2018年5月4日は田中角栄の生誕100年。今でも田中角栄に関連する書籍が多数出版され、名言や政治家としての功績が多くの人々を魅了している。“田中角栄待望論”という言葉すら生まれる世相の背景には何があるのか。いわく「今もし田中角栄氏が生きていたら、現在の日本でどんなかじ取りをするだろうか…。彼のような政治家が現れてほしい」。小学校卒の宰相が、戦後の日本の未来を見据えて大胆不敵に立ち回った昭和40年代の日本。並み居るエリート官僚たちの心をわしづかみにする操縦力。その人間としての魅力はどのようにして育まれたのだろうか。今回は、そんな“今こそ知りたい田中角栄”の人間力と功績の数々を、当時の時代を彩るヒット曲を交えて紹介する。
●角栄の原点! 雪国から乗った上り列車
田中角栄の政治家としての原点は故郷にある。雪深い新潟の小さな村に生まれた角栄は、朝から晩まで働き詰めの母の姿を見て育った。当時、出稼ぎの人数が日本一だった新潟。太平洋側と日本海側の大きな格差を感じながら上り列車に乗った15才の角栄。
今年生誕100年を迎える田中角栄。その原点を求めて、地元・新潟を徹底取材。
雪に閉ざされた故郷に残された痕跡を辿る。
●徴兵された角栄! その痛切な戦争体験とは…
上京した角栄は、昭和12年、苦難の末に土木事務所を立ち上げるが翌年に徴兵。過酷な軍隊生活と生死をさまよう肺炎が彼を苦しめた。この体験が、戦後なによりも平和を求める政治家としての信念を貫かせることになる。
●若き血の叫び! 権力の階段を駆け上る角栄
昭和22年、初当選した角栄のスローガンは「若き血の叫び」。以後、信じられないスピードで政治家としてのキャリアを積んでゆく。実は角栄は戦後を代表する5人の宰相に仕えた。幣原喜重郎、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作。皆、戦後日本の復興を担った政治家たちだ。角栄は彼らから何を学び、自らの総理としての生き方に生かしたのだろうか。
●決断と実行の政治とは…
昭和47年7月、54才で内閣総理大臣に上り詰めた角栄。尋常小学校卒業の総理誕生は、国民の絶大な支持を得て、“庶民宰相”“今太閤”ともてはやされた。そして、その人気をばねに次々にその政策を実行に移した。少年時代からの悲願ともいえる「日本列島改造論」、歴史に残る「日中国交正常化交渉」、その舞台裏で何があったのか!? 当時の中国首相・周恩来との息詰まるような交渉の真実が明かされる!
●田中角栄、最大の試練
雑誌記事から始まった、金脈問題。ついに角栄は総理退陣を決意する。そして次に起きたロッキード事件。長い裁判の中で格闘した角栄の苦悩とは? そして、バッシングの背景には何があったのか? その真実に迫る!
●田中角栄の底力! その人間力に迫る
人々を魅了して止まなかった“人間・田中角栄”。その力の源泉には何があったのか。圧倒的な人間力、その魅力を、角栄と直接関わった人たちの証言を軸に描き出す。地元・新潟、生誕100年を記念して公開される生家には、今なお角栄を慕ってやまない人たちの声が響く。
●角栄の原点! 雪国から乗った上り列車
田中角栄の政治家としての原点は故郷にある。雪深い新潟の小さな村に生まれた角栄は、朝から晩まで働き詰めの母の姿を見て育った。当時、出稼ぎの人数が日本一だった新潟。太平洋側と日本海側の大きな格差を感じながら上り列車に乗った15才の角栄。
今年生誕100年を迎える田中角栄。その原点を求めて、地元・新潟を徹底取材。
雪に閉ざされた故郷に残された痕跡を辿る。
●徴兵された角栄! その痛切な戦争体験とは…
上京した角栄は、昭和12年、苦難の末に土木事務所を立ち上げるが翌年に徴兵。過酷な軍隊生活と生死をさまよう肺炎が彼を苦しめた。この体験が、戦後なによりも平和を求める政治家としての信念を貫かせることになる。
●若き血の叫び! 権力の階段を駆け上る角栄
昭和22年、初当選した角栄のスローガンは「若き血の叫び」。以後、信じられないスピードで政治家としてのキャリアを積んでゆく。実は角栄は戦後を代表する5人の宰相に仕えた。幣原喜重郎、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作。皆、戦後日本の復興を担った政治家たちだ。角栄は彼らから何を学び、自らの総理としての生き方に生かしたのだろうか。
●決断と実行の政治とは…
昭和47年7月、54才で内閣総理大臣に上り詰めた角栄。尋常小学校卒業の総理誕生は、国民の絶大な支持を得て、“庶民宰相”“今太閤”ともてはやされた。そして、その人気をばねに次々にその政策を実行に移した。少年時代からの悲願ともいえる「日本列島改造論」、歴史に残る「日中国交正常化交渉」、その舞台裏で何があったのか!? 当時の中国首相・周恩来との息詰まるような交渉の真実が明かされる!
●田中角栄、最大の試練
雑誌記事から始まった、金脈問題。ついに角栄は総理退陣を決意する。そして次に起きたロッキード事件。長い裁判の中で格闘した角栄の苦悩とは? そして、バッシングの背景には何があったのか? その真実に迫る!
●田中角栄の底力! その人間力に迫る
人々を魅了して止まなかった“人間・田中角栄”。その力の源泉には何があったのか。圧倒的な人間力、その魅力を、角栄と直接関わった人たちの証言を軸に描き出す。地元・新潟、生誕100年を記念して公開される生家には、今なお角栄を慕ってやまない人たちの声が響く。
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ニューストランスクリプション
00:00それは日本が育ち盛りの時代でした
00:07明日は今日よりきっと良くなる
00:11誰もがそう思っていた
00:14キラキラと輝いていた彼らが
00:19時を越えて語りかける
00:30達者でやってるかい
00:33私が田中核英でございます
00:37今大公
00:41コンピューター付きブルドーザー
00:46闇将軍
00:46数多の呼び名を持つこの男の壮大な夢に
00:52昭和を生きた誰もが自らの未来を重ね合わせた
01:00昭和という時代
01:01その頃日本には
01:03表日本
01:04裏日本という呼び名があった
01:07新潟県は裏日本と呼ばれ
01:13政治に見捨てられた地と言われていた
01:15一年の三分の一を猛烈な雪に覆われるこの地には
01:21生きていくための道路
01:24トンネルの整備が必要だった
01:26だが政治の助けが新潟に注がれることはなかった
01:32昭和23年
01:37衆議院選挙に挑んだ核英は
01:40新潟の山深い地を訪ね歩き
01:43辻説法を繰り返した
01:45エチノ人はこれまで西の海にストンと落ちる夕日しか見てこなかった
01:55いいですか皆さん
01:56エチゴ山脈の土手っ腹に穴を開け
02:002時間か3時間で東京に着くようにしてみせる
02:04そうすれば朝日が確実に見られる
02:09皆さん
02:11政治というものは国民絶対のものなんです
02:14列島改造という見果てぬ夢を抱き
02:20田中核英君282票
02:23史上空前の支持率で権力の頂点に立った田中核英
02:30その政治人生は戦いの歴史だった
02:35天下国家を憂いて
02:41こんなに割の合わない仕事をする人が
02:44お金だけで行くかって
02:45新潟県もこんなによく長かったんだね
02:52これをやるとお父さんは殺されると思うんです
02:59お前が死ぬと田中家は耐えてしまうので
03:04有罪か無罪かというのは
03:10それが田中さんの基準じゃないんですよね
03:14昭和を駆け抜けた伝説の政治家田中核英
03:21彼はなぜ最後まで戦い続けたのだろうか
03:31人間裸になったことがないからビクビクするんだ
03:37俺はいつだって裸になってる
03:41俺は絶対倒れないんだ
03:45私が小泉が自民党をぶっ潰します
03:58平成の風雲時
04:02小泉は構造改革を訴えていた
04:05小泉がぶっ潰そうとした構造とは何なのか
04:11小泉にその意味を尋ねたのは
04:16田中核英の番記者を長年勤めた早野氏
04:20小泉さん何やりたいんですか
04:24君の担当していた田中核英をぶっ壊すことだよ
04:31自民党の利益構造に絡めとられた
04:37この利権構造を俺は壊すんだ
04:43利益構造
04:47権力政治の権下と言われる田中核英
04:51だがそんな核英の作り上げた仕組みの中で
04:58昭和から平成
04:59私たちは暮らし続けてきたと言っても過言ではない
05:03核英によって作られた法律の数は
05:09有に百を超える
05:10有権者の声を拾い上げ
05:15法律にするのが大義士の役目
05:18だとすれば核英とは
05:22田中核英です
05:32よろしくお願いします
05:34大義士となってすでに6年
05:38核英は連日のように建設省に通い続けていた
05:43これまで国土は
05:48軍隊の重要拠点を結ぶものとされてきたが
05:52それは違う
05:53政治経済文化上の重要都市を結ぶものであり
05:58国民のための道路であるべきだ
06:011年前
06:05道路法という議員立法を成立させ
06:08政界でめきめきと力をつけながらも
06:11選ぶらない大義士
06:13そんな核英を見つめる役人がいた
06:16他ならぬ建設省の役人である
06:21それには訳があった
06:24廃線から9年
06:28建設省は復興のために
06:32道路や橋を一刻も早く整備する必要に迫られていた
06:35しかしそのための財源がなかったのである
06:41そんな彼らが目をつけたのが
06:49大義士田中核英だった
06:52当時入賞1年目だった靴掛さんは
06:56先輩官僚から核英の評判を聞かされていた
07:00田中さんのそういう法案を理解力中か
07:05というのは抜群でした
07:06そしてそれに対するやっぱり判断力
07:09なるほどと
07:10ではこうだどうとかという
07:11そういう政治家としての判断力
07:14それをやっぱり実行してくれる
07:16そういうことが抜群でしたから
07:19これからやっぱり田中先生に
07:21ぜひお願いしてやっていきたいなという気持ちが
07:24強かったと思います
07:25あなたを見込んで頼みがあります
07:30なんとか道路の建設を早くしなければならないのですが
07:35まず財源を安定的に確保することが必要です
07:40それにはガソリン税を道路建設に回してほしいんです
07:45よし俺がやってやる
07:50すぐさま核英は法案の答弁書作りに没頭していく
07:57全国の地図を買い揃え
08:01必要な道路を自ら検討
08:03専門知識を持つ職員を自宅に呼んで議論を交わした
08:13当時の役所のことと今もお付き合いいただいた方は何人もいるけど
08:17面白いですよ
08:18ものすごい勉強好きでしたねと
08:20よく聞くんですよ人の話をね
08:21よく聞いてますよ
08:24それでまた自分でみんなさよならしてから
08:27また寝て夜中にまたすぐやってるんです
08:30この人はいつ寝てるのかなと思います
08:33それはタブーへの挑戦だった
08:39道路建設のための財源確保には大きな壁があったのである
08:44現在の財務省当時の大倉省は特定の目的のために税金を徴収することを認めていなかった
08:55だが各駅にはそのタブーを突き崩す奇策があった
09:06自動車は近いうちに100万台にはなる
09:12だが国道都道府県道の87%は未改良だ
09:17目的税が良くないというのであればガソリン税そのものではなくガソリン相当税を道路に回してくれ
09:26ガソリン税相当の額をよこせと言い換えた
09:33目的税を認めないという大倉省の顔を立て
09:40名を捨て実を取ったのだ
09:42この発想の転換が官僚にはなかった
09:47こうして戦後日本の道路整備事業が幕を開けた
09:58日本の国づくりが始まったのである
10:01アイデアを現実のものとするためには何が
10:07政治に必要なものは何か
10:11核英は誰よりも知っていた
10:17核英は官僚操縦の天才だった
10:25末端スタッフにまで及ぶ職員のフルネームを暗記
10:33そして上層部はもとより課長補佐クラスとの対話を大事にした
10:39某課長が言うには田中さんの家に行きましたと
10:45そしたら田中さんはちょうど二人の秘書官の秘書とですね
10:49その蕎麦を食べていましたと
10:51で言ったら
10:52説明しようしたいと思って来ましたと言ったら
10:56田中さんがおい君昼飯食べたかって言うから
10:58いや食べていませんと言ったら
11:01じゃあって言うんでね
11:02二つ蕎麦すぐ新しいの用意しなさいと言って
11:06田中さんは途中まで食べていたのをやめてね
11:09他の秘書だけ食べて
11:11そして新しい蕎麦二つ来たら
11:13その向かい合って蕎麦をね
11:15一緒に食べてくれたと
11:17それだけでね
11:19あんな偉い人が私も住んで
11:21みんな感動して帰ってくるんですよ
11:23職員の家族構成を把握し
11:27冠婚総裁の付け届けも欠かさない
11:30だが細かな聞くばり
11:34それ以上のものがあった
11:36田中さんの力で立法すると
11:42みんながもううまくいくからね
11:44それこそみんな力を合わせて
11:47次はどうする次はどうするっていうね
11:49計画したことがどんどんどんどんうまくいくと
11:52みんなついてくるもんですよ
11:53昭和32年
11:57郵政大臣を皮切りに
12:00大倉通産省の大臣を歴任した閣営は
12:03官僚の政策能力と
12:06自らの実効力を武器に
12:09権力の中枢へと駆け上がっていった
12:13新潟県柏崎市西山町
12:39臭い切れが上り立つ中に
12:43かつて映画を誇った男の原点は
12:46ひっそりと佇んでいた
12:48大正七年
12:57閣営は
12:59競争馬を飼育しながら
13:01野良仕事に精を出す
13:02父閣営
13:03母船の下に精を受けた
13:06閣営が
13:11尋常高等小学校の頃の写真が
13:14残されている
13:15そこには
13:17古敵隊の予想を要した
13:19少年たちが写っている
13:20少年たちは
13:23満州事変に向かう兵隊さんたちを
13:26太鼓や笛で見送った
13:28勉強ができて
13:30急調だった閣営が
13:32敷棒を振った
13:33子供たちは
13:38みんな裸足だった
13:39昭和の初め
13:52新潟県は
13:53地方都市最大の人口を誇っていた
13:56だが近代の幕開け以降
13:59日本海側と太平洋側の貧富の差は
14:03激しさを増し
14:04表日本と裏日本という呼び名が生まれた
14:081年の3分の1を
14:13猛烈な雪に襲われるこの地では
14:15生きていくために
14:17道路
14:18トンネルの整備が必要だった
14:20だが
14:22政治の助けが
14:24新潟に注がれることはなかった
14:27昭和9年
14:33閣営は
14:3515の春に上京
14:37東京で一旗あげたい
14:39そう思ったから
14:41東京に出た閣営は
14:47職を転々とし続けながら
14:50夜間学校に通った
14:52激動の時代の中で
14:57独り立ちを果たし
14:58全国で50市に入る業績を誇る
15:02土研会社へ成長させた閣営は
15:0528の時
15:07選挙に打って出た
15:09山田さんは
15:12初めての選挙に挑む
15:14若き日の閣営を知る
15:16数少ない人物だ
15:17一生にたかえてね
15:21大住め来られてさ
15:23今度俺は
15:24大事な選挙に出たら
15:26おい飲もうや飲もうや
15:27って
15:28めぐまにね
15:29裏日本を良くして
15:31うち日本を平らにして発展する
15:34それが私の
15:35政治理念だと
15:37これはもう何かもよりだね
15:40でかいことばかり語り
15:43うさんくささもある
15:44だが
15:45男には
15:47卓越した実効力があった
15:50山越村は
15:54周囲を山並みに阻まれ
15:56冬は孤立していた
15:58村人たちは自力で
16:04鶴橋を振り
16:05人一人通れるトンネルを
16:08開通させた
16:09この隣に
16:13国費を使って
16:14自動車が通れる国道を通したのが
16:18格営だった
16:19新潟随一の豪雪地帯
16:24西山町
16:25雪かきをした雪が
16:27道路に積み上げられ
16:29村人たちは
16:30幅1メートルにも満たない道を
16:32歩くしかなかった
16:33これを除雪装置付きの
16:38幅広い道路にしたのが
16:40格営だった
16:41新潟の祖国国で
16:49田中は仕える
16:50だ合言葉になり
16:52田中神派を自称する者たちが
16:55現れ始めた
16:56彼らは
17:01誰ともなく
17:02自らを
17:04越山会と名乗った
17:06田中神派に行きました
17:13沈上に行きました
17:14木工の挨拶を
17:16それから田中さんの
17:18功績を色々書いて
17:21沈上書のことを
17:24最後に書くと
17:25田中さんは
17:27俺忙しくて
17:28そんなの読んでいられない
17:30今度は
17:32沈上書と書いて
17:34一つ無いね
17:36一つ無いね
17:38と書いて持って来て
17:40お前では聞いて話すれば
17:42俺はみんな聞けば分かる
17:44少しずつ
17:46舗装をつくと思ったら
17:48国道から
17:50八王線から
17:52百十五号まで
17:53一遍に出たんですよ
17:55それは
17:56俺は今
17:58驚いたんですよね
18:00目白の
18:02閣営亭の近所に
18:04古くからある
18:05智政写真館
18:07そこに
18:09これまで誰も見たことのない
18:11自宅での閣営を
18:13写し出した写真が
18:14眠っていた
18:18週に5日
18:19目白亭へ足を運んだ
18:21智政さんは
18:22閣営が唯一
18:24心を許した写真家だ
18:26目白の家はある
18:28お客様が
18:30常に
18:31入られて
18:32写真撮ろう
18:34って言われた時に
18:36電話がかかってくるわけですよね
18:38すぐ来て
18:39はい
18:40って言うともう
18:41僕は何を取りますかね
18:42起きたばっかりの時に
18:43キャメラがかついて
18:44ダーッと
18:45飛んでいくという
18:46おお
18:47遅いんだから
18:48ちょっとよく怒られましたよ
18:51これまで
18:52決して公にされることはなかった
18:54写真の数々
18:56そこには
18:57私たちの知らない
18:58角栄が
18:59映し出されていた
19:03どこか憂いを帯びた
19:04表情の角栄
19:11得意のセリフ
19:13あそのー
19:14と言ってる時の角栄
19:19越後の陳情談を前に
19:21くったくのない笑顔を弾ませ
19:23くつろぐ角栄
19:25そこには
19:27今大公
19:28闇将軍と恐れられた政治家の姿は
19:31ない
19:41あ、これですね
19:42この写真は
19:49上越新幹線
19:50浦瀬駅に建てられた
19:53銅像のモデルになった
19:55これは
19:57もう皆さん方と話しなさってた後だって
20:00ジャーッと引き上げる時の写真なんですけれど
20:04自分の癖でもあるんですね
20:05ゆいちゃんだから
20:08ちゃんと来客やなんかの目を見て
20:12ちゃんとそれなりの用意をしてこいとか
20:15っていうことも言われますし
20:17それとやっぱし厳しいことは
20:19君はプロなんだろうと
20:21ちょっと失敗をした時にプロなんだって
20:23機械をちゃんと整備しとけっていう
20:25そういう厳しいことも
20:27そういうことはやっぱし思い出になりますよね
20:29本当にね
20:33会員数9万5千の越山会をバックに
20:37権力を掌握していく閣営を
20:40警戒の目で見ている男がいた
20:43時の大倉大臣
20:46福田武雄である
20:52自民党内では皆
20:54やがて訪れるニューリーダーの一騎打ちで
20:58どちらに着くべきか自問し始めていた
21:03佐藤内閣の後継者と目される福田武雄と
21:07党内の権力を掌握する閣への
21:11次期総理の座を巡る戦い
21:13いわゆる
21:17核服戦争の始まりである
21:18核服戦争のただ中
21:28その戦の風向きを変える一冊の書が出版された
21:34日本列島改造論である
21:38当時通産大臣だった核英の秘書官を務めた
21:43小永圭一氏は
21:46劣等改造論観光の立役者となった人物だ
21:50自分は一年先からですね
21:54国土開発を一生の
21:57仕事としてやってきて
22:00通産大臣になってですね
22:02工業的側面から見た
22:05劣等改造
22:07劣等改造という言葉は後から出てくるんですが
22:09今分かりやすく言えばですね
22:13工業サイトから見た劣等改造というのも
22:16勉強できたと
22:18従ってこの辺で全体を集大成したですね
22:22一つの論文をまとめあげたいと
22:27ついては協力していると
22:29大義士人生25年の集大成という
22:33劣等改造プランはこうだ
22:35太平洋側に集中しすぎている工業を
22:42地方に分散し
22:44大都市を改造するとともに
22:46地方都市を整備する
22:50それぞれの地域を
22:52交通通信ネットワークで結び
22:55過密と過疎を同時に解決してしまう
22:58そこには具体的な事業計画や
23:02指名までも書かれていた
23:06その余りの具体性に人々は熱狂した
23:10世論の風が
23:12権力の頂点を目指す角栄の背中を
23:16後押しする
23:18そして運命の日を迎えるのである
23:22田中角栄君282票
23:28福田武雄君190票
23:34政治手腕に長けた福田は
23:37角栄の政治家としての人間力に敗れた
23:40わずか54歳
23:44小学校卒の総裁が日本で初めて誕生した
23:52当然とは言いませんけども
23:57接戦でしたわね
23:59だからどの派がどう願ったとか
24:02何派がどうしたとか
24:04決まった途端に電話が
24:07うちじゅうの電話がバーッと鳴るんですね
24:09おめでとうございますと
24:11旅館運動もあるし
24:13地元の死者の方もあるし
24:15長年親父さんを信頼しててよかったと
24:17泣き出す人もいるし
24:19その対応で大変でしたね
24:20権力ってそういうもんですよ
24:2662%という脅威の支持率
24:32決断と実行をキャッチフレーズにした
24:35核英内閣が真っ先に挑んだのは
24:38これまで歴代の首相が尻込みしてきた外交問題
24:42そう、中国との国交回復である
24:46強硬な反対派も多く
24:50中国と国交を結ぶことは
24:53一歩間違えれば政権の命取りになった
24:56田中さんが私どもにひそかに言いましたのはですね
25:02やっぱり今、俺は今対抗として生やされですね
25:07政治権力が今絶頂だと
25:12一番力の強い時に一番難しい問題に挑戦をすると
25:19これがもう政治家のやらなきゃいかんことだよと
25:23これはもう私、どんどん抜かれましたね
25:29当然私は行くものだと
25:31常にワンセットだったですから
25:33ダメだと
25:35その理由はこれをやると
25:37お父さんは殺されると思うんですよ
25:39お前が死ぬと
25:41私の兄が亡くなった後で
25:43田中家は耐えてしまうので
25:45大した家ではないけれども
25:47それをご先祖に申し訳ないから
25:48今回は連れていかないと
25:49国内での問題、台湾派
25:53もう一つは中国で
25:55見たことないですから赤いカーテンの向こう
25:57毒をもられるかもしれない
25:59刺されるかもしれない
26:02二人一緒に殺されると
26:06戦争責任への謝罪の文言をめぐって
26:10激論を交わした二人
26:12だが本音で語り
26:15愚直な閣営に
26:16その時に
26:18衆が惚れ込んだ
26:22昭和47年9月
26:25角栄は日中を覆っていた
26:28重い空気に風のをあげた
26:30連れて行くんだと
26:36と玄関に
26:38ほら見なさいと
26:40上海に北京から行った時に
26:42潮内と一緒に飛行機に乗って行って
26:44子供たちに歓迎されて
26:46素晴らしかったと
26:48あの中国の子供たちのためにも
26:50いい時代を作らないかと
26:52お父さんは思ってし
26:54お前にはね、潮内ももたくても合わせたかった
26:56特に周総理に合わせたかったと
26:57お前があの人になったら何て言うかお父さん来たかったねって言いました
27:02多分お父さんより数段優れてるって言ったんじゃないの
27:05お父さん遅いすぎてもね連れてくって言って
27:07連れていかなかったでしょって言ったんですけど
27:09でもそういう思いがすっごくあったんです
27:11今日よりも明日はもっと良くなる
27:17誰もがそう信じていた
27:20カラーテレビの受信契約が白黒テレビを抜き
27:25冷蔵庫の普及率は97%に達した
27:30角栄は景気を加熱させるアクセルを踏み込んだ
27:34だが、一つの時代が終わりを告げようとしていることに
27:40彼は気づいていなかった
27:51劣等改造論は、都市と農村の格差をなくすのがメインテーマだった
27:56だが、一つのミスが変わりつつあった時代のうねりを加速させてしまう
28:04これは私自身の反省なんですけれども
28:08あの、列島改造論の中に25万都市
28:13田園都市構想というのが入っているわけですけれども
28:17田中さんはその構想を述べただけなんですけれども
28:21私はより迫力をつけるためにですね
28:23都市の名前を入れたわけですよ
28:27それが結果的にその都市周辺の地下を上昇する結果になりましてね
28:36地下の高騰が呼び水となり
28:41激しい物価の高騰が庶民の懐を襲った
28:45全ては、列島改造論のせいでは
28:53人々は、一度は福の神とまで呼んだ閣営に、手のひらを返した
29:00そこに、思いがけない粒手が、海の向こうから飛んできた
29:04中東戦争の勃発が、石油機器の不安を煽り、主婦たちはトイレットペーパーの買い溜めにスーパーに殺到した
29:18そして、フリーライター、橘隆の記事が、核への足元を救った
29:28核への地位を利用した土地の買収
29:34幽霊会社の存在などが、見事な説得力で描かれていた
29:38庶民最小の裏の顔に、日本中が驚いた
29:51核へは、石油機器回避のための外交に奔走し、さらに金脈問題を払拭しようと、全国を辻説法して回った
30:02私たち日本まで出ていたので、父がドタドタと廊下で来て、開けるぞとガラッと開けて
30:10お父さんはどうするべきだと思うかと
30:14自分のことは自分でやるんじゃないの?なんて言って
30:19歌謡曲で、押してもダメなら弾いてみなとかいう歌が、水神寺清子さんか何かであったので
30:26その絵で言ったらどうでしょうかね?なんて言って
30:28寝る寝るなんて言ったら、父が本気で言ってるんだと
30:33お前はどう思うかと、父さんは辞めるべきか、どっちなんだと
30:38あんまり悩んでおられたので、これ一大事ですから国家の
30:42誰にも言ってないことに、私に聞きたんですから
30:46それじゃあ教えてあげようと思って
30:49大変、世間の方が聞かれたらおかしいと思われるかもしれないけど
30:53事実を言いますと、私、世間が必ず田中閣営と政治家を必要とする時がまた来ると思ったんです
31:01いろんな騒ぎがあって批判されたりしてるけども
31:04必ず、必ず日本が、お父さんを必要とする時が来るから
31:11こんなにマスコミも政界も言ってる時にいたら病気になっちゃうから
31:15押してもダメなら引いて、スパッと辞めたらどうですか
31:20必ず、お父さんを二度鳴る、そういう世間が、世間がお父さんを必要とする
31:28そういう政治家だと私は思ってる、見てるって言ったら
31:32にっこりして、分かった
31:35ちょっと待って、あなたどう思いますかって、本人にコメント聞こうと思ったら
31:39タタタタタって言っちゃって、パッと辞めたんです
31:41日本中が、驚きに包まれた朝だった
31:47今日はね、珍しく仏壇に参ったし
31:51田舎の、うーん、母親にね、電話をかけて
31:57航空してきましたしね、まあ、あのー
32:01新居は、どこを問われてもね、
32:05担達してますよ
32:08お母様は電話じゃなくて
32:11ご苦労様って言ってた
32:13やっぱり母は母だ
32:17もはや、坂道を転がり出した石は止まらない
32:25それは、日本全土を騒然とさせる事件だった
32:35旅客機の売り込みに際し、ロッキード社から賄賂を受け取った者が、政府当局の中にいるというのである
32:43それは、日本全土を騒然とさせる事件だった
32:54旅客機の売り込みに際し、ロッキード社から賄賂を受けた者が、政府当局の中にいるというのである
33:01田中派秘書軍団1000人の取りまとめ役だった朝霞氏は、記事を見た核への率直な感想を聞いている
33:13先生がね、砂防会館に来ておってね
33:18出る時に、だからその直後だと思うんだよね
33:22その時にね、警護もたくさんいましたから
33:27そこで、ズボンにポケットに手入れながら
33:30朝霞、トライスタってあれなんだ?って
33:35いや、あれ、なんか飛行機の名前じゃないんですか?って
33:39三つ星とかって名前だって聞いてますけどって
33:41へーって、飛行機か?飛行機か?なんて
33:46だから全然それはもう、親井さんのところへ来るなんて、もう夢にも思ってない
33:53ああ、本人もだから意識全くないんでしょう
33:57これはなんだって父が言ったのは、よく見てました、私も主人も母も
34:03これはなんだって
34:04昭和51年、ついに捜査当局の手が核営に及んだ
34:13一刻の元総理が、刑事被告人になる
34:23日本中が色めき立った
34:25明けて52年、元総理の刑事裁判に日本中の樹木が集まる中、ロッキード裁判が幕を開けた
34:36角核へと法廷で対峙した元検事、ホッタツトム氏は
34:46ずるい政治家は、お金一緒に扱わせて報告を受けても、口頭の報告だけでその証拠残るようなことしない
34:59いざという時は、こう、さっと自分が逃げられるようにしてるものなんですけど
35:06田中さんはもう、全部自分でされる方ですから
35:12これはもう、必ず、そういうことは立証できる、できなきゃおかしいと、そう思ってましたね
35:25法廷ではずいぶん、田中さんに助けてもらったといいますかね
35:33田中さんの表情を見てると、弁護側の作戦といいますかね
35:45それが分かるんですね
35:49弁護士は淡々とやってるんですけど、田中さんのお顔を見てると
35:53どうじゃっていうね、参ったかっていうような、あの、顔をされますし
35:58で、こっちがバッと、こう、証人とか、なんかで、相手に、まあ、不利な証拠を出すと、ここに参ったっていう時は、たくさん、うーん、顔を真っ赤にされますし、
36:07普通、政治家って、ポーカーフェイスって言うじゃないですか、田中さんはそうじゃなかった
36:25例えば、あの、田中さんのお母さんに、知事を聞く必要がある、証人にする必要があるんじゃないか、っていうような発言した時、これはもう、自分のお母さんを巻き込むなんていうことは、
36:43田中さんにとっては、田中さんにとっては、ありえない、それはもう、家庭という、日本人として一番大事にしなきゃいけない、そこへ、泥足で踏み込む感じだと思うんですね。
37:13だから、これは、もう、本当に、激怒、動物的なね、えー、威圧感っていうのが、怒られた時は、すごかったですね、えー、
37:34全く罪を認めず、悪びれない角栄に対し、堀田さんは、
37:40当然、これは絶対に有罪にしなきゃいけないし、なるだけ、なる事件だし、えー、
37:49だから、これできなきゃ、本当に、国民の税金で月給もらってるわけですからね、えー、自分の人生も、えー、ゼロになるぐらいの値打ちがない、えー、脳なしだっていうことになりますから、
38:04そして、一審判決の時が来た。
38:11懲役4年、追徴金5億円、罪を認めない被告への、厳しい判決だった。
38:26ものすごく怒ってたよ、ものすごく怒ってた。
38:33こんなバカなことがあるわけないんだ、ってね。
38:36別件逮捕なんて、人権侵害なのに、そういう形で逮捕して、証拠もない。
38:42けど、アメリカが言ってると。
38:44こんなんじゃ、人権守られないと、この裁判、おかしい、おかしい、と言ったんですよね。
38:48だけども、事実有罪になった。で、病気になりました。倒れた。
38:52そして、私たち、その後の抗争心、携わっていて、そして、病気になって、亡くなった。
38:58今現在は、法律的には、抗争、棄却、ということになってるんですが、
39:03公のハム、公の訴訟がなくなったと。
39:07だけど、一般の方は、抗争、棄却と間違えて、底辺に空を掻く、第二審で棄却されて、
39:15有罪になったんじゃないかと思ってることが、結構おられるんですよ。
39:21角栄は、なぜ、許せなかったのだろうか。なぜ、戦い抜こうとしたのか。
39:28判決の翌年、角栄は、東京根津にある美術館を訪ねて、
39:36少年時代、自分の部屋に貼ってあったものと同じ、一枚の絵を見るためだった。
39:473階に展示されている、その絵の前で、角栄は、長い間佇んでいた。
39:54さらば、故郷。
40:0515の春、故郷を後にした角栄。生まれ育った地を離れる辛さ。
40:12キャンバスの中の少年に、自らを重ね合わせていたのかもしれない。
40:25昭和22年、初当選の際、支援を買って出てくれた小学校時代の恩師に、角栄はこんなことを語っていた。
40:35先生、私の考えは間違っているかもしれませんが、先生も応援してくれるでしょう。
40:47明治政府以来、政府は日本海側に金をビタイチも出してません。
40:53だから、私の生きている限り、今日から、日本中の金は、全部日本海側に継ぎ込もうと思っています。
41:11生まれ育った地に、誰もが幸せに暮らせる国を作りたい。
41:16そのためなら、何だってやる。
41:20それが、夢を追い求め続けた男が築き上げた、聖人。
41:29彼はただ、自らの夢に邁進し続けただけだったのかもしれない。
41:34未国峠をぶっ飛ばす、といった角栄は、表日本に見捨てられた地に、道路、トンネル、橋など、公共事業の山を築いた。
41:55はいつくばって、土と格闘することでしか生きられなかった地に、次々と土建業者が生まれていった。
42:08誰だって、目の前にぶら下がった仕事と金が欲しい。
42:13米がたくさん採れるよう、土地を整備してください。
42:23雪捨て場までの道路を作ってください。
42:28病人を運ぶためのトンネルを作ってください。
42:35始まりは、そうだった。
42:37角栄とは、爪に火を灯すような暮らしをする人々に、ささやかな願いを叶え、希望を与えてくれる、使える男だった。
42:52だが、使える男角栄を利用した人々、いや、社会は、気がつけば、その使える男にすがるようになっていた。
43:03政治家、田中角栄の本質に迫ろうと、新潟に京を移し、角栄に密着し続けたのが、番記者だった早野氏である。
43:18単に、その、自分の標欲しさに、サービスをしているという風なのとは、やっぱり違う。
43:27尋常政治と言って、悪口を言われたけれども、そうじゃないだろう、それは。
43:33やっぱり、人々の自分の困っていること、苦しんでいることを、直接耳にするということが、一番大事な政治家の出発点だということを、
43:47いうことを、彼はもう体で、それは、体現していましたよね。
43:56勇気の多い中で、本当に苦労されている、そういう人たちの心が、共鳴することができる、そういう、日本人の心が分かる、ご本人も持っておられる。
44:10情で結びついていくっていうのは、大変人間的で、いいところが、多いんだけど、うん、限界もある。
44:25その、日本の持っている悪い部分を捨てきれなかったところが、残念。
44:31えー、んですね。
44:36平成5年12月。
44:42病に伏せていた角栄は、会心に来た医師団に一言。
44:48眠い、とつぶやき。
44:53どう引きつけて、引っ張っていく力、そういうのあったんじゃない?
44:58あれがなかったら、今の日本はないと思ってますよ。
45:03とっても好きだね。迫力あるのと、今の政治家と違って、スピードがあるっていうね。
45:12後になって、あれはよかった、これは悪かったっていうのは簡単だけど、そのときって、ああいうふうに何かをやらないと、たぶん変わっていかないと思うんで、そういった意味では、今の政治家っていうのは、やる前からいいか悪いかの理論ばっかりして、動かないですよね。
45:27頑張ってくれた方なんてね。親近感があります。
45:31郷土の発展のために尽くしてくれた方で、私にとっては偉大な方だと思います。
45:37昭和という時代を駆け抜けた、一人の男がいた。
45:42私が、田中核英でございます。
45:48生きて、生きて、生き抜いて、見届けたい、命の行方。
46:03何かえず
46:17生きて、
46:20生きて、
46:21経験に