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  • 2025/5/2
戦後、女性の参政権が認められ、新憲法に男女平等が掲げられた。しかし職場では結婚退職制や若年定年制が行われており雇用差別に裁判を起こす女性たちが現れる。1985年に男女雇用機会均等法が制定され、1999年、男女共同参画社会基本法が施行。すべての活動において男女平等を推し進められたが、非正規雇用など新たな問題も生まれた。赤松良子、堂本暁子、上野千鶴子ら、多角的な証言で男女平等をめざす道のりを描く。

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ニュース
トランスクリプション
00:00:00今年3月 国際勇気ある女性賞を日本人が初めて受賞しました
00:00:14人権男女平等などを訴え活動してきた 世界の新たな女性指導者を称える賞
00:00:23アメリカ国務省が制定しました
00:00:26受賞したのは 尾坂部紗友香さん
00:00:32去年 マタニティハラスメント対策ネットワークを立ち上げました
00:00:38マタニティハラスメント 略してマタハラ
00:00:44女性が妊娠・出産をきっかけに 職場で嫌がらせを受けたり
00:00:50解雇されたり 不当な扱いを受けることです
00:00:53尾坂部さんは3年前契約社員として雑誌の編集をしていた時
00:01:01マタハラの被害に遭いました
00:01:031回目の妊娠の時は 自分がある仕事のメイン担当で長時間労働を繰り返していて
00:01:13妊娠していることも言い出せずに 流産してしまいました
00:01:17そして2回目の妊娠流産のおそれがあると医師に診断され今度は大事を取って会社を休みます
00:01:281週間後自宅に上司が訪ねてきて契約を更新しないよう進めました
00:01:36後に証拠として裁判に提出された2人のやりとりです
00:01:42私は働きたいんですけどね できる限り
00:01:48気持ちは分かるんだけど どうしても仕事にした場合は
00:01:52アルバイトを食うしかないじゃないの
00:01:54フルでは来ちゃダメでしょ とってはナッパーって
00:01:58であと1週間休んで会社を復帰したとしちゃうよ
00:02:02会社にいいイメージが残ると思う
00:02:04日本では働く女性の6割が第一子の出産を機に仕事を辞めています
00:02:22連合の調査によれば妊娠経験のある働く女性の5人に1人が
00:02:28またはらの被害を受けていました
00:02:32私の場合は流産もしてしまいましたし 仕事もなくなってしまいましたし
00:02:39両方なくなってしまったんですよね
00:02:42またはらの問題は私は古くて新しい問題って言ってるんですけども
00:02:46もう昔は女性も妊娠を機に辞めさせられるのが当然のことと思ってきたところもあると思うんですよね
00:02:52今やっと女性たちが声を上げれるようになった
00:02:57戦後70年
00:03:00女性たちは様々な差別を問い続けてきました
00:03:05男女平等を目指して
00:03:07私たちはどのように歩んできたのでしょうか
00:03:12ご視聴ありがとうございました
00:03:21ご視聴ありがとうございました
00:03:26ご視聴ありがとうございました
00:03:30ご視聴ありがとうございました
00:04:00戦後、新しい憲法で男女平等が掲げられました
00:04:20しかし高度経済成長期、職場では様々な差別がありました
00:04:27例えば隣で同じ仕事をしている男性と賃金の差ができていっちゃうというのは何とも悔しい
00:04:38国連が女性差別撤廃を促し、日本政府も動き始めます
00:04:461985年、男女雇用機会均等法が制定されました
00:04:57働く女性を取り巻く法整備が進む中、新たな課題が浮かび上がってきました
00:05:12右肩上がりの成長の時代が終わり、少子化の危機が指摘されます
00:05:19人口は減少します、子供は生まれません、泣いても喚いても
00:05:25そうなるとどうしてもギアチェンジしなきゃいけないので
00:05:291999年、男女共同参画社会基本法が施行
00:05:36女性が安心して子供を産み育てる社会を目指します
00:05:41男性がこの男女共同参画を推進することによって利益を得ると
00:05:48あるいは、もしそれを推進しないと国家的損失になるよと
00:05:53働く現場で平等を求め続けた女性たち
00:05:5970年にわたる格闘の軌跡を証言を通して見つめます
00:06:061945年、敗戦
00:06:26食料の配給が滞り、人々は闇市でわずかな食べ物を手に入れるしかありませんでした
00:06:33この年、多くの合資者が出ました
00:06:39何とかしようと立ち上がった女性がいます
00:06:46園田天高校さん、当時26歳
00:06:51合資防衛同盟を結成しました
00:06:54今年亡くなった天高校さん
00:07:00最後のテレビ取材で敗戦直後の体験を語っています
00:07:05みんな合資してはどうにもならないので
00:07:13とにかく生きることを一緒に考えましょうということでした
00:07:19もうやっぱり同級生がみんな亡くなったということがね
00:07:24やっぱり一番私は女であったために生き残された
00:07:31という強い気持ちがありますね
00:07:36心ある人々の愛に叫ばれてきた
00:07:42婦人の政治参与は
00:07:43終戦にともの世論の解放と民権の拡張により
00:07:48ここに実現を見ることとなりました
00:07:50戦前まで女性には選挙権がありませんでした
00:07:5525年以上にわたって
00:07:58婦人参政権獲得運動を続けてきたのは
00:08:02市川夫妻です
00:08:04敗戦直後
00:08:06ようやく政府は閣議で賛成権扶養を決定しました
00:08:12婦人参政権は
00:08:14戦争という大きな犠牲を払って
00:08:17もらったことになりますから
00:08:19大事にしなきゃいけないと思います
00:08:22賛成権をうまく使えば
00:08:25食料の配給も良くなりますし
00:08:28婦人の地位も必ず高くなります
00:08:311946年
00:08:37昭和21年4月
00:08:39日本の女性たちは初めて選挙権を行使しました
00:08:45この選挙で
00:08:5239人もの女性議員が選出されます
00:08:56教師や医師
00:08:59農家の主婦など様々
00:09:02食料問題の解決や
00:09:06戦争反対などを訴えて
00:09:08支持を得ました
00:09:10戦後70年の歴史の中で
00:09:13女性の比率が最も高い国会の一つです
00:09:18ガシ防衛同盟で立候補した天高校さんもその一人です
00:09:25女性議員が党派を超えてね
00:09:31みんな一緒になって
00:09:34マッカーさんにお会いして
00:09:36そして
00:09:37ぜひ小麦と大豆
00:09:40それに子供の赤ちゃんのミルクをね
00:09:44ぜひ輸入してくださいというお願いを
00:09:47まずやりました
00:09:49その後は女性の地位のね
00:09:54確立ですね
00:09:56女性も社会の一員であるというね
00:10:00それまで女性は社会の一員と見ていなかったわけです
00:10:05だからそこに女性も社会の一員であるという
00:10:13女性の存在を知らしめたことだと思いますね
00:10:19この新しい国会で
00:10:24憲法改正案が審議されました
00:10:26女性の権利に関する条文は
00:10:30女性議員らも議論に加わって
00:10:33固められていきます
00:10:34新憲法の草案は
00:10:44その年の2月
00:10:45GHQ民政局のスタッフによって書き上げられました
00:10:50男女平等に関する条項を担当したのは
00:10:57ベアテ・シロタ・ゴードンさん
00:10:59当時22歳
00:11:01ベアテさんは5歳から15歳まで
00:11:05父の仕事の関係で日本に暮らしていました
00:11:09ねっここに私
00:11:11日本の子供と一緒にね遊んでいるでしょ
00:11:14日本の子供たちと遊んでらっしゃる
00:11:17もちろん
00:11:18ベアテさんの心に強い印象を残したのは
00:11:22戦前の日本の女性たちの姿です
00:11:26家制度に縛られ
00:11:29自由に結婚ができず
00:11:32財産相続の権利もありませんでした
00:11:35戦後の日本で
00:11:42憲法の草案作りに関わることになった
00:11:45ベアテさん
00:11:46幼い頃の記憶に突き動かされます
00:11:51子供の時に好きじゃない人と
00:11:57無理に結婚するということが大変だと思った
00:12:02自分の目で見たんですよね
00:12:05女性が圧迫されて大変だったということをよくしていた
00:12:11だから私は特別に
00:12:14女性のために何かしたかった
00:12:17そういう感じだったんですね
00:12:19ベアテさんは6カ国の憲法を分析し
00:12:24女性の権利を保障する理想的な条文を目指しました
00:12:29ベアテさんの草案は
00:12:35日本国憲法第24条に生かされています
00:12:39婚姻は
00:12:44両性の合意のみに基づいて成立し
00:12:48夫婦が同等の権利を有することを基本として
00:12:53相互の協力により
00:12:56維持されなければならない
00:12:58新憲法では男女平等を謳い
00:13:07民法も改正され
00:13:08新しい家族制度となります
00:13:11本日日本国憲法を交付して占めた
00:13:16翌年に交付された労働基準法では
00:13:21戦前から問題になっていた
00:13:23女子の時間外労働を制限し
00:13:26深夜業を禁止します
00:13:28しかし
00:13:35法律で唯一
00:13:37差別を禁じたのは
00:13:38賃金のみでした
00:13:40そのため
00:13:43採用や昇進退職などには
00:13:46男女間の差別が続くことになります
00:13:491960年代
00:14:00日本は高度経済成長期に入り
00:14:04労働力不足から女性の職場進出が進みます
00:14:0855年におよそ530万人だった女性雇用者は
00:14:1765年に910万人
00:14:2170年には1100万人と増加し
00:14:2415年で2倍になりました
00:14:27職場の花ともてはやされた女性従業員
00:14:33しかし
00:14:35お茶組など
00:14:36男性の補助的業務しか任されず
00:14:39結婚までの腰掛けとして
00:14:41若いうちに退職するのが当たり前とされていました
00:14:451960年当時
00:14:48日本の女性雇用者の平均年齢は26.3歳
00:14:55平均勤続年数はわずか4年でした
00:15:03そんな現状に日本で初めて意味を唱えた
00:15:07鈴木節子さん
00:15:09当時24歳
00:15:12福島県いわき市に住む鈴木さんは
00:15:171960年地元のセメント会社に入社しました
00:15:25高度経済成長期に売り上げを伸ばしたセメント産業
00:15:30女性の応募者が殺到する人気の職場でしたが
00:15:34入社にあたってある書類にサインするよう求められます
00:15:41結婚したら退職すること
00:15:44あとは結婚しなかったら
00:15:4635歳になったら退職することですよ
00:15:50結婚しなくても35歳で辞めなくちゃう
00:15:53そういう年書っていう
00:15:56それを後から書かされたんです
00:16:01入社から3年後に結婚
00:16:04新婚旅行から帰った鈴木さんは
00:16:07いつもの通りに出社しました
00:16:102、3日もかな
00:16:14もうね、あの年書の通り
00:16:17間から鈴木さん
00:16:20来なくていいんだよって言われて
00:16:23でも1週間ぐらい経ってから
00:16:26それからの時にもう車、あの車でないの
00:16:30机を
00:16:33はい、そうです
00:16:34机を片付けられて
00:16:36いや、わっちゅう働きたいんです
00:16:41って言いましたよ
00:16:42結局ほらそれを書いたでしょっていうのが
00:16:45向こうの一つですからね
00:16:48結婚・退職制は違憲であり
00:16:55解雇は無効である
00:16:58鈴木さんは会社を相手取り裁判を起こします
00:17:02会社の労働組合がバックアップした裁判闘争に
00:17:074年の歳月を費やしました
00:17:17被告である会社側は主張します
00:17:20女子が結婚した場合においては
00:17:24家庭本位となるのが現実であって
00:17:27注意力、根気、正確性などが低下する傾向にある
00:17:34本件採用条件は
00:17:37何ら性別を理由とする
00:17:39差別的取り扱いでないばかりでなく
00:17:42合理的な制度なのである
00:17:46仕事なんかの失敗もしなかったはずです
00:17:50テキパキとやったつもりです
00:17:55自分でもいい加減なことを
00:17:59という性格でなかったから
00:18:02会社のやり方
00:18:05こちらの労働組合をバカにしている
00:18:08というような感じで
00:18:10女性をバカにしている
00:18:171966年
00:18:20一審の東京地裁で
00:18:22鈴木さんの主張が認められ
00:18:24勝訴しました
00:18:29女子労働者のみにつき
00:18:32結婚を退職自由とすることは
00:18:36性別を理由とする差別をなし
00:18:39かつ結婚の自由を制限するものである
00:18:42鈴木さんはその日のことを鮮明に覚えています
00:18:51これが判決の
00:18:56出た日?
00:18:58出た日の日比谷公園で
00:19:02私が挨拶したときの
00:19:06新聞だって一面ですからね
00:19:11こういう素晴らしい結果が裁判
00:19:18裁判長が判決を出してくれたということ自体が
00:19:25嬉しかったということですね
00:19:27鈴木さんの勝訴に励まされて
00:19:33次々と裁判が続きます
00:19:37しかし
00:19:38結婚退職制や
00:19:40女性を早くに定年にする制度は
00:19:43なかなかなくなりませんでした
00:19:50高度経済成長期
00:19:53サラリーマンの家庭が増えていきます
00:19:56夫が会社で働き
00:19:59専業主婦の妻がそれを支える
00:20:02男と女が役割を分担する生活スタイルが
00:20:06一般的になります
00:20:14そんな在り方に疑問を抱いた女性がいます
00:20:18田中光さん
00:20:21田中さんは高校を卒業後
00:20:24コピーライターとして会社に勤めましたが
00:20:278ヶ月で辞めてしまいます
00:20:31会社に行けばやっぱりね
00:20:32会社が求める女子社員像とか
00:20:38男の上役が求める
00:20:42女子社員としてね
00:20:44こう振る舞って面白くもない
00:20:46冗談に笑ったり
00:20:48エッチな話に
00:20:50バージンでもないのにバージンらしくして
00:20:52頬をあからめるふりをしたりとか
00:20:54どこにもいない女として生きているわけですよ
00:20:56やっていることは自分の意思なんだけれども
00:21:00それであるとともに
00:21:02虚しさでもあるわけですよね
00:21:04そういうふうな
00:21:06どこにもいない女としてね
00:21:08もう生きるのは嫌だっていうふうに思ってね
00:21:12リブを始めるわけです
00:21:16ウーマンリブ
00:21:21アメリカで生まれた
00:21:23新しい女性解放運動です
00:21:261970年
00:21:28ウーマンリブの波が
00:21:30日本でも起こりました
00:21:32家庭や職場で
00:21:35女らしさを求められることに不満を持った
00:21:37女子学生や会社員など
00:21:41およそ200人がデモに参加しました
00:21:48翌年から各地で開かれた
00:21:51リブ合宿
00:21:53多い時には300人もの女たちが
00:21:56全国から口コミで集まりました
00:21:593泊4日
00:22:02みんなで雑魚寝しながら
00:22:04性の悩みや社会での生きづらさなどを語り合う
00:22:10ウーマンリブは
00:22:12まず女自身が意識を変え
00:22:14ここにいる女として
00:22:16自分を肯定することを目指しました
00:22:21新聞社かなんかの人が取材に来て
00:22:24最後にね、田中さん
00:22:26お年はいくつですかって言われた時に
00:22:29私26ですって言うんですね
00:22:31だけどその時はもうすでに27だったんです
00:22:35で、私は後からすっごく落ち込んでね
00:22:39やっとね、歳なんて
00:22:44歳なんて左右されない女として
00:22:48ここにいる女として
00:22:50私は生きるんだっていう気持ちで
00:22:52立ち上がったのに
00:22:53一切でも若く見られたいっていうのはね
00:22:57なんか、何なんだこの私はって言うんでね
00:23:01すごくね、ほんと悩んだんですよ
00:23:03でもね、悩んだ果てにね
00:23:06私は思ったんですね
00:23:08あの、もし私が
00:23:11歳なんて気にしない
00:23:13毅然とした女で生きるというだけだったらば
00:23:16またまた、それはどこにもいない女として
00:23:19どこにもいない女として生きることになってしまうんだないか
00:23:23そういう私が
00:23:25あの、どこにもいない女を演じることによって
00:23:29そがれてしまった力というものを取り戻して
00:23:32それをもってね、社会的な差別とか
00:23:35えー、そういったものにぶつかっていく
00:23:39それがリブの運動だったわけです
00:23:43うん
00:23:47結婚退職制や、女の低賃金が
00:23:51男の高賃金を保証するような
00:23:55そんな馬鹿げたからくりを
00:23:57私たちのこの手で打ち破り
00:24:00産む、産まないの悩みが、悩みではなく
00:24:04生き方の選択の問題に過ぎなくなる
00:24:06メスではない、女が生きる、生きられる
00:24:12そんな社会をつくろうではないか
00:24:17ウーマンリブの思想に大きな影響を受けたという
00:24:25社会学者の上野千鶴子さん
00:24:28上野さんは、京都の大学で学んでいた24歳のとき
00:24:32田中さんの著書に出会いました
00:24:37古典ですよ、古典、ストーンと響いてくるよ
00:24:41ストーンと響いてくると思うよ、そういう女たくさんいたと思う
00:24:46だってもう、もやもや感、みんなもうばかち持ってんだもん
00:24:49本当に、同時代に
00:24:51よく言ってくれたっていう
00:24:53自分自身が問いの対象になるっていうのが、大きな発見だよね
00:24:59私は一応、大学院生だったから
00:25:03だけど、自分の専門と、それと自分が女であることっていうのは
00:25:09全く別なことだと思ってた
00:25:10だけども、自分自身を問いにしていい、謎だから
00:25:16自分が女であるってことは
00:25:18で、それを研究の対象にしていいよ、という
00:25:22目から鱗体験ですよ
00:25:24そんなこと誰も言ってくれないもん、ましてや男は言ってくれないもん
00:25:27男は、んなこと言った途端、主観的だって言ってね
00:25:30そんなもん学問じゃないっていうんだもん
00:25:31ウーマンリブの問題意識から、各地の大学で始まった女性学
00:25:40上野さんをはじめ、女という自分自身を取り巻く状況を
00:25:45変革していこうとする研究が始まります
00:25:481975年
00:26:01この年は、世界的に男女平等が進められた国際婦人年です
00:26:07メキシコで、国連の第一回世界女性会議が開かれました
00:26:12女性の地位向上を目指す、世界行動計画を採択します
00:26:19性別による伝統的な役割を変えるよう、各国に取り組みを促しました
00:26:33国際婦人年の年に、日本で論議を呼んだCMがあります
00:26:38このキャッチコピーに、疑問を感じた女性たちがいました
00:26:57このキャッチコピーに、疑問を感じた女性たちがいました
00:27:01調理実習なんかのとき、男の子が僕を食べる人とか、あなたを作る人とか
00:27:08ということも出たということで、だから、生徒たちもだいぶそういうことをすぐ敏感に感じ取って
00:27:14私たちがいたことに、性別や変わり分量がおかしいじゃないかということなんですけど
00:27:20やっぱり、子として生きて、子として生きて、また豊かな様々な関係を作ればいいわけですけど
00:27:25やっぱり、男はご飯もできないから、妻にくっついてなくちゃいけない、妻は経済力がないから、夫にくっついてはいけない、そういう自立を阻んでるっていうような
00:27:43このCMは、男女の役割分業を固定化するため、重視してほしい
00:27:51企業に異議申し立てを行うことにしました
00:27:55私たちは、男女共に働く権利があり、男女共に家庭責任があるという考え方をしております
00:28:02そのために、日本社会に伝統的にある男は仕事、女は家庭、家事、育児という役割分業を改める必要を痛感しております
00:28:12しかるに記者のテレビコマーシャル、女性が私作る人、男性が僕食べる人という内容は
00:28:19食事作りはいつも女性の仕事という印象を与えますし、国際婦人年の唱える趣旨にも反するものです
00:28:28不買運動も実さないという女たち、1か月後、このCMの放送は中止されます
00:28:371973年のオイルショック
00:28:49異常な物価の値上がりと物不足に襲われます
00:28:54景気が低迷する中、女子学生には特に厳しい就職状況が続いていました
00:29:07どうして女には職がないのか、声を上げた若い女性たちがいます
00:29:14岡部玲子さん、当時22歳
00:29:23現在、弁護士として働く岡部さん
00:29:27就職活動をしていた時、それまで感じたことのない男女差別に直面したといいます
00:29:33男子学生には白の求人票、女子学生にはピンクの求人票を貼るということだったのですが、一面の掲示板が一面に真っ白ですね
00:29:46大体大学、ゼミでも、あるいはサークルでも、女子がイニシエチブをとっているところがすごく多かったのです
00:29:53だから、どっちかというと、自分たちが男子学生の面倒見をしてやる立場だと思っていたら、そしたら、今日から一転、就職エリート、就職難民の格差が断崖のようについてしまったというのは、やっぱりそれもショックではあったのです
00:30:13岡部さんたちは、女子学生の採用差別に抗議する日本初のハンストを行いました
00:30:23マスクをつけているのは、現役女子学生です
00:30:27差別撤廃の署名を集めました
00:30:32安定した企業に勤めるためには、上には逆らわない、男には逆らわない、かわいい女でなければ、どっちみし就職はできないという、そういう雰囲気がある時代であったので
00:30:50だから、自分らを雇ってくれないことに抗議をしてアンストをするのということが分かったんですね
00:30:58ただでさえ就職できないものが、そもそも就職できなかった、それが直接の経緯ですよね
00:31:04国際婦人年から4年後の1979年、国連で歴史的な条約が採択されました。
00:31:34女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約
00:31:41いわゆる、女子差別撤廃条約です
00:31:45国連の総会に政府代表として参加していた、労働省の赤松涼子さん
00:31:55日本に与える影響の大きさを感じていました
00:31:58条約を批准するには、男女の雇用を平等にする法律を作らなければならなかったのです
00:32:07あらゆる形態の女子に対する差別を撤廃した
00:32:14あらゆるってのすごいと思った
00:32:16で、その中ででも、あらゆるの中で一番難しいのは雇用だとも思った
00:32:25そんなに簡単に解決できると思うのは、つまり法律を通せると思うのは、その時点で
00:32:35あのー、からよいなこっちゃありませんぜと
00:32:39翌年の条約署名式に向けて、女性たちが動き出します
00:32:46市川夫妻の呼びかけで、41の婦人団体が連帯し
00:32:52国際婦人年連絡会が結成されました
00:32:56女子差別撤廃条約の署名をきっかけに、日本の男女平等を進めようとします
00:33:05条約署名の1ヶ月前、新聞の一面にスクープ記事が出ました
00:33:16国内法改正のめどが立たず、外務省が署名を見送ることにしたというのです
00:33:23市川夫妻と国際婦人年連絡会が即座に動きます
00:33:34外務省に署名をするよう、申し入れを行いました
00:33:39応対したのは、かやはるのり国連局長です
00:33:45このような条約は、とにかく女たちの希望なので
00:33:53早く批准の道をつけてくれ
00:33:56政府の方は思い越しを持ち上げないって言うけど
00:33:59これやらなかったら、恥かきますよ
00:34:02もう、みんなも言ったわよ、言ってる人たちも
00:34:05あの頃、母さん、母さん、暑かったのがね
00:34:08もう汗だくだくね、背広着て
00:34:11女ってすごいなと思ったのかもしれませんけど
00:34:14こっちも真剣ですよね
00:34:15日本政府が条約の署名を閣議決定したのは
00:34:20式典の2日前でした
00:34:23在デンマーク大使の高橋信子が署名します
00:34:31この時、大きな使命感を抱いたのが赤松さんです
00:34:36条約の批准に必要な
00:34:40後の男女雇用機会均等法に関わることになります
00:34:44世の中はやっぱりグッと動きますぜって思った
00:34:51高橋さんはそういう話もしたと思う
00:34:55コペンハウレンでね
00:34:57まだだいぶ先だからねとみんな思った
00:35:01その当時の人は
00:35:02だから私はそうはいかないの
00:35:05私のもう人気中にやらなきゃ
00:35:08考えようによってはすごい貧乏事かもしれないけど
00:35:15考えようによってはすごいグッドチャンスなわけ
00:35:19女子差別撤破条約に署名した日本
00:35:271985年までに批准することになっていました
00:35:30そのためには後の男女雇用機会均等法を作ることを
00:35:37求められていたのです
00:35:38当時非公開で行われていた審議会
00:35:43法案成立まで追いかけた番組があります
00:35:47審議会がようやく具体的な論議に入ろうとしていた
00:35:53おととしの春
00:35:54赤松局長にとって
00:35:56思いもかけない動きが耳に入った
00:35:58日経連が法律を作ること自体に反対する声明文を
00:36:12密かに用意していたのである
00:36:19ここには初めから法律作りに消極的な財界の意向が
00:36:24はっきりと書き込まれていた
00:36:36経営者側の揺さぶりに対して
00:36:38赤松局長は直ちに説得工作を始めた
00:36:43赤松さんは条約を批准するため
00:36:50日経連の有力者を説得します
00:36:53先進国である日本は
00:36:59これだけの経済発展をしているのに
00:37:02この条約法は批准国になれないというのは
00:37:06非常に恥ずかしいことなんだと
00:37:08そんなことでは日本という国は
00:37:14要するに女性を差別して
00:37:16女性を搾取して
00:37:18そして経済発展を進めているんだと
00:37:22そういう悪名が世界的に広まったのでは
00:37:26やっぱり日本としてはとても良くない
00:37:29日本の企業として
00:37:30ちょっとやっぱり恥ずかしいんじゃないでしょうか
00:37:33というふうに言うと
00:37:36やっぱり日本の代表的な企業の対象というのは
00:37:41その理屈はとてもよく分かる
00:37:44男女雇用機会均等法の審議会
00:37:48労働者側、使用者側
00:37:52そして中立な立場の公益代表
00:37:55計9人の委員が59回にわたって議論しました
00:38:00使用者側の日経連は
00:38:06均等法の制定には同意しましたが
00:38:08罰則規定は望んでいませんでした
00:38:14できる限り軟着陸というか時間をかけて
00:38:17全然それをやらないというのは変わっちゃったわけだから
00:38:21やるという方向になっているんだから
00:38:23できる限り時間をかけて軟着陸しようという姿勢になっている
00:38:27時間稼ぎの期間をできる限り長く取ろうと
00:38:32向こうは実行のある法律とか何とか言っているけど
00:38:38実行が上がっちゃ困るねこれは
00:38:40はっきり言って実行の上がらないものをまず作ってもらわないよね
00:38:44労働者の代表として委員を務めていた山野和子さん
00:38:50募集採用から定年退職まで
00:38:55雇用のすべての段階において
00:38:57男女差別をなくす法律を目指していました
00:39:00理由なんかないわけでしょ
00:39:05言ったら差別しちゃいかんということの理由があるわけですか
00:39:07理由がないわけでしょ
00:39:10しかも目標は婦人差別撤廃条約の批准なんですから
00:39:13差別しちゃいかんというのは
00:39:15例えば罰則をどうするかというのはその次の問題であって
00:39:19まずはじめはね
00:39:20差別をしてはいけないということがですね
00:39:23私は当たり前の常識ですよこれはもう
00:39:26労働者側使用者側の主張が平行線をたどっていた
00:39:331984年2月
00:39:36両者の妥協点を探る叩き台として
00:39:40一つの試案が公益委員から示されました
00:39:43この試案では労働者側が強く求めていた
00:39:49募集採用での男女平等については
00:39:52企業の努力に委ねるだけにとどめました
00:39:55しかし採用後の配置昇進や定年退職については
00:40:03女性差別の禁止をはっきりと打ち出していました
00:40:06当時中小企業団体の代表として
00:40:14審議会の使用者側委員になっていた山本進さん
00:40:19昇進や退職において女性差別を禁止するのは
00:40:24時期尚早と考えていました
00:40:29多くの方は結婚で退社されるということが多かったと思うんですよね
00:40:38だからそういうふうな中で一生定年まで過ごす男性と
00:40:45どこでどういうふうに区別するかというところあたりは
00:40:54経営者の悩みだったと思うんですよね
00:40:56当然その企業の目的に沿って働く人をね
00:41:06得たいわけですし育てていきたいわけですから
00:41:11それをね罰則継ぎでそれはね
00:41:16それは禁止だって言われたってね
00:41:20経営はやっていけませんよね
00:41:22っていうところでしょうねその意識としてはね
00:41:24働く女性たちの中には
00:41:29公益委員の試案は男女平等というにはほど遠いとして
00:41:34労働省の前で抗議するグループも現れました
00:41:38ハンストに参加した岡部玲子さん
00:41:46理想的な平等法を求めていた岡部さんは
00:41:51試案の内容に失望したといいます
00:41:53同一労働同一賃金って言葉がありますよね
00:42:00もうその原則にすべきだっていうのが
00:42:02私たちの考えたこうですね
00:42:04あの平等法の考えですよね
00:42:07同じ労働をしてたら同じように対応し
00:42:10研修の機会も世界昇進の機会も
00:42:12あの同一に対応し
00:42:15それがこう基本ですね
00:42:18女子には女子の仕事があるというですね
00:42:21当然の会社での常識通電であるとかですね
00:42:26そこを突破できなければしょうがないところだったんで
00:42:29もちろん採用の場面もそうですよね
00:42:31そこが努力義務で何になるのだというのが
00:42:34まじってるんですよね
00:42:35労使の意見が対立する中
00:42:40労働省婦人少年局では
00:42:42意見を調整しながら
00:42:45法案を作らなければなりませんでした
00:42:47赤松さんは苦渋の選択を迫られます
00:42:54全ての段階での差別を
00:43:03ちゃんと禁止規定として書くっていうのは
00:43:06私のしたいことだった
00:43:08だけどそんなことをしたらとんでもないって
00:43:11財界の方からの企業側の方からのものすごい反対があるから
00:43:17妥協を平等に扱うように努めなければならないって
00:43:25いわゆる奴隷不義務規定ですね
00:43:27奴隷不義務規定に和らげた
00:43:31反発した山野さんたちは
00:43:47労働省案について納得できる修正がない限り
00:43:52審議会には出ないと言い出します
00:43:55審議会は労使いずれかが拒否すれば先へは進めず
00:43:59国会への法案提出に間に合わなくなってしまいます
00:44:03もうギリギリの瀬戸際になってて
00:44:09審議会がストップって言うんじゃ
00:44:11私ももうね
00:44:12この職にとどまれないから
00:44:16やめましょうねと思って
00:44:19辞報を書こうとして
00:44:22そして山野さんが労働省の中のね
00:44:26ある部屋にいるよということが分かって
00:44:30じゃあって言って連絡がついた
00:44:33山野さんってのもよく分かっている人なんです
00:44:36それでね
00:44:36この条約はやっぱ批准するってことが
00:44:40とても大事だってことだけは
00:44:44彼女はね認識してたんです
00:44:47で、そのためにやっぱり
00:44:52だいぶ譲らなきゃいけないなと
00:44:55思ってた
00:44:56だけど
00:44:57そんな安々と譲れるもんか
00:45:01山野さんたちは
00:45:04結局反対を表明しながらも
00:45:07審議会に出席しました
00:45:09法案が国会に上呈されます
00:45:18教育訓練
00:45:20福利厚生
00:45:22定年
00:45:23退職
00:45:24解雇については
00:45:25差別が禁止されました
00:45:27募集および採用
00:45:32配置および昇進について
00:45:34女子労働者に対して
00:45:37男子労働者と均等な取り扱いを
00:45:39するように努めなければならない
00:45:42上庭から1年後の1985年
00:45:54男女雇用機会均等法が成立しました
00:45:59こうあるべきだって自分で思ってたものとは違ってましたよね
00:46:07だからあの表情はその表情よね
00:46:13もうちょっとマシなものしたかったなっていう表情じゃないですか
00:46:19あのぐらいの大法案を通すってのはなかなかやっぱり良いじゃない
00:46:24ウルトラシーなんだからさ
00:46:26あのウルトラシーのできるのはいつのことだか
00:46:32それちょっとね
00:46:33何年待てばいいんだか
00:46:36均等法が施行され
00:46:49男性と同じように働く女性総合職の第1期生が登場しました
00:46:55本日4月1日から
00:47:00いわゆる男女雇用機会均等法
00:47:04この法律が施行されます
00:47:07皆さん方の中から
00:47:08こちらの役員席に座る女性が
00:47:13いつか現れることを期待しています
00:47:16均等法によって
00:47:20結婚退職制や
00:47:21女子の若年定年制は禁止されました
00:47:25しかし
00:47:28採用や昇進などにおける平等は
00:47:31努力義務だったため
00:47:33職場では多くの問題が残りました
00:47:361987年
00:47:46昇進についての差別に
00:47:49大きな不満を抱く女性たちが現れます
00:47:52東京の信用金庫に勤めていた
00:47:55笹本美園さんと濱田邦子さんです
00:47:59当時2人が勤める信用金庫では
00:48:06男性職員のほとんどが
00:48:09係長や課長に昇進していましたが
00:48:11女性は主事の資格を得ても
00:48:15底止まりで
00:48:16大きな賃金の格差が生まれていました
00:48:19例えば隣同士で同じ仕事している男性と
00:48:25そんなに違うのかしらっていう思いがすごくあって
00:48:31だからその差が
00:48:32仕事にそんなに差がないのに
00:48:35賃金の差ができていっちゃうっていうのが
00:48:37なんとも悔しい
00:48:40すごくそんな風に思いましたよね
00:48:43でねみんな上司になっちゃうの
00:48:46それが嫌でしたよね
00:48:48原告13人が集まり
00:48:51女性が昇進を求める日本初の裁判を起こします
00:48:56不当に昇進昇格させないのは差別であるとして
00:49:01差額賃金など1億円を求めました
00:49:05裁判に当たって手作りした資料です
00:49:11同期の男性職員が
00:49:14いつどのように昇格したか調べました
00:49:18下は昇格四角ということで
00:49:24このピンクというのは本当に平なんですね
00:49:28私たち定年になるまで職位ついたことないので
00:49:34ずっとこの時点で調べた時点でもずっとピンクだっけ
00:49:37他の人を見るとこのブルーが昇格
00:49:41私たちが求めている四角の昇格なんですが
00:49:44何年か前に大体同じぐらいの時期に
00:49:47みんな昇格しているのがこれで本当にはっきり分かった
00:49:51これは金庫側の人にたまたま私と同期
00:49:54同級4年齢の人が証言に
00:49:59この人なんですけど
00:50:00立った時に年間どのくらいの差がありますか
00:50:04って聞いた時に500万
00:50:07そんなもんだと思いますとちゃんと証言しましたから
00:50:10それは実態としてそのくらいの差があるわけで
00:50:15それが何年も積み重ねたらすごい金額ですよね
00:50:19金庫側は主張します
00:50:22金庫における昇格は昇格試験制度によって行われており
00:50:31その昇格試験制度は男女の性別によって何ら差別はない
00:50:37原告側は女性に不利な研修システムの問題点を指摘します
00:50:45配置が女性は最初から入職時点でジムに配置されて
00:50:54男性はとりあえずジムに入って
00:50:57それからまず営業に行って
00:50:59有志に来てっていうローテーションが男性の場合でできてて
00:51:03そのローテーションに伴う仕事配置による研修が
00:51:09試験の内容とちょうどリンクしてるっていうことで
00:51:13これだけの差があるからやっぱり不試験には不利なんじゃないか
00:51:19昇格試験には絶対に受からない仕組みに
00:51:23金庫の人事制度がなってるんだということを主張しましたね
00:51:28提訴から9年後の1996年
00:51:33一審判決では原告側が勝訴しました
00:51:37男性については年功的要素を加味した人事政策によって
00:51:45ほぼ全員が課長職に昇格した
00:51:48女性に対しては適応せず
00:51:51この拉致外に置くという人事政策を成してきたのであるから
00:51:56現行法秩序の上からも許されることではない
00:52:00しかし金庫側は控訴します
00:52:06翌1997年には男女雇用機会均等法が改正されました
00:52:16それまで企業の努力義務であった
00:52:20募集採用や配置昇進の差別が禁止規定となり
00:52:25男女平等が大きく前進したのです
00:52:28こうした中金庫側は
00:52:35翌年からコース別人事制度を導入しました
00:52:39上司の命令に従って事務を担当し
00:52:44昇格に制限がある一般職と
00:52:46昇格に制限がない代わりに
00:52:50営業や融資受付にも配置される総合職です
00:52:54原告たちは総合職を希望します
00:53:00女性総合職のうち4人が
00:53:03営業担当を命じられます
00:53:05当時50歳の濱田さんは
00:53:09十分な研修もないまま
00:53:11外回りを始めました
00:53:121年くらい経って体がきつくてきつくて
00:53:18いつもここで体1時間揉んでもらって帰ったの
00:53:22この穴倉さんで
00:53:24こんな50も過ぎた
00:53:29突然おばさんが突然割り振られて
00:53:32一応私たちもとてもこの転勤は
00:53:36消費できないということで
00:53:37理義申し立てをしたけれども
00:53:38移動というのは私たちが拒否すれば
00:53:42首切りの理由になるので
00:53:44とにかく行って
00:53:454人のうち1人はすぐに心身症になって
00:53:50本当に職場に行かれなくなって
00:53:54浜田さんたち4人は
00:53:59総合職を辞めて一般職になりました
00:54:02日本で初めて
00:54:09昇進を求める裁判を起こした
00:54:1113人の女性たち
00:54:1415年にわたる戦いの末
00:54:17最高裁で信用金庫と和解しました
00:54:21差額賃金およそ2億円が支払われ
00:54:26全員が同期の男性と
00:54:29同じ時期に課長職に昇格したと
00:54:32認められました
00:54:33浜田さんはその後
00:54:386年間勤めて退職しました
00:54:40私たちが解決した後に
00:54:46金庫は非正規というか
00:54:49いわゆる派遣社員を入れて
00:54:50その後
00:54:52特に事務の人数を減らして
00:54:55今の世の中の流れが
00:54:57どんどん入ってきたということだと思って
00:55:00派遣が入ったり
00:55:01一般職総合職で
00:55:02一般職総合職の賃金格差が開いたり
00:55:06買った後に賃金がどんどん下がったという
00:55:10現実もあったし
00:55:11そういう意味では
00:55:14また新たな課題がたくさん入ってきたので
00:55:18一概に楽しい残り生活というわけではなかったです
00:55:23男女雇用機会均等法には
00:55:30その後の社会の中で
00:55:32新しく提起された問題を防止する条文が
00:55:35盛り込まれていきます
00:55:37その一つが
00:55:41セクシャルハラスメント
00:55:43セクハラです
00:55:451989年
00:55:53日本で初めて
00:55:54セクハラを理由とする裁判を
00:55:57福岡の出版社に勤務していた女性が起こします
00:56:00現在は地域情報誌の編集長として
00:56:08会社を経営している
00:56:09春野真由美さん
00:56:1030歳の時
00:56:13早く帰宅する上司の代わりに
00:56:16長時間労働を繰り返していました
00:56:18その上司から
00:56:21性的な悪評を立てられてしまいます
00:56:24明らかに仕事量が
00:56:29かなりのボリュームになっているのに
00:56:32給料の上では3倍の開きがある
00:56:35それを後から本社の方から執行してきた
00:56:39上司が係長がそれを見て
00:56:42これはちょっとアンバランスだろうと
00:56:44なんとか春野君の給料を上げてやらないといけないということで
00:56:51確か2万ほどアップさせてくれたんですね
00:56:56そうなるとまたさらに今度は
00:56:59そうしてくれた係長と私が
00:57:02そういう男女の中であるということは
00:57:04また外に
00:57:06不意調されてしまっていた
00:57:08私がいかに不死だろうな女か
00:57:11いかにルーズな男性関係を持っているのかとか
00:57:16そういったことを専務に吹き込んでいた
00:57:20春野さんはこうした言動に抗議しましたが
00:57:25状況が変わらないため
00:57:27会社の助走部に訴えます
00:57:29しかし会社は逆に上司を守って
00:57:33春野さんを遺願退職させました
00:57:36仕事で評価してもらおうと思って頑張っても
00:57:43全く違う性的な部分での噂を不意調されて
00:57:48その救済を求めたら
00:57:50女のくせに会社のトップに直送してきて
00:57:54ということで生意気だと
00:57:58噂を立てた方は
00:58:032日間の禁止んだけれども
00:58:06立てられた方は即日開校で
00:58:08明日からあの収入は全く保証されなくなってしまって
00:58:12それでもやっぱり最後の話をした時に
00:58:16専務から言われたのは
00:58:18君は確かに仕事は有能だと
00:58:21よくできる
00:58:21よく頑張ると
00:58:22だけど男を立てるということを知らない
00:58:25だから次の職場に行ったら
00:58:28もっと男を立てることを学べと
00:58:30いうふうに悟されて
00:58:31なんで被害者が
00:58:34そこまで折れなきゃいけないのか
00:58:36上司を名誉毀損で訴えられないか
00:58:41春野さんは弁護士や調停員を訪ねますが
00:58:46解決の糸口はなかなか見つかりませんでした
00:58:49ようやく出会った女性弁護士のアドバイスで
00:58:54支援者を集めることになります
00:58:57知人を中心にアンケートを取りました
00:59:03寄せられた声には
00:59:08性的接触を受けたり
00:59:11生意気と言われたり
00:59:15数々の悩みがありました
00:59:17挨拶代わりに
00:59:24胸を触られる
00:59:25お尻を触られる
00:59:27女性としての
00:59:29肉体的な特徴を揶揄される
00:59:33そういう被害が
00:59:35みんなやっぱり返ってきて
00:59:37これは本当に私だけじゃないなと
00:59:39みんなやっぱりそれを
00:59:42我慢している
00:59:43しかもやっぱり性的嫌がらせ
00:59:46セクシャルハラスメントという言葉がないから
00:59:49ないからなかったものにされてしまっている
00:59:52だから私が今から訴えようとしていることは
00:59:56前代未聞でも何でもなくて
00:59:59むしろみんなが我慢してきたことを
01:00:02もうこれ以上我慢しない
01:00:04する必要なんかないということを訴える
01:00:08そういう気持ちになっていった
01:00:11春野さんを支援する女性グループが結集し
01:00:17女性弁護士だけの弁護団も組織され
01:00:20日本初のセクハラ裁判が提訴されました
01:00:24全国から傍聴権を求める人々が集まる
01:00:33注目の裁判となります
01:00:34自分の職場ではなくても
01:00:45周りの人たちがそういう目にあってたりとか
01:00:48身近な問題ですからちょっとお話聞いてみたいな
01:00:52っていう気がして
01:00:53被告となった会社側は管理責任を否定します
01:00:58セクシュアルハラスメントは
01:01:02法的判断基準としては熟するところとなっておらず
01:01:06また会社が性的風評に立ち入ることは
01:01:10かえってプライバシーに介入するとの
01:01:13阻止にすら免れまい
01:01:14春野さんは実名を明かさず
01:01:19匿名の原告A子として裁判に臨みます
01:01:23どういう女性なのか
01:01:53それとセクシュアルハラスメントっていうのが
01:01:57男女の対立構造
01:01:59そういう対立構造があるから
01:02:03こういう問題があるんだみたいな
01:02:05言われ方をしたんですけども
01:02:07でも私は対立構造だと思いたくなかった
01:02:13そういうものにしたくない
01:02:15むしろ逆
01:02:16その差を埋めたい
01:02:18男女が対立するんではなくて
01:02:20男女が理解し合うためにも
01:02:23まず私たちはこれが嫌なのと
01:02:26それを分かってほしいと
01:02:27そうすることによって
01:02:29男性がそれを理解してくれることによって
01:02:32男女の間に断る対立っていうのも
01:02:36おそらく小さくはなっていくんじゃないかと
01:02:413年間の裁判を経て
01:02:451992年に判決が出ました
01:02:48被告である上司の行為は
01:02:53働きやすい職場環境を害した
01:02:56不法行為であるとして
01:02:57賠償責任を認めました
01:03:005年後に改正された
01:03:07男女雇用機会均等法には
01:03:10セクハラの防止規定が盛り込まれます
01:03:13事業主は
01:03:16当該性的な言動により
01:03:20当該女性労働者の就業環境が
01:03:23害されることのないよう
01:03:24雇用管理上必要な配慮をしなければならない
01:03:29働く女性たちの大きな悩みは
01:03:39子供が生まれたときにどうするかということです
01:03:42均等法では
01:03:44女性労働者の育児休業については
01:03:47企業の努力義務になっていました
01:03:501980年代
01:03:53育児休業の制度が整っていない会社が
01:03:56ほとんどでした
01:03:58女性は
01:04:02結婚・出産期に退職するため
01:04:05その労働力率は
01:04:07一旦低下します
01:04:09育児が落ち着いた時期に
01:04:12パートなどで働くことで
01:04:14再び上昇していました
01:04:15このM字カーブは
01:04:18戦後を通じて
01:04:20女性労働力の特徴となっています
01:04:221987年
01:04:27働きながら子育てをする問題について
01:04:31論争が起こりました
01:04:32アグネス・ロンソー
01:04:38第一子を出産したタレントのアグネス・チャンさんが
01:04:43テレビ局や講演会場に
01:04:46子連れで出勤します
01:04:47その是非をめぐって
01:04:49様々な論争が繰り広げられました
01:04:52アグネスさんは
01:04:59当時33歳
01:05:00職場に託児書を作ってほしいと発言し
01:05:05育児をしながら働く女性の一人として
01:05:08国会でも意見を述べました
01:05:11私は香港人のせいか
01:05:18結婚して子供が生まれても
01:05:20働くのは当たり前と考えていました
01:05:23人に預けっぱなしにしたくないので
01:05:27考えた末に
01:05:29子連れ仕事が始まったのです
01:05:30自分の子供を職場に抱えていって
01:05:37仕事の合間におっぱいを与え
01:05:40また自分の席に戻ってくるというのは
01:05:43働く人間としての自負心が許さない
01:05:46それはあまりにも
01:05:50余ったれた夢物語だと思う
01:05:54社会学者の上野千鶴子さんも
01:06:00論争に参入しました
01:06:01一体男たちが
01:06:07子連れ出勤せずに住んでいるのは
01:06:09誰のおかげであろうか
01:06:11働く父親も働く母親も
01:06:16あたかも子供がないかのように
01:06:19職業人の顔でやり過ごす
01:06:21その背後で
01:06:24子育てがただでは済まないことを
01:06:27アグネスさんの子連れ出勤は
01:06:29目に見えるものにしてくれた
01:06:31仕事をしようと思ったら
01:06:37それこそ私のようにお一人様で
01:06:40結婚しないか結婚しても
01:06:42出産しないかという選択しかないという
01:06:44とんでもない時代だったからね
01:06:46働く女が子供を育てようと思ったら
01:06:50ルール破りをするしかなかったって言ったの
01:06:53ルール破りを横髪破りって書いたのね
01:06:56でなぜかというと
01:06:57従来通りのルールに従ってたら
01:07:00手も足も出ない
01:07:01もう男仕立てのルールなんだから
01:07:03だとしたらルール破りをやるっていうのは
01:07:06新しいルールを作るってことなのよ
01:07:09職場に子供を連れてきてもいいとかね
01:07:11職場託児証を作るとかね
01:07:14だから新しいルールを作るためには
01:07:16前のルール破るしかないのよ
01:07:18老僧の直後
01:07:211989年
01:07:24出生率が戦後最低の1.57を記録し
01:07:271.57ショックと言われました
01:07:30右肩上がりの時代が終わり
01:07:36少子化による未来の労働力不足が予測されます
01:07:41民間調査機関の研究報告は
01:07:4710年後の出生数が
01:07:50さらに15万人減少すると予想し
01:07:53日本経済の危機を警告しました
01:07:56経済的負担や
01:08:00仕事と家庭の両立の難しさが原因として挙げられ
01:08:04政府や財界も危機感を抱きます
01:08:08こうした少子化の予測もきっかけとなり
01:08:191994年
01:08:20総理直属の審議会が発足します
01:08:24男女共同参画審議会です
01:08:2821世紀に向けた女性政策について
01:08:32検討が始まりました
01:08:34審議会の委員だった古橋玄六郎さん
01:08:40大倉官僚も務めた古橋さんは
01:08:44経済成長のためにも
01:08:46男女共同参画社会が必要だと訴えました
01:08:49女性というのは
01:08:54働きたいと希望しながらも
01:08:58出産の年齢になってくると
01:09:03いわゆるまたはらみたいな話があるんですよ
01:09:07そういうようなこともあって
01:09:09労働力の生産から落ちてきて
01:09:12労働力率が落ちちゃうんですよ
01:09:15それはおかしいじゃない
01:09:16希望がありながらね
01:09:17少子高齢化
01:09:19そしてその少子高齢化のために
01:09:22経済成長
01:09:23経済成長のためには
01:09:25女性の活動が参画が必要
01:09:29女性の参画が必要になるためには
01:09:31女性が働きやすい環境を
01:09:35ちゃんと作らなきゃいけない
01:09:35そういうことが男女共同参画ですから
01:09:38そういう経済的な理由で私は言ったんです
01:09:40ずっと長い市会再生よりもっと前から
01:09:43ずっと男女病棟を言い捨ててきた
01:09:46それはなぜできないんだろうかと
01:09:48そうすると男性優位の社会
01:09:50荒いところに男性がみなりいるでしょ
01:09:54その人たちを説得したい限り
01:09:57この男女病棟は実質的な男女病棟は実現できないんですよ
01:10:03そのためには
01:10:05男性がこの男女共同参画を推進することによって
01:10:11利益を得ると
01:10:12あるいはもしそれを推進しないと
01:10:15国家的損失になるよということを理解しないといけないと
01:10:18当時東京大学女教授の大沢麻里さんも
01:10:23審議会の専門委員でした
01:10:25男女共同参画とは
01:10:29女性が意思決定の場に参加することを目指すものだといいます
01:10:33共同参画の意味というのは
01:10:38それまで女性の社会参加ということが言われてきたんですけれども
01:10:43ともすれば下働きで動員されるだけで
01:10:47大事なこと
01:10:48お金の配分とか
01:10:49ポストの配分とかが決められる大事な場には
01:10:53女はいなかった
01:10:54なのでそういう場所にもやっぱり
01:10:57加わって発言していくんだというのが
01:11:00共同参画ということの意味なんですね
01:11:04じゃあ男は男で自分の両分取られるのかというと
01:11:08そうではなくて
01:11:09男もやはり男は各あるべしというような
01:11:13決められたパターンの中で
01:11:16そしてとても序列の中で生きてきて不自由である
01:11:20そうではなくて
01:11:21もっと自分の個性に基づいて
01:11:23自由に参加参画していけるという意味で
01:11:26男性にとっても今までよりも高い次元
01:11:30質の良い次元で
01:11:32社会参加していけるということを目指した
01:11:35翌1995年
01:11:40女性の社会進出を促す世界会議が
01:11:44北京で開かれます
01:11:46第4回世界女性会議です
01:11:50190カ国
01:11:5248,000人が参加し
01:11:55国連の女性会議の歴史上最大の会議となりました
01:11:592000年に向けて
01:12:04各国が取り組むべき行動綱領が採択されます
01:12:08その柱が
01:12:13女性のエンパワーメント
01:12:15社会のあらゆる分野に
01:12:18女性が権力と責任を分担して
01:12:21積極的に参加することを目指しました
01:12:24この会議に政府代表の一人として参加していた
01:12:33堂本昭子さん
01:12:35北京行動綱領に盛り込まれた
01:12:38女性のエンパワーメントに期待をかけます
01:12:42女性たちが本当に自分の要望とか
01:12:51自分の主張とかそういうことが言える
01:12:55そういった社会が必要なんだということで
01:12:58エンパワーメントという形で表現され
01:13:02そこで相当大きな価値の転換があったと思います
01:13:07問題は北京を持ち帰って
01:13:10後の日本の政治がどうそれを捉え
01:13:15そして日本の法律に反映できるかということが
01:13:19大きなテーマでした
01:13:20当時自民党と社民党
01:13:26そして新党先駆けの自社差連立政権でした
01:13:30先駆けの参議院議員だった堂本さんは
01:13:35北京から帰国後
01:13:37連立政権の与党政策調整会議に出席しますが
01:13:42メンバーに女性議員は一人しかいませんでした
01:13:46北京高度綱領の国内法への反映させる
01:13:53ということの政策が
01:13:55協議することの一つとして入っていたわけです
01:13:59そうしたらば
01:14:01え、これ何?北京って
01:14:06これいらないね
01:14:07これ何だか分からないけど
01:14:08もうすっごくあっさりね
01:14:11みんな全員でね
01:14:13もう自民も社民も先駆けも
01:14:16男性議員が全部でこれはいらないやっていうの
01:14:19もう今でもその時のことは
01:14:21もう本当に鮮烈に覚えてるんですね
01:14:23え、これをやらない
01:14:25冗談じゃないと思ったのね
01:14:27で、とんでもない
01:14:28それはこの間開かれた北京会議で
01:14:32日本が採択したことで
01:14:34これは国際的な約束事だから
01:14:37日本はやらなきゃいけないんですって言った
01:14:391996年
01:14:42古橋さんや大沢さんら審議会の委員によって
01:14:47男女共同参画社会基本法の必要性が提案されました
01:14:52政策方針決定過程において
01:14:56女性が男性と平等に参画することを求めます
01:15:00新党先駆けの代表となった堂本さんは
01:15:08この男女共同参画の実現に向けて動き出します
01:15:13自民党の橋本首相
01:15:17社民党の土井高子党首
01:15:20そして堂本さん
01:15:22連立政権のトップのうち2人が女性でした
01:15:26先駆けが提案した
01:15:31男女共同参画社会基本法の実現が
01:15:35三党合意で確認されました
01:15:38何としてもこれは妥協できないし
01:15:46三党合意としてこの政権でやるんだということで
01:15:50もうここはなんか体を張って
01:15:53この時はまさにもうやるっていう覚悟で臨んでいた
01:15:57たまたま2人の女性党首がいる時にやらなかったら
01:16:01いつこの日本という国でできるか
01:16:03ということだけは確かだったと思います
01:16:05それと自民党もそれを受け入れる体制にあった
01:16:09それでやっぱり変革を
01:16:12その時代が求めているというような時だったんで
01:16:15で割に三党で十分に話し合って
01:16:20その方向性を大事にしようという時が
01:16:22時だったということは言えると思うんですね
01:16:241999年に施行された
01:16:30男女共同参画社会基本法
01:16:33その前文には次のように記されています
01:16:37男女が互いにその人権を尊重しつつ
01:16:43責任も分かち合い
01:16:46性別に関わりなく
01:16:47その個性と能力を十分に発揮することができる
01:16:51男女共同参画社会の実現は
01:16:55金融な課題となっている
01:16:57基本法の制定によって
01:17:06各都道府県や市町村でも
01:17:08男女共同参画条例が作られ
01:17:11様々な施策を推進していきました
01:17:14ドメスティックバイオリンスを防止する法律や
01:17:25少子化対策基本法なども制定され
01:17:28女性が子供を産み育てやすい社会を目指します
01:17:41しかしバブル崩壊以降の1990年代
01:17:47雇用の場で新たな問題が生まれていました
01:17:51非正規労働者が急速に増えてきたのです
01:17:56去年マタニティハラスメント対策ネットワークを
01:18:03立ち上げた大阪部紗友香さん
01:18:06月に1、2回被害者が交流できる会を行っています
01:18:12マタハラを受けた女性の数は
01:18:16非正規の人が正規雇用者の2倍に上ります
01:18:19上司から衝撃的なことを言われて
01:18:23それがですね
01:18:24いや俺だったら
01:18:26俺の稼ぎだけで妻を壊せる覚悟で
01:18:29妻を妊娠させるよとか言われてですね
01:18:31なんだそれみたいな
01:18:33なんか女は働くなってまず一つ言ってるって言われた
01:18:37ところで巻き辻るところと
01:18:39あとなんか妊娠させるって言葉って
01:18:41そもそも女性はなんだと思ってるんだっていうところで
01:18:44結婚して続けるつもりだったんですけど
01:18:46その時の上司が女性はね家庭に入ってね
01:18:51子育てるね
01:18:52しかもご主人をサポートした方がいいんだよって
01:18:55とうとうと言われて
01:18:56言ってくれてる上司も悪気全くなくて
01:19:00価値観ってやっぱりこう
01:19:04ちっちゃい頃から植え付けられてるものなので
01:19:07そんなすぐに変えようと思っても
01:19:08人ってやっぱり変われないから
01:19:10やっぱりこういう風に社会で
01:19:12今はこうなんだよこうなんだよっていう
01:19:14そういう雰囲気を流してくれると
01:19:17やっぱりすごくやりやすくなっていくんだろうなって
01:19:20思いますよね
01:19:21また払ってやっぱり働き方の違いに対する
01:19:25最初のハラスメントなんです
01:19:26時短勤務っていうのはやっぱり企業が受け止めない
01:19:28許さないと
01:19:29なるべくみんな右向き右で長時間労働してほしいと
01:19:32でもまた払解決
01:19:34また払を企業が受け止めるってことは
01:19:36逆に言えば
01:19:37働き方の違いっていうものを企業が受け止めることが
01:19:40できるようになって
01:19:41ダイバーシティが進むってことなんですよね
01:19:43大阪部さんは契約社員として
01:19:48雑誌の編集をしていた3年前
01:19:50妊娠をきっかけに退職させられてしまいました
01:19:55日本には法律があるのに
01:20:00しかも日本の399制度ってのは充実している方なのに
01:20:05なぜそこまで法律が通用しないのか
01:20:10それはおかしいんじゃないかって
01:20:14正社員ならまだ許してやるけど
01:20:17非正規社員なんかに許してやるものかって思っているんですよ
01:20:21399取る人たちだけであふれられたら困るっていう風に
01:20:28企業は思っているんじゃないでしょうかね
01:20:30非正規労働者は1985年の労働者派遣法の成立後
01:20:39年々増え続けてきました
01:20:41非正規雇用者に占める女性の割合は7割にも上り
01:20:47人数も倍以上になりました
01:20:50なんでこうなっちゃったのって
01:20:59あの無然とする思いですね本当に
01:21:02戦ってきたはずだったのに
01:21:06私たちが欲しかったものはこんなもんじゃなかったはずなのに
01:21:10気がつけばなんでこうなっちゃったのって
01:21:13だから女が分断されて二極化して
01:21:17一方で総合職で男並みに働ける女たちはできたけど
01:21:21大多数の女は自由に使いしていいっていう制度を
01:21:28政府が作っちゃったんですよ
01:21:30上野さんは労働者派遣法と男女雇用機会均等法が
01:21:38同じ1985年に成立していることに
01:21:42改めて注目しています
01:21:44均等法の最大のアイロニーは均等法が成立したのに
01:21:53均等法の適応を受けない女性労働者が
01:21:57それ以後膨大に続々と増えたことだって言ってるのよね
01:22:01であの総合職一般職どころか正規非正規はもう
01:22:08はっきり左翼分違うんで
01:22:10非正規はどのような機会しても構わないとなっちゃったじゃないですか
01:22:14これを称して今から思えばね
01:22:18こういう流れ全体が女性労働の寝折り部改革なんですよね
01:22:25規制緩和に次ぐに規制緩和
01:22:27で均等法と同じ年に派遣労働法が成立したんですよ
01:22:32だから規制緩和元年なんです1985年が
01:22:36でそれを女性の分断元年と呼んだ人がいる
01:22:42大沢麻里さんは
01:22:46非正規雇用の問題に対応するためにも
01:22:49社会のシステムを変える必要があると言います
01:22:52高度経済成長期に作られた
01:22:56男性稼ぎ主モデル
01:22:58サラリーマンと専業主婦の家庭を基本としてきた
01:23:03現在の社会保障制度です
01:23:06男性稼ぎ主モデルをずっと引きずって
01:23:12なんと2015年ですからここまで引きずっちゃってて
01:23:15それが国民の意識も縛っているし
01:23:18男性が稼いで妻子を養うということを前提に
01:23:23労働市場では男性に安定的な雇用を保障する
01:23:27その男性が引退すれば年金がちゃんともらえて
01:23:33老後も経済的には困らない
01:23:35だけれども制度設計したときに考えなかったのが
01:23:39これほど雇用の非正規化が進んで
01:23:42雇われて働いているのに
01:23:45厚生年金や健康保険を適用してもらえない人が
01:23:48大量に出るということは想定していなかったと思うんです
01:23:52これはやっぱり日本の会社主義というのが
01:23:55崩れてしまった結果でもあるんですけれども
01:23:58男は正社員で抱えていく
01:24:01女は男に養われるんだから
01:24:04待遇の悪い非正規でもいいって言って
01:24:06この正規非正規の大きな格差の制度
01:24:10これシステムですよね制度というよりも
01:24:12そのままにしておいたら
01:24:15こういう結果を招いてしまったという問題なんじゃないですかね
01:24:20進む少子化
01:24:26そして増え続ける非正規労働者
01:24:29日本はこの状況をどう乗り越えていけばいいのでしょうか
01:24:40政府は6月
01:24:42女性活躍加速のための重点方針を決定しました
01:24:46全ての女性が輝く社会を作るために
01:24:54取り組むべき政策を打ち出します
01:24:56国家公務員の女性登用
01:25:01又原の根絶
01:25:03非正規雇用者への支援などが盛り込まれました
01:25:07日本が将来に向かって大きく羽ばたえていくためには
01:25:14能力ある能力あふれる女性の皆さんに
01:25:18活躍してもらうことが不可欠であります
01:25:21政府は2020年までに
01:25:24指導的地位に占める女性の割合を
01:25:2730%にするという目標を掲げています
01:25:31しかし
01:25:33国会議員や地方議員に占める女性の比率は
01:25:3712%に過ぎません
01:25:39もうごく単純にやっぱり女性がもっとね
01:25:45立候補して政治の場に出なきゃダメ
01:25:47もう私はそれはもう結論だと思いますね
01:25:50女性たちが働きやすくして
01:25:52日本の女性たちに働いてもらう
01:25:54そういった非常に
01:25:57切迫した社会状況を抱えていることは事実なんですね
01:26:03だけど
01:26:04そうなって初めて女性女性と
01:26:08今言っておられるんだと思うんだけど
01:26:10その両方の権利を認めて
01:26:14差別がないような社会構造を作っていくと
01:26:20もっともっと日本は住みやすい国になるのと
01:26:24同時に世界に認められる国になっていくと思うんですね
01:26:28男も女も仕事と家庭を共同して担っていく
01:26:34家事や育児に積極的に関わる男性も増えてきました
01:26:40今の経済成長は今待ったなしですよと
01:26:46あなたはそれを今やらなければ日本落ちていっちゃうんだから
01:26:51それは男性も損ですよということをまず認識すると
01:26:55認識した上で実践をしてほしい
01:26:57男はワークライフバランスというものを考えて
01:27:00そして人生や限りがあるんだから
01:27:04限りがある人生というものを
01:27:06豊かで実りのある人生を送ってほしいと
01:27:09それは男女共同参加の実践ですよと
01:27:11セクハラ裁判を戦った春野真由美さん
01:27:17男女が対立するのではなく
01:27:20互いに理解し合うことで
01:27:22差別をなくしていきたいと願い続けています
01:27:26女性の方がやっぱり下に置かれている分だけ
01:27:31その痛みというのを持っているから
01:27:33やっぱり前に進むとする
01:27:36変えようとする
01:27:38変革を求める
01:27:40男性はどちらかというと保守的なので
01:27:42変革を好まないじゃないですか
01:27:44でもそうやって社会が変革すると
01:27:47男性もちょっと遅れたらダメかなというような感じで
01:27:52追っかけてくる
01:27:53だから変えていくのは多分女性ですよ
01:27:57そういう意味で
01:27:57男にできるものを女にできるもの
01:28:00男にできないものを女にできないもの
01:28:02それをお互いが保管し合っていく
01:28:05それが社会でもあり家庭でもそうだけれども
01:28:09要するにチーム
01:28:10だからやっぱりこの社会を
01:28:14男と女で作り上げていく以上は
01:28:17ただいがチームだと思ってやっていくこと
01:28:47ご視聴ありがとうございました
01:28:48ご視聴ありがとうございました

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