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  • 2025/6/17
トランスクリプション
00:00奈良 イカルガの里
00:10世界最古の木造建築 法隆寺の画欄が並んでいます
00:16五重の塔や近道のある祭院を過ぎると
00:22山道の先には夢殿のある塔院があります
00:30サインガランの近くにある祥陵院
00:37インド哲学の権威であり仏教学者である中村はじめさんは
00:53聖徳太子の思想と行動に深い感銘を受け
00:57これまで法隆寺をたびたび訪れています
01:00国宝 聖徳太子座像
01:16図紙の奥にはこの度新しい障壁画が奉納されました
01:23高さ84センチ
01:27ヒノキの寄せ木造りは平安彫刻の傑作と言われています
01:32威厳に満ちたお姿は
01:4245歳の時の大使を表したものと伝えられています
01:46お子様にお勇気を伝えた speき
01:55こうして拝ませていただきますと
01:57中々お寿司の中が非常に明るく見えると
02:02そうなんですね。前山大使のこの王像が非常に聡明な眼差しで、何か私どもの心の仲間でもじーっと見通されるような、伝説によりますと、この大勢の人の訴えを同時に聞いたと言われますが、
02:29それを思い出して、心の奥まで見透かされるような、そういう気がしたんでございますが、今ここで拝見しますと、あの、蓮の花でありますね。本当に明るくて、コンデに生えております。
02:52何か全然違った、明るい、浄土の中に大使様がお座りになっている、そういうような感じを受けます。
03:07大使のお像を拝んでおりますと、あの、お口元がね、何かこう、話しかけるように、言葉を発しておられるかのような印象を受けるんでございますがね。
03:26これがやっぱり、その、産業をこの、ご講義なさったという、
03:35まあ、その事実と信仰から、ああいうお像を特別に作られたんでございます。
03:41そうですね。そして、あの、大変この厳しい、あの、この、お顔立ちと申しましょうか。厳しいですね。
03:48厳しい中に、何かこう、じっとこう、お参りしてますか。そうです。
03:52厳しい中に、暖かみがあるんですね。厳しい中に、暖かみ、お慈悲の光が見られますですね。
03:57はい。
03:59まあ、本当にもう、またとない、たっというお像でございますが、また考えてみますとですね、世界でも類のないものだと思うんですね。
04:15はい。
04:16あの、南アジアの方でも、お経の降参はなされますけれども、この、世俗の皇帝とか大使などが、抗議なさってことはないんでございますね。
04:34それから、その、西洋の方を見ますと、まあ、キリスト教を盛んにしたのは、コンスタンテヌス帝だと言われておりますが、あの、コンスタンテヌス帝に対する信仰っていうのはないわけですね。
04:47で、教会へ参りましてもね、コンスタンテヌス帝の、その、お像っていうのは、端っこの方にあるんですね。
04:55ところが、こちらではですね、こうして、少領殿が、もう特別に、あの、儲けられましていて、皆様、お参りになっておられましょう。
05:03はい。
05:04そして、大使が、この世俗の、まあ、統治者でありながら、しかも、この、仏教を世の中に生かすのに、一番適当だと思われました。
05:15正万行、弦万行、それから、法華経、特に選んで、ご公さんになられたということですね。
05:23これは、この、まあ、あとは、この、私などの、まあ、浅はかな、この、創造でございますが、
05:31仏教の精神を、この世俗の生活の中に生かそうと、それを身をもって示してくださっていると、
05:40そういう理想が、この、お像にも具現されているような、まあ、そんな気がするんでございます。
05:49で、あの、美しい、見事な山外が上にございますね。
05:54そうですね。これもやはり、あの、インドの彫刻なんか見ますと、この、あれですね、古い時代の仏像にはなくて、むしろ、
06:06むしろ、岸穴王朝以後、この、世俗のこの長者がですね、ああいう飾りをしていたのだろうと、
06:17それが、あの、菩薩像にですね、まあ、映されるようになったと、まあ、学者は考えているんでございますがね。
06:27で、そのお姿が、ここにまた、こう、日本人独特の仕方で、生かされているような気がいたします。
06:36その、えー、大使のご理想が、あらためてこう、直に、こう、目に訴えてくるという、
06:46なんか、そんな感じがしますでございます。
07:03インドから中国に伝えられた仏教は、6世紀の半ば、朝鮮半島から日本に渡り、奈良に至りました。
07:12それから、わずか数十年の後、仏教の教えに基づいた理想国家の建設が、聖徳太子の手によって始められます。
07:23しかし、それまでには、幾多の困難な道を越えなければなりませんでした。
07:30新しい思想を持った仏教。それを受け入れようとする蘇賀氏と、反対する物延氏が激しく対立し、朝廷を二分する争いとなりました。
07:57この激動の中に、大使は少年期、青年期を過ごしたのです。
08:04スイコ元年、西暦593年。スイコ女帝の即位とともに、20歳の若さで大使は摂政となります。
08:23先生、ご承知のように、古い時代から、この大使様の体内には、久瀬観音様がですね、お入りになっておると。
08:34伺っておりました。
08:36そういう記録がございますし、明治の時の修理の時にも、それを確認したという記録と、写真が残っております。
08:46それを拝見していますと、ごくその寺の一部の方と、また修理の関係者の方、そういうほんの一部の方がその秘物をお参りしておられるというふうな記録がございました。
08:59そこで、我々一番心配いたしましたのは、それ以来、全然なかを確認しておりませんので、どのような状態で安置がされ、保存になっておるかというのが関心事でございました。
09:13ちょうど法隆寺では現在、法隆寺昭和資材地を作りということで、
09:18伺っております。
09:19法隆寺のいろんな時法類をきちっと整理し、修理して、将来へ伝えていきたいということの一環といたしまして、
09:28この修理の時に、レントゲン写真でですね、中の状況、これから将来もこのような状況でいいのかどうかというふうにもございますので、確認をさせていただきました。
09:43ちょうど現在ではお腹の、胸のあたりに正面に癖寛能が安置されております。
09:50そうですか。
09:52その近くに、正万行、飯間京、北京の三行がですね、平安時代の社境でございますけれども、それも中に安置されております。
10:03まあ、若干この、やはりこう、動いておるものであるんですけれども、それでやはり将来のためにはまっすぐ、中の秘物も安置をしてということもございまして、
10:15この修理の時に、また再び一度、その秘物をお出しをさせていただいた。
10:20はいはい。
10:21私は、やはり寺のもの、また関係者が集まりまして、奉仰しましてですね、この胎内物をお出しいたしました。
10:27大変立派な、この癖寛能像が、お出ましになった。
10:32大変もう感激と、有難さと申しましょうか。
10:35それで私より考えたんでございますが、たまたま、我々、そういう時期におらしていただきましたおかげでですね、そういう癖寛能をお参りすることができたわけでございましてね。
10:45できれば一つ、この機会に、広く皆様方、一般の方々、ご希望の方々にですね、
10:53くしょつ、お参りをいただければどうか、これも聖徳太子のご放送につながる。
10:59そうでございますね。
11:00というふうに考えまして、その時、ご会長をしたんでございます。
11:05もう大変な人出でございまして、皆様方、長い方は何か4、5時間、熱を込んでですね、
11:14お参りするために並んでいただいたというふうな、大変盛況ぶり、そういう姿を見ておりまして、
11:21やはり、聖徳太子に対する皆様方のご信仰というのがですね、今なお、極めて熱いということをつくづく書いたんでございます。
11:29そうでございますね。
11:31いや、お会長のそのお話は伺いましたんでございますが、即分いたしておりましたが、そうですか。
11:40で、その、久瀬観音様のそのお像というのは、夢殿のあのお像とは似ておりますか。
11:49いや、またちょっと。
11:50また違いますか。
11:51違うでございます。
11:52はい。
11:53それはつまり、その、久瀬観音というその、まあ、アイディアと申しますか。
11:57はい。
11:58それがその同じです。
11:59そうだよね。
12:00それでまた違ったお姿なんでございますね。
12:02はい。
12:03だからちょうど聖徳太子の伝記ができました頃に、このお像が出来上がっておりますので、
12:08あの伝記の中では、あの、久瀬観音の生まれがありという、もう信仰がございます。
12:13はいはい。
12:14あの、それを踏まえて、この太子の体内で久瀬観音を、あの、暗示したのではないかろうか。
12:20そうでございますよね。もう、太子様がその久瀬観音の生まれ変わりであられるということは、いろいろな本に出ておりますですね。古い時代の。
12:30あ、そうですか。
12:31それと私、あの、特にですね、先生、あの、法隆寺にはたくさん、小金動物、あの、久瀬観音とはじめですね。
12:37はいはい。
12:38たくさん小さな、あの、仏像が、あの、お寺に伝わっておったわけではないですが、その大半が、現在、あの、県の法物としてですね。
12:48はいはい。
12:49あの、東京博物館に、四十八太子というのに、あの、安置されておりますけれどもですね。
12:56あの、ここへ、その、体内へ入れるべく、その、久瀬観音をですね。
13:02はい。
13:03どうして選んだのかという、ちょっとそのね、私の、あの、興味がございましてね。
13:08はいはい。
13:09この大使様の体内に、久瀬観音をお入れする。
13:12そう、たくさんがある中で、ど、どれをということで、特に選んで入れただろう。
13:16これはまたその頃の方のご期心がございましょうね。
13:19はい。ただ、あの、その頃は、あの、特に聖徳太子のですね、おそらく、その、あの、自社と言われておりますが、長志丸という方がおられますが、そういう方たちが、あの、聖徳太子の念事物であるとか、というふうなことで、寺の方で、ずっとこの大事にしておったね。
13:37ああ、そうです。
13:38何かそういうふうな伝承がある像を選んで、お入れしたんじゃないかな、というふうなことを、特別にご遺書のあるもの。
13:46はい。
13:47はい。
13:48そういう、体内の秘仏を拝みながら、ちょっとそういうことを感じたんじゃないかと思います。
13:53目をそっと閉じ、深い瞑想に浸る柔らかなお顔。
14:12その表情は、聖徳太子の理想である、人々の安寧を願う心そのものです。
14:20体内仏の癖観音は、亀と不老不死の霊山、蓬莱山をかたどった上に立っています。
14:41当時の人々は、仏像を拝むことによって、慈悲の精神を心に刻んだことでしょう。
14:48今、癖観音は、再びその形で、大師像の体内に収められています。
15:13観音は、いろいろな就職語がつくことがございますけれども、
15:24クセ観音という言い方は、日本だけなんです。
15:28しかも、聖徳太子に関してだけ用いられているんですね。
15:33お隣の韓国なんかでは、やはり観音信仰は盛んです。
15:38中国でも盛んです。
15:40けれども、アジア大陸の国々では、
15:46苦を救う観音という言い方をするんです。
15:50苦苦と申します。
15:52あるいは苦難、難儀なことを救う観音様という。
15:59似たようなことですけどね、意味がちょっと違うんですよ。
16:03苦しみを救うというのは、個人的なことでしょう。
16:07例えばですね、観音業なんかにも出てますけど、
16:11牢屋に捕らえられた者でも、苦しみを受けているわけですが、
16:20観音様を念ずれば解放されるなんて、そういうようなことを言うわけです。
16:24どこもその立場は個人的ですね。
16:27ところが、日本に行きますとですね、
16:29世を救うという具合に受け取られて、
16:32自覚的にそうされたわけですね。
16:35世を救う観音様であられると、
16:40人々が思ったわけですね。
16:43で、癖観音のお像というのは、
16:46聖徳太子のこの正真の生き身のお姿を
16:52具現したものだと、モデルにしたものだと、
16:55そう言われております。
16:58人々を救うという理想がここに、
17:01はっきりと自覚的に表明されました。
17:05それがまた後にずっと続くんですね。
17:08ことにその悩める人々を救うということ。
17:12これが日本では一つの大きな伝統になっております。
17:17これが日本では一つの大きな伝統になっております。
17:22これが日本では一つの大きな伝統になっております。
17:26これが日本では一つの大きな伝統になっております。
17:43国宝、北西観音。
17:46法隆寺夢殿の本尊です。
17:52記録によれば、鎌倉時代、すでにその前身に白布が巻かれてあり、
17:57その姿はすべて隠されていました。
18:01白布が解かれ、再びその輝く姿を表したのは、
18:06今からおよそ100年前、
18:09アメリカのフェノロサが夢殿を訪れた時でした。
18:13クセ観音がいつごろ作られたか明らかではありませんが、
18:32聖徳太子の生存中か、あるいは亡くなったすぐ後に、
18:37太子を慕う思いから作られたと伝えられています。
18:43ゾウはクスノキの一木造りで、足から頭までおよそ180センチ。
19:06かすかな微笑み。
19:09その昔、フェノロサにモナリザを思い起こさせた微笑です。
19:14アメリカのフェノロサにモナリザの作品
19:19アメリカのフェノロサにモナリザの作品
19:22イヤー、改めて直に拝みますと、いろいろ感じますですね。
19:30このクセ観音のお像は
19:38聖徳太子のお姿を模して作られたと言われていますが
19:45非常に生き生きと血が通っているという
19:51そういう印象を受けます
19:53非常に私どもにも親しい
19:59温かいお気持ちが伝わってくるような
20:04そういう気がしますですね
20:06それ以前は秘仏として
20:11直に拝むなんてことはできなかったわけなんですが
20:16しかしどうしても拝ましていただきたいという
20:20熱意を持って
20:23岡倉天心がですね
20:25フェノロサの希望も叶えるように
20:292人でこちらへ伺って
20:31見せていただいたんですが
20:35それが明治19年か
20:42あるいは20年過ぎての頃だろうと
20:48こちらの高田執事長様の最近のご研究によって
20:55判明したわけですが
20:57その時の様子を岡倉天心が書いているんですね
21:02誰も拝ましていただかなと
21:05中へ初めて入れさせていただいて
21:09そうして拝もうとしたら大変なことで
21:17まあこの葉が積もっているチリンが
21:21もう山のように
21:24そしてそこから
21:26ネズミが出てくる
21:29果てはヘビが出てくるという
21:31大変なことだったそうです
21:34年代の願いを叶えて
21:40それで拝ましていただいたというんですが
21:44もうその感激は
21:46忘れることができないと
21:49岡倉天心は書いてますし
21:52またフェノロサもそのように
21:55人々に伝えたということが
21:57記されております
21:58なぜ秘仏とされたかということ
22:03最初はそれほどではなかったらしいんですが
22:07年代の経過とともに
22:11この観音様を拝むと
22:18雷が鳴って
22:21雷鳴がとどろくとかですね
22:27あるいはそれを作った物資が
22:31それをその
22:32母国仕様として
22:35これと同じようなものを
22:36作りたいと思って
22:37見せていただいた物資が
22:41この即日
22:42休止すると
22:44そういうような
22:45伝えがありまして
22:50それでたたりを恐れて
22:52それでもう
22:54どなたにもお見せしないと
22:58いうことで
23:00秘仏になったんだろうと思うんです
23:01それをあえて
23:05お願いして
23:07見せていただいた
23:09また
23:09お寺の方でも
23:11許されたということは
23:12これは大きな意味があると思うんです
23:15広く
23:18世の中の文明の進展
23:22という動きから見ますと
23:26ドイツ語では
23:28エンツサーベルングと申しますが
23:31呪縛からの脱却ですね
23:33事実からの脱却ということが
23:36近代思想の一つの特徴なんです
23:40つまり中世までは
23:42呪いと申しますか
23:44呪縛というもの
23:45それを恐れて
23:47人があえて近づかなかった
23:49ところが
23:50その呪縛から解放されることによって
23:53近代文明が
23:54成立し発展したわけですね
23:57まさにその動きに対応するものでして
24:02呪縛からの脱却ということは
24:08今の
24:09この岡倉天心が
24:11見せていただいたという
24:12この事件に
24:15集約的に
24:18象徴的に表現されていると思います
24:20それによって
24:22この素晴らしい
24:24仏様のお姿が
24:27日本人一般のみならず
24:29外国にまでも
24:31知られるようになりました
24:33日本の美術の素晴らしさというものを
24:39外国に知らせるようになったというのは
24:42岡倉天心が
24:43非常な
24:45功績があると思いますが
24:48ここで
24:50癖関能を拝見したという
24:53その感激が
24:54あまねく
24:56世の人々に伝わったわけです
24:58
24:59その感激に基づいて
25:03岡倉天心は
25:05東洋の理想という書物を書きました
25:09これによって
25:10世界に
25:11日本美術の
25:14崇高な精神が
25:16伝えられるようになったわけですが
25:19これは
25:20日本の精神史にとっても
25:22広く申しましたが
25:24世界の精神史にとっても
25:26大きな事柄だと思いますですね
25:28さらにその
25:31これは
25:32この
25:35長屋の
25:38技術の点で
25:40専門の方のお話を
25:41伺いたいと思いますが
25:42実に
25:44丹念な掘りですね
25:45
25:47後ろの
25:48この
25:49後輩なんかも
25:51まあ
25:52国名に
25:53細かな点まで
25:55はっきりと
25:58刻まれています
25:59当時の
26:00物資のですね
26:01この
26:02波々ならぬ
26:04打ち込んだ
26:06この
26:06苦心と申しますか
26:10まあ
26:10それがこう
26:11必死と私どもに
26:15感じてまいりますですね
26:16大したことだと思います
26:19今から
26:19千何百年前に
26:21これだけの技術が
26:24日本に
26:24あったということは
26:26驚くべきことだと思います
26:28これは大陸にはですね
26:29こういう細かな
26:31きめの細かな
26:32彫刻は
26:33残ってないと思いますね
26:35あの
26:37インドにね
26:38仏像はたくさん
26:41残ってますが
26:43二つの点で
26:47比べ物にならないかと思うんですが
26:50インドで多く
26:51仏像が
26:53発掘されてますけど
26:55これは
26:56地中
26:57から発掘されたものですね
27:00渦もれたもの
27:01ところが日本はそうじゃないんですね
27:03もう地上で
27:05人々が大事にして
27:07伝えられたお仏像なんですね
27:09だから
27:10祖先以来の
27:11魂が
27:12こもっているということが
27:14できると思います
27:15それから
27:17第二の点として
27:20この
27:22インドで
27:25見つかった
27:26立派な仏像
27:28たくさんあるんですがね
27:29どれもみんな
27:30どっか欠けてるんですよ
27:31なぜかと言いますと
27:34後代に
27:35この西の方の
27:36民族の
27:37まあ信任を受けたわけですよ
27:39宗教も違います
27:41そうすると
27:42その物を片っ端から
27:43壊してしまったわけですね
27:45ところが日本ではですね
27:48まあこの
27:48クセ観音をはじめとして
27:50何ら損なわれることなく
27:54この
27:55そのまま
27:57伝わっている
27:58これはやっぱり我々の
28:00祖先が
28:00大事に伝えたということで
28:03祖先の気持ちがここに
28:08具現されていると
28:09そう思いまして
28:10余計たっといと思われるのでございます
28:13八角沿道の夢殿は
28:23法隆寺の中でも
28:25特別の佇まいを見せています
28:27夢殿のあたりはその昔
28:33聖徳太子の住んでいた
28:34イカルガの宮のあったところで
28:37大使と最もゆかりの深い聖地です
28:40屋根の上には
28:47大使の御霊を祀る
28:49宝珠が置かれ
28:51夢殿が大使の
28:52冥福を祈る場であることも
28:54示しています
28:55聖徳太子が亡くなってから
29:04およそ20年後
29:05イカルガの宮は
29:07蘇我のイルカによって焼かれ
29:09大使の一族は滅亡します
29:12やがて
29:13大使の生涯が世に広まるにつれ
29:16大使を深く信仰する人々の
29:19聖地となってよみがえったのです
29:24この夢殿っていうのは
29:26全く独特でございますね
29:29法隆寺の
29:32主な建物からちょっと離れたところに
29:37独立にあるわけですが
29:39これは全く独特のものでございまして
29:44インドにも
29:46独立の小さなお堂というものは
29:50たくさん残っておりますが
29:52ことにヒンドゥの寺院に多いんですが
29:54マンダパと申しますが
29:56ただそれは
30:00四角な
30:02真四角な建物でして
30:04中に神様を祀ってあるんですね
30:07こういう形のものは
30:10インドにはないと思います
30:12これはどうしても
30:15東アジアのスタイルだと思うんですが
30:18ことに
30:19韓国にはですね
30:23この八角沿道というものが
30:26今でもたくさん
30:27残っておりますが
30:30中国にもあったと思いますが
30:33ただあちらでは
30:35深い意味は持ってない
30:37せいぜい
30:38あずまやというほどの意味ですね
30:40ところがそのスタイルが
30:43こちらへ移されまして
30:45この独特の
30:47夢殿が作られました
30:49形は明らかに
30:52大陸のものを
30:53模して発展させたものですが
30:56しかしこの建物はまた
30:58素晴らしいですね
30:59ことにこの木段なんか
31:01堂々たる立派なもので
31:03よくあの時代にこういうものを
31:06作られたとも
31:07簡単するのでございますが
31:10そうして
31:11伝説によりますと
31:15聖徳太子がここで
31:17この
31:17禅城に入られて
31:20精神統一をされて
31:21そして
31:23夢を見て
31:25監督されたことからがある
31:28ということです
31:29非常にロマンティックだと思います
31:32禅城に入って
31:35何を思うかということですね
31:38この後の禅になりますと
31:41無念無双ということを
31:43説きますけど
31:43しかしもともと
31:45この
31:46仏教の伝統で念ずるというのは
31:52心に一つのことを
31:54ずっと思うてですね
31:56心を統一するということです
32:03例えば念仏と申しますが
32:05皇代は
32:06生阿弥陀仏と唱えることに
32:09一様になりますけれども
32:11元は仏を思うということなんです
32:14私どもは
32:15始終心が散っておりますね
32:17心を散らないように
32:20仏様のお姿
32:22その優れた徳を
32:24じーっと心に思うというのが
32:28念仏ですね
32:29おそらく
32:30聖徳太子も
32:32仏様の姿を
32:36念ずられたと思います
32:38それにつれてですね
32:40念法念相ということを言うんです
32:45法を念ずると
32:46相を念ずると
32:49法を念ずるというのは
32:52人間としての断り
32:54道理ですね
32:55それをじーっと心に思うということです
32:59そしてそれを実行している
33:03人々の集い
33:05集まりが
33:06参加と申しますが
33:09元はその
33:11集まり集いという意味です
33:13心を共にして
33:15人々が集まって
33:17尊い
33:20人間の真理を実践すると
33:22その人々です
33:25だから人々のことをやはり
33:27大使は思われたと思います
33:29それが政治に伝わってくるわけです
33:32具体的な政治のことまで
33:35ここで
33:36思われたかどうか
33:38それは私にはよく分かりませんけど
33:40道理の上では
33:43そのように連絡がつくわけなんであります
33:46
33:49高台の人は
33:51ここに
33:53聖徳大使の
33:58お姿を模した
34:01クセ観音の
34:04お像を
34:05暗示し
34:06また聖徳大使に
34:09ゆかりのある方々の
34:12お像も置いてあるということですが
34:15大使の徳を思うて
34:21追想するという
34:23これは独特だと思いますね
34:28日本では
34:30他に
34:31永山寺にも
34:34八角縁道があり
34:36藤原氏の祖先を
34:39追想しているということを
34:42聞きましたけれども
34:44そういう
34:46精神を込めての八角縁道というのは
34:50これは日本独特だと思うのです
34:52これは祖先に対する
34:55追憶
34:55死亡であるとともに
34:57また祖先のなされた
34:59功績に対する
35:03この
35:03観音
35:04奉写と申しますか
35:06恩を知るとも申します
35:09あの
35:09知音院の
35:10知音ですね
35:12これは仏典にも出ている言葉ですが
35:14その精神が
35:15ことに
35:16この
35:17夢殿には
35:18具現されていると思います
35:19だから大使の精神が
35:23まあ
35:23この
35:24お堂
35:25
35:27もとにして
35:28何か私どもにまで
35:30及んでくるという
35:31そういう感じがするんでございます
35:33国宝
35:43行進総図座像
35:45行進は天平時代
35:49夢殿の建立に
35:51最も力を尽くしたそうです
35:53つり上がった目や
36:02大きく左右に張った耳
36:04高く鋭い花が
36:07行進の人柄を忍ばせます
36:09国宝
36:20道宣立志座像
36:22道宣は平安時代の初期
36:26一時錆びれた大使信仰を
36:29再び復興させました
36:30穏やかな中に厳しさを
36:33漂わせています
36:34二人の像は
36:41永遠に夢殿を見守るかのように
36:44道内に座しています
36:45仏教の教えを
37:00政治の場において
37:01実現しようと願う
37:03聖徳太子は
37:04自ら経典の講義をし
37:06注釈を施しました
37:10産業儀書として
37:11今に伝えられているものです
37:15そこには当時の日本の実情を踏まえた
37:18大使独自の見識と考え方が
37:20込められています
37:22世俗の人としてですね
37:31世俗の指導者として
37:33仏教を生かされたという点だと思いますね
37:37アジア大陸の仏教は大体出家者の仏教でした
37:43ところが日本へ入ってきまして
37:46聖徳太子によって具現された仏教は
37:50世俗の生活の中に生きる仏教でした
37:56第1話
37:57聖徳太子自身が
38:01世俗の人だったわけですね
38:04家庭の人であり
38:05お子さんもありですね
38:07大勢の
38:09神科を
38:11統御し指導しておられたわけですから
38:14ですから
38:17その説かれたところも
38:21世の人々を
38:25導くのに最も適切であると思われた
38:32経典を選ばれたわけです
38:343つの経典を選んで
38:37抗議をされました
38:39それについての仲介書も表されました
38:43産業儀書と言うんですが
38:46それは
38:47昭満行と結馬行と
38:51北家教でありますが
38:54その
38:54結馬行から申しますと
38:58これは世俗の長者がですね
39:00実業生活を行いながら
39:08人々を導き救うという
39:11そういうテーマになっているんですね
39:13それから
39:16昭満行は
39:18国王の妃である
39:21昭満武人が
39:23昭満夫人と
39:26申しますか
39:27仏典では
39:29昭満武人と読みますが
39:31その方が
39:32シャクソンの前で教えを説く
39:39シャクソンがその通りだと言って
39:41承認されるという
39:42そういう筋書きになっているわけです
39:45これは二重の意味で非常に
39:47例外的なんですね
39:51なぜかと申しますと
39:54昭満夫人という
39:56世俗の人が教えを説く
40:02それから第二にですね
40:05この女人
40:07女の人が教えを説いたということですね
40:10非常に珍しい教典です
40:12それから第三の保険教はですね
40:16これはアジア大陸全体で
40:19あまねく
40:20数計されておりますが
40:22その根本の趣旨は
40:24何かということになると
40:26なかなか難しいんですが
40:27しかし
40:28日本人が
40:30受け取りました
40:31保険教というものは
40:34一切の地生産後
40:38皆仏法である
40:39この一切のですね
40:41生活を収め
40:43産業を
40:45奮い起こす
40:47それが皆
40:49仏教の実践であると
40:51そういう趣旨であると
40:54説かれ
40:55受け取られたわけです
40:57その三つの教典を
41:01聖徳太子は
41:05の時になった
41:07ここに日本仏教の
41:08出発点があったわけですね
41:10この保険寺はですね
41:13聖徳太子の
41:16その精神の基礎を
41:17確立するための
41:19学問寺です
41:20昔から
41:21学問を
41:22中心として
41:28活動して
41:30来られました
41:31だから
41:32宗派の別を問わないで
41:35諸宗の人々が
41:36みんな
41:38法隆寺に
41:39学問のために
41:43伺ったわけであります
41:47ここで
41:51研鑽された
41:52聖徳太子の精神
41:53学問が
41:54それが
41:55このまま
41:56とびとびで
41:56ありましたけれども
41:57後代にも
41:59実践されていた
41:59ということは
42:01やっぱり
42:01我々としては
42:02忘れることのできない
42:03ことだと思うんですね
42:04案外
42:06日本人が
42:07気づかないことですけれども
42:08西洋にでも
42:12苦しんでいる
42:14人々を
42:14救う施設というのが
42:15ございますが
42:16社会福祉施設
42:17最初に
42:19作られたものは
42:20西洋ではですね
42:22ドイツの
42:24アウグスブルグ
42:24というところが
42:26南にありますが
42:26南ドイツの
42:28アウグスブルグ
42:29というところに
42:30ある
42:30施設ですね
42:32これフッゲライというんですが
42:34フッガーという
42:35金持ちの
42:36実業家が
42:37作ったものですが
42:40それは
42:411519年に
42:47作られたと
42:48言われております
42:49今も
42:52残っていますが
42:53それが
42:53世界で一番古い
42:55社会救済施設だと
42:57言われている
42:58ところが日本ではですね
43:01苦しみ悩んでいる
43:03人々を救うという
43:04施設
43:05またその
43:06ための活動は
43:08もう相当
43:09古い時代から
43:09行われているんですが
43:11ことに
43:12ドイツの
43:13フッゲライと
43:15言われる施設より
43:16200年ぐらい前に
43:19鎌倉時代ですが
43:21日本には
43:23認証律師という
43:25偉いお坊さんが
43:28出ましてですね
43:29もう素晴らしい
43:31社会救済施設を
43:33作られたのです
43:34いちいち
43:39数えきれないほどで
43:41ありますが
43:42この
43:44奈良の土地の
43:47ですね
43:47北の方に
43:49般若坂という
43:51ところがあります
43:52そこに北山
43:5418県土という
43:56建物が
43:57今日なお
43:58残っております
43:59それは18の
44:01アパートメントから
44:02できているわけですがね
44:03そこには
44:05昔の
44:06感染死病の
44:07患者を
44:08治めましてね
44:09それで
44:10病の
44:14治療に
44:15当たったと
44:16そして
44:17坂の上で
44:18眺めのいい
44:19ところなんですね
44:20だから
44:21幸福寺の
44:23五重の塔とか
44:24遠くは
44:25法隆寺の
44:26塔までも
44:27見える
44:27眺めのいい
44:28景色の
44:29いいところなんです
44:30そこに
44:31作って
44:31そして
44:32認証立志は
44:33その
44:34病人を
44:35肩に担いで
44:37奈良の町まで
44:38買い物に
44:41行ったと
44:41その他
44:44あの
44:44最大寺にもですね
44:46そういう
44:47施設を
44:47作られました
44:48それから
44:49鎌倉ですね
44:51もう
44:51陽病房
44:52この
44:53病人を
44:54収容して
44:57看護する
44:58建物
44:59人間のため
45:01のみならず
45:02馬のためにも
45:03作ったんですよ
45:04それから
45:05あの
45:06親のない子
45:08捨て子
45:09などを
45:10納めるような
45:11施設
45:11
45:12作りました
45:12あと
45:18旅人が
45:21苦しむことが
45:22あれば
45:22旅人の
45:23苦しみを
45:24救ってやるための
45:25動車を
45:25作るとか
45:26疫病が
45:27流行れば
45:28疫病に対する
45:30対抗策を
45:31取るとか
45:32まあ
45:33この
45:33認証立志の
45:36活動は
45:37大したものでして
45:38その
45:39恩恵を
45:40受けた人は
45:41数万人に
45:42達すると
45:43その
45:44伝記に
45:44記されております
45:45比べ物にならないほど
45:48大きなことを
45:49日本では
45:49なされていた
45:50しかもですね
45:51あの
45:52ドイツの
45:54その世界
45:54初めてと
45:56言われている
45:57その
45:57施設では
45:58若干の
45:59制限が
46:00ありましてね
46:00そこへ
46:01納められる人は
46:03その
46:03フッガー家の
46:04使用人で
46:05あった人で
46:05なければ
46:06それから
46:06カトリック教徒で
46:07なければいけない
46:09年齢は
46:1058歳以上
46:11それから
46:11収入は
46:12少ない人と
46:13そういう
46:14制限が
46:14あったわけですね
46:15ところが
46:17認証立志はですね
46:19そんな
46:20あの
46:21宗派が
46:22なんでなきゃならん
46:23なんてことは
46:23一切言わないで
46:24悩み苦しんでいる人は
46:26みんな
46:27自分のもとに
46:30収容して
46:32保護し
46:34看護したのです
46:35認証立志と
46:38ほぼ同時代に
46:40西洋では
46:41聖フランチェスコが
46:42おりました
46:43聖フランチェスコのことは
46:44案外日本では
46:45よく知られていて
46:46かえって
46:47日本の祖先のことが
46:48忘れられているような
46:49気がするんですが
46:50聖フランチェスコは
46:51偉い人ではありましたけどね
46:53病人の
46:54その
46:54福祉施設というものは
46:56作らなかった
46:57つまり
46:58ああいう
46:58収容団体を
46:59作ったというところに
47:00大きな意味が
47:01あるんですが
47:02それを思いますとですね
47:04認証立志の仕事というのは
47:06大したものだと
47:07ところが
47:08その認証立志がですね
47:10なぜそういう
47:11志を起こしたかと
47:12言いますと
47:13これは
47:13聖徳太子の精神に
47:16激発された
47:17というんですね
47:18
47:19現に
47:20認証立志は
47:24聖徳太子の
47:27作られました
47:28四天王寺に
47:29お参りして
47:30その
47:31看護を
47:32受けております
47:33あそこの
47:34ベッドをも
47:34していたことが
47:35あるというんですがね
47:37聖徳太子の精神を
47:44直に
47:44生かしたい
47:45と思ったんだ
47:46ということは
47:47彼の
47:47伝記にも
47:48書かれているんです
47:49
47:50どういうものを
47:51作ったかと
47:52申しますと
47:53まあ
47:53これ
47:53聖徳太子が
47:54作られたというものですが
47:56教殿院
48:01これは収容の施設ですが
48:03それから
48:04療病院
48:05これは病院ですね
48:07それから
48:09製薬院
48:10お薬を
48:11人々に与える建物
48:13それから
48:14秘伝院
48:15これは困っている人々を
48:17収容する施設
48:18こういうものを
48:19聖徳太子が
48:20お作りになった
48:21それを受けて
48:23後の
48:24聖徳太子の
48:25寺院では
48:26支店の寺など
48:28処方面で
48:29この4つの
48:31施設
48:33寺院を
48:34作られた
48:36その精神を
48:38認証理士は
48:41受けているわけなんです
48:43ただ残念ながら
48:45日本では
48:45その伝統が
48:46ある時期に
48:47途絶えてしまった
48:48ような気がするんです
48:49これはやっぱり
48:51我々
48:52現在
48:53今生きている
48:54日本人としては
48:56祖先の
48:58この
48:58業績の後を
49:02振り返って
49:03考えてみまして
49:04改めて
49:05その精神を
49:06受け継ぐと
49:08生かすということが
49:09必要ではないでしょうか
49:11新しい国づくりの
49:25理想に燃える
49:26大使は
49:27簡易12階の
49:29制度を定めて
49:30人材の
49:30投与を図り
49:31秩序を求めました
49:33さらにその
49:35翌年には
49:36日本最初の
49:37成分法
49:3717条の
49:39憲法が
49:39成立しました
49:40それは
49:41部族同士の
49:43争いを
49:43克服して
49:44これからの
49:45国の進むべき
49:46道を
49:47差し示そう
49:47というものです
49:48一に曰く
49:57和をもって
49:59尊しとし
50:00逆らうこと
50:02なきを
50:02胸とせよ
50:04人皆
50:06田村あり
50:07また
50:09悟れるもの
50:10少なし
50:10ここをもって
50:13あるいは
50:14君父に
50:14従わず
50:15また
50:16倫理に
50:17たがう
50:18しかれども
50:20神柔らぎ
50:21しも
50:22むつびて
50:22ことを
50:23あげつらう
50:24にかなう
50:24時は
50:25自理
50:26自ずから
50:27通ず
50:27何事
50:29かならざらん
50:30今の
50:34我々
50:36日本人でも
50:37和をもって
50:38尊しとなす
50:39ということは
50:39よく
50:40平成
50:40申します
50:41ですね
50:41そういう
50:43実践的な
50:44理解という
50:44ものは
50:45もう
50:46祖先以来の
50:47もので
50:47遡れば
50:49聖徳太子にまで
50:51たどれるもので
50:52ございます
50:52あるいは
50:54それ以前の
50:55文献には
50:56記されていない
50:57日本人の
50:59心というものが
51:00元になって
51:02それが
51:03聖徳太子の
51:04十四条憲法に
51:05はっきりと
51:06明文化された
51:07ということも
51:08考えられる
51:09でございます
51:09これは
51:11日本人の
51:13生き方の
51:15根本を
51:15示して
51:16くださって
51:18いると思います
51:19この
51:21人見な
51:22田村あり
51:23
51:23人見な
51:24田村あり
51:24
51:25また
51:26悟れるもの
51:27少なし
51:28人間は
51:30どうかすると
51:31何か
51:31偏った
51:32編集
51:33があって
51:34つい
51:36狭い
51:38仲間だけを
51:40作ってしまう
51:41けど
51:43それではいけないのだ
51:44高い立場から
51:46道理を
51:47見なさい
51:49ということを
51:51教えられている
51:51のでございます
51:52一条に対して
51:58十七条で
51:59大使は
52:00話し合うことの
52:01大切さを
52:02解き
52:02恣意的な
52:03独裁を
52:04戒めています
52:12十七に
52:12曰く
52:14それ
52:15ことは一人
52:15定むべからず
52:18必ず
52:19衆とともに
52:20挙げつらうべし
52:22生児は
52:23これかろうし
52:26必ずしも
52:27衆とすべからず
52:30ただ大事を
52:31挙げつらうに
52:32及びては
52:34もしは
52:34過ちあらんことを
52:36疑う
52:37ゆえに
52:39衆と
52:40
52:40わきまうるときは
52:42ことすなわち
52:43利を
52:44
52:44人は
52:46人は
52:47自分一人で
52:48断定して
52:50行ってはならない
52:53必ず他の人々とともに
52:55よく話し合えって言うんです
52:57過ちがあっては
52:59過ちがあってはならないという
53:00気遣う心を
53:02指示を持っていなきゃいけない
53:04
53:05皆とお互いに
53:06皆とお互いに話し合って
53:07決定するならば
53:12自ら
53:12道理に
53:13可能ようになるであろうと
53:15自ら
53:17適当と
53:18思われるところへ
53:20落ち着くと
53:21いうことが
53:22最も望ましいと思うのであります
53:24さらに大使は
53:30和の精神を
53:31生きたものとするための
53:33具体的な方法にまで
53:34触れています
53:35中でも
53:38第十条は
53:39寛容の心に触れ
53:41大使の精神が
53:42強く反映しています
53:44党に曰く
53:48心の怒りを断ち
53:50表の怒りを捨てて
53:53人の互うことを
53:55怒らざれ
53:55人皆心あり
53:58心おのおの取るところあり
54:02彼是とすれば
54:05我は一つ
54:06我是とすれば
54:09彼は一つ
54:11我必ずしも
54:13正にあらず
54:14彼必ずしも
54:16愚にあらず
54:17共にこれ
54:20本部のみ
54:20是非の理
54:22誰かよく
54:23定むべけんや
54:24愛ともに
54:26県具なること
54:27耳金の
54:28端なきが如し
54:30ここをもって
54:34彼の人は
54:35怒るといえども
54:36かえって
54:38我が
54:38過ちを恐れよ
54:40我一人
54:44得たりといえども
54:45衆に従いて
54:47同じく
54:48行え
54:49心の怒りを
54:53断ち
54:54表の怒りを
54:55捨てて
54:56人の
54:57たごうことを
54:58怒らざれ
54:59人と
55:01意見が
55:02違うこともある
55:03目指す方向の
55:06違うこともある
55:07けれども
55:08怒っては
55:09ならない
55:10人みな心あり
55:14心おのおの
55:15取るところあり
55:16人は誰でも
55:19明々の心が
55:20自分の
55:23良しとするところが
55:27彼ぜとすれば
55:29我は
55:30ひとす
55:30我ぜとすれば
55:32彼はひとす
55:33自分が
55:34これがいいな
55:35と思っても
55:35他の人は
55:36いやそうじゃない
55:37ということがある
55:39自分一人が
55:40聖者なのではない
55:41また
55:43他の人が
55:44必ずしも
55:46愚かなのではない
55:47共に
55:48凡部に
55:49過ぎない
55:50良いとか
55:52悪いとか
55:53言うことわりは
55:54誰が
55:55決めるであろうか
55:57お互いに
55:58人間だ
55:59足りないところも
56:00あるだろうと
56:01ちょうど
56:02和のですね
56:04恥をといっても
56:08その恥を
56:10とらえることが
56:11できないでしょ
56:12ずっと
56:12つながってますから
56:13そのようなもんだ
56:15その
56:17心持ちが
56:19この聖徳太子の
56:22十七条憲法のうちに
56:25表現され
56:27我々に
56:28呼びかけて
56:29くださるのであります
56:30十七条憲法は
56:47そのすべてに
56:49和の精神が
56:50貫かれており
56:52仏の教えを
56:54現世に生かそうとする
56:55聖徳太子の
56:57悲願そのものとも
56:58いえます
56:59改めて
57:04今日
57:04ゆっくりと
57:06参加させていただきましてね
57:09ことに
57:09小両殿に
57:11この新たな
57:12衝撃が収められた
57:13その背景のもとに
57:15大使像を
57:16もう一度
57:17拝ませていただきますと
57:19改めて
57:22感慨を深くしますですね
57:23ここに日本の
57:25宝があると
57:26そして
57:27地域は限られていますけど
57:30これに
57:30日本の伝統の
57:32この
57:32起こりがあり
57:34そうして
57:35何かの形で
57:36今の我々に
57:37伝えられているわけですね
57:38聖徳太子の
57:41説かれた
57:41和の精神
57:42あるいは
57:43実際の
57:44生活の中に
57:46仏教の精神を
57:47生かすという
57:47態度
57:48こういうものは
57:49何かの形で
57:51我々に
57:52受け継がれている
57:54たとえ
57:54気づかなくても
57:55そこに生きている
57:56と思いまして
57:56本当に
57:57たっといことだ
57:58と思いました
57:58これはただ
58:00過去のものとして
58:02終わらせるのじゃなくて
58:03今の
58:04我々が
58:05改めて
58:05反省し
58:06評価してですね
58:07将来の
58:09このグローバルな世界に
58:10生かせるものは
58:12また
58:12それぞれ
58:13生かしていきたいと
58:14そういう思いを
58:16新たにしました

お勧め

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