もなく
47:53ギリシャ語でアガペイ
47:56愛とだけ刻まれている
47:58史上の愛という意味でしょうかね
48:03戦争というものに対してですね
48:07愛というもので応えていくということを
48:12この像を作った人たちを思ったんでしょうかね
48:17でも愛というのはね
48:21世界に共通の大事なテーマであって
48:24誰とでもその愛については語れる
48:27どこの国の人とでも語れる
48:29そういう見合いがあるんじゃないですかね
48:33当時健太郎は自分が行くべき道を見つけ
48:40その道をまっすぐに歩んだ
48:43ゾウの由来を知らない若い人たちが
49:10記念撮影をしていた
49:12死に向かった刻々の業が
49:27永遠の命を形成していく
49:30私は常に最善に生きねばならない
49:35いかに
49:38それは他の一切の命へ
49:41何らかの形で貢献することより
49:44他にはない
49:45そのためには
49:48残る人生を
49:50私はどれほど忙しく
49:53また苦しく過ごすことであろう
49:56しかし
49:59その生き方の中にこそ
50:01私の安心も
50:04救いもあるのだ

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