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  • 2025/7/1
私どもの我情我欲は真の幸福を頂くことへの障害となります。今朝は天地日月の心を表地とするならば、その裏地は我情我欲を取り除くことと頂きました。我情我欲が有ったのでは天の心は発揮出来ません。我情我欲が有ったのでは土の心で受け貫くことが出来ません。我情我欲が有ったのでは日月の心が貫けません。

ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
トランスクリプション
00:00ご理解 第53節
00:30本当の信者者 一切信愛論からいただけば、あれもおかげ、これもおかげとわかりますが、どれほどの深さ、重さを持っておかげを実感できるかということに、限りない信心の精進が求められるゆえんです。
00:51おかげを実感できるとあります。
01:02師匠大坪総一雄氏の身にご理解。
01:07そのおかげを、どれほどの深さ、重さを持って実感できるか。
01:14ここで言われるおかげとは、いわゆる私どもの願い事が普通に叶うというのでしょうか、いわゆるご利益。
01:28物事が思い通りになるということをおかげと普通呼びますけれども、そういうおかげではないように思いますね。
01:42いわゆる、先日からも申します、誠のおかげということだと思います。
01:52では、その誠のおかげとは何か。
01:56それは、先日からも申します、私どもの心が育つということ。
02:02ただ、私どもの願い事が、右と願って右となった、左と願って左となった、というそこに、神様のおかげを、ご利益を、これはご利益というものかもしれませんね。
02:18しかし、それが、そこにおかげを、感じる。
02:21あ、願い事が叶っておかげを、いただいた、というおかげとは違う。
02:27右と願って左、左と願って右となったときにも、そのことをおかげと感じる。
02:37そのおかげと感じる、感じ方にも、またこれもまた内容がいろいろありましょうけれども、
02:47一つには、普通、私どもが感じるのは、
02:50ああ、あのとき、願い通りにならなくてよかった。
02:54そのおかげで、今日、こういう、広大なおかげにつながってきた。
03:01という、いわば、それは、あざなえる、幸福はあざなえるなわのごとしですか。
03:11万事、作用が馬ですか。
03:13そういうようなこともされますね。
03:16そういう意味、愛においての、
03:21まあ、後で考えて、あれがおかげだった、
03:25という意味のおかげでもありませんね。
03:29それは、どこまでもおかげと感じるものが、
03:34そのときには、不都合なように思っていたけれども、
03:38実は、あれは、
03:42あのときに成就しないことのほうが、
03:45後々に、より大きなことが成就してきた。
03:50だから、おかげだった。
03:54という、いわば、
03:56後々の、自分にとって都合のよいことの、
04:02が起こるための、
04:04今の不都合、というのでしょうかね。
04:08あのときの不都合のおかげで、
04:10後々の、こう都合になった。
04:12まあ、これなどは、
04:14いわば、ピンチをチャンスにする、
04:17といったようなことにも、
04:19つながるのかもしれませんね。
04:20ああのとき、
04:24こういう、
04:25ピンチが起こってきたと。
04:30その、
04:31ピンチを切り抜けるために、
04:33いろいろな、
04:34まあ、
04:35策を講じたり、
04:38努力をする、
04:39わけでしょうけれども、
04:41その、
04:41ピンチを切り抜けようとする、
04:43そのときの努力のおかげで、
04:46今日、こういう新しい、
04:48まあ、
04:49発展のもとになった。
04:52あの、
04:52ピンチは、
04:54まさにチャンスであった。
04:56今日の発展を、
04:57に導いてくれた。
05:01と、
05:01いう、
05:02そこに、
05:03ああ、
05:04あれはおかげだった、
05:05という表現をすることがありますけれども、
05:09それこそ、
05:09あのピンチはおかげだった、
05:12と表現することがありますけれども、
05:15この場合でも、
05:16やっぱり、
05:18おかげというものが、
05:20自分にとって、
05:22好都合なことになった、
05:24ということへの、
05:28まあ、
05:29おかげですね。
05:30そこにおかげという、
05:32その、
05:33何と言いましょうかね、
05:35おかげというものの、
05:36内容というものが、
05:38あまり変わっておりませんね。
05:41それが、
05:42ただ、
05:43今なのか、
05:44将来なのか、
05:46という、
05:47そこの違いだけです。
05:48内容というものは、
05:50本質というものは、
05:51あまり変わっておりません。
05:55そこに、
05:55まことのおかげという、
05:58言葉は、
06:00使えないように思いますね。
06:05その、
06:06私が、
06:10ここ数日いただきます、
06:12まことのおかげというものは、
06:15やはり、
06:16繰り返し申しますように、
06:18私どもの心が育つ、
06:22心が育って始めて、
06:24まことのおかげをいただいた、
06:27ということなのですね。
06:29あの時は、
06:32私の心が小さかった、
06:34あの問題が問題と見えている、
06:38これは、
06:39私の心が小さいからだ、
06:41と、
06:42もう一回り大きくなろうとする、
06:45そして、
06:46その心が育つ、
06:48いよいよ、
06:48もう一回り大きな心ができる、
06:51それで、
06:51腹を立てなくて、
06:53済むようになった、
06:54また、
06:55人を責めなくて、
06:57よいよになった、
06:59という、
07:00いわば、
07:01私どもの心が育つこと、
07:05まあ、
07:05これは、
07:06神様のお心が分かり、
07:09その神様のお心に、
07:11そうていこう、
07:13という心が、
07:14育つということでもありましょうね。
07:16ただ、
07:19心を大きくしよう、
07:20というのではない、
07:22神様が私どもに、
07:24大きな心になれよ、
07:26と、
07:26願っておられる、
07:27その、
07:28親の願いに応えよう、
07:32親神様の願いに応えよう、
07:35として、
07:37もっと、
07:37大きな心になろう、
07:39もう一回り大きな心になろう、
07:42と、
07:42精進努力する。
07:46そして、
07:48そういう心が育ったときに、
07:51神様も喜んでくださり、
07:54また、
07:55私どもも、
07:57そこに、
07:58喜びが湧いてくる。
08:00そういう、
08:01それを、
08:02まことのおかげ、
08:03というのでは、
08:04ないでしょうかね。
08:07ただ、
08:08形の上に繁盛した、
08:10そして、
08:11それを喜ぶ、
08:12というのは、
08:14まあ、
08:15私ども、
08:15人間個人の、
08:18この世での、
08:20まあ、
08:20それも、
08:22かりそめの繁盛、
08:23ということにしかなりませんでしょうし、
08:26この世で、
08:27どれほど繁盛を、
08:29いわゆる、
08:29人間の側の、
08:31思うところの繁盛を得たところで、
08:33あの世に持っていけるものでは、
08:35ありませんからね。
08:37あの世に持っていけるもの、
08:39それは、
08:40それはやはり、
08:41心です。
08:42心が大きくなった心、
08:45その成長した心、
08:47しか、
08:48持っていけないわけですから。
08:52私どもの、
08:53本当の、
08:54この世、
08:55あの世を通しての財産といえば、
08:57私どもの心、
08:59ということになりましょうかね。
09:01お金や、
09:04物や、
09:05それこそ、
09:06宝石、
09:07どれほどの宝石があったかといって、
09:10財産には、
09:11なりませんね。
09:15それで、
09:15その心が育つということですけれども、
09:18どういう心を育てるのか、
09:23端的に、
09:24天地日月の心だと、
09:27教祖様は教えてくださいますね。
09:30また、
09:30師匠は、
09:31その天の心を、
09:33与えて与えて、
09:34山の、
09:35潤しの心、
09:36地の心を、
09:37受けて受けて受け抜く、
09:38泥の心、
09:41日月の心を、
09:42それこそ、
09:43正確無比に、
09:44運行する、
09:46天地のように、
09:47実意な心、
09:49まあ、
09:49実意丁寧というのでしょうかね、
09:51な心だと、
09:52教えてくださいますが、
09:56実は、
09:57今朝いただきますのは、
09:58ここからなのですけれども、
10:01その、
10:02天地日月の心、
10:06これは、
10:07まあ、
10:08着物で言えば、
10:10表地だと、
10:12いうことなのですね。
10:14私どもが、
10:16天の心を、
10:17地の心を、
10:18日月の心を、
10:20身につけようと、
10:21精進いたします。
10:23そこを目指します。
10:26これは、
10:27どこまでも、
10:28表向きというのでしょうかね。
10:30その、
10:33裏地になるもの、
10:36それは、
10:37画像、
10:38画欲を、
10:38取り除くことだと。
10:43例えば、
10:44泥の心になろうとします。
10:46そして、
10:47その泥の心の、
10:48になろうとする、
10:50邪魔になるもの、
10:51受けて、
10:53受け抜く、
10:54受け抜くことができない。
10:55なぜ、
10:56受け抜くことができないか。
10:59画像があるからです。
11:01外復があるからです。
11:04ああ、
11:04あったらよい。
11:05こうあったらよい。
11:06あれが欲しい。
11:07これが欲しい。
11:08という、
11:09心があるから、
11:11泥の心で、
11:12受け抜くことができない。
11:14また、
11:14これは、
11:15天の心も、
11:16同じですね。
11:19ああ、
11:19これは欲しい。
11:21人には、
11:22やりたくない。
11:24というような、
11:25執着というのでしょうか。
11:28そういうものがあったのでは、
11:30与えて、
11:31与えて、
11:31山の潤しの心を、
11:33無条件に与える、
11:34という、
11:35天の心には、
11:36なりませんね。
11:39天の心を、
11:40稽古する上で、
11:42邪魔になる心。
11:43それは、
11:44画像であり、
11:45画欲です。
11:48日月の心も、
11:49そうですね。
11:50日月の心を、
11:51精進しようとする。
11:54実位になろうとする。
11:55しかし、
11:56ああ、
11:57もう少し寝たいな。
11:58今日、
11:59きついから、
11:59ちょっと休もうか。
12:01といったような、
12:02画像が出てきます。
12:05画像があるから、
12:07画欲があるから、
12:08天地に、
12:08日月の心になれない。
12:12天の心、
12:13地の心、
12:14日月の心になろうとする、
12:16精進、
12:16その邪魔になる心、
12:19これは、
12:19画像が役です。
12:21ですから、
12:22画像が役を、
12:23取り除く傾向をする、
12:26ということにも、
12:29なりましょうかね。
12:31いわば、
12:33天地に、
12:33地月の心を、
12:34身につけようとする、
12:37その精進、
12:38その傾向、
12:39それは、
12:40すなわち、
12:41画像が役を、
12:42取り除く傾向を、
12:43取り外そう、
12:44という精進、
12:46でもあるわけですね。
12:50ですから、
12:51表地としては、
12:53天の心、
12:54地の心、
12:55日月の心を、
12:56稽古するのだ、
12:58と、
12:59言いますけれども、
13:01その裏にあるものは、
13:02己の画像、
13:05画像を、
13:06取り除く傾向を、
13:07外そう、
13:08という精進、
13:09が、
13:11あるというわけですね。
13:14ですから、
13:15着物の、
13:17表地、
13:17裏地があるように、
13:19表地とすれば、
13:20天地に、
13:21地月の心の精進だと、
13:24そして、
13:24そこには、
13:25必ず、
13:26裏地である、
13:27画像、
13:28画像を、
13:29取り外そう、
13:31という、
13:32精進が、
13:34いるということですね。
13:36まあ、
13:36なければ、
13:37とても、
13:38天地に、
13:38地月の心には、
13:40なれない、
13:41ということでも、
13:42ありましょうね。
13:45私ども、
13:46人間、
13:46無事故の、
13:47真の助かり、
13:49あるいは、
13:50真実の、
13:50幸福、
13:52その、
13:52邪魔になる、
13:54心、
13:55画像があるから、
13:57画欲があるから、
13:59邪魔をしている。
14:01画像、
14:01画欲が、
14:01私どもの、
14:03真の助かりを、
14:04真実の、
14:06幸福への道を、
14:08邪魔をしている、
14:10とも、
14:11言えるかもしれませんね。
14:14ある意味において、
14:17この世での、
14:18信心の稽古、
14:20と言われますが、
14:21それは、
14:22画像、
14:23画欲を、
14:24取り外す、
14:25稽古とも、
14:26言えるかもしれませんね。
14:27そして、
14:30さらに、
14:31師匠は、
14:32画像を捨て、
14:34心情に、
14:35息抜きなさい、
14:36と、
14:37教えてくださいます。
14:39画像を、
14:40取り払って、
14:41物気の殻になるのではない。
14:43そこから、
14:44さらに、
14:45心情を、
14:46稽古していくのだ。
14:49画像を取り払って、
14:50物気の殻になるのではない。
14:53画像を取り払って、
14:55まあ、
14:56心欲、
14:57とでも言うのでしょうかね。
14:59神様の欲、
15:00心情、
15:02心欲、
15:03を、
15:03身につけていく。
15:05これは、
15:06神様の願いを、
15:07願いとする、
15:08ということでもありましょうし、
15:09神様が、
15:10欲せられることを、
15:12私どもも、
15:13欲していく。
15:14どういうことにも、
15:16なるのかもしれませんね。
15:21天地日月の、
15:22心の精神を、
15:24表地とするならば、
15:26画像、
15:26画像を、
15:27取り除く精神、
15:29これが、
15:29裏地となる。
15:31ということですね。
15:34どうぞ、
15:35よろしく、
15:35お願いいたします。
15:38ありがとうございます。
15:44ご視聴ありがとうございました。
15:45ご視聴ありがとうございました。
15:47ご視聴ありがとうございました。
15:47ご視聴ありがとうございました。

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