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  • 2025/5/16

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00:001944年12月、アメリカユタ州で新兵器をピンポイントで投下する極秘訓練が行われていました。
00:17標的の候補に上がった町は、小倉、そして新潟、長崎。
00:29最終的に選ばれたのは、最も狙いが定めやすく威力が見せつけられる町。
00:42そこは、戦闘員ではない一般市民30万人が暮らしている町。
00:52広島はその地形が良かったのです。山に囲まれた完全な盆地でした。
00:58市の中心部にはT字の橋があり、あるパイロットはこんなに投下に最適な標的はヨーロッパのどこにも見たことがないと言いました。
01:14しかし、原爆投下の直前まで、アメリカ政府中心部では原爆を使うべきではないという考えが圧倒的多数を占めていたのです。
01:27今回の取材で、ある政府公館の未公開文書が見つかりました。退職後1945年の夏を振り返って記された言葉です。
01:44原爆が投下される必要は全くなかった。
01:57書簡を記したのはジョセフ・グルー。アメリカの外交政策を決定する国務省のナンバー2だった人物です。
02:13なぜグルーは日本への原爆投下に反対したのか。そこには人道上の配慮でも国際政治上の戦略でもないある大きな理由、ビジネスとしての戦略があったのです。
02:32東アジアには何でもある。石炭、鉄、電力、熟練労働者。
02:42我々アメリカが必要とするすべてがある。
02:48グルーは興味深いことに一般の日本人には関心がありませんでした。
02:54彼が関心を持っていたのはあくまで日本とのビジネスです。
03:02原爆を投下して日本人に対して抜き差しがたい敵意を抱かせてしまった場合、経済的な共存関係というものを築けないと考えた。
03:18これに対し原爆投下を強行に主張した人物がいました。
03:24トルーマン大統領の側近、ジェームズ・バーンズです。
03:30バーンズにとって原爆投下の目的はあくまで東ヨーロッパへの威嚇であり、日本との戦争集結を早めるためではありませんでした。
03:43バーンズにとっての本当の問題はアジアではなくヨーロッパだったのです。
03:53東ヨーロッパでのソ連との覇権争いでした。
03:59ソ連を牽制するためにしっかりと原爆を見せつける必要があったのです。
04:09現在でもアメリカでは原爆投下が戦争の集結を早め、多くのアメリカ兵と日本人の命が救われたと信じられています。
04:38原爆投下は本当に必要だったのか。
04:4810日の決定に至るアメリカ政府中枢の駆け引きを新たに発掘した資料から見つめ直します。
05:18日米海戦の翌年、アメリカ西部の山岳地帯で極秘プロジェクトがスタートしました。
05:33原爆を開発するマンハッタン計画。
05:41わずか数週間の特間工事で何もなかった山の中に突如、秘密都市ロスアラモスが出現。
05:51世界中から第一線の科学者6700人が呼び寄せられ、原爆開発に当たったのです。
06:00しかし、この巨大計画は政府内でもごくわずかの人にしか知らされていませんでした。
06:12このマンハッタン計画を知ったときから一貫して原爆投下に反対し続けた一派がいました。
06:26その中心人物はジョセフ・グルー。アメリカの外交施策に携わる国務次官です。
06:35グルーは日本を徹底的に破壊することなく降伏させるべきだと主張していました。
06:55アメリカ国民向けに戦時中に作られた映画、敵国日本。監修したのはグルーです。
07:26この映画は意外にも日本がこの10年で高い技術と工業力を持つ国に急速に発展したと称賛しています。
07:38グルーは敵国となったものの日本をアメリカ経済にとって重要なパートナーと見ていました。
07:491930年代になると電気を使ったニュービジネスが登場します。
07:55ニュービジネスの先進国であったアメリカ大企業にとっては大変輝いた市場としての位置づけと意味を持っています。
08:07当時のウォール街では世界最大規模の金融企業JPモルガンがアメリカ政府の政策決定に対して大きな力を持っていました。
08:22国務次官グルーはそのJPモルガンの経営者ジョン・ピアポントモルガンのいとこでした。
08:31グルーはモルガンの代弁者として外交から経済、果ては戦争時の戦略まで国政に影響を与える役割を担っていたのです。
08:48彼らはワシントンの政策立案者と密接な関係を築いていました。
08:55周囲からはウォール街と呼ばれる一派を成していたのです。
09:01政府の役人になった場合にでもその前任の場合にビジネス指針者って非常に多いわけですよね。
09:07こういうビジネス指針者ってのは当然のことながらある企業と非常に深くつながりながらある政権の中に入っていくという形はむしろ稀ではなくて非常に一般的なんです。
09:20実はグルーは1932年から海戦まで駐日大使として東京に赴任しています。
09:31この時、政治家や官僚のみならず三菱や住友といった財閥と後々まで続く関係を築き上げました。
09:43当時グルーが記した報告書。JPモルガンなどの大企業が日本を足掛かりにアジア全域への進出を狙っていたことがわかります。
09:58東アジアには何でもある。
10:03作物、煙草、肉や魚、石炭、鉄、電力、そして熟練労働者、我々アメリカが必要とするものすべてがある。
10:24駐日大使グルーにとっての重要な任務は、アメリカの大企業が日本に進出していく環境を整えることでした。
10:39当時のアメリカ議会の調査記録を見ると、グルーらによって築かれたビジネスの実態が伺えます。
10:50JPモルガンから資金援助を受けて、ITT電信電話会社が日本に進出していました。
10:59そのITTは住友電機とNECの株を所有。
11:05同様の手法で、JPモルガンはアメリカ企業を通じて日本の財閥系企業の株式を所有していました。
11:18さらに日米合弁という方法を取り、電信電話網の付設や工場建設といったインフラの整備を実施。
11:31日本をアメリカの工場とし、世界中にその製品を売って利益を上げるという体制を作り上げていたのです。
11:40グルーたち大企業の一派が最も恐れていたのは、戦争によってインフラが破壊され、投資が回収不能となることでした。
11:54ビジネスの相手を破壊することは、グルーたちにとって好ましいことではありませんでした。
12:01工場を破壊してしまうことも望んでいませんでした。
12:06戦争中、日本の工場では戦車や機関銃を作っていましたが、戦争さえ終わってしまえば簡単に自動車やテレビを作る工場へと転換させることができるからです。
12:20日本を徹底的に破壊することは、彼らにとって何の利益にもならないことでした。
12:27日本を石器時代のような状態にしてしまうなんて論外です。
12:32グルーたちはもっと現実的な考えを持っていたのです。
12:37原爆を開発した研究都市ロスアラモスは、多くのアメリカ人が訪れる観光地となっています。
13:05原子爆弾は太平洋戦争を終結へと導き、多くの命を救った兵器と受け止められています。
13:16展示されている原寸大の模型は、訪れる人々に敬意と威風の念を抱かせています。
13:27アメリカの歴史上最大の国家資金を費やしたマンハッタン計画。
13:33この計画に関わり続け、原爆投下の決定に大きな影響を及ぼした人物がいます。
13:45ジェームズ・バーンズです。
13:49バーンズは、戦争に必要な物資を調達する戦時動員局長でした。
13:55マンハッタン計画の莫大な資金調達を一手に担っていました。
14:26バーンズは国の支出の90%近くを軍事費に充て、人々を雇い、軍事物資の大増産を実現させました。
14:40当時の政治家の中で、国民をまとめ大事業を行うという能力に最も長けた人物。
14:48それがジェームズ・バーンズでした。
14:59バーンズが生まれたのは人口2万人の南部の町、チャールストンのダウンタウンで育ちました。
15:10父親はバーンズが生まれて間もなく亡くなり、仕立て屋を営む母1人の手で育てられました。
15:20家計を支えるために14歳で学校を中退し、法律の勉強をしながら速記官や新聞記者など職を転々としました。
15:34バーンズが少年時代のサウスカロライナは南北戦争で大打撃を受けた後でした。
15:41町は物漏りをする人々であふれ略奪が横行していました。
15:46徹底的に破壊され再建するための資金など全くありませんでした。
15:54その頃、南北戦争の勝者北部のウォール街の大企業は好況に湧いていました。
16:06しかし実体とかけ離れた過剰生産と投資が繰り返され、世界大恐慌が発生しました。
16:18その煽りを受けた南部の人々の暮らしはさらに追い詰められました。
16:25ウォール街の大企業が立ち直り始める一方で、開戸や賃金カット、農作物の暴落が続きました。
16:38こうした状況を目の当たりにしたバーンズは上院議員になることを決意し、
16:44地元の有権者と一つの約束を交わしました。
16:50国を動かす一部の人々の金を国民に返す。
17:01バーンズは圧倒的な支持を集め当選、公約の実現に奔走します。
17:10そこで取り組んだのは、連邦政府から大規模な公共事業を誘致することでした。
17:19この水力発電所はバーンズがルーズベルト大統領に直談判し、連邦予算で建設させたものです。
17:31このダムは地元の人たちを救済することが目的で、建設のため1万3000人の雇用を生み出しました。
17:41しかし、妨害もありました。投資家が所有する電力会社が、
17:47大規模な事業を完遂させることにより、
17:55自分たちの利益が侵されると裁判を起こしたのです。
18:02少々して建設が始まるまでに3年かかりました。
18:09バーンズは、大企業ではなく地元の人々が恩恵を受けることをやりたいと思い、それを実行しました。
18:19このプロジェクトはその1つです。
18:50日米の戦争が始まると、バーンズはルーズベルトから戦時動員局長に任命されます。
18:59バーンズは軍事生産以外のビジネスを厳しく制限し、国内の物資の流れをすべて取り仕切りました。
19:11地方出身で大企業などのバックを持たないながらも、内政の専門家としてホワイトハウスの中での地位を固めていきます。
19:24しかしその手法は、グルーのようなウォール街をバックに持ち、自由なビジネスを信条とする官僚や政治家たちとは相入れないものでした。
19:41この2人はまさに両極端でした。
19:46グルーはエリート中のエリート。
19:50関心を持っていたのはウォール街の企業の利益です。
19:58これに対し、バーンズは経歴も違えば世界の見方も違う。
20:052人は対照的な存在だったのです。
20:11バーンズは所居的政治家ですから、あまり世界のことも知らない。
20:17南の州からやってきて、そういった国内政治を見ています。
20:24外国人と違って世界を見る意味は国内を見ています。
20:30戦時動員局長バーンズが抱える最大のプロジェクト、
20:35それがルーズベルトから命じられたマンハッタン計画でした。
20:43極秘計画のため、資金調達はバーンズ周辺だけが知る形で行われていました。
20:51その結果、アメリカ国民の全く知らないところで、
20:55当時の国家予算の2割に当たる資金がつぎ込まれたのです。
21:05バーンズはこの状況を大統領に広報告しています。
21:12いまやマンハッタン計画の支出は20億ドルに近づきつつあります。
21:18失敗すれば厳しい調査と批判を受けることになるでしょう。
21:31彼らは原爆開発を正当化しなければならなかった。
21:36それだけの資金を投じて何の結果も出せなかったら、
21:40国民や議会から徹底的な調査を受けることになります。
21:45原爆を使わなければ多くの問題が降りかかってくる状況にあったのです。
22:021945年4月、ルーズベルド大統領が死去。
22:09マンハッタン計画の推進者が不在となりました。
22:16副大統領から突如大統領に就任したハリー・トルーマンは、
22:21この時初めてマンハッタン計画について知らされました。
22:31原爆の開発と投下の決定は自分の責任のもとにある。
22:36不安に駆られたトルーマンはバーンズに相談。
22:41以来、バーンズが原爆開発の中心人物となり、
22:46トルーマンはその発言を最も信頼するようになるのです。
22:56この頃、マンハッタン計画のことを知らされた人物がもう一人います。
23:03国務次官ジョセフ・グルーです。
23:07軍の高官との秘密裏の会合でのことでした。
23:11情報をもたらしたのは陸軍長官ヘンリー・スティムソンと、
23:16その部下ジョン・マクロイでした。
23:20なぜ彼らは、副大統領さえも知らない極秘情報をグルーに伝えたのか。
23:29彼らはみなウォール外の人間だということです。
23:33彼らビジネスマンの唯一の行動原理は利益を上げることです。
23:42彼らは戦争を終わらせて財閥との関係を復活させ、
23:47日本に投資した資金を回収することを目指していました。
23:58陸軍長官スティムソンは、大企業の法律顧問を受け負う弁護士事務所の経営者でした。
24:06そしてその最大の顧客が、グルーのバックであるJP・モルガンでした。
24:17陸軍次官補のジョン・マクロイは、アジアに進出していたスタンダード石油の顧問弁護士でした。
24:27ジョン・マクロイは、日本を解滅させてはならない。
24:32経済での征服こそが国益にかなうと考える政府高官たちによって、
24:37原爆投下回避のための極秘プロジェクトが動き始めました。
24:48その最初の舞台となったのはスイス・バーゼル。
24:55グルーがまず取った行動は、原爆が投下される前に日本が降伏に応じる条件を探ることでした。
25:08国務次官という地位を最大限に活用し、
25:12諜報員のアレン・ダレスをこの地に派遣。
25:16ダレスもまたビジネス界の出身で、グルーとは窮地の中でした。
25:23ダレスのビジネス仲間は様々な国籍を持ち、
25:27それぞれ独自の情報収集を行っていました。
25:31その活動拠点がスイスの国際決済銀行でした。
25:38国際決済銀行というのは当時、
25:41交戦国同士がコミュニケーションを取れる唯一の機関で、
25:46ここで彼らは戦時中であっても情報交換することができたわけですね。
25:53彼ら実業家ですから、ヨーロッパ中からいろんな客観的な、
26:00軍とは違う客観的な情報を集めて色々分析するわけですけれども、
26:05グルーに、ダイレクトに伝わるという状況があったわけです。
26:10ダレスはビジネスネットワークを駆使し、
26:15日本のザイ・ベルン公司から極秘情報を入手しました。
26:22日本側が幸福に応じるために求めた条件はただ一つ、
26:27それは天皇制の存続でした。
26:35天皇制の存続は、多くのアメリカ国民が天皇を先般と考えているため、
26:42受け入れるにはハードルの高い条件でした。
26:50しかし、グルーたちにとっては実は願ってもない条件だったのです。
27:00天皇制も重要ですけれども、天皇の周りにいるエリートたち、
27:07財閥系や政治家などの勢力も、
27:11彼らは天皇制とワンセットで考えていたわけです。
27:15天皇制の周りにある実業家や財閥は、
27:22ウォールストリートから多額の借金を借りてビジネスをやっている人たちでもあるわけです。
27:30ですから戦後、日本が工業的に復興する上で、このネットワークは重要になる。
27:39ですから天皇制がなくなった場合は、財閥に対する影響力も失うことになり、
27:48彼らとしてはそれも困るという理由の一つだったわけです。
27:56グルーは天皇制の存続をアメリカ政府に認めさせるため、
28:01陸軍長官スティムソンを通して海軍のトップ、ジェームズ・フォレスタルの領海も取り付けます。
28:10そのフォレスタルも、ウォール外で投資銀行を経営するビジネス界の出身者でした。
28:20スティムソン、フォレスタルに従い、軍の高官たちは次々とグルーの主張を支持、反対する者は現れませんでした。
28:32グルーは軍部に天皇制の存続を認めさせることに成功しました。
28:45その頃、マンハッタン計画は初めての核実験の目処が立ち始めていました。
28:53バーンズは科学者や軍人を含めた原爆投下のための委員会を率き、具体的な投下計画の策定に着手します。
29:05原爆を投下することになれば失敗は許されない。
29:10バーンズの号令の下、標的として日本中のあらゆる都市が検討されます。
29:18東京や大阪といった大都市から下関、山口、熊本、リストアップされた都市は17に上ります。
29:32選定に当たり考慮されたのは人口や工場の多さなどより、むしろ実際に投下したときに失敗する確率が低いということでした。
29:44当時はまだレーダーの精度が低く、爆弾の投下は爆撃死の目に頼らざるを得ませんでした。
29:55最も重視された条件は晴れの日が多く、街の中心に狙いやすい標的があること。
30:03その結果残った都市は新潟、小倉、長崎、そして広島でした。
30:346月18日、軍の高官とトルーマン大統領による軍事会議が開かれました。
30:43予定されていた議題は日本を降伏させる最終作戦の検討でした。
30:52グルーは文官であるため参加できず、
30:57陸軍長官スティムソンと陸軍次官補マクロイが会議に臨みました。
31:05今に残されているその日の議事録。
31:10記されているのは九州への上陸作戦について。
31:15ここには日本への原爆投下に関する言及はありません。
31:20しかし余白部分に、そのほかいくつかの問題について討議したと手書きのメモが残されています。
31:32この時、一体何が話し合われたのか。
31:37会議に参加したマクロイが、その内容を戦後の解雇録に記していました。
31:43会議が終わるにあたって、大統領は私に何か言うことはないかと尋ねた。
31:50私は答えた。
31:53この戦争を早期に終わらせるために他の手段を検討するべきです。
31:59それをしないのは、頭の中を調べてもらったほうがいいのではないかと。
32:05今こそ、日本を降伏させるために天皇制の存続を認めると表明すべきだと考えます。
32:17マクロイの発言に対し、会議が終わるにあたって、
32:22私は答えた。
32:25私は答えた。
32:28私は答えた。
32:31マクロイの発言を聞いたトルーマンは、こう答えたと記されています。
32:38それはまさに私も考えていたことだ。
32:43そして一言付け加えました。
32:47バーンズと相談してくれ。
32:54軍事会議の翌日、マクロイはバーンズの元を訪ねています。
33:00マクロイの解雇録によると、バーンズは天皇制の存続に強く反対し、
33:07即座に提案を却下しました。
33:11すでに原爆投下の具体的な準備を進めていたバーンズにとって、
33:17日本の早期降伏は絶対に避けなければならないことだったのです。
33:23もし、グルーが勧めた天皇制の保障を日本側が受け取ったならば、
33:30戦争は3ヶ月早く終わっていたことでしょう。
33:36しかし、それでは原爆が使えませんでした。
33:42バーンズは原爆を使うまで戦争を終えていたのです。
33:47この時、バーンズにとって原爆投下は以前よりも大きな意味を持つようになっていました。
34:18その背景にあったのはヨーロッパ情勢の変化です。
34:24ナチスドイツが降伏した後、ソ連がベルリンに侵攻し、
34:30そのまま軍を引かずに東ヨーロッパを支配下に置いていました。
34:36バーンズはソ連がさらに西に侵攻することを懸念し、
34:41共産主義の脅威から西側諸国、ひいてはアメリカ国民を守るために、
34:47原爆の威力を見せつける必要があると考えていたのです。
34:53日本人には理解できないかもしれません。
34:59フィルムをカットしても構いませんが、説明させてください。
35:05バーンズにとっての本当の問題はアジアではなくヨーロッパだったのです。
35:11東ヨーロッパでのソ連との覇権争いでした。
35:17ソ連を牽制するためにしっかりと原爆を見せつける必要があったのです。
35:25バーンズの強硬な反対によって、天皇生存族を認め日本を降伏させるという
35:32グルーの戦略は棚上げとなりました。
35:38これに対し、グルーは国務次官という立場を利用して次の手に打って出ます。
35:47翌7月にはドイツのポツダムでソ連・イギリスと戦後処理を話し合う会議が予定されていました。
35:57いわゆるポツダム会談です。
36:02グルーはこの時に出される対日声明に天皇生存族を盛り込むことを狙ったのです。
36:14トルーマンにとっては初の国際会議。
36:19バーンズは外交交渉とは無縁。
36:24国務次官であるグルーが会談を取りしきれる状況にありました。
36:33これがグルーの作成したポツダム宣言の草案です。
36:41第12項に現在の天皇生を存続すると明記されています。
36:47グルーはこの草案が発表されれば原爆投下の前に日本が降伏するだろうと期待していました。
37:041945年7月7日、トルーマンはポツダムに向かいます。
37:12しかしその傍らに国務次官グルーの姿はありませんでした。
37:20同行者に選ばれたのはグルーではなくバーンズだったのです。
37:29出発の4日前、突然トルーマンはバーンズを国務省のトップ国務長官に任命。
37:42トルーマンはバーンズから間もなく原爆実験が行われ、アメリカは核兵器を手にするだろうと聞かされていました。
37:52トルーマンは戦争を終わらせアメリカ人の命が救われること、それだけしか望んでいませんでした。
38:01トルーマンにとって原爆は単なる武器の一つでした。
38:07戦争を終わらせるのに役立つのであれば使おうと考えたのです。
38:17軍まで味方につけ戦略を練ってきたグルーとバーンズの形勢は完全に逆転します。
38:25バーンズはグルーの上司となり、グルーがポツダムへ同行することを認めませんでした。
38:36グルーは天皇生存族を盛り込んで自ら書き上げた草案をポツダムに向かうバーンズに託すしかありませんでした。
38:55そしてポツダム会談が始まる前日、1945年7月16日。
39:07実験成功の知らせを受けたバーンズに迷いはありませんでした。
39:13実験成功の知らせを受けたバーンズに迷いはありませんでした。
39:18その場でトルーマンに
39:23日本への原爆投下を決定するよう要求し、
39:28東日本大震災により
39:33東日本大震災により東日本大震災により
39:38東日本大震災により
39:43トルーマンは求めに応じました。
39:53トルーマンは大統領になってまだ日が浅かった。
39:58彼は決定を下せず、
40:03他の人の決定にOKしただけだったのです。
40:08トルーマンから原爆投下が認められました。
40:13トルーマンから原爆投下が認められたバーンズにとって
40:18残された最大の問題はグルーが作成した天皇制存続を含む草案でした。
40:23宣言の内容が会議で同意され
40:28発表されてしまえば、
40:33日本は降伏し原爆を使う機会が失われてしまうと危惧したのです。
40:38そこでバーンズは
40:43天皇制の存続を維持させるため大胆な行動に出ます。
40:48グルーの草案から天皇制の存続を保障する第12項を削除して発表したのです。
40:53バーンズの独断による変更でした。
40:58トルーマンは
41:03天皇制の存続を保障した部分が
41:08バーンズによって削除されたのは確かです。
41:13その部分が削除されたことによって
41:18日本は宣言に合意することができなくなりました。
41:23その結果、戦争が続くことになったのです。
41:43日本が終戦を迎えた翌日
41:48グルーは国務省を辞任しました。
41:53グルーのビジネス仲間たちも
41:58後を追って次々とワシントンを去っていったのです。
42:03グルーのビジネス仲間たちも
42:08後を追って次々とワシントンを去っていたのです。
42:13バーンズはその後も原爆を切り札に
42:18ソ連に対し強硬な外交を続けました。
42:23しかしポケットに原爆と称されたその姿勢に
42:28トルーマンが疑問を感じ、2年後に悲鳴。
42:33故郷のサウスカロライナに帰りました。
42:43サウスカロライナでは今でも毎年バーンズの功績をたたえ
42:48そのありし日をしのぶ集まりが開かれています。
43:14バーンズの奨学金を受けた人たちは300人余りで、
43:19そのほとんどがサウスカロライナで
43:24公務員や教師として働いています。
43:29バーンズは故郷では英雄として扱われています。
43:43彼の役割は平和主義者や
43:48彼の役割について何でも言えればいいのですが、
43:53彼の役割は個人のために良いものを作ることでした。
43:58バーンズが公務員の人生で
44:03多くの決断を受けなければならなかったことに
44:08彼は多くの決断を受けなければならなかったことに
44:13思い切っています。
44:18彼の役割は戦争を終えるか、
44:23戦争の後に世界に良い関係を重ねるかにも関わっていることに
44:28思い切っています。
44:43ウォール街が日本でのビジネスを再開するために作った組織、
44:48アメリカ対日協会の名誉議長に就任したのです。
44:53グルーはあくまでウォール街の人間だということです。
44:58彼がリーダーを務めたアメリカ対日協会は
45:03ウォール街の利益を代表する団体です。
45:07彼らは日本の財閥と戦前のような関係を再び築き上げ、
45:12現在に至っています。
45:38原爆10日に反対していたグルーラは、
45:43今度は売り込む側に回ったのです。
45:53しかし、原爆10日前にグルーラが懸念した通り、
45:58被爆国日本の核アレルギーは極めて根強いものでした。
46:07そこでCIAや合衆国情報局を巻き込み、
46:12原子力の平和利用博覧会を各地で開催しました。
46:17原子力は原爆だけでなく
46:22さまざまな平和利用にもつながっている
46:27というキャンペーンを展開したのです。
46:37博覧会100万人目の来訪者が広島の高校生だったことは
46:42全国に大きく報じられました。
46:47原子力平和利用博覧会を開き、
46:52博覧会に参加した人たちは
46:57「原子力平和利用博覧会というものを開いて
47:01原子力に対するアレルギーをなくす、
47:06原爆に対するトラウマを鎮めてもらう。
47:11それによって戦後、
47:16日本はアメリカとビジネスパートナーとして発展していく。
47:21原爆の記憶、原爆のトラウマを弱めるということを
47:26彼らは願っていたと思いました。
47:31原爆10日からの65年を通じて、
47:36日本では原子力へのアレルギーが消え、
47:41被爆の記憶は薄れる一方です。
47:46多くのアメリカ人は今も原爆10日は戦争中、
47:51原爆10日は戦争中、原爆10日は戦争中、
47:56原爆10日は戦争中、原爆10日は戦争中、
48:01原爆10日は戦争中、原爆10日は戦争中、
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