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  • 2025/6/16
トランスクリプション
00:00毎月1回東洋の心を語るということで放送をしてまいりました
00:08早いものでその9回になります
00:11この4月から始まりまして12月最末ということで
00:16まもなく新年がやってくるわけでありますけれども
00:20このNHKの入り口にも最末助け合い運動義援金募集などとございました
00:27人を助けることが別に最末に限るわけじゃないと思うんですけれども
00:33やはり1年の節目ということでありましょうか
00:38本日は人を助けるということが一体どういうことなのか
00:43それを苦を抜き楽を与えるというテーマでいろいろと伺ってみたいと思います
00:51お話を伺います方はいつもの通り東宝学院院長の中村はじめ先生でございます
00:57先生今申し上げました通り苦を抜き楽を与えるというのがテーマでございまして
01:05端的にそれがどういうことなのかその辺から少しお話を伺いたいと思うんですけれども
01:13苦を抜き楽を与えると
01:16漢文の文章で申しますとバック・ヨラクと申しますが
01:20これは考えてみますと
01:27慈悲の精神に基づいているということが言えると思います
01:31仏教ではこの慈悲
01:33人を慈しみ
01:35人と心を共にする
01:38人が悲しんでいるときには
01:41悲しみを共にし憐れむという
01:44そういう気持ちですね
01:46これを慈悲と呼んでおりますが
01:50それは心持ちの問題でありまして
01:53具体的にそれがどう展開するかということになりますと
01:57人々が苦しんでいるときに
02:00その苦しみを取り去ってあげると
02:02そして
02:03その人のために何か楽しいこと
02:11良いことを実現するように努めるということが言えると思います
02:20つまりバック・ヨラクというのは具体的な現れですね
02:25慈悲心というものが具体的に現れるときのことを言うと
02:31こういうことで
02:32よく慈悲と一言で言うんですけれども
02:35慈と悲というのは本来意味が違うということが
02:40よく言われるようでございますが
02:43その文章を一つまずご紹介をして
02:46いろいろとお話を伺いたいと思います
02:48大事とは一切の主情に楽を与え
02:54大悲とは一切の主情のために苦を抜く
02:59大事は喜楽の因縁を主情に与え
03:03大悲は陸の因縁を主情に与う
03:07隆寿第一度論からの引用でありますが
03:11先生ここで時と悲というのが
03:13バック・ヨラクに分けて使われております
03:16そうですね
03:17区別して説かれておりますね
03:19この文句は隆寿の第一度論の
03:22第27巻に出てくる文句でありまして
03:25よく知られておりますが
03:27時と悲は一応言葉としては別なんですね
03:31インドの元の言葉では
03:33時はマイトリーと申しまして
03:37真実の友情というような意味です
03:40それから悲と申しますのは
03:42元の言葉でカルナーと申しまして
03:49人に同情する心を共にすると
03:53そういうような意味であります
03:55具体的にどういうことになるかというのが
04:02この第一度論で説明されているわけでございますが
04:06第一というのは
04:09米叩いて大というわけなんですね
04:12一切の市場に楽を与えると
04:17それから大秘というのは
04:19一切の市場のために苦を抜くと
04:23苦しみを取り去ると
04:25それからまた別の解き方といたしまして
04:32大事というのは
04:36人々が喜び楽しむようになるための
04:41その何か原因ゆかりとなるものを与えると
04:47大秘というのは
04:49人々が苦しみから離れるように
04:53そのための原因となるもの
04:56何かの手段を与えるという意味でありまして
05:05端的には人間のことを言うわけですが
05:08さらに広く考えますと
05:11生きとし生けるもののためにも
05:14こういう気持ちを及ぼすというので
05:17それで主情のためにということを言うわけです
05:19それでこの大事大秘ということは
05:23これはなかなか
05:25盆部の実行し得ることではないというので
05:30競技学者のうちには
05:32これは仏様の徳であると
05:36そう決めることもございますけど
05:38しかしその仏様の
05:41この大事大秘といえても
05:44実は元は仏様だって人間だったわけですから
05:49我々生きている人々のうちのどこかに
05:52その気持ちは潜んでいる
05:55そして働いているわけなんですね
05:57私どもの日常の生活の中でも
06:01仏様のように大事大秘という言葉がございまして
06:06仏様のように完全なところまでは
06:09これはどこまでできるかわからないんですけれども
06:12しかし私どもお互いに思いやりを交わし合い
06:15それから助け合いをし
06:17お互いに共に力を合わせながら
06:20そして助け合いながら
06:22生きていると申しますか
06:24生きさせてもらっているという面がございますですね
06:26ですからやはりそうしたものも
06:28やはり慈悲ということの
06:30慈悲の具体的な現れでございましょうし
06:32そういうことになりますね
06:35我々個人はそれぞれ別の存在として生きているわけですが
06:40しかし決して他の人から切り離された存在じゃないわけです
06:44他の人と密接な連関の中で生きているわけでしょ
06:49自分の気がついているところでも
06:52人様から助けていただいていることが分かりますが
06:55また気のつかないところでですね
06:58もうどれだけ世の人々から
07:03さらに天地自然の重までも受けて生きているわけですね
07:09その目に見えないところで不思議な
07:12この因果と申しますか
07:14縁と申しますか
07:16因縁のつながりと申しますか
07:18それで我々は助けられて生きているわけです
07:22そこまで気づくとですね
07:25そうすると決してお互いに孤立したものではない
07:29世の中の苦しんでいる人というものは
07:33これは我々と別の人々ではないのだと
07:38事実を考えてみますとですね
07:40災難に遭う方が世の中にありますが
07:43これちょっとですね
07:44狂ったら今度自分自身が同じような場所に置かれて
07:48同じような苦しみに悩んだに違いないということを思いますですね
07:54縁起の社会観ということをよく仏教の方で言いますがですね
07:59目に見えるものだけではなく目に見えないところで
08:04今先生おっしゃったように
08:05いろいろなことが関わり合っている
08:08これが人間同士も関わるんでしょうし
08:10物も関わるでしょうし
08:12一切の生き物も関わりますでしょうし
08:15そうしたものがお互いに関わり合いながら
08:18縁起しながらこの社会が成り立っている
08:21そうしたところの中にお互いに思いやりを交わしていく
08:26そうしたものが地であり火であろうかと思います
08:30そうです
08:31縁起という言葉はですね
08:33寄って起こると書きましょう
08:34つまりいかなるものもですね
08:37他のものに寄って起こっている
08:39その理を見通す
08:42それが実践の面ではこの慈悲になって現れるわけです
08:47で地とか火と言っても言葉は違いますけど
08:50気持ち心持ちは同じですね
08:52何かを人に与えるということに関しては
08:55全く同じことだと思うわけですけど
08:58つまり苦を抜くというのも苦のない状態を与えるわけでございますし
09:04楽を与えるのも与えるわけだし
09:06いずれにしても私どもの方から一緒に行きさせてもらっている人に
09:12こちらの思いやりを差し向けていくということかと思うんですが
09:17結局そうしますと先生
09:18慈悲というのをもう少し具体的に言いますと
09:22伏せということにも連なってまいります
09:24そうですね
09:24人様に何かを差し上げるということになるんです
09:27この伏せというのはですね
09:29式施すと書きますですね
09:33いかなる行いでもあるいは個々の事物でもですね
09:39人様に向かってその徳が発言するような姿で生かすというのが
09:48伏せの精神であります
09:49元のインドの言葉で申しますとダーナというんですね
09:53このダーナというのは与えることという意味なんです
09:56西洋で寄付することをドネーションと申しましょう
10:04与える人をドーナと言いますね
10:06語源的に同じなんですよ
10:09それが日本語に入ってきましてね
10:11世間でも言うじゃないですか
10:13ダンナさんと申しますね
10:15そのダンナというのはですね
10:18サンスクリットのダーナの音を移したわけなんです
10:22音者語ということですね
10:23音者語というわけですね
10:25旦那というのは誠によくポピュラーに使う日本語になっておりまして
10:31そうしますとなるほど
10:32昔は商店のご主人を旦那さんと言ったんですが
10:37なるほどお給料を与える人でありましょうし
10:40奥さんが旦那さんを旦那様と昔は呼びました
10:46きっとご主人が外で稼いできて奥さんに家計費を渡すからでありましょうね
10:54今はそれがお互いっ子になっている
10:56いろいろになっていますが
10:58そうしますと旦那さんが奥さんを呼ぶときにも
11:00奥さんがご主人を呼ぶときにも
11:03いずれも旦那さんと呼んでもいいわけでございますね
11:05もとの語源から言うと普通で構わないんですよ
11:10ただ従来の社会では男性が女性に何かをあげるとか
11:17あるいはお金のある方がそうでない人に何か物をあげるというような場合に
11:25与える側の人を旦那と呼んだわけですね
11:30その両方が今日でもまだ残っているじゃないですか
11:33日常の会話でも
11:34しかし与えることということになりますと
11:38何も物だけじゃなくて何でもいいわけでございます
11:41そうです何を与えるかということが問題になるわけですがね
11:45これについて仏教で3種類の与える仕方を解いているわけなんでございます
11:56第一が法制ですね
12:00これは人に対して道理を解くこと
12:06だからまた教えを解くということにもなります
12:09世の理を解いて理解させる
12:13それから財政と申しますのは具体的な財
12:18この形を成したものを人様にあげることですね
12:23それから無意せというのを加えて言うことがあります
12:27無意というのは恐れなしということでしょう
12:29我々考えてみますと
12:32日常生活においてもいろいろ不安があるわけですね
12:36明日どういうことが起きるかなと
12:40あるいは自分がどうなるかというような不安があるわけですが
12:45その不安に恐れおののいている
12:49その恐れのないようにしてあげるということです
12:54無意というのは西洋の学者は安全セーフティーなんてよく訳しておりますよね
13:03人を安全にしてあげるという意味ですね
13:07一応その3つに分けて解きますですけれども
13:12先生その無意せというのはとても素晴らしいことのように思うんですね
13:17本当に今先生もおっしゃったわけですけれども
13:20本当に私ども生きているときにいろいろな不安があり悩みがあり
13:25人間で弱いものだと思うんですね
13:27そうしたときに怖がらなくてもいいよと
13:32恐れなくてもいいよと
13:33宮沢賢治の指示はありませんけれども
13:36心からそういうふうに言って安心してあげられ
13:40安心を与え得るということ
13:42素晴らしいことだと私は思いますし
13:45それが不正の一つになるわけですね
13:49そうですね
13:50逆に精神面では特に大事なことじゃないでしょうか
13:57ことに現代人はですね
13:58いろいろな点でも満足しぶる状態に達しつつありますけれど
14:03しかし自分の存在の奥を振り返ってみますとですね
14:09明日何が起こるかわからないという不安があるわけですね
14:14その不安に打ち勝つこと
14:16そのように安心を与えるということですね
14:22仏像の陰相つまり仏様の手の形の一つに
14:28セムイインというのがございます
14:30そうですね
14:31右手をこういうふうに出す形で
14:33実は私これはバンコックにおりましたときに
14:37向こうの高僧の方にお会いして
14:39本当に温和な
14:42それこそ慈愛に満ちた
14:45体中からいかにも信頼できる方だなという雰囲気がございました
14:50その方が信者さんに対して
14:54にこやかに微笑みながら恐れるなという
14:58手つきをされるんですね
15:01ところが若いお坊さんがおりまして
15:07真似をするんです
15:08そうしますと何をやってんだろうというようなことで
15:12全然この恐れなき心持ちを与えることに
15:15実はなっていないので
15:17やはりこの恐れなきことを与えるという
15:22こういう一つの形
15:24形は心があるんでしょうけども
15:26やはりその形を形として
15:29従前に働かせるためには
15:31この人格の光と申しますか
15:36その中にいかにも恐れなくてもいいんだよと
15:40ありがとうございますと言えるだけのものが
15:44やはりあって初めて
15:46セムイということになろうかと思いますが
15:48そのセムイという理想がですね
15:52具体的な姿で具現されているのが
15:55観音様の姿じゃないですか
15:57なるほど
15:57観音さんの恐れなきものという一句を
16:03ご紹介をいたしたいと思います
16:05この観世音菩薩まかさつは
16:09不意の急難の中において
16:13よく無意を施す
16:14このゆえにこのシャバ世界に
16:17皆これを名付けて
16:18セムイ者となすなり
16:20観音行の一句でございます
16:22恐れなきことを施すもの
16:26そうですね
16:27観音行は
16:29法華経の中に含まれているわけですが
16:32独立の経典として
16:33観音行とも言われています
16:36そこでは観音様の徳が
16:38称えられているわけですが
16:40その文句でありますけど
16:42この観世音菩薩
16:44菩薩は本当にこの
16:47道を求め人々のために尽くす方ですね
16:51それからマカサツと申します
16:53マカというのは
16:54インドのマハという言葉の恩を移したので
16:59大いなるという意味です
17:01それからサツというのは
17:03サットバの恩を移したので
17:05いけるものという意味です
17:07だからマカサツで
17:08偉大な人という意味なんですね
17:11菩薩といっても同じことになりますが
17:13観音様はですね
17:16人々が恐れている
17:22災難に遭っている
17:24そういう場合でもですね
17:27恐れのないように
17:29安心の気持ちを
17:32施してください
17:34心を休んじさせてください
17:37だからこのシャバ世界に
17:40シャバと申しますのは
17:42元の言葉で
17:43サハーという言葉の恩を移したのですが
17:48サハーというのは
17:50耐え忍ぶという意味だと
17:55一般に解釈されております
17:58この世の中には
18:01いろいろ思うに任せないで
18:03耐え忍ばねばならないことが多いから
18:05だからサハーというんだと
18:07言われておりますが
18:08けどこの世界でですね
18:13観音様は
18:16安心の境地を授けてくださる
18:20だから
18:21専務医者となすと
18:22このお経の文句がありますものですから
18:25観音様の礼状へ
18:27お参りしますとね
18:28よく学に
18:29専務医とか専務医者と
18:31書いてありますですね
18:32そこに由来するわけです
18:35またそれだけ私ども日本人にとりまして
18:38いろんな形で観音信仰というものが
18:41ものすごく大きな意味を持っておりますし
18:44それだけ偉大な力を持つ菩薩であるということかと思うんです
18:49日本人ばかりじゃありませんね
18:51アジア国々も広くですね
18:54もう中国でも韓国でも台湾でもですね
19:00ベトナムでも観音様の信仰は盛んです
19:03それから南の方の西洋
19:07シュリランか
19:08あそこでも観音様の大きなお像が岩に刻まれておりますですよ
19:12それだけ不安が多いこの世の中に生きていくときに
19:17恐れなきことを与えてくれる信仰の対象というものが大変大きなものかと思うんですが
19:24先生その恐れなきことを与えるといってもいろいろな方法もあると思いますし
19:31働きの出方もあるかと思いますが
19:34認証という大変これは日本の仏教史の中でも得意なと言ってもよろしいかと思うんですが
19:43そうした方が観音さんの背無いの理念を
19:49本当に社会実践した方であるというふうに聞いておりますんですが
19:53少し認証さんの話を伺いたいと思いますんですが
19:58今この像が出ておりますが
20:04認証律師これは鎌倉時代の方ですが
20:08人々の苦しみを救うために全生涯を捧げた方です
20:14認証律師のことを申し上げる前に
20:20そのお師匠さんのエイゾンのことをちょっと申し上げたいと思います
20:25このエイゾンというお師匠さん
20:28この方は奈良の最大事の高層でありました
20:32広く社会実験を起こされました
20:35もう既にエイゾンの律師がなさったことでありますが
20:42例えばですね
20:44世の中に強いたげられ苦しんでいる方が多いですね
20:55そういう人を救うための施設を作る
20:58それから監獄に入れられている
21:02獄舎に閉じ込められている人
21:04そういう人々のためにもですね
21:06いろいろ救う手立てを考えました
21:09それからこの摂取を
21:13禁断の地を作ったというんですが
21:15これはある地域を限りまして
21:18そこでは一切生き物を殺さないように
21:22命を尊ぶという思想を基づいているのです
21:26それと同時にですね
21:29摂取を禁断の地を作りますと
21:33そこに暮らしていた漁師のような人は
21:38生活に困るわけですが
21:39そういう人のためにはですね
21:41また転業の手立てを考えてあげて
21:46例えば茶を栽培するとか
21:48そういうようないろいろな
21:54手当てを実現されたわけでありますが
21:58一つの理念を実践する
22:02そしてそれが社会的な生活を
22:05成り立たくなってまいりますと
22:07それをカバーする生き方というものを
22:10与えていく
22:11一つの社会福祉の典型的な方法になろうかと思いますけれども
22:18今日の言葉で言いますとですね
22:21社会福祉ということになるんです
22:22その理想は古く
22:24例えば聖徳太子に由来するんですが
22:27その理想を鎌倉時代に復興したのが
22:34この英尊和城なんですが
22:36英尊和城は若い時にですね
22:39お母さんを失ったんですね
22:41小さい時に
22:42だから余計この人々の苦しみとか
22:45寂しさというものがよくわかったんでしょうね
22:48本当に人々を救うということに
22:55力を注がれました
22:57そのお弟子が認証なんですね
23:03認証という人は
23:06貴族の手でありますけれども
23:1016歳の時に
23:12お母さんと私別したのです
23:15いろいろ
23:18思い悩むことがあったようですが
23:2223歳で
23:24さっき申しました
23:25英尊和城に出会って
23:28そのお弟子になりました
23:33特に文字の信仰をいただいていたのですね
23:38世に苦しみ悩む人々がおられる
23:42その人々のために尽くすということは
23:47その悩み苦しんでいる人々というものは
23:52文字様の決心なのである
23:54だからその人々に尽くすということは
23:57実は文字菩薩を拝むゆえんであると
24:01そのように直に感じたわけなんです
24:06文字様というのは
24:07インド以来の知恵を象徴すると
24:11言われている菩薩でありますけれども
24:14そうではないですか
24:15そうしますと文字菩薩を向こうに置いて
24:18来拝するというのをもう一つ先に進んで
24:22虐げられ苦しんでいる人たちが
24:24文字様の決心であり現れなんだ
24:27そうするとその人たちの世話をすると言いますか
24:31生きていくことができるように
24:33様々なものを与えていくということが
24:35文字菩薩を信仰し崇拝する
24:39一つの具体的な道だと
24:42こういうことでございますね
24:43そうなんですね
24:44ただ頭の中で考えているだけでは
24:47これはその妄想とか空想と区別がないわけですね
24:52実際の行いに現れてそこで意味を持ってくる
24:55それがその仏様なり菩薩を拝むゆえんであると
25:01実行に表すということを言ったわけです
25:08しかし先生なかなかこれインド以来ですね
25:11仏様がいろいろな虐げられ困っているような方に
25:19尽くすということはいろいろとあったと思いますけれども
25:22端的に菩薩の化身であると言い切った霊というのは
25:27そうたくさんはないんではございませんでしょう
25:29そうたくさんはないと思いますね
25:32ここで日本の仏教史の中でも一つの大きな展開があると思うんです
25:36すでにお師匠さんの映像に現れていることですが
25:42殿様からですね
25:45夕崎の十郎入道という殿様が当時おりましたのですが
25:53その人がですね
25:55法華経の天独をするから来てくれと言われた
26:00ところが映像は行かなかったんですね
26:03けれどその殿様が後にですね
26:06摂氏を禁断の地を作って
26:09生き物をすべて愛しむということを実行した
26:14それを聞いてですね
26:16で映像は出かけていって教えを説いたと言うんですね
26:21もうそこにその
26:22実際に命を尊ぶという
26:27その思想が出ていた
26:29で認証はそれを受けているわけです
26:31さらにそれを徹底させたというところに
26:35もう認証の特徴があると思います
26:37当時現在でもお経の天独ということは行われておりますし
26:42当時としても非常に苦毒のある行為とされておりましたでしょうし
26:48そのお経の天独の苦毒のみなら
26:51苦毒ということよりももっと実際的な
26:56そして具体的な形で社会に何かを与えていくという
27:01その意味では極めてこう
27:02あのその実際的な感覚をお持ちの映像和上
27:08そしてそれに教えを受けた
27:10あの認証立志ということでございますね
27:15そこまできてですね
27:16お経の精神というものが生きてくるわけですね
27:19それをその映像さらに認証は
27:24あの実現に努力された
27:28注目すべきことだと思います
27:30その虐げられた方とか
27:32極者につながれている人たちとか
27:35そういう人たちの救済というのは
27:37具体的には先生どういうことだった
27:39これはね大変なその活動をされたんですよ
27:44歴史の種物に出ておりますがね
27:47要点だけ申し上げますと
27:50その例えば病人を救うための療養所ですね
27:55これをそのあちこちに作りましてね
27:59そこで治療を受けた人が
28:046万7千人いたって言うんです
28:07これ鎌倉時代のことですからね大変です
28:10それからあのまた浴室っていうんですかね
28:17まあ今日って言ったら温泉療法っていうことになりますかね
28:20それもその建物も作ったと
28:27それからその苦しみ悩んでいる人
28:32その人々を収容する建物
28:35これをいくつも作ったんですね
28:38さらに社会的な意味で大きな活動をしました
28:46橋を189箇所に作った
28:49道をですね71箇所に作った
28:53それから井戸を33箇所で掘って作ったって言うんですね
28:58当時の人々が一番欲していることを実現したわけです
29:02認証律師という方は主にどの辺で活躍した方でいらっしゃいますかね
29:08これはね関西の最大寺それから奈良の北の方にも
29:15その根拠地があったんですが
29:20特に知られているのは鎌倉の極楽寺ですね
29:24つまり鎌倉時代は鎌倉に幕府があったわけですから
29:28その根拠地ですねいわば首都ですが
29:31そこに極楽寺という大きなお寺を建てまして
29:37今小絵図昔の絵図がそこへ出ておりましょう
29:43建物も多かったんですが
29:45その外れのところにですね病病所があるんです
29:50病院ですね
29:52かすかに
29:55向かって左の方に病院が見えます
29:59まだ極楽寺の外れの方にも別のところにも作ってあったんですが
30:07大したことをされたんです
30:12それから今そこにその写真が出てますが
30:14これは奈良の北の方のですね
30:17あの般若坂を上がったところにありました
30:21病院です
30:24北山18県道と申しますが
30:28ここに今今日で言われる
30:30ハンセン死病の人をですね
30:33そこへその納めてですね
30:36収容して
30:37そしてその治療し
30:40病を治すように助けてあげたというんです
30:44でそこでその
30:46暮らせる人はいいけれど
30:49病が重くなりますとですね
30:50もうその
30:51食を故意にどこかへ行くってこともできなくなるんですね
30:57原稿釈書という
30:58種物の中に出ているんですが
31:01その重くなった病人の人をですね
31:04認証律師は肩に担いでですね
31:07
31:08奈良の町まで行って
31:12いろいろ買い物をしたりして
31:14薬を買ってあげたりして
31:16でまた戻ると
31:18そういうことを何度も繰り返した
31:19でその病人が亡くなるときにですね
31:24お師匠様本当にありがとうございました
31:27このご恩は決して忘れません
31:29私が
31:32またこの世に生まれ変わってくることがありましたら
31:36その時には
31:37期待にこの痣をとどめていますから
31:40ご注意くださいと言って
31:41感謝しながら亡くなったってですね
31:43そしてその後にですね
31:45しばらく経ってから
31:48弟子入りを申し出た人がいた
31:51その人の期待にですね
31:54痣があった
31:54これはあの病人の
31:56あの生まれ変わりだと
31:58時の人々が話したと
32:00いうそういう
32:02感動を与える物語も
32:07歴史の書物に記されております
32:09本当の菩薩行ということでございましょうし
32:13本当にそうした
32:15世話を受けた人たちが
32:18どれだけ感激し喜んだことか
32:21思いに余りますですね
32:23今の北山発見事発見とかですね
32:26どうしてあそこにあるかわからなかったんですが
32:28現地行っていろいろ
32:29調べてみてわかったんですが
32:32あそこはその坂の上でしてね
32:35高いところなんです
32:37だからその病人がその病者からですね
32:40病院の窓から
32:43奈良の幸福寺の塔だとか
32:47遠くは法隆寺の塔をですね
32:51眺めて楽しむことができる
32:53そういう眺めのいいところだった
32:55そこへ作ったというんです
32:57なるほど
32:58そこまでその行き届いて
33:00考えておられたのかと思って
33:02私は感動しましたんですが
33:05これはですね
33:07世界の歴史でも非常に珍しいことなんです
33:10社会福祉事業で一番古い
33:15最古のものと言われておりますのは
33:17南ドイツのですね
33:19アウグスブルクという
33:21昔からの交通の要所ですが
33:24そこにあったフッガライと申しますが
33:26フッガというお金持ちがそこにいたんですね
33:29もう帝王以上の力を持っていたと申しますが
33:32そのフッガ家が作った
33:34社会施設ですね
33:38これは今日までも残っておりますが
33:41それが一番古いと言われているけれど
33:43認証律師の方が
33:47それよりもさらに150年も前に
33:50この施設を作っているんですよ
33:52そうしてその精神がですね
33:55我々を打つものがあるんです
33:56そのフッガ家の社会施設は
33:58これは誠に
34:00当時として尊いことだと思いますが
34:03条件があるんですね
34:04フッガ家の雇い人でなきゃいけない
34:08そこで働いた人が
34:10老後に楽に暮らせるようにというわけです
34:13それが一つの条件
34:15もう一つはカトリック教徒でなきゃいけない
34:18まだあと年齢が58以上とか
34:21何とかいうことはありますけど
34:23それは別としまして
34:24そういう制限があったわけです
34:25ところが
34:26認証律師の建てた病院はですね
34:29もう一切の制限がないんですね
34:33いかなる人でも苦しみ悩んでいる人があって
34:36みんな受け入れた
34:37こういうそのたっとい事業がですね
34:41大規模に我々国で行われたということは
34:45これはもう祖先の残された
34:47たっとい異業だと思いますですね
34:51あまり日本の仏教史の中で
34:55永存和条認証律師
34:57そうしたお話というのが
35:00あまり知られて
35:01比較的に知られていないように思うわけですけれども
35:03そうですね
35:04こうした現代の様々な問題を抱えている時に
35:09もっといろいろな形で知られ
35:14そして再評価され
35:16一つの模範と社会福祉なり
35:19社会制度なりのいろんな形で
35:21理念的にも実際的にも
35:26いろいろなものを受け取るべきものが
35:28どうもあるように伺いながら思うんですけれども
35:30あのまあ率直に言わせてもらいますとね
35:33日本における仏教史の評価というのは
35:36だいたい宗派仏教でしょう
35:37宗派のこの傾向に沿って
35:39その人々を評価するわけです
35:42けれど認証律師のその活動の後なんて
35:45消えてしまったわけです
35:46しかし宗派のこの系列とは別にですね
35:51こういう偉大なことをされた方がおられると
35:55これは大したことだと思いますね
35:58今図がそのうち出ると思いますが
36:03極楽寺の後ろに大きな
36:08認証律師のお墓がありますですね
36:13これやっぱり当時の人々が
36:17その認証律師をこの死闘でですね
36:20これだけ立派なものを作って
36:22しかも完全な形でその700何十年前のものが残っている
36:26これやりっぱりだと思います
36:28それからその具体的にですね
36:30その極楽寺には大きな薬鉢が残っているって言うんじゃないですか
36:36あの私
36:39私伺いますと
36:42そこの病人のために
36:48これに出てきますね
36:49この鉢でこの
36:52夜券のようなものを使って
36:56お薬を調合したって言うんですね
37:00こんな大きなものが
37:03大きなものそれだけまた
37:04これを必要とする人々が多かったということで
37:08そういうことになりますね
37:10苦しんでいた人は多かったんでしょう
37:13しかしまたそれに対してですね
37:15そういうこの
37:16適当な策を取って実現したという
37:22これだということだと思いますね
37:24ただその伝統がね
37:25日本では何か後がはっきりしないでしょ
37:27これやっぱり残念だと思いますね
37:30理念だけが残ってなかなか実践が伴わないという面が
37:36よく言われますし
37:37多分にそうしたこともあろうかと思いますが
37:39先生今お話を伺っておりましてですね
37:42映像和尚にしてもそうだろうと思います
37:45認証律師にいたしましても
37:48それだけ何と言いますか
37:50自分というものを捨てて人に尽くし抜いていく
37:54なまなかな思いつきなんかでできるものでございませんですし
38:00よほどこうなんて言いますか
38:02自分というものをこう
38:04俗な言葉でいいや鍛え上げるというんでしょうか
38:07あるいは別の言葉でいいや
38:09自分を殺すというんでしょうか
38:12とことんまで人に尽くしていくという
38:14そうした姿勢
38:15よほどこれは単に人を助けましょう
38:20困っている人ですからなんていう
38:22そんな生やさしいものとはちょっと思えない
38:24よほどこう自分の訓練と言いますか
38:27自分に対する厳しさと申しますか
38:30そうしたものがないと
38:31そうしたものがその根底にあって初めて
38:34そうした完全な菩薩行
38:36利他行というものが可能になるような気がいたしますんですけど
38:40その辺はいかがなことでございましょう
38:42これは認証律師という方は非常に
38:45自己を律することの厳しい方だと思いますね
38:48その誓言も誓いの文句というのが残ってますがね
38:54認証律師は衣もごく疾走でしてね
39:00絹は一切身につけなかったんですよ
39:03これはまあカイコをやはり殺して作るからという
39:06摂氏を禁断の意味に回ったと思いますが
39:09それからこれをびっくりすることですが
39:13お菓子を一切食べないって言うんですよ
39:16天神と申しますかね
39:18あのまあ律師でありますし
39:21戒律を非常に厳しく守っている方でありますから
39:24お酒とかお肉とかお魚を食べないっていうのは
39:28これはもう当然なんですよ
39:29よくわかりますけれども
39:30お菓子もダメでございました
39:32あのねお菓子を食べちゃいけないという戒律は
39:34因文にはないと思うんですよ
39:36それから中国にもね
39:37けれどその認証律師は自らそういう誓いを立てたんですね
39:45それは先生やはりそのお酒とかお肉と違いますから
39:50お菓子というのはもうお釈迦さん以来は認められてますですよね
39:53それも食べないということは
39:56お菓子を食べたからどうというよりも
39:59人が苦しんでいる人がたくさんいるのに
40:01自分がそういうおいしいものを食べちゃ申し訳ないというか
40:04一つの自己規制
40:07そうです
40:08自己を立する
40:09そうです
40:10人々が苦しんでいると
40:12そういう事実が自分の心の中にしょっちゅうあるわけでしょ
40:17そうすると自分が楽しみに合うのが悪いような気になったんじゃないですか
40:23まず人々に楽を与えて
40:25後に自分も楽しむという
40:28昔から言われているその気持ちですね
40:31人の後に楽しむというので
40:34後楽園といったような庭園がよくございますけれども
40:38言葉は言葉としながら
40:42それがこういう非常に鮮烈な形で
40:45宗教者としての社会実践として
40:49生かされてくるということになると
40:51本当にびっくりしてしまうといいますか
40:54壮絶な感情を持つわけなんですけれども
40:56それだけの覚悟があったから
40:58だからあの大事業ができたんだろうと思います
41:01それだけの一つの自費業というものの根底に
41:05自己規制があるからこそ
41:07あるいは自分の心を清めていくといいますか
41:10自己浄化と申しますか
41:12そうですね
41:12自己浄化
41:13それに徹底していた人だったと思います
41:16またそれがあって初めて
41:18人を救うということが
41:23何か自分をこちら高いところに置いて
41:26相手を低いところに置いて助けてあげるとか
41:29何々して
41:31何かこうポーズを作って与えるというんじゃなくて
41:35本当に一つになりながら
41:37人に尽くしていく
41:39それが結局自分の生き方にも
41:41ピタッと一つになっている
41:42本当にもう一つになる
41:44今おっしゃった通り
41:46仏教の言葉で不倫と申しますね
41:49その不倫ということは
41:50口では言えますけどね
41:52それを具体的に実現すると
41:54どういうことになるか
41:57これはやっぱり
41:59認証律師の行動の中に
42:01よく現れているんじゃないでしょうか
42:03先生
42:04有名な七仏通貝家というか
42:07仏教の最も基本的なものがございまして
42:10その中に実は自己浄化ということが出ております
42:13ですね
42:14言葉として私なども知っているわけですけれども
42:18改めて認証律師のそういう話を伺いますと
42:22単なる言葉の裏にある
42:24一つの凄まじさみたいのが
42:26分かる気がするんですが
42:28読んでみましょう
42:30もろもろの悪をなさず
42:33良いことを行い
42:35自己の心を清めること
42:38これが書物の教えである
42:41ダンマパタ北京の第183下でございます
42:44同じことが簡訳されておりまして
42:49これが有名な七仏通貝家と知られているものでありますけれども
42:54諸悪幕差
42:55修善奉行
42:57慈情吾意
42:59是称仏教
43:00そのまま頭から読んでしまいますとそういうことです
43:04そうですね
43:05意味は前のダンマパタと同じでございますね
43:08もろもろの悪をなすなかれ
43:10もろもろの善を奉行せよと
43:12自らその心を清めよと
43:15これが書物の教えである
43:17そうなんですよ
43:17これは仏典のあちこちに出てくる言葉でありますよね
43:23過去七仏
43:27どの仏様でも通じて説かれた教えであるというので
43:34それで七仏通貝家というんですね
43:38仏教のギリギリのところは
43:43ここに尽きていると言われるのです
43:45これについて博楽天の有名な話がございますが
43:49博楽天
43:50中国の詩人ですが
43:52あの人がドーリン禅師という有名な禅師様
43:57高層を訪ねていた
43:58この方は林の中で
44:02四重校座禅を組んでいたと
44:06その時もですね
44:08木の上に登って座禅を組んでいた
44:14それで博楽天が危ないと言ったんですね
44:17そうしたら禅師は
44:20いやこの三階の固く
44:24火のついた家の中に住んでいるような
44:27そういう主情が気がつかないで言わ
44:31その方がもっと危ないんだと言われてしまったんですね
44:35じゃあやっつけてやれと思って
44:36いかなるかこれ仏法の大意と聞いたんですね
44:39仏法の根本の教えは何ですか
44:43そうすると
44:45ドーリン禅師がですね
44:47この詩の文句を唱えられたんです
44:51そうすると
44:52博楽天が
44:56何だそんなことですが
44:59そんなら子供だって分かってますよって言ったんですね
45:02そうすると
45:03ドーリン禅師がすぐすかさずパッと答えた
45:07いやこれはね
45:08三歳の幼子といえども口にすることができるけれども
45:14八重の老王もこれをお子のお子と語りした
45:19口にすることは誰だってできる
45:21しかしお子のお子とはですね
45:22八重になってもまだできないぞって言われて
45:25それでも博楽天はペシャンクに言われて
45:28それで禅師のお弟子になったって言うんです
45:30よく雰囲気が分かるような気がいたしますですね
45:33要するにいいことをしなさい悪いことをしなさんな心を清めなさいと
45:37言ってしまえばそれだけのことで簡単なんですけれども
45:42しかし先生
45:42仏教っていうのはそういうものじゃないかなって気が私するんですけれども
45:48理屈で何かを理解することは十分にできると
45:52ある程度できると思うんですが
45:54それが自分の生活の中にどこまで実行できるかというのが
45:58仏教の基本のところになってくるように思います
46:02そう思います
46:03そうしますとそれが自らその心を清めるという
46:07心を清めるというのが今
46:10仁書立志の素晴らしい例を伺っておりますと
46:15誠に容易なことじゃないというのが分かりますですね
46:18本当に自分の欲望というものをギリギリまで抑えていく
46:23いやそれが抑えるとか抑えないということじゃなくて
46:26他人のためにいろんなことを尽くしていくという気持ちでもいっぱいになっている
46:32なんかこう悪いことを考えないように寝てるんじゃなくて
46:36もっと積極的に人のために尽くし抜いていくことが
46:41きっと心を清めていくことであろうかと思います
46:44そういうことは言えると思いますね
46:47先生にお選びいただいた
46:49少しこれは大乗仏教の非常に優しい言葉なんですが
46:53大乗仏教の実践の一番根幹を示したような言葉がございますので
46:59ご紹介をいたしたいと思いますが
47:01彼らに幸せをもたらす行為であるならば
47:06我をして何事でもなさしめよ
47:09何人にとっても私のせいで不幸が起こることは
47:14決してあってはならない
47:17これはシャンティデーバ
47:19ジャークテンでございましょうか
47:21言われている方の悟りへの行い入門という
47:25菩提行教と
47:27この言葉は優しいんですけれども
47:32これもまたよく読んで味わって
47:36自分の生活に当てはめていこうとすると
47:39なかなか奥が深いなという気がいたします
47:42そうですね
47:43この積極的に行動せよということを
47:48人々のために行動せよということを
47:50教えたという点で
47:52シャンティデーバは非常に特徴があると思うんです
47:55この人はですね
47:56インドのこの西の方に
48:01サウラシトラという半島がありますが
48:05ボンベイの北の方ですが
48:07そこの王族の出身なんです
48:09年代はですね
48:12ほぼ650年から750年の間だろうと
48:16言われておりますが
48:177世紀から8世紀の
48:19そういうわけですね
48:20この人は仏門に入りまして
48:27元日側の領域に赴き
48:30最後にナーランダーという
48:32昔の大きな大学がありまして
48:35今日でも遺跡が残っていますが
48:36そこへ行って勉強して
48:39暮らしていた人ですが
48:42この人はですね
48:43そのナーランダー大学の
48:46あったそのあたりで
48:48飢饉が起きたときにですね
48:50この上
48:54活泳に悩む
48:57数千人の人々のためにですね
49:00この世紀を行った
49:02食べ物をですね
49:05人々に差し上げたと
49:07さっきお話に出ました
49:12この不正
49:14交渉をしたわけですね
49:16そういうことが
49:17この
49:17チベット語で書かれた
49:21仏教史の中に出ているんです
49:24だから彼の実際に行ったことと
49:28それから説いてたことと
49:29非常に合うと思うんです
49:31やはり仏教の基本と申しますか
49:34論理だけではなくて
49:36そこに実践がないと
49:37仏教にならないということかと思いますが
49:40同じくシャアンティレーバの言葉を
49:43もう一つご紹介をいたしましょう
49:45私は一切の人々のうちで
49:49灯火を求めている人々のためには
49:52灯火となり
49:54信頼を求めている人々のためには
49:57信頼となり
49:59ぬぼくを求めている人々のためには
50:02ぬぼくとなろう
50:03同じく悟りへの行い入門ということでありますが
50:08結局これが悟りへの行いであるという
50:12結局お悟りということは
50:14結局実践だということでございます
50:16仏教のギリギリのところがどこにあるか
50:20それは人々に対する奉仕の中にあると
50:24シャアンティレーバはそう考えていたんですね
50:26だから悟りというものは
50:28自分から離れたところにあるんじゃなくて
50:32毎日毎日人々に奉仕しているのは
50:35その中に悟りの境地がある
50:37そこに仏教があると
50:39そう考えていたわけなんです
50:40何かこう一つ頭の中で
50:43そうかと分かるということは
50:45それはもろんあるかもしれませんけれども
50:47そうしたことよりも
50:48むしろそうしたいろいろな思いが
50:50体の中に出てくる
50:51それを促されながら
50:54毎日毎日を人のために尽くしていくという
50:56一つの社会実践
50:58それが悟りである
51:00それと先生悟りというのは一つの
51:02一時何かが分かったという理解ではなくて
51:05一つの長いプロセスとして悟りを見ていくということになりましょう
51:09そういうことになると思いますね
51:11悟りというのは何か高骨の境地みたいなもので
51:14そこへ入ってしまうと
51:16そうするともう後は何やってもいいんだというような
51:19そう考える誤解も世間にはあるようですけど
51:23そうじゃないんですね
51:24日本の禅師も同じようなことをおっしゃっていると思うんですけれども
51:33指導無難禅師のその辺の言葉をご紹介をいたしましょう
51:37物に熟する時あるべし
51:42仏道を修行する人
51:44身の悪を去るうちは苦しけれども
51:47去り尽くして仏になりてのちは何事も苦しみなし
51:52また慈悲も同じことなり
51:56慈悲するうちは慈悲に心あり
51:58慈悲熟する時慈悲を知らず
52:02慈悲して慈悲を知らぬ時仏というなり
52:07指導無難禅師の五六の中からの一節でありますが
52:12やはりこれも悟りというものが一番完成した時には
52:17それをしようという意識さえなくなって
52:22おのずと行われている
52:24熟した時
52:25そうしたことで言っているかと思いますんですが
52:28そういうことになりますよな
52:30最初は何かいいことをしようと思っていますね
52:33なかなか腰が上がらない
52:35自分で努力しなきゃいけないわけです
52:38けれど
52:39もうそのすることが身につきますとですね
52:42そんなに苦しまないで
52:45自分で意識しないでも
52:47おのずから善が実現され
52:49人々のために尽くすということが行われるようになると
52:54その境地をここで
52:56無難禅師は説いておられると思うんです
52:58鈴木大雪先生のお言葉の中に
53:06確かこういうことがござい
53:08こういう意味のことがございました
53:10劇というものは訓練するものだよということなんですね
53:15ですからやはり
53:17何かこういろいろ修行をして
53:20立派な人間になったら
53:22然るべき自貴心を人に及ぼすことができるよ
53:25ということじゃないという意味だろうと思いますんですね
53:29やはり今お話のように
53:32自分の心の方がどこまで高い深みにいったかは別として
53:39とにかく理想に向かって歩み続けていかなければいけないものでありましょうし
53:44それが仏道の実践だろうと思いますが
53:47その深みというのは人によって違って構わないと思うんですよ
53:52ただその方向に進んでいけば
53:54それが実践になるんじゃないですか
53:58それが指導無難の禅師の言葉によりますと
54:03次第にそれが熟していく
54:05熟す前はどうでもいいのかというと
54:10そうじゃなくて熟するように努力していくことが
54:13やはり悟りの一つの展開だろうと思いますんですけれども
54:18しかしはっきり言った言葉だと思いますですね
54:25慈悲熟するとき慈悲を知らずと
54:28ああそうですね
54:29本当の達人は自分の芸の達したことを意識しないんでしょうからね
54:36おそらく
54:37自転車を習うときには大変自転車を意識しますけれども
54:44自転車の運転に慣れてしまったら
54:47自転車を運転しているということ
54:49自動車でも何でも同じでしょうけれども
54:51それを意識がなくなるわけで
54:54おのずとしかるべく動いてますんでしてね
54:58それを仏教の方で自念法義なんていうような言い方で言うわけですね
55:04その境地まで達すると
55:06おのずから達せられるというわけです
55:09それだけに最初からそういうふうにはなりませんから
55:14即今ただいまからでもそうした歩みを進めていくということが
55:20熟する道を歩き出すことであろうかと思いますし
55:25そうしたことが熟してくるのを願うわけなんですが
55:29そうしたことをまとめるような意味で
55:34これはインドのテーラガーターから一つご紹介をいたしたいと思います
55:38我は万人の友なり万人の仲間なり
55:46一切の生ける者の同情者なり
55:50慈しみの心を主して常に不生涯を楽しむ
55:55テーラガーター
55:56これも先生簡単なようでありますが
56:02いろいろとポイントがあるようにも思います
56:04素晴らしい心境だと思いますね
56:07このテーラガーターというのは最初期の仏教の
56:10立派な修行者の心境を取るした
56:16詩を集めたものなんです
56:19それによりますと
56:22自分は万人の友である
56:27一切の人々と共にある
56:31そして一切の生きとし生ける者に同情をする
56:35これが慈しみの心です
56:37こうなりますと
56:39もう人を損なうというようなことはないわけです
56:43無生涯不生涯とここに出てますが
56:46これの元の言葉はアヒムサーと申しまして
56:50暴力を振るわないというようなことでも
56:54現代的な意味で使われておりますが
56:56前回ガンディさんの話をしましたときに
57:02このアヒムサーが非常に重要な述語として出てきました
57:04このアヒムサーというのはガンジーさんにとっては
57:07根本的な標語もっとうになっておりましたですね
57:11傷つけないということは
57:14他人に対する思いやりということかと思いますんですけれども
57:19しかし先生この不生涯を楽しむという
57:23なかなかその心境は難しいかと思いますんですが
57:27結局今の最後の詩ではございませんけれども
57:32自分は万人の友であると
57:35仲間なんだと
57:36そして一切の生きとし生ける者の同情者なんだと
57:40いうことが一番の基本の時期ということでございましょうし
57:45それの具体的な言い方が苦を抜き楽を与えるということでございましょうし
57:51そうなんでしょうね
57:52この万人の友であるというそういう気持ちになって
57:56そこで初めて理想的な世の中が実現されるんじゃないでしょうか
58:01本人はどうも本日は先生どうも大変ありがとうございました
58:04ありがとうございました
58:04ありがとうございました

お勧め

21:31
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2023/10/30
1:00:44