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  • 2025/4/30
北海道の釧路湿原。タンチョウヅルのふるさととして知られる鶴居村は、戦後、国の後押しで酪農立村をめざした。湿原を人為的に乾燥させ、乏しい牧草地を増やしていった村の人々。しかし、環境意識が高まると国は政策を転換。開発を中断し湿原に戻す構想を打ち出した。二転三転する国策、そして環境保護。戦後の入植からTPPに揺れる現在まで、葛藤を続けた、ある村の戦後をたどる。

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トランスクリプション
00:00作詞・作曲・編曲 初音ミク
00:306月、村は1年で最も大切な仕事に追われていました
00:40牛がこれから1年間食べる牧草を収穫する作業です
00:53ほとんどの農家が乳牛を飼う鶴井村
00:56村の収入の6割以上が落納によるものです
01:01今、国が取ろうとしている新たな政策を前に不安が広がっていました
01:12今、落納をやるというのはどんなものですか
01:19どんなものですかって、JPPのことを聞きたいんだね
01:23それはね、怖いよ
01:28怖いけど、怖い怖い言ってらんないし
01:30もう自分たちがやることは決まってんだから
01:34絞るしかないでしょ
01:36いい草取って絞るしかないんだよ
01:38TTPとか何とかでみんな色々騒ぐけども
01:42だけど、今までもそうだったからな
01:45今までもそうだったから
01:48少々のことではみんなやっぱりあんまり
01:51いろんなことがあったから
01:56日本再来の出現、串路出現
02:03鶴井村の戦後は、出現とその周辺地域への入植に始まり
02:10開発を繰り返してきた歴史でした
02:17巨額の国費が投じられ
02:19水に浸された大地が牧草地へと姿を変えていきました
02:24農家は、最新設備のサイロやトラクターを競うように導入
02:38飼育する牛の数を飛躍的に増やしていきました
02:42非常に夢もあったんですよ
02:48増やすことに対しての
02:51こうやって少しお金借りでも牛を買ってでも
02:56国がやっぱり指導しながらね
02:58インフラをどんどん整備しながら
03:00有種な農家をどんどんどんどん走ったということなんですね
03:03しかし、昭和40年代以降、思わぬ事態が持ち上がります
03:11出現の生態系を守れという声が高まる中
03:15釧路出現は国立公園に指定され、開発に制限がかけられたのです
03:22農地に適さない場所は、ある意味、もう自然化していくしか
03:28ここはうまく、将来的には方法はないんじゃないかと思っていて
03:32そういう意味では、今まで高度経済成長期に
03:36農地開発した場所を全てまた元にずっと維持していくということは
03:40多分、得策じゃない
03:42農家は悪者ですよ
03:44これは大きく国が手伝ってそうなってきたわけだからね
03:50今さらね、今さら失言に戻しますようなということにはならないんですよ
03:58今さら
04:00日本人は何を目指してきたのか
04:10地方を通して日本の戦後を見つめるシリーズ
04:15第3回は、釧路出現 鶴井村
04:20開発と自然保護の狭間で葛藤を続けてきた
04:28村の軌跡を証言でたどります
04:32地下に登場
04:44地下に登場
04:49地下に登場
04:53串路出現の北
04:58大戦の北、広大な牧草地が広がる落納の村、鶴井。
05:08ここは日本各地からやってきた入植者たちが礎を築いた開拓の村でもあります。
05:151947年、昭和22年、家族5人で村に入植した一家があります。
05:36佐藤千恵子さんの夫は、からふと今のサハリンで終戦を迎えました。
05:42本土に戻ったとき、手にしていたのはわずかな食料だけでした。
05:53これが佐藤圏入植の記念銃です、佐藤。
06:00入植したときに生えていた木が一本だけ残っていました。
06:07記念銃、入植記念銃です。
06:12ここはちょっぴり火の燃えたような跡がありますよね、やっぱりね。
06:21この近くでね、お風呂に入っていたから、焦げた跡というか。
06:30こんな煙に。
06:31切れないんですよ、これは。
06:38ずっとこれを見たら、あの、じいちゃん、先祖様を思い出して。
06:48でもね、何年も使わないとこんな荒れ地になっちゃって。
06:51鶴井村に戦後入植した人のほとんどは、国外で終戦を迎えた引き上げ者や副印兵たちでした。
07:07当時、日本に帰国した人は600万人を超えました。
07:14しかし、彼らには、住むべき土地も、食べていく術もありませんでした。
07:30行き場をなくした人々は、都市にあふれました。
07:33こうした中、国が打ち出したのが、緊急開拓事業です。
07:45引き上げ者などを、未開の国有地などに入植させ、生活の基盤を築かせようとしたのです。
07:55最も多くの入植者が送り込まれたのが、北海道でした。
08:00総面積は70万ヘクタール。
08:05入植地全体の半分近くを占めていました。
08:12この政策の下、鶴井村には108戸が入植しました。
08:19与えられた土地は、1戸あたり17ヘクタール。
08:25たくましい意思と力があれば、やがて繁栄は約束される。
08:30それが行政が掲げた言葉でした。
08:40渡辺渉さんも12歳の時、カラフトで終戦を迎えました。
08:45終戦後、父親はソ連軍の下で労働を強いられ、
09:01一家は十分な食料もないまま、過酷な暮らしを続けました。
09:06ロシアとも2年だもんね、生活ね。
09:16だからロシア語を覚えてるよ、ロシアと。
09:252年生活したもんね、ロシアと。
09:27全てを亡くし、帰国した一家は、開拓事業に希望を託します。
09:41まず、芋でもカプチャでも、鳥でも、鳥でも、鳥でも、
09:51豚でも、馬でも、牛でも、家庭やろうと、そういう頭にあったの。
09:57それだったから、父親が、そして、鳥もらった時は、
10:00よしよし、私が頑張りましょうと思って。
10:05父親の、かたぐてになってやろうと思って。
10:08108戸が入植した鶴井村。
10:14南部に串炉湿原を抱え、その北に牧草地が広がっています。
10:20総面積は、571平方キロメートル。
10:25東京23区に匹敵する広さです。
10:32当時、農地に適した土地はわずかでした。
10:35湿原に面した村の南部。
10:40およそ3割を湿原が占め、周囲は山に囲まれていました。
10:47沢沿いの平地には、すでに明治以来の開拓者たちが入植していました。
10:55戦後の入植者には、条件の悪い土地しか残されていませんでした。
11:00カラフトから引き上げた渡辺さんに割り当てられた土地も、半分以上が出現でした。
11:11もうあれほどあれでさ、それこそ畑を起こしたって何だっても、もう、そこそ、地だけはたくさん。
11:27ね、細い道路いっぱいあったはずね。
11:31そういうと、もう真っ暗だ。地でいっぱい茂って、木が茂って。
11:35みんな子供らしで、こう歌いこう歌い。
11:40一人はクワを起こすでしょ。
11:42そしたら、それに黙って、うちに回ってるでしょ。
11:45さっき、今度は私やるから。
11:47こう歌いですよ。
11:48クワを使って。
11:50そしたら、あと今日、お互いにしたもんだよ。
11:51マンシュー。現在の中国東北部で軍隊生活を送り、福音後、開拓に応募した梶原春夫さん。
12:09どれ春夫さんですか?
12:11これは、軍隊行ってからマンシューで撮った写真です。
12:16梶原さんは、各地から入植した人々とともに、湿原のほとりに入りました。
12:26風が吹きつける過酷な土地でした。
12:29周りは冬だったら、マイナス10度とか。
12:3620何度までしょっちゅうだった。
12:37湯がした、本当に、いつはあれだな、こうやって見ると、見るくらいだな、スキャイディーなんだと。
12:46このくらい、生木を製材したもんだから、働きでピツッと働いて、みんなっぽいふうになっちゃう。
12:55乾燥してね、板が縮まったっていうかね。
12:59だからまだ、若かったから良かったけど、年取った人はかわいそうだったよね。
13:04そうだ、だから。その大阪から来た人なんか、じいさん、死んだんだよ、寒くて。
13:09そうだよね。元気だったら、じいさんだもんね。
13:17入植者たちは、湿原をヤチと呼びました。
13:20いくら耕しても、水が染み出してくるヤチ。
13:29抗いがたい自然を前にした人々の、諦めの気持ちが込められました。
13:34うちの周りはね、家賃が多かったんですよ、家賃。
13:42だからね、本当の畑になると思って、もういくらもなかったんですよ。
13:47だからうちのあそこの土地条件が悪かった。
13:51みんなの土地は平らくて、何十分があったでしょ。
13:54うちのところはね、残ったあんまりだもんね、土地ね。
13:58だから、山だったり、墓だったり、木だったりさ。
14:02そしたら、あとはくんない。使えないやってさ。
14:07だから、串路市長でも俺、じいさんばあさんが村に行ったときね、
14:12あんたが土地だって、そんなにないんだよと。
14:16家賃がおいたほうにならないよって、言われてきたと思うんだわ。
14:20まず、それでもいいから、くだらないって。
14:22ちっちゃいからお願いして、村とは土地が。
14:32開拓にあたっては、厳しい条件が付けられていました。
14:411年に一定以上の面積を開墾し、畑にしなければ、土地は没収されてしまったのです。
14:49開墾しなかったら、だって、せっかく与えられた土地を引き上げてくんだから。
14:581年に何段ってね、決められて。
15:01うん、決められて、それだけ開墾しなかったら、引き上げますよっていうこと。
15:06だから、市長から、前年明けになったら、検査に入るわけだ。
15:11そして、何本、開墾しなかったってこと。
15:17大阪から来た本谷さんなんていう人な、子供がいるし。
15:21大阪からね。
15:22そういうことできねえんだ、まだね。開拓に入ったけどもね。
15:27俺らの半分だって、開墾なんかできねえんだもん。
15:31力がないのかな。
15:31なんか、宝石がなんかやってた人だからね。
15:34だから、もう、土地で、投げて、みんな引き上げちゃった。
15:38夢を抱いて、入植した人々を待っていた、厳しい現実。
15:48戦後、開拓によって、鶴井村で生きていくことを選んだ108戸のうち、
15:55少なくとも12戸が、10年と経たないうちに、村を去っていきました。
16:00昭和30年代、農家の所得が伸び悩む中、都市や工業地帯は高度経済成長に湧いていました。
16:16そして、1961年、昭和36年、鶴井村の運命を大きく変える、一つの法律が成立します。
16:35農業基本法です。
16:37農業基本法は、農家の所得を上げ、霊災経営が多かった農家を自立させることが狙いでした。
16:57成長が見込める果樹や酪農などに集約した地域に、政府が助成を行うことで、農家の規模拡大を推し進めようというものでした。
17:18鶴井村が選んだのは、酪農でした。
17:21それまで麦やじゃがいもの栽培に取り組んできましたが、十分な収入は得られていませんでした。
17:30非常に気候が出るようなためにですね、例外共作で、借金ばかり貯まっていくというようなことで、
17:50この地域はこれしかないということで、きょうの大きく生産性の高い農業を確立していかんけならんなんと。
18:07これは地域全体の願いでもありましたね。
18:12初めて経験する牛の世話、当時のことを新井静江さんは鮮明に覚えています。
18:25牛なんか触ったことないんだもん。馬こそ触ってたけど。
18:33恐ろしい。そして今は角ないけど、昔の牛は角あったんですよ。
18:39今はもう、ぼろっと生まれたらすぐもう除去しちゃうからね。
18:45牧草畑まで連れてって、つないで食べさすのに。
18:493人がかり。
18:51ちょっと、私なんかちょっと。
18:53両親、母親、父親に両方、横に取らせて。
19:02で、私、前の方に。
19:07いや、いや、ほんとにいらい目に合いましたよ。
19:15村を挙げて、酪農経営に踏み出した鶴井村。
19:19農業基本法から4年。
19:25落農家は全農家のおよそ8割、330戸に及んでいました。
19:30トラクターの導入や、牛の購入資金、新たな牛舎の建設など、
19:42国からは近代的な落農を始めるために必要な資金が、次々と補助されました。
19:49開拓農家の3代目だった、瀬川勝美さん。
20:00落農に切り替えたのをきっかけに、父親から経営を任されました。
20:05最初、1頭か2頭の牛、だんだんと7、8頭になって、非常に夢もあったんですよ。
20:16増やすことに対しての、こうやって、少しお金借りでも、牛買ってでも、土地買ってでも、増やしていけば、
20:27なんとか、いい時代が来るなという夢があったんですよ。
20:32それまで、農工場を育てていた、八木沢恵蔵さんも、馬を手放し、15頭の牛を購入しました。
20:45この成長時代、木でね、
20:51どんどんどんどん、その、
20:55食料も作っただけ、どんどんどんどん、
20:59表紙がされているし、
21:04トラクター、今、新車で入れたんだけど、
21:08車、乗用だ、トラクターって、
21:11あれだもん、新車、新車で入り替えしていたんだ。
21:15すべてだから、その、
21:19機械も、どんどんどんどん、やっぱり、
21:22あの、国は奨励したわけさ。
21:27でもなんか、どんどん買い替える余裕があるっていう感じがしましたけど。
21:31その頃、テレビなんか、いくらでも買いたもん、どんどん。
21:35最初はね、ナショナルだったんだよね。
21:40その後がシャープかい。
21:43シャープ。
21:48そして、
21:50そして、
21:51そしてまたナショナルだったり、
21:55開拓の村は、
22:00落納の村として、
22:02成長への道を歩み始めました。
22:08当時、乳製品の需要が拡大し、
22:12乳化は急上昇を続けていました。
22:17この頃、行われていた、
22:19共振会と呼ばれる、
22:20牛の品評会。
22:21村は活気に満ちあふれていました。
22:41生活が豊かになる一方で、
22:43農家は大きな問題を抱え始めていました。
22:48多額の借金を背負うようになったのです。
22:51トラクターなどを購入する際、
22:57政府から出される補助は、
22:59代金の5割。
23:01残りは、
23:02農協から借り入れるなどして、
23:04自分で支払わなければなりませんでした。
23:10農家に対する農協の貸付額は、
23:13農業基本法が制定されてからの、
23:16およそ10年間で、
23:188.5倍に膨れ上がりました。
23:21およそ10年間の農業館を選択して、
23:27この頃はもう、
23:27増やしちゃ増やした。
23:28全部、みんな増やしたんだわ。
23:31そして大きくして、
23:32借金も大きくしたんだわ。
23:39薄増やすことによってね、
23:41いろいろと設備も、
23:42たくさんしなければいけないしね、
23:44機械もたくさん買わなければいけないし、
23:45人間だけじゃ、
23:47やっていけないからね。
23:478等くらいまでは手絞りできた
23:54だけどもう10等以上だと手絞りに大変だ
23:57それで今度は見るか機械を入れた
24:00だからもうやっぱり機械を入れるようになると
24:08やっぱりトスも増やしていかない
24:11機械を入れるとそのお金を返すのに
24:15そう結局それだけ消費がするのには
24:18ふんだん牛を増やさないから
24:21働けば働くだけ借金増えてくるんだ
24:26それでもやっぱりやめられない
24:36やめれば食べていかない
24:37増え続ける借金
24:44農家はそれを返済するために
24:48さらなる規模拡大を図らなくてはなりませんでした
24:51しかし牛の数を増やすには限界がありました
25:01農地が限られる中
25:04餌を取る牧草地を広げることが難しかったのです
25:09どこにも足りないんですよ
25:15土地そのものはね
25:16農業それを専業にして営むとすれば
25:23面積そのものが足りないんです
25:28誰か一農場辞めたら
25:36その土地それこそは分取り合いでた
25:39土地欲しく
25:41みんな周り欲しいわけだからね
25:43一歩も譲らない中ね
25:47折りも折りもて中何人もで一歩も譲らない
25:53最後にくじ引きだと
25:55これで外れた人は諦めてくれと
26:01やめた農家の土地を別の農家が吸収し拡大していくことは
26:15規模拡大を目指す国や自治体の方針とも合致したものでした
26:23北海道は開拓農家を経営状態に応じて
26:27AからFまでランク分けするようになります
26:30経営の良くないDからFの農家には
26:36借金の返済を免除しましたが
26:38新たな補助は行いませんでした
26:42全部の農家を一つの政策で救おうなんてことは
26:48もともとできるはずもないし
26:50また誰も納得しませんよね
26:53やっぱりこれからの日本農業
26:58北海道農業を背負っていく人に重点的に政策を展開する
27:03もう借金で首が回らない人に
27:09お金が余っているわけではないので
27:13彼らに与えるってことはできないでしょう
27:16ある時点で辞めるべき人は辞めていただくと
27:22いうことにしないとですね
27:25この頃新井静江さんは経営の危機にさらされていました
27:34夫が家を出て行ってしまったのです
27:38年老いた両親とともに牛の世話に追われる日々
27:47当時感じた周囲の視線を忘れることができません
27:52あそこで年寄りと女だから
27:56いつかもうお手上げするんだからって
27:59もう指加えで待ってる人が多かった
28:02あの共同作業したって
28:06意地悪がひどかったんです
28:113人も4人もして椅子に座って
28:15タバコブカブカブカブカ
28:17タバコ吹かしまくってんですよ
28:20ちゃんと様子見てるの
28:23待ってるんだもん皆さん
28:25土地を狙ってたんだもん
28:29それ私たちちゃんと見抜いちゃってたから
28:32だから意地になってももうやろうねって言って
28:37そして親子3人に頑張りましたよ
28:43昭和30年代半ば
28:49農家1個あたり5棟で始まった落農経営
28:53昭和40年代には21棟にまで規模を拡大していました
29:03その一方で村の落農家330個のうち
29:0746個が離農していきました
29:10まだまだ日本にはたくさん土地がありますよ
29:18周りに少しは緑のあるところを考えればどうするんですか
29:23そこで日本列島改造というのが出てくるんですよ
29:28田中核英の登場で巻き起こった開発ブームは
29:32狭い土地に苦しむ鶴井村の農家に大きな希望を抱かせます
29:38北海道を食糧基地と位置づけた国は
29:49串路湿原の隣、根泉大地で原野を切り開き
29:53大規模な落農村を建設します
30:04そして鶴井村でも長年にわたって開墾を阻み続けてきた
30:09串路湿原を牧草地として開発する計画が発表されます
30:15当時、北海道開発庁の職員だった滝沢博さん
30:24串路湿原を含めた農地開発の大方針を立案する立場にありました
30:36うまく排水を掘ればね
30:42大規模な機械的な農業をやれるわけですよね
30:45経営者と違いましてね
30:48だから非常に今の日本の機械力だとかね
30:53工業力を使えばね
30:55素晴らしい農業開発ができる
30:58やっぱり世界最先端を行くようなね
31:02近代的な落農を作る、作れるといえば
31:06作るところだと思いますね
31:08それがすぐ串路湿を控えておりますからね
31:11本市に直結してこうやるわけですよ
31:13牛乳を運べるわけですから
31:15そういう意味から立場圏も素晴らしいんでね
31:18非常に夢の描きやすい土地だということが
31:22一番大きいと思いますね
31:24地元で開拓パイロット事業
31:28カイパと呼ばれる農地開発
31:31計画は
31:35蛇行した小さな河川を
31:37一本にまとめて直線化
31:39さらに排水路を張り巡らせて水を導き
31:45出現を牧草地に変えようというものでした
31:49あそこが農地になるという計画がありますよ
31:57ということを最初聞いたときは
31:59どう思いましたか
32:01いやそれはもう嬉しいなんていうもんでね
32:05だいたい人は歩けなかったんだから
32:08その今の室内にね
32:11ヤジボズって覚えてるでしょ
32:13こんなだいたいいじめいていじょうくらい
32:16どこを歩いたって全部どこだから
32:20これが救いの神さ
32:22我々はやっぱり装置に使えますよということで
32:26機体を大きく宣伝してもらったから
32:29それなりに
32:31これできればまたおしじっと送る帰るなっていう
32:34そういう機体はかなり持ったんです
32:37カイパに大きな機体を寄せた若者がいました
32:43中尾美紀夫さんは高校卒業後工場で働いていましたが
32:50親の営む落農を継ぐことにしました
32:54国営カイパ事業が始まって
32:59
33:00埃が出ることを乾燥するっていう
33:02そういう話だったもんですから
33:04水をまかなくちゃならないようなことになりますよ
33:08っていうような話だったもんだから
33:09そんなにこのヤジが乾くのかと
33:12そういうそのお役人のね
33:14説明を受けて始めた
33:15それなら
33:17ヤジも畑になるぞという風に
33:20中尾さんは経営規模の拡大を見越して次々と機械を導入します
33:32絞った牛乳を自動的に集めるパイプライン
33:41そして大型の冷蔵タンク
33:44投資した額は5000万円に上りました
33:48カイパによって生まれる牧草地に期待して
33:55村中の農家は競うように
33:58先行投資を行っていきました
34:00この頃
34:06中尾さんは新しい設備を整えた牧場を
34:10共に営むパートナーに出会います
34:13宮子さんです
34:15どうぞ結婚する時に牛乳もこれ足したのさ
34:21これまずはこれ今この新しい牛乳が
34:24これこれ
34:26牛乳立てて
34:27結婚する時に立てたから
34:29まあ一緒にやるかってことだったんだよ
34:32俺一人ではこれできないから大きい子はね
34:35もう父はいいなかったから俺は
34:37母親しか俺はいいなかったから
34:39だからまあ牛乳はでっかくして
34:41これこれ新しくした牛乳だこれ
34:43立ててこれ足したんだからこっちやね大きい子は
34:47それから一緒に二人で
34:49もう少し牛乳も大きくするから
34:53一緒にやりますかってやりましょうってことになったんだよ
34:55で牛乳やって再度立てて
34:59で負債もどんと背負ったからね
35:01もちろんそんな自己資金がいっぱいあるわけじゃないし
35:06一覧表明してもらったんだけどなんだこれお父さん全部借金出てきてね
35:09で負債も借金だ
35:13で負債も借金だ
35:16国家プロジェクトによる串路出現の開発
35:24カイパ
35:26しかし工事は計画通りには進みませんでした
35:32当初5年程度と考えられていた工期は次々と伸び
35:4010年を過ぎても終わらないことがありました
35:42もう水を湧いてる沼みたいな子なんだから
35:47そしたら大型のプールが一番好きだとすっぽりはまっちゃってさ
35:53これ埋まっちゃったのは
35:54綺麗に埋まっているもんな
35:57こんなそれ今度は引っ張りに行ったやつがまたそれもはまる
36:035台も6台も来てはまって
36:06助けに行ったのもはまっちゃったのね
36:10本当のやりこそ損なしだもん
36:14こういうところを工事するって聞いた時はどう思いました最初
36:20できるんだからできないんだから不安だったね
36:24だけど絶対できるんだって言うんだって
36:27寝るんだからさ
36:28必要から来た人が
36:30そして18年の歳月をかけ
36:38昭和61年ようやく海波は完成します
36:43湿原の水位を下げるために直線化された河川の両脇には
36:51広大な牧草地が広がりました
36:54これまで湿原に阻まれ
37:01限られた土地でしか落納を営めなかった鶴井村
37:07複雑に濁を繰り返していた川は
37:10海波によって24キロ以上に渡って直線化
37:17新たに誕生した牧草地は3000ヘクタールに及びました
37:22海波によって30ヘクタールの新たな牧草地を手に入れた
37:37藤原秀達さん
37:43これをきっかけに経営が軌道に乗り
37:46村内屈指の大規模農家へと成長を遂げました
37:51藤原秀達さん
38:10串の湿原がずっとあって
38:1250センチも60センチもある大木が薄そうと
38:17入れたこの串の湿原を全部肌にしてしまったんですけれども
38:21これ自然破壊ですよね
38:22でもやっぱりこの落納と鶴井村は落納しかないから
38:29落納を拡大していくにはこれがベスト
38:33まあ蛇行していれば
38:36我が家もこんなに規模拡大もできてなかったしね
38:40これが貝羽です
38:44しかし場所によっては貝羽による牧草地化がうまくいかない土地もありました
38:51これがこの水切りの免許
38:56水が溜まっていて全然
39:00本来は流れていくとこにいかないといけないんだけど
39:02溜まっていて流れないんですよ
39:04そういう状態でもって水が引くとこがないわけですよ
39:143年か4年経ったらもう本当に
39:30みんなあちこち抜かれたしで生えていけないようなことも
39:34草自体がかなり悪いんですよ
39:36やっぱりこのやち草っていうのは
39:39こういうおかちを畑にしたと違って
39:45やっぱり湿原の中を装置にしたから
39:48植えた草よりは昔の草の方がやっぱり強いんですねあれは
39:53ですからやっぱり草自体が
39:56牛が好んで食べるような草ではなくてですね
40:00カイパで30ヘクタールの牧草地を手に入れた
40:08佐藤千恵子さん
40:09しかしその半分が使い物になりませんでした
40:15ここはもう本当にぐちゃぐちゃですよ
40:21こんなとこは絶対入れないです
40:23佐藤さんに重くのしかかったのは
40:303000万円をかけた牛舎とサイロへの先行投資でした
40:35佐藤さんは他人の牧草地を借りて落納を続け
40:42借金を返し続けました
40:44何か悔しいような気もしましたよね
40:52夢が違ったかなって
40:57何か絶対草地になるって言って
41:04国ではやったはずなのにって思いましたよね
41:11でも現実はそうでなかったので
41:13それをずるずるとやってたら
41:21誰も困ったからって
41:26借金払ってくれるわけでもないし
41:29自分で自分で払わなきゃならないので
41:32なんとか頑張ってきて決断だったので
41:40あの異級者が恨めしいですよ
41:48佐藤さんは返済のめどが立った平成11年
41:55牛を手放し離納しました
41:58落納を諦めざるを得なかったことに
42:06複雑な思いを抱えている人も少なくありません
42:10あそこで生まれ育って
42:19やはりね
42:21親の代を継がないで辞めたという形だからね
42:26そういう点においてはね
42:30この農家も
42:39カイパの牧草地をあてにして
42:41牛舎やサイロに多額の投資を行っていました
42:45地区でも有数の規模を誇る農家でした
42:49随分言われたよ
42:55波に乗らないと今やらないとできなくなるという形はね
43:01随分言われたよね
43:03投資しなきゃっていう風に
43:07規模でかくしないとやっていけない
43:10設備投資するか
43:15辞めるかっていう考えだったから
43:18まあいつの時代も同じだったんじゃないかな
43:23じゃあ気をするよね
43:25大変だ大変だって言いつつもさ
43:29誰か彼が生き延びていく形になるわけでしょ
43:33だから個数が減っていって
43:37大規模にもなっていくし
43:45技能者を出しながらも
43:47規模拡大を続けていた鶴井村
43:50湿原の開発に支えられてきた村に
43:55思わぬ時代の波が押し寄せます
43:58環境意識の高まりです
44:03当時打ち出された湿原の海沿いに
44:07コンビナートを作る計画に危機感を覚えた人々が
44:11串炉湿原を守れという声を上げます
44:15地元でも議論が巻き起こる中
44:21シンボルとなったのは丹町でした
44:24丹町の貴重な繁殖地
44:29串炉湿原を守れ
44:32こうした中持ち上がったのが
44:37国立公園化計画です
44:42農地開発を含めて将来の開発を制限し
44:46出現の豊かな生態系を守っていこうというものでした
44:50積極的に動いたのは串炉市でした
44:55当時計画に関わっていた長田純一さん
45:05串炉市長とともに国立公園課の先頭に立っていました
45:12狙いは新たに出現を中心にした観光産業を育成することでした
45:20農地開発すべき土地かなというふうに初めは思っていたけど
45:25それが自然保護という形が新しい思想だよね
45:32我々にしてみれば
45:33そういうものが出てきて
45:35そういう形で生かすこともできるかなという思いがあって
45:41いわゆる自然保護団体が言う
45:45串炉出現の保全というようなことも
45:49一つの行政課題かなということで話し合っていて
45:53そうしたらやってみるかと
45:55最後まで開発庁には
45:57自然保護派に
46:03農地開発が制限される可能性があった国立公園課計画
46:17鶴井村の助役だった松井隆さんは危機感を抱いていました
46:24落納で地域を起こしていこうと
46:29落納を安定させていこうとすれば
46:36土地を守るというか
46:40方向が阻害されるとすれば
46:45これはやはり自然が大事か
46:49あるいはそこに住んでいる人たちが大事なのかと
46:52地域の産業を守るためには
46:56確保しておきたい
46:59あるいは自由に手を加えたいというところについては
47:03やはり抵抗せられなかったところ
47:06抵抗というよりも
47:08ここはちょっと除外をしてほしいというような
47:10ところはあったわけですから
47:14結局釧路湿原はそれまで開発された農地の大半が除外される形で昭和62年国立公園に指定されました
47:30鶴井村にも
47:35単調を見ようと
47:36連日多くの観光客が訪れるようになります
47:40村も観光資源として単調に注目
48:01単調の村であることをアピールするようになりました
48:05農家には次第に批判の矛先が向けられるようになります
48:16問題となったのは
48:23牧草地を増やすために直線化された河川でした
48:26上流の土砂が一気に湿原に流れ込むようになり
48:34湿原の環境が変わり始めたからです
48:372003年、平成15年
48:45釧路湿原の自然を再生させるための協議会が立ち上がります
48:50中心となったのは
48:56研究者や自然保護団体でしたが
48:59カイパ事業の当事者である
49:02鶴井村などの農家も参加しました
49:11協議会の委員を務めた
49:13北海道大学教授の中村太さん
49:16河川とその周囲の環境について研究を続けてきた中村さんは
49:22湿原の開発を続けることに疑問を持っていました
49:27もともと生産性の上がらないところを
49:31無理して開発したという歴史をまず認めるべきだ
49:34じゃあその部分については
49:36むしろ人口を減って
49:37より集約的な農業をやっていかなくちゃいけない
49:40未来があるならば
49:41むしろそれを自然再生に戻していくということを
49:45もちろん売ることになる可能性が大なんですけど
49:47そういったことで
49:48その方がよりお金がかからんですよ
49:51今まで今後ずっとその高度経済成長期の
49:56いわゆる生産性の上がらない農地を
49:58牧草地を維持しようとしたら
50:00また十数年で何十億というお金を投入するんですか
50:04それは僕は将来は続かないと思います
50:07協議会で検討されたある計画に
50:16農家は大きく動揺します
50:19河川の最多効果
50:26出現本来の環境を取り戻すため
50:30直線化した河川を再び元の流れに戻そうという計画です
50:36計画は隣のしべ茶町で実施され
50:45鶴井村などでも調査が検討されました
50:48最多効果を行ったのは
50:52直線化を行ったのと同じ国でした
50:55急に手のひらを返したように
50:58やめましたということではなくて
51:01そこにはある程度の時間の流れがあって
51:04最初はやろうとしていたけど
51:07難しくなっていった場所に
51:10ちょうど環境保全という流れが出てきて
51:14環境の流れというものが
51:17世の数勢であれば
51:19使わないところは
51:21環境のために戻してもいいんじゃないかと
51:23いうふうに考えていたということですね
51:25協議会の議事録には
51:30サイダー効果に反発する声も記録されています
51:34多額の費用をかけて開発した農地を
51:42再び蛇行化されることで失うのであるなら
51:47農業経営の規模拡大や維持すら難しくなる
51:52出現というのは生活の場であり
51:59そこで一生懸命農業をやるために
52:03家地を開発してきた
52:05それが悪いと言われても困る
52:09農家は悪者ですよ
52:16結局実態ということを何回も言いましたけど
52:21農地の実態
52:24河川に土砂とか
52:27河川に土砂流すということは
52:32これは良くないこと
52:33それは百無処置だ
52:35農家もね
52:36出現の湿地装置なしでは
52:40もうこの地域は永遠の成り立ちませんから
52:44そういう規模にしたわけだからね
52:49これはあえてこれは大きく国が手伝って
52:54そうなってきたわけだからね
52:57今さらね
52:59今さら失言に戻しますような
53:03ということにはならないんですよ
53:05今さら
53:07鶴にしても
53:10その他の野鳥にしても
53:13あるいは出現の動植物にしてもですね
53:16保護する立場の人と
53:19別にこの
53:20今後別にどうでもいいよというのではなくても
53:23やっぱり自分の
53:26生産基盤なり生活基盤を
53:29根の中に溶け込んでいる人との違いというのは
53:32そこに必ず出てくると思うんですよ
53:34やっぱりそういうことで自然というのはやっぱり
53:36農家というか人が手を加えれば加えるほど
53:40破壊されていくというのかね
53:42当たり前のことだけども
53:44これを保護していくというのは
53:48難しい
53:51本当に難しいと思いますよ
53:53串炭湿原が国立公園に指定されて25年
54:02
54:05鶴井村では保護を受け急速に数を増やしている炭腸が問題となっています
54:11被害が出ているのは
54:15牛の餌となるトウゴロコシの畑です
54:19まだすぐもどってくる
54:40今年から農家は被害を抑えようと
54:59村と共同で追い払うためのスタッフを雇うことにしました
55:04鶴も最初は少なかったけれども
55:10徐々に増えてきて
55:14違和感なかったしね
55:16炭腸増えてくるのには
55:18でもこうやって増えてしまって
55:20あららら
55:20気がついてみたら
55:21こんなになっていた
55:22困れましたね
55:33どうしましょう
55:34今年
55:50日本政府はTPP
55:53環太平洋パートナーシップ協定への交渉参加を表明しました
55:59鶴井村では関税が撤廃されて
56:04安価な乳製品が海外から輸入されれば
56:08立ち打ちできないという強い不安が広がっています
56:11規模拡大
56:15自然保護
56:16そしてTPP
56:19鶴井村の元助役
56:21松井隆さんは
56:23移り変わる国策の中で
56:26葛藤する農家を見つめ続けてきました
56:28時代時代に
56:32善であるというふうに理解しちゃうが
56:39時代が過ぎると悪になってみたり
56:44その中に
56:47開発と
56:49自然保護との問題が
56:51こう錯綜していたりして
56:53いや僕ら
56:58むしろ
56:59皆さんに
57:01意見を聞きたいみたいですね
57:04どうしたらいいんだろうね
57:07ところが
57:12国の政策にしても
57:16常に動いていってますよね
57:20自ら
57:35立ち打ちして
57:40生きていく意外に方法がないんだろうなと
57:45自滅することも含めて
57:49そういう
57:53農村地域の宿命にあるのかなと
57:59そうあってほしくないなと
58:04願いながら
58:06そんなこと常に
58:08考えてますけども
58:10
58:17鶴井村の農家は
58:19平均で160頭の乳牛を飼育し
58:22日本有数の経営規模にまで拡大しました
58:26その一方で
58:30農家の数は減り続けています
58:32今では
58:35落農に転換した当初の4分の1
58:3880個足らずになりました
58:40湿原という環境を抱えながら
58:47長い戦後を生きてきた
58:49鶴井村の人々
58:51豊かさを求めて
58:54ふるさとを問い続ける日々です
58:57ご視聴ありがとうございました
59:27日本人は何を目指してきたのか
59:33第4回は
59:34在日コリアンの街
59:36大阪のイカイノです
59:38民族や文化の違いと
59:41どう向き合ってきたのか
59:42やっぱり差別はあかんやろうと思いました
59:45在日コリアンの戦後誌
59:48放送はEテレ
59:5027日土曜夜11時です

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