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  • 2025/5/1
原発事故で今も多くの人々が避難生活を余儀なくされる福島県の双葉、大熊の両町。戦後、現金収入の少ない生活は厳しく、多くの人々が出稼ぎに出た。昭和42年に原発の建設が始まり、町の経済は電源三法交付金などで潤っていく。その後、運転初期のトラブルなどから反対運動も起きるが、町の財政が悪化するなか、増設を求める声も生まれていった。地元の人々や福島県、東京電力の関係者の証言から原発と生きた町の戦後を描く。

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ニュース
トランスクリプション
00:00:00第1原発
00:00:30田主守さんは東京電力福島第一原子力発電所の間近に住んでいました
00:00:54福島県大熊町の自宅は機関困難区域に指定されています
00:00:591年ぶりに一時帰宅しました
00:01:03原発事故から間もなく3年
00:01:24住民の多くが未だふるさとへ帰ることができません
00:01:30原発事故のあった福島県東部は浜通りと呼ばれます
00:01:40農業に適した土地が少なく
00:01:46戦後多くの人々が出稼ぎや集団就職を余儀なくされました
00:01:52それは貧しかったですよ
00:01:59福島県のチビットと呼ばれているくらいの貧しい地区だ
00:02:04昭和42年
00:02:07ここに原子力発電所の建設が始まります
00:02:11その後原子炉が10基建ち並ぶ
00:02:15日本有数の原発立地地域となりました
00:02:19新たな雇用が生まれ
00:02:25町は大きく変貌していきました
00:02:27しかし運転開始直後からトラブルが続き
00:02:50それに不安を覚えた人々が原発反対運動を起こします
00:02:55浜通りの運動を率いたのが
00:02:59双葉町の岩本忠夫さんでした
00:03:02反対運動はやっぱりなくしながらないと
00:03:07そうでなければこれから先の双葉軍がどうなるのか
00:03:10わからないということになりますから
00:03:12その後岩本さんは双葉町の町長になります
00:03:20やがて原発の増設を求める立場に変わっていきました
00:03:29東京全力第一原子力発電所
00:03:36増設についての要請書の文章を持ってお伝え申し上げています
00:03:45感謝感激に絶えません
00:03:47心から御礼を申し上げます
00:03:50まさかそこまであっても
00:03:51原発2基増設まで走るだろうというふうには思っていますね
00:03:57やはり町民の皆さんが望むことであれば
00:04:04原発とやはり
00:04:06共生をしていかなければいけないというね
00:04:08そういう思いは
00:04:11そのところはやっぱりこう
00:04:14変わってきたのかなというふうには思いますけれども
00:04:16日本の戦後を地方から見つめるシリーズ
00:04:22日本人は何を目指してきたのか
00:04:26第5回は原発とともに生きてきた
00:04:31福島浜通りの記録です
00:04:34東京電力福島第一原子力発電所
00:04:55汚染水の処理と廃炉に向けた作業が進められています
00:05:006基の原子炉が
00:05:05双葉町と大熊町に設置されていました
00:05:08事故後
00:05:132つの町は警戒区域となり
00:05:16町民すべてが避難します
00:05:17今も町の大部分は
00:05:22帰還困難区域に指定され
00:05:24人々は自宅に戻れずにいます
00:05:27あ、ごめんください
00:05:34双葉町から70キロ離れた町で
00:05:40避難生活を送る家族がいます
00:05:42田中みのるさん
00:05:4882歳
00:05:49米とタバコを作る専業農家でした
00:05:53みのるさんの家族は4世代10人
00:05:58ひまごも4人います
00:06:01震災直前に誕生した
00:06:05一番下のひまごは
00:06:07もう3歳になりました
00:06:09みのるさんの長男
00:06:14新一さん
00:06:1563歳
00:06:17東京電力の関連企業に
00:06:20勤めていました
00:06:21帰還困難区域の住民は
00:06:34月に一度
00:06:35一時立ち入りが許されています
00:06:38この日
00:06:40田中さん親子は
00:06:42双葉町の自宅へ向かいました
00:06:44田中さんの家は
00:07:09第一原発の敷地から
00:07:11100メートルのところにあります
00:07:13これが我が家だったの
00:07:18家の中は
00:07:22震災直後のままです
00:07:25帰還の目処が立たないため
00:07:30片付けようという気持ちになれないと言います
00:07:34本当にそのまま
00:07:47そのまま
00:07:49ストーフル
00:07:51ここだと掛けたもの
00:07:52ここの孫さんに入れていたと
00:07:55やっぱり
00:07:55自宗のだけ
00:07:56これこいつも混ぜて
00:08:00田中さんの先祖は
00:08:11江戸時代の後期に
00:08:12ここに移住しました
00:08:14当時
00:08:16大貴金などで
00:08:17人口が激減したため
00:08:19入植が奨励されていたと言います
00:08:22以来
00:08:274代にわたって
00:08:29荒れ地を開墾し
00:08:31農業を営んできました
00:08:33高さ30メートルもの断崖が続く浜通り
00:08:56人々は
00:08:58わずかな平坦地を耕しながら
00:09:01厳しい生活を送ってきました
00:09:03双葉町と大熊町にまたがる大地には
00:09:11戦時中
00:09:12陸軍の飛行場がありました
00:09:15敗戦後間もなく
00:09:17その跡地に
00:09:19園田が作られます
00:09:21人々は
00:09:24成園の仕事で
00:09:25貴重な現金収入を得ました
00:09:27当時16歳だった田中実さん
00:09:37園田で働き
00:09:39家計を助けました
00:09:40ずっと稼ぎに行ったのは
00:09:46やっぱりそれも
00:09:47知っている人に頼まりで
00:09:49これ一枚を送ると
00:09:52いくらでも
00:09:53単価決まっているのな
00:09:54一日何も出ないんだ
00:09:56腕次第で
00:09:58その園田作る頃までは
00:10:01統制がなかったのよ
00:10:03戦後すぐだったから
00:10:04ほんで始まったんだから
00:10:06仕事を作ってやる
00:10:08儲けっぽいと思って
00:10:09そのうち今度統制になって
00:10:11重量販売できなくなったんだよね
00:10:14ほんで辞めちゃった
00:10:19園田からの現金収入が途絶え
00:10:22農業に頼るしかなかった浜通り
00:10:26海岸近くの農地は
00:10:30園外などで生産性が低く
00:10:32厳しい生活が続きました
00:10:34これが仏壇です
00:11:02大熊町に住んでいた
00:11:14田主守さん
00:11:1675歳
00:11:17先祖代々大切にしてきた仏像を運び出し
00:11:22山梨県で避難生活を送っています
00:11:25戦後間もない頃
00:11:29農業だけでは生活が苦しく
00:11:32仙台や東京に出て稼ぎました
00:11:35トラクターに乗って農業をやりながら
00:11:40トラックの仕事をやってて
00:11:44みんな600円700円の給料を取って
00:11:49で稼ぎだったんですねやっぱり
00:11:52外へ行って働いてお金を取って生活してたと
00:11:57それは貧しかったですよ
00:12:01大熊町の生活というのは
00:12:08福島県のチビットと言われているくらいの貧しい地区だった
00:12:15浜通りの暮らしを良くするにはどうしたら良いのか
00:12:21その課題に向き合ったのが
00:12:24地元選出の衆議院議員で
00:12:27後の福島県知事木村守也でした
00:12:31双葉軍は兵炭地が少なく
00:12:35海岸線も絶壁で利用価値が少なかった
00:12:39軍民たちは工場誘致でもできないものかと
00:12:45集まる度に陳情された
00:12:47ある時私はふとこの地を利用するには
00:12:54原子力発電所以外にないのではないかと考えた
00:12:58昭和31年
00:13:04国は原子力開発利用長期計画を策定します
00:13:09原子力の実用化によって
00:13:14産業の急速な進展を可能にしようというものでした
00:13:17日本はエネルギー小国ですから
00:13:21何とかエネルギーを確保しなきゃいけない
00:13:24その主力は化石燃料の輸入であると
00:13:30それだけではなかなか将来性がないという時に
00:13:38原子力エネルギーという非常に画期的な
00:13:40エネルギーが日本でもこれを活用できることになったと
00:13:46だから非常に前途洋々という感じでおりましたですね
00:13:50電力会社は社員をアメリカに派遣
00:13:56商業用の原子炉を視察するなど
00:13:59日本への導入を目指します
00:14:02東京電力も原子力発電所の候補地を探し始めます
00:14:11東京電力の車種によれば
00:14:17候補に上がったのは東京湾沿岸や神奈川県
00:14:23房総地区でした
00:14:25しかし人口密集地で広大な用地を入手することが困難だったため
00:14:33茨城県や福島県の沿岸にも着目し
00:14:37調査を進めていました
00:14:39こうした動きに福島県はどう対応したのでしょうか
00:14:50木村守恵知事の側近佐藤宗光さんです
00:14:55木村守恵が東京電力と接触していたことを
00:15:01後に木村本人から聞きました
00:15:03木川田さんに世話になったと言ってましたから
00:15:09なってんだとかなったとか言ってましたから
00:15:14それはどういう檻に世話になったということですか
00:15:16うーんやっぱり
00:15:24建築力発電所が来ることになったので
00:15:28木川田さんに世話になったというようなことを言ってましたからね
00:15:31当時東京電力の副社長だった木川田和孝は
00:15:37福島県の出身でした
00:15:39やっぱり木川田さんとしても東京電力としては
00:15:46原子力発電所がぜひ欲しいと
00:15:48それにはうちの会社の連中が調べたところによると
00:15:54福島県の二葉郡の海岸が適当であると
00:15:59最終的に
00:16:01いうんでやっぱり何とか持っていきたいと
00:16:04木村知事はやっぱり
00:16:06二葉郡を何とかしようと思って
00:16:09いろいろとやってたと
00:16:11衆院議員から
00:16:13その前からかもしれませんけど
00:16:16そしていろいろやったけども
00:16:17企業誘致向上というのは
00:16:20やっぱりなかなか難しいとくるのは
00:16:22これはちょうどいいと
00:16:25言うんで
00:16:26俺が前から思ってたように
00:16:28最終的な原子力発電所を持ってこようと
00:16:32両方思惑が一致して
00:16:34だからどっちがっていうことはなかったんでしょうかね
00:16:38両方同時に平行的に
00:16:42良くなったんじゃないですかね
00:16:44後に木村は木川田との対談で
00:16:50こう述べています
00:16:51二葉地区は産業開発はおぼつかない地域だったが
00:16:58木川田さんは日の当たらないところに
00:17:02日を当ててもらったわけで
00:17:04喜びに絶えない
00:17:06東京電力は大熊町と二葉町にまたがる区域を敵地として
00:17:17昭和38年
00:17:19用地取得の圧戦を福島県に申し入れました
00:17:23二葉町の田中実さんと新一さん親子です
00:17:31当時田中さんの家と田畑は
00:17:58原発の建設予定地にありました
00:18:01田中さんたち知見者は
00:18:05地区の集会所で説明を受けました
00:18:07とにかくエネルギーって
00:18:11ウランっていうのかな
00:18:14ドラム缶に換算して何本ぶりされ
00:18:20あのエネルギーは
00:18:21そんな説明から始まったのよ
00:18:24これ真新しい耳にしたことない話だから
00:18:28みんな口開いて消えてた
00:18:29そしたら何て教えてたのよ
00:18:31それは絶対盛りなくするって言うとか
00:18:33そういうの出ないって話だから
00:18:35二葉町の職員だった岩川芳生さん
00:18:39福島県の担当者が
00:18:43治験者の家を訪ねるとき
00:18:45案内役を務めました
00:18:47そこで聞いた説明に
00:19:14期待が膨らんだと言います
00:19:18聞いた内容は
00:19:21いや将来はすごくなるな
00:19:24すごい地域になるなという感じが
00:19:27受けましたからね
00:19:28発電所がね
00:19:30完成すれば工場
00:19:33大きな工場が誘致できると
00:19:37東電あるいは誘致した企業の
00:19:41そこで働く人たちのね
00:19:44生活基盤を整備しなくちゃならないと
00:19:47いうようなことで
00:19:48ショッピングセンターなんかも
00:19:51必要になってくると
00:19:52薔薇色の構想って
00:19:54それが当たり前だと思ってたもんね
00:19:56当時は
00:19:57我々は
00:19:58結局この子の生活から
00:20:00脱却できると
00:20:01私ながら思ったわ
00:20:03やっぱりな
00:20:04テレビも感じな
00:20:06何も感じな
00:20:07っていう
00:20:08俺が悪なるって思っただけで
00:20:10子供だから素直に
00:20:11嬉しかったみたいな
00:20:12結局
00:20:13新しいエネルギー
00:20:20原子力による発電所を建設するのは
00:20:22そのためである
00:20:26昭和39年
00:20:28東京電力は原子力発電所の建設計画を発表
00:20:34用地の整備から建設に至る経緯を記録した映画です
00:20:43高さ約30メートルの断崖が切り立つ
00:20:48豪陽たる大地
00:20:50この太平洋を眼下に臨む大地上に
00:20:53新しいエネルギー源による
00:20:55福島原子力発電所が建設されようとしている
00:21:04そして敷地の造成が開始され
00:21:07発電所建設の第一歩を踏み出した
00:21:10建設で生まれた新たな雇用は
00:21:15町の人々の暮らしを大きく変えました
00:21:21今ここに一つの偉大な建設が
00:21:24成し遂げられようとしている
00:21:26メタコトのような仕事だったから
00:21:31鉄筋も基礎の一番底の
00:21:36普通我々の捨てコンクリートって
00:21:39基礎を打つ前に白あたくコンクリートでしょ
00:21:43そのコンクリートの鉄筋がね
00:21:4540ミリの鉄筋だから
00:21:47太さ
00:21:48普通のだから
00:21:50一般の地方のああいう鉄筋の仕事なんて
00:21:53あんな太い鉄筋使わないもんだって
00:21:55地元で働けるってことは
00:21:57運ぶことにいいんだから
00:21:58最高だめんだって
00:22:00うん
00:22:02今まで言ったように
00:22:03わざわざね
00:22:04家族と離れて
00:22:06デカサギもすることにいいし
00:22:08その点では
00:22:10良かったんでね
00:22:11みんなそれぞれね
00:22:12昭和38年
00:22:28国産初のテレビアニメ
00:22:30鉄腕アトムの放送が始まります
00:22:34平均視聴率は30%を超え
00:22:37原子力が夢のエネルギーとして認識されていきます
00:22:41その頃
00:22:44日本は年平均10%を超える
00:22:47高度経済成長期を迎えていました
00:22:53福島第一原発の建設が進むと
00:22:56街は活気づきます
00:23:04多くの人々が街に集まり
00:23:06人口も増えていきます
00:23:08さらに原発の仕事を受け負う関連会社も
00:23:20多く作られていきます
00:23:27大熊町で農業をしながら
00:23:29トラックの運転手をしていた
00:23:31田主守さん
00:23:35原発の建設が始まると
00:23:38運送会社を立ち上げました
00:23:41原子力運送という名前で
00:23:44みんなにびっくりされたけども
00:23:46いい名前つけたな
00:23:48いい名前がどうかは分からないけども
00:23:50自分では
00:23:52名前はユニークだったですね
00:23:53東京のゼネコンから原発の建設資材を運ぶ仕事を得て
00:24:01トラックの台数も年々増えていきました
00:24:04最初はね
00:24:105代で始まったんだけども
00:24:13増やせよ増やせよで
00:24:16仕事がいっぱい入ってきて
00:24:19で、あんたんとこの会社は
00:24:21タギノコの会社だなという
00:24:23ふうなことをみんなに言われて
00:24:26育ってきたもんですから
00:24:29本当になんて表現したらいいか
00:24:32分かんないけども
00:24:35まず仕事は持ちようになってやったな
00:24:39うん、さまさま、本当にさまさまだね
00:24:42だって仮想地に
00:24:44そういうあのでっかい会社が来て
00:24:48これは本当に神様仏様だよ
00:24:54福島県の木村守恵知事は
00:24:58さらに浜通りに原発を増やそうとします
00:25:00昭和43年、富岡町と奈良葉町に
00:25:09福島第二原発を誘致することを発表
00:25:13さらに東北電力は
00:25:16浪江町と小高町に原発を建設しようとします
00:25:19しかしこの計画には
00:25:24地元から反対の声が上がりました
00:25:27その背景には
00:25:29急激な経済成長の陰で生じた
00:25:33公害問題がありました
00:25:35工場排水や煙などによる
00:25:39健康被害が明らかになり
00:25:40各地で反対運動が起きていたのです
00:25:50浜通りの富岡町、毛ヶ谷地区です
00:25:55福島第二原発の予定地でした
00:25:58この地区の地検者は原発の安全性に疑問を持ち
00:26:08全員が反対の声を上げました
00:26:11やっぱり原発って怖いもんだから
00:26:15第一の原発は開けなくて違ったんじゃない?
00:26:18あちら分からないうちに
00:26:20そうそうそう
00:26:22お父さんたちは絶対反対だなってほら
00:26:25いろいろそういう
00:26:28県庁さん行ったり何だりもしたことでしょうけど
00:26:32木村知事は
00:26:36東京電力から用地買収の委託を受け
00:26:41毛ヶ谷地区の説得に乗り出します
00:26:49木村知事の特命を受けたのが
00:26:52当時福島県の土地開発公社に勤めていた
00:26:57小林照夫さん
00:26:59住民の厳しい反発に遭いました
00:27:02俺は部落に入ってくると
00:27:06みんな都市見てたんだ
00:27:11パタパタパタパタ
00:27:14知事さんが言ったからって
00:27:17それが安全だっていうふうに我々は考えられない
00:27:21確かに
00:27:24こっちも絶対安全だという証拠もないんだよな
00:27:28だから
00:27:31実際のはずでしょう
00:27:37が稼働している
00:27:41安全に稼働している
00:27:44そういう姿を見せてやりたいなと
00:27:47そこで小林さんは
00:27:52知見者たち150人余りを
00:27:54福井の鶴ヶ原発に案内し
00:27:57その安全性を訴えます
00:27:59コンニチワー
00:28:03コンニチワー
00:28:07コンニチワー
00:28:09コンニチワー
00:28:11コンニチワー
00:28:13その足で大阪万博にも案内しました
00:28:17呼び物の一つに原子の火がありました
00:28:23その電気は
00:28:26知見者たちが見た鶴ヶ原発から送られていました
00:28:29大阪万博を見せて
00:28:35大阪万博を見せて
00:28:38これは喜んだな
00:28:40だから行く前と
00:28:47帰ってからではガラッと
00:28:50そのあんたたち
00:28:55希望があれば
00:28:57文書に捨て出せと
00:29:01そこで言ったんだ
00:29:03そしたらね
00:29:05我々の住民を
00:29:06その東京電力
00:29:10あるいは関係する会社に
00:29:14就職させてほしい
00:29:18
00:29:20生活の問題なんだ
00:29:23彼らにすれば
00:29:25なぜテスト1か月も2か月も
00:29:28別れで生活してるわけだから
00:29:31みんな
00:29:33その
00:29:34予備さんたちは可哀想いよ
00:29:38なら
00:29:40弟子がここで働ければ
00:29:44
00:29:46あるいは息子も一緒に働ければ
00:29:48最後は
00:29:51木村知事自らが
00:29:53現地へ足を運び
00:29:55特別配慮金1億円を上積みします
00:29:58最後まで反対していた人も
00:30:02応じざるを得なくなりました
00:30:03我々はここでまた反対を
00:30:13叩きとって
00:30:15ダメだって言って
00:30:17国でやることだから間違ったことはするまいっていうわけで
00:30:24そしてね
00:30:26家族が
00:30:28そこで勤めて
00:30:30それが一番ありしたんのかな
00:30:33自分だけで反対したって
00:30:36通るわけないし
00:30:37これから来たんだね
00:30:39昭和46年
00:30:47福島第二原発の用地買収が完了
00:30:50その1週間後
00:30:56ついにその時が来ました
00:31:02昭和46年3月
00:31:05東京電力福島第一原子力発電所は
00:31:09その1号機の営業運転を開始しました
00:31:12福島第一原発の主な施設は
00:31:22アメリカのゼネラルエレクトリック社が建設
00:31:26東京電力は完成後に引き渡しを受ける
00:31:31いわゆるターンキー契約でした
00:31:33しかし
00:31:40稼働直後から放射能を含む排水が漏れたり
00:31:45制御棒で欠陥が見つかったりするなど
00:31:48トラブルが続出
00:31:50現場の品質管理の責任者だった中ゆきてるさん
00:31:57トラブルの度に現場に走りました
00:32:00私は当店の課長と二人で行って
00:32:04本を取った後を見て
00:32:07もう二人ともがっかりしちゃって
00:32:11そのパイプの上に二人とも座り込んじゃった
00:32:16千両もあったけど
00:32:19あれは忘れられないですね
00:32:23こんなにがっかりした質問したことはない
00:32:26中でも深刻だったのが
00:32:34応力不織割れ
00:32:37原子炉の周りの配管がひび割れを起こす現象でした
00:32:41原子炉周りの機械っていうのは
00:32:46ほとんどステンレスで作ってあるわけですね
00:32:48水と接触する部分は
00:32:50それなのにですから一番高くてですね
00:32:53一番
00:32:55耐色性のいい材料を使っていながら
00:32:58なぜ起こるんだろうか
00:33:00これは運転さえすればいいよと
00:33:02だからデモンストレイテードリアクターですね
00:33:05ところが実際やってみると
00:33:07ちょっと待ってよと
00:33:09デモンストレーションリアクターじゃないかと思うほど
00:33:12初期のトラブルは苦労してやったことがありますね
00:33:17相次ぐトラブルに対して
00:33:22抗議の声を上げた人たちがいました
00:33:24双葉地方原発反対同盟です
00:33:40当時双葉町の郵便局員だった石丸小四郎さん
00:33:45結成当初からのメンバーです
00:33:47本当に原発は安全なのか
00:34:03原発の危険性を訴える石丸さん
00:34:09共に先頭に立ったのが
00:34:12反対同盟委員長の岩本忠夫さんでした
00:34:15元発は本当に禁だということがですね
00:34:21これはじわじわですけれども
00:34:24多くの住民が知り始めているということですね
00:34:27反対運動はやっぱりなくしながらないと
00:34:30そうでなければこれから先の双葉軍が
00:34:33どうなるのか分からないということになりますから
00:34:35石丸さんが反対運動に加わったのは
00:34:40岩本さんの影響でした
00:34:41岩本忠夫さんという人は
00:34:46私に言ったのは
00:34:48核と人間は共存できないよということを言っていましたね
00:34:53それが非常に印象に残っているんですよ
00:34:55だから岩本さんのそういう行動力とか
00:34:59それから人に訴える力に賛同しまして
00:35:14その道に入ったということですよね
00:35:18岩本忠夫さんの長男日里さん
00:35:22双葉町の庁議会議員を務めています
00:35:26父の忠夫さんは原発事故から4ヶ月後
00:35:31避難先で亡くなりました
00:35:33大なその企業が突然来たわけですからね
00:35:43それが安全なのか危険なのか
00:35:49全く知らされないまま
00:35:53どんどん建設が進んで
00:35:54当然それに対して
00:35:58誰かがやっぱりこう
00:36:01向き合っていかなきゃいけない
00:36:04あくまでも
00:36:06原発の安全性に対して
00:36:09父はやはりこう
00:36:13訴えてきたんじゃないかなというふうには
00:36:16双葉町で酒屋を営んでいた岩本さん
00:36:21地元の青年団活動から出発し
00:36:27社会党から県議会議員選挙に立候補
00:36:31昭和46年に初当選します
00:36:35岩本さんは県議会で原発の安全性について問いただします
00:36:43運転開始以後
00:36:48間もなく1号路タービン室に面した
00:36:52建屋のコンクリートに
00:36:54大規模な亀裂を生じたとのことである
00:36:57原子力発電所の安全性については
00:37:02全国の権威者が集まり
00:37:04鋭意審議をした結果
00:37:06安全であるような確証をもって建設されている
00:37:10東京電力の某下請け会社の作業員5名が
00:37:18200レントゲンの被爆をしたとのことである
00:37:23作業員2名が
00:37:26作業中に2.5レムの被爆を受けた
00:37:30という報告を受けている
00:37:32原発内部の情報を作業員から聞き出し
00:37:40岩本さんに伝えたのが
00:37:43双葉町の丸添富士さんです
00:37:47岩本さんと同じ社会党所属の庁議会議員だった丸添さん
00:37:52岩本さんの質問の信憑性が
00:37:57県議会で問われたといいます
00:38:00岩本さんの質問が本当なのかどうかと
00:38:05いうことについて
00:38:07議会でね
00:38:09部長ではないかがな
00:38:12どこから聞いたか知りないけども
00:38:15そういうことはありませんでしたと
00:38:17そしたらそんなことないだろうと
00:38:20岩本さんはね
00:38:22議会で
00:38:23その事故について
00:38:26どこから聞いたかというのは
00:38:27ニュースソースは私はよく聞きませんと
00:38:32だからなかったことになっちゃった
00:38:35ディタラメイドと
00:38:37その頃はものすごく
00:38:40警備も何も厳しかったからね
00:38:42警察も
00:38:43私は山本さんらも警戒された人物の一人ですから
00:38:48私なんかも
00:38:50場合によってはね
00:38:52後をつけられたよね
00:38:56昭和48年
00:38:58福島市で原発の安全審査をめぐる公聴会が開かれます
00:39:03この時岩本さんたちは大規模なデモを組織します
00:39:08反原発の運動は全国に広がっていきます
00:39:18やがて原発立地の差し止めを求める訴訟も相次ぎました
00:39:24こうした状況に対して福島県はどう対応したのでしょうか
00:39:34当時福島県開発課長だった佐藤静男さんです
00:39:45どうもよろしくお願いいたします
00:39:48どうも失礼します
00:39:51事例をもらったやつ
00:39:53これこれこれ
00:39:55佐藤さんは?
00:39:57俺これ
00:39:59これが木村盛りだ
00:40:01これ木村盛りだね
00:40:03木村知事のもとで佐藤さんは原発誘致を進める他の県とも連携し
00:40:09国に支援策を求めていきます
00:40:17やはり反対運動が組織的になってきたし
00:40:21それが全国的にお互いに連絡を取り合いながら
00:40:26大きな勢力になってきた
00:40:29それに対して推進する側もね
00:40:32もう少し国が本腰を入れてね
00:40:36エネルギーのことを考えるならば
00:40:39もっと抜本的な対策が必要だと
00:40:42国にはもっと力を入れて推進するなら
00:40:46腰を入れてやるべきだと
00:40:49そういうことで中央に陳情要請をした
00:40:55佐藤さんたちが陳情した相手は田中角栄首相でした
00:41:02田中首相は日本列島改造論を唱え
00:41:08中央と地方の格差是正を訴えていました
00:41:12まだまだ日本にはたくさん土地がありますよ
00:41:17周りに少しは緑のあるところを考えればどうするんですか
00:41:23そこで日本列島改造というのが出てくるんでしょう
00:41:26やはり角栄首相に頼むしかないだろうなと
00:41:33いうことですよそれは
00:41:35私はまあ課長ですから当時は
00:41:38部長とやっぱり東京都事務所長が
00:41:41角栄首相にお目にかかるときには
00:41:43入ったんじゃないでしょうか
00:41:45私は場所まで行ってもやっぱり
00:41:48控えておらなきゃ
00:41:50何か質問とか用事があったときには
00:41:55呼び出されると
00:41:57心情構成をかけて
00:41:59よっしゃと俺に任せておけと
00:42:02いやもうこれは角栄首相はやるなと
00:42:06言ってましたよこれは
00:42:07うん
00:42:10昭和48年中東戦争の煽りを受けて
00:42:14日本は石油危機に見舞われます
00:42:17田中首相は石油に損しないエネルギー政策として
00:42:22原子力に注目していきます
00:42:26石油問題がここまできたら
00:42:29原子力発電がどんなに必要であるか
00:42:31もう全く議論がない
00:42:34抜本的な対策を政府が責任を持って行う
00:42:39この際思い切って国が表に出てですね
00:42:46この問題に積極的に取り組んでいかなきゃいけない
00:42:50という趣旨の発言をして
00:42:52そこで原発推進への
00:42:56ジャンプといいますか
00:42:59踏切というのがされたわけですよね
00:43:02やっぱりそこで田中さんが強調されたのは
00:43:05いつまでも中東依存しておったら
00:43:09今回のようなことになると
00:43:11やっぱり早くその
00:43:13純国産エネルギーである原子力に
00:43:18切り替えていかなきゃいけないという点を
00:43:22強調をしたと思いますね
00:43:24それがまた地域における
00:43:27雇用の創出にもつながると
00:43:29各市町村が誘致はするんだけれども
00:43:33地元にはこういう反対意見もあるということは
00:43:36言っていますから
00:43:38だからそういうのを
00:43:40ある程度なだめるといいますか
00:43:43鎮静化するための対策というのも
00:43:46交付金の中でですね
00:43:49考えるということになるだと思いますね
00:43:52田中首相は電源散歩を国会に上提します
00:44:04原発などの発電所を誘致する自治体に対し
00:44:09交付金を支給しようというものでした
00:44:11ふたば町の場合
00:44:182基の原子炉が建設中だったため
00:44:21運転開始までの6年間で
00:44:2420億円を超える交付金が支給されることになり
00:44:28町の主要な財源になることが期待されました
00:44:31この時岩本忠夫さんは国会に参考人として呼ばれました
00:44:41危険な原発を鐘で押し付ける
00:44:45雨をもって反対住民をなだめる
00:44:49こういう意図的な法案には私は反対であります
00:44:53昭和49年
00:44:57電源散歩が国会で賛成多数を得て成立します
00:45:08その5年後
00:45:10深刻な原発事故がアメリカで起きます
00:45:14スリーマイル島原発事故です
00:45:17原発の冷却装置が故障し
00:45:22原子炉がメルトダウンしたのです
00:45:27この事故の2日前
00:45:33福島県議会議員選挙が始まっていました
00:45:37前回の選挙で落選していた岩本さんは
00:45:41ここで再起を図ろうとしていました
00:45:44原発事故の一方は
00:45:49岩本さんの陣営を勢いづかせました
00:45:51私は
00:45:54釣り舞いと原発問題は
00:45:58双葉群でも起こりうる可能性というのはあるので
00:46:02その事を主張して
00:46:04その事を主張して
00:46:07そしてここはとにかく曖昧な主張ではなくて
00:46:14明確に反対ということを
00:46:19主張し続けるべきだと
00:46:21反対し運動してきた
00:46:25岩本忠雄氏を
00:46:28もう一度県政に送って
00:46:30そして
00:46:322群では
00:46:35起きないような
00:46:38対策を
00:46:40取ってもらおうと
00:46:42一方
00:46:46支持者の中には
00:46:48この選挙戦の状況を
00:46:50違った目で見る人がいました
00:46:54俺何がチャンスなんだって
00:46:57だから
00:46:59やっぱり住民はどれに動くかって言ったらね
00:47:02やっぱりこう
00:47:04そうされると
00:47:06なんていうかな
00:47:07そこに
00:47:09振って湧いたように
00:47:11またセリマリットのものをね
00:47:13船に追い風だと言って
00:47:15こうやると
00:47:17やっぱり警戒しちゃうんだよね
00:47:19住民は
00:47:21だからあんまりね
00:47:23私は
00:47:25戦術的によ
00:47:27あんまり振って
00:47:29大見切ったことはやっぱり
00:47:31現実の中で言わないほうがいいよと
00:47:33自分でもね
00:47:36やっぱりそこは
00:47:38感じてたのかなっていうふうには
00:47:40思いますよ
00:47:43だから
00:47:45終盤の頃は
00:47:47もうやはり
00:47:49なるべく原発の
00:47:51訴えをね
00:47:53それを避けてね
00:47:55やっぱり
00:47:57やっぱり軍の地域振興とか
00:47:58そういう方にこう
00:48:04訴えをこう
00:48:06切り替えてたというかね
00:48:08選挙では
00:48:123マイル島原発事故は
00:48:14大きな争点にならず
00:48:16岩本さんは落選します
00:48:18岩本さんとの間で
00:48:22この3マイル島後の
00:48:25県議選の敗北の
00:48:28その
00:48:29それは非常に
00:48:30ショックだったんですね
00:48:32岩本さんとの間で
00:48:35この3マイル島後の
00:48:38県議選の敗北の
00:48:41その
00:48:43あるようについて
00:48:46あの
00:48:48議論したということはないんですよ
00:48:49ただ
00:48:50やっぱり
00:48:52あの
00:48:54あってみるとやっぱり
00:48:57あの
00:48:59落胆が隠せなかったんじゃないかな
00:49:01っていうのはやっぱり
00:49:03率直に感じましたね
00:49:051980年代になると
00:49:08電源三方の交付金を使った公共施設が
00:49:12浜通りに次々と建設されていきます
00:49:15昭和56年
00:49:19NHKは当時の浜通りを取材しています
00:49:22確かに町の人の生活は原発ができたことによって
00:49:27数字的には大変豊かになりました
00:49:30町民一人当たりが1年間にいくら収入があったかという
00:49:34分配所得を見ますと
00:49:36大熊町は昭和41年には
00:49:38県内90市町村のうちの56位
00:49:41つまりどちらかといいますと貧しい方の町でした
00:49:43ところが原発の工事が本格的になった43年には
00:49:47突然4位に跳ね上がり
00:49:4945年以降はずっと1位の座を確保しています
00:49:52大熊町の農村部に入りましても
00:49:55こうしてきれいに区画された水田
00:49:57整備された農道や農業用水などが目につきます
00:50:00ふたば町の田中さん一家です
00:50:11みのるさんは農業を専業としていましたが
00:50:15息子の新一さんは東京電力の関連企業で仕事を得ました
00:50:20農家やりながら
00:50:25土日やって休みの時やれば何とかまんにゃ農家だけの人だったらば
00:50:30あとは収入の半分以上は
00:50:35原発は行って仕事した分で生活できるわけだ
00:50:40お金が豊かになればこのお金を使うから
00:50:43この地域も豊かになってくるわけだ
00:50:45それぞれにお金が出てくるんだからね
00:50:48商店もしかりスーパーでもしかりね
00:50:51お金の方何も買わないんだから
00:50:53そういう点においては結構弱かったんじゃないの
00:50:58みんなこの地域、ふたば町と富岡ね
00:51:03だから地域さんはでっけいスーパーもできっぺし
00:51:06私らふたば農協だったんだけど
00:51:10ふたば農協ではよかったよ
00:51:12私は購買館に行った時だよ
00:51:14購買館って物を売ると
00:51:16その時に結婚式の時に
00:51:19今はほら何て言うんだ
00:51:21タンス屋なんかも持っていかないけども
00:51:23クローゼット屋なんかあったから
00:51:25でもね7点セットとか5点セットとかって
00:51:28セットでみんな持っていくわけよな
00:51:31嫁入り道具で
00:51:33私らやってるくるはこれこそ思うように
00:51:35貯金集まる、保険集まる、物は売れる
00:51:40うん、こういう効果はあったな
00:51:44変わりゆく浜通り
00:51:47反対運動のリーダー岩本さんは壁にぶつかっていました
00:51:52このころ、岩本さんが記した手記が残っていました
00:51:56反原発の戦いをかえりみて
00:52:02原発景気が押し寄せ
00:52:06東電には文句をつけられない雰囲気が地域を支配している中で
00:52:13反対されると景気が悪くなる
00:52:18原発が止まったら生活ができなくなる
00:52:21こんな話が反対同盟に寄せられ
00:52:28反対運動の重要なことを理解さすことは
00:52:32難しいことであった
00:52:34岩本さんの同志だった石丸さんも
00:52:41厳しい現実を突きつけられていました
00:52:44原発作業員の聞き取り調査をしていたときのことです
00:52:54ある作業員が地元の病院に
00:53:00労災認定のための診断書を求めます
00:53:04そのときの医師の言葉です
00:53:09診断書は書けん
00:53:12書けば商売ができなくなる
00:53:17放射能でやられたとしても
00:53:21私は書けない
00:53:24職業との因果関係というのは
00:53:31全く抜きにして
00:53:36そして死傷病のために
00:53:39治療し、そして苦しんでいるわけですよ
00:53:45そうするとやっぱり
00:53:48悩みが大きいんですよね
00:53:52やっぱり家族も含めて
00:53:56原発に働くということは
00:54:00すなわち
00:54:02安定した
00:54:04社会
00:54:06安定した条件
00:54:08そこで暮らせると
00:54:10しかし
00:54:11それからはみ出してしまうと
00:54:15大変だという思いが
00:54:18ありましたよね
00:54:20だから、やはり
00:54:23私たちのように原発反対という
00:54:26主張する団体とは
00:54:28できるだけ
00:54:31間違わらないというふうに
00:54:35変化をしていくという状況だった
00:54:38そうした中
00:54:42岩本さんに大きな転機が訪れます
00:54:46双葉町の
00:54:48神奈川聖太郎町長が
00:54:51下水道工事をめぐる
00:54:52公費の不正使用疑惑の責任を取り
00:54:56辞職に追い込まれたのです
00:55:00街を揺るがす事態を受けて
00:55:02次期町長に期待されたのが
00:55:05岩本さんでした
00:55:07私たちとしては
00:55:09もう選挙はね
00:55:11ゴリゴリというような
00:55:13そういう
00:55:15思いがありましたから
00:55:17はい、分かりました
00:55:19というわけにはいかなかったですね
00:55:21その当時もね
00:55:29ただ
00:55:30自分たちが生まれ育ってきた
00:55:33外場町ですしね
00:55:35地域の方に
00:55:41熱いその
00:55:44支援の声をかけられれば
00:55:48まあその
00:55:51責任感というか
00:55:53そういう強い父でしたから
00:55:55まあ
00:55:58考えたんじゃないかというふうに
00:56:00思いますけどね
00:56:02出馬に対してはね
00:56:04良いことと悪いことの
00:56:07区別をきちんと
00:56:09つけなければならない
00:56:11これが
00:56:13今日
00:56:15二葉町に課せられた
00:56:16大きな課題でありましょう
00:56:17岩本さんは
00:56:20調整刷新を訴え
00:56:22町長選に立候補します
00:56:23広報します
00:56:27私はあの
00:56:28これこそ岩本に頼りで
00:56:31あの
00:56:32責任者やってくよって
00:56:34工委員会の
00:56:37会長を頼りでやったのよ
00:56:39社会というのは
00:56:41私は個人的に
00:56:42嫌いだったのね
00:56:44どこでなく
00:56:46理由はないんだけど
00:56:48とにかく
00:56:50自民党の方だったのよ
00:56:51だからいうと
00:56:53六郎はやっぱり
00:56:55町民の総意で
00:56:56総意っていうか
00:56:58今までこれ流れがな
00:57:00工事に出されなかったから
00:57:02やっぱり調整が
00:57:04田中さんが長かったから
00:57:06まあ
00:57:07なんて確信っていうかね
00:57:09やっぱり
00:57:11変わり
00:57:13変わりたいなっていう気持ちを
00:57:15町民がこれ
00:57:16選挙で台湾にしてたわけで
00:57:18選挙やって
00:57:19岩本に
00:57:21加勢したんだわよ
00:57:24とにかく同じ系統のやつ
00:57:25町長の方で
00:57:26まだ同じようなこと
00:57:27やっぱり
00:57:29原発の話なんて
00:57:31全然そんな話はね
00:57:33うん
00:57:34原発の話なんか
00:57:35一つも出なかった?
00:57:37もちろんこんな時
00:57:38原発の話なんか
00:57:40もちろん
00:57:42値段にならないもんだって
00:57:43選挙の
00:57:44とにかく
00:57:45お職人に対しての
00:57:46選挙だから
00:57:49岩本さんは
00:57:53町長戦に
00:57:54勝利します
00:57:59しかしその頃
00:58:00二葉町の財政は
00:58:01曲がり角を迎えていました
00:58:08原発の建設中や
00:58:10運転開始直後は
00:58:12電源散歩交付金や
00:58:14固定資産税などの収入が多く
00:58:16右肩上がりでした
00:58:19しかし
00:58:21岩本さんが町長となった
00:58:22昭和60年には
00:58:24すでに下り坂に転じていました
00:58:27第一原発すべての建設が終わり
00:58:33町の頼みだった原発からの財源が
00:58:36めべりしていたのです
00:58:38当選
00:58:41翌日の岩本さんのインタビューです
00:58:46昨日の岩本さんのインタビューです
00:58:49ポスト原発という問題は
00:58:54今、企業誘致の問題がありますけれども
00:58:57原発に代わる企業誘致が
00:59:01いいのか
00:59:03それとも
00:59:05町の財政の問題も
00:59:10かなりありますから
00:59:12原発をどうしても欲しいと
00:59:15原発のほうがいいんじゃないかという
00:59:19町民の行為が圧倒的に多いということになれば
00:59:22これは契約にとも相談の上ですね
00:59:27町民の合意によって
00:59:30原発問題に取り組んでいきたいと
00:59:33考えております
00:59:35これは私の生き甲斐だよ
00:59:38このトラックは
00:59:40原子力運送を営んでいた田主守さん
00:59:43原発の建設が終わると
00:59:47仕事も激減したといいます
00:59:54NHKは当時の田主さんを取材しています
00:59:57第二原発もあと2年ぐらいで
01:00:03仕事の量はほとんどなくなっちゃうと思うんです
01:00:07それで私これだけ30代も抱えてね
01:00:11仕事が全然なくなっちゃうと
01:00:14私は原発の仕事が90%ですから
01:00:17地元の方は地元の仕事をやっているでしょうけど
01:00:20私はほとんどなくなっちゃうと
01:00:21原発の仕事はね
01:00:24大手さんである程度
01:00:26余裕のある商売だったんだけども
01:00:30外の仕事に入ったら
01:00:33いやーこれは利益率は薄いですよ
01:00:36苦しくなってきて
01:00:37だんだんとトラックを減らさなきゃならない
01:00:41その辺が大変だったんですね
01:00:441年に3代も4代も
01:00:47廃車にして
01:00:49仕事を少なくしていった
01:00:54新規建設が始まれば
01:00:57もう誰にも負けない仕事を
01:01:00見せることができたわけだから
01:01:03でも縮小していくのは辛いな
01:01:08原発誘致を推進してきた福島県も
01:01:14危機感を持ちます
01:01:16新たな長期総合計画の中で
01:01:20ポスト原発を課題に掲げました
01:01:22これが難題でしてね
01:01:28とにかく電源立地を中心とした
01:01:36地域振興というものは
01:01:39やっぱり
01:01:41電源地域振興というだけでは
01:01:45地域の整備計画振興につながっていかない
01:01:49福島県ご承知のように
01:01:53戦後、一番先に地域振興を考えたのが
01:01:58畳川の電源開発
01:02:02昭和29年から建設された
01:02:05畳川の水力発電所
01:02:085年を超える大事業によって
01:02:12過疎地だった奥畳の地域振興が期待されました
01:02:16畳川の電源開発
01:02:21あれが終わって
01:02:23畳川の電源開発が終わった後はですね
01:02:27地域からみんな何万人の労働者がいなくなった後は
01:02:33工場的な開発、工場的な地域振興にはつながっていかなかったというのが
01:02:41私どもの実感でしたね
01:02:46あれと同じことになったら
01:02:49一生懸命権を上げてやった
01:02:53あれが成果がないわけですから
01:02:56この原子力発電の後に何をするかということについては真剣になった
01:03:08福島県と二葉町は工場を誘致しようと工業団地を造成します
01:03:15進出した企業もありましたが
01:03:21ポスト原発の切り札にはなりませんでした
01:03:25一方、浜通りでは公共施設がさらに建設されていきます
01:03:32財政効率を考え、町ごとに同じような施設を作らないよう話し合われましたが
01:03:40結局は競い合う結果となりました
01:03:43町の方でないから隣の町の施設を利用してくださいということは
01:03:59これはもう町長の立場で町民の皆様にそんなことを申し上げるわけにはいかないですね
01:04:04町の責任者として当然のことながら提供したい
01:04:11これがやっぱり人情と言うんじゃないでしょうかね
01:04:14さらに町の財政に打撃を与えたのが施設の維持管理費でした
01:04:22電源散歩交付金は使い道が指定され、維持管理費には回せなかったため
01:04:32町の一般会計からの持ち出しは増える一方でした
01:04:36全てこの交付金は言うならば紐付けてくると
01:04:43そうするといずれそれを作ったときはいいよ
01:04:46電源散歩交付金と時代が変わるに従って
01:04:50そういうものが今度は必要としないと
01:04:53ビザのものに変わらざるわけないわな
01:04:55その次はまだ金をよってきて
01:04:58だからいつになってもそれはイダ地獄でね
01:05:01だからどっちにしてもそういった悪人感というのかな
01:05:06次のもの次のものになってくるときには
01:05:09必ずそれが前のものはダメになって
01:05:11修理をかけなきゃいけないとか
01:05:14いろんで金が出てくると
01:05:16こんなこの悪人感が
01:05:19そうした中、双葉町の議会で新たな提案が出されます
01:05:27原発の増設を求める決議案でした
01:05:31反対がね、何人だったかな
01:05:37二、三人いたのかね
01:05:40で、万丈に何ならばと
01:05:47万丈一にね
01:05:48で、議長どうだべって議長が言うがら
01:05:54でも、両方は米万丈だったらって
01:05:59そして、話し合っている一人くだり二人くだりして
01:06:05そしたら、結果的に
01:06:08えー、万丈に行くようになっちゃった
01:06:12で、開会して、で、万丈一に
01:06:15っていう格好で
01:06:17山本さん、何て言ってました?
01:06:20いや、それはやっぱり
01:06:24それしかないべていうことだな、財政的についてはね
01:06:27平成3年、双葉町の議会は
01:06:36全会一致で、原発増設を求める決議をします
01:06:43岩本町長は、東京電力本社を訪ね
01:06:47双葉町に、さらに原子炉を2基増設するよう要請しました
01:06:52東京電力第一原子力発電所
01:06:58増設についての要請書
01:07:03文章を持ってお伝え申し上げて
01:07:06感謝、感激に絶えません
01:07:09心から御礼を申し上げます
01:07:11全国民の宝物を
01:07:14今、頂戴したと思っております
01:07:16当社といたしましては、
01:07:18本町における増設が
01:07:19今後の日本の原子力開発のモデルケースとなりますように
01:07:24最大の努力、精進をしてまいりたいと考えております
01:07:28ありがとうございます
01:07:30通信でお受けいたします
01:07:31日本はご協力を使って保護する
01:07:33日本の原子力発電所について
01:07:35昨年の原子力発電所について
01:07:36そこまであったのに
01:07:39増設までは
01:07:41いかに
01:07:44財政逼迫がしたからといって
01:07:48原発2基増設まで走るだろうと思っていないです
01:07:53しょうがないのかなという感じです
01:07:58特に当事者責任者の岩本さんにとっては
01:08:06厳しい日々だったと思いますよ
01:08:09やっぱりポスト原発
01:08:12原発の後は原発かなという気持ちはあったですが
01:08:16これは全国的にそういう副庁が
01:08:23あらゆるところであって
01:08:25一つの麻薬的な効果かなと思って
01:08:34できれば本当はさっき言ったように
01:08:37基本的に抜本的に別の道がないかなというのが
01:08:43これが制度です本能です
01:08:46電源産歩行機に頼らないで
01:08:49自立できる町を何とかしていこうと
01:08:52県にもあったし市町村にもあったと思います
01:08:55それがやっぱり日常のどっぷり利益に使ってしまうとね
01:09:03なかなかそれが難しいんですな
01:09:07平成5年福島第一原発で新たな問題が持ち上がります
01:09:19使用済み核燃料の問題です
01:09:23当時使用済み核燃料が貯蔵プールにいっぱいになりました
01:09:31それをどう処分するのか
01:09:34福島県は危機感を抱きます
01:09:37当初国は使用済み核燃料を再処理工場に運び
01:09:44プルトニウムを抽出
01:09:46燃料に加工して高速増殖炉で利用することを計画していました
01:09:52しかしその後高速増殖炉でトラブルが起きたため
01:09:59別の方法を模索します
01:10:01再処理で取り出したプルトニウムにウランを混ぜ
01:10:07原発の燃料として使っていくプルサーマル計画を打ち出します
01:10:13国は福島県をはじめ
01:10:23原発のある自治体に対してこの計画を受け入れるよう求めます
01:10:28しかし福島県の佐藤英作知事は慎重な姿勢を示します
01:10:36使用済み燃料がどういうふうにこれから処理されていくのか
01:10:45どういうふうに国の方で責任を持って考えていくのか
01:10:50そういうことは非常に重要な問題が
01:10:52そろそろ考えなきゃならない時期に来ていると思います
01:10:57それまで原発を誘致してきた福島県は
01:11:03なぜ国の政策に疑問を投げかけたのか
01:11:07佐藤知事の側近だった大場誠二さんです
01:11:11長期的な核燃料サイクルをどうするかということと
01:11:17県民の立場に立った場合に
01:11:21このプルサーマルの安全性と
01:11:23この2つが自分自身としては
01:11:26納得されていなかったのではないかなという気がします
01:11:29ブルゾーザー的に進めていた原子力政策について
01:11:34立ち止まって考えてみたい
01:11:36それも福島という地域の視点で立ち止まって考えてみたい
01:11:42一つ一つ検証しながら次に進みたい
01:11:47平成9年福島県は核燃料サイクル懇和会を立ち上げ
01:11:56受け入れの是非を地元市町村とともに話し合いました
01:12:00ここで岩本町長は
01:12:06プルサーマル計画の受け入れと
01:12:08原発の増設を訴えます
01:12:11雇用地域財も思わしかありません
01:12:17何とかしなければならないという思いが
01:12:20どうしても増設というところに走ってしまいます
01:12:25私どもはより少し大変生意気なことを言うと
01:12:30よりもう少し別の視点からも踏まえて
01:12:35地元という立場から判断してまいりたいと思いますので
01:12:40第一芸術職場選手の増設問題がありましたけれども
01:12:43単純に進めるもんじゃないだろうなと
01:12:47地元からはトリックは早くやってくれということが
01:12:51何回も何回も我々も聞きましたのでですね
01:12:53だけど要するに誰か立ち止まらなきゃいけなくて
01:12:59立ち止まっている戦闘が佐藤英作知事だった気がするんですね
01:13:03見ていて
01:13:04我々は立ち止まっているからやっぱり一緒に立ち止まろうと
01:13:09それは慎重にしろと県が言っていること
01:13:15これは知事の考え方でしょうから
01:13:19私はね
01:13:20だからね
01:13:22それはあわりにも中が分からないすぎるんじゃないの
01:13:28率直にこの頼む時は頼んでもね
01:13:31こちらの要望が聞かないと
01:13:33全く言って何やってんだべと
01:13:35だから言ったようにね
01:13:37その最初この我々が病んだという時にはね
01:13:42率先して木村森がね進めて
01:13:45だから総理の中でやってきてなんだというものを考えて思ってましたよ
01:13:51やっぱり今更どうだのこうだのってね
01:13:54原発の増設に期待を寄せていた地元では
01:14:01経営が立ち行かなくなる会社も現れました
01:14:05原子力運送もその一つでした
01:14:11実際始まれば経験があるから
01:14:19バッと乗っていけるけども
01:14:23やろうやろうと言ってもなかなかその
01:14:25着工の合作員が出なかったので
01:14:28これはそこで途切れちゃったんですな仕事が
01:14:32同じ頃原発関連の仕事をしていた弟の会社が傾き
01:14:39その借金を肩代わりしたことで経営が行き詰まります
01:14:44兄貴保証人やってくれということで保証人やって
01:14:50それで私も連鎖倒産しちゃった
01:14:55いや辛いもんだよ
01:14:58何ともしょうがないしねその弟の保証人だから
01:15:03じゃあトラックはもう
01:15:09一台もなし全部トラック会社に持って行きました
01:15:20トラック会社
01:15:20平成10年福島県はプルサーマル計画を受け入れます
01:15:34事前了解願いのあった福島第一原子力発電所
01:15:383号炉におけるウランプルトニウム混合酸化物燃料採用計画などについて
01:15:45本日了解するとの結論に至ったものであります
01:15:50これで原発の増設が進むかもしれない
01:15:55町の期待が高まる一方で
01:15:58さらに厳しい現実が突きつけられます
01:16:01地域独占だった電力事業に対し
01:16:07国は電力の自由化を進めようとします
01:16:11東京電力は合理化を進め
01:16:19地元の会社に発注していた定期検査の期間を短縮しました
01:16:25電力自由化を控えまして
01:16:31コストダウンというのはまったなしなわけですね
01:16:34競争力を高めようと
01:16:37そういうふうなことから
01:16:39ほとんどこれだというような方法が
01:16:44定期検査の短縮ということになるわけですね
01:16:47一方地元の方とは20年30年
01:16:51そして親子2代3代の方もいらっしゃると思うんですけど
01:16:55そういう人たちの生活もかかっているわけですね
01:16:59ですからそれをどう両立させていくかということは
01:17:03非常に一番現場にいて
01:17:06地元の方々と一番毎日のように会っているですね
01:17:10所長としては一番そこが課題なわけですね
01:17:17定期検査の短縮は地元の会社に影響を及ぼしました
01:17:24工事的に落ちた
01:17:28仕事なくても社員は変えなくちゃいけないから
01:17:34そのないときの等でも一応工夫して
01:17:39なるべく外回りの仕事があるように
01:17:42配慮はしていたんですけど
01:17:45これは裸工事とよく呼んでいたんだけど
01:17:48でもこれは非常に量が知れていて
01:17:50いくら担当者が努力しても
01:17:53なかなかまとまった仕事にはならなかった
01:17:55そうした中
01:17:59平成14年
01:18:01東京電力が原発の検査記録を
01:18:04改ざんしていた事実が発覚
01:18:06プルサーマル計画の年内実施を断念します
01:18:11本当に申し訳なく思っております
01:18:18重ねて心底からお詫び申し上げます
01:18:22双葉町の岩本町長は
01:18:29東京電力への不信感をあらわにします
01:18:33安心安全の体制についてですね
01:18:40要望し続けてきたわけでありまして
01:18:42信頼関係はそう崩れ
01:18:44こういう認識を持っているわけであります
01:18:48十分な反省をいただきたい
01:18:49ご視聴いただきたい
01:18:53入るなり
01:18:55もう
01:18:57怒鳴ってたんだよ
01:19:00くっことねえか帰れってな
01:19:04おめーらに今更聞かなくたって
01:19:06言うことは
01:19:08分かったと
01:19:09帰れと
01:19:12俺はただ二並みつきで
01:19:17こんなやらふざけやがって
01:19:18なんなんだと
01:19:20どこの面で来られるんだって
01:19:22私は思ってからね
01:19:24議長はどう思うと
01:19:26この問題については
01:19:28私どうこうって言ったら
01:19:29本理をお味覚しに行くと
01:19:31凍結しかないよと
01:19:32私は思っていると
01:19:34皆さんどう考えるか分からないけど
01:19:36みんなその通りとなって
01:19:40凍結
01:19:41決議をしたと
01:19:43その当時はやっぱり
01:19:44私は総理
01:19:46考えてやっぱり
01:19:47持ってし
01:19:49だから
01:19:50先側のねえ
01:19:53蝶々としても
01:19:54見えなかったね
01:20:01原発の増設を求めてきた
01:20:04双葉町
01:20:08結局
01:20:09その増設の決議を凍結したのです
01:20:11その1年後
01:20:16岩本町長は雑誌のインタビューで
01:20:19こう述べています
01:20:20単に原子力発電所と共生していく
01:20:26ということだけではなくて
01:20:28運命共同体になっていると
01:20:31実は思っています
01:20:33いかなる時にも原子力には期待もし
01:20:37そこに大きな賭けをしている
01:20:40間違ってはならない賭けを
01:20:44これからも
01:20:45続けていきたい
01:20:47平成17年
01:20:52岩本さんは
01:20:535期20年続けた
01:20:55町長の職を辞します
01:20:57双葉町の財政は
01:21:05その後悪化の一途をたどりました
01:21:08そして
01:21:11平成19年
01:21:13増設決議凍結を解除
01:21:16再び増設へ向けて
01:21:20準備を進めていた
01:21:21その矢先
01:21:236期のうち
01:21:363期がメルトダウンした
01:21:38福島第一原発
01:21:40福島県は
01:21:43県内すべての原発の廃炉を求め
01:21:46東京電力は
01:21:48第一原発の廃炉を決定しました
01:21:50岩本忠夫さんは
01:22:03事故から4ヶ月後
01:22:05避難先で亡くなりました
01:22:07息子の久人さんは
01:22:32父の遺廃とともに
01:22:34双葉町の自宅へ
01:22:36一時帰宅しました
01:22:37あまり原発のことは
01:22:52避難生活の中でも
01:22:55体もかなり苦しくなってきましたから
01:22:57あまり言葉には出さなかったですよ
01:23:00本当に
01:23:02町民の皆さんの
01:23:05幸せ
01:23:07町をよこしていく上で
01:23:10やはり
01:23:12原発とはやはり
01:23:15共生をしていかなければいけないという
01:23:17そういう思いは
01:23:20そのところはやっぱりこう
01:23:22変わってきたのかなというふうには
01:23:24思いますけれども
01:23:25こういうふうに
01:23:27大きな事故を起こされてしまったわけですからね
01:23:33ふるさとに戻れないわけですからね
01:23:35そういった意味では大きな代償ですよ
01:23:39いくら
01:23:43町が良くなったからとは言ってもね
01:23:47いや悔しい思いですよそれは
01:23:49悔しい思いですよ
01:23:51ふるさとを本当に取り戻したいですよ
01:24:01福島第一原発の周辺は
01:24:11今も立ち入りが厳しく制限されているため
01:24:14除染作業はほとんど進んでいません
01:24:18去年12月
01:24:26原発のある浜通りの4つの町は
01:24:31福島第二原発についても
01:24:34廃炉を求めました
01:24:35第一原発周辺を国有化する方針を打ち出しました
01:24:57田中実さんと新一さん親子です
01:25:05田中さんの自宅は国有化予定地の中に入っていました
01:25:12原発は西側3キロとか近いですよね
01:25:16こうなったと思っていなけれども何でも
01:25:18複雑な心境ではないかな
01:25:20結局これなってしまえば
01:25:23帰りにふるさとでもふるさと完全になくなる人だからね
01:25:29日本の電気
01:25:31首都圏の電気を補うためにこういうのも作って
01:25:34電気を送っていたんだから
01:25:35この矢先に放射能がここから出たんだから
01:25:39ここに置きなってしまうのもまだ間違った話なんだわな
01:25:42我々がするとね
01:25:43それも
01:25:47頭には来てきてきても
01:25:51これ言っても始まらないからな
01:25:54まさかこんなになっては思わないし
01:26:01その幼稚のおかげでね
01:26:0340年から我々の生活が豊かにはなったけど
01:26:09豊かになったけど
01:26:14この代償はあまりにも大きかったな
01:26:16これ
01:26:17これから最近今度我が人たち
01:26:19どこで生活しようと思う
01:26:22きちっと生活再建できるような方向づけは
01:26:25我々の責任で言わないかね
01:26:26そして今言ったように
01:26:32このような悲惨な思いはな
01:26:34我々だけでたくさんだから
01:26:37原子力運送を経営していた田主守さんです
01:26:52人工透析を受けながらの避難生活が続いています
01:27:31今回で身を覚めるかもしれないよ
01:27:41私も体もうちょっと具合悪くなったら
01:27:48これないもん
01:27:50今日ぐらいが限界かもしれない
01:27:52帰り際
01:28:01田主さんにはどうしても立ち寄りたい場所がありました
01:28:06この看板は
01:28:15大きな看板ですね
01:28:20200万円かかったんだよ
01:28:22作った時
01:28:23この看板を作るのに
01:28:26お金200万円も出して
01:28:29原発と生きてきた浜通りの人々
01:28:47事故から間もなく3年目を迎えます
01:28:59ご視聴ありがとうございました
01:29:29Eテレ

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