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ニューストランスクリプション
00:00語り継ぎたい3年8ヶ月の記録
00:24DVD全集 太平洋戦争全実感
00:32今ならDVDプレイヤーをプレゼント
00:36詳しくは明日の長官で
00:511938年9月
00:53日中戦争の戦地での
00:56日本軍兵士を捉えた写真です
00:59前線で束の間の宴でしょう
01:03兵士たちはみな
01:06くつろいだ表情を浮かべています
01:08戦友のコップに酒を注ぐ者もいれば
01:14ビール瓶を逆さにしておどけたポーズを撮る者も
01:19撮影したカメラマンは舞台に従軍する大阪毎日新聞の特派員です
01:28どんな思いでシャッターを切ったのでしょうか
01:33しかしこの写真が新聞紙面に載ることはありませんでした
01:40軍の検閲で掲載不許可になったのです
01:45ご視聴ありがとうございました
01:5587年後の毎日新聞大阪本社
01:5914階にある編集局で写真部のカメラマンは
02:15事件や事故の一報が入ると機材を抱えて出動していきます
02:25編集局の2階下のフロアに
02:28ひっそりとした
02:30アーカイブ室があります
02:40キャビネットに並ぶのが
02:42毎日新聞の
02:44戦中写真です
02:47日中戦争
02:48そして太平洋戦争は
02:51プロパガンダ
02:52宣伝戦でもありました
02:57新聞各紙は
02:59帝国陸海軍の戦果を
03:01いち早く伝えようと競い合います
03:03毎日新聞の前進
03:07大阪毎日新聞と東京日日新聞も
03:11657人もの海外特派員を
03:15戦地や占領地に派遣しました
03:18特派員は憧れの存在でした
03:23値がや写真は
03:27会社の飛行機などで
03:29すべて大阪本社に送られました
03:34大阪で現像された写真は
03:36焼き増しして東京の軍部などに提出
03:40検閲を受けました
03:436万枚にも上る戦中写真の中には
03:47検閲による不許可のスタンプが残されたものも
03:51多数あります
03:52合成写真
03:55つまりフェイク写真も見つかりました
03:59戦前戦中の写真は
04:04毎日新聞と朝日新聞しか残ってないんですね
04:07これは一つの文化資産やろうと
04:12戦中写真は後輩たちに引き継がれ
04:1880年間バトンをつなぎ守られてきました
04:23よくぞ残してくれたなとは思いますね
04:28これは僕がするしかないだろうと
04:31戦後80年
04:36日本が戦い
04:39敗れた記憶を語れる人は
04:41年々少なくなっています
04:43戦争の実像について
04:47メディアが伝えたこと
04:49そして伝えられなかったこと
04:53デジタルアーカイブ化された
04:57報道写真が語りかけてきたのは
05:00戦場で奔走し
05:02戦争に翻弄された
05:05カメラマンたちの物語でした
05:081930年代
05:21満州事変以降
05:23上海事変
05:24六王京事件と
05:26日本は中国大陸で戦線を広げていきました
05:30日中戦争です
05:33戦争の本格化とともに
05:37総動員の必要性が高まり
05:39国家によるプロパガンダが強化されていきます
05:43また
05:45花々しい戦火を伝えることで
05:48新聞の部数が伸びたことも
05:50報道を加熱させました
05:52映画館ではニュース映画が
05:57次々と上映されます
05:59我々大和民族が
06:03この理想と
06:05この空とによって
06:09雇用の平和を確保して
06:12我々が
06:13自然に
06:14天より受けたるところの
06:18民族の使命
06:19国家の使命を果たすにあらずんだ
06:21映画の制作にも
06:29軍部が深く関わっていました
06:40それでも速報性に勝り
06:43国民にとって最も身近なニュースソースは
06:46新聞でした
06:47各社が競って
06:50航空機を導入します
06:52毎日新聞は
06:55最新の戦闘機を改造した
06:57日本が
06:59戦地から本土へ
07:01写真や原稿を
07:02本土から戦地へと
07:04記者や機材を
07:06次々と運びました
07:08国民の戦地への
07:13国民の戦意公用に
07:14大きな役割を果たした
07:16一枚の写真があります
07:181932年の
07:22第一次上海事変で
07:24志願した3人の兵士が
07:27敵の鉄条網を
07:28自爆突破しました
07:30草原に
07:32舞い上がる
07:333つの煙が
07:34はっきりと確認できます
07:363人の戦死は
07:40技術的な失敗だったことが
07:42後に明らかになるのですが
07:45陸軍大臣が
07:463人を
07:47爆弾産油士と
07:49称えます
07:50新聞各紙や
07:53記録映画も
07:54愛国美談として
07:56報じます
07:57爆弾産油士の
08:00写真は
08:01当時の様子として
08:03雑誌や教科書などで
08:05引用されるなど
08:06世間に
08:07広まっていきました
08:08しかし
08:10実はこの写真
08:12作戦の
08:141ヶ月後に
08:15カメラマンが
08:16軍部と交渉して
08:17再現してもらった
08:19ものでした
08:19確かに当時の紙面には
08:23小さく
08:24模擬船と書かれています
08:26戦況の変化とともに
08:33検閲は
08:34さらに厳しくなります
08:361938年の
08:39国家総動員報で
08:41新聞
08:42出版物の記事を
08:44統制できることになりました
08:46掲載
08:48掲載不許可となる
08:49写真も出てきます
08:50国平幸男カメラマンは
08:55特派員として
08:57中国や
08:59フィリピンの
09:00戦場に
09:00赴任しました
09:01国平氏が撮った
09:05飛行機の写真
09:07不許可なのは
09:09軍事機密に
09:10触れる
09:11ということでしょう
09:12同じく
09:15国平氏が撮った
09:17兵士の宴の写真も
09:19不許可でした
09:20国平氏は
09:24後にこのような文章を
09:26残しています
09:27大阪高槻工兵隊は
09:31今朝も作戦を成功させた
09:34風流を忘れない
09:37工兵隊長は
09:38ちょうど
09:39明月を迎え
09:41兵士を慰労して
09:42月見の縁を開いた
09:44酒やビールが支給され
09:48酔いが回るにつれて
09:50戦場の苦しみや
09:52緊張から解放された兵士たちは
09:54次第に人間を取り戻していった
09:57やがて
10:00美しい中秋の明月が昇る頃
10:04一人おのおのが
10:06思い思いの教習に浸り
10:09亡き戦友をしのんで
10:11冥福を祈ったことだろう
10:13この写真を不許可にした
10:17検閲官の心情は
10:19人間を忘れた
10:21軍国主義以外の何者でもない
10:25失礼します
10:41あ、NBSいさじです
10:43よろしくお願いいたします
10:45国平氏の長男
10:50正弘さん
10:51父と同じ
10:53毎日新聞の元カメラマンです
10:56こんな下手や
11:07こんなやってるのは
11:10ちょっとまずいということなんでしょうね
11:12おそらく
11:12多分ね
11:14こんな酒飲んでですね
11:17こんな縁を開いてるなんて
11:19とんでもないということじゃ
11:20なかったんでしょうかね
11:22当時はね
11:23自分の背中を追うように
11:29カメラマンになった正弘さんに
11:32報道カメラマンは
11:34単なる写真屋ではないと
11:37国平氏は何度も語ったといいます
11:40この写真にしても
11:44そういう
11:45つかみどころ
11:47内容のつかみどころというか
11:51そういうのをやっぱり
11:54見極める判断というのが
11:56うまかったかなと思いますよ
11:59国平氏は戦後
12:05毎日新聞大阪本社の
12:08写真部長になりました
12:10退職後は
12:12大学の写真学科の教授を務め
12:16個展も開くなど
12:1792歳で亡くなるまで
12:19生涯カメラマンでした
12:21しかし晩年になると
12:25当時寝てて
12:31幻想を見るんでしょうね
12:39これで部屋から飛び出して
12:44寝巻きのまま
12:47近くのスーパーへ入ったみたいで
12:54その時は要するに
12:57なぜそうしたのかと
13:02調べると
13:03なんかその
13:06銃殺みたいなのがあって
13:11死体がルイルイとしている
13:13幻想というか
13:16そういう
13:17妄想ですかね
13:20を言ってましたね
13:24兵士が見せた人間らしさを
13:32一瞬に切り取った
13:34若き日の国平カメラマン
13:36シャッターを押せなかった
13:40戦地の現実があったのでしょうか
13:44順風満風満風でね
13:49過ごしてきた
13:52けどもやっぱり
13:54戦争というのが
13:58人生の中に入ってきて
14:02そういう形で
14:04最後終わってしまったというのは
14:06ちょっとね
14:07可哀想かなという気がしますね
14:10へえ
14:11当時の戦争をはっきり覚えている人は
14:35もういません
14:39そこにいるのが毎日新聞の人やという意識はあったんですか
14:43それはありましたですね
14:46どうかな
14:48あと小学校1年1年ですからね
14:52うちはだいたい朝日新聞撮ってたんです
14:57毎日新聞は撮ってなかったんですわ
14:59だから
15:00だからなんでか
15:01そんなこと
15:02不思議に言うかね
15:05終戦前
15:09配色濃厚の空気を察したのか
15:13毎日新聞の写真部員らは
15:16奈良市内の
15:18大龍寺という全寺へ
15:19密かに
15:21戦中写真を運びました
15:23そして終戦
15:28軍部は直ちに
15:31新聞各社に写真の廃棄を命じます
15:34実際
15:36多くの新聞社で廃棄されたり
15:39空襲で焼けたりして
15:40写真は失われました
15:42しかし
15:45毎日新聞の戦中写真は
15:48残ったのです
15:49こういうものは
15:52先般の記録になるということで
15:56捨てなさいと
15:58廃棄しろというような
16:00命令ですよね
16:02指令があったらしいですね
16:05当時の写真部長
16:08大阪の写真部長が
16:10高田さんが
16:12みんな命がけで
16:15戦中って撮ってきた写真なんだから
16:17こういうものは捨てちゃダメだと
16:19残しとかなきゃいけない
16:21ということで
16:21写真部レベルでこっそり
16:24分からないように
16:25別の建物に隠して
16:29難を逃れたということだったらしいんですね
16:33寺から大阪本社近くのホテル
16:39本社地下の金庫室と写されながら
16:436万点の戦中写真は
16:45守り抜かれたのです
16:47写真部OBの中村真一郎さんは
16:54退職前後に3年余りかけて
16:57全ての写真や寝画を
16:59デジタルカメラで再撮影して
17:02劣化が進まないようにしました
17:04一見すると
17:26歩幅前進する兵士の靴の底が写っているだけのようですが
17:31要は弾飛んでいるから
17:34これ以上頭を上げられない写真なんで
17:36これはすごいんですよ
17:38すごいシーンなんです
17:39写された兵隊さんが
17:43大概亡くなっているんだろうなと
17:46いうことは思いながら
17:50撮ってましたね
17:52寿命で亡くなったんじゃなくて
17:55この後戦闘で亡くなっているんだろうな
17:59戦中写真は公共性の高い歴史資料です
18:13アジア史を専門とする
18:15ノートルダム精神女子大学の
18:18岸俊彦教授は
18:20毎日新聞から6万枚の戦中写真の
18:24アーカイブ化を任されました
18:26朝日新聞の戦中写真も解析した
18:32岸教授ですが
18:332つの新聞社には
18:35大きな違いがあるといいます
18:38朝日と毎日の違いは
18:42毎日の報道写真の場合は
18:45ネガが膨大に残っているんですね
18:47朝日の場合は紙焼き写真がほとんどですけど
18:51毎日の場合は紙焼きとネガと
18:55半分ずつぐらいというような形になっています
18:59このネガが残っていることで
19:03高精細の画像を私たちは見れるということが
19:07非常に大きな意義だろうと思うんですよ
19:09ネガがあることで
19:17時を経ても鮮明な写真として現像できます
19:21さらに引き伸ばして
19:25細部を検証することもできるのです
19:27もう一つは
19:34これも朝日新聞と毎日新聞はちょっと違うんですけど
19:40当時は検閲という制度があって
19:43内閣とか情報部とか
19:47後の情報局ですけど
19:49あるいは陸軍書や海軍書とかいうところに
19:52載せていいか掲載していいかどうかいうのを
19:55いちいち申請しているわけですよ
19:56その結果がですね
19:58彼らが持っている台帳の方に
20:01全部記録されているわけですね
20:03いわゆる不強化写真と言われるものが
20:08どれだったのかいうことが分かると
20:10楽器のチューバのような空中調音機
20:17敵の空襲などを
20:21いち早く察知するための兵器です
20:23当初は最新兵器として
20:27掲載不許可になりましたが
20:29空襲の激化とともに
20:32あまりに頻繁に使われるようになったため
20:35不許可ではなくなったといいます
20:37占領下のシンガポールで
20:41異門のために踊る女性の写真も不許可です
20:45理由はよく分かりません
20:48肌の露出が多いからでしょうか
20:52新聞社が軍に忖度した自主検閲も増えます
21:01検閲の他にも不都合な真実が浮かび上がりました
21:06フェイク写真です
21:091941年12月8日
21:16日本軍はハワイの真珠湾を空襲
21:20アメリカ、イギリスなど
21:23連合国軍を相手にした
21:25太平洋戦争が始まります
21:27日本は初戦では
21:30花々しい戦果を上げ続けました
21:33翌年6月
21:38アラスカ、アリューシャン列島のアッツ島を占領
21:43一帯を警戒する日本軍の水上機を
21:48駆逐艦から撮った写真です
21:50元の写真には
21:53海上の水上飛行機は
21:55一機しか写っていません
21:57しかし
21:59実際の紙面を見ると
22:02空高く飛ぶもう一機が
22:052枚の写真を貼り合わせた
22:09合成写真です
22:10こんな写真も
22:14軍の検閲をパスしているのです
22:17これなかったらですね
22:24味方の飛行機か敵の飛行機か分からないですよね
22:28戦艦から大砲を撃って
22:31これはあえてを撃とうとしているのか
22:34あるいは守ろうとしているのか分からない
22:37でもここにあるとですね
22:39明らかにこれ日本軍やれて分かる
22:42これは単に敵軍を攻撃するんじゃなくて
22:46アッツ島を守ろうとしている戦艦が行って
22:50こういう飛行機が飛んでいるという姿を
22:52読み取ることができる
22:54ためにここに一機飛ばすと
22:57我が後軍は
23:00ということになってくるんじゃないかと
23:02しかも太平洋戦争の頃はすでに
23:09航空母艦搭載機による戦闘が主流で
23:12水上飛行機は時代遅れでもありました
23:16古い機械を使っていて喜んでいることは
23:23毎日戦中写真で見ていたら
23:25本当にいろいろなところで出てきますよ
23:27この兵器が旧式だということが
23:30よくこれで戦争していた
23:33大東は競泳権を謳った日本
23:42しかし次第にアメリカなど
23:45連合国軍の力が上回り
23:48主政に立たされていきます
23:50アッツ島もこの記事の一年後
23:54初めて玉砕の戦場となりました
23:58アッツ島玉砕で軍部に衝撃が走った
24:081943年5月
24:11海軍落下3部隊の訓練の写真が撮影されました
24:17実は上下で別の写真を合成しています
24:23この写真はダメとの赤い文字も確認できます
24:29撮影したのはアボヒサタケカメラマン
24:38後のインタビューにこう答えています
24:45焼き込み写真というのはモンタージュというやつで
24:52最初は技術的にはソビエトが非常に盛んだったんですね
24:57それを真似て日本でもやりだして
25:01ずいぶん各新聞社でやりました
25:03それはやっちゃいけないという
25:07カメラマンの鉄則なんですけどね
25:09でもやるといい写真ができるんですよ
25:14訓練は極めて軍事機密性が高く
25:22戦中写真でも珍しいといいます
25:25なぜアボ氏は訓練を撮影できたのでしょうか
25:30このパラシュート部隊を自分らの手柄として
25:38ちゃんと世の中に証明するために
25:40アボ写真部員にたくさん訓練風景を撮らせたんですね
25:46実は海軍は陸軍より1ヶ月早く
25:54落下3部隊による作戦を成功させていました
25:57しかし大本営が陸軍の作戦成功を待って
26:03陸海軍同時に報道発表します
26:07岸教授によると海軍側の不満と焦りが
26:12この写真に大きく影響しているといいます
26:16こういうフェイク写真を通じて
26:21軍が考えていることというのが透けて見えるわけですよね
26:26陸海軍の覇権争い
26:28そうまさにそういうことですね
26:30実はここで透けて見えるのは陸海軍の構想
26:34内部構想ということです
26:35アボ市は日中戦争時代に北京特派員となり
26:45およそ10年間十分
26:46マレー半島を進む自転車部隊
26:51いわゆる銀輪部隊や
26:54シンガポールでのイギリス軍
26:58パーシバル司令官の全面降伏のサインなど
27:01スクープ写真をものにしました
27:04一方でアボ市は
27:11紙面には乗らないと分かっていながら
27:14戦地で同僚らの写真を撮り続けます
27:18雨とデーネーの戦いの後に
27:24生きていた喜びを
27:25よく記念撮影したものだった
27:28明日を知れない命をば
27:31今日の記念に残していた
27:33美しく尊い我々の記録である
27:43毎日新聞では
27:44特派員の1割以上に当たる
27:4791人が殉職しました
27:501943年6月末
27:5931歳のアボ市の下に
28:02招集令状が届きました
28:041週間後には出征
28:07物資を前線に運ぶ市長兵となり
28:12中国の戦地に送られます
28:14当時の重軍特派員は
28:21実質的に徴兵を免れていました
28:25しかし父親が亡くなった際に
28:28東京へ一時戻っていたアボ市に
28:31記者証を返さないのは非国民だと
28:34陸軍省担当の記者が
28:37詰め寄ってきたのです
28:40写真部長が
28:42重軍記者証を絶対返すな
28:44返すと兵隊にすぐ取られちゃうからって
28:48だけどやっぱり迷惑かけるから
28:51私は返すと言って返したら
28:541週間経たないうちに
28:56招集が来ました
28:57岸教授は
29:03あのパラシュート訓練の写真が
29:06異例の招集の引き金になったのではと考えています
29:10まさに特派員としての最後の仕事
29:18だからこのパラシュートの仕事をやったんです
29:22だからやっぱり彼としても
29:24これが嫉妬を勝ったのかもしれない
29:27ひょっとしたら
29:28この取材で海軍の中に入って
29:31パラシュートを一生懸命取っているということに
29:34社内的にいろいろあったのではないかという風に
29:38推測はしています
29:39出生当時
29:45阿保市の長女和子さんは
29:48まだ生後4ヶ月でした
29:50父の性格だったらそうでしょうね
29:56多分
29:58多分そうするだろうなと思います
30:03そうですね
30:06性格というと一言で言えないけれど
30:12お父がすごく子供たちを大切にしていたみたいでしたね
30:16別に人から何か言われるからとかじゃなくて
30:19そう思ったんじゃないですか
30:21確かに私が全然周りのことを知らなくて思うとすれば
30:28周りの人もみんな辛い思いして戦争に行くんだから
30:31自分だけ逃がれるのはという気持ちはあったんじゃないかなと思いますけどね
30:37阿保市は戦地から
30:45和子さんへ絵はがきを何枚も送っています
30:49この絵はがきを見て寝たら
30:57和子ちゃんがこんなにも大きくなった夢を見た
31:01和子はこんな顔に太って大きくなっていくのではないかと
31:12この絵を見ながら想像しています
31:15和子さんは今回
31:39初めて父親の合成写真の存在を知りました
31:44これね
31:52不明言な写真でしょう
31:55ありがとうございました
31:58これに対してお父さんもこういうふうに思ってらっしゃったんだっていうのが
32:04まあねきっとその立場にあれば皆さんね
32:10いやでもやらなきゃならないことっていうのもあったでしょうけれど
32:14語り継ぎたい3年8ヶ月の記録
32:42DVD全集太平洋戦争全実感
32:50今ならDVDプレイヤーをプレゼント
32:53詳しくは明日の長官で
32:57急激に悪化する戦況で日本軍が取ったのが特攻作戦です
33:09爆弾を積んだ戦闘機などで敵の感染に体当たりする特攻
33:17毎日新聞の戦中写真の中でも知られているのがこの一枚です
33:321945年4月
33:36鹿児島県南部のチラン飛行場で撮影されました
33:41特攻隊を見送るのはチラン高等女学校の生徒たち
33:47教科書にも載るなど特攻を象徴する写真として知られました
33:54チラン飛行場からは439人の特攻隊員が沖縄方面へ飛び立ちました
34:11特攻機を見送る女学生の写真は
34:16今も地元の平和会館で何枚も紹介されています
34:21中学生が平和学習で訪れていました
34:29女学生と同年代の彼女たちは何を感じたのでしょうか
34:35私も見送るのは辛いし
34:43一緒にいれないって考えると心苦しくて
34:48上手に見送れない気がするなって思いました
34:52出撃したら戻ってこないから
35:00戻ってこなくて会えないのに
35:07会えないから寂しいのに
35:16笑顔で見送っていてすごいと思った
35:23撮影したのは当時27歳の早川博文カメラマンです
35:29早川カメラマンの長男岩尾さん
35:4484歳です
35:46特攻機を見送った女学生の息子
35:50桑代照明さんとあの場所に向かいます
35:53今は畑が広がる田園風景に
36:09かつて陸軍のチラン飛行場がありました
36:13何かを確かめるように父の写真を手に
36:31早川さんは畑に入って行きます
36:33ここが戦闘機の頭
36:40これが尻尾
36:54この間で撮っている
37:02そこのね
37:05多分この畑の
37:09真ん中ぐらい
37:10脚立に乗っていると思います
37:13高い位置ね
37:15自身もスポーツ新聞のカメラマンだった早川さん
37:36特攻機を見送る女学生の写真を撮影したポイントや
37:41使ったカメラから父親が取材に込めた思いが分かるといいます
37:48もう下調べは十分していると思います
37:52飛行機はどこを通るかとかね
37:55それから一元さんでパッと来て撮った写真じゃないです
37:59やっぱり3日間ないし4日間寝泊まりして下調べはしていると思います
38:11早川さんがここまでこだわるのには訳がありました
38:16実は特攻機と女学生は構図が決まりすぎているとして
38:22やらせや剛性を疑う声が絶えないからです
38:28桑代さんの母千野さんは
38:32女学生の時に八重桜を手に特攻機を見送りました
38:38生徒たちはなでしこ部隊と呼ばれ
38:41出撃を控えた隊員たちの身の回りの世話をしていました
38:47当時を知る人は年々減り
38:50数少ない生き残りの千野さんも入院中です
38:56この写真は剛性じゃないかというふうに報道でも騒がれました
39:01だからそっちもある
39:04作られたと撮影した後にまだ作ったというね
39:092通りあるのよね
39:11で、このことを私は直に母親に聞いたんですよ
39:15そしたらね、もう泣きながら訴えましたよ
39:19桑代さんは千野さんの証言をスマートフォンで撮影しました
39:26桑代さんは千野さんの証言をスマートフォンで撮影しました
39:31桑代さんの証言をスマートフォンで撮影しました
39:33誰かが頼んで、そういうふうに仕掛けたということもないよね
39:39絶対、太鼓判を押す
39:42知らない人が言うことだ
39:44怒りたい
39:48まあ、ほら、ある人に言わせれば
39:51あれはやらせだったという話なんだけど
39:54どうしてやらせができるの、あの時代に
39:56あの時代にね、そうだよね
39:58怒りたいよ
40:00いのちからがら、あの人たち
40:03いのちをはめて、国のために戦いに行く人なんか
40:08そんな写真撮れ、どうこうって言うて
40:18真実の、また真実を聞いた感じが今するんで
40:24まあ、僕としてはうれしいですね
40:27まあ、帰って仏壇に報告しておきます
40:30まあ、うちの風呂が言えば同じこと言ったと思います
40:33うん、うん
40:37今日は、ありがとうございます
40:39どうもどうも、私
40:41うん
40:47特攻機を見送る女学生が撮影されて4ヶ月後
40:51日本は、戦争に負けました
40:55無条件降伏は、8月15日の長官が報じました
41:02未明に印刷された新聞は、正午の玉音放送が終わってから、配られました
41:10語り過ぎたい
41:17語り過ぎたい3年8カ月の記録DVD全集太平洋戦争今ならDVDプレーヤーをプレゼント詳しくは明日の朝刊で
41:33戦後80年、デジタルアーカイブ化が完成した戦中写真展、報道写真を読むが、横浜の日本新聞博物館で開かれています
41:58驚くべき
42:09AIを使って、戦中写真をカラー動画化した展示
42:15若い世代に関心を持ってもらおうという試みです
42:20一方で、フェイクへの継承というメッセージも
42:26戦時中の検閲による不許可や合成写真など、不都合な写真も展示されています
42:37最初は新聞に再現って書いてあったけど、それがだんだんなくなって、爆弾三有志の美談になっていく過程、ちょっと恐ろしいなと思いましたね
42:48その爆弾三有志の近くに住んでいた元日本編の方のお話聞いたことありますけど、あのようにやっぱりなれというようなことの、そういう風潮があったみたいですね
43:04国のために死ぬんだと、だからそれも作られたものであるということを考えると、事故であって、事故であったものが美談になってしまったという
43:15なんて言ったらいいんですかね、ちょっと恐ろしさを感じました
43:22兵隊さんに向かってこうピシッとやっている、僕なんかの、令和の大人がヘニャヘニャしているような感じと違って
43:33子供一人ひとりしっかり筋伸ばして、敬礼しているのとかを見て、なんかある種上手くいっていたんだなというか
43:41それは別に今の価値観に照らすと良くない、というか恐ろしい子供がそういうことに憧れを持つことって
43:48僕からするとちょっと怖いなって思うけれど、なんか、なんかすごく上手くい
43:54変な方、まあこちらの、なんか違う方向で上手くいってしまってたんだなっていう風に感じますねし
44:01そういうことを仕事としてしっかりやっていた大人がきっといたんだなということを思いますね
44:07会場に招かれたロシア軍事研究の専門家、東京大学小泉雄淳教授は
44:18現代ロシアのプロパガンダと照らし合わせていました
44:22エストラリアまで爆弾落としに行くわけですよね
44:25軍隊のやることってのはどこも割に似てるなというのが、まあまず正直な感想で
44:31不許可にされるのは、ちょっとこの戦ってボロボロになって踏んどしが見えちゃってるみたいな
44:37いまいち情けないところに関しては、そういうのは見せないんだと
44:41まあこれは本当はロシア軍だって、情けないところがいっぱいあるし悲惨な場面もものすごくあるはずなんですけど
44:47そういうところは見せなくて、まあ一番かっこいいとこですよね
44:50巨大な兵器が更新してるとことか、なんかドーンと撃ってるとことか、そういうとこだけを見せると
44:57アングルなんかも非常に凝りに凝ってやるわけですよね
45:00ここに写ってるいろんな写真とかも、かなりアングルを計算したりとか
45:06都合の悪い部分は修正したりとかしてるわけですけど
45:10ロシアの国防省がやるプロパガンダもやっぱりそうで
45:14実はもう十数年くらい前からですけど、本当にプロのマスコミのテレビの人を国防省の中に連れてきてやらしてるんですよね
45:24で、国防省の系列のズベズダーっていうテレビ局もあって、そこで凝りに凝った番組を作ると
45:31昔から軍隊っていうのは非常に巧妙にプロパガンダをすると、なんかその原型を見たなって感じがします
45:39アボヒサタケカメラマンの長女、カズコさんも、大学生の孫、アミさんと会場を訪れました
45:59アボカメラマンにとって、ひ孫にあたるアミさん
46:04幼い頃に亡くなったソウソフトは、会話を交わした記憶はありません
46:11これは不許可
46:16なんで不許可になったかっていう
46:18わかる?
46:19これ書いてある
46:20フンドシが見えるからなんだけど
46:22えー
46:23アミさんがソウソフトの撮った合成写真に目を止めました
46:41これが道に置いてあったのよね
46:44これ、おじいちゃん
46:46そう、なんかね、これが、こう作したのがダメとか、ここに書いてある、ほら
46:58そうなんだ、不許可になる
47:00おじいちゃんも似たから、これはね、この、あれがダメとかね、こう書いてある
47:08いろいろ、日本が勝っているように見せたかったんでしょうけどね
47:16これは、おじいちゃんの写真、豪華着陸の写真だ
47:21おじいちゃんもね、すぐ分かる
47:26そこの、あの、合成の写真に関しては、どんな分に、その感じになられましたか?
47:35分かる、あんまり、あれね
47:38そうですね
47:40そうですね
47:43やっぱりその、報道になんか偏りがあったり、その戦争、戦時中のその教育について
47:50検閲だったり、で、偏りがあったというのは
47:54その、中高の、その、学校の授業とかでも教わったりはしていたんですけど
48:00もし自分がその、立場になって、当時、その、新聞だったり写真を見ていたら
48:06本当に信じてしまうなと思って
48:08なんか、そうですね、やっぱり事実を伝えるのが、その報道としての役割は
48:14やっぱり、きちんと機能しておいてほしいし
48:18自分としても、その、写真だったり報道を見たものが、ちゃんと
48:24なんか、事実であるのかとか、その、そうですね
48:28なんか、まあ、見たものをありのままに信じるだけじゃなくて
48:30考える力も、やっぱり、今の人にも必要だなというふうに思いました
48:35当時、その、ひよじさんはどういう心持ちで、やらざるを得なかったというか
48:42っていうふうなことっていうのは、想像してみたらいかがですか
48:46そうですね、やっぱり、その、
48:49実際、その、日本に生活されていた方々は、直接、その、戦争が、直接、行われている部分を見ることはできなかったと思うので、その、
49:03その、実際にいた立場として、伝える役割として使命を持って、仕事をしていたのかなというふうに思います
49:11そういうところで、もやむにやむえずというか
49:16そうですね、そうですね、そうですね、そうですね
49:20彼女のほうが、私よりもちゃんと、今の時代、この、例えば、あの、フェイクとか、そうじゃないものの区別とかいうの、きちっと考えることを教わってるみたいな、私、すぐ信じちゃいますけど
49:35こっちのほうが、あの、いろんな情報を得て、自分で考えるってことができるかなと思います
49:46今の、この世代のほうが、と、願ってます
49:51あの戦争から、80年
49:59今も世界で戦争は起こり、常に、プロパガンダ、フェイクニュースがつきまといます
50:08国家は、都合の悪い事実は隠し、戦意公用のためなら、嘘もつきます
50:16そして、報道は時に、自ら利用されます
50:23その手法は、80年前に比べると、飛躍的に巧妙さを増し、人々の分断を煽ります
50:33だからこそ、記録を残して、後世まで検証し続けなければなりません
50:40戦中写真が語る、私たちへのメッセージです
50:47メッセージです
51:173年8ヶ月の記録
51:19DVD全集太平洋戦争
51:23今ならDVDプレイヤーをプレゼント
51:26詳しくは明日の朝刊で
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