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  • 2025/7/9

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ニュース
トランスクリプション
00:00戦後生まれが国民の8割を超えた今
00:11戦争は人々の記憶から遠い存在になろうとしている
00:17今から73年前
00:21日本はアメリカやイギリスなどの連合軍と戦争をして負けた
00:30九州の地方都市宮崎も戦場となった
00:45今年4月28日
01:01宮崎市である慰霊祭が行われた
01:05そこにはかつて敵として戦った日米双方の兵士の姿があった
01:17ああいう悲惨な戦争がないようにしていただきたい
01:22そして仲間たちの弔い
01:2773年前の出来事が今紐解かれていく
01:42朽ち果てた戦闘機
02:02昭和20年
02:04終戦直後の宮崎基地の映像である
02:07現在の宮崎空港は戦時中特別攻撃隊も出撃する航空基地だった
02:17そのためアメリカ軍からも繰り返し攻撃を受けていた
02:25宮崎の戦争史を研究している稲田哲也さん
02:48去年6月稲田さんの元に1本の電話がかかってきた
02:55電話の主は青森県在住で
03:01稲田さんと同じく航空戦争史を中心に調査研究をしている
03:06深尾博之さんだった
03:08要件はアメリカ人の男性から
03:14私の父親が宮崎の上空で撃墜されて戦死しているが
03:20何か情報はないかとメールが来た
03:23その事実について何か知らないかというものだった
03:28防衛省防衛研究センターに残されている
03:41宮崎市上空での旧陸軍の防空戦闘の記録
03:45稲田さんによると終戦末期の昭和20年4月28日
03:53宮崎基地を襲撃するため
03:57サイパン島から飛び立ったB29サルボサリー号が
04:01宮崎市の上空3600メートルを
04:05北から南に向けて飛行
04:07すると現在の宮崎市赤井中学校の裏山山頂に設置されていた
04:14通称峰砲台から発射された
04:17高射砲弾の直撃を受け
04:20黒煙を吐きながら墜落した
04:23この報告書の一番最後のページがこういった
04:30イラスト付きの非常に今見ても分かりやすい報告書
04:34ここから別な点線が引かれて
04:38一気に撃墜と
04:40撃墜されたB29サルボサリー号は
04:48戸井岬沖の日向灘に墜落
04:51搭乗員12人のうち11人が死亡した
04:57稲田さんがこうした記録をアメリカの遺族に送ったところ
05:05感謝の言葉とともに数枚の写真が送られてきた
05:09その遺族からのメールには
05:15父の戦死した地である宮崎に行きたいと書かれていた
05:20こうしたやりとりを通して
05:26稲田さんは戦争の犠牲となった
05:29アメリカ兵の慰霊祭を開催したいという思いを固めていった
05:33私の父もフィリピンで祖父を亡くしておりますので
05:42やはりそういった気持ちは私も分かるんですよ
05:4570歳を超えて
05:47人間あと何年生きるか分からないぞっていうぐらいまで来てくると
05:52やはりお父さんのことを知りたいっていうのは
05:57やはり人間の自然な感情じゃないのかなと
05:59その点においてはもう敵も味方もないよと
06:03しかし稲田さん自身の中には複雑な思いがあった
06:11戦争被害者っていうのはまだ多数生き残っておられて
06:17やっぱりアメリカ、B20区そういったものに
06:19非常に嫌悪感を抱いておられる方がいるっていうのも確かです
06:23ただですね、日本の兵士にしろアメリカの兵士にしろ
06:29やはりその、結局一緒なんですよ
06:32その国の一大事にですね
06:34学業も仕事も家族も投げ出して参戦して
06:37で、人知れず遠く離れた異国の地で亡くなった
06:42この宮崎の地にですね
06:45行ってみたい、来てみたいというのであれば
06:48それはもう私たちが何らかのですね
06:51支援はやっぱりしていかなければいけないのかなと
06:54取材を進める中、新たな事実が判明した
07:02撃墜されたB20区サルボサリー号
07:0912人中11人が犠牲となったが
07:14ただ一人助かった元搭乗員が
07:17現在も生存していることが
07:19アメリカの遺族の調査で分かったのだ
07:23生存が確認されたのは
07:26B20区サルボサリー号の
07:30ジャック・B・キャノンさん
07:3194歳だった
07:33私たちはアメリカに向かった
07:41ロサンゼルスから飛行機でおよそ3時間半
07:51アメリカ中央部に位置する
07:55ミズーリー州セント・ルイス
07:57閑静な住宅街にある自宅で
08:01出迎えてくれたのは
08:03撃墜されたB20区の
08:05唯一の生存者である
08:07ジャック・キャノンさんだった
08:08ジャックさんは
08:19撃墜された73年前の出来事を
08:22今でも鮮明に覚えていた
08:25右側のエンジンに被弾したB20区は
08:30黒煙を吐きながら急速に高度を下げ
08:33会場へと進路を変える
08:36そして
08:38その後に
09:08全て船に飛行ったから 飛行機が広まらないので ragenったな
09:11とても乗るように 乗るようにしていました
09:15また 乗るように 乗るように 飛行機を経てました
09:22他の方も多すると 飛行機の取引機を切るようにしました
09:27そして 飛行機を取引することにしていました
09:37自分の中で 午後に遅いの クレアに出てくる
09:46スモーク 出てくる
09:51スモーク 出てくる
09:57取り入れ リップコード
10:01B-29は豊岬の東およそ40キロの地点に墜落
10:31直前に飛行機から脱出したジャックさんは丸一日会場を漂い続けたという
11:01前に飛行機から飛行機からオーダーの前に丸いと三人に倒してくれる
11:13穴散らしに乗り続けてくれました
11:19he o
11:21and tried to cover up
11:23闘い
11:25so doing up
11:27and
11:30shortly after that i heard someone
11:32howard ask if anyone was there
11:36and
11:38the american boys
11:39끝 up in the submarine gate or and
11:45called up
11:46thead
11:49ジャックさんは1ヶ月ほどこの潜水艦で過ごした後アメリカに帰ったが
11:57再び戦地に向かう列車の中で終戦を迎えたという
12:01そして自分自身が撃墜された宮崎での慰霊祭については
12:19一通のメールで始まった73年前の出来事が
12:45それぞれの立場で大きな節目を迎えようとしていた
12:56慰霊祭当日
12:57記録によると73年前の4月28日は曇り
13:04だがこの日は青空が迎えてくれた
13:09そして午前9時30分
13:15会場にジャックさんたちが到着
13:18アメリカから私の東商品のご遺族の皆様がご入場です
13:25どうぞ各種でお迎えください
13:27黙祷
13:37式典が進む中
13:55ジャックさんはじっと前を見つめていた
13:59ビリー西陸 サルボスタニー 元道場にジャックキャノンさん
14:11ご視聴ありがとうございました
14:19ご視聴ありがとうございました
14:24ご視聴ありがとうございました
14:54出演
15:248月15日に出撃するはずだったが直前で終戦を迎えた
16:00私もこの方をジャックさんにお会いしてね本当幸せ
16:13こういう方と戦争していたかと思うとそういう時代がもう二度と来ないと思いますけどもね
16:22仲良く楽しくねまだ長生きをしてください
16:29異例祭で出会った元特攻隊員とB29の搭乗員
16:38堅い握手をして何度も写真に収まった
16:43私たちは大和魂で生きてきましたが
16:49向こうはアメリカ魂がやっぱり素晴らしいなと
16:52国を守るということがいかに大事なことか
16:55一生懸命お互いにやってきて
16:57そして生き残った人が心穏やかに幸せに暮らしていらっしゃる
17:02あの人を見つつとこれからもいいこんな素晴らしい世の中をですね
17:10いかにしたら守れるか皆さんがやっぱり色々研究して努力していただきたい
17:18こう考えております
17:19異例祭が終わりジャックさんにはもう一つやり遂げたいことがあった
17:27ご視聴ありがとうございました
17:46ご視聴ありがとうございました
17:47ご視聴ありがとうございました
18:17ご視聴ありがとうございました
18:47ご視聴ありがとうございました
19:17ご視聴ありがとうございました
19:47ご視聴ありがとうございました
19:49ご視聴ありがとうございました
20:17B-29サルボサリー号の日米合同慰霊祭の開催を提案した
20:37戦士研究家の稲田哲也さん
20:42この慰霊祭が残したものについて
20:45稲田さんの思いを語ってくれた
20:47私は過去を振り返らずして未来はないと思うんです
20:55過去に国と国とが戦争して人間が犯した過ちといいますか
21:02そういったものを忘れては未来はないと思うんです
21:08過去に何が実際あったのか正確に未来へ伝える
21:13ということが戦争のない平和の世の中を作っていくということの
21:21足掛かりというかそういったものになるのかなと
21:25私たちが3月に自宅を訪れたとき
21:35ジャックさんは戦争についてこんな言葉を残した
21:39この年とはやはり人の中で
21:40私たちの友達と戦争の中で
21:44私たちの戦争になります
21:44私は戦争の中での戦争を残した
21:46戦争を残した、私たちの戦争に誇ると
21:47戦争を続けたら、私たちの戦争にあまり変化した
21:48戦争を残した場に
21:48非常に大変化した
21:50戦争だと
21:53帰って many戦争とい that
21:54戦争を残した
21:59戦争や物質は
22:00それはあなたの人たちの人たちが苦労を感じています。
22:07それは、私たちの人たちの人たちが、
22:14人たちの人たちの人たちが、
22:20the years, the people who were enemies at one time were more reliable friends we have.
22:36今から73年前
23:01日本はアメリカと戦争をして負けた
23:04未だ消えぬ傷や悲しみを抱きながら生きている人々がいる
23:11今も世界各地で争いが続いている
23:16私たちはそのことを知り学び伝えなければならない
23:29願いは争いのない平和な世界
23:32そのために花びらは空を舞ったのだから
23:43ご視聴ありがとうございました
23:55ご視聴ありがとうございました
23:59ご視聴ありがとうございました

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