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  • 2025/5/20

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トランスクリプション
00:00:00いや、9月2日、夜10時
00:00:04BSつけたらBS契約を忘れずに
00:00:241960年代
00:00:27アメリカのアポロ計画を支えたのは
00:00:30アメリカのアポロ計画を支えたのは
00:00:34史上最大、最強のロケット
00:00:37サターンファイル
00:00:41その盾役者が
00:00:43ベルナー・フォン・ブラウンです
00:00:46彼のロケット人生は
00:00:48戦前、故郷ドイツでの
00:00:50V2ロケットの開発が始まりでした
00:00:57ここが当時、フォン・ブラウンが
00:00:59研究していた実験場です
00:01:02ここが当時、フォン・ブラウンが
00:01:04研究していた実験場です
00:01:07彼のロケット人生は
00:01:09戦前、故郷ドイツでの
00:01:11V2ロケットの開発が始まりでした
00:01:16なんと、V2ロケットは
00:01:18ナチス・ドイツの
00:01:20秘密兵器でした
00:01:24その彼が、なぜ敵国だったアメリカで
00:01:27宇宙開発の中枢を担うことになったのでしょうか
00:01:35そしてフォン・ブラウンは
00:01:37アポロ計画を成功に導いていきます
00:01:40彼はチームのカリスマでした
00:01:46オーケストラの指揮者のように
00:01:49チームを引っ張ってくれたのです
00:01:55成功の鍵は何だったのでしょうか
00:02:02今回はロケット開発で
00:02:04飛び抜けた戦略を
00:02:07今回はロケット開発で
00:02:09飛び抜けた才能を発揮した
00:02:11フォン・ブラウンの
00:02:13知られざる素顔に迫ります
00:02:26フォン・ブラウンは
00:02:28少年時代、理数系の科目が苦手だったという
00:02:33その彼が人類初の宇宙ロケットを完成させる
00:02:39なぜこんなことができたのか
00:02:47アポロ計画を強力に押し進めた
00:02:50アメリカ・ケネディ大統領です
00:03:03その地震の裏に
00:03:05ある人物の存在がありました
00:03:11NASA
00:03:12マーシャル宇宙飛行センター所長
00:03:15フェルナー・フォン・ブラウンです
00:03:22二人の知られざるやりとりを
00:03:24明かしてくれたのは
00:03:26NASA広報官だったエリック・フォン・ブラウンです
00:03:32エド・バックビーさんです
00:03:35ケネディ大統領はフォン・ブラウンにこう尋ねたんです
00:03:39ソビエトより先に月に行けるかと
00:03:42答えは、もちろんです大統領
00:03:451960年代に月に行けますでした
00:03:50その後、二人は親密な関係を築き上げ
00:03:53ケネディはフォン・ブラウン夫妻を
00:03:56ホワイトハウスに招待しています
00:03:59残念ながら、招待された日の三日前に
00:04:02ケネディは暗殺されてしまいましたけどね
00:04:08フォン・ブラウンはケネディ大統領との約束通り
00:04:12サターンファイブロケットで
00:04:141969年7月
00:04:17人類初の有人月面着陸を成功させます
00:04:22日焼けその名を世界に轟かせたフォン・ブラウン
00:04:26しかし、彼の人生はここに至るまで
00:04:30波乱に満ちたものでした
00:04:38フォン・ブラウンはドイツのベルリンで幼い頃を過ごします
00:04:52この頃はまだロケットで才能を発揮する片鱗は見られませんでした
00:05:02フォン・ブラウンの研究で第一人者といわれる
00:05:05マイケル・ニューフェルドさんです
00:05:10彼の知られざる老いたちを明らかにしています
00:05:15フォン・ブラウンは
00:05:18勉強熱心な子供ではありませんでした
00:05:21それどころか、学校が手を焼く問題児で
00:05:24はしゃいでばかり
00:05:27いたずら好きで集中力もありませんでした
00:05:30学ぼうという意欲がなく
00:05:33理科や数学の成績はよくありませんでした
00:05:39やんちゃな問題児が宇宙に興味を持った
00:05:42のは13歳の時
00:05:48きっかけは母親からプレゼントされた天体望遠鏡でした
00:05:56星を見つめながら
00:05:59やがて宇宙旅行を夢見るようになったフォン・ブラウン
00:06:06そんな彼に衝撃を与えたのが
00:06:0917歳の時に見たSF映画
00:06:12月世界の女でした
00:06:19映画には人を乗せ
00:06:22月に向かって打ち上げられるロケットが登場します
00:06:26宇宙で彼らが体験する無重力の世界に
00:06:29フォン・ブラウンは魅了され
00:06:32やがてある野望を抱きます
00:06:41自分が何をしたのか
00:06:44自分が何をしたのか
00:06:47自分が何をしたのか
00:06:50自分が何をしたのか
00:06:54自分がロケットを作って人を宇宙に運びたい
00:07:04その強い思いで17歳の時には
00:07:07宇宙船の設計図を書き上げています
00:07:14ロケットを作るには必要になるだろうと
00:07:17理科や数学も熱心に勉強し始めたといいます
00:07:24彼はドイツ宇宙旅行協会にも入会します
00:07:29ロケット作りを目指す同好会です
00:07:36会の代表は映画月世界の女を監修した
00:07:39ロケット研究の第一人者
00:07:42ヒルマン・オーベルトでした
00:07:45フォン・ブラウンはここで最新のロケットの研究に携わります
00:07:54それは液体燃料ロケット
00:07:58当時はまだ実用化されていない夢の技術でした
00:08:06液体燃料ロケットの仕組みです
00:08:10酸素のない宇宙空間で飛べるように
00:08:13液体の燃料を酸化剤と混ぜて燃焼し
00:08:16推進力を生み出します
00:08:20しかし、どのような割合で燃料と酸化剤を混ぜたら
00:08:23効率よく燃焼するのか
00:08:26どうすれば正確に飛ばせるのかなど
00:08:29課題は山積みでした
00:08:37フォン・ブラウンは同好会の仲間と
00:08:403年間みっちり研究します
00:08:44しかし、満足感はない
00:08:47しかし、満足に飛ばすことすらできませんでした
00:09:021932年、状況が大きく変わります
00:09:07ドイツ陸軍が新しい兵器を開発しようと
00:09:10他の国が目をつけていない
00:09:13液体燃料ロケットの開発に乗り出します
00:09:18ドイツ陸軍はロケットに関わる研究者を
00:09:21全国から引き抜きます
00:09:25ドイツ宇宙旅行協会にも話が持ちかけられました
00:09:31メンバーのほとんどが拒絶反応を示す中で
00:09:34フォン・ブラウンは違いました
00:09:41彼は同好会では
00:09:44大きなロケットを作れないことを思い知ります
00:09:48必要なのはやはり資金です
00:09:52ロケットの開発を進めるためには
00:09:55陸軍の支援を受けたほうが良いと主張したのです
00:10:01そして、20歳になったフォン・ブラウンは
00:10:04ベルリン大学の学生でありながら
00:10:07陸軍の援助の下、本格的に
00:10:10液体燃料ロケットの開発を始めます
00:10:15当時、フォン・ブラウンが研究を行っていた
00:10:18クンメルスドルフ陸軍実験場です
00:10:26普段は立ち入りが禁止されていますが
00:10:29今回特別の許可を得て入りました
00:10:44同行した現地スタッフが取り出したのは
00:10:47金属探知機
00:10:51長い間陸軍の施設だったため
00:10:54弾薬などが埋まっているかもしれません
00:11:15当時、実験場はいつつありました
00:11:18ここはフォン・ブラウンが研究していた
00:11:21第二実験場です
00:11:2580年以上前に
00:11:28フォン・ブラウンが実際に使った建物が残っていました
00:11:33彼はほとんど大学に行かず
00:11:36研究に没頭していたと言います
00:11:45ここではロケットの燃料となる液体のエタノールと
00:11:48酸化剤の液体酸素を混ぜて燃焼させる実験が
00:11:51繰り返し行われていました
00:11:57分厚い壁の向こう側で実験を行い
00:12:00この小さな覗き窓から観察しました
00:12:08覗き窓には爆発が起きても大丈夫なように
00:12:11戦車に使うガラスが取り付けられていました
00:12:17当時、実験を行っていた様子の写真です
00:12:24フォン・ブラウンは2年間
00:12:27ここにこもりきりで研究を行い
00:12:30液体燃料ロケットを完成させていきます
00:12:35まさにこの場所で液体燃料ロケットが
00:12:38初めて実用化されたのです
00:12:45これがフォン・ブラウンが作り上げた
00:12:48液体燃料ロケットです
00:12:51全長1.6メートル
00:12:54打ち上げ試験では高度3.5キロメートルに達し
00:12:57成功しました
00:13:02これこそがアポロ計画を始め
00:13:05その後の宇宙開発の全ての出発点となった
00:13:08ロケットでした
00:13:15この時の研究をまとめた論文です
00:13:18タイトルは
00:13:21液体燃料ロケットの理論と設計
00:13:27フォン・ブラウンはこの論文で
00:13:3022歳という若さで白志望を取得しています
00:13:36当時この論文は極秘とされました
00:13:47論文には数々の秘密が隠されていると語るのは
00:13:50ドイツのオラフ・シビリスキーさんです
00:13:57大学でロケット工学を教える傍ら
00:14:00フォン・ブラウンの研究を続け
00:14:03関係する資料を自宅に集めてきました
00:14:10フォン・ブラウンが手掛けたロケットエンジンの実物まで
00:14:13手に入れています
00:14:20シビリスキーさんは
00:14:23フォン・ブラウンが若くして白志望を取れたのは
00:14:26陸軍の戦略だったと見ています
00:14:33陸軍はロケットを一刻も早く実用化できるように
00:14:36学生たちにあらゆる支援をしました
00:14:39短い期間で白志望を取得させたのも
00:14:42その一環だったのです
00:14:49さらにシビリスキーさんは
00:14:52白志論文を分析する中で
00:14:55新たな事実を発見しました
00:14:58フォン・ブラウンは成績では平凡な学生でした
00:15:04白志論文は数人の協力で書き上げられたものだったのです
00:15:11実はフォン・ブラウンには研究を進めるため
00:15:14強力な援軍が付けられていました
00:15:19一人はベテランの技術者リーデル
00:15:25もう一人のグルーノーは熟練の金属加工職人でした
00:15:33フォン・ブラウンは10歳年上のリーデルをパパと呼びながら
00:15:37自分のアイデアを精密な図面にしてもらいます
00:15:43そしてグルーノーの職人技で
00:15:46精度の高い部品が作られていたのです
00:15:52一番年下ながらリーダーとして二人を立てながら
00:15:56上手に力を引き出していました
00:16:03それには人に無理事せずに
00:16:06自分のアイデアを納得させてしまうカリスマ性がありました
00:16:12燃え上がるような情熱で目標に向かってみんなを引っ張ったのです
00:16:21一人では無理でもチームを組んで
00:16:24様々な能力を持った人の力を引き出せば
00:16:27大きな成果が挙げられる
00:16:31フォン・ブラウンは若くしてチーム力の大切さを身をもって知ります
00:16:41クンメルスドルフ陸軍実験場から
00:16:44およそ300キロ北にあるペーネミュンデ
00:16:52フォン・ブラウンは大学を卒業し正式に陸軍に入ります
00:16:5625歳の時ここにあった陸軍実験場に研究の拠点を移します
00:17:05広い敷地でより大型のロケットの開発を進めました
00:17:15取り組んだのは全長14メートルのロケット
00:17:19後にV2と呼ばれるロケットです
00:17:22しかし開発は難航しました
00:17:29飛び上がる前に爆発したり
00:17:37とんでもない方向に飛んでいったり
00:17:47ロケットを安定して飛ばすことができなかったのです
00:17:53この時開発に携わっていたメンバーは1000人近く
00:17:58フォン・ブラウンはみんなとその対策に知恵を絞りました
00:18:09そして問題を解決する新しい技術を生み出します
00:18:13これはロケットの姿勢を制御する部品です
00:18:19これで噴出するジェットをコントロールし
00:18:23ロケットの方向を微妙に動かしました
00:18:30これは水力変更板という部品です
00:18:35この部品はロケットの方向を微妙に動かします
00:18:43エンジンの噴射口に取り付けられ
00:18:47船の舵のような役割をします
00:18:52ロケットは機体が傾くと
00:18:56ロケット上部に取り付けたジャイロという部品が傾きを検知します
00:19:05当初その傾きの修正は
00:19:08ロケット下部に取り付けた翼で行おうとしていました
00:19:15しかしそれだけでは効果が薄く
00:19:18ロケットはバランスを崩していました
00:19:27そこで水力変更板を付け加えたのです
00:19:38機体が傾くと翼と一緒に水力変更板も動きます
00:19:47エンジンが噴出するジェットの方向を直接変えることで
00:19:52機体を立て直す力が強くなり
00:19:55安定して飛行ができるようになったのです
00:20:04ここで開発を始めて5年後の
00:20:071942年10月3日
00:20:11みんなが待ち望んでいた瞬間がやってきました
00:20:22ロケットはぐんぐん上昇し
00:20:25高度およそ90キロメートルまで達しました
00:20:30V2と呼ばれるこのロケットが
00:20:33日本の初めて宇宙空間に到達したロケットとされています
00:20:43位数系が苦手だった少年はチームの大切さを学び
00:20:47様々な才能を一つにまとめて
00:20:50人類初の宇宙ロケットを作り上げていったのです
00:20:54その日のことをポンブランは後にこう振り返っています
00:21:09暗い時代のロケットは
00:21:12宇宙航空の時代のロケットとして
00:21:15宇宙航空の時代のロケットとして
00:21:18宇宙航空の時代のロケットとして
00:21:22暗い時代の影がポンブランを飲み込んでいきます
00:21:31ロケットの成功を聞いたナチス率いるヒトラーが
00:21:35ロケットの性能に注目
00:21:41熱精に追い込まれていた第二次世界大戦で
00:21:44ドイツの秘密兵器として使おうと量産を命じたのです
00:21:52爆薬を積んだロケットが
00:21:55イギリスやフランスに次々と打ち込まれ
00:21:58数千人の命を奪っていきました
00:22:10ポンブランはようやくナチスドイツの実態を知り
00:22:13何のために働かされていたかを理解しました
00:22:22極めてまずい状況に自分が陥ったことを自覚しますが
00:22:25もうどうすることもできませんでした
00:22:32ロケットの技術を戦争にではなく
00:22:35宇宙開発に使いたいと強く願ったポンブラン
00:22:411945年2月
00:22:44まだ戦争が続くさなか
00:22:47決死の覚悟でドイツを脱出します
00:22:52数百人の研究者と共に
00:22:55一路南へ
00:22:58アメリカ軍に接触し亡命を訴え出たのです
00:23:12この後アメリカに渡った
00:23:15ポンブランの新たな戦いに迫ります
00:23:22宇宙絶景
00:23:29今回宇宙絶景を紹介してくれるのは
00:23:32ポンブランを広報官として支えた
00:23:35エド・バックビーさんです
00:23:41宇宙への夢を若者たちに伝えてほしいと
00:23:44ポンブランから思いを託されたバックビーさん
00:23:47今も子どもたちに向けて
00:23:50講演活動を行っています
00:23:57そんなバックビーさんの宇宙絶景は?
00:24:051969年7月16日
00:24:08月を目指して打ち上げられた瞬間の
00:24:11サターン5です
00:24:18この時バックビーさんは
00:24:21ポンブランや仲間と共に打ち上げ場の近くで
00:24:24見守っていました
00:24:2810、9、8、7と打ち上げが近づいてくると
00:24:31みんな興奮を抑えきれませんでした
00:24:36だってこのロケットは私たちが
00:24:398年以上もかけて開発してきたんですから
00:24:44サターン5はポンブランやバックビーさんたちにとって
00:24:47まさに子どものような存在でした
00:24:53ポンブランはきっとこんな気持ちだったのでしょう
00:24:57私のベイビーはきっと成功する
00:25:00いけいけ、月まで飛んでいけ
00:25:06ポンブランとの思い出とともに
00:25:09その時の光景は今もバックビーさんの心に
00:25:12書きついたままです
00:25:28ポンブランは亡命後10年余りで
00:25:31アメリカ宇宙開発の中心的な存在になる
00:25:40敗戦国ドイツの科学者が
00:25:43なぜこれほど短期間で
00:25:46アメリカの中核を担うことになったのか
00:25:581945年
00:26:01ドイツが敗れ第二次世界大戦が終わります
00:26:12決死の覚悟でドイツを脱出したポンブランは
00:26:15終戦後126人の研究者とともに
00:26:18アメリカへの亡命が認められます
00:26:28ただ、宇宙開発を進めたいという思いとは裏腹に
00:26:31彼らが配属されたのは
00:26:34陸軍の兵器開発部門
00:26:37任務は大陸間弾道ミサイルの開発でした
00:26:45兵器としてのロケットを開発しながら
00:26:48ポンブランは宇宙開発に関わるチャンスを
00:26:51必死に模索し続けました
00:26:581950年
00:27:01アラバマ州ハンツビルに拠点を移します
00:27:10宇宙ロケットセンターの一室には
00:27:13ポンブラン関連の資料が保管されています
00:27:21この中に当時ポンブランが
00:27:25チャンスを模索した痕跡が残っているといいます
00:27:31それはなんと雑誌
00:27:34表紙に火星と宇宙船のイラストが描かれています
00:27:38どういうことなのでしょうか
00:27:42これは1950年代に人気があった雑誌
00:27:45コリアーズです
00:27:50一般向けの週刊誌です
00:27:531952年から54年にかけて掲載された
00:27:56宇宙の特集記事に
00:27:59ポンブランは監修者として
00:28:02全面的に協力していました
00:28:08しかも陸軍に所属しながら
00:28:11彼は堂々と写真の中央に写っています
00:28:18記事で紹介されているのは
00:28:21翼のある宇宙船や
00:28:25宇宙ステーション
00:28:34当時はまだ実現していなかった
00:28:37人を宇宙に運ぶ巨大なロケットまで
00:28:40登場しています
00:28:47この記事に驚いたというのは
00:28:50ポンブランの下で宇宙開発の先行研究を
00:28:53行っていたミッキー・アレンさんです
00:28:58ここに描かれた技術は
00:29:01後のアポロ計画のサタンロケットと
00:29:04ほぼ同じです
00:29:07ロケットの一段目は複数のエンジンを
00:29:10束ねて使っていますよね
00:29:13その上が二段目
00:29:16そして三段目には翼が付いていて
00:29:19このように設計になっているんです
00:29:22彼の先見性は目を見張るばかりです
00:29:29実はこの記事はポンブラウンが
00:29:32出版社に熱心に働きかけて実現したものでした
00:29:40ポンブラウンは宇宙開発という夢を
00:29:43実現するにはアメリカの大衆の心を
00:29:47つかむ必要があると考えていたのです
00:29:53ちょうどこの記事が連載されていた頃
00:29:56ポンブラウンの夢が一気に
00:29:59現実のものになろうとしていました
00:30:05それはアメリカの人工衛星打ち上げ計画です
00:30:12手を挙げたのはミサイル開発を進めていた
00:30:16海軍と空軍
00:30:19そしてポンブラウン率いる陸軍チームでした
00:30:26アメリカに渡って10年
00:30:29ようやく目の前に来たチャンスでした
00:30:33しかしポンブラウンの陸軍チームは落選
00:30:37海軍が人工衛星を打ち上げることになります
00:30:41陸軍チームには重い空気が漂います
00:30:46そんな中でもポンブラウンは
00:30:48仲間たちを明るく励ましました
00:30:54今は目の前の課題をクリアしよう
00:30:59いつか我々に声がかかる日が来るはずだから
00:31:03ポンブラウンは自分のチームで
00:31:06人工衛星を打ち上げる夢をあきらめませんでした
00:31:11万が一のことを考えて
00:31:14ロケットの開発を続けたのです
00:31:21密かにロケット開発を続けること2年
00:31:26ロケット開発を続けること2年
00:31:29思わぬ出来事が起こります
00:31:401957年10月
00:31:43ソビエトが人工衛星
00:31:46スプートニク1号の打ち上げに成功したのです
00:31:52これに慌てたアメリカ
00:31:55海軍に人工衛星を速やかに打ち上げるよう命じます
00:32:06しかし
00:32:14打ち上げは失敗に終わります
00:32:18そこで白羽の矢が立ったのが
00:32:21ポンブラウンの陸軍チームでした
00:32:26陸軍チームの一員だった
00:32:29ジェイ・フォスターさんです
00:32:37この時のポンブラウンは
00:32:40アメリカ海軍の航空部隊の一員だったのです
00:32:47我々が開発したロケットは
00:32:50倉庫に準備してありました
00:32:53海軍が失敗した後
00:32:56上層部に何日で人工衛星を打ち上げられるかと聞かれ
00:32:59ポンブラウンは90日以内でと答えたのです
00:33:06陸軍チームは海軍の失敗から
00:33:092ヶ月足らずでロケットを完成させます
00:33:13ポンブラウンたちは人工衛星
00:33:16エクスプローラー1号を打ち上げます
00:33:34見事に成功
00:33:43アメリカは何とか一心を取り戻し
00:33:46ポンブラウンはチャンスをつかみました
00:33:58そして1960年
00:34:03NASAマーシャル宇宙飛行センター
00:34:06初代所長としてポンブラウンが爆撃されます
00:34:13大戦国ドイツの科学者は
00:34:16チャンスを逃しても諦めず
00:34:19チームのやる気を保ち続け
00:34:22目に見える結果を残しました
00:34:28こうして驚くほど短期間で
00:34:31アメリカ宇宙開発の中核を担うことになったのです
00:34:42この後はアポロ計画を進めた
00:34:45ポンブラウンの姿に迫ります
00:34:57今回の舞台は
00:35:00NASAマーシャル宇宙飛行センターがある
00:35:03アメリカのハンツビル
00:35:07ここを拠点に
00:35:10アポロ計画を成功させたポンブラウンは
00:35:13今も街の自慢です
00:35:19月面着陸に大きく貢献したのは我々の誇りです
00:35:22いつも宇宙を身近に感じています
00:35:27宇宙の魅力を次の世代に伝えていきたい
00:35:30ポンブラウンの強い思いを
00:35:33街の人たちはしっかりと受け継いでいます
00:35:44その一つがスペースキャンプです
00:35:49世界各国の子供たちが参加します
00:35:525泊6日の合宿生活で
00:35:55宇宙飛行システムを使って
00:35:58朝から晩まで満ちる
00:36:05子供たちは宇宙で働く厳しさや楽しさを
00:36:08身をもって体験します
00:36:16ポンブラウンは子供への最高の贈り物は
00:36:19教育だと言っていました
00:36:22スペースキャンプは子供たちの
00:36:25未来へつなぐ架け橋です
00:36:28ここでの経験をもとに
00:36:31一歩ずつ夢に近づいていってほしいと
00:36:34願っています
00:36:39スペースキャンプは1982年から始まり
00:36:42これまで70カ国
00:36:4575万人以上の子供たちが参加しています
00:36:49その中から5人の宇宙飛行士が
00:36:53誕生しています
00:36:57イタリアの方もいるんですね
00:37:04ハンツビルは世界の子供たちの
00:37:07宇宙の夢を育む街なんです
00:37:23ポンブラウンは
00:37:26アポロ計画を成功させた
00:37:29盾役者の一人になる
00:37:32しかし成功に満足していなかったという
00:37:35それはどうしてなのか
00:37:441961年
00:37:47人類初の有人月面着陸を目指す計画が
00:37:50スタートします
00:37:53しかしそれまでのロケットは
00:37:56人を乗せて打ち上げることができても
00:37:59高度は数百キロメートル
00:38:02地球を周回できる程度でした
00:38:06月は地球からおよそ38万キロメートル
00:38:10人をそこまで運ぶには
00:38:13全く新しいロケットを開発しなければなりませんでした
00:38:17ではどのようなロケットで月を目指すのか
00:38:21当初意見が真っ二つに割れていました
00:38:28一つは月周回ランデブーと呼ばれる方式
00:38:36地球から巨大なロケット一機を打ち上げ
00:38:39月を目指す方式です
00:38:47宇宙船は月を周回しながら
00:38:53着陸船だけを月に降下させます
00:39:04もう一つは地球周回ランデブーと呼ばれる方式
00:39:11まず複数のロケットを地球から打ち上げます
00:39:17それぞれのロケットに積んだ部品を
00:39:21地球の周回軌道上で組み立て
00:39:25新しい宇宙船を作ります
00:39:31その宇宙船で月に向かい
00:39:34月面に着陸する方式でした
00:39:39この方式は複数のロケットが必要になるなど
00:39:42一つ目の方式より費用がかかります
00:39:51しかしフォンブラウンたちは
00:39:54この方式を採用すべきだと強く主張していました
00:40:12その先の宇宙計画にも応用しやすいと考えたからです
00:40:23地球の周回軌道上で宇宙船を組み立てる技術が確立できれば
00:40:29火星などの惑星探査に展開できると考えていたのです
00:40:33フォンブラウンはアポロ計画の先にある惑星探査も見据えて
00:40:37ロケット開発の準備を着々と進めていました
00:40:47しかし一年かかりの議論の末
00:40:51正式に決まったのは
00:40:55ロケットの発射についてです
00:40:58自分たちがこれから手がけるのは
00:41:02月に行くためだけのロケットなのか
00:41:10その思いをおくびにもらったフォンブラウンたちは
00:41:14ロケットの発射について何を考えていたのでしょうか
00:41:18フォンブラウンたちは
00:41:22ロケットの発射について何を考えていたのでしょうか
00:41:26その思いをおくびにも出さず
00:41:30フォンブラウンは落胆する仲間を元気づけます
00:41:36フォンブラウンはこんな風に言って
00:41:40チームのみんなを納得させました
00:41:44この打ち上げ方式は我々が進めてきた研究とは違う
00:41:48みんな戸惑いがあるだろう
00:41:52でもきっと心地よいものに変わるはずだ
00:41:56我々ならどんなやり方だろうが
00:42:00月に行けるはずだからねと
00:42:05しかし月周回ランデブー方式のロケットは
00:42:09一気ですべて賄わなければなりません
00:42:13どうすれば月まで行ける推進力と
00:42:17人を乗せられる安全性を兼ね備えることができるのか
00:42:21と考えました
00:42:27数々のロケット開発を手掛けてきたフォンブラウンにとっても
00:42:31難解なミッションでした
00:42:36そこでまず手掛けたのが組織づくりです
00:42:40マーシャル宇宙飛行センターは総勢7,000人
00:42:44これを最強の一つのチームにすることでした
00:42:51その取り組みを象徴するのがウィークリーノートです
00:42:56各部署の責任者が1週間の課題を
00:43:001枚にまとめた報告書です
00:43:05金曜日に提出させフォンブラウンが
00:43:09週末にコメントを書き込み
00:43:13週明けの月曜日に返却しました
00:43:17重要だと思うところには下の方に矢印を伸ばして
00:43:21ここは重要だからもっと情報が欲しい
00:43:25至急教えてくれないかというリクエストです
00:43:31フォンブラウンはウィークリーノートを使って
00:43:35どんなことでも報告し合える環境を作っていきます
00:43:41ミスが起きた時
00:43:45フォンブラウンは特定の個人を絶対に攻めませんでした
00:43:52彼はスタッフを徹底的に信頼しました
00:43:56そして小さなミスを隠さないチームを
00:44:00作っていきました
00:44:06ウィークリーノートは書いた部署だけでなく
00:44:10他の部署も回覧しチーム全員で問題点を
00:44:14共有できるようにしたのです
00:44:18さらにフォンブラウンは現場へ頻繁に足を運び
00:44:22若い人の意見にも真剣に耳を傾けました
00:44:29彼はチームのみんなを大切にしてくれました
00:44:34自分の仕事には意味があるという気持ちにさせてくれたのです
00:44:42チーム一丸で生み出すロケット
00:44:45その名はサターン5
00:44:49全長110メートル 操縦量2700トン余り
00:44:53空前絶後の巨大な三段式ロケットです
00:45:03月で周回する指令船や着陸船
00:45:07そして宇宙飛行士を3人乗せて
00:45:1138万キロメートル離れた月を往復する
00:45:15その全てを支えるロケットです
00:45:31開発に苦労した一つが
00:45:35打ち上げの時使うロケットの第一弾です
00:45:39大きな推進力を確保するため
00:45:42動き束ねるしかありませんでした
00:45:49しかしその推進力を最大限引き出しながら
00:45:53ロケットの姿勢を安定させるにはどうしたらいいのか
00:45:59かつてV2ロケットで問題になった姿勢制御の問題が
00:46:03ここでも浮上してきたのです
00:46:07V2ロケットでは水力変更板を付けることで解決しましたが
00:46:11今回はその方法が使えません
00:46:21水力変更板の数が増え
00:46:25抵抗が大きくなり推進力を削いでしまうからです
00:46:31さらに水力変更板が高温になって
00:46:34溶けてしまう危険もあったのです
00:46:41その解決策として挙げられたのが
00:46:45サイドジェット方式と呼ぶもの
00:46:49ソビエトのロケットで主に使われていた技術です
00:46:56これはメインエンジンの脇に小さなエンジンを取り付け
00:47:00姿勢制御を行う方式です
00:47:05しかし、これではエンジンの数が多くなり
00:47:09構造が複雑になります
00:47:13故障のリスクが増え安全面の不安が拭えませんでした
00:47:29そこでフォンブラウンはよりシンプルに
00:47:32姿勢制御する方式を開発します
00:47:38その現場の責任者だったのが
00:47:42アレックス・マックールさんでした
00:47:51サターン5の1段目にある5機のF1エンジンのうち
00:47:55中央以外の4つのエンジンに無機能エンジンがありました
00:47:58中央以外の4つのエンジンに
00:48:02無機を自在に変えられる仕組みをつけようと考えました
00:48:10それは真ん中以外のエンジンを
00:48:14エンジンごと動かすことで姿勢を制御する仕組みでした
00:48:18ジンバル方式と呼ぶ方式です
00:48:224機のエンジンの根元に棒のような部品が付けられました
00:48:33部品の中には油が入っていて油圧で制御することで
00:48:37伸びたり縮んだりしてエンジンが動きます
00:48:46エンジン自体の向きを変え
00:48:49姿勢を制御しようというのです
00:48:59しかしこの方法にも課題がありました
00:49:04エンジンそれぞれに油圧システムを取り付けると
00:49:08この場合も部品の数が増えて複雑になってしまうのです
00:49:20フォンブラウンはこのジンバル方式で構造をシンプルにできないか
00:49:24開発チームに検討を求めます
00:49:31しかしその改良は容易なことではありませんでした
00:49:38ドイツ時代からフォンブラウンを支えてきたベテランたちも
00:49:42頭を抱えます
00:49:49チームの前に立ちはだかる高い壁
00:49:59この時フォンブラウンが作り上げてきた風通しの良い組織が
00:50:03解決の扉を開きます
00:50:10現場の情報を吸い上げるシステムのおかげで
00:50:14アレックスさんのチームの若手から斬新なアイデアが届いたのです
00:50:20エンジンごとに必要な油のタンクと
00:50:24その周辺部品を無くせるというものでした
00:50:31エンジンを動かしたらどうかというものだったのです
00:50:39そのアイデアはエンジンごとに必要な油のタンクと
00:50:43その周辺部品を無くせるというものでした
00:50:50ロケットの燃料ケロシンも油の一種です
00:50:54それを姿勢制御する部品の油圧システムに
00:50:58使うようにしたのです
00:51:02この工夫で油圧システムはぐっとシンプルになりました
00:51:09このようにして7000人のチームが試行錯誤を繰り返し
00:51:13史上最大最強のロケットを作ることができました
00:51:19ロケットサターン5を作り上げていったのです
00:51:291967年11月
00:51:33サターン5の初飛行を迎えます
00:51:37無人のアポロ4号です
00:51:43新たに開発した姿勢制御のシステムはうまく機能するのか
00:51:50フォンブラウンはチームの仲間たちと
00:51:54カタズを飲んで見守りました
00:52:01いよいよ打ち上げです
00:52:14サターン5はゆっくりと上昇します
00:52:203段ロケットの切り離しとエンジンの点火
00:52:26テストはすべて予定通りに進みました
00:52:33初飛行は無事終了します
00:52:50その後行われた4回の打ち上げも
00:52:54大きな問題はありませんでした
00:53:03そして迎えた1969年7月16日
00:53:07サターン5はアームストローム船長と
00:53:112人の宇宙飛行士を乗せたアポロ11号を
00:53:15月へ送り届けます
00:53:36人類が初めて月面に立った瞬間
00:53:45歓喜に湧く歓声室
00:53:49フォンブラウンはチーム力で大仕事を成し遂げたのです
00:54:07しかしなぜかその表情は心の底から満足しているようには見えませんでした
00:54:17この時のエピソードを開発チームのフォスターさんが明かしてくれました
00:54:26月面着陸が成し遂げられて喜んだことは確かですが
00:54:30成功すると思っていただけに
00:54:34ある意味息を消沈してしまったようなところがありました
00:54:48フォンブラウンが手放しで喜べなかった理由
00:54:52それは人々が月面着陸の成功に満足してしまい
00:54:55その先の夢である火星など惑星探査のチャンスが
00:54:59かえって遠のくのではないかとの思いでした
00:55:10その危惧は現実のものとなります
00:55:14アポロ計画の成功後
00:55:18アメリカは宇宙開発予算を大幅に縮小
00:55:22サターン5の生産も打ち切られます
00:55:31フォンブラウンはNASAを辞職
00:55:351974年アメリカ宇宙協会を設立します
00:55:41そこで宇宙開発のさらなる必要性を訴えました
00:55:44その活動をサポートしていた仲間たちは
00:55:48サプライズな計画を準備していたといいます
00:55:58実はフォンブラウンは宇宙飛行士になりたかった
00:56:02本当は宇宙に行きたかったんです
00:56:06そこで我々はひそかにこんな計画を立てました
00:56:101970年のアメリカ宇宙協会
00:56:14本題終わりまでにスペースシャトルが飛んだら
00:56:18それにフォンブラウンを乗せて
00:56:22初めて宇宙に行ったロケット科学者にする計画です
00:56:26ただシャトルの開発は遅れ
00:56:30彼がその前に亡くなったため計画は幻に終わりました
00:56:34残念でした
00:56:38フォンブラウンが思い描いた夢は
00:56:41次々と実現しています
00:56:49翼をつけ地球へ帰還できる宇宙船
00:56:53スペースシャトル
00:56:58世界各国が協力する国際宇宙ステーション
00:57:02そして今進められている火星探査計画
00:57:08地球の周回軌道上で宇宙船を組み立て
00:57:12火星に向かう計画です
00:57:21まさにフォンブラウンが提唱した方法で
00:57:25火星を目指そうとしているのです
00:57:31フォンブラウンは次のような言葉を残しています
00:58:02自分の夢を信じることから
00:58:06全てが始まる
00:58:10あとは周りの仲間と力を合わせて
00:58:14一つずつ問題を解決していけば
00:58:18道は開けるはずだ
00:58:27フォンブラウンの残したメッセージは
00:58:31宇宙開発の未来を切り開くための
00:58:35大きなヒントになるはずです
00:59:01次回は宇宙最大のミステリー
00:59:05ダークエネルギーです
00:59:11宇宙全体で無限に増え続ける不思議な存在
00:59:15ダークエネルギー その正体は?
00:59:31次回は宇宙最大のミステリー
00:59:35次回は宇宙最大のミステリー
00:59:39次回は宇宙最大のミステリー
00:59:43次回は宇宙最大のミステリー
00:59:47次回は宇宙最大のミステリー
00:59:51次回をお楽しみに
01:00:01次回は宇宙最大のミステリー
01:00:05次回をお楽しみに

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