- 2025/6/16
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00:00東洋の心を語るというシリーズでございまして
00:05毎回仏教を中心にしながら
00:09東洋の英知というものを
00:11いろいろな形で探ってまいっております
00:14本日はその第5回ということですけれども
00:17テーマが読夜のたとえということでございます
00:22お話をいただきます方は
00:24いつもの通り東方学院院長の中村はじめ先生でございます
00:29先生どうぞよろしくお願いいたします
00:31先生今日のテーマが読夜のたとえという
00:36いきなりたとえがテーマとして出てきたのでありますが
00:40それを中心にしながらいろいろとお話を伺ってまいりたいと思います
00:46まず最初に読夜のたとえとは何かと
00:49そこから実は端的にお話をお伺いしたいと思うんですけれども
00:55読夜のたとえというのは原始仏教聖典では有名な比喩でございまして
01:02よく知られているんですが
01:05それはこういうわけなんですね
01:09シャクソンのところへ当時の哲学青年でありましたマールンキヤという若い人が訪ねてまいりました
01:20そして質問をしたわけなんです
01:23当時のインドでは色々な哲学的な問題が論議されておりました
01:29具体的に申しますとこういうようなことなんですね
01:34この世界は常住であるか無常であるか
01:40つまり世界というものは
01:42永遠に存在するものであるのか
01:48あるいはある時期に消えてしまうものであるか
01:52それと同じようなことが霊魂についても言えるかどうか
01:56それからまた第二にはですね
01:59この世界は空間的にどこまでも広がっているものであるのか
02:06あるいは限られたもので
02:09有限であって途切れているのかどうかと
02:14霊魂についても同じようなことが言えるかどうかと
02:18それから第三にですね
02:20我々の存在を考えてみますと
02:25身体がその中に霊魂があると考えられますが
02:29この身体と霊魂とは
02:32同一のものであるか
02:34あるいは全然別のものであるのか
02:38あるいは第四に
02:42修行を完成した人は
02:46死んで亡くなった後でも
02:48やはり生存するか
02:51あるいは消えて亡くなってしまうか
02:54こういうようなことを
02:56当時論議していたわけです
02:59これは仏典に出ているばかりじゃなくて
03:04ジャイナ教の方でも言うんですね
03:06ジャイナ教の方の聖典で
03:08バガバティというのがございますが
03:10そこでもですね
03:12同じような問題が論議されているのであります
03:16それをマールンキアの青年が
03:21ここでシャクソンに返答を求めてきたわけです
03:26それに対してですね
03:29シャクソンが
03:30独野の例えということを持ち出して
03:34そして純々と教えさとされたという話でございます
03:38ジャイナ教と申しますと
03:41よく仏教との姉妹宗教といいますですね
03:45ほぼシャクソンと同じ頃に
03:48仏教と同じ頃に
03:49インドに起こった宗教だということで
03:52そうでございますが
03:53ジャイナ教でもこういう問題が言われていて
03:55そうなんですね
03:56ということはやはり当時の
03:58いわばインテリの間の一つの話題になっていた
04:03そうです
04:04テーマなんでございましょう
04:05インテリの間の話題だったんですね
04:07ただジャイナ教の方の解釈はですね
04:10こうなんですね
04:11ある点から見るとこうであり
04:13他の点から見るとこうである
04:15例えばこの宇宙は
04:20あるか遠い昔にもあったし
04:26現在もあるし
04:27未来にもあるであろうと
04:28そうするとその点から見ると成就だったんです
04:31けれどまた宇宙というものは
04:33ある時にこうずっと増大し
04:37膨れ上がる時期があると
04:38それからまたある時には
04:40沈んで消えてしまう時期が
04:42それを繰り返すんですね
04:44今日の天文学でよく問題にされています
04:47ビッグバンというんですね
04:49宇宙が現れて
04:50それからまたブラックホールで
04:51全部吸い込まれてしまうと
04:53それに似たようなことを考えていたわけですね
04:56そっちを見ると
04:57そうすると無常であるというんですね
04:59そういう味方の相違によって
05:06どちらでも成り得るということを
05:09言っていたわけですが
05:10ただそこでまた一つ問題があるんですね
05:13というのはある時期に宇宙がずっと
05:17増大し発展するとか
05:18またある時期に消えてなくなるということを
05:21どうして言えるんだというわけですね
05:23それに対して釈尊は
05:27別の立場をはっきり出したわけなんです
05:30ある意味では
05:32現代でも宇宙に果てしがあるかとかないとか
05:35人間は死後生存するとかしないのかという
05:39現代でも話題になるような事柄かと思うんですが
05:43やはり当時のインテリの間で大変
05:46一つの刑事上学といいますか
05:48そうなんです
05:49哲学としてきっと問題になっていたことだろうと思うんですが
05:53それではそれに対して釈尊が
05:55どのような姿勢を示されていたのか
05:59それを一つご紹介をいたしたいと思います
06:03独屋のたとえ
06:05ある人が独屋にいられて苦しんでいるとしよう
06:10彼の親友や親族は医者を迎えにやるであろう
06:14しかし当人が
06:16私をいた者が王族であるかバラモンであるか
06:20丈が高かったか低かったか
06:22弓や矢はどのような形で材料は何であるか
06:26わからないうちはこの矢を抜き取ってはならないと語ったとしよう
06:31それではこの人はやがて死んでしまうであろう
06:35それと同様に
06:38もしある人が
06:39世界が常住であるか無常であるかといったことについて
06:44孫子が断定して解いてくれない間は
06:47修行はしないであろうと語ったとしよう
06:50しかし私ブッダはそのことを解かないのであるから
06:55その人は毒が回って死んでしまうであろう
06:58マッジマニカーヤ
07:00中部経典と言われている経典からの一説でありますけれども
07:06先生ここでは釈尊がそうしますと
07:10先ほどのジャイナ教のように
07:12ある面から言うとあるよとか
07:13こっちの面から言うとないよということではなくて
07:17そうしたことを断定して解かないということなんですね
07:21そうなんですつまり現代の進んだ自然科学あるいは天文学の知識をもってしても
07:28なお分からないことがあるわけでしょう
07:31まして当時の人が全面的にはっきりと断定することはできなかったと思うんです
07:37こういう問題については
07:38じゃあそれに対してですね
07:41どういう具合にしたらいいかと
07:45いつまでも論議していたらですね
07:48この毒矢の例えのようにですね
07:51論議している間に
07:54矢が当たった人はですね
07:58毒が回って死んでしまうであろう
08:00我々だってですね
08:02解決できないことを論議している間に死んでしまうわけですね
08:05そうじゃなくて今ここに生きている人間にとって
08:10どう生きていくかということが一番大切である
08:14だから解決できないことに深くとらわれることなしにですね
08:19本当の生き方というものは何か
08:22それを追求するのがシャクソンの立場でありました
08:26いたずらに議論を重ねて
08:31いわば外側の形に関したことをいろいろ
08:35ああだこうだ言っても
08:36本当に生きていくということとは関わりがないではないかと
08:40もっとそうした
08:41どういうふうに答えが出るのか分からないようなことに
08:46神経を使うよりも
08:47もっと生きていく大事なことにこそ
08:50神経を精神を集中すべきであると
08:54こういう一つの基本的な生き方でございます
08:57お互いにですね
08:58人間として今ここに生きているわけですね
09:02どう生きるかということが
09:03明々の人にとっての一番大切な問題ですね
09:06それに行くべき道を示すというのが
09:11シャクソンの立場でございます
09:14それではそれがどういうふうに考えていったら
09:18それが生き行くべき道であるのか
09:20先ほど考えても分からないことは
09:24断定して解かないよとシャクソンがおっしゃった
09:27しかしこれだけは断定して解くという教えがございますので
09:32それをまずご紹介をしながら
09:35またお話を伺いたいと思います
09:36しからば私は何を断定して解いたのであろうか
09:43これは苦しみである
09:46これは苦しみの起こる原因である
09:49これは苦しみの消滅である
09:52これは苦しみの消滅に導く道である
09:57ということを断定して解いたのである
09:59先ほどと同じく
10:01マッジマニカーヤ中部経典からの一節でありますが
10:05先生これは死体と普通言われております
10:09重要な教えでございますよね
10:11そうですね
10:11一応根本の教えをまとめてみると
10:16そうすると死体ということになるかと思います
10:18対というのは真理ということですね
10:21つまり人間に関する真理ということなんです
10:25自分自身を反省してみますとですね
10:31そうすると決して人間は思い通りに
10:36生きていくことができるわけではないわけですね
10:40思い通りにならない
10:43欲するがままにならないということを
10:46インドの言葉で
10:49ドゥカと申しますが
10:51これを簡約物点では苦と訳しているわけです
10:56苦しみです
10:57苦しみですね
10:58なるほど
10:59ただその苦しみと申しましてもですね
11:02単に生理的な苦痛だけを言うわけじゃないんです
11:06もちろんその病気かなんかになってですね
11:09傷ついたりして生理的な苦しみ
11:12苦痛を受けている方もおられましょう
11:14けれどそういうことはなくてもですね
11:17必ずしも人生は思い通りにはならないわけですね
11:23あるいは自分はもう楽しい生活を毎日送っているから
11:27何にも患うことはないんだと
11:29言われる方もおられるかもしれませんけどね
11:31しかしちょっと反省してみるとですね
11:34これでいいのかなと思うことがありますね
11:38なんか不安もあるわけですね
11:41これでいいのかなと思って
11:42なんかかかずろうことがございますね
11:45そういうのを全部含めて
11:47どこか苦しみと言っているわけです
11:50非常に広い意味でございますね
11:54大変思い通りにならない
11:57それが苦しみなんだという捉え方は
12:00先生とても分かりいいと思いますし
12:02説得力があると思うんですね
12:05よく私ども毎日の生活の中で
12:08肉体的な苦痛もあれば
12:10精神的な苦痛もある
12:12心身あるいは心人の苦しみということも
12:16よく言うわけですけれども
12:17それをもう少しその内容を分析すれば
12:21結局痛いというのは痛くないということが
12:25望ましいのに思い通りにならないからの
12:27苦しみということにもなりましょうし
12:30いわば私どもが一般に毎日の生活の中で
12:35感じている苦しみとか不安というものの
12:38非常に具体的な内容を示すと
12:42思い通りにならないということで
12:43いうことでとても分かりいい
12:46釈尊の教えかと思います
12:49そうですね
12:49楽しい生活をしている人でも
12:52ふっと反省してみると
12:54何か一種の精神的な不安
12:56よりどころのなさというようなものを
12:59感じることもあるんじゃないですかね
13:01そこを第一に目をつけて考えるというのが
13:05出発点であります
13:07どうしても欲求不満のない生活というのは
13:09ないわけであるんですね
13:10そういうわけですね
13:11そうしますとこの今の4つの心理
13:14したいということの最初が苦しみの心理である
13:19先生具体的によく四苦八苦とか
13:22生老病死という言葉を申しますんですけれども
13:24四苦八苦というのは
13:26これはよく申しました
13:27仏典の中に出てくるわけですよね
13:30四苦と申しますのは
13:32四苦八苦というのは語呂がいいから
13:34みんなが言いますけどね
13:36四苦と申しますのは生老病死ですね
13:39つまり我々がまず生きたときから
13:44思い通りにならないことは始まっているじゃないですか
13:48それから我々は老いるという運命を避けることはできない
13:55やがては闇ですね
13:57そしてついには死ぬわけです
14:00これはもう避けることのできない運命です
14:02誰だってこれを避けたいんだけど
14:05そう避けるわけにはいかないと
14:07それからその他にですね
14:09我々はこの自分の愛するもの
14:13欲するもの
14:15心よいもの
14:16それを求めようとしますね
14:18けど決してその通りにはいかないわけですね
14:20それから反対に我々は
14:22嫌だと思うものを避けたいと思う
14:24けれど避けようとしてもですね
14:26襲いかかってくることがございましょう
14:28我が身に受けると
14:29やはり思い通りにならないことが非常に多いわけですね
14:32そうなんです
14:33社会的な活動におきましてもですね
14:38何かを得ようとして求める
14:41ところがその通りにならないで
14:42求めたものが得られないと
14:44そういう面もあるわけですね
14:48さらに根本的なことを考えてみますとですね
14:52我々の生存を構成している要素を仮に
14:565つ仏教の哲学では立てるわけです
14:59これゴウンと申しますが
15:01その5つの構成要素
15:02どれらのですね
15:04何かうちに燃え盛るものがあってですね
15:07思い通りにならないと
15:09それでまた別の苦しみがあるですね
15:14これを全部合わせますと今度8つになるわけなんです
15:17でハックというわけですね
15:19祝ハックという言葉に代表されておりますけれども
15:23結局それは思い通りにならない人生の現実
15:28それをそういうふうに抑えているわけです
15:32そういうわけですね
15:33なるほど
15:34じゃあ具体的にはやはり
15:38年を取りたくないとか
15:40病気になりたくないとか
15:42死にたくないとか
15:43いわゆる祝の最初の老病死というものが
15:48どうしても非常に現実性もございますし
15:51具体的な悩みかとも思うんですけれども
15:55じゃあ先生一つ今度は先ほどの
15:58第1の真理が人生の現実にはいろいろな苦しみ
16:03現実は人生苦しみなのだということが出まして
16:07それでは苦しみの起こる原因というのが
16:122番目に出てまいりましたけど
16:13そういう不安とか苦しみというのは
16:16借存はどうして出てくるかというふうに
16:21どういうふうにおときになっているのでしょうか
16:23これが今度第2にですね
16:25その原因は何だろうと思って追求する
16:28そこには哲学的思想的な反省が起きるわけですが
16:35考えてみますとですね
16:36人間のこの根本にはですね
16:39なんかやむにやまれない
16:41この生存への激しい欲求があるわけですね
16:46衝動的なものが人間を動かしている
16:49ところがその通りにならないというわけですね
16:53これを例えて申しますとですね
16:58人間の渇きのようなものだと
17:02もう喉が渇いてしょうがないというわけです
17:04そうするともう喉が渇いてしょうがないときに
17:07少々水が濁っていてもですね
17:10ガッと飲んでしまうということがありますですね
17:13ことに山口を行ったときとか
17:16長い徒歩の旅行をしたときなんていうときには感じますですが
17:21そういうようなもう
17:24有無を言わせず
17:26こう人間の奥にあって動かす
17:30衝動的なものがある
17:31これに目をつけようというんですね
17:33それが原因であると
17:35それはいわゆるその私ども誰にでもある欲望
17:39というふうに見てよろしいんでございますか
17:42あらゆる欲望を含めていうことになりましょうが
17:47その根本にあるものがあると
17:50それはなかなか言葉では表現できないわけですね
17:54だから渇きという言葉で言ったわけです
17:59元の言葉でタンハーと申しますかね
18:01これはインドの言葉ですね
18:03インドの言葉です
18:04それは同時に人間の執着というものに通ずるわけですね
18:11だから簡約の仏典ではですね
18:14今のタンハーをカツ
18:16喉が渇いているというときのカツですね
18:20あるいはそれにその執着の意味を込めて
18:24愛という字をつけましてね
18:26カツ愛という言葉で言い表すこともございます
18:29喉の渇いたときには無償に水が飲みたい
18:34それにも似て何かを求めて求めて求めて
18:38欲しくて欲しくて欲しくて仕方がない
18:40衝動的な誰にでも心の中にあるような
18:45一つの根本的な欲望みたいなもの
18:49それがタンハー
18:51そうですね
18:51これは私自身だって感じますが
18:56今はありがたい文明の恩恵によくしながら生きていますので
19:00きれいな水を飲んでますけどね
19:02しかし若い頃には軍事教練なんていうのがありました
19:06もう喉が渇いてしょうがないとですね
19:09汚い水で飲んだことがあります
19:11あるいはインドの山北へ行ったこともありますがね
19:15そうすると出された水飲んだんです
19:16あれ臭いですよって横の人がいましたけどね
19:20もう私は飲んじゃいましたよ
19:22やっぱり自分でもそういう経験をしております
19:25なかなか自分では制御しきれない
19:28本当に根源的なものを求める心
19:32これは誰にでもあるかと思いますし
19:34それをもう少し具体的に書いた経典を
19:37お選びいただいておりますので
19:39まずそれをご紹介をしながら
19:41またお話を伺いたいと思います
19:43三つの火のたとえ
19:47三かのたとえ
19:48修行僧らよ
19:50すべては燃えている
19:52豚欲の火によって
19:55真にの火によって
19:57愚痴の火によって燃えている
19:59誕生
20:00浪水
20:01死
20:02憂い
20:03悲しみ
20:05苦痛
20:05悩み
20:06モダイによって燃えているのだ
20:08立像
20:09マハーワンが
20:10インドのパーリ語で書かれました
20:14戒律の関係の
20:17作品の一節でございますが
20:22先生これ
20:24すべては燃えている
20:26ちょっと出だしが
20:27少し凄まじいような感覚があるんですけれども
20:30そうですね
20:31考えてみますと
20:32人間というのは
20:33反省してみると
20:35煩悩の火に燃えているわけですね
20:37それをたとえて
20:39すべては燃えているということを言うわけです
20:43人間の持っている煩悩は
20:46いろいろに分けることもできますし
20:49仏典では細かに解かれていることもあるんですけど
20:53主なものをここに3つ出しているわけですね
20:57まず貪欲でこのむさぼりですね
21:00なんか無償に欲しくてしょうがない
21:03それから今度
21:05けぎらいするということがありますね
21:08嫌うと
21:09それを真にというんです
21:11普通真にというのは
21:12怒りの意味に使いますけれども
21:16さらにその奥には
21:18何者かを嫌うとか
21:20いう気持ちがあって
21:23それが現れると
21:24怒りにもなるわけですね
21:26積極的に怒りともなるわけです
21:28それからまた
21:30我々の奥にはですね
21:32なんだかこう
21:34ぼやーっと迷っている
21:37そういう迷いがあるわけですね
21:39この3つを一応
21:42根本的なものだと考えますとですね
21:45そうすると
21:47人をどれも毒するものですから
21:52だから三毒
21:533つの毒と言うんですね
21:55一つの煩悩と言いますか
22:01人間に苦しみとか不安を与える
22:043つの大きな
22:06毒のようなものと
22:07そういうことかと思いますけれども
22:09その根本はですね
22:11さらに追求すると
22:12そうすると
22:13さっき申しました
22:14単派
22:16かつに例えられる
22:18衝動的な
22:20猛襲と申しますかね
22:23それがあるというわけなんです
22:24そうしますと
22:26本当に本能的なと言いますか
22:29そうした猛襲があって
22:32それが具体的に
22:34対処を求めて働き出すときには
22:37怒りとなってみたり
22:39ものが欲しいということになってみたり
22:41その三毒という具体的な形で現れてくる
22:44そういうわけです
22:45さらにですね
22:46その三毒がまた細かにいろいろ分かりましょうね
22:49ことに
22:50後代の教義学の書物ではですね
22:53細かに心理現象の
22:57反省分析を行っております
22:59そうしますと
23:01その本能的なものですから
23:03なかなかどうもそれを
23:05いくら人間に不安とか
23:08苦しみを与えるものであるということが分かっても
23:11なかなかそれを処置するのは難しいかと思いますし
23:16また反面に
23:17先ほど先生
23:19喉が渇いたときの水の
23:22少々悪い水でも飲んでしまうという
23:26何か喉が渇いたときに
23:29ゴクッと飲む水のおいしさ
23:31ということはある意味では欲望が満たされたときの
23:35快感みたいなもの
23:36だからなかなか持って
23:37どうも私どもにそれが
23:39やめることなどできないんでありましょうけれども
23:44それが不安とか苦しみの原因だということを分かっていても
23:48それを
23:49然るべく処置し抑制していくことが
23:52なかなか難しいかなと思うんですが
23:54先生 仏教の方では
23:57そうした
23:58タンハー 喉の渇けにも似たものが
24:03思う存分働いていくことを助ける
24:06無知というものがあると
24:08そういう解き方もしているというふうに
24:11伺いましたんですか
24:12そうですね
24:12そのように解くこともございます
24:13これはやっぱり人間の
24:16根本的な迷いですね
24:19その迷いに基づく
24:24欲求というものを
24:27それに対して
24:31どう対処したらいいかということが問題になるわけですが
24:35人間が生きている限りですね
24:37これはその
24:38煩悩とか欲求というものを
24:40なくすことはできないわけなんです
24:42生きている限り
24:43けれどそれを野放しにしておいてはいけない
24:46そこでそれを制するということを
24:51説くわけです
24:52これを
24:54簡約仏典では
24:56滅と滅ぼすという字で
24:58訳しておりますが
25:00これがさっき
25:02お話に出ました
25:04死体
25:054つの真理のうちの
25:08第3になるわけですね
25:10その
25:13根本的な煩悩を
25:18滅すると
25:19訳されておりますが
25:21これ言語で申しますと
25:23二老だという言葉が使ってあるんです
25:26二老だというのは
25:27せき止めるという意味なんです
25:28滅するというと
25:31なくしてしまう
25:32ゼロにするということで
25:33従いまして
25:35欲望を滅すると言われますと
25:37欲望をゼロにしてしまうことだと
25:39そうしますと
25:40本能的なものを
25:41ゼロになんか
25:42できこないではないかと
25:43こういう考えが
25:44すぐ出てくるんですが
25:45そうではなくて
25:46それを制すること
25:49抑えることだと思いますね
25:51なるほど
25:51放っておきますと
25:55人間の煩悩というのは
25:57どっちへどう
25:57現れて動かしてくるか
26:00これは分からないでしょう
26:02それを
26:03間違ったことをしないように
26:05制するというのが
26:07二老だなんです
26:09これはインドの文献に
26:13いろいろ出てまいりますがね
26:15例えば
26:15文学書の
26:18なんか見ますとですね
26:20インドでは
26:21美文芸の本なんか
26:22ずいぶんあるんですが
26:23美しい文芸ですね
26:25そうすると
26:26美しい
26:27助官たちをですね
26:29高級の中に
26:31閉じ込めておくこと
26:32これも二老だって言うんですね
26:34そうなりますと
26:36その助官たちを
26:37召してしまっては困るわけでありますね
26:39召してしまっちゃいけないんですね
26:40なるほど
26:40つまりね
26:41それを放っておくと
26:42どっち遊びに出ていくか
26:43分からないでしょ
26:44だから一定のところに
26:46留めておくという
26:47それは文芸作品に出てくる
26:49使い方なんです
26:50それを今度は
26:51人間に当てはめるわけですね
26:53我々の煩悩だって
26:54もうどっちこう
26:55流れ出していくか
26:58分かりませんもの
26:58それを間違ったことしないように
27:01留めておくという意味です
27:02そしてそれをですね
27:04滅と漢訳物典で
27:06訳したことはですね
27:07これは必ずしも
27:09その
27:09語訳じゃないと思うんです
27:12チベット訳の方ではですね
27:14せき止める
27:15語句という言葉で
27:17ほぼ忠実に訳してますがね
27:20漢訳物典の方で
27:22メスという意地を使ったことは
27:24やっぱりその
27:25我々の煩悩をですね
27:26こう閉じ込めておきますとですね
27:29そうすると
27:30その働きが
27:31なくなってしまう
27:33この煩悩というものはですね
27:36物体みたいなものとは
27:38違うわけです
27:39例えば風船玉みたいなものの中に
27:41水を入れておきますよ
27:42そうすると
27:43それをこう
27:44ギュッと押しさえるとですね
27:45バンと爆発することがありますね
27:47けど人間の煩悩というものは
27:49少し違いましてですね
27:50こう静かに
27:54とどめると
27:55押さえると
27:57横へ流れ出ないようにするという
28:02修行をしているとですね
28:03そうすると
28:04あたかもなくなったかのように
28:06働きが現れなくなると思うんですね
28:08例えば私自身だって経験がありますよね
28:12若い頃には
28:13軍隊に徴兵されているんですよね
28:16もう消費されて
28:19閉じ込められてしまうとですね
28:21もうだめだと思って
28:23観念してしまいますね
28:24観念してしまうと
28:26案外欲望が起きないもんですよ
28:28私どもの生活の中で
28:32よく似たようなことはやはり
28:33先生感じると思うんですね
28:35若い時には
28:37お菓子を見ますと
28:38お菓子を食べたくて仕方がない
28:40そうするといろいろな理由で
28:42食べられない時には
28:43欲求不満が残ります
28:44いわばお菓子に対する煩悩が
28:47活発に動くわけですけれども
28:50例えば私のように
28:53いろいろな体の調子で
28:55甘いものを控えなさいなどと言われて
28:57もうそれは食べられないものであると
29:01観念してしまえば
29:02別に欲しいとも思わなくなる
29:04いわば欲望そのものが
29:06決してゼロになったわけじゃないけれども
29:09働き出ることはなくなるという
29:11私も同じことを感じますね
29:14お菓子は好きですけどね
29:16けれども
29:17体のために良くないということを
29:19言われますことに
29:20この年ではですね
29:22食べられないということにしますとですね
29:27そうするとまた慣れてしまいますね
29:29それから
29:29何かご質問いただくときに
29:32お醤油なんかあまりかけちゃいけないと言われます
29:36それも慣れますとですね
29:38そうするとそれでもそのまま
29:40スーッと通っていきますね
29:42なるほど
29:43私ども不安そして苦しみに落とし入れる
29:47そうした欲望というものを
29:48欲望そのものを滅する
29:50ゼロにするのではなくて
29:52それが出てきては抑え出てきては
29:55コントロールしながら
29:56全体を抑制していくことによって
29:59欲望の働き出ることがなくなる
30:02そういうことなんです
30:03それが働きが滅すると
30:05そう見れば分かりいいかもしれません
30:07自分たちの生活経験に当てはめて考えますとね
30:11そういうことが言えると思う
30:12なるほど
30:12じゃあそうした点をもう少し先生発展させていただいて
30:17原子物点の中に
30:20この年を取るとか死ぬとか
30:23あれにでも切実な問題なんですけど
30:26やはりこれも一つの欲望
30:28そうです
30:28それをどういうふうに
30:30いわば抑制をするのか
30:34その辺の大変興味ある物語がございますので
30:38その辺ピンギアという人が
30:41主人公だったと思いますけれども
30:43その辺のお話を少し伺いたいんですけれども
30:46この原子仏教聖典ことに
30:51古い死を集めたものの中にはですね
30:56実に我々の心の金銭に触れるような話が出ておりますですね
31:04今おっしゃったピンギアの話というのはまさにそれだと思うんです
31:09ピンギアという老人がですね
31:11シャクソンのところへやってまいりました
31:15そしてこう言って訴えたというんです
31:18私は年を取ったし
31:22もう力もなくなりました
31:25要望も衰えています
31:27目もはっきり見えません
31:29耳もよく聞こえません
31:32私が迷ったまま
31:36このまま死んでしまうんでしょうか
31:39どうか迷ったまま
31:41途中で死ぬことがないように教えてくださいと
31:44そうシャクソンに訴えたというんですね
31:47そうするとこれに対するシャクソンの答えはですね
31:53こうなんです
31:58どうやったらその苦しみを消滅することができるのかということの教えになるわけですね
32:06そうです
32:06つまりその言葉としてはですね
32:09どうしたらこの世において生と生きることと
32:14それから老衰と迷った生存と老衰と捨て去ることができるか
32:20その理を解いてください
32:22それを私は知りたいのです
32:26そう訴えてきたというんです
32:28それに対するシャクソンの答えでありますが
32:33それを一つご紹介をいたしたいと思います
32:37ピンギアよ
32:40人々は割愛に陥って苦悩を生じ
32:45老いに襲われているのをそなたは見ているのだから
32:49それゆえにピンギアよ
32:51その他は怠ることなく励み
32:54割愛を捨てて再び迷いの生存に戻らないようにせよ
33:00スッタニパータでありますから
33:03原始物典の中でも一番古い層に属するものかと思いますが
33:07先生ここにはいろいろなお話を伺いたいような言葉がございまして
33:14シャクソンは実にスパッと答えていますね
33:18もうこの老人が老いに襲われている
33:23そして煩悩がまだ捨てきれない
33:25それをお前は見ているじゃないかと言うんですね
33:28自分でも気づいている
33:29もう気づいているんだから
33:31だからその通り受け取るよりしょうがない
33:35どこか別の世界へ行くということができるわけじゃないんですから
33:38だからそれに気づいてですね
33:41そして正しく良い生き方を求めていく
33:49それが割愛を捨てる道である
33:54そうすれば迷いの生存に戻ることはないんだ
34:00だから老いに襲われながら煩悩に囚われながらも
34:07その中でそれを乗り越えていく道があると
34:12それを見なさいというわけです
34:14ここで割愛を捨ててというのは
34:18先ほどのお話のようにゼロにするということではなくて
34:22そうした欲望を抑制していく
34:25いわばもう年をとって
34:28もう今さら若くなれていないわけでありますから
34:31そうしたものをきちっとその物事の道理として
34:36もう見ているではないかと
34:38いわば若さを取り戻すということはできないので
34:44いわばないものねだりをしてもいたしかたがないので
34:47むしろそうした面から
34:49欲望というものを抑制しながら
34:53毎日を怠ることなく生きて
34:58迷いの生存に戻らぬようにせよと
35:01こういうことなんですね
35:02そうですね
35:02あるがままに自分を見てそのまま受け取って
35:06そしてそこにこの本当の生き方を実現すればいいではないかと
35:11そういうことになりましょう
35:14しかし先生自分が年をとったとか
35:17あるいは病気になってしまっているとか
35:20あるいは死期が近づいているとか
35:24自分の置かれた状況をあるがままに見て
35:28見るより他に仕方がないし
35:32それを見ないでいたずらに
35:34ああしたいこうしたいと言っても
35:36結局できないわけでありますから
35:39いわば欲求不満で苦しむという
35:43確かにその通りなんですけれども
35:45実際問題としてなかなかそれが
35:48私どもにはできないわけですね
35:51こうしたテレビであんまり俗な言葉を言うといけないのかもしれないんですけど
35:56分かっちゃいるけどやめられないという歌は私好きでございまして
36:00どうも私ども一番困るのが
36:04分かっちゃいるけどやめられないことではないかと思うんですね
36:07ですからどうしてもどうやったらその割愛というものを滅ぼして
36:13うまく然るべき方向に抑制できるのか
36:18その辺に関しまして
36:22確かばっかりという人の大変興味ある物語があったかと思います
36:29その話を少し先生ご紹介をいただきながら
36:33また文例などもご紹介をして話を伺っていきたいのでございますが
36:38このばっかりの話というのは実に通説なものがありまして
36:46我々も大いに教えられるんですが
36:48それはこうなんですばっかりという年老いた修行僧がいた
36:54もう亡くなる前にお釈迦さんに一遍お会いしたいと言ってたもんですから
37:06そこでその隣住のところにですね
37:08この釈尊が来られてばっかりを見舞ったと
37:15そういう話でございます
37:17その時ばっかりは釈尊に向かってですね
37:21こう申したのであります
37:23尊いお方様
37:26私はお釈迦さんにお目にかかるためにですね
37:32おそばに参りたいと長い間希望しておりました
37:37しかしもう私はお目にかかりに行くだけの体力がありません
37:45もうその体力が私の体の中には残っていないのです
37:50まあ声来てくださったのでお目にかかれて
37:55ありがたい嬉しいことですとそう申しました
37:58これに対してですね
38:00釈尊はこの
38:02無情なるものを通して
38:07永遠なるものを見るということを教えられたのであります
38:13その言葉をご紹介しますと
38:18ばっかりよ
38:19もうそんなことは言いなさるな
38:22やがては腐敗して朽ちてしまう
38:27私のこの肉身を見たとて何になりましょうと
38:31実にはっきり言われたものですね
38:37会いたいと思われているその釈尊自身がですね
38:42自分のこの身体だって
38:46やがてはですね
38:47朽ちて消えてなくなってしまう
38:50その肉体を見たからといって何になるんでしょうか
38:54物事の理法
39:00これドハルマと申しますが
39:02物事の理法を見る人は私を見るのです
39:06また私を見る人は物事の理法を見るのです
39:11私の中にはこの理法が生きている
39:16釈尊はこの断りというものを報じて生きてこられた
39:22だから自分を見てくれるということは
39:25断りを見るということである
39:27また断りというものはですね
39:30抽象的にフラフラしているものじゃなくて
39:34命名の人に即して働くもの
39:39生きていくものですね
39:40だから命名の人を見ることによって
39:45断りを見ることになる
39:48実に物事の理法を見ている人は
39:53私を見ているのであり
39:55私を見ているものは
39:57物事の理法を見ているのです
40:00釈尊にお会いする
40:05それは朽ちて消えてしまう釈尊の体を見ているのではない
40:12その奥に放ぜられている断り
40:17理法を見ることになるのだと
40:20と同時に理法を見たいと思っても
40:23その抽象的なものがフラフラしているわけじゃない
40:25それを現実に奉じて生きておられる釈尊を見ることによって
40:31理法を見ることができるのだと
40:34だから釈尊と断りというものが
40:40ぴったりと一致しているわけですね
40:41あるいは別の言葉で言いますと
40:44仏と法というものはぴったりと一致しているというわけです
40:48先生とっても仏教にとりまして
40:52基本的なと申しますか
40:54大切なことかと思うのではないですね
40:57どうもその理法という今言葉がございましたんですけれども
41:01理法と申しますと何か理論とか理屈という漢字があるんですが
41:06確かに言葉にすればいろいろな
41:10例えば仏教でありますと無常であるとか無我であるとか
41:14縁起であるとかあるいは空であるとか
41:17いろいろなそういう言葉によって示されようとしている
41:22理法というものがそれはあるわけですが
41:25それが単に理屈ではなくて釈尊なら釈尊という
41:29生きて呼吸をして血が流れている人の生活をしている人格の中に
41:35それが生き生きと働き抜いている
41:38そうですねそこがたっといところなんですね
41:40ただ抽象的な議論をしているだけじゃ意味がありませんから
41:43やはりそうした理法が釈尊の人格の中に生きているからこそ
41:48そのピンギアばっかりという年を取った
41:51ロー・ビクが尊敬する釈尊が見舞ってくださった
41:58大変感激したろうと思うんですけれども
42:00その感激したと同時に
42:04老いというものをどのように自分で迷いを超えていくのかというときに
42:10単に釈尊にお会いしたというだけではなくて
42:13つまり仏にお会いしただけではなくて
42:16法というものと一つになった釈尊
42:21仏と法とが一つになった
42:23そうした生き生きした働き抜いた法というものを
42:29釈尊の人格を通して受け取っていく
42:31そうですね
42:32釈尊の中にその尊いものが生きているわけですよ
42:36その尊いものというものはまた具体的に
42:39それを生きている人を離れてはあり得ないわけですね
42:43そうしたことをもう少し具体的に文章が続いておりますので
42:49そこは用意してございますので
42:52一つ朗読をいたしたいと思います
42:55ばっかりよあなたはどう考えるか
43:00物質的な形は常住であるかあるいは無常であるか
43:05孫子よ無常です
43:07もろもろの精神の働きは常住であるか無常であるか
43:12尊い方よそれらは皆無常です
43:15それゆえに全てのものが無常であると感じたならば
43:21もはやこの世に生を受けることはないと知るのである
43:27三ユッタニカーヤ
43:28これも古葬に属する仏典かと思いますが
43:31ここでは先生その今お話を伺った理法というものが
43:37もう少し具体的に無常という言葉で解かれているわけですね
43:41そうです
43:42理法とか断りというのは一般的な表現ですけど
43:47それをもっとはっきりと身に迫る表現を使いますと
43:55無常であるということですね
43:58お互いに今生きている人も生きているということは尊いだ
44:03その体はいつかは消えてなくなってしまうものだ
44:08それを見よと言うんですね
44:10病気に見舞いに来た尺尊がですね
44:16無常の理を解くと
44:18自分だって消えてなくなるという
44:22非常にこうなんて言いますかね
44:26パーッと突っ放したような
44:29と同時に人間の真実をそのまま明らかにしている
44:35そういう教えだと思います
44:37無常というものを今見るという言葉がございました
44:42観察するの観でございまして
44:45ひょっと先生思い出したんですけれども
44:48唐木純三先生という大変有名な
44:51日本の文芸評論家の方がおられまして
44:54無常という著述もございますですね
44:59その唐木先生その他いろいろな方のも集約しながら
45:07日本の平安文学
45:10そうした古代の文学というのは
45:13無常というとおごれる平家
45:16親しかあるという儚いなという
45:18非常に感覚的なもので捉えていた
45:21これは無常というものを肌で感じていた
45:24この場合には感覚の感
45:27感心するという感じるというものを使うんですね
45:30ところが中世の鎌倉紀以降になりますと
45:36その無常を単に儚いなと
45:39情緒的に感じるのではなくて
45:41私が無常なんだと
45:44そしてその無常なるが
45:45故にその無常を超えたところに
45:51本当の生き方があるんだという風に
45:54無常を自分の問題として見て取って
45:58自分の生活に当てはめていく
46:01そういう時に無常を観察するの間
46:05同じ無常感なんですけれども
46:07無常を観察するという字を当てられまして
46:11唐木先生は確か私の記憶では
46:15こういう風に無常というものを感覚的に受け取らずに
46:19自分の生活の問題
46:20生き方の問題として受け取るようになった時に
46:24日本の文芸は中世に入るのだと
46:27確かこういうことをおっしゃっていたこと
46:29ふっと実は今先生の話を
46:32下駄回りながら思い出したんですが
46:35やはり無常ということは理法の一つでありますし
46:39これは誰にでも当てはまる事実なんですが
46:44それを自分とは関係のない
46:47科学的な一つの理由ですよというのではなくて
46:52自分の生活の中にそれを生かしていくといいますか
46:57無常を生きていくといいますか
46:59そうですね
47:00無常を生きていく
47:01無常になりきることですね
47:03そこからはっきりと
47:08生を肯定するという立場が出てくると思うんですね
47:11我々が生きていくというのは結局
47:12無常であることに他にならないんですが
47:15それに徹することによって
47:18生きるということも実現されるということになります
47:22ということは無常を見るということは
47:25決して世の中全て移り変わっていく
47:27こんな移ろいやすい
47:31儚い世の中なんかは嫌だという形ではなくて
47:34もっともっと積極的な胸を張って
47:38積極的に生きていく生き方なんですね
47:42そうですね
47:42無常を体現することです
47:44この自分の体で感じ
47:47行うということになりましょう
47:50そうした点に関しまして
47:52道元禅師のお言葉がございますので
47:54ご紹介をいたしたいと思います
47:57まず先生最初に無常は物性なりという
48:23物性という言葉はまたいろいろ難しいんでしょうけれども
48:26いろいろ解説されますけど
48:28この仏の本性といいますかね
48:30本体といいますか
48:32あるいは仏そのものということになりましょう
48:35この仏そのものというものはどこに増しますか
48:39実は何も我々を離れたところにある別の世界のものじゃないんだと
48:47この無常なる世界というもの
48:49これが仏様そのものであると
48:52実に大胆な表現だと思いますが
48:55そうしますと草が生えていたり木が生えてきたり
49:01自然の佇まいあるいは私ども人間
49:05そうしたものがみんな無常なるものとして
49:07どんどんどんどん移り変わっていく
49:10無常という事実に覆われている
49:12それが本当の人間の姿であり仏様の姿なんだと
49:18こういうことですよね
49:19そうですそれ以外に我々の真理というものもないし
49:24また仏様のそれ自体というものも
49:29この無常なる世界を離れてはありえない
49:32それを感じることのうちに仏を見ることがあるんだと
49:37そういう趣旨に取り売るんじゃないでしょうか
49:42生児は仏の恩命なりというような言葉もございますですね
49:48そうですね
49:48仏様って永遠なるもので
49:51我々は離れた遠い彼方にあるものかと
49:55世間の人は思い出したけど
49:57そうじゃない
49:57我々が生まれて死んでいく
50:00この姿そのものが仏様の命であると
50:05はっきり言っておられるわけです
50:08そうしますと私どもが呼吸をし
50:12お昼が来たらお腹が空き
50:15たまには風邪もひき
50:18こう生きている
50:19そして嬉しいとか悲しいとか
50:21いろいろなことをやっている
50:22そうしたものがすべて
50:24無常なら無常という離法の中に包まれていて
50:28それが本当の姿であるとすると
50:31その仏の命と言ってもいいかもしれないんですけれども
50:36決して心臓が動いているという生命でなくてですね
50:40もっと宗教的な意味で
50:43いろいろなこういう真実
50:45離法というものに包まれている
50:47それが仏の姿だということだとしますと
50:52そうしたものに身を投じながら
50:55それを正しく受け止めるように
50:59ということはかなり努力しなければいけないわけです
51:01そうですね
51:01こう考えてみますとですね
51:03我々の存在というものは
51:06決して孤立しているものではないわけですね
51:08無限に多くの因縁と申しますか
51:12原因とか条件とかを受けてですね
51:15おかげさまで暮らしているわけです
51:17だからこの身方を遠く馳せますとですね
51:21大宇宙が明々一人一人の中に生きているわけです
51:26生かしていただいているんだから
51:29その生かしていただいているのを
51:31ありがたく見て受け取るということが
51:37その究極の生き方ということになるんじゃないでしょうか
51:43私どもを包み込んでいる大きな命といいますか
51:46生かしてくれているもの
51:48そういうものを受け替えながら
51:50ただぼやっと寝ていたんでは
51:53本当の生き方になりませんので
51:55努力しながら生きていくという
51:58その辺を実にピチッと書いた
52:01これは中国の前奏の詩がございます
52:04朗読をいたしたいと思いますが
52:07工場の一路は戦勝も伝えず
52:14学者形に浪すること
52:18猿の影を捉えるが如し
52:21万山奉借禅寺
52:24中国の唐の時代の禅の
52:27中東といいますかね
52:28唐の中頃の方です
52:30禅寺らしゅうございますが
52:31先生この詩を少しご説明をいただきたいのでございますが
52:36いやこの詩はですね
52:37非常に胸に訴えるものがありまして
52:40私はもう実にありがたいと思うのですが
52:44人生のこの道というものはですね
52:47結局工場の一路であるというんですね
52:50理想を目指して
52:52そして滝に向かって進んでいく
52:54ただその一つの大道でありますが
52:58けどそれはですね
53:00なかなかどう生きたらいいかということは
53:03言葉では言い荒らされないんですね
53:08一般的にどうなさいこうなさいと言って
53:12ひっくるめて
53:13十八一からげに言うことはできない
53:16聖者が昔から
53:19いろいろ教えてくださったけれども
53:21そのギリギリのところはですね
53:24明々の人の問題なんですね
53:26だから千人の聖者の言葉を聞くことは
53:31これもぜひ必要なことですけれども
53:33しかしその言葉からだけでは
53:36生かされない
53:38結局は明々の人がですね
53:41自分で体当たりに苦しんでみてですね
53:46そこで自分はこう生きるんだ
53:49今はこうするんだという
53:50パッと悟りを開くわけですね
53:56だからその聖者
54:07千人集まっても
54:09教えていただけないことである
54:12これはその明々の人が
54:15体得し解明すべきことである
54:20そうでないとですね
54:22学ぶ人がいろいろその形に苦労してですね
54:30ああだこうだと説いているけれどもですね
54:33これはその本当のギリギリのところは伝えてくれないと
54:38ちょうど水面に月の影が映りますね
54:42それを猿が捉えようとする
54:45いくら手を伸ばして月影を捉えようとしても
54:49捉えないようなものですね
54:50それと同じで
54:52抽象的な議論というものは
54:59明々の人が生かして
55:02体得するものでなきゃいけないと
55:04悟りというものはもう
55:07個々の人の体得すべきものであると
55:10そういうことを言っているわけです
55:12ここに工夫の必要があるわけですが
55:14ここに学者という言葉がございまして
55:18むしろこれは私も学問の世界の端っこにいる人間でありますが
55:26そうした一つの学者という意味よりは
55:28むしろ道を求めて学ぶもの
55:31その学ぶものがもし形にこだわってしまうということは
55:37今日の最初に出てまいりました
55:39読矢の例えではございませんけれども
55:41物事の外側のいわば理屈的なこと
55:45概念的なこと
55:47理論的なことに引きずられてしまうと
55:51それは水に映る月影を
55:55猿が月を取ろうとする
55:58その愚かさに似たものとなってしまうであろうと
56:02こういうことですね
56:03そういうことになってますね
56:05学者というのは学ぶものという意味で
56:08道を求めて実践する人というのが
56:11元の意味だと思いますが
56:14しかし同時に学問で教義を立てたりする
56:19そういういわゆる学者ですね
56:22そういうものもやはり含めて言えると思うんですね
56:24含めて考えてもいいわけですね
56:25そこまで含められると思うんです
56:27もしそうなりますと
56:29先生これはまた学問は学問の意味があるわけですけれども
56:34もっとこの仏法とか仏道を生きていくという面から見ますと
56:40私ども学問をやっている人間に対する
56:43一つの通列な批判であるということにもなりかねません
56:46そうなんですね
56:48そういうものを人に伝えるには共通な言葉によらなきゃいけないわけですね
56:54だからその学問とか学者の道というものが成立するわけですが
57:00ただそれを受け取る明々の人は自分自身の問題として解決すべきであると
57:08それを教えられたたっという言葉だと思います
57:11今の詩の前半のところに
57:15千人もの聖者さんが来てもそれを伝えていないという
57:21それはあくまでも言葉としてはいろいろ教えてくださっているには違いないし
57:27ないんだけれども
57:28結局生きていくということは自分の問題でしかないわけでありましょうしね
57:33つまり明々の人がですね
57:36みんな異なった存在であり
57:37そして異なった教育を受け異なった因縁と申しますかね
57:44もういろいろの数え切れないほど多くの力を受けて
57:49ここに別々の個人として成立しているわけです
57:53だから他の人と取り替えることはできないわけです
57:56そういうことで確か釈尊が亡くなられる隣住の言葉として
58:02諸々のものは過ぎ去る性質のものである
58:06無常なるものである
58:07だから心して修行を努力して修行を完成せよと言われたというふうに
58:14受けたまっておりますが
58:15結局今日の読矢のたたえから始まって
58:19ずっと現代に至るまで通じる仏教の基本が
58:23自ら実践していくことである
58:25こういうことかと思いますが
58:27本日はどうも先生ありがとうございました
58:28ありがとうございました
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