- 2025/6/16
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ライフスタイルトランスクリプション
00:00この4月に始まりました 東洋の心を語るというシリーズも
00:08本日で第8回目になります
00:11その時々にテーマを選びながら 仏教を中心としながらも
00:17広く東洋の心 東洋の伝統でどのようにこれを考えていくのか
00:23それがどのような生き方に連なっていくのか
00:27こうした問題をいろいろに考えてきているわけでございますけれども
00:32本日のテーマは今を生きるということでございます
00:37お話をいただきます方はいつもの通り 東洋学院院長の中村はじめ先生でございます
00:44先生おはようございます
00:45おはようございます
00:46先生今日のテーマが今を生きるということでございまして
00:52生きるという言葉がございますから
00:55当然どのように生きたらいいのかという 生き方論でもございましょうし
01:01同時に今という言葉がございまして
01:04今といいますとそれじゃあ過去とか未来と
01:09その今というのがどのように関わってくるのか
01:12時間との問題もいろいろ出てくるように 思いますんですけれども
01:16仏教の思想は哲学的に申しますと
01:21結局時間論であると言ってもいいと思うんですね
01:25我々が生きています
01:27この我々の存在というものは
01:29実は時間そのものなんですね
01:32その時間をどう見るかということによって
01:38我々の生き方というものもまた決まってくるわけですが
01:42この時間というものは
01:47抽象的に考えますとずっと連続して 続いているように思われますけれども
01:52しかしよく突き詰めて考えてみますと
01:55もう瞬間瞬間今が続いているわけですね
02:00私は今ここに生きております
02:02次の瞬間にまた今生きていると
02:05だから今生きるということが実はもう人間にとって
02:11本質的な中心的な問題であると
02:15いうことが言えると思うのであります
02:17時間と申しますとですね
02:19現在私どもごく普通には
02:2212時の次に12時1分になって2分になってという
02:26大変物理的なと申しますか
02:29科学的な時間のみしか普通念頭にないわけですけれども
02:34やはり東洋の昔からのいろいろな施策の中に
02:40時間というものをどのように受け止め
02:43それがどのように生き方に関わっているか
02:46非常にいろいろな問題があるかと思うんですけれども
02:49この時間と一言に申しましてもね
02:52元の仏典では
02:552つの違った言葉で表現されているんです
03:001つは計量され得る時間なんですね
03:031時間とか2時間とか何日とか何年とか
03:07測ることのできる時間
03:08そうなんですね
03:09つまり対象化されているわけなんです
03:12ところが対象化される前に
03:15我々はお互いに今ここに生きているわけですね
03:18これが計量される
03:20数であるいは分量として測られる前の時間ですね
03:26それが私どもの本質を構成している
03:30ですから抽象的に考えられた時間は
03:33元の言葉と言いますとカーラって言うんです
03:35それから瞬間瞬間の時間はアドフバンと申しますがね
03:40ちょっと専門的になりますけど
03:41言葉がそれぞれ違うわけで
03:43なるほど
03:44むしろそれでは物理的に測ることのできない時間の方こそ
03:50むしろ生きていくということに関しては重要だと
03:54より根源的な時間だと
03:56より根源的な時間だと
03:57そういうことが言えると思うんです
03:58なるほど
03:58しかもそれをインドの昔の鉄人は自覚していたわけなんです
04:02そうした根源的な時間を
04:07仏典はどのように述べているのか
04:10一つそれをご紹介しながらまたお話を伺いたいと思います
04:14過去を追わざれ
04:17未来を願わざれ
04:20およそ過ぎ去ったものはすでに捨てられたのである
04:24また未来はまだ到達していない
04:28ただ今日まさになすべきことを熱心になせ
04:34誰か明日の死のあることを知ろうや
04:38マッジマニカーや中部経典と言われている経典でありますけれども
04:43これはパーリ語で書かれております
04:46もちろん相当する簡約ぶってもありますけれども
04:50パーリ語の原点から訳した方が分かりいいかと思いまして
04:55先生ここに過去はもう過ぎ去ったもの
05:00未来はまだ来ていないと
05:02まさにその通りなんですけれども
05:05言われてみればその通りなんです
05:07ただ私たちは過去にかかずられましょう
05:10昔は自分はああいう栄養映画の日もあったんだと
05:15今は?というようなことを思いますね
05:17それからまたやがて未来が来るだろう
05:20そうするとその際にはこういうような楽しい目に会いたいというようなことを
05:25なんとなく願望しますですよね
05:28けれども考えてみると
05:31これ非常にリズムですが
05:33過去というのはもう過ぎ去ったもの
05:35だから過ぎ去ると過去と書くわけですね
05:39それから未来はまだ来ていないわけですよ
05:42だから未来と書くわけです
05:44じゃあ我々が当面しているものは何かという
05:47これは現在だけなんです
05:48現在というのは優しい言葉であれば今ですね
05:52この今が我々がまさに当面している最も大切なものです
05:59だから我々がどう生きるかということを考えますと
06:03ただ過去を思い出して
06:07ああよかったなと追憶に吹けるのでもなく
06:09また未来こうなりたいと
06:12空想をただ走らせるのではなくて
06:15今を起点としてですね
06:17そして過去を反省して
06:21過去はこの今の中に生かされて
06:25将来に何らかの意味を持つものとして
06:29将来に向かって投影されるもの
06:31そういう心構えで未来に向かうということが
06:36必要じゃないんでしょうかね
06:38それをこの仏典の文句は実によく言い表していると思います
06:42確かに過ぎ去ったことであったならばとか
06:47こうしておいたならばというのは
06:49愚痴に過ぎませんし
06:51愚痴を言っていれば人生暗くなってしまいますし
06:54あるいは未来を夢に託す
06:58未来に夢を託すのは大変結構だと思うんですけれども
07:01今の文章にもございました
07:03誰か明日の死のあることを知ろうやということも
07:08明日どうなるかということはですね
07:10これはどんな偉い方でも分からないと思うんですね
07:12だからまずその今日今何をなすべきかというところに座りを置いてですね
07:20そして生きていくというのが大切だということを教えられているんだと思います
07:25今というものの中に過去が全部織り込まれているわけですし
07:29そして実を言うと今一生懸命今やることをやっていくことの中に
07:35実はいつ死が来ても構わないような覚悟の上での
07:39未来に対する準備というものがその中に含まれている
07:44そうです 未来というのは決してそのデタラメに現れてくるものじゃないと思うんですね
07:49今を通してですね
07:50過去がその中に影響を及ぼして生きているわけです
07:55その過去を生かすものは今であり現在なんです
08:00それによって未来が作られるわけですから
08:02その道理をじっと落ち着いてですね
08:05生きていけということを教えられているんだと思います
08:10仏典の中に過去心不可得
08:13未来心不可得というような言葉がございますね
08:17過去の心は得ることができないという
08:21今言ったようなことを含んでいるのかとも思いますけれども
08:25結局そうだと思います
08:26あれ今後教に出ている有名な文句ですかね
08:29他の仏典にも出ているかもしれませんけれども
08:32この過去心不可得 現在心不可得 未来心不可得と申します
08:38真ん中に現在を置いているわけですがね
08:41しかし現在というのは何だろうと
08:44これを今度インドの哲学者はいろいろ考えたわけです
08:48現在を捉えようとして捉えたらもう過去のものになっているんです
08:52未来というのはまだ来ていないんだから捉えることができない
08:56だから結局現在心というものは得られないわけです
09:00つまり現在を捉えようとするともうそれは過去のものになるか
09:04まだ来ない未来のものかどっちかだと
09:07だからこの形のあるまとまった分量のあるものとしての現在というのはあり得ない
09:15だから過去か未来になるわけです
09:19ところで過去というのはですね
09:22これもう過ぎ去ったから捉えられない
09:26じゃあ未来というのはまだ来ないから
09:28これは別々のものとして対立しているものじゃないんですね
09:34それらが我々の見えないところでじっと影響を未来に向かって及ぼしていると
09:41過去が現在を通して未来に影響を及ぼしていると
09:46その構造を注意しますとですね
09:49そうすると具体的な形のあるものあるいは数で数えられるものとして
09:56過去の心を捉えることもできないし
09:59未来の心を捉えることもできないと
10:02中間の現在だってそう言えるということを
10:05今後教は教えておられるんだと思うんですが
10:08一つの非常に哲学的な言い方とすればそうでありましょうけれども
10:12それじゃ何もないのかという虚無的なことでは無論なくて
10:17そうじゃないですね
10:18今という瞬間を先ほどの中部経典ではございませんけれども
10:23今というものを生き抜いていくところに
10:27かえってその時間を従前に生かしながら生きていくというところに
10:33連なってくるわけなんでしょうね
10:34今というのは瞬間ですよね
10:37そこに無限の過去が
10:39包囲をされているわけですね
10:43無限の過去を背負って中に包んでいるわけです
10:47そしてこの今が未来を展開していくわけでしょう
10:50この未来というのはまた無限の未来があるわけです
10:52この素晴らしい未来が今の中から展開してあるわけです
10:56物理的な時間ではなくて
11:01哲学的なあるいは生き方に関わる時間というものが
11:04なかなか一筋縄でいきませんで
11:07今というものの中に過去と未来が全部含まれているということなんですが
11:11先生こういう考え方は
11:13このシリーズが東洋の心ということですが
11:17東洋のみの特色のある考え方と言ってよろしいんでございましょうか
11:22東洋で特に強調されている考え方だと言えましょうがね
11:27しかし西洋だってやっぱりないことはないと思うんです
11:31あまり哲学的な論議をするのは
11:35今この場所では適当でないと思いますけれども
11:38西洋人でも心がけとしてですね
11:41同じようなことを言っている人がおります
11:45例えばスピノーザなんかそうなんですね
11:47気化学的な方法で哲学体系を作ったというスピノーザですが
11:53彼は倫理学という本の中でこう言っているんですね
11:56この自分
12:00過去に関係することですが
12:03自分の成した行為が誤っていたと思ってですね
12:06後悔するということは二重に不幸である
12:10なぜかというと過去において誤ったか間違ったか
12:15何かしたわけですね
12:16不幸なんです
12:17今またそれにとらわれてですね
12:20くよくよしていると
12:21二重になっていると言うんですね
12:24なるほどこれも一つの面白い
12:27立現だと思いますが
12:31ただその
12:32じゃあ過去に全然とられるのか
12:35とられるのかと思うと
12:38そうじゃないわけですよね
12:39過去の経験ことに
12:43誤ったこと今後悔したいようなこと
12:46そういうものを
12:48現在の中に生かしてですね
12:53その経験を未来に
12:55生かすようにすると
13:00そこまで考える
13:03ただそのくよくよしていたらダメだと
13:05過去に支配されることなく
13:08まず現在に
13:10人が自主的な立場を持って
13:13過去の失敗でも何でも
13:14生かしてくればですね
13:17それがまた
13:18失敗でも
13:20悔やむことでも
13:22生かされてくると
13:24こういうことになるんじゃないかと思います
13:27そうでございましょうね
13:29いたずらに過ぎ去ったことだからもう後悔せずと
13:33言ってすっかり忘れてしまって
13:36何も過去が今に生きていないとしたら
13:40これまた何かとっても
13:43少し千百な生き方に過ぎるように思いますので
13:46結局過去が無意味なものになりますね
13:49だから過去でいろいろなことを経験してきている
13:52それを教訓として
13:54常に現在に生かそう生かそうと
13:56心がけていくところに
13:58過去のことをいたずらに
14:02愚痴ったり後悔したってしょうがないじゃないかという
14:05前向きの生き方が
14:07そこで展開されてくるわけですよね
14:08そうですね
14:09前向きの生き方と言われるのは
14:11非常にいい表現だと思いますね
14:14自分で反省してみますとね
14:16あの時しておきゃよかった
14:18あの時あの人に対して悪かったな
14:21と思うようなことがあるわけです
14:22これ過ぎ去ってしまったわけですよね
14:24これを今としては
14:27もう仕方がないからいつまでもくよくよしてたってしょうがない
14:30今生きている
14:31その前向きの姿勢の中に生かすということでですね
14:35過去に対する償いもなされるし
14:39過去の失敗が未来に向かって生かされることになるということになるんじゃないでしょうか
14:44永遠の今という言葉などもございますし
14:47それから確か宮本武蔵だったかと記憶してるんですけれども
14:53我ことにおいて後悔せずなという言い方も
14:57今ふっと思い出したんですけれども
15:00そういう生き方が
15:02西欧にも無論あるかもしれませんし
15:06東洋の方の一つの伝承になっているかと思うんですが
15:10本日はそうした東洋の今を生きるということを
15:16いろいろな例を見ながら考えてみたいわけでありますが
15:21先生インドの哲学で
15:24刹那という問題を論じているものがあるとかということで
15:28これは仏教の時間論といいますかね
15:34存在論の基本に刹那論が出てくるわけなんです
15:39世間では無常というのが仏教の教えだったんですね
15:43じゃあ無常というのはどういうことかというと
15:45あらゆるものが生じてはまた過ぎ去って滅びゆくことだと
15:50そうするとその過程を見ますとですね
15:54結局変化の刹那刹那が続いていることですね
15:59これを変化する過程を分析しますと
16:02その極限において刹那に到達するわけです
16:06インドにダルマキールティという哲学者がおりましてね
16:14論理学者ですが
16:16この人はだいたい7世紀の人と言われておりますが
16:22一体本当に実在するものは何だろうということを問題にしているんですね
16:27例えば遠い彼方に星があると
16:31あるいは近いところに木が見えると
16:34これは人間がですね
16:36感覚したことを整理して思考を加えて
16:40整えてそれで遠いところには星がある
16:43近くに木がある川が流れているということを
16:47イメージとして構成するわけでしょう
16:50けれどそれよりももっと根源的なものは何か
16:53それはもう今ここで
16:57私があなたが生きているこの瞬間だけだったんですね
17:03だから究極の実在というのは瞬間だということを大胆に言っているんですね
17:08そうした伝承が中国日本の仏教にも流れているかと思うんですが
17:15道元禅師の言葉の中にそうした今という問題を非常に今の先生のお話を非常にこうさっと受け止めているものと思われる文章がございますのでご紹介をいたしたいと思います
17:29滝木は灰となる
17:34さらに帰りて滝木となるべきにあらず
17:38しかあるを灰は後滝木は先と見守すべからず
17:44知るべし
17:45滝木は滝木の方位に重して先あり後あり
17:49前後ありといえども前後祭壇せり
17:53生も一時の暗いなり
17:56死も一時の暗いなり
17:59例えば冬と春の如し
18:02冬の春となると思わず
18:04春の夏となると言わぬなり
18:07消防現像現状公安の巻ということでございますが
18:12先生ここに先ほどのダルマキールというお話ではございませんが
18:17やはり切な切なの絶対さと言いますか大切さが説かれているように思うんですが
18:23そういうことになると思いますね
18:25道元禅師は日本の生んだ偉大な思想家ですが
18:30この鋭い施策を述べておられます
18:32ただ興味深いことには
18:36インドの鉄人は抽象的な表現をするわけですね
18:39ところが日本の鉄人は具体的な理由を持ってきて
18:43少なくとも我々には分かりやすいように説くと
18:46今ここに出されている例を見ますと
18:49焚き木があると
18:51それが火をつけますと燃えて
18:55やがて灰になりますね
18:57そこに一つの過程プロセスがあるわけですが
19:01我々は常識的にそのプロセス過程を理解していますけれども
19:07よく考えてみると
19:10その刹那刹那が別のもので断絶しているということになるんじゃないでしょうかね
19:19この師匠はどうお考えになりますか
19:22やはり普通の時間論ですよね
19:29焚き木があって灰があって
19:33焚き木が燃えて灰になったという
19:36先あり後ありというのは
19:38普通の時間論だと私思うんですけれども
19:42先ほどのお話のように仏教がその刹那ということの
19:46刹那ということは瞬間ということでありましょうから
19:50その刹那刹那一瞬一瞬に
19:53その縁起の断りに従ってものが変化していく
19:57その変化する一瞬一瞬が
20:00常に本物本物としてあり続けていく
20:03そんなものがきっと
20:05法位法の位に従してということではないかと思いますんですが
20:12そうしますと
20:14道元禅師という方も
20:16焚き木が灰になったよという見方じゃなくて
20:20焚き木は焚き木の時で本物としてある存在
20:24火がついてボウボウ燃えている時も本物の存在
20:26そういうことですね
20:27灰になった時はまた灰として本物の存在
20:31ですからこれを私どもの目で見て
20:34焚き木はそれでご飯が炊けるから価値がある
20:39灰は価値がないから捨てちゃおうというのは
20:42むしろ人間の価値評価であって
20:44やはり先ほど先生のおっしゃいました
20:48実在と申しますか
20:50存在の本当の肝心なところは
20:53瞬間瞬間に存在しているという現実
20:57何かそんなところに仏教そして禅では
21:02その存在の美しさを見ているんじゃないかという
21:05そうですね存在の美しさ
21:08瞬間瞬間の美しさですね
21:10そこから道元禅師は重大な結論を出しておられると思うんですね
21:14この生も一時のくらいになり
21:20死も一時のくらいになりとですね
21:21この生と死という重大な問題に直面しておられる
21:26それぞれにそのくらいにおける意義を認めておられるということになるわけでしょうね
21:35あの生や全紀元
21:37死や全紀元という
21:39有名な言葉ですね
21:40有名な言葉などがございました
21:42いや実は先生私先日ちょっと地方の方へ用事で出かけてまいりまして
21:50大変美しいモミジを見てまいりましたんですが
21:55ふっと実はこうしたことをたまたま思い出しておりましてですね
22:00つまりいろんな木がいろいろな形で黄色になったり赤になったり真っ赤になったり
22:06こうしてるんですけれども
22:08実はそれがまた時期が来るにつれて色が変わっていって枯れていってしまう
22:14ただやっぱりこういう枯れ木と申しますか
22:17葉っぱといえどもその瞬間瞬間に精いっぱい生きて
22:22赤くなったり黄色くなったりしていくのかなと
22:26なんかそんなようなことをちょっと感じながら実は帰ってきたことがございましたけど
22:31我々がお互い日本人だからこの自然の風景の美しさに余計打たれるんだろうと思います
22:38でこの違った文化圏の人はそれほど感じないかもしれません
22:45しかし理論的にはですね今おっしゃったようにやっぱりそれぞれのスインというものが
22:51絶対の意味を持っているということが言えるんじゃないでしょうかね
22:55後で良感さんの言葉もご紹介しようと今日思うんですけれども
23:02良感さんの歌にこれも有名なものかと思うんですけれども
23:07裏を見せ表を見せて散るもみりというのがございました
23:12やはり裏があったり表があったりそれをいちいち良いとか悪いとか私どもは言うんですけれども
23:19やはり裏も本物でしょうし表も本物でございましょうし
23:25みんないい意味があるんですね
23:26そうしたことを一瞬一瞬の重さというものをかみしめていく
23:37一つ日本の江戸紀を中心とした全関係の方々の言葉をいくつかご紹介しながら
23:47今を生きるということがどのように考えられていたのか
23:50その辺を少しお話を伺ってみたいと思いますが
23:54まず最初に鈴木翔さんの言葉をご紹介をいたしたいと思います
23:59一日示して曰く仏道修行は仏像を手本にして出すべし
24:07仏像というは初心の人如来像に目をつけて
24:15如来座禅は及ぶべからず
24:19ただ身を不動の像等に目をつけて身を座禅をなすべし
24:26鈴木翔さんの露案経という作品の中からの一節でありますが
24:34先生このことを少しご説明をいただきたいと思います
24:38いや私も深く勉強したわけじゃありませんけれども
24:42鈴木翔さんはですね
24:43徳川時代初期の元は徳川家の旗元だったんですね
24:50だいたい関ヶ原から大阪の陣の頃にかけての人ですが
24:56ふっと勘ずることがありまして
24:59それで出家したんですね
25:00もともとは三河の安家という土地の人であります
25:04今でもそこに彼の建てた恩神寺というお寺が残っておりますが
25:10この人は日本の近世の禅人のうちで
25:17禅者と申しますかね
25:19禅の修行者の中で非常に特別な意味のある人だと思うんです
25:25従来の禅宗と変わりましてですね
25:29実際に禅を生かすということを説いたのです
25:32その結論としては
25:36世間の人々がいろいろな職業に従事しているが
25:42そのどの職業もですね
25:44絶対の根本の仏様の現れだって言うんです
25:48だから明々の人が職業を追求することの中に
25:53仏道があるって言うんです
25:55世を捨てて山へこもることが仏道ではないんだって言うんですね
25:58万民特有という本を表しました
26:02万民よろずの民がですね
26:05それぞれ働きを持っている
26:07いろんな仕事をして職業に従事しているわけですよ
26:11それがみんな特別の優れた働きがあるということを書いているんです
26:16しかも面白いことにはこの人は漢文では書かなかったですね
26:22まず書いた本は全部和語でしょ
26:24かなほう語って言われるものです
26:26今ここにご紹介いただきましたロワン教っていうのは
26:31鈴木翔さんがいろんな人から質問を受けて
26:36それに対して答えたのを
26:38弟子のエチュウという人が書き留めておいて
26:44その語録がロワン教であります
26:48その中に解かれているんですね
26:51もう普通の禅の解き方とちょっと違いますでしょう
26:55仏道修行というものはですね
26:58仏像を手本として出すべし
27:01これはよく分かりますが
27:04ただその仏像をじっと見ると心までも仏様に近づいて
27:11自分が清められるような気持ちになりますけれども
27:14しかしですね
27:16なかなかその仏様の境地に至ることはできない
27:19だから如来の座禅というものにはすぐ到達できない
27:25何をやったらいいかと
27:29二王禅ということを彼は説いたわけですね
27:32ただその仏様それから不動様の
27:35あのこう気力に満ちたたけたけしいこの像を見てですね
27:40それでもう苦難に耐えてですね
27:42積極的に行動するという
27:44その精神を受け取る
27:47そのためには仏様をじっと見て
27:49その精神を受け取るということを言ったんですね
27:52非常に積極的で行動的なんです
27:54あまりこの本当ですとね
27:57如来様が一番基本の仏でございましょうから
28:01その仏について修行していくというのを
28:08なかなかその通りにはいかないからという
28:10二王様で
28:12まず二王様を目標にということでしょうか
28:15その辺に非常に実際的な性格と申しますかね
28:19実際的と言えると思いますね
28:21本当に一般の人間が社会の中で生きていくときに
28:27こういうふうにやったほうがいいんじゃないかという
28:30なんか非常にプラクティカルと言いますか
28:32そうです
28:33なんかそんな感じいたしますね
28:34そう思いますですね
28:35やっぱり心がけの根本としてはですね
28:39それは阿弥陀様を拝まれる方もあり
28:42観音様を拝まれる方もある
28:44その気持ちをいただかれると
28:46その心は根本にありますが
28:49じゃあその具体的にどう行動するかということになると
28:53実際社会ってのは難しいもんですね
28:56苦難にぶつかりますから
28:57その苦難にめげずに
28:59目的を理想を達成するには
29:03二王様の姿を
29:07真似たらいいんじゃないかと
29:10いい教えなんですね
29:12また二王様はよくお寺の門などに
29:16守護神としてはございますんですけれども
29:18非常に有望な
29:21勇ましい姿でございますから
29:23どうもそういう気持ちでもって
29:26仏道を修行し
29:28いわば生活の中で生きていけと
29:31こういうことかと思うんですが
29:32続けて賞賛の言葉をご紹介いたします
29:36修行の寛容は
29:40自己を守る一つなり
29:42一切の煩悩は
29:45木の抜けたるところより起こるなり
29:48ただ強く目をついて
29:50十二時中万事の上に木を抜かず
29:54きっと張りかかって守り
29:57六俗煩悩を退治すべし
29:59同じくロアン教からの引用でありますが
30:03そして木の抜けたるところという
30:05ちょっと今の言葉とすれば難しいんですが
30:09どういう意味でございましょうか
30:10これはどういう意味でしょうか
30:13やはり気力と申しますかね
30:15あるいは心がけと申しますか
30:18この生き生きとした集中力というものを
30:22しょっちゅう持っていなきゃいけないと
30:24そういうことを言っているんだと思います
30:27自己を守るという表現があります
30:31これは仏典に出ているんですが
30:34自己を慎め
30:35自己がグラグラしないように
30:38しっかりと保つと
30:40そういう意味なんですね
30:41その気持ちがいるんじゃないか
30:45そうでないとポカーンとしてますと
30:47そうすると我々の心というのは
30:49煩悩に動かされて
30:51あっち行ったりこっち行ったりして
30:53揺れ動くわけです
30:55だから六俗煩悩を退治すべしと言っています
31:00六俗というのはですね
31:01この我々の六つの感覚
31:07思考の器官を言うわけです
31:08六根とも申しますが
31:10厳に美絶神にというわけですがね
31:12この五つの感観がありますよ
31:15その中に心がありますね
31:17それがですね
31:19その
31:20とかく外の者に
31:24誘惑されてですね
31:25それで煩悩を起こしますでしょ
31:27だから六俗と
31:29禅の方では誘惑なんです
31:31それで煩悩が起こる
31:32そういう煩悩が起こらないようにですね
31:35しっかりこの自分を
31:37キリッとまとめてですね
31:42そして自分の理想に向かって進んでいけと
31:45そういう意味だと思うんです
31:47いかにも二王様の
31:49こういうこんな姿を理想にした
31:54正さんらしい教えで
31:56そう思いますね
31:56彼がもともと武士でしたからね
31:58その心構えがずっと
32:00修正生きていたと思うんです
32:01一生懸命生きろと
32:03いう教えかと思うんですが
32:05また正さんの言葉を
32:08ご紹介をいたしたいと思います
32:10同じ黒暗教でありますけれども
32:39トンセイ者と申しますから
32:42ヨステ人でございましょう
32:43修行者でございましょう
32:45修行の用心を問うたら
32:47死に習わるべしとも言ったというんですが
32:50そうですね
32:52これは鈴木翔さんらしい
32:54独自の教えだと思いますが
32:56我々生きて動いて暮らしていますと
33:01どうかすると
33:03死から目を背けているわけですね
33:05思うのも嫌だという気持ちになりますが
33:09そうじゃなくて
33:10我々の生というものが
33:12死に裏付けられている
33:14生と死が裏表の関係にあるんだと
33:17そのことを自覚して生きろと
33:21そうすると心がキリッとして
33:25煩悩に迷わされることもないと
33:28そういうことを言っているんだと思います
33:32やはり先ほどライのお話で
33:36今というものを本当に充実して生きていくということが
33:42一つの弾みをつけるといいますか
33:45物の考え方として死というものに直面しながら
33:49あるいは直面しているかのごとくに
33:52真剣に考えようと
33:54こういうことかと思いますが
33:57土になってと言ってみましょう
33:59このインド以来ですね
34:02人間の体は土の元素からできているという考えがあるんです
34:09死ねばですね
34:11以外は捨てられて
34:13土の元素から構成されている
34:20死骸だけは残ると
34:24そのことを一定とも考えられますが
34:26また本当に土に帰してしまいますとですね
34:29そうするとあとは踏まれようが
34:33何されようがですね
34:34土は平気でしょう
34:35そのようなもう
34:37何ていうんですか
34:38たっかんした気持ちを持ってですね
34:40しっかりと生きていけと
34:42そういう意味も込められているかと思います
34:45なるほど
34:45土になってなるほど
34:47もうなるほど人に踏まれようとなんだろうと
34:50別に文句言うわけではない
34:52それと同じように先ほどの言葉に
34:55六俗煩悩を退治すべしと
34:56あったわけですが
34:57いろいろな自我とか欲望とか
35:00そうしたものに振り回されていると
35:02なかなか安心の生活はつかめないんで
35:05やはりその死というものに直面し
35:10一切のそういう虚色を捨てて
35:13生き抜いていくところに
35:15かえって道が開けてくると
35:16こういうことでございましょうね
35:18実は最近
35:21よく生きがいという言葉がございますんですけれども
35:25最近は生きがいを探るのに単に生きているときだけじゃダメで
35:29あなたの死にがいは何ですかといったような本も出ておりますし
35:33死に方を研究せよなんていう言い方もございますし
35:40あるいは特にホスピスの問題とか
35:44そうですね
35:44デスエデュケーションという
35:47生きている間に常に死というものがどういうものかと
35:52それに対面する訓練をしていこうということがあるようでございますけれども
35:57そうしたもののいわば仏教的な一つの根拠を
36:02現代のデスエデュケーションに提供している箇所とでも言えましょうか
36:06また一つ賞賛の言葉をご紹介をいたします
36:09仏法というは分別をもって身を収まるようのことにあらず
36:17後を思わず後を分別せず
36:21ただいまの一年を虚しく過ごさず
36:24生状に用いることなり
36:27同じくロワン教からの引用でございますけれども
36:32これ先生先ほど最初に読みました中部経典
36:37マジマニカーヤの過去は過ぎ去ったと
36:40未来は未だ来たらずと
36:43ただ現在を懸命に生きようというのと
36:47気を逸にした教えでございますね
36:49そうですね
36:50インドから日本の独家時代に至るまで
36:54何か一貫した教えがずっと受け継がれていると
37:00そういう気がします
37:01ことにね今を生きようということは
37:06ただいまの一年を虚しく過ごさずと言っているんですね
37:09まさにその通りだと思うんですが
37:12そしてその一年をですね
37:14清らかに用いよということを彼は言っておりますね
37:19まああの症状にということですから
37:22もちろん自分の心がけを症状にという
37:25自我欲望にいたずらに振り回されることの
37:29忌ましめだろうかと思いますんですが
37:32そうですよね
37:32誠に正さんという人は徹底した形で
37:37今を生きることを教えたようでありますけれども
37:41その正さんの言わんとすることと
37:46気を逸にするような
37:48ちょっと凄まじい感じの歌が一つ
37:51死道無難禅師のものがございますので
37:54合わせて考えてみたいと思いますが
37:56生きながら死人となりてなり果てて
38:02思いのままにするわざと良き
38:05死道無難禅師
38:07生きながら死人となりてなり果ててという
38:13強い表現ですね
38:14とても先生強い表現ではですね
38:17まあ死人となりてというのは
38:19これはやっぱり生きているには違いないんだけど
38:24その死を自ら自覚してという意味でしょうね
38:27死を自覚しながら生きていくと
38:30そう思いますとですね
38:32心がけも変わってくると思いますね
38:34あの翔さんのただ土となってというのと
38:37きっと同じ世界かと思うんですけれども
38:41あのなんかこう本当にこう
38:44自我欲望に振り回されているようなところでは
38:48なかなか本当の意味で
38:50今を生きるということには徹しきれない
38:53そうしたところに死人となりてなり果ててと
38:57決して自殺することでもなければ何でもない
39:01心を症状にしていく
39:04そういう努力をしながら
39:06そこに思いのままにするといいますから
39:10きっと中国の欲するところに従って
39:15ノリを越えずという
39:16あれやろうこれやろうと思わなくても
39:20ずっと訓練をした結果
39:22思いのままにすることが
39:25すべて道に外れていないという
39:27自由自在の境地
39:29これがまた前者の達した境地だということも言えるでしょうね
39:37自由という言葉は
39:39善の語力に盛んに出てきますね
39:41けどその自由というのは
39:43決してわがままという意味じゃないんですね
39:46人が自分のシワッと考えたらですね
39:51そしたらもう煩悩に振り回されたような
39:56暮らしにはならないでしょう
39:57自由というのは読んで
40:01字のごとく自らによるということですか
40:03そうです自らによるわけなんです
40:05ですから決して自らによるといっても
40:09その自我欲望のままにすることではなくて
40:13その大眼というものを実現するわけです
40:15偉大なる自己を実現すると
40:18そういうことだと説明することもできると思います
40:20かえってそこに自我というものを
40:24抑制していくところに
40:25本当の自分というものが主張できていくと
40:27そうです本当の自分がそこに出てくるわけですから
40:30さてまた少し江戸記の前奏の
40:38万家陽拓前時の言葉を少しご紹介をいたしたいと思いますが
40:45物心は不詳にして霊妙なものに決まりました
40:52不詳なる物心
40:54物心は不詳にして一切自が整いまするわいの
40:59したほどに皆不詳でござれ
41:02不詳でござれば
41:04諸仏の得ているというものでござるわいの
41:07尊いことでござらぬか
41:09物心のたっといことを知りますれば
41:13迷い通っても迷われませぬわいの
41:17これを欠如すれば
41:19今不詳でいるところで
41:22死んでのち不滅なるものとも言いませぬわいの
41:27生前のものを滅することはござらぬほどに
41:30そうじゃござらぬか
41:32万家五六
41:34非常に語り言葉で味のある表現でございますが
41:38独特ですね
41:40万家禅寺は張馬の方で
41:44神戸に今でも正福寺というお寺が残っておりますが
41:48そこでいろいろな人を強化されたわけなんです
41:52もう民衆に対して開けっぱなしの方でしたね
41:56こういう調子で説法されたと思うんですよね
42:02禅で言えば提唱ですが
42:05それがこういう分かりやすい言葉で述べられている
42:08しかも話し言葉で言われたのが
42:12そのまま印刷されて残っているというのが
42:15これは珍しいことだと思うんですね
42:18貴重だと思います
42:21万家禅寺は言われたんですが
42:25禅寺の偉い方は昔からいろいろな仕方で人を導かれた
42:34ある人は棒を使った
42:36ある人はカツを使った
42:38カツというわけですね
42:39いろいろだけれども
42:42じゃあその
42:44万家禅寺に向かって人が聞いたんです
42:48じゃあその禅寺様は何でもって人を導かれますか
42:54そうすると万家禅寺が言います
42:57見どもは三寸を用います
43:00そういうやつです
43:01下三寸なんです
43:02つまり下三寸で出てくる言葉というものは
43:05万人に共通でしょ
43:07誰にでも分かるわけです
43:09だから誰にでも分かるように奥深い境地を解かれた
43:13この意味で万家禅寺というのはたっとい存在だと思います
43:18非常に分かりいいようでありながら
43:22実は不詳という言葉がちょっと難しいように思います
43:25これ難しいですね
43:26大乗仏典の中には不詳という言葉がたくさん出てくるんですが
43:31その意味はですね
43:33ありとあらゆる我々が経験するようなものは生じては滅びるわけです
43:40だから無情なんです
43:41けれどこの究極の真理というものは
43:46もう滅びることはない
43:49だから生じることもない
43:51元からある永遠のものなんですね
43:54その我々の存在の奥には不詳の物心があるというんですね
44:00万家禅寺によります
44:02つまり限られたものではない
44:06永遠の道理であるところの仏の心というものが
44:14明明の人のうちにある
44:15それは元からあるもので
44:18新たに生じたものじゃないから
44:20だから不詳というんです
44:21なるほどそうしますと不詳の物心
44:25なるほど先ほどもちょっと似たような考え方が出たと思いますが
44:31縁起の言葉に従っていろいろこうもちろん変わっていく
44:35変わっていくその一瞬一瞬が本物であり
44:38尊いものとしてあり続けていく
44:40そうしたものを大事にしながら生きていくんだと
44:44全てが仏の現れという感じで受け止めていって
44:49そこに生きるところに今を生きることになるのだと
44:53その今が永遠のことがありですから
44:56そこで全てが不詳であるとか
45:01不詳だからこそ書物が得ているものと
45:07大昔からどこにでも存在していわば
45:12人間とか時間とか全てのものに尊い宗教的な価値を認める立場とでも
45:18ただ我々はそれに気づいていない
45:20気づいていない
45:20そういうことなんですね
45:21そういう生き方を不詳の物心ということで解くわけですが
45:29もう一つ万形禅師の語録の中から
45:32生活の中にそれがどう生きてくるのか
45:35ご紹介をいたしたいと思います
45:37物心でいて迷わねば外に悟りを求めず
45:43ただ物心で座し
45:46ただ物心でい
45:48ただ物心で寝
45:50ただ物心で起
45:52ただ物心で住している分で
45:55平税行住座が
45:57生きぼとけで働きいて
46:00別の司祭はござらぬわいの
46:02座禅は物心の案座が座禅じゃところで
46:07常が座禅でござるによって
46:10勤める時ばかりを座禅とも申さぬわいの
46:14万形語録でございますが
46:17なかなか根節に説いておられると思います
46:20本当に
46:22我々はその
46:24家にあるたっというものに気がつきませんけれども
46:28しかし
46:30我々の家には物心がある
46:34それに気づけば
46:37何も外に特別の仏の境地というものを求める必要はない
46:44その内なるたっというものに気づいて
46:48毎日座り
46:50起き寝てですね
46:52そして仕事をし活動をすると
46:55行住座がみな生きた仏様だと
46:59この煩悩のある限られた我々が
47:03仏様だというのはとんでもない表現のように思われますけれども
47:08実はよく考えてみればそうなのだということを
47:12万形前者は説かれるわけです
47:18それに気づけばですね
47:20いかなる人もたっとい存在である
47:23だから誰に対しても合唱するということになるわけですね
47:28座禅というものもただ座っているだけのものではない
47:32その座禅の気持ちというものは
47:34行住座がに生かされるものであるはずである
47:39非常にこの広い
47:43法要的な意味の座禅を
47:45万形前者は説かれたわけです
47:48よく禅の方で座禅はもちろん修行でありますけれども
47:53座禅をしているときだけが修行じゃないので
47:56むしろ座禅というものの気持ちを
47:59その生活の一コマ一コマの中に
48:01及ぼしながら行住座かすべてが座禅をしているのと
48:06同じ気持ちで行われているところに
48:09仏としての生活をずっと続けていくことができる
48:13そうしたことがよく言われると思いますけれども
48:16万形前時のおっしゃるのもほぼ同じような言葉で
48:21言われているかと思うんでありますが
48:23いろいろと今を生きるということの
48:27いろんな禅の方々の言葉を見てまいりましたんですが
48:34最後にもう一つ良官さんの言葉をご紹介をいたしたいと
48:41こう思います
48:42これは何か地震にあいましてですね
48:47両官さんが安否を気遣っている知人に出した
48:51手紙らしいんでございますけれども
48:53報告をしておるところかと思います
48:56地震は誠に大変に候
49:00野草草案は何事もなく
49:02親類中死人もなく
49:04めでたく存じ候
49:06打ちつけに死なば死なづてながらえて
49:10かかる浮き目を見るがわびしき
49:13しかし災難に応う時節には
49:17災難に応うがよく候
49:18死ぬる時節には死ぬがよく候
49:22これはこれ
49:23災難を逃るる妙法にて候
49:26両官さんの手紙でございますが
49:30先生ここに地震がございました
49:34私も無事でしたよ
49:37住んでいるいぼりも無事でしたよと
49:39心類中傷ついた者もいなかったと
49:42しかしながら私だけがこうして生きながらえて
49:47みんなが苦しんでいろいろいる浮き目を見るのがわびしいという
49:51なんかいかにも両官さんらしい優しいといいますか
49:54温かい気持ちがまずこの歌に生え
49:56なんかこう自分が生きながられたの
49:59これなんか生き恥をさらしてるというのは
50:02そんなような気持ちが出てるような気がするんですが
50:06きっとそういう気持ちを出されたんだろうと思いますんですけれども
50:10ただ先生その後にですね
50:11災難に応う時節には災難に応うがよく候
50:16から死ぬる時が来たら死ぬのがいいんだと
50:19それが災難を逃れる妙法だと
50:23こういうのでございますが
50:24あれはいい教えだと思いますね
50:26まあ私どもこう生きてますと
50:28しょっちゅう災難に遭う可能性がありまして
50:32ことに
50:34嫌なこと困ったことにしょっちゅう出会うわけですが
50:38そういうのを避けたいと思いますから
50:40しかし高い立場から見るとそうじゃないんだと
50:43そういう災難が来るならば
50:47それをもうありがたく受け取って
50:50そして自分で解決して生きていけばいい
50:55災難というものは前の言葉で言えば
50:59生きた公安みたいなものだと
51:01非常に高い目で見ておられるんですね
51:03災難に遭うのがいいというような
51:07たっかんした気持ちですね
51:09また先生開き直りますとですね
51:12どうもそこまで行かないと
51:14結局その災難を克服する道は
51:17開けないんじゃないかとも思うのですね
51:19そうでしょうね
51:20そうだろうと思います
51:21つまりいろんな災難に遭います
51:23それからあるいは死ぬ時には死ぬがよくそうろう
51:26なんか誤解を招きそうな表現ではあるんですけれども
51:30やはり災難が遭う
51:32あるいは死というものが近づいてくる
51:35それに対してその災難を除くように
51:38最大限の努力は当然していくわけですし
51:42先生おっしゃったように対処をしていきながら
51:47しかし現実は現実なんで
51:49現実に目を反らせると逃げてしまうことになる
51:54決して何もやらないというんじゃなくて
51:58いろんなことが降りかかってくる
52:00降りかかってくることに対して
52:02それを良き未来に向かって努力しながら
52:08しかし現実だけはきちっと受け止めていかないと
52:12現実逃避になってしまうんじゃないか
52:16そういうことになりましょうね
52:17災難はこれはもう我々として避けるように
52:22対処しなきゃいけない
52:24しかしそれに対処することによって
52:26我々はまた何か貴重な経験を受けるわけですね
52:30だからこの不幸というものをまた
52:34何らかの意味で生かすという気持ちで見れば
52:40自分が受けた災難とか損害というものも
52:43またありがたい経験であったということになりましょう
52:46ただそこまで行くためにはですね
52:48やっぱり今おっしゃったように
52:50災難に対して自分が適切な対処をするということが必要でしょうね
52:55その気持ちがないといつまでたっても悔やんでいるということになりましょうから
52:59これは今おっしゃられたことと裏腹の言い方だと思うんですけれども
53:07実は私の好きなある仏教の詩人の方がおられまして
53:12その詩人の方の詩にですね
53:15要するに苦しい時にどうやったらそれが対処できるかということだと思うんですけれども
53:23こう言うんですね
53:25苦しい苦しいと思っていたけど
53:29苦しさの中に飛び込んだら苦しさは消えて生きることだけが残った
53:36なるほどね
53:37いい言葉ですね
53:39大変実は私の好きな言葉なんでありますけれども
53:43やはり今の両官さんが災難に応う時節には災難に応うがよくそうろう
53:50死ぬる時節には死ぬがよくそうろうと
53:52やはりいろんなこう現実の社会でございますから
53:58いろんなことがありますし
53:59降りかかってきますし
54:02降りかかってくるものに対して少しでも
54:05良い方向に努力だけはしていきながら
54:09しかし現実に苦しいとか悲しいとかということは現実のものです
54:14そうです
54:15それをただ嫌だ嫌だというのではなくて
54:18その中に飛び込んでしまう
54:20飛び込むというのもいい表現ですね
54:21そうしますと決して苦しさとか悲しさが
54:26物理的な意味で消えちゃうわけじゃないんですけれども
54:30それを乗り越えていく力が身についていく
54:36ですからやはり苦しさは消えて生きることだけが残ったという
54:42苦しさが消えたんなら寝てりゃよろしいんですが
54:45生きることだけが残ったという
54:48つまり生きることが実はその苦しさを克服していくことに他ならないんだと
54:53実は両官さんのこれを見ながら災難に遭うときには災難に遭ったほうがいい
55:00死ぬときには死んだほうがいいと開き直る
55:03開き直った結果これが災難を逃る妙法なんだと
55:09何かそんなことと実はくっつけながら少し考えていたのではないか
55:14そうですね
55:15人間が生きている限り災難というのは必ず何かの形で起こりますし
55:21そして死の運命を免れることはできないわけですが
55:26だからそれに対して心構えとして
55:29両官さんの説かれたことは非常に意味を持っていると思います
55:34ですから今日いろいろと
55:38今を生きるということで話を伺ってまいりましたわけですけれども
55:48結局今を生きるということはその中に過去も未来も全て含んだ形で
55:57しかもやるべきことを懸命に前向きにやっていくところに
56:01かえって今を生き過去未来を含む生き方にも連なってくるということかと思うんですけれども
56:10先生実は比較的最近でございますけれども
56:15大変私感銘を受けた会話をいたしましてですね
56:20これは中年のご夫人でございまして
56:24ジャーナリズムの世界かなり責任のある地位におられます
56:29仕事をされておりまして
56:31ご主人様も新聞記者ということで
56:34まだ小さなお子さんが3人おりましてね
56:38本当に夜遅くなったりくたびれたりは大変お忙しいらしいんでございますけれども
56:44本当に前向きにさあこれもやらなくちゃいけない
56:52やらないことがあっちゃこれはいかんと
56:54いろいろ行かせていただいてるんだから一生懸命やらなくちゃと言いましてね
56:59例えば当たり前といいや当たり前かもしれませんけれども
57:03今時々そういうことが話題になります
57:073人のお子さん方も朝ごはんをたっぷりと食べさせてですね
57:11きちんと仕事をされていく
57:14本当にこうお話ししてても気持ちいいぐらいに活気にあふれて
57:19張り合いを持って生活をしている方で
57:24その方がふっとおっしゃるんですね
57:26どなたかが私はもう忙しくてくたびれちゃったって文句を言ったもんだから
57:33忙しくて疲れるなんて幸せじゃないのって私は言ったんですよというお話でございます
57:39しかしその忙しくて疲れるのは幸せじゃないのという言葉が
57:47実は本日の今を生きるということのテーマに実は一致した現代的な言い方じゃないか
58:00そんなことに言ったらちょっと思ったりしては
58:02そうですね
58:02この本当に一瞬間の今が無限の過去を背負って
58:08そして無限の未来をこれから開いてくれるんですが
58:11この今ってのはたっという事だと思いますですね
58:15先生本日はどうもありがとうございました
58:16ありがとうございました
58:16ありがとうございました
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