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  • 2025/6/16
トランスクリプション
00:00東洋の心を語るというシリーズの第6回目になります
00:07本日のテーマは飛ぶ鳥に後なしということでございます
00:12鳥が空を飛びます
00:15私たち人間が人生の中を生きております
00:20空を飛び生きていく
00:24それぞれ命の極めて具体的な働きなんでありますけれども
00:28そこに後がないという
00:30一体それがどういう意味があるのか
00:34生き方としてどういう意味を持っているのか
00:37そんなことを少し本日は伺ってみたいと思いますけれども
00:42お話を伺います方はいつもの通り
00:45東宝学院院長の中村はじめ先生でございます
00:49どうぞ先生よろしくお願いいたします
00:51いつものことですと
00:55何か非常に仏教的な言葉がポンと出てくるんですが
00:59飛ぶ鳥に後なしという大変柔らかなテーマなんでございますけれども
01:06言わんとする心と申しますか
01:10ポイントはどういうことでございましょうか
01:12私どもはねこの世の中に生きておりますと
01:18いろいろな患いもあり難しいこともあるわけですね
01:21我々は身体を持っておりまして
01:25地上に体を置いて生きているわけです
01:29空へ飛んでみたい
01:32飛び上がってみたいという
01:34そういう気持ちに駆られることもありますけれども
01:38実際にはできないわけですね
01:40だから大空を見てますとね
01:42そうすると鳥がこのいかにも自由自在に飛び交っておりますね
01:49もう本当に自由で気持ちよさそう
01:52ああいう自在な境地に我々も足してみたいものだなと思うことはございますですね
02:00それが仏典ではよくたとえに惹かれているんです
02:07よく出てまいりますのです
02:08そうしますと鳥が空を飛んで行きます
02:14本当にもうまことに自由自在なという
02:16いわば自由自在な生き方というものの一つの象徴と申しますかね
02:22そしてその自由自在であるとともにですね
02:25後に何にも穢れを残さないでしょ
02:28あの境地って読むな
02:33これは我々があやかりたいものだなと思いますですね
02:36じゃあ一体具体的にどういうふうにすれば
02:39そうした境地に私ども達し得るのか
02:42あるいは生活の中で実践し得るのか
02:45その辺のことをまず原始物典の中から
02:48実例をご紹介しながら
02:50またいろいろお話を伺いたいと思います
02:52その人の汚れは消えうせ
02:57食物をむさぼらず
03:00その人の下脱の境地は空にして
03:04無双であるならば
03:06彼の足跡は知りがたい
03:08空飛ぶ鳥の後の知りがたいように
03:12ダンマパダ93
03:14ダンマパダ北京でございますので
03:17原始物典の中でも一番古い層に属するものかと思いますが
03:23そこにこのテーマの空飛ぶ鳥の後の知りがたいようにとあり
03:30その具体的な生き方として
03:33穢れが消え失せるとか
03:35それから下脱とか
03:38あるいは空にして無双であるという言葉が出てまいりました
03:42少し先生言葉の説明からちょっとお願いをいたしたいと思うんです
03:47穢れは消え失せとございましたけれども
03:51どういうことでございましょうか
03:52これ地上にはいろいろな穢れがありますね
03:55我々の人間の生活にもやはり穢れがある
03:58けれど鳥が空を飛んでいるところを見るとですね
04:02もうその鳩に何にも穢れを残していないですね
04:06鳥が飛んだ鳩はまた透明で澄み切った大空が見えますですね
04:14ああいうような気持ちになりたいなと昔の人が思ったわけなんですね
04:19心身ともにこう澄み切った穢れのない状況とか
04:23そういうことかと思いますが
04:25それをその抽象的な言葉でどう表現したらいいか
04:28ここに出ておりますが空という言葉が使われているんですね
04:35もう何らそのこだわりがない
04:39固定的な実態をそこに何も残していないわけでしょ
04:43それからまた無双というのはこの姿がないという意味ですね
04:47鳥が飛んでいるときにはそこに姿があります
04:50けど飛んで飛び去った
04:53その後には何も残さないわけでしょ
04:55清らかな姿だけが見える
04:59我々もああいう具合になりたいなというのが
05:03昔の人々の願いだったわけです
05:07空という言葉が難しく言いますと
05:12例えば色則是空とか言いますし
05:15仏教の方では大変難しい用語として問題になっている言葉かと思うんですけれども
05:22これは先生空というのはそうした仏教の思想をいう意味で難しい言葉ではあるんですけれども
05:30同時に今のお話ですと
05:33本当に妨げのない自由自在な生き方を示す言葉でもあると
05:39そうなんです
05:39こう見てよろしいわけですね
05:40空というのは大乗仏典で多く説きます
05:44だから大乗仏教の先輩特許みたいに言われてますけど
05:49そうじゃないんですね
05:51もう最初の時代からやはりこの空の境地というものは
05:55願わしいと思われていたわけなんです
05:58空という言葉はですね
06:01実体がないという意味なんです
06:07我々はいろいろなものを見ますと
06:13そこに実体があると思う
06:15けれどもいろいろなこの辞書というものは
06:19因縁によってですね
06:21諸々の原因など条件などによって作り出されたものである
06:25だからその関係をよく悟ってですね
06:30こだわりがないという心境に達する
06:36それが空の教えの言わんとするところですね
06:40それを例えてですね
06:42どんなものかといえば
06:45空飛ぶ鳥のようなものが空の境地だと
06:52そういうわけなんです
06:53こだわりがないという言葉を今先生おっしゃりまして
06:58確かに仏道修行というのは非常に大変な大問題に対しても
07:07もちろん言えましょうし
07:08こだわらないようにしようよと言いますと
07:12私どもの普通の日常生活の中でも
07:14一つの望ましい状況とよく言われますし
07:18そう思いますね
07:19実際の生活の中でもそうした例はいろいろあり得るし
07:24そうしたことをまた考えていかなくちゃいけないわけではないでしょうけどね
07:27このこだわりのない理想というのは
07:30実際にも実現している方々が
07:33世の中に大勢おられると思うんです
07:36昔の例をとってきますとですね
07:40例えば
07:41宗寺寺を開かれた契山禅寺ですね
07:48あの方は宗寺寺の御解散として知られてますけど
07:52それ以外にですね
07:53お寺をいっぱい作られたんですね
07:56どれだけはわからない
07:58作られてもですね
07:59それを自分のものだとは思わないで
08:03出来上がるとスーッと自分の信頼するお弟子に
08:07任してしまわれたんですね
08:09そしてこれを全国をへめぐって
08:14それぞれの土地に応じたお寺を建てては
08:17また人に任してしまう
08:20自分はもう一箇所にこだわらないという
08:26生活をされました
08:27あるいはですね
08:29この全国の名園というのを見ますと
08:32無双国師の作られた名園というのが
08:36あちこちございますですね
08:37立派なものですが
08:39今日から申しますとね
08:41非常にあの方は事業家で
08:43まるでその現代で言えば
08:46土研業者みたいなね
08:48この仕事もされたわけなんですが
08:50作るとですね
08:51もうこだわらないで
08:53それをさーっとこう人に任せてしまうわけですね
08:56だから自分のものだなんて言い張ることもなかった
09:01仕事としてはいろいろな大きな仕事をされていながら
09:05それが私がやったんだぞとか
09:07どうだっつったようなことがなくて
09:09もう作ればまたすぐ次に移っていく
09:12そこにこだわりのない
09:13あのさらさらと流れるような
09:16一つの心構えがあるという
09:18これは現代でもですね
09:19諸方面のいろいろな方が
09:22その実践して実現しておられることだと思いますね
09:25例えば立派な実業家がですね
09:28一つ大きなその事業を完成される
09:31そうするとあとはですね
09:33自分の信頼する人に任せてしまう
09:35自分はまた別のことに取り組んで
09:39開拓していかれると
09:41こういうような例がございますですね
09:43あのこだわりのないそろそろとした心境
09:47あれは本当にこう麗しいことだと思います
09:50あのよくクーと申しますと
09:54非常に実践的な面でこだわりがないという
09:57あのただよくこれはもうおそらく
10:01非常に多くの方がご存知だと思いますので
10:04あのちょっと言葉を挙げてみたい面もあるんですが
10:08指揮則是空という言葉がございます
10:10あの空という言葉
10:12そしてこだわりのないということ
10:15そして指揮則是空という
10:17その辺の関係ちょっと話が
10:19こう理論めいたことになるかもしれませんけれども
10:23少しお話を伺いたいんですが
10:25その指揮則是空という言葉はですね
10:27非常に簡潔にですね
10:31空のことわりを示しているものですから
10:33だからどなたでもご存知なんですね
10:36一番有名なのは犯人神経に出てくる
10:39あの文句だと思います
10:41どういうことをあそこで説かれているかと申しますとですね
10:47その指揮というのは五運の一つ
10:51最初に立てられるものですね
10:52五運と申しますのは
10:56もうすでに原始仏教時代におきまして
11:00我々の存在を反省して考えましてですね
11:04我々のうちにはいろいろな存在の要素があると
11:09それを仮にまとめて
11:11五つの集まりにまとめたものです
11:14運というのは集まりという意味ですが
11:18その五運と申しますのは四季寺創業四季というんですが
11:23最初に出てくるのが四季なんですね
11:26これは元の言葉でルーパと申します
11:28あの色という字を書くんですね
11:29そうなんですよ
11:30色だから洋色が美しいなんていう時もルーパって言うんですかね
11:34けれど仏教哲学でルーパという時には
11:38形ですね
11:40色彩も含めますけれども
11:43その他いろいろな形がございましょう
11:45それ全部含めて
11:47物質的な形をルーパと呼びまして
11:54簡約の仏典では訳しにくいものだから
11:58色を意味することもあるものですから
12:01それで四季という漢字で表しているわけです
12:04非常にきちっとしたご説明をいただいている
12:09最中にこういう言い方をしますと
12:11少し冗談めかしてしまうんですけれども
12:15先日聞きまして
12:17ある政治家の方が外国人の方に
12:20四季足空空足四季というのを
12:23スカイイズカラーと訳したという
12:26ジョークめいた話を伺ったことがございまして
12:30なるほど四季というのが色という
12:33英語に訳せばカラーでしょうけれども
12:35カラーというふうにしちゃうと
12:38今度は四季に戻りませんから
12:40ちょっと困ったことになろうかと思うんですけど
12:43誤解を呼びますですね
12:45そうしますと四季というのは
12:48もともと色という意味があり
12:50形あるものという意味があり
12:52そしてもっと人間に即して言った時には
12:54私どもの肉体も色という
12:56肉体を言うわけですね
12:57肉体を言うわけですね大体
12:59我々の存在を見ますとですね
13:01まず外から見えるのはこの身体肉体でしょ
13:04形を持ってますね
13:06さらに宇宙を反省しますとですね
13:08そうすると今度精神生活があるわけです
13:11それを仏教では反省して言うわけです
13:15次に出てくるのは
13:16獣と申しまして受けるという感じですがね
13:21我々の精神的な働きは外からの印象を受け取りますね
13:26それで反応を示します
13:28だから受けるということがある
13:30それからそれに基づいて
13:32心の中に色々の姿を思い浮かびますね
13:37それがそうです
13:38イメージが出てくるということなんでしょうか
13:41そうですイメージが出てくることですね
13:42そうというのは感想文などという時の
13:46そうでございますね
13:48それからそういうようなものが現れている場合には
13:53内なる形勢力があるわけです
13:55捉えにくいですけど
13:57何か我々動かしているものがある
13:59それを行というわけですね
14:03行くという漢字を使います
14:05道を行く歩くその行くでございますね
14:08行、修行の行ですね
14:09修行の行ですね
14:10修行の行ですね
14:11これもなかなかその漢字では言い表しにくいんですけど
14:15内なる形勢力というようなものですね
14:17諸行無常という時の
14:19あの行はそれですよ
14:20なるほど
14:21作られたものを言うわけです
14:22そういうようなものを反省しますが
14:25さらに考えてみますと
14:28それらをみんな我々は意識して
14:31識別しているわけですね
14:33そうすると意識する働きがあるわけです
14:35それが一番根本にあると
14:42これで
14:43四季、重曹、行、四季と五つになりますね
14:46それが五運という
14:47五運になるほど
14:48一応我々の精神作用や物質的な姿というものを
14:52五つに分類したわけです
14:54先生もう少しそれを簡単に言いますとですね
14:57四季というのが肉体である
15:00それから今ご説明いただいた重曹、行、四季というのは
15:04どちらかというと精神の働き、心の働き
15:08ということは人間存在というものを
15:10肉体と心というふうに分けて
15:13それを少し細かく五つに分類してみせたもの
15:17そうですね
15:18こういうふうに見ていいわけですね
15:19よく心神と申しましょう
15:20心神とも言いますが
15:22その二つでくくれるわけですね
15:24なるほど
15:25そうしますと先ほど五運、海空、五運のすべてが空であると
15:30出てきたことは
15:32信心の体も空であるし心も空であると
15:36こういうふうに考えていっていいわけですね
15:38そういうわけです
15:39なるほど
15:40五運というとちょっと述語名って難しいですけどね
15:44信心、信心と言えば
15:46我々としては分かりいいわけですね
15:49じゃあ信心、海空と言えば
15:51ずっと分かりよくなると思うんですけれども
15:52そういうことになりますね
15:53そうですね
15:54そっちを最初に申し上げたほうがよかったかもしれませんが
15:57先生、どうも空と言いますと
16:02先ほど四季を色という言葉で伺ったわけですが
16:06空という字は私どもには今度は空という字にもなるわけなんで
16:11何にもないという意味もなるわけです
16:14そうです
16:15信心が空だという
16:17別に信心がないということじゃないと思うんですが
16:21空というものの本来はどういう言葉だったんでございましょうか
16:25これはサンスクリプトでシューニアと申しましてね
16:29何々が欠けているというような時に使う言葉なんです
16:35実体がない、実体が欠けていると
16:41それでインドの数学ではですね
16:43ゼロのことをシューにやっているんですね
16:47ゼロの観念を考え出したのはインド人だそうです
16:53現代私ども、ゼロという観念を使いませんと
16:58数学はおろか、日常生活は成り立ちません
17:01そうですね
17:02それ、インド人が考え出したか
17:05考え出した
17:06なるほど
17:07それがですね、アラビアを通って西洋へ渡っていったわけですね
17:11そして西洋を通じて、今我々日本人にも知られ、使われているわけですけど
17:17もとはインドの数学ではゼロを意味した
17:21ゼロというのはですね、どの数字でもないわけですね
17:24否定的なものです
17:25それと同じように、我々の存在を構成しているものはですね
17:32未来永久、もう何千年、何万年も固定して残るものじゃないでしょう
17:39いろいろの条件に恵まれて、ここに現れていると
17:45けれど、その縁が消え失せればですね、また消えますですわね
17:50無常といっても同じことです
17:52無常というのは消え去る方面だけを言うわけですが
17:55今度その実態、固定的な実態がないという点を強調すると
18:01空ということを言うんです
18:03無常ということと空ということ
18:06無常というのがいろいろ移り変わっていく
18:09そうです
18:10先生、でも無常というのがですね、常に移り変わって
18:15それを別の言葉で説明したときに
18:17縁起という言葉があると思います
18:20これも同じ種類ですね
18:22同じ、そうですか
18:23縁起と申しますが、寄って起こるという意味ではないでしょう
18:26寄って起こるというのは、いかなるものもですね
18:30無数に多くの原因などの条件がそこに加わって働いて
18:37そうして個々のものが現れている
18:40我々人間だってですね、もう目に見えない多くの人々の
18:45この恩恵を受けてこうして生きているわけです
18:49さらに人々ばかりじゃありません
18:51生きとして生けるもの、あるいは宇宙のいろいろな
18:55働き力を受けているわけですね
18:57だからこの個々の人というものが実に不思議な
19:02偉大な力をうちに秘めているわけです
19:06その寄って起こっているということ
19:10それを縁起というわけです
19:12確かに日常的に考えましても
19:15実は先日あるところで若い方々と話をしていたんですけれども
19:20私なら私というものが存在するときに
19:23やはり両親というものの結合があり
19:26そこに遺伝子とかいろいろなことがありますから
19:31私の顔形とかいろんなことも
19:34私一人で作り出したものじゃないんで
19:38やはり両親から受け継いだものがあるわけでしょうし
19:42それがずっと遡っていくでしょうし
19:44そうです、恵みによって与えられたものでしょう
19:46その関係をずっと悠久の昔にたどることができるわけですね
19:51不思議なものですよ
19:53そういう血統とか遺伝子の流れというのを考えると
19:58悠久の昔に遡っていきますし
20:01現在私ども生きている
20:03実際の社会に生きているときには
20:05いろいろな経済的な流通機構があったり社会があったり
20:09さまざまな恩恵を受けながら生きている
20:13とても一人で生きているなんていうことは言えないわけなんですが
20:17演技というのは私なら私というものが
20:20さまざまな関わり合いの中で生きている
20:27何か生きていると言うと何かいかにも一人で生きているみたいに見えますので
20:31生かされているという方があるいは感じが出るかもしれません
20:35もう目に見えないところでいろいろの縁があってですね
20:40つながりがあるわけです
20:42ですから今我々個人個人は限られた存在のように思われますけど
20:47いろいろのつながりがあって
20:49我々生きている人間がこの未来を作り出すわけですね
20:55だからうちにはもう無限の力を秘めているわけです
20:59どんな未来が出てくるかこれは分かりません
21:02けれども我々の中から未来が展開して出てくるということは
21:06これはもう疑えないことですね
21:08その未来が展開していく基本的なものが
21:11何か私なら私という固定的なものなんかではなくて
21:16私というものにしてもいろいろなものが
21:20関わりあって演技して存在しているもの
21:24だからこういろいろ変わっていきながら
21:27そこに無限の力を秘めている存在
21:30そうですね
21:31個々の人は言えば
21:33例えて言えばいろいろな力の受け皿みたいなもんですね
21:37その中からまた無限の不思議な未来が展開していくわけです
21:42空というものが先ほどの先生のお話で
21:47なんか非常に永久に続いていきますよという固定的な実態ということではなくて
21:54さまざまな関わり合いの中で
21:58演技の中で存在しているもの
22:01しかもそれが単にそういう説明をしているだけではなくて
22:04非常に新しい力を生み出していく元になるもの
22:11ですからそう考えますと先生
22:13空ゼロというのがシューニアだそうでありますが
22:16決して何にもないという意味のゼロじゃなくて
22:19ものすごい大きな働きを持つゼロでございますね
22:23無限の可能性を持っているゼロですね
22:27ゼロという例えば当たっていると思うんですね
22:31数を扱う場合にゼロというのは本当に何もないことですけれども
22:37しかしゼロを加えることによって
22:39無限の数値が展開するわけでしょ
22:43そういう不思議な働きがあるわけです
22:461にゼロをつけますと10ですけど
22:49ゼロを2つつけますと100になりますし
22:51何もないところではなくて
22:53すごく大きな働きをなすわけですね
22:56分かりました
22:57じゃあそうした空というものが
22:59具体的にどういう生き方に連なっていくのか
23:03また仏典の中から
23:05ご紹介をして
23:07またお話を伺いたいと思います
23:09サーリプッタよ
23:13実にあなたの信心は喜びに輝き
23:17少女である
23:19サーリプッタよ
23:21あなたは今いかなるところに重しているのか
23:24セソンよ私は今多く空中に重しています
23:28サーリプッタよ
23:30サーリプッタよ
23:32サーリプッタよ
23:34偉人の重に重している
23:36サーリプッタよ
23:37なぜならば
23:38偉人の重こそ
23:40偉人の空中であるからである
23:42マジマニカーヤ中部経典という
23:44これもパーリー語で書かれた原始物典の一つでございますが
23:48先生ここに空中という言葉が出てまいりました
23:52空に重するという
23:54空の心境に自分は安住していると
24:01そういう意味です
24:03その前後にいろいろな話が付け加わっているんですが
24:13人々はですね
24:15何か拠り所として
24:17これが自分の拠り所だと思いますですね
24:20それでいいけど
24:21そのもっと元を見通していくと
24:27そうすると空の理にぶつかると
24:31自分はその空の境地に安住しているというんですね
24:36元の言葉で申しますとね
24:39これはスンニャタービハーラとなっているんですが
24:48スンニャタービハーラというのは空ですね
24:50それからビハーラと申しますのは
24:52とどまるとか安らうとか
24:55そういうような意味なんです
24:56普通の単語としては
24:58普通の単語としては
24:59ビハーラというのは住むところという意味で
25:02特に仏教の方では
25:04ビクたちがそこにとどまって修行する僧院
25:08商社 義音商社とか
25:10ああしたものもビハーラと
25:12そうです
25:13というふうに伺いまして
25:14そうです
25:15古い仏典ではですね
25:17修行者たちがとどまって
25:21くつろいでいるところ
25:23その建物をビハーラと言うと
25:25だから総員のことも言うわけですが
25:28元のサンスクリプト語で申しますとね
25:31ビハーラというのは
25:32そのくつろいでいること
25:35安らいでいること
25:38それを意味するんです
25:40単に住んでいるというだけではなくて
25:43何かゆったりと心安らいでいる状態
25:47そうです
25:48単なる重機じゃないんですね
25:50それと関連のあることで
25:52思い出しましたから申し上げますがね
25:55あの
25:57インドでもこの頃は
25:58レジャーセンターがたくさんできているんですよ
26:01そのレジャーセンターというのは
26:02これは英語ですわね
26:04我々日本人も使っているわけですが
26:06インド人はですね
26:07インドの言葉でそれを訳して使っています
26:10それはビハーラケンドラというんですよ
26:14なるほど
26:15ケンドラと申しますのは
26:17センターを
26:19インドの言葉に直したわけです
26:21語源はギリシャ語から出ているんですがね
26:24ビハーラがレジャーの意味
26:26レジャーの意味なんです
26:27つまり子どもたちでもですね
26:29楽しむ
26:30くつろぐ
26:31大人もですね
26:32そこでくつろいで
26:34世の憂い患いを忘れると
26:36それがビハーラなんですね
26:38もしビハーラという言葉が
26:40本来そうした意味があるといたしますと
26:43先ほどの文章でありますが
26:45サーリプッタシャリホツでありますが
26:47空に重視しているということは
26:51何かしかめつらく
26:53難しい顔して
26:54修行しながら住んでいるということではなくて
26:57もう本当に空に重視するということが
26:59ゆったりとした
27:01楽しんでいる状態にするんですよ
27:04そうなんです
27:06漢字で表現するのはなかなか難しいでしょ
27:09だからその漢訳書は空中と訳したわけですけどね
27:12しかしその元の意味はですね
27:15非常にこう
27:17くつろいでいる
27:19安らいでいる
27:20そういう心境を示しているわけです
27:23それで先ほどの文章でありますけれども
27:26確か冒頭のところに
27:28新人が空で喜びに輝いていると
27:32いったようなことがございましたのも
27:34それで分かるような気がいたしますですね
27:38なるほど
27:39そういう非常に空に重するということが
27:44心の安らぎを得させるような
27:47一つのキラキラした生き方であるということですが
27:51もう少しまた具体的な例を出しながら
27:55考えてみたいと
27:57こう思いますんですけれども
27:59今度は同じ空というものが実践されていくにしても
28:04死というものを直接問題にした文章がございます
28:08モーガラージャがブッダに尋ねた
28:14どのように世間を観察する人を
28:18死の王は見ることがないのですか
28:21常によく気をつけ
28:23自我に固執する見解を打ち破って
28:27世界を食うなりと感じよ
28:29そうすれば死を乗り越えることができるであろう
28:33このように世界を見る人を
28:36死の王は見ることがない
28:39スッタニパータ1119番
28:42短い文章でありますけれども
28:45死の死王にまみえることがないということは
28:49不死を得る死なないということで
28:51そういうことですね
28:52もちろん物理的な意味でのことじゃございません
28:55精神的なことでありましょうが
28:57ここに自我に固執する見解を打ち破って
29:03世界を食うなりと感じる
29:05そうすると死を乗り越えるとございます
29:09この辺少し内容的なご説明をお願いいたします
29:14死の王がまみえることがない
29:20死の王というのは
29:22元の言葉でマーラと申しますが
29:25これを悪魔と訳すこともございます
29:27魔と訳すこともある
29:29悪魔ですね
29:30悪魔のうちで一番恐ろしいものは死魔ですね
29:35死の悪魔です
29:37これが人間を襲っている
29:40我々はそれに脅かされている
29:43どうしたら恐れから逃れることができるか
29:48考えてみると
29:52我々は自分自身の奥に何か特別の自我と申しますかね
29:59霊魂といいますか
30:01そういうものがあると思って
30:03それが脅かされるんだと
30:07そう思っている
30:09けれども実体としての自我というものは
30:14考えてみるとあり得ないんじゃないか
30:19つまり我々がこの世に生まれてきたのも
30:22いろいろの縁が加わって
30:24それで父母から生まれたわけですね
30:27そして縁が消え失せれば
30:30またこの世を去っていくことになります
30:33その道理を見ることが空を感じるということなんです
30:38それによって我々は
30:42悪魔にとらわれることがなくなるだろうと言うんですが
30:50これは仏教の立場から
30:53いわば一種の安心ですね
30:57それを説いているわけです
30:59西洋ではどちらかと申しますと
31:06霊魂というものがあって
31:08その霊魂が不死であるということを基礎づけるというのが
31:14哲学者たちの仕事だったわけです
31:18ところが仏教の哲学者は必ずしもそうは思わなかったんですね
31:22無我という伝承もございますし
31:25無我という言葉も
31:27先ほど空はまた無我だというふうに教えていただきました
31:31また無我という言葉もいろいろ意味はあるようでありますけれども
31:36つまり我衆をなくせということと同時に
31:39霊魂的なものを認めない立場
31:43必ずしもそれを想定しない
31:45西洋の哲学ではですね
31:48例えばカントなんかもこの霊魂不死ということが一つの要請で
31:54それによって道徳が成立するという具合に言っておりますね
31:58日本の知識人でも大体それを報じている方が多いと思うんです
32:02けれどもですね
32:03仏教の哲学者はそこで一つの反省を加えるわけです
32:07もし霊魂という実態があってですね
32:09それが本当に不滅なものであればですね
32:13人を殺したって構わないじゃないかという議論が出てくるわけです
32:17本当に殺したことにはならないか
32:19だって殺すでしょ
32:21そうすると霊魂はまた乗り移る
32:23霊魂は残るんですから
32:25だから殺したことにならないんだって言うんですね
32:27そうするとその人を殺しても構わないということになる
32:29あるいはバラモン教の方で
32:33神々に犠牲地を捧げますね
32:37生き物を殺すのは可哀そうじゃないかと
32:39我々は思いますけれども
32:41しかしその一部のバラモン教の教義学者たちは
32:45いや彼らは殺されても霊魂があって
32:47それが天の世界に生まれるから構わないって言うんですね
32:51そうするとそういう考え方の方がかえって
32:53その道徳を破壊することになる
32:55なるほど
32:57これはインドに生活をしてみますと
33:01非常に感じるんでございますけれども
33:03インドの伝承の中で
33:07輪廻というものが
33:09かなり物理的な形で受け取られておりました
33:13人間が生きている
33:15亡くなる
33:17また別の形で生き続けていくという
33:19これが非常にストレートに受け取られております
33:25私どもは人間の一生
33:27これでおしまいという考えが強いんですが
33:29これが生まれ変わり死に変わりの
33:31長い広がりで見るとすると
33:35同じ人間が霊魂というものを中心で生き続けていく
33:39なるほどそうしますと
33:41例えば今のお話ですが
33:43バラモンたちが
33:45彩色お祭りをするのに
33:47生贄を捧げる
33:49これは現在
33:51特別な時にしか
33:53今はあまり行われませんけど
33:55それでもそうしたことの説明として
33:59それを殺すことも結局
34:01そうした
34:03お祭りに使われるために
34:05殺されるのであるから
34:07その鳥なら鳥の
34:09霊魂は救われて天に行くとか
34:11なるほどそういう説明は
34:13やはりそれなりの説得力を持っていたわけですね
34:16そうなんです
34:17その点を仏教の哲学者は盛りについたわけですね
34:21むしろ我々の存在というものが
34:25儚いものであるということを理解することによって
34:29人々に対する慈しみ同情というものも起きてくるわけですね
34:35お互いに儚いものだ
34:37だから生きている間は
34:39仲良く人に思いやりを持って暮らしていこうじゃありませんか
34:45そこから仏教の慈悲の道徳の理想が出てくるわけです
34:49そういう生活を心がけることが
34:52人間として本当の意味で生きているということなんだと
34:55そうなんです
34:56そこに生きる意義が実現されるわけです
34:59ということはそういう生き方をすることが
35:01死なないで生きていることである
35:03そういうわけですね
35:04そういうわけですね
35:05こういう考え方であるんですね
35:06そうなんです
35:07なるほど
35:08ですから決して本当に
35:10寿命がどうのということではなくて
35:12もっとその時その時を充実した
35:14本当に生き生きとした
35:16人生を展開していくことを不死と
35:19そうです
35:20死の王にまみえることがない
35:22こう見てるわけですね
35:23そういうわけですね
35:24なるほど
35:25そのためにはそうしますと
35:27やはりそれなりの空を生きると申しますか
35:32空を生きると
35:33空に重すると申しますか
35:34それなりの努力がないと
35:37いけないわけでございましょうけれども
35:39そうしたことを見事に言い当てた
35:43経典がございますので
35:45一つご紹介をいたしたいと思います
35:47勤め励むのは不死の境地である
35:52怠り怠けるのは死の境界である
35:56勤め励む人々は死ぬことがない
36:00怠り怠ける人々は死者のごとくである
36:04ダンマパダ北九郷の第21番でありますが
36:09ここに先生今のお話でありますけれども
36:12不死の境地あるいは死者のごとく生きる
36:16それは勤め励む人々にはそういうことがないのだと
36:19こういうことでは
36:20そうですね
36:21これは短い死の文句ですがね
36:23非常に感触が深いと思いますね
36:25人が生きているというのはどういうことであるか
36:28人として勤めているところにあると
36:32それぞれの人には勤めがございますね
36:35それを実現するところに
36:38人の生きているゆえがあるんだと
36:42ただその我々の肉体を保持するために
36:47どれだけかのカロリーをとっているということが
36:51それはその肉体は保持していることになりましょうけど
36:56必ずしも生きているということは言えないと
37:00生きているということは勤めることであると
37:04ここでですねまた前に出ました
37:07飛ぶ鳥のたとえが生かされると思うんですよね
37:12この鳥は空を飛んでて
37:16ああ楽しそうでいいなと思うけど
37:18やっぱり飛ぶという努力はしているわけなんですね
37:21鳥が飛ぶのをやめましたらね
37:23そしたらバタッと押して
37:25それから本当に死んでしまうわけですよ
37:28鳥なりに飛ぶ努力をしている
37:32それと同じように人間もですね
37:35その勤め励むというところに生きるゆえがあると
37:40いうことを教えておられるわけです
37:44じゃあそこでこういう疑問が出されるかもしれませんが
37:48その例えば病気の方もありますね
37:53なかなか体を動かせない方もある
37:55そういう人々はどうしたらいいんだ
37:59丈夫な人々のような労働はできないでしょう
38:03けれどやはり充実した生き方というものを示すことはできるわけです
38:08例えばその病人の方がですね
38:14人に会って
38:17その優しい言葉を人にかけると
38:21そうすると会いに来た人がですね
38:23そこに喜びを感じるわけですね
38:25またその笑顔を施すということも
38:31仏典で説かれていることでありますが
38:34病んでいる方が笑顔を見せてくださればですね
38:39未満と人も嬉しくなりますわね
38:42心の交流ができるわけです
38:44ですからたとえ体が動かなくてもですね
38:48やはりその方は生きておられることになるんですね
38:51あの充実感を確かめながら生きるということは
38:55必ずしも健康な時だけとは言えない
38:59もう本当にその通りだと思います
39:01今先生の話を伺いながら
39:04最近これは本で読んだものでありますけれども
39:08ある20歳前後の若いお嬢さんが不幸な事故にあって
39:14足を失うような身体不自由なことになって
39:18いろいろ悩まれたことはもちろん間違いないんですけれども
39:22その方が私はもともと本を読むのが好きで
39:27今度足が不自由になったからあんまり外へ出ないで済むから
39:32本を読む時間がたくさん増えてうれしいわとおっしゃったという
39:37そこで人工的な義足がつきます
39:42前ほどはもう動けません
39:45そうしますと前からやろうと思っていた
39:49お料理がうちの中でとってもよくできるからうれしいという
39:53こういうふうにさりげなくおっしゃるまでにも
39:57どれだけ苦労されたかというのもよく分かるんですけれども
40:01しかしとにかくそういうふうに見方を高い立場に立って
40:05展開しながら見れるというところに
40:08今先生のおっしゃいました
40:10充実したと申しますか
40:13努め励みながら生きがいを確かめていく生き方というものが
40:19出てくる余地もあろうかと思うんですね
40:21そう思いますね
40:22この我々の生きている世界というのは
40:25ただ目で見えているだけの範囲のことじゃないんですから
40:28思いを馳せますとですね
40:30その裏にその奥に不思議な力が働いているわけです
40:35そこまで思いを馳せますとですね
40:37それぞれの人の生き方というものが出てくるんじゃないでしょうか
40:41先ほどのお話で
40:43空飛ぶ鳥が羽を動かすのをやめると
40:47墜落をしてしまうという
40:48同じように私どもも
40:51一生懸命生きていくところに
40:54その努力を続けるところに
40:56空に重する秘訣があるんでしょうけれども
40:59その辺のところをもう少し突っ込んだ形で
41:03一つ文章がございますので
41:07これをご紹介をしたいと思いますが
41:10これは日本の指導
41:13無難禅師の言葉なんでありますが
41:16住むところ
41:17なきを心のしるべにて
41:20そのしなじなにまかせぬるかな
41:23これにはタイトルがついておりまして
41:27オウムー小獣 二小合心
41:30まさに重するところをなくして
41:32しかもその心を生ずべしという
41:35こういうことでございますが
41:38やはりその努力
41:40これは先生
41:41努力をしながらこだわらないということでしょうか
41:44そういうことですね
41:46これは今後経の言葉ですね
41:48非常に有名でよく知られておりまして
41:52それを指導無難禅師が
41:55この和歌に表現されたわけですが
41:58今後経の実践観というものは
42:05ここに集約的に表現されていると思うんですね
42:08いろいろ伝えがございますが
42:12例えば禅宗で有名な六祖江能という方は
42:16滝木をこりに行ったと
42:19その時にあるお坊さんが
42:22金剛経を独自していて
42:26オウムー小獣 二小合心と言われた
42:30そこではっと思ってですね
42:32自分は仏門に入りたいと思って
42:36それで修行に勤めることにされたと
42:43そういう伝説があります
42:44これは伝説ですからどこまで本当か知りませんけどね
42:47しかし非常に六祖江能禅師の
42:50仏法を修行される時の話
42:52しかもその空に重するといいますか
42:57こだわりを離れるといいますか
43:00非常に重要なポイントを得ている
43:02伝承のように思うんですけれども
43:04そう思いますね
43:06オウムー小獣でしょう
43:08滞るところがなくてですね
43:09そしてしかもその
43:12悟りを実現しようとする
43:14理想を実現しようとする
43:16その心を生ずべきであると
43:19それを具体的にどう表現するかということになりますとですね
43:22指導無難禅師が言われましたように
43:25その品々に任せぬるからということになるんじゃないでしょうか
43:29人々の置かれている境地はいろいろ違います
43:32仕事も違います
43:34だからそれぞれに応じてですね
43:36こだわりのない気持ちで理想を追求していくというところに
43:42集約されるんじゃないでしょうか
43:44仏法の修行だからこうしなければならない
43:47右向け右ってわけにはとてもいかないと思いますし
43:50また私どもが生きていくということであるだけに
43:54そうした一人一人の個別なものでなかったら
43:59生きていくことになりませんでしょうしね
44:02早い話が例えば自動車の運転をするに至りましても
44:08運転するのは一人一人別でございましょうし
44:12やはり努力する生きていくということは
44:14それに似たものがございましょうしね
44:16そうですね
44:18自動車を運転する方でもやはり
44:21車に応じてですね
44:23それぞれの方の好き好みというか
44:26特性が出るようですね
44:27これはもう当然のことだと思います
44:31やはりあのたまたま車の話が出たんですけれども
44:35やはり
44:37その重する心を生じてしかも滞るところがない
44:43やはりこれは
44:44あの
44:47何か一つの理想を掲げまして
44:50生きていく努力はもう続けなければしょうがないんですけれども
44:54それがいつまでも私はしてるこうしてるという
44:57こだわりがあると本物ではないという面が一つ
45:01そう思いますね
45:02理想を掲げるのはこれはもうぜひ必要なことですけど
45:06その理想というものをですね
45:08何か空虚な概念と誤り返してですね
45:11で固執してると
45:13とんでもないことになる
45:17やはりそこは柔軟なですね
45:20融通の効く
45:22それぞれの置かれた事情に応じて
45:24最も適切な仕方で理想を具現すると
45:29いうことが必要じゃないでしょうか
45:32それぞれの人間がこう
45:34努力をしながら
45:36それが水の流れるような形で
45:39自分の身についたものとなっている
45:43仏教の方で三昧という言葉がございまして
45:48一般的には読書三昧とか
45:51何か夢中になって一つのことをやっている
45:55ということに使われますんですけれども
45:57何かこの三昧というものが
46:00空に重する生き方と
46:03そこでくっつくものが
46:06あるというふうに
46:08そうですね表裏の関係にあると
46:10申しましょうか
46:12三昧と申しますのはね
46:14サンスクリット語のサマーデヒの
46:16音を写しただけのことです
46:183つっていう
46:19一つっていう字には別に意味がないんですが
46:23サマーディと申しますのは
46:25心の統一ですね
46:27邪念を離れて心を統一すること
46:33それがサマーディでした
46:35別の言葉ではヨーガとも申します
46:37ヨーガっていうのはですね
46:39精神統一でもあると同時に
46:41また元の意味は務めることっていう意味です
46:44だから仕事に務めることもやはりヨーガなんですね
46:46ごとに努力して仕事に勤めることを
46:51インドではカルマヨーガと申します
46:53
46:56集中するその中心はあるわけですが
47:01それをその実践する努力する
47:03そこまでそのヨーガとかサマーディということの中に
47:07含められるわけです
47:08そうした一つの生き方というものが
47:13具体的にどういう具体例として
47:17出てきうるのかという
47:20宮本武蔵の例を
47:23ここでご紹介をいたしたいと思うんですけれども
47:27武士の行う道少しもくらからず
47:33心の迷うところなく
47:36長々時々に怠らず
47:38真意二つの心を磨き
47:42観見二つの目を研ぎ
47:45少しも曇りなく
47:47迷いの雲の晴れたるところこそ
47:50実の空と知るべきなり
47:53宮本武蔵五輪の書
47:56空の巻
47:58ちょうどオリンピックの最中なんでありますけれども
48:03ここで言います五輪の書
48:05これはもう皆さんご承知のことかと思いますけれども
48:08地水、河風、空という
48:10五つの世界を構成するといわれる五大元素
48:15それになぞらえて
48:16地の巻、水の巻、火の巻というような形で
48:24いわばチャプターといいますか
48:27章を分けて宮本武蔵が
48:30剣の心絵を描いたものと
48:33こういうわけでございましょうけれども
48:36ここで
48:38宮本武蔵が
48:42仏教の空というものを
48:45どこまで
48:47勉強されたかというようなことは
48:49私もよく存じませんのですけれども
48:51やはりここに
48:53心の迷うところなく
48:55それから
48:57迷いの雲の晴れたるところ
48:59それが
49:01毎日毎日怠るところないところに
49:03そうしたものが出てくると
49:05そうしたようなことかと思いますのですけれども
49:07剣道の達人の心構えでしょう
49:10まあ
49:12あの
49:14私ちょっとこれも
49:16そう専門的にやっているわけでもございませんのですけれども
49:22あの
49:24真意とか感見とか
49:26なんかこう
49:27非常にこう
49:28基本的な心の持ち方
49:29ものの見方
49:31そしてそれが具体的に
49:32生活の場になったときの
49:34具体的な働き
49:36そうしたものが
49:38ピタッとこう一つになるような形で
49:40あの
49:42一つのことをやろうと
49:45志しながらその
49:47やろうという
49:49こだわりも捨てて自由自在に
49:51こう体が動いていく
49:53どうもそういう境界のようでございますけれども
49:55考えてみますと
49:58自由自在というのも
50:00そういうところに秘訣があるようにも
50:02私は思うんでございますけれども
50:04そうですね
50:06自分が何かしようと思うときに
50:10妨げがない
50:12それが自由自在ということでしょうから
50:14一つその自由自在の極地を一つ
50:17道元禅寺のお歌の中から
50:21ご紹介をして
50:23その辺を一つまたお話を伺いながら
50:26まとめをいたしたいと思いますが
50:29水鳥の行くも帰るも後絶えて
50:34されども道は忘れざりけり
50:38道元禅寺三章同映の中の
50:42一つのお歌でございますが
50:45本日の一番最初に原始仏典の中に
50:51その鳥の飛ぶ跡なしというのが出てきました
50:55日本の道元禅寺になりまして
50:58水鳥の行くも帰るも後絶えて
51:01されども道は忘れざりけり
51:03やはり言葉を使って言えば
51:07食うという生き方がずっと連なっている
51:10ということでございます
51:12そうですね
51:14最初期の仏教で
51:16飛ぶ鳥のたとえが出てきました
51:18それから我が国に
51:20その教えが導き得られて
51:23またここでですね
51:24その仏教の実践の極地を示すものとして
51:30道元禅寺がこのように読まれたということは
51:33これは全くこう
51:36不思議な偉大なことだと思いますですね
51:40そして今のお歌の
51:42道は忘れざりけりと
51:44これは水鳥のことに託して言っておりますから
51:49水鳥がこう
51:50あとを残さず自由自在に生きながら
51:54ちゃんと行き着くところは行くということ
51:56やはりこの道は
51:58仏教の方で言うならば
52:00一つの道
52:02理法
52:03理想
52:05
52:07そういう
52:09風でよろしいわけでございましょうね
52:11水鳥はもう自由自在に飛んでますから
52:15勝手に覚えているのかと思うと
52:17決してそうじゃないわけですね
52:18やっぱりその
52:21北の方の国に住んでいっても
52:25冬になって寒くなると
52:28南の方へ飛んでやってまいりましょう
52:31そしてまた時期が来ると
52:34元へ戻っていくと
52:36ちゃんと方向を知っているわけですね
52:39決してでたらめに飛んでいるわけじゃないんです
52:42もしでたらめに飛べば本当に死んでしまいますから
52:44まあ我々には分かりませんけど
52:48やっぱり水鳥には独特のこの感覚の機能がありましてですね
52:54それで行くべき道を知っているわけなんですね
52:57それで人間にあざやめてみますと
53:00自由自在といっても
53:01何でもでたらめに勝手なことをするという意味じゃないんですね
53:07人間にはやっぱり行うべき道筋というものがある
53:13それはところにより時によりいろいろな
53:21実践の仕方は違いましょうけれど
53:24その方角は一定しているわけですね
53:27それを仏教ではドラルマとか
53:31訳して法と言っているわけです
53:33だからこそ仏法というわけですね
53:35本当に達した人は法を忘れることはないわけなんです
53:43改めて自分は法に則っているんだぞなんて
53:47言わなくてもですね
53:49その方のなされることは
53:51一人でに人間の理法に合致していると
53:56最初はですね
53:58やっぱり戒律なんてものもありますからね
54:01修行者の方は改律を実践するでしょう
54:05また世間の方々はそれほど厳しい改律でなくても
54:10やっぱりこのように生きるべきであるという
54:14その生き方をですね
54:16努めて大得されるでしょう
54:18けれども大得されるとですね
54:20もう身についてしまうんですね
54:22ことさらに自分で努力しないでも
54:26自ずからこの道に合致して
54:32道から離れることがないと
54:34そういう境地に達しておられることを言うんだと思います
54:38これは中国の言葉ですけれども
54:40欲するところに従って
54:42ノリを超えずというのがございます
54:45同じことですよ
54:47あれはその中国の
54:49儒教の言葉でしょうがね
54:51儒教だろうが仏教だろうが
54:52人間の理法というものが
54:55普遍的なあまなきものですね
54:57誰でも従うべきものですから
54:59だから達している人は
55:01自らの道を実行している
55:04必ずしも難しいことじゃないと思うんですね
55:07現代の生活ではですね
55:09ドライブに慣れておられる方はですね
55:13達している方は楽に運転しておられますね
55:17最初はですねやっぱり規則を全部覚えなきゃいけない
55:19なかなか苦労されたと思うんです
55:22また規則を覚えなきゃ
55:24実行しなきゃいけません
55:26けれども達してしまうとですね
55:27我が身についているわけです
55:29だからゆうゆうとドライブしてですね
55:31そして決して道から外れたことはしないわけですね
55:34運転しているという意識さえも
55:37消えていて
55:39しかも間違わずに運転してまいりますね
55:42もうその車の輪がですね
55:44自分の体の一部になっているわけですね
55:46その方にとっちゃう
55:47昔から例えば
55:51馬術の名人は人馬一体という言葉を言いますし
55:55今でいうと
55:57人間と自動車が一体ということでありましょうか
56:00あるいは
56:02別にオリンピックだからいうわけではないのでありますけれども
56:05例えば
56:07テニスのようなものであっても
56:10道具を使う体操競技のものであっても
56:12本当にこう
56:14最初はもう血みどろの練習をするんでしょうけれども
56:18本当にそれがもう
56:20ピタッとその一つになって
56:22例えばテニスであれゴルフであれ
56:25ラケットの長さとか
56:27クラブの長さが
56:29それだけ手が伸びたかと思うぐらいに
56:31自由自在に動いていく
56:34それが
56:36練習の初期はなかなかできないですけれども
56:39それが慣れてくる
56:41やはり空中と申しますのは
56:43あるいは努力を続けるということは
56:45そういうふうに
56:46未熟なところから熟練するまでのプロセスはあるけれども
56:51しかしその理想を求めて
56:55道を外れることなく
56:57しかし日々に努力をしていくことが
57:02空に重することであり
57:04それが次第次第に身についたものとなっていく
57:08そこにそのこだわりがないといいますか
57:10オウム・ショウジュウ・ニーショウ・ゴウ・シンという
57:16今後、今日の先ほどのお話の境地に到達する
57:20素晴らしい境地ですね
57:22一つの境地を教えて
57:25仏教が教えているわけでございましょうね
57:28そうですか
57:31本日は
57:36実は飛ぶ鳥の跡
57:40飛ぶ鳥に跡がないということを
57:43テーマとしながら
57:45それが私どもの毎日の生き方の中に
57:49どのような意味を持つのか
57:51いろいろな面から実は伺ってきたわけでありますけれども
57:56空ということが私にとって
57:59私どもの生活にとっても非常に身近な問題でもある
58:03というようなことかと思いますが
58:04本日はどうも先生ありがとうございました
58:07ありがとうございました

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