- 2025/6/16
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ライフスタイルトランスクリプション
00:00東洋の心を語るというシリーズの第4回目になります
00:06毎回釈尊の教え、仏教というものを中心にしながら
00:12およそ人間が人間としてある限り誰にでも当てはまるような
00:17普遍的な東洋の英知というものを求めながら
00:21いろいろとお話を伺っているわけでございます
00:24本日は3つのおごりというのがテーマでございますけれども
00:30お話を伺います方はいつもの通り東宋学院院長の中村はじめ先生でございます
00:36先生よろしくどうぞお願いいたします
00:39先生、今日3つのおごりというのがテーマでございますけれども
00:44中心になりますのが釈尊という方がどんなことで悩んで
00:51そして出家をして、そしてそれをどのように克服していかれたのかという
00:56これは釈尊一人のことにかかわらずですね
01:01私たちにも全ての人間に共通な一つの問題がそこに出されているかと思うわけですが
01:09そうした釈尊の悩みというものを考えていくときに
01:14先生が3つのおごりという仏典の中からの言葉を
01:21お出しになられたわけでございますが
01:24その3つのおごりというその辺のことから一つお話を伺いたいのでございますが
01:30この3つのおごりと申しますのは
01:33釈尊が若い時に自分で人間について反省して
01:42はっとこう気づいたことを述べられた
01:46その言葉であるとして伝えられているわけでございます
01:49釈尊、俗にお釈迦様ですね
01:53最初から何にも偉い立派な修行者だったわけでも何でもありませんし
01:58やっぱり普通の人として生まれたわけなんですね
02:01そして人間として育ち
02:04その間にいろいろな人生の体験をされたわけですが
02:10いろいろ若い時には悩みもあれば
02:18苦しむこともあって自分で考えられたわけです
02:23その反省の結果が伝えられてですね
02:27それで3つのおごりという句でまとめられているわけですが
02:33それは釈尊だけの感想ではなくて
02:38それを聞いてああその通りだなと思った
02:41もう何億人という多くの昔のアジアの人々がですね
02:48その通りだと思って伝えたわけです
02:51今私どもがその言葉を聞いてみますとですね
02:56ああなるほど人間というのはやっぱりこういうもんだなと思って
03:01いろいろ思い当たるところがあるわけでありました
03:05ですからこれからその言葉を聞いて考えてみたいと
03:11そう思っているわけなんです
03:13やはりあの人間釈尊と言いますか
03:17釈尊という方自身がいろいろ悩まれてきているわけで
03:21それだけに私どもに大変教えられるものが多いわけで
03:26よく老病死に悩んで出刑をされたと言うんですが
03:31じゃあ一体その具体的にですね
03:34老病死に悩んだっていうのはどんな風に悩んだか
03:37そこが問題になろうかと思いますので
03:40一つ最初の文章を読ませていただこうかと思います
03:44若さのおごり
03:47愚かなボンプは自ら追い行くものであるにもかかわらず
03:53他人が老衰したのを見て悩み恥じ嫌悪している
03:58私もまた追い行くものであるにもかかわらず
04:02このことは私にふさわしくないと言って
04:05他人の老衰したのを見て悩み恥じ嫌悪するであろう
04:10私がこのように観察したとき
04:14青年時における若さの息は全く消え失せてしまった
04:18マッジマニカーヤ
04:20これは中部経典と日本語で言われております
04:23原子物典のインドの原子物典の中からの引用でございますけれども
04:30先生ここには若さということが今テーマになってまいりますですね
04:34誰でもまず若い時代を経験するわけですね
04:41幼い時代にはどれだけの反省があったか
04:44やがて若い青春の時期に達しますとですね
04:50そうすると自分でいろいろ考えたり
04:53また思い悩んだりするわけです
04:55その時にですね
04:57若い人はどう思っているかと
05:03いろいろ悩みもありまた不平もありましょうけどですね
05:07その先の方にはもっと年上の人がいるわけですね
05:17その人々もかつては若かったわけです
05:21いつの間にか年老い
05:23その年老いた人を見るとですね
05:25そうするとああなんか老人っていうのは
05:28哀れなもんだなと思うわけですね
05:30これはもう若い人から見れば当然だと思うんです
05:35私だってやっぱり考えてみますと若い時もあったわけですね
05:38少し年上の方で
05:40例えば見かけた時に
05:44あああの方白髪が一本あるなと思って
05:49不思議に思ったことがあるんですよ
05:52ところがそれから何十年か経ちますとですね
05:54もう自分自身が白髪がいっぱいになって
05:58これはもう人間の避けることのできない運命と申しますか
06:02定めと申しますか
06:04気づかなきゃいけないこと
06:08ところがどうかするとですね
06:10若い時にはそれを見逃してしまって
06:16自分がいつまでも若くあるかのように思って行動しているわけですね
06:22そしてたっといこの若さというものを失ってしまう
06:27これやっぱりその考えるべきことだと思うんです
06:31でそこにはですねそのおごりというものが潜んでいると
06:37シャクソンはそう見たわけですね
06:40これは私も経験がございますけれども
06:44若い時には年をとった方を見てですね
06:48本当にあんまり綺麗じゃないなといったような実感を持ったことを
06:54私も記憶しておりますし
06:56本当に若い人にはもう当然の一つの心の動きだろうと思う
07:02通常の場合にはそれで終わってしまうわけなんですけれども
07:06つまり若さのゆえに老というものを見て
07:10嫌だなと思うそれで終わってしまうんですが
07:13先ほどの文章によりますと
07:16そうした心情があったわけなんだけれども
07:21自分もまたああなるんだなと思ったら
07:24途端に若さの息は消え失せてしまったという
07:27そこに一般に若い人が老人のことを
07:31いやらしいなという
07:34超えたお釈迦さんシャクソン独特の
07:38シャクソンの宗教的なものの見方があるわけでございますね
07:44一歩突っ込んだ反省がそこにあると思うんですね
07:46そうですね
07:46おごりというものは
07:50これは世間でもいろいろ反省なされておりました
07:55我が国でも俗に申しますが
07:58おごる平家は久しからずなんて申しますですね
08:01けどそれは単なる世間の一時的な現象について
08:06反省しているだけのことでありますが
08:08そうじゃなくてですね
08:10人間そのものに根差しているもんだよと
08:14言って反省しそれを述べたというところに
08:19深い意味があると思うんです
08:21おごりという言葉
08:25漢字では京マンなんて申しますがね
08:34京とマンが仏典では分けて使われているんです
08:38いつもそうだとは限りませんけどね
08:41後になりますと
08:42競技体系を作る学者が出てきましょう
08:45そうすると人間の心理現象をずっと反省しましてね
08:50いろいろ分析するわけです
08:52今日の方はまだと申しましてね
08:55自分は優れているとそう思うことです
09:04例えば養殖が優れている美人であるとかですね
09:10あるいは自分は力があるとか
09:12あるいは自分には財産があるとか
09:15あるいは自分は地位権力があるとか
09:18そういうふうに思うのがそれが京だ
09:21うぬぼれということです
09:22うぬぼれになりますね
09:24そうです
09:24それからもう一つのマンですね
09:29京マンのマンは
09:30これは元のことぐらいマナって言うんですが
09:33これは後の競技体系によりますとですね
09:37そうすると人と比べてみてですね
09:40自分はこれこれだ
09:43優れていると
09:44そう思うことだって言うんですね
09:47今日の方はですね
09:49さっき申しました方は
09:50これは人間の悪い心
09:55あるいは悪くはなくてもですね
09:58なんかこう大荒れ閉ざされて
10:01煩悩に取り憑かれている心と
10:04一緒に出てくるもんだと
10:06そういう反省がなされております
10:14それから後のそのマンの方はですね
10:17これはその特にいいとか悪いとか
10:20言えない
10:22どっちにでも展開し得る
10:25そういうようなおごりであると
10:28そういう反省がなされております
10:29そうしますと
10:31今日とマンを分けますと
10:33今日の方がどうも
10:34少し質が悪いように思いますけれども
10:36先生
10:37今読みました文章で
10:41釈尊が若い頃
10:43解雇しながら言っている言葉ですね
10:45自分は若い時に老人を見て
10:49嫌だなと思った
10:51それは自分のおごりであると気がついて
10:55青春の生きが失われたんだと言うんです
10:59これの場合はどちらの
11:00これは前の方ですね
11:02今日の方
11:03マンではない
11:04そうです
11:04つまりね
11:06気づいていないかもしれないけど
11:09人間の存在の奥にあるおごりなんですね
11:16自分はお金もない
11:20それから威張ってもいないと
11:24そう思うかもしれないけど
11:26しかし人間の奥には何かしら
11:29おごりがあるはずだと
11:32現に若い人は気づいてはいないだろうけど
11:35知らず知らずの間に
11:37若さというものにおごって
11:40たっとい精神を無駄にしているということが
11:44世間にいろいろございましょう
11:46それに気づいて述べられた言葉なんです
11:49なるほど
11:50その時の社会環境とか
11:56社会的地位とか
11:58教育があるとかないとかではなくて
12:01もうおよそ人が人としてある限り
12:03誰でも持っているような
12:05人間の存在に根付いている
12:07一つの境といいますか
12:09おごり高ぶり
12:12それをこそここで今
12:13借存が問題にされたわけですね
12:16そういうわけですね
12:16なるほど
12:16人間存在のその奥に潜んでいるものだ
12:20気づかなくてもですね
12:22それがあるから
12:23だからそれに気づいて
12:28よく考え
12:30自分の道を進めという教えが出てくるわけですね
12:34今は命という老というものに対して若さというもののおごりが今出たわけですが
12:43同じような考え方で病気と健康ということでやはり文章がございますのでご紹介をいたしましょう
12:51健康のおごり
12:54愚かなボンプは自ら病むものであるにもかかわらず
12:59他人が病んでいるのを見て悩み恥けんをしている
13:03私もまた病むものであるにもかかわらず
13:07このことは私にふさわしくないといって
13:10他人の病むのを見て悩み恥けんをするであろう
13:14私がこのように観察したとき
13:18健康時における健康の域は全く消え失せてしまった
13:22先ほどの続きでございましょうから
13:24同じく自慢にかやという経典でございます
13:27先生ここでは先ほどの老と若さの対立に対して
13:32今度は健康と病気ということですね
13:34そうですね
13:35世の中で活動している方はどなたでも一応健康なわけですね
13:42だから健康のありがたさということもあまり感じないわけです
13:46自分の健康というものに甘えてですね
13:55反省することが足りないと
14:02だから自分の健康を知らず知らずの間に無駄にしている
14:07健康であるというのも実は誠にありがたいことで
14:11いろいろな条件が整っているからこそ健康であり得るわけです
14:16しかしいつかはですね
14:18年取ればまた健康を失って老いるという運命が待っているわけですね
14:25そう思えば自分が健康を与えられているということを
14:30ありがたに思わねばならない
14:32ところが起こっているとですね
14:34そういう気持ちにならないというわけです
14:36確かに私ども日常の会話の中でですね
14:40老病死という問題を見ても年を取るのは嫌ですねとか
14:44病気になるのは嫌ですねなんて言うんですけれども
14:47実はそれほど悩んでないと思うんですね
14:50一言みたいに
14:52そうですねもう一言みたいに考えますよね
14:54自分が病気になってしまうと
14:56改めて健康な時のありがたさを思い知るという
15:01むしろそれならば普段から健康のありがたさというものを
15:08身に自覚をしていくことが
15:12そのおごり高ぶりのないものの考え方だと
15:16こういうことかと思いますんですが
15:18これはもうしょっちゅう私も感じますがね
15:20自分で健康で動ける時には
15:24そのありがたさに気がつかない
15:25ちょっと風邪ひいたりしてなかなか治らない
15:29困ったなと思いましたね
15:31途端に悲観してしまうわけですね
15:33そういうのを繰り返すわけですが
15:36老病ということで
15:39今度は死というものに関して
15:41同じように文章がございますので
15:44朗読をしてみますけれども
15:46生存のおごり
15:49愚かな凡夫は
15:51自ら死ぬものであるにもかかわらず
15:54他人が死ぬのを見て悩み恥じ嫌悪している
15:58私もまた死ぬものであるにもかかわらず
16:02このことは私にふさわしくないと言って
16:05他人の死ぬのを見て悩み恥じ嫌悪するであろう
16:09私がこのように観察した時
16:12生存時における生存の域は全く消え失せてしまった
16:17ここで先生生老死ということに対する
16:21それと裏腹の若さと健康と
16:24生きているということの
16:26ギャップと申しますか
16:29普通の私ども生きている人間の
16:32おごり高ぶりというものの姿が
16:34借存の自覚を通して
16:36明らかにされてきたわけですけれども
16:38これも深い反省だと思いますね
16:41この人が死ぬのを見ると
16:44ああ嫌だなと思いますよね
16:45けどそれを見ている自分はまだ生きているものですから
16:48だから自分は死とは別のものみたいに思う
16:53しかし実は人間の生というもの
16:57生きているということは死に裏付けられているわけでしょ
16:59いわばこの生きているという
17:03一つの事実の表と裏みたいなものですよね
17:06裏の側を見ようとしない
17:09そして生きているということだけに甘んじている
17:13けど生きているということ自体が
17:15またそのいろいろの条件
17:20因縁恵みによって可能となっているんですが
17:23これはありがたいことですね
17:25それを俺は生きているんだというので
17:28もうそこで無反省になって
17:32おごってしまうと
17:33そうするとこれは
17:36命というものを
17:40何と申しますか
17:42失ってしまうことになっている
17:44生きていることの意義を失ってしまうことになっている
17:46今先生のお話のように
17:49本当に老病死という事態に直面すると悩むけれども
17:54普段はそれに気がつかないという
17:57そこに考えてみれば
18:01充実して生きていくという生き方が
18:03いかに私どもに欠けていると申しますか
18:07普段おろそかにしているということなんですが
18:10やはりしかし
18:11先生なんでもなんですね
18:13若い時には老人を見ると
18:16老というものを見ると
18:18嫌だなと思うのは人情の自然だし
18:20病気にならないと健康のありがたと思わない
18:24それが普通の人間なのに
18:26尺層は特に死にそうになったわけでもないでしょうし
18:29今出てきますけれども
18:3229歳という若さで出家していく
18:34若さの絶頂にあって
18:36病気をしたということも
18:38あまり知られておりませんし
18:40ましてや死というものが
18:41あなたは癌であと半年ですよ
18:44なんて言われたことでもないわけなんです
18:45そうした状況にならないのに
18:48非常にあえてこうした自分の存在の内部を見つめていって
18:54本当に全ての人間に普遍的な
18:57非常に根源的な
19:01人間の迷いみたいな
19:03気がついたというところに
19:06釈尊の宗教性の深さみたいなのが
19:09一つ感じられて仕方がないんでございますけどね
19:11これは狭い枠を越えて
19:13どの民族の人だって
19:16どの宗教の人だって
19:18やはり言われてみればその通りだと思うことが
19:22ところが我々は日常をどうかすると
19:25それを見失っているというのが実情じゃないでしょうか
19:30そうした悩みを持ちながら
19:32釈尊は出家をするわけでありますけれども
19:35じゃあ一体釈尊の出家というものが
19:38何を求めて出家したのかと
19:42その辺の大きいところから
19:45一つ文章を読んでみたいと思いますけれども
19:48スバッダよ
19:51私は29歳で
19:54善を求めて出家した
19:56スバッダよ
19:57私は出家してから
19:5954年となった
20:01勝利と法の道のみを歩んできた
20:05これ以外に
20:06道の人なるものは存在しない
20:09大パリニッバーナ教
20:11先生この大パリニッバーナ教と申しますのは
20:15釈尊の最晩年
20:1780歳になられました釈尊が
20:21おそらく生まれ故郷のカピラバッツに向かって
20:27旅行されていく
20:30その都市都市において
20:31主曲のようなお説法をして歩かれていく
20:35その最後の旅の模様を
20:39大変臨場感あふれるタッチで書いた
20:42いいお経かと思うんですが
20:44先生この今のスバッダの教えというのは
20:48もうその旅行の中でも亡くなられる
20:52一番直前ですね
20:53もう釈尊がですね
20:55最後の旅路で
20:57それでもう体も弱ってですね
20:59で休息しておられた
21:02そこへその異教徒のスバッダという人がやってきまして
21:06とにかく会わせてくれと
21:08私はこの釈尊豪太のブッダに
21:13一つ聞きたいことがあるなんてことを言ったわけですね
21:17お弟子のアナンダは会わせないとしたけれども
21:20釈尊は非常に思いやりのあるタッチでしたから
21:24いやそういうのはとにかく会ってやろう
21:26通しなさいと言われた
21:27そうするとスバッダが中に入ってきて
21:30それに対して言われた
21:31もう最後の説法ですね
21:34あのスバッダという人は
21:36それ以後あんまり名前が出てこないと思うんですが
21:40釈尊の最後のお説法を聞いた人ということで
21:44そうですね
21:45名前が残っているか
21:45最後のそのお弟子になった人ですね
21:48その意味で非常に知られているんですが
21:51それだけに釈尊にとりましては
21:5480歳になる自分の一生を振り返りながら
21:58私は29歳で善を求めて出家したと
22:03そして勝利と法の道のみを歩んできたんだという
22:07この釈尊の一生というものがある意味では
22:10ここに集約した形で示されているような
22:13そう思いますね
22:14もう一生を解雇してですね
22:17自分が今まで歩んできた道は
22:21これは善を求めた
22:22その善という言葉の意味ですがね
22:26元の文章ではカリアーナという言葉が使われているんです
22:31これは良きことなんですね
22:33だから道徳的に良いことももちろん意味しますが
22:36またその願わしいこと楽しいことも
22:40それを全て含めて言うわけです
22:43何でもとにかく良いこと
22:45とにかく良いこと
22:46我々の日常の表現で良いことって申しましょう
22:50良いことってそれなんです
22:52だからそこには倫理的な良いことも意味されているし
22:56また美しいこともですね
22:58それからまた能力のあること
23:00力のあること
23:03そういうことも含めて申します
23:06なんか善と言いますと非常に倫理的な意味で
23:09狭く取られかねないんですけれども
23:11そういう広いとにかく良いことを求めてと
23:14そこに釈尊の求められたものの内容と関わってくると思うし
23:21だんだんその具体的な内容を
23:23そうなんです
23:23人間にとって良いことと
23:25そういう意味ですね
23:26具体的にいろいろ伺っていきたいんですが
23:29それを考えていきます一つの手がかりといたしまして
23:35釈尊のおそらくこれは若い時代の
23:40十回がございますのでご紹介をいたします
23:44マハーナーマンよ
23:46私が悟りを開くより以前に
23:51欲望は楽しみの少ないものであり
23:53災いがはなはだしい
23:55ということを見通していたけれども
23:57しかし欲望以外のところに
24:00喜び楽しみを体験しなかった
24:03それよりもさらに良きものに到達しなかった
24:07したがってその限りにおいて
24:10私は欲望に見せられないでいると
24:13承知得るものではなかった
24:14万島二階は同じ中部経典でありますけれども
24:18先生これは釈尊が
24:21私も欲望に振り回されていたんですよと
24:23十回なんですよね
24:24そうなんですね
24:25若い時の反省なんですよ
24:27応急で育ち暮らした人でしたからね
24:31当時としては
24:32良い生活を体験した人だったと思うんです
24:35そうして若い人に
24:40そういう傾向が見られるのではありますが
24:42楽しいことを求める
24:44あるいは快楽を求める
24:45快楽というものがどうかするとですね
24:48この苦いもの毒を含む結果になる
24:52ということはそれは
24:53理屈の上では気づいていた
24:55けれどもですね
24:57快楽以外に目を向けるということを
25:02しなかったというその反省ですね
25:05だからやはり自分の
25:08先ほどの3つのおごりというものも
25:10何かこういう自我欲望というものが
25:13原因だということは
25:14分かってはいるけれども
25:15それじゃその欲望を
25:18しかるべく処理するというのは
25:20なかなかできないので
25:21結局欲望に
25:24身を浸した生活をしていたんですよ
25:26欲望に流されていたというんですね
25:28それの反面に
25:30さらに良きものに到達しなかったと
25:35言っているだけ
25:36何かその奥にあるんだと
25:37求めるものがあったことも
25:39この文章の中で
25:41そうなんでそこに反省があったわけですね
25:42さらに良きものもあるのではないか
25:44それを自分は求めようとして
25:47そこからその
25:48愚道道を求める生活が始まるわけです
25:51そうしたことで
25:52釈尊は29歳で出家をいたしまして
25:56伝承によりますと
25:586年間
25:59ないし7年間
26:01苦行の生活に入ったと
26:03伝えられておりますし
26:05様々な厳しい激しい苦行も
26:10やったようでございますね
26:12結局その後で
26:13苦行をしても
26:16悟りの知恵は開かれないということで
26:19苦行をやめて
26:20菩提寺家の禅情によって
26:22悟りを開くと
26:23こういうふうに
26:24仏殿の仏殿の伝記は
26:26続くわけですが
26:28苦行というのは当時
26:32盛んに行われていた
26:35実際に行われたことだと思いますね
26:37仏殿に
26:38そのお釈迦様が
26:39こういう苦行をなさいました
26:41ということが出ているので
26:42人によっては
26:45ちょっと疑うわけですね
26:46けれど
26:46いろいろな面で
26:47確かめられるんです
26:48一つはですね
26:50苦行物の
26:51彫刻の像が
26:54最近
26:54我々にも
26:56見られるようになります
26:58パーケスタの
26:59ラホール博物館に
27:00苦行像というのが
27:02あれはもうラホールの
27:03博物館で一番有名なものですが
27:05非常に苦行の姿が
27:08リアリスティックに
27:09出ておりますね
27:11胸が痩せさらば
27:14肋骨が見えるようになって
27:16お腹のところが
27:18本当に皮一枚で
27:19血管が見えます
27:21確か物展に
27:23お腹の皮を掴もうと思ったら
27:26骨を掴んだとか
27:27そんなような
27:28記述があったように
27:30記憶してますが
27:31本当にそれが
27:32如実に出るような
27:33苦行ですね
27:34まだその他にですね
27:36近年では
27:37それに似たような
27:40苦行物の
27:41彫刻が
27:42見つかっております
27:43だから
27:45その点でも
27:47確かめられる
27:48それからですね
27:49アレクサンダー以後
27:52ギリシャ人が
27:56インドに入ってきたわけです
27:57その旅行記というのが
28:00残っているんですね
28:01インドの実情を
28:03伝えています
28:03そうすると
28:04驚いて書いているんですが
28:06インド人は
28:07不思議なことをする
28:08というんですね
28:09断食の苦行から
28:11始まってですね
28:12崖から
28:12身を投じたりですね
28:14それから
28:15初日に
28:16身を晒したり
28:18途方もない
28:19苦行を
28:19行っているものが
28:20いるって書いている
28:21だからそこからも
28:23確かめられるわけです
28:266年苦行って
28:30よく言うんですけれども
28:31今先生の
28:33おっしゃいましたような
28:34いわば
28:34宗教的業法としての
28:36苦行を
28:376年間続ける
28:39というわけでは
28:39おそらくなかった
28:40と思いますので
28:41いわゆる当時の
28:43出家者門としての
28:45屋根のないところで
28:47のに伏し
28:48ホラー穴の中に
28:49拓発して
28:51人のいない
28:53林の中で
28:55瞑想をするとか
28:56私道にとっては
28:57それがもう
28:58苦行の
28:58みたいに
28:59見えますけれども
29:00そうした
29:01厳しい
29:03修行をして
29:04おそらくそこで
29:06自我欲望というものを
29:08抑えていく
29:09修行は
29:10かなりされたんだろう
29:11と思うんですけど
29:12原始仏典の中でことに
29:14古い
29:15層の聖典ですね
29:16そこに出てくる
29:18仏教の修行者の生活
29:20というのが
29:21今言われたようなことですよ
29:23野外に
29:24伏したり
29:25それから
29:26ホラー穴の中に
29:28こもったり
29:29あるいは
29:29大きな木の下で
29:30ですね
29:31全城を
29:32押しすると
29:33今の人から見たら
29:35これはやっぱり
29:36苦行でしょうけどね
29:37当時の
29:38もっとひどい
29:40苦行者の
29:41実践に比べたら
29:43よほど
29:45楽な暮らし
29:46だったと思います
29:48そういう生活で
29:50修行をしながら
29:51もう一つ
29:52知恵が
29:53ひらめかないといいますか
29:55結局
29:56全城の生活に
29:58入られて
29:59悟りを開いた
30:00こういうことになっております
30:01そういうわけですね
30:02じゃあその
30:04悟りを開かれたときに
30:06先ほどの
30:08禅を求めて
30:09出家したわけですが
30:10じゃあ
30:11悟りを開かれて
30:12どういう
30:13禅なのか
30:14ということで
30:15一つ
30:16仏典を
30:17ご紹介を
30:18いたしたいと思います
30:19いかなる
30:21所有もなく
30:22執着して
30:24取ることがないこと
30:25これが
30:27島に
30:27他ならない
30:28それを
30:29ニッバーナと呼ぶ
30:31これは
30:32老衰と
30:33死の
30:33消滅である
30:34スッタニパータで
30:36ございますので
30:37原始物典の中でも
30:38一番古い
30:39経典かと思いますが
30:41先生これ大変重要な
30:43ことがたくさん書いてあるので
30:44そう思います
30:45まずその
30:47言葉の面から
30:50ちょっと伺いたいんですが
30:51ニッバーナというのは
30:53ネハンという
30:55そうなんです
30:55日本で普通
30:57ネハンですね
30:58これ
30:58サンスクリット語では
30:59ニルバーナと申します
31:01それが
31:02パーリ語とか
31:03その他の俗語では
31:04いくらか崩れて
31:06ニッバーナ
31:06という
31:07同じことです
31:08ネハン
31:09お悟りだと思いますが
31:11その所有もなく
31:13執着して
31:14取ることがない
31:15これが島に
31:17他ならない
31:18これはどういう意味で
31:19ございますか
31:20これはですね
31:21つまりニルバーナの
31:24境地を目指すわけですが
31:26なぜニルバーナと
31:27理想の境地を
31:29呼ぶかと申しますと
31:30我々の
31:31煩悩の火が
31:32吹き消されて
31:36もう煩悩に
31:38苦しめられなくなる
31:39状況を
31:40理想として
31:42目指したわけです
31:43ニルバーナという
31:44言葉を使うわけですが
31:46それはその
31:46最後の
31:48頼りにされている
31:50その頼りと
31:51いう抽象的な表現じゃ
31:53分かりにくいから
31:54それで島と
31:56言ったわけですが
31:57あるいは
31:58巣と訳した方が
31:59もっと
31:59実際的かもしれません
32:01つまり
32:02インドのような
32:03のっぺりと
32:07広く広がっている
32:08大陸では
32:09洪水が起こりますと
32:11そうすると
32:12一面に
32:13水浸しになるんです
32:14人間でいるとこが
32:15ないわけです
32:16そこにちょっと
32:16巣がありますと
32:17そうすると
32:18人のそこへ
32:19避難してきて
32:22水が引くまで
32:23大陸にしている
32:24わけでしょう
32:25やはり
32:26こういう
32:27海の中の島とか
32:29川の中の
32:30中す
32:30とにかく
32:31大地でありまして
32:32動きませんし
32:33そうなんです
32:34よりどころ
32:34って言いますか
32:35よりどころですね
32:36それにも
32:37頼っていれば
32:38安心である
32:39そういう意味の
32:40例えと言いますか
32:42表現だと
32:43そういう
32:44趣旨で
32:46しまっとがす
32:47という言葉が
32:48使われたんだ
32:49と思います
32:49そうしますと
32:51いかなる
32:52所有もなく
32:53執着して
32:54取ることが
32:55ないこと
32:55これが
32:57人間として
32:58よりどころと
33:00なるのである
33:01もう一つ言えば
33:02釈尊は
33:03善を求めて
33:04出刑されてきた
33:06わけでございますし
33:07その
33:08善なるものが
33:09ニッバーナで
33:10あろうかと思いますし
33:12それが
33:13所有もなく
33:14執着して
33:15取ることが
33:16ないこと
33:16言葉としては
33:19大変
33:19簡単に
33:20見えるんですけれども
33:21もう少し
33:22この辺の意味を
33:23先生
33:23ご説明いただきたいんです
33:24この原点には
33:26それだけの
33:27言葉で
33:27表現されている
33:28んですね
33:28自分のものだと思って
33:32執着することが
33:33なければ
33:33苦しむことが
33:34ない
33:35それは一体
33:37どういうことなんだろう
33:38これを
33:39高台の仏教の
33:40哲学者が
33:41ずっと追求した
33:42わけです
33:43自分がここに
33:44例えば財産を
33:45持っている
33:45と思いますよ
33:46けどそれも
33:47よく考えてみると
33:48他の人が
33:50力を合わせて
33:51作り出してくれた
33:52もんでしょ
33:53たまたま
33:54この
33:55まあ
33:56なんだかの
33:57理由によって
33:58自分に
33:58帰属している
33:59というだけのことで
34:00自分が
34:01死んでしまえば
34:02それは消えてしまいますわね
34:04それから
34:04生きている間もですね
34:06それが
34:07自分だけの
34:09ものだといって
34:10誇っていいのか
34:11奢っていいのか
34:12どうか
34:12他の人の力が
34:14こうずっと
34:15集まってきて
34:16自分のもの
34:17というのが
34:17作り出されているんだから
34:19もっと
34:19奥深く
34:20考えてみると
34:21もう
34:21世のあらゆる
34:23人々のもので
34:24あるいは
34:25宇宙万有が
34:28ここに
34:29力を合わせて
34:30作り出してくれたもんですね
34:31そう思うと
34:33自分のものだ
34:34自分の所有だ
34:35と思うものに対しても
34:37見方が変わってくるわけですね
34:39本当にそうなんですね
34:41実は
34:41比較的
34:42最近でありますけれども
34:44私のところへ
34:45会う
34:46中年の方が
34:48やってみえまして
34:49この不景気な時代に
34:51大変
34:51儲かってしょうがない
34:52大変
34:53生き健康たる
34:54胸を叩きましてね
34:57私は一人で生きてる
34:59誰の世話にもなってないと
35:01おっしゃるんですが
35:03考えてみると
35:06随分
35:06それこそ
35:07おごった言い方だと思う
35:09そういうことになるんですね
35:10その方に申し上げたんでございます
35:12その方と話をしたんですけども
35:15例えばあなたが着ていらっしゃる
35:16洋服にしたって
35:17いろんな人の手を経てるでしょうと
35:22申しましたら
35:23いや
35:23私が稼いだお金で
35:25私が買ったんだから
35:27私のものだという
35:28お金で見ればそうかもしれませんけれども
35:32反面に
35:33お金さえ出せば
35:34洋服がスッと手に入るという
35:36体制そのものが
35:38いろんな商売の方の
35:40いろんな世の中の人の流通機構であるとか
35:43いろんな方の関わりの中で
35:46存在しているわけですね
35:47無数に多くの人の力といいますかね
35:51努力といいますか
35:52それが集まって
35:53それでその人の生活を可能ならしめ
35:57意識面においては
35:59俺は
35:59俺一人で生きてるんだと
36:01そういうことも
36:02言わしめるようになったという
36:05それだけのことで
36:07深く突っ込んでみますとですね
36:08もう
36:09いかなる人も
36:11あらゆる人々と
36:12連携ができて
36:14その連携の上に
36:16生きているわけですよね
36:17そうしますと
36:19日常生活の中でも
36:22自分ではこうだと思っていたものが
36:25ふっと見方を変えると
36:26なるほど
36:28大変な執着があるなと
36:30こだわっているものがあるなと
36:32いうことがあろうかと思いますし
36:34同時に釈尊の場合
36:36老病死ということについて
36:39大変悩まれた
36:403つのおごり
36:43高ぶりを
36:44ご自分で
36:45自覚をされて
36:46結局
36:48その
36:48老病死というものに
36:53裏腹の若さとか健康とか
36:55生存というものを
36:57私は若いんだと
36:58私は生きているんだという
37:00執着が
37:01実は
37:02充実した生き方を
37:04妨げているものである
37:06こうした考えに
37:07戻ってきておられると
37:09こんなふうに考えて
37:10よろしいでしょうか
37:10そういうことになるでしょうね
37:13で
37:13おごりというものの
37:15根本を考えてみますとですね
37:19自分自身の生存というものが
37:22ありとあらゆる力に
37:24生かされているという
37:25それに気づかないからだと思うんです
37:28で
37:28これをその別の表現で言いますと
37:30ことに後の仏教になって
37:31特に説くんですが
37:32これは天地の恩を
37:34受けていることになるんですね
37:35さらにまた
37:36あらゆる人々の恩を受ける
37:38生きとし生けるもの
37:40主情の恩を受けているわけです
37:42そこに目覚めるとですね
37:44そうするともう
37:45そのコセコセしないで
37:47執着しないで
37:48生きていくことが
37:50できるんじゃないでしょうか
37:51そうした
37:53いわば発想の転換といいますか
37:55そういう考え方が
37:57出てくるということの裏には
37:59自我欲望というものを
38:01どうしてもそこに
38:02のほずにさせないで
38:03抑えていくということがないと
38:05そういう形での
38:08発想の転換と申しますか
38:11自分自身を見つめていくということが
38:13できないかと思いますが
38:14やはり釈尊は
38:16苦行というものによって
38:19そうした欲望を
38:20いろいろ訓練し
38:21そして悟りによって
38:23知恵を得てきた
38:24その辺が先生また一つ
38:28大変難しいかと思うんですけども
38:30苦行を捨てて
38:32悟りの知恵を
38:34全情で悟りを開かれたわけですが
38:37やっぱりこの苦行は
38:39捨てないといけなかったんで
38:41ございますかしらね
38:42これはね
38:43つまりその
38:44人間の身体を傷つけるような苦行は
38:49やめる
38:50けれども
38:51苦行という言葉は
38:53仏典でも使っていることがあるんですよ
38:55あれは難行という言葉もありますがね
38:58なかなか行いがたいことを行う
39:00だから実践には
39:02依然として
39:04努めようということです
39:06そうしますと
39:08じゃあ確かに
39:10その野に伏し
39:11ホラー穴の中に寝るというのは
39:14当時の出家修行者の
39:15一つの生活形でありましたし
39:17そうした生活の中で
39:20身を傷つけるような激しい苦行もされて
39:23そうした苦行は結局
39:25身を傷つけるだけだと
39:27それよりもむしろ
39:28自我欲望というものを抑えながら
39:34一つの法に導かれて生きていく
39:37そういう生き方を
39:38釈尊はこの悟りの中から見出された
39:42こう見てよろしい
39:43そういうことになるだろうと思いますね
39:45当時苦行をやる人がそんなにいて
39:49また釈尊もそれに一時
39:51気を取られたのはなぜかということになるんですが
39:55現代の人だったら苦行なんて馬鹿らしくて
39:58やらないと思うんです最初から
39:59ところがその時代の人が
40:02気を取られたというのは
40:05当時インドには昔から一つの信仰がありましてね
40:09これはインドばかりじゃない
40:11原始民族みんなに見られることですが
40:14特殊な苦行や修行をすると
40:16その修行者に特殊な重力が備わる
40:20霊力が備わる
40:22不思議な力が備わってですね
40:24それで幸福を実現することもできれば
40:29祈願を常時することもできると
40:32だからこそ苦行をやるという
40:34そういう一種の信仰があったわけですね
40:38ところが釈尊は考えてみて
40:42身を傷つけるような苦行というものは
40:46これは意味のないものだ
40:48それよりも人間が本当に生きる道というものがあるんじゃないか
40:52そのために実践すると
40:54そのための努力というものは
40:57これは大いに説いたわけですね
40:59それでは悟りを開いたからといって
41:03もう農事終わりと
41:04これで全て終了ということではなくて
41:09むしろ悟りというものの知恵が開かれたからこそ
41:13毎日の生活の中に努力をしていくという
41:17そういう一つの何て言いますか
41:20そうしますと悟りというものが確かに
41:22釈尊の宗教体験でありますから
41:25はっと思い当たられることが当然あったわけでございましょうし
41:29同時にあとはもう昼寝してていいということではないわけですね
41:33これは世間で誤解もあると思うんです
41:36俺は悟ったんだ
41:38だからもう今後は俺は何やってもいいと
41:41そういうようなことを考える人も今までなかったわけじゃないわけですね
41:45けどそれは間違いなんですね
41:47悟りというのはどこにあるのか
41:49これは人間が本当に生きるべき道を実践すること
41:54追求すること
41:55道を求めること
41:56その中に悟りがあると考えるべきじゃないでしょうか
42:00その辺のことをピチッと書いた経典がございますので
42:04ご紹介をいたしたいと思います
42:06我ありとする不当な考えの根本をすべて制止し
42:13うちに損するいかなる盲衆をも制するために
42:19常に心して学べ
42:21スッタニパータ916でありますが
42:23常に心して学べってあるんですね
42:28そこに非常に深い意味がありますね
42:30先生ここに
42:32我ありとする不当な考えの根本を制止すると
42:35ちょっと言葉が難しいんですが
42:38少しご説明をいただきたいんです
42:40これは原文に出ている通りに直訳して翻訳したわけなんですが
42:46誰かがですね
42:49我がここにいるんだと
42:51これは他の人からは全く確実したものなんだ
42:54だからもう他の人の感傷も受けないし
42:56何やってもいいんだと
42:58そう思うとですね
42:59これは非常な間違いになるわけですね
43:02我というものがあらゆる因縁力に恵まれて
43:10ここにいるわけなんですが
43:12それにやっぱり目を向けなきゃいけない
43:14目を開くべきなんですね
43:16そうなりますと
43:19間違った自己主張というものはなくなると思うんです
43:21自我の尊重ということがこの頃言われておりますが
43:26それはその人に対してですね
43:29他人のそれぞれの存在も思いやりを持って考えようという意味では
43:35自我を大いに認めるべきです
43:37しかし自分に対してはですね
43:40自我というものを勝手に主張して
43:47他の人に迷惑をかけたり損なったりするようなことがあってはならない
43:52ところがこの頃はですね
43:54その自我の確立ということが間違った意味に理解されているんじゃないでしょうか
43:59社会生活の中で一般に言われている時と
44:05それから仏典などで出てくる時と
44:08やはり本来含んでいる意味を少し注意して
44:14弁別しないと
44:16混乱を起こすかもしれないなと
44:20時々私も思いますですね
44:22先生今おっしゃいましたように
44:24例えば子どもが自我を確立していく時期であるとか
44:28いうようなことを使いますし
44:30当然人間の心理的な発達の中では
44:34自我というものが
44:36順調に発達しなければいけないわけでございましょうし
44:40社会生活の中で光るべき形で
44:44社会生活のさまざまな倫理的な枠組みの中で
44:51自我を主張するということはやはりなければ
44:53生きていけないだろうと
44:55そういうことになると思います
44:56それについての誤解がですね
44:57西洋にもあると思うんですね
44:59この頃その西洋の新しがりの人がですね
45:02しきりに禅に飛びつきますね
45:05禅の書物なんかよく読まれているんですが
45:08禅の構想の行い方を
45:13自己流に勝手に誤って解釈することがあるんですね
45:16つまり禅の構想の行動の中には
45:19時には異様に見えるようなことがあるわけです
45:23これは昔からの固定した印象に反抗してですね
45:29禅の構想が昔ああいう行動をしたわけです
45:32ところが今の外国のビートニックはですね
45:36自分のしたい放題買って放題やって
45:40ディシギズゼンとやるわけですね
45:43これは間違いだと思うんです
45:44どうしてもその
45:46自我欲望というものを
45:49振り回している間は
45:52ものの本当の姿はやっぱり見れないだろうと思いますし
45:56そうして近代文明に
45:58やはりそういう過ちが付随しているんじゃないですか
46:01なるほど
46:02近代文明は自我の自覚から始まると言われてますね
46:05それは確かにそうですが
46:06その自我の自覚の仕方というものが
46:09なんかその
46:10自分のわがまま欲望を勝手に通せば
46:14それでいいんだと
46:15いう具合に
46:17捉えている傾向は
46:19ないんじゃないんじゃないですか
46:22そうしますとそれだけに先生
46:23今ずっと
46:25お話を伺ってまいりました
46:27借存ないし仏教の正しい自我のあり方を見るということが
46:33特に現代においても
46:35必要なこととなってくるように思いますけど
46:37そうですね
46:37あの
46:39そうですか
46:40我ありとする不当な考えの根本を全て制止すると
46:44なるほど
46:45要するに自我とあるいはエゴですね
46:49エゴですね
46:50エゴといった方がはっきりしますね
46:52わかりました
46:53そうしたものを
46:55これはさあもう私なくしましたよということは
47:00おそらくできないだろうと私は思いますので
47:03生きている限り常にそれは出てくるわけな
47:06それを出てくれば潰し出てくれば
47:09抑制しながら心して学べというのは
47:13そういうことかと思いますし
47:15そういうことになると思いますね
47:16その
47:16生きている限り人間がですね
47:19自分はこう行きたい
47:22あっちの方向へ行きたいと
47:23いろいろなことを欲するわけですね
47:25ノコーズにしてたらどっちへでも行くわけです
47:28けどそうじゃなくて
47:30本当の生き方っていうものはどうだろうってことを
47:33自分で考えてみてですね
47:34で
47:35自ら整えるわけですね
47:37制するという表現で訳しましたけども
47:42あるいは整えるといった方がもっといいかもしれませんですね
47:45その整え方をもう少し具体的に示した
47:50釈尊の言葉がございます
47:52ご紹介をいたしますが
47:55この世において見たり聞いたり考えたり
48:00識別した怪微な事物に対する欲望や
48:04むさぼりを覗き去ることが不滅のニッバーナの境地である
48:09三ユッタニカーヤ
48:11これも原子物点の中で比較的古い方の物点かと思いますが
48:17先生ここはかなり具体的に書いてございますね
48:21我々が生きている限りですね
48:22いろんな対象を経験するわけです
48:25いろんなものが向かってくるわけですね
48:28そうするとそれ
48:28あああれもいいなこれも欲しいななんて思っているとですね
48:32その向こうからやってくるものに振り回されてしまうわけです
48:36それに対して自分はどういう態度を取るべきかという
48:41その自主的な態度を確立するということ
48:44そこに理想の境地がある
48:48それを仮にニッバーナと呼んでいるわけです
48:51どうも先生仏典というのは文字通り読みますと
48:55誤解を招きやすい表現がかなりあると私は思うんですが
49:00今の文章でもですね
49:01いかにも欲望を捨てよというような
49:05ところが現代は欲望の時代であると言われているぐらいなんです
49:08欲望がなかったら人間生きていけないではないか
49:11人間の欲望が文明を発展させたものである
49:16という考え方がございます
49:18それはそれなりで分かるんですけれども
49:20欲望をどっちに向けるかということですね
49:22確かに文明発展の原動力になるでしょうけど
49:24私の法人していたらですね
49:26また文明破壊の原動力にもなる恐れがあるんじゃないでしょうか
49:31ですからその欲望というものを先ほどのお話で
49:36整えていくというこれはやはり
49:39それを欲望というのはもちろんゼロになるわけないんですから
49:46欲望がいい方面で働いていく面では構わないけれども
49:51それが人間を破滅に導く方向で働くこともございますし
49:56個人の例えば老病死に悩むというような場合でも
50:01不必要な整えない欲望の働きというものは
50:06やはり人間の幸福な生活を破壊していくものだろうと
50:12こう思いますんですが
50:13そうした欲望のあり方を書いた経典がございますので
50:24最後にご紹介をいたします
50:26何者かによることがなければ
50:31動揺することがない
50:33そこには信心の軽やかな乳難性がある
50:38行くこともなく没することもない
50:41それが苦しみの終滅であると説かれる
50:45ウダーナバルが26-20ということでございますが
50:50ここには先生欲望というものを
50:55整えていったときに動揺することがない
51:00それが信心の軽やかな乳難性がある
51:03なんか言葉とすればごく平凡な言葉なんですが
51:07これが自分の人生に本当に生き生きと
51:10乳難性が働いてきたらさどかし楽しかろうとも思うんですけれども
51:14これいい表現だと思いますね
51:16これが望ましい教師じゃないでしょうか
51:20信心が軽やかだということは
51:23おそらく何でございましょうね
51:25肉体と心なんで
51:27そうしますとそれが
51:29整えられない欲望
51:33好ましからない欲望というものを振り回しますと
51:38不当に生かされているという自分を見失って
51:45私一人で生きているといったような無理が一つ出てきたり
51:49こうなんかとらわれてますとね
51:51そうすると相手の人にいくら迷惑をかけても構わない
51:56害を与えても構わない
51:57これやってしまえというようなことになるわけですね
52:00そういう現象が世間ではいくらでも見られますけど
52:04先ほど我ありという不当な思いということなんですが
52:11もう少しそれ具体的に言いますと
52:14私がということ
52:17それから私のものがという
52:20二つのものを常に私ども主張していると思うんですね
52:24ですから釈尊の老病死の悩みにいたしましても
52:31私の若さだと
52:33私の健康だと
52:35私の命だと
52:37こうなんか握りしめて
52:38ところが何ぞ計らん
52:41無常なる世の中でありますから
52:44みんなそれが崩れていってしまう
52:46そこの私のものだという自我を振り回している
52:52それが崩れてゆかざるを得ない
52:54そのギャップが大変私どもに悩みの種になってくるかと思うんですけれども
53:00その道理に気づけばですね
53:05そして今度私がってこの私をですね
53:08生かすことができる
53:10あるいは私のものというのをですね
53:12それを生かすことができると思うんです
53:15無理に抱え込むような立場を取ってますとね
53:20生きてこないわけですね
53:21自由に生かし得るその境地というものが
53:25乳難心ですね
53:26この心身が柔軟になると
53:29目指すところに向かって自由に生かすことができる
53:35その境地が望ましいんじゃないですか
53:40これ仏典にねよく出てくる言葉ですが
53:43飛ぶ鳥のたとえというのがありますね
53:46ございますですね
53:47あの
53:48願わしい境地というのをどう表現するか
53:53まあ火を持ってですね
53:56この
53:57飛ぶ鳥が
53:59大空を自由に飛びまして飛翔していると
54:03そうするともう
54:04欲するがままに飛んでいるわけですが
54:07それでもちゃんと帰る道は知っているわけですね
54:09帰るべきところへちゃんと向かって進んでいくわけでしょ
54:13あの自由な境地
54:15そして後に何も残さない
54:16汚れを全然残さない
54:19後も残さない
54:20清々しい境地
54:21これがまあその仏典にも出てくるし
54:26道元禅寺の歌なんかにもございますがね
54:29ああいう境地がその実践の理想ということになるんじゃないですか
54:33ちょっと正確に覚えていないんでありますけれども
54:38鳥がこう行くも帰るも後耐えて
54:41されども道を忘れざりきりでございます
54:45ちょっとうろ覚えでございますけれども
54:47そうしますと大変先生重要なことだと思うんですが
54:53私がとか私のものだという
54:56要するに義が欲望ですね
54:57それがなかったら私どもの生活になりたくないわけで
55:01ところがそれをなくせっていうのではなくて
55:07それの実態を知ると今先生確かおっしゃられた
55:12それがどういうものかということを知ることによって
55:15それを乗り越えていくということですね
55:17そうです
55:17なるほど
55:18空を鳥が飛んでいくというのは非常にポエカルな表現ですがね
55:27もう少し具体的な表現をしますとですね
55:30例えを持ってきますと
55:32例えば車のドライビングだって同じだと思うんですね
55:35いろいろしちゃいけないことがいっぱいあるわけですよ
55:38けれどそれを身につけている人はですね
55:40ゆうゆうとこのドライブして
55:43自分がドライブしているということを
55:46わざわざ意識しなくても
55:47決して規則に反したことはしないわけですね
55:50世の中に生きていくにも
55:52そういう自由活発な境地ということが可能だと思うんですね
55:57本当に達した人でしたら
55:58いいとか悪いとか
56:01正しいとか正しくないとか
56:04それぞれの境界に応じて
56:06人みんなその社会の中で生きている場が違いますし
56:13個人が性格も育ちもみんな違うわけですから
56:18同じこうすべしということは言えないけれども
56:22それぞれの環境の中で自分が正しいと思うことを選び取っていく
56:27その選び取っていくのが
56:29いちいちさあこれはいいことだからやりましょう
56:32悪いことだからやめましょうと
56:34確かにそういうふうに意識して選び取っていくことは
56:37もちろんあるわけですけれども
56:39それがさらに慣れてきますと
56:42自動車の今先生のおっしゃった運転のように
56:48特に意識しなくても手足が自由に動いていく境地
56:53そういうことなんです
56:54それは今度逆に個人個人が主体となって決めることでしょうね
57:00命名の人の置かれている場所が違うわけでしょ
57:03老いたちも違うわけでしょ
57:05昔から受けている影響とか教育とか
57:09目は違うわけですが
57:11その違いに応じて個性を生かしていくということ
57:19これがその立場から出てくるんじゃないですか
57:22シャクソンの老病死というものに悩んで出家をされたと
57:29それは決して死ぬのが嫌だとか
57:32病気になるのが嫌ですって
57:34ただそれだけのことではなくて
57:36死にたくないという気持ちと
57:40死なねばならないという意識の現実のギャップに悩む
57:44シャクソン個人の問題よりは非常に普遍的な心を問題としながら
57:51それを自我欲望というものを
57:54自ずと自由に整えられるような形に
57:58身を処していくことによって
58:01シャクソンの善を求めた生活
58:05涅槃というものがあったと
58:07こういうことかと思いますけれども
58:09そこに自由自在の境地が実現されるということになりましょうね
58:13本日はどうもありがとうございました
58:14ありがとうございました
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