プレイヤーにスキップメインコンテンツにスキップフッターにスキップ
  • 2025/5/2
3年がかりで取り組むプロジェクトの第3弾。戦後70年の今年は日本人の暮らしの中にある問題を取り上げる。第1回のテーマは高齢化社会。「生命行政」を掲げ全国に先駆け老人医療費無料化を実施した岩手県旧沢内村や、80年代から高齢者を在宅で支えてきた多摩市の病院を中心に、医療の現場や国の政策担当者がどのように対応してきたかを証言で振り返る。超高齢社会が進み‘老い’の課題が増える未来に向け、とるべき進路とは?

カテゴリ

🗞
ニュース
トランスクリプション
00:00:00岩手県旧沢内村
00:00:11今、日本で最も高齢化が進んだ地域の一つです
00:00:1665歳以上が人口に占める割合、高齢化率は45%
00:00:26全国平均を2倍近くに達しています
00:00:30かつてこの村は全国に先駆けて老人医療費の無料化を実施
00:00:43高齢者を支えました
00:00:47当時、老人一人一人の徹底した健康管理を担っていた旧沢内病院
00:00:54今はその試みも途絶えています
00:00:58その先進的な取り組みの中心にいた医師の増田進さん、81歳です
00:01:10団体の大きい原因は何かというと
00:01:1240年ここに働きましたね
00:01:19なんかこんなこと言って怒られるな
00:01:29つわもの男が夢の跡みたいになってしまっちゃうね
00:01:33高齢者と向き合い続けてきた沢内村
00:01:42なぜその試みは壁に突き当たったのか
00:01:47戦後70年、日本の高齢者の医療と福祉はどのように歩んできたのでしょうか
00:01:57ご視聴ありがとうございました
00:02:27ご視聴ありがとうございました
00:02:57戦後、日本の高齢化は過疎化が進む地方の山村から始まりました
00:03:10岩手県沢内村は老人医療費の無料化を決断します
00:03:19やがて都会でも高度経済成長から取り残された高齢者の存在が明るみに出ます
00:03:37無料化を求める声が全国に広がっていきました
00:03:461973年、国は全国で老人医療費を無料にすることを決定します
00:03:57社会保障の金は天から取ってこない
00:04:00日本の経済を拡大していく以外に日本の社会保障は拡大できない
00:04:06しかし、病院に高齢者があふれ
00:04:11医療費の赤字が国の財政を圧迫していきます
00:04:152000年、介護保険がスタート
00:04:28高齢者を支える新たな制度が始まります
00:04:32認知症の人がどれだけいるか、家族がどれだけ困っているか
00:04:38そんなの介護保険ができてからみんなわかったんですよ
00:04:41私たち日本人は高齢化とどのように向き合ってきたのでしょうか
00:04:48医療の現場で模索を続けた人たちの証言を通して見つめます
00:04:561945年、昭和20年8月、終戦
00:05:26空襲で多くの都市が焼け野原になりました
00:05:31被災者は970万人
00:05:38親を亡くした子児たちも町にあふれていました
00:05:42さらに海外からの副院兵や引き上げ者が次々と帰国します
00:05:511947年の人口は7800万
00:05:57そのうち65歳以上の高齢者は375万人
00:06:03高齢化率はまだ4.8%でした
00:06:081954年に厚生省に入省した甲田雅隆さん
00:06:16当時は高齢者対策という言葉さえなかったといいます
00:06:21戦地に行ってた人たちが副院をしてきた
00:06:26非常に人口があっという間に増えたという感じです
00:06:29しかも食べる食料がない
00:06:32そういう状態が昭和20年代の全般は少なくとも
00:06:37そういう状態が続きましたよね
00:06:39ですからその時の厚生行政の一番大きな問題というのは
00:06:43国民の生活をどう支えていくかということだったんですね
00:06:48現在の国民の生活をどうするか
00:06:51日本人全体当時1億円弱だと思いますが
00:06:561億人の人間が日本の国土で食っていけないというところが
00:06:59基本的な問題ですから
00:07:01高齢化まではちょっとまだ頭が回っていないという状況だと思いますね
00:07:061956年昭和31年
00:07:13経済白書はもはや戦後ではないと記します
00:07:22日本は高度経済成長の時代に入っていきます
00:07:26その頃の岩手県沢内村の様子です
00:07:36当時人口およそ7000の沢内
00:07:41岩手で最も貧しい村と言われていました
00:07:46100人子供が生まれると
00:07:501歳までに7人が死ぬという状況の中
00:07:54高齢者も苦しい生活を強いられていました
00:07:58高橋貴子さん
00:08:071960年
00:08:09当時78歳だった母親が
00:08:12脳梗塞で倒れました
00:08:14お金がないため
00:08:19亡くなるその日まで
00:08:21医者を呼ぶことはできませんでした
00:08:243年目
00:08:30緩くなると
00:08:32見るとこさ
00:08:33こう
00:08:33わらの中
00:08:34すぎ
00:08:35そっちに引いていったんだ
00:08:37わらを敷いていった
00:08:39その椅子は
00:08:40こう
00:08:40あの
00:08:42やわい布団かな
00:08:44すぎ
00:08:44そっちに引いていったんだ
00:08:46そのトンズは
00:08:47読んでるときは、何も食べられなくなったり、話すもできないようになれば、読んだわけ。
00:08:56食べられなくなったり、話しも。
00:09:00歩いてる映像、ビルもできないくなったり、そういうふうになったときは、読んだわけ。
00:09:10そういうふうになる前には、読まなかったんですか?
00:09:13うん、そうならねえんですわ。あまり今の世ではねえかった。
00:09:181954年に作られた沢内病院。村で唯一の病院です。医師は大学を出たばかりの加藤邦夫さん一人でした。
00:09:34病院に来る高齢者は、2日に1人程度だったといいます。
00:09:46応診に頼むのはまだ良い方でね、頼めないのが多いんでね。
00:09:51頼まないの?
00:09:52うん、応診料かかるしね。
00:09:55だから、結局は死亡診断証をもらうようなもんでしいですよね。
00:10:00だから、僕の職人早々の応診例で、着いたときはね、溶結だから応診に頼まってはいったんだけども。
00:10:13直線距離では2、3キロのね、短い距離だけども。
00:10:16雪道を歩いてね、2、3時間かかって着いたときはもう亡くなっていたという。
00:10:21死亡診断証、死体けんがん症になりますよね。
00:10:30当時、日本では国民健康保険が整えられていました。
00:10:37窓口で保険証を出せば、いつでもどこでも医療を受けられる仕組みです。
00:10:441958年の国民健康保険法によって、医療費の自己負担は全国一律5割と定められました。
00:11:03山合いで工作地も乏しい沢内村。
00:11:111世帯あたりの平均年収は23万円。
00:11:17全国平均を大きく下回っていました。
00:11:23年を取り働けなくなった高齢者を、医者に見せる余裕のない家がほとんどでした。
00:11:341963年に沢内病院に赴任した増田進さん。
00:11:41健康保険があっても、高齢者は厳しい現実に置かれていたといいます。
00:11:49来て本当に間もないときね、往診依頼があったわけですよね。
00:11:55ほうって言ったら、お年寄りの自殺だったんですけど、夜なんですけど。
00:12:02こう、安住町を歩いて行くんですよね。
00:12:05遠くには明かり、現だけ明かりのすいた家がある。
00:12:09あそこの家だねって歩いて行く。
00:12:11玄関に誰か立って迎えてるなと思った。
00:12:14その人は仏さんだったんですよ。
00:12:17つまり、玄関の張りで自殺されたのね。
00:12:24それは非常にまだ印象に残っています。
00:12:26シルエットになって、仏さんが目の前でいたの。
00:12:33新聞にも出たんですけどね。
00:12:36病気を苦にしてって書いてあったの。
00:12:39僕は行ったばっかしの医者ですからね。
00:12:43なんぼか張り切ってたわけでしょ。
00:12:45病気を苦にしてなんて書かれるとさ、医者の立場はないなって思いがありますよね。
00:12:55そんな状況に、強い危機感を抱いていた人がいます。
00:13:01沢内村の深沢雅雄村長。
00:13:07ブルドーザー村長と呼ばれ慕われていました。
00:13:16冬は3メートルを超える豪雪に襲われる沢内。
00:13:22深沢村長は他の村に先駆け10トンブルドーザーを導入。
00:13:27豪雪をかき分け、村の孤立を解消。
00:13:31病院への道を確保しました。
00:13:34夏には同じブルドーザーで土地を買い込。
00:13:42田畑を2倍に広げました。
00:13:45所得を増やし、医療を受けられるようにしようというのです。
00:13:49今も村には深沢村長の遺品が大切に保管されています。
00:14:07深沢村長が事務を取ったというところですね。
00:14:13生前、深沢村長が繰り返し村人たちに伝えていた言葉があります。
00:14:20そしてこれが深沢村長の住民の命を守るために、私は命をかけようと。
00:14:29この言葉通りのね、本当に村民の命を考えてくれた人だと。
00:14:37深沢村長は、自らの政治を生命行政と名付けていました。
00:14:44ややもいたしますると、現実的な生活の厳しさから、
00:14:54命あっての物種ではなく、物種あっての命という風に考えやすいのでありますが、
00:15:01物が命よりも大事だという風になりましたんでは、
00:15:06これは極めて危険な恐ろしい考え方だと申すほかございません。
00:15:12皆様と共に、改めて政治の中心が生命の尊厳、尊重にあるということを、
00:15:20再確認いたしたいのでございます。
00:15:28深沢村長は、まず乳児死亡率の改善に乗り出します。
00:15:35村独自に保健師を雇い、健康管理や栄養指導を強化。
00:15:44全国の自治体で初めて、乳児死亡率ゼロを達成しました。
00:15:50そして、最も深刻だった、高齢者の医療の問題に取り組み始めます。
00:16:04課題は、村人の意識をどう変えるかでした。
00:16:08経済の主体を成している時代と違い、いわゆる、自分が余計者だという感じを、お年寄りが持ちがちでございます。
00:16:23誰もが辿る、年寄りへの運命であってみれば、その年寄りを生産能力がないからというので粗末にする。
00:16:37そういう風潮が一家の中に出るようでは、社会自体も無秩序の状態になる。
00:16:45しかし、生命行政の要である病院は危機に瀕していました。
00:17:00患者が来ない上に、医者が定着しない。
00:17:05加藤さんも、大学の医局から1ヶ月限定で派遣されていました。
00:17:17深澤村長は、加藤さんに頭を下げ、病院の再建に力を貸してほしいと頼み込みました。
00:17:25顔を仰ぐしながら真剣になって、加藤先生にそれをお願いできないかという、病院再建策と村の保健医療福祉計画を作ってくれという、そこから話が始まったということなんですね。
00:17:44病院の財政を立て直してくれという他に、村民が健康になるような計画も作ってくれというのが村長の要請事項ですね。
00:17:53加藤さんの再建策。それは、沢内病院にかかる患者の医療費を無料にすることでした。
00:18:06本庄がいっぱい潜在しているのだから、捕り起こしたらいいんじゃないかという。
00:18:17そのために必要な自己負担というのは村が負担したらいいんじゃないかという。
00:18:22そういう患者を捕り起こして、ちゃんと医療サービスを受けて、早く健康になって働けるようにしてやったらいいんじゃないかという。
00:18:29健康管理、無料診療をやったらどうですか。それが赤字解消の人への基本的な手出し、村民の健康づくりの一番の必要なことはないのという。提案したわけです。
00:18:41しかし、村の財政に余裕はなく、国民健康保険に加入する村民すべてを一度に無料化することはできません。
00:18:56深沢村長は、高齢者と乳児、弱い立場の人を優先して無料化することを決断しました。
00:19:151960年、深沢村長は、自らの案を村議会に諮ります。
00:19:26議会の冒頭、こう切り出しました。
00:19:35お年寄りといたしましても、俺は年をとっている人だから、お前たちに金を使わせてはいかんし、どうせ死ぬ体である人だから、というふうな家族を思うあまりに、自分の健康をあまり考えないような傾向もある。
00:19:56高齢者が、生きる希望を持てる村にするため、無料化への同意を求めました。
00:20:15しかし、高齢者を優先することに反対する声が上がりました。
00:20:20若干の人の幸福というふうな触れ込みのもとに、全体が犠牲になるような政策というものは、決して好ましいものじゃない。
00:20:35高齢者も大事だ、幼児も大事だけれども、こうして頑張っている、今頑張っている、少年の人々が病気をしたら、もっと困るんじゃないかと。
00:20:53私より中年層に対しても、もう少し納得してもらえないかという声はありました。
00:21:01さらに、岩手県から、5割の自己負担を定めた、国民健康保険法に違反しているという見解が示されます。
00:21:31法律に違反していいのか。
00:21:35尊議会では、不安の声が上がり始めました。
00:21:41国保の現在の前提である、5割給付に対しては、明らかに違法性を持っている。
00:21:50法律違反になったら、即中止ですよね。その事業は。
00:22:02実際、本当に法律違反だと言われたら、即中止ですよね。
00:22:14中止か、交付金なり補助金に頼っている町にペナルティが起きますよね、当然。
00:22:22その当時もあったわけですよ。
00:22:26しかし、深沢村長は、県に対し、こう反論しました。
00:22:32国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。
00:22:43深沢村長が拠り所にしたのは、日本国憲法第25条、生存権の規定です。
00:22:59すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
00:23:15これをやらなければ、憲法が保障している最低の生活すら得られない国民がたくさんいるんです。
00:23:23本来、国民の生命を守るのは、国の責任ですよ。
00:23:30しかし、国がやらないのなら、私がやりましょう。
00:23:40結局、尊義会は、万丈一致で無料化を承認しました。
00:23:53領事の意識が確かに変わったのね。
00:23:58つまり、今まで、だから、奪捨て山と言葉があるけどさ、
00:24:03僕の印象では、あれは山に行って、お年を捨てるんじゃなくて、
00:24:10お年寄りが自分で入っていくんだよね。
00:24:13そういう意識が強いんだよ、こう言いながらっていうのは。
00:24:15俺はもう役に立たない。
00:24:16だから、自分でも姿を消すっていう、そんな感じの意識があった。
00:24:23それをね、いや、そうじゃないって、今までご苦労さんって。
00:24:28だから、あなた方もちゃんと、いりょうを受ければいいしね。
00:24:34これからも人間として暮らしてくれっていうような、
00:24:38そういう手が差し伸べられたって感じでね。
00:24:41みんな非常によく思ったわけですよ、ニコニコね。
00:24:461960年、無料化が始まりました。
00:24:54村は、国民健康保険に加入する60歳以上の村民の自己負担をゼロにします。
00:25:04当時としては異例のことでしたが、国からの処分はありませんでした。
00:25:08無料になったため、受診する高齢者は3年で5倍に。
00:25:20病院に初めてかかる人も多く、混乱も起きていました。
00:25:24診察していたら、帰ってくるわけですよ。
00:25:31トトトって言ってね、虎穴来ている。
00:25:34シッピングする、ごそっと出したわけですよ。
00:25:36おばさん、何するのよって。
00:25:38どうせ、ただだべ、もらってくったって言うんだよね。
00:25:42それがどうせ、ただだべ、もらってくる。
00:25:44いや、ただだって言ったって、これ、みんな金出してるんだからさ。
00:25:48本当に必要なのあげるよって。
00:25:51どのくらい欲しいのって。
00:25:51いや、隣さんもやるとか、友達さんもやるとかって言うんだよね。
00:25:55だからね、いや、そうじゃなくて、本当に欲しいって人があったらやるんだけども、
00:26:00たださやって持っていくんだから、みんな出した金で揃いでるもんだからって。
00:26:08病院の再建は、徐々に軌道に乗っていきました。
00:26:12しかし、無料化を支える村の財政は悪化しました。
00:26:27沢内村役場は、大正3年以来の建物である。
00:26:31病院が患者でにぎわい、発展するにつれ、
00:26:37病院に治療費を払い込む国庫会計は、みぬみぬ赤字になった。
00:26:43今年度末までに積もった赤字が600万円。
00:26:48一般会計からの繰り入れが急に増え、
00:26:51他の行政が行き詰まった。
00:26:53当に寿命の来ている役場の庁舎も、
00:26:57新築はおろか、雨漏りの修理さえできない始末である。
00:27:02ビニールで風を防ぎ、雨を受ける。
00:27:11無料化と同時に、
00:27:13深沢村長と加藤さんが取り組んだのが、
00:27:16病気の予防です。
00:27:18健康管理課は、その中心として、
00:27:251963年、沢内病院の中に設置されました。
00:27:33メンバーは、4人の保健師と栄養士。
00:27:38課長には、医師である増田さんを任命しました。
00:27:41医者を村の課長にする、
00:27:47前代未聞の人事でした。
00:27:51狙いは、これまでバラバラに動いてきた、
00:27:55保健と医療を一体化し、
00:27:57より効果的な予防活動をすることでした。
00:28:00まだ、生活習慣病という言葉もなかった時代、
00:28:12その予防に取り組みます。
00:28:18当時、沢内では、
00:28:20高齢者の脳卒中が深刻でした。
00:28:23保健師が家庭に入り、
00:28:29食事や生活習慣を徹底的に調査しました。
00:28:42ここは、私のところは太田地区なんですけど、
00:28:46ここは、その隣の迷子地区。
00:28:50迷子地区の中の…
00:28:51当時、保健師として働いていた深沢久子さん。
00:29:00豪雪地帯ならではの食生活に、
00:29:03脳卒中の原因があるのではと感じていました。
00:29:06保存する上では、
00:29:12血を付けしているというのは聞いています。
00:29:16魚だけじゃないね。
00:29:18わらびでも、何でも、
00:29:20山菜でも、みんなそうですね。
00:29:22本当にそこの家族の塩分がどうなっているのか、
00:29:28その人の口にどの程度入るのかというのは、
00:29:33一品調べただけじゃ分かりませんよね。
00:29:35だったら、食事全体の方がいいよねって。
00:29:40おかずとか、漬物とか。
00:29:43ミキサーに全部混ぜて、
00:29:46ガシャガシャやって、
00:29:47そして塩分を測るって。
00:29:49ここの家庭はこの濃度だねとかって言って。
00:29:55塩分の多い食事を改善するため、
00:29:57久子さんは栄養士とともに料理コンクールを開催。
00:30:04主婦たちにバランスの取れたこんだてを指導していきました。
00:30:15いろいろなことを変えていくには、
00:30:19どこの家にもお母さんがいますよね。
00:30:23お母さんに勉強してもらわないと、
00:30:26いい方向にはいかないと。
00:30:28女性を変え、
00:30:30女が変われば世の中が変わるっていうことでね。
00:30:36深澤さんを村長さんが言ったね。
00:30:39だから女性の教育、
00:30:42人作りするための社会教育とかっていうのは、
00:30:46女の人を変えていくんだって。
00:30:51冬になると、
00:30:53高齢者の肺炎が増えました。
00:30:56かやぶきの家が原因の一つでした。
00:31:03雪に埋もれ、
00:31:04隙間風の入る住居は、
00:31:06冷蔵庫のように冷え、
00:31:08肺炎を誘発していました。
00:31:10住宅の改善に乗り出したのが、
00:31:17医師の加藤邦夫さんでした。
00:31:25知人の建築家の協力を得て、
00:31:28自らも図面を引きました。
00:31:30サワウチ式健康住宅です。
00:31:40高橋雅義さんは、
00:31:42大工として、
00:31:43住宅の建築に携わりました。
00:31:45サワウチ式住宅の特徴は、
00:31:53東西の方向に作られた屋根。
00:31:58南に向いた玄関前に、
00:32:00雪が落ちないため、
00:32:01家の中にはいつも日差しが差し込みます。
00:32:04急勾配の屋根で、
00:32:11自然に雪が落ちるため、
00:32:13雪下ろしの必要もなくなりました。
00:32:20さらに、
00:32:22居間、
00:32:23寝室、
00:32:25トイレ、
00:32:27高齢者が使うスペースは、
00:32:29すべて南側に配置されています。
00:32:31段差もなくし、
00:32:35転倒防止にも工夫が凝らされていました。
00:32:43サワウチ式住宅の暮らしやすさは、
00:32:45口コミで広がり、
00:32:47村の大半がこの方式になりました。
00:32:55とてもつもりは、
00:32:56村民自身が、
00:32:57ちゃんと自分で変えていったということになります。
00:32:59ちゃんとバカじゃないから、
00:33:03ちゃんと理解すればね、
00:33:04自分のためにやるというか、
00:33:07行動変容をしてね、
00:33:09ちゃんと治すという。
00:33:13病気の予防は、
00:33:15若いうちから必要だと、
00:33:17村民全員の健康管理にも力を入れました。
00:33:20体調や病歴などの問診を行い、
00:33:27血圧を測定。
00:33:33健康手帳を渡し、
00:33:35住民の意識を高めていきます。
00:33:37保健師が集めてきたデータは、
00:33:43健康管理課長の増田さんが、
00:33:46健康大臣に整理します。
00:33:50病歴、
00:33:52血圧の推移、
00:33:54そして、
00:33:54問診の結果などが書き込まれます。
00:33:57サワウチ村の村民、
00:34:07およそ6000人分の健康データベースが完成しました。
00:34:17全村民の状態が分かって、
00:34:20それできめ細かな活動していくわけですね。
00:34:23それで病気になれば全部、
00:34:25見るわけです。
00:34:29そうやってやってて、
00:34:30村がどんどんどんどん変わっていくんです。
00:34:33本当に、
00:34:33脳卒中するし、
00:34:34なる人も減るしね、
00:34:36がん死亡でなくなる人も減るしね、
00:34:39みんなに向こうに向こうして、
00:34:40長生きしてくるわけですよ。
00:34:42本当にこれは非常に、
00:34:46これが医療だなと思うくらい、
00:34:48パーフェクトでした。
00:34:49サワウチ村の1人当たりの医療費は、
00:34:56健康管理課の設置を境に下がっていきました。
00:34:59この頃、
00:35:09サワウチ村に、
00:35:11医療界の大物が視察に訪れました。
00:35:14日本医師会会長を25年にわたって勤めた、
00:35:25竹見太郎。
00:35:28竹見は早くから、
00:35:30高齢化社会の到来に危機感を抱いていました。
00:35:39老人医療費を抑え込む切り札として、
00:35:42サワウチの予防活動に注目していました。
00:36:08他の村の半額以下で住んでいるんです。
00:36:12医療費。
00:36:13無善効果でこれがあればね、
00:36:15老人医療費なんて問題じゃなくなるんですよ。
00:36:22サワウチ村では、
00:36:24健康管理の予算の年出にも知恵を絞っていました。
00:36:29村のすべての成人を対象に、
00:36:32人間ドッグを実施。
00:36:353万円余りの費用のうち、
00:36:38自己負担は4200円。
00:36:40そこには秘密がありました。
00:36:43縦割りでね、
00:36:47あちこちから補助金が来るわけです。
00:36:51それが今まではそのまま役場に
00:36:53降りていたわけです。
00:36:55例えば、国民健康保険課の補助金、
00:36:58それから公衆衛生の補助金とかね、
00:37:01病院に来る補助金とか、
00:37:03病院は特に関係ないんだけど、
00:37:06薬場のほうに来るこういう補助金がですね、
00:37:09健康管理課で一つのあるわけですよ。
00:37:12一つの特徴は、縦割りできた補助金をまとめてね、
00:37:15村独自の風邪に使ったっていうのが、
00:37:18大きな声じゃ言えないけど、
00:37:20沢内村の独特のところだと思います。
00:37:24当時の。
00:37:26つまり、国が言ったように補助金を使ってやるんじゃないんですよ。
00:37:32補助金をプールして、
00:37:33村が使いたいように計画で使ったわけですよ。
00:37:36全く国の縦割り制度を村の状況に合ったように、
00:37:41アレンジして行ったっていうのが、
00:37:45健康管理課の一番大きなところだ、
00:37:47メリットだったと思います。
00:37:50それすごいじゃないですか。
00:37:52すごいっていうか、
00:37:54深さは精神でしょ。
00:37:57多分。
00:37:58彼はよく言ったんじゃないですか。
00:38:00国、本当は命を守ると国がやるべきことですよ。
00:38:04だけど国がやらないなら、私がやりましょう。
00:38:07いずれ国は後からついてくるっていうのがありますけれどもね。
00:38:12国に任せたんではダメなんですよ。
00:38:27終戦から10年の間、
00:38:30日本の高齢化はほとんど進みませんでした。
00:38:34戦後のベビーブームで子供が増えていたためです。
00:38:45しかし、高度経済成長とともに、
00:38:48女性が一生の間に産む子供の数、
00:38:52合計特殊出生率は低下していきます。
00:38:55東京オリンピックが行われた1964年には、
00:39:032.05にまで下がっていました。
00:39:051950年に4.9%だった高齢化率。
00:39:161970年には、平均寿命が伸び、
00:39:20男性69歳、女性75歳に、
00:39:26高齢化率は7.1%になりました。
00:39:29国連が定義する高齢化社会に突入したのです。
00:39:381960年代後半、
00:39:41高度経済成長の歪みが紛失します。
00:39:47郊外や環境汚染が全国で問題化し、
00:39:51経済優先の国の姿勢に批判が高まっていました。
00:40:03そんな中、
00:40:05経済成長から取り残されていた高齢者の問題にも、
00:40:09光が当てられていきます。
00:40:10写真家の田辺純一さん。
00:40:25貧困状態に置かれた高齢者を問い続けていました。
00:40:31高度経済成長で、
00:40:33どんどん豊かになっていく中で、
00:40:35できたらあまり世の中に役に立たないと言われるね、
00:40:42つまり人間の価値観というのが、
00:40:44経済的なものにかなり重心が移っていた時だと思うのですが、
00:40:50そういう時代ではあったのですが、
00:40:55当時の土地を取った人の経済状況というのは、
00:41:00なかなか厳しくて、
00:41:03自立できる人はほとんどいなかったですね。
00:41:05ですから普通の会社を定年で辞めても、
00:41:08なかなか自立できない。
00:41:11つまり、
00:41:12家族がいれば、
00:41:13家族の経済的な支えがないと生きていけないというのは、
00:41:17そういう、
00:41:19全体的に言えば、
00:41:21みんなそういう貧しい時代だったんですね。
00:41:23都会でも高度経済成長の陰で、
00:41:30医療を受けられない高齢者の問題が注目されていきます。
00:41:341960年代後半、
00:41:44老人医療費の無料化を求める声が高まりました。
00:41:49革新政党や労働組合に組織された高齢者が、
00:41:54生活の改善を訴え、
00:41:56声を上げ始めたのです。
00:41:58東京都荒川区の診療所で事務員として働いていた、
00:42:08篠崎嗣夫さん。
00:42:13無料化を求める署名運動を進めていました。
00:42:23年寄りの一人暮らしだとか、
00:42:27老夫婦だけだとか、
00:42:29そういう世帯がずっと増えてきております。
00:42:32それで、ようやく、
00:42:35高齢期問題というのが、
00:42:38ちらほら話題になるような時でしたけど、
00:42:41それに先行しても、
00:42:43私のいた診療所の地域というのは、
00:42:47高齢化がやっぱり進んでいたんじゃないでしょうかね。
00:42:50沢内が、
00:42:531960年からですか、
00:42:55国民健康保険の10割給付という形で、
00:42:59初めていたわけですね。
00:43:03そこのところが、
00:43:04一つの言いどころになって、
00:43:07沢内というのは、
00:43:08岩手の山奥で、
00:43:11あらかわよくはもっと貧乏なところだと、
00:43:14その貧乏なところで、
00:43:16村長さんと村人が、
00:43:19その気になったら、
00:43:21無料化できたと。
00:43:22これはやっぱり、
00:43:25考え方を変えてもらうと、
00:43:29医療費というのが、
00:43:30そのまま無料になる。
00:43:33そういう可能性がある。
00:43:34だからやろうじゃないかと。
00:43:391967年、
00:43:41東京都知事選で、
00:43:44社会党と共産党の推薦を受けた、
00:43:46水戸良吉が当選。
00:43:492年後、
00:43:51老人医療費の無料化を実施しました。
00:44:00東京都の取り組みをきっかけに、
00:44:02無料化を実施する自治体が急増。
00:44:061972年には、
00:44:0844の都道府県に広がりました。
00:44:161兆円ずつの予算が増えてきましたけどね。
00:44:22当時、
00:44:23厚生大臣秘書官を務めていた
00:44:25幸田正尚さん。
00:44:29政府、
00:44:30自民党は
00:44:31焦りを感じていたといいます。
00:44:37もう要するに、
00:44:38当時は、
00:44:38野党である
00:44:41社会党だとか、
00:44:47共産党に支持をされた
00:44:49ニューブさんが
00:44:50政策をやっていると。
00:44:52それを
00:44:53社会にして、
00:44:56他の府県も
00:44:57なだれを打って無料化をする。
00:44:59東京都と同じようなやり方でやると。
00:45:01そのままや、
00:45:02やっぱり、
00:45:03当時の政府、
00:45:03自民党政府としても、
00:45:05これは何とかしなきゃいかんじゃないかと。
00:45:07そういう声が、
00:45:08強い日増しに強まってきたんだと。
00:45:12いうふうに私は思っています。
00:45:161973年、
00:45:19国は
00:45:1970歳以上について、
00:45:22医療費の自己負担分を
00:45:24税金で賄うことに決めました。
00:45:26これからは、
00:45:28社会保障を拡大し、
00:45:30社会保障を拡大しなければならば当たり前だ。
00:45:34社会保障の金は天から来てこない。
00:45:37日本の経済を拡大していく以外に、
00:45:38日本の社会保障が拡大できない。
00:45:44時の首相、
00:45:45田中角栄は、
00:45:47経済成長を続ければ、
00:45:49無料化の財源を確保できると訴えました。
00:45:52高度成長でですね、
00:45:58経済的、財政的な余裕は十分あると。
00:46:03それから、
00:46:04選挙民に言われれば、
00:46:07無料化をするということ、
00:46:08何よりも、
00:46:09ただにするということが、
00:46:10一番いいことだという発想が、
00:46:12当時は、
00:46:13世の中にあったんじゃないかと思いますね。
00:46:15ただほど高いものはないというようなことは、
00:46:19当時からもう口が酸っぱくなると言われました。
00:46:23しかし、
00:46:23そこら辺は分かっていた。
00:46:24分かっていたんですね。
00:46:25分かっているけれども、
00:46:26時代の流れ、
00:46:28それから政治の要請として、
00:46:30そういうことがあれば、
00:46:31やむを得ないということだと思います。
00:46:32老人医療費の無料化をきっかけに、
00:46:39高齢者の受診率は年々上がっていきました。
00:46:46待合室が高齢者で埋まる、
00:46:50病院のサロン化が問題になっていきます。
00:46:56患者は、
00:46:57軽い症状でも気軽に医療に頼るようになり、
00:47:01沢内村で重視されていた、
00:47:04病気にならないための予防活動は置き去りにされました。
00:47:12東京・荒川で無料化運動を指揮した篠崎都合さん。
00:47:19予防の重要性には目が向いていなかったといいます。
00:47:24僕自身として、
00:47:26健康づくりの意義ということをね、
00:47:30そこまで見通して整理してみんなに訴えていたかったら、
00:47:34そこまで行っていなかったですよね。
00:47:36とにかく運動を持続させるために、
00:47:38いろんなことをしなきゃいけないからやったというだけであって、
00:47:41そういう形で健康づくりをきちっと先行させようと、
00:47:47そういう位置づけというのはなかったですね。
00:47:50医療費が無料のため、
00:47:55必要以上に長く入院する患者が急増しました。
00:48:01いわゆる社会的入院が問題になっていきます。
00:48:05常に満床となる収益性の高さから、
00:48:17高齢者を専門に入院させる病院、
00:48:20老人病院が全国に建設されていきました。
00:48:23沢内村はですね、
00:48:36医療費の無料化というのは、
00:48:38結果としてそうしたということで、
00:48:41国民、村民の健康をどう維持をして、
00:48:45増進をしていくかということが基本にあって、
00:48:48その一つの表れとして無料化というのがあったわけですね。
00:48:51ところが、老人医療の無料化をやった市なり県というのは、
00:48:59医療費を無料化にするということに主眼があって、
00:49:04いわゆるヘルス活動をやるということが抜け落ちている。
00:49:07そこがやっぱり一番大きな問題だったと思いますね。
00:49:13この頃、高齢者を抱える過程で、
00:49:17深刻な事態が進んでいたことが明るみに出ます。
00:49:20日本で初めての寝たきり老人の実態調査です。
00:49:2870歳以上の高齢者の5.2%にあたる20万人が、
00:49:34家で寝たきりの状態にあることが分かりました。
00:49:37さらに報告書では、
00:49:41介護の負担の大きさから家族崩壊の危機まで指摘しています。
00:49:46入浴、排泄、24時間の見守り。
00:49:56介護する家族の多くが、
00:49:58慢性的な疲れや不眠などの問題を抱えていました。
00:50:02老化に伴う認知症や寝たきりは、
00:50:17基本的には病院での治療の対象ではなく、
00:50:21介護などの福祉サービスが担うものでした。
00:50:24これを公的に提供していたのは、
00:50:29特別養護老人ホームなどです。
00:50:33しかし、その定員は全国でわずか2万6千人。
00:50:39在宅の寝たきり老人が20万人いたのに対し、
00:50:43圧倒的に不足していました。
00:50:47家族で介護できなくなった高齢者が、
00:50:50病院に流れていたのです。
00:50:54厚生省で高齢者対策を担当した和田雅さん。
00:51:02社会的入院の背景の一つに、
00:51:05介護する家族の負担があると考えていました。
00:51:13医療で受け止めるべき方も相当数あるんだけれども、
00:51:18本来医療ではなくて、
00:51:20家庭であるいは地域の支えがあって、
00:51:26あるいは一連の福祉サービスがあれば、
00:51:28十分自宅で地域でも可能な人が、
00:51:32それが整っていないがゆえに、
00:51:35医療の部分に委ねている実態があるというのを、
00:51:38たくさん実際に見ていたと思いますね。
00:51:41病院にいるんだけれども、
00:51:43そういう地域で支える基盤、
00:51:49家庭で支える基盤、福祉的な環境があれば、
00:51:52十分早期に戻ってというケースもあるのに、
00:51:57結局医療サービスだけが提供されていると、
00:52:00そういうまた矛盾も見聞していますよね。
00:52:03本来、福祉が担うべき介護を医療が抱え込んだ結果、
00:52:11老人医療費は急増、
00:52:13国の財政負担も増えていきました。
00:52:20そこに追い打ちをかけたのが、
00:52:22二度のオイルショップです。
00:52:24日本は戦後初めてマイナス成長を記録します。
00:52:39国の財政赤字が膨らんでいきました。
00:52:46財政の立て直しを迫られた国は、
00:52:49社会保障費の伸びを抑えようとします。
00:52:541979年、大平内閣は国民の自助努力を重視する
00:53:05日本型福祉社会構想を打ち出します。
00:53:20日本人の持つ自立自助の精神。
00:53:25思いやりのある人間関係、
00:53:28相互扶助の仕組みを守りながら、
00:53:31これに適正な公的福祉を組み合わせた、
00:53:36公正で活力ある、
00:53:39日本型福祉社会の建設に努めたいと思います。
00:53:43その後、全国にこんな取り組みも広がりました。
00:53:52今年の4月、全国でも珍しい、
00:54:00高校嫁さんを表彰しようという条例が、
00:54:03静岡県稲佐町に誕生しました。
00:54:05家族による介護、
00:54:17中でも嫁の献身を称えようというのです。
00:54:20高校嫁さん検証条例、
00:54:25こういうようなことに決まりましたのでね。
00:54:28当たり前のことでね、
00:54:29うちの人だもんだって、
00:54:31見るべきだもんだってね、
00:54:33別に特別なことをしたわけじゃないもんだって、
00:54:36目に留めてもらって、
00:54:37本当に嫌だよ。
00:54:38申し訳ないよね、なんだか。
00:54:48高校嫁さん検証条例。
00:54:52表彰の条件は、
00:54:5330年以上父母と同居して、
00:54:55公用に勤めた人。
00:54:58あるいは、
00:54:593年以上寝たきり老人と同居し、
00:55:01献身的な介護をした人。
00:55:04該当者には、
00:55:05町から表彰状と記念品、
00:55:07それに金一風が送られることになっています。
00:55:17高校嫁さんの候補者の一人、
00:55:20太田由紀さん。
00:55:22夫が働きに出ている間、
00:55:2430アールの水田と20アールの畑を守り、
00:55:28傍ら、夫の母、中さんを、
00:55:3110年もの間看病し続けてきました。
00:55:33医療費の増加を指摘した。
00:56:031978年の厚生白書。
00:56:10国は、
00:56:11高齢者と同居する家族を、
00:56:14福祉における
00:56:15含み資産と評価。
00:56:18家族の自助努力に期待しました。
00:56:20評論家の樋口恵子さん。
00:56:33福祉さんという言葉をきっかけに、
00:56:36介護に悩む女性の会を結成し、
00:56:39活動してきました。
00:56:40福祉さんという言葉には、
00:56:51ある意味で感心しましたね。
00:56:54いい言葉は知ってなと思って、
00:56:56知ってなってのもあるけど、
00:56:58私ども嫁は、
00:57:03日本の福祉予算の含み資産ですかと。
00:57:09その時、パッと閃いた言葉が、
00:57:13これに乗っかっていってごらんなさい。
00:57:15今に日本の福祉予算の、
00:57:18含み存になりますよ。
00:57:21と思いました。
00:57:23平均寿命はどんどんどんどん伸びて、
00:57:26もう80年近くなりますと、
00:57:28そろそろ人生80年って言っていいわね、
00:57:31なんて捧げき合ったのを覚えています。
00:57:34老後と言われる時期は、
00:57:36ものすごく長くなってきていました。
00:57:39この介護する期間も長くなってきて、
00:57:42そこを嫁一人で担えるはずはないんですね。
00:57:46その辺は全部みんな、
00:57:49見て見ぬふりをして、
00:57:52ですから、
00:57:53介護する人が幸せでなかったら、
00:57:55絶対介護される人も、
00:57:57幸せになれるはずもないのに、
00:57:59何かこの辺を、
00:58:01家族介護が一番、
00:58:03嫁の介護はこれからも続くべし、
00:58:06っていう考え方が、
00:58:07やっぱり非常に熱い。
00:58:10男性中心に、
00:58:11そういう雰囲気がありまして、
00:58:16それが、
00:58:17白書に現れたと思います。
00:58:241982年、
00:58:27衝撃的な事件が報じられました。
00:58:29埼玉県三里市にあった、
00:58:36老人病院の実態が内部告発され、
00:58:40捜査の手が入りました。
00:58:43この病院では、
00:58:45特別な疾患のない入院患者に、
00:58:48毎月検査が繰り返され、
00:58:51口から食べられる人も、
00:58:52点滴を受けていました。
00:58:53収益優先の老人病院の実態が、
00:59:02全国で次々と問題化していきました。
00:59:04こうした老人病院の在り方に、
00:59:16疑問を感じていた医師がいます。
00:59:18大学病院に勤務していた30歳の時、
00:59:29月に2回、
00:59:30老人病院で診察していました。
00:59:37その時、
00:59:38天本さんが目にしたのは、
00:59:41老人たちの悲惨な姿でした。
00:59:43当時、老人たちは寝かせきりにされ、
00:59:52次第に薬漬けになっていきました。
00:59:56ベッドに縛り付けられる人もいました。
00:59:59完全な寝たきで、
01:00:08布団を取ると、
01:00:10床ずれができているとか、
01:00:12床ずれができて、
01:00:16昔のひどい場合は、
01:00:18本当、
01:00:21肉が取れて、
01:00:22骨が見えるような、
01:00:23床ずれが、
01:00:25すごい悪臭があって、
01:00:27でも、
01:00:29生きていると。
01:00:32そういう実態というのは、
01:00:35そういう中でしか見れないことで、
01:00:39いろいろ批判する人は、
01:00:41いろいろおっしゃるかもわからないけど、
01:00:43でもやっぱり、
01:00:44入院が来るわけですよね。
01:00:46そこの、
01:00:48のはやはり、
01:00:55まあ、
01:00:55嫌だなとか、
01:00:57ちょっと違うんじゃないかなというのは、
01:01:01こう、
01:01:02感じましたよね。
01:01:03寝たきりを製造していると、
01:01:09病室のベッドに、
01:01:11空手付けにしていると、
01:01:13新たな問題を、
01:01:15我々が作っていたと。
01:01:16天本さんは、
01:01:191980年、
01:01:21高齢者を支えるための病院を開設します。
01:01:26病院を開いた東京都多摩市は、
01:01:29急速に人口が増え、
01:01:31高齢化が始まっていました。
01:01:33天本さんは、
01:01:45医療だけでなく、
01:01:47介護にも力を入れていきました。
01:01:57作業療法を導入。
01:01:59修辞や塗り絵などの時間を設けました。
01:02:05日常生活に必要な機能を維持し、
01:02:08寝たきりにさせないためです。
01:02:15リハビリにも力を入れました。
01:02:18専門のスタッフを雇い入れ、
01:02:20運動機能の回復を目指しました。
01:02:25リハビリは、
01:02:26認知症の進行を遅らせる効果があることも
01:02:30分かってきました。
01:02:43回復した患者は、
01:02:45できるだけ自宅に返すようにしました。
01:02:47家族が行う介護にも、
01:02:52天本さんの病院は、
01:02:54積極的に関わっていく達成を
01:02:56築いていました。
01:03:00天本さんは、
01:03:02理学療法士や看護師とともに、
01:03:04患者の家を訪問。
01:03:06家でもリハビリを行いました。
01:03:12さらに、
01:03:13家族に楽に介護できる方法を教えました。
01:03:17一方で、
01:03:23介護が辛くなったら、
01:03:25いつでも病院に戻っていいことを伝えました。
01:03:27ご家族が大変だということは分かっているから。
01:03:35でも、
01:03:36この大変さをちょっと救ってあげなきゃいけない。
01:03:40医療か介護かということじゃないからね。
01:03:44両方が必要だからね。
01:03:46医療があっての介護、
01:03:48介護があっての医療と。
01:03:50ここは間違いないでほしい。
01:03:52お互いに、
01:03:54ある時は医療が必要な時もあるし、
01:03:56ある時は介護。
01:03:57でも、両方とも話せない。
01:04:00ということです。
01:04:03しかし、
01:04:04天本さんは国の制度の壁にぶつかりました。
01:04:11訪問診療が、
01:04:13医療の診療報酬として認められていなかったのです。
01:04:25さらに、
01:04:26リハビリは身体の障害に対する運動療法としてしか、
01:04:31診療報酬が認められていませんでした。
01:04:34高齢者の機能維持や認知症の人へのリハビリは対象ではありませんでした。
01:04:43認知症にリハビリが必要ないと。
01:04:50理解もできない人間に訓練なんかしたってしゃーないじゃないかと。
01:04:56言うけど、
01:04:58ちゃんと転倒予防できるし、
01:05:01いろんなことで作業療法をすることによって、
01:05:05気持ちが逸れて穏やかになるとか。
01:05:08制度の中に基本ポリシーがないからですよ。
01:05:14ねっ。
01:05:14老人医療費を適正化しなきゃいけないという、
01:05:19基本的には、じゃあこうしましょうと。
01:05:22医療費はかさむから抑えましょうという。
01:05:25そういう発想だと。
01:05:27発想ですよ。
01:05:28だから、高齢者にふさわしいもの、
01:05:31こういうもののまず理念があって、
01:05:34そのためにはこういう構想、プランを作りましょうと。
01:05:38いうものなくて、
01:05:40ただし、老人医療の適正化、適正化と。
01:05:46抑えよう、抑えようと。
01:05:49今でもそうですよ。
01:05:49ベッド数を抑えようとか。
01:05:50医療費は膨らむからと。
01:05:55老人医療費の無料化が始まった1973年以降、
01:06:10高齢者にかかる医療費は膨れ上がり、
01:06:1310年間で8倍になりました。
01:06:16国の財政を大きく圧迫する事態となっていました。
01:06:20本案を委員長報告の通り決するに、
01:06:28賛成の処分の規律を求めます。
01:06:321983年、国は老人医療費の無料化を廃止、
01:06:38政策を大きく転換します。
01:06:40高齢者には、医療費の一部負担を求めることを決めました。
01:06:5365歳以上の高齢者は1000万人を突破し、
01:06:571980年には高齢化率は9.1%、
01:07:0390年には12.1%に達しました。
01:07:08平均寿命は男性76歳、
01:07:12女性82歳にまで伸びました。
01:07:14専門家の予想を超えて、
01:07:18日本の高齢化は進んでいきました。
01:07:27全国に先駆けて老人医療費を無料化した、
01:07:32岩手県旧沢内村。
01:07:34孫立沢内病院の院長だった増田進さんです。
01:07:571990年代、増田さんは、
01:08:00大きく変貌した村の現実に直面していました。
01:08:11沢内村では、
01:08:131990年に65歳以上の高齢者が、
01:08:18人口の21.9%を占めていました。
01:08:25国連が定める、
01:08:27高齢化率21%以上の社会、
01:08:32超高齢社会にいち早く突入していたのです。
01:08:39若者たちは村から出て、
01:08:42家族形態は大きく変化していました。
01:08:45あの頃は、結構、出稼ぎがあったわけですね。
01:08:51ね、労働力して、
01:08:52お年寄りは意外と、
01:08:53うちの中で一人でいることが多かった。
01:08:58まあ、お母さんなんかはいたんだけど、
01:09:00お母さんはお母さんで、また働きに行ったり、
01:09:02そういうふうに、こう、
01:09:04家族構成がだんだん、
01:09:05外で働くようになったっていうのかな、
01:09:08うちの中がだんだん、
01:09:10家族っていう言葉はないんだろうけど、
01:09:12お年寄り一人になってきたんね、
01:09:15そういう家庭が増えてきたん。
01:09:18だから実際、お家の中に行ってみるとね、
01:09:21寒い部屋でさ、
01:09:22本当にベッドでね、
01:09:24枕本当に焼結の跡とかさ、
01:09:26飲み物を置いてあるわけだよね。
01:09:29だから、
01:09:29どこから一歩も出ないで、
01:09:31トイレだけは起きるのかもしれないけど、
01:09:33そうやって暮らしてるのが腹になれば、
01:09:35もう、寝たきり老人ですね。
01:09:38今でいう、
01:09:38生活なんとか病って言うじゃないですか、
01:09:41肺腰症候群と同じですよ。
01:09:45増田さんは、寝たきりを防ぐため、
01:09:49冬の間、
01:09:50高齢者を病院で預かることにしました。
01:09:56越冬入院です。
01:10:03病院の中では、
01:10:04入浴、洗濯など、
01:10:07できるだけ自立した生活を送ってもらいます。
01:10:12寝たきりの予防につながる効果がありました。
01:10:15代わりに寝がけた。
01:10:28何、おばさん、病者止まれて行ったっけか。
01:10:31止まれて行った。
01:10:33今日からか。
01:10:35今日からたまらに乗ってきたんだもん。
01:10:37あ、ほんと。
01:10:38ああ。
01:10:40いや、さっきか。
01:10:42308号室、
01:10:44はい、取ってる。
01:10:46いいぞ。
01:10:47いや、あるぞ。
01:10:48今日、泊まって行くか。
01:10:50今日から。
01:10:51今日から、泊まれてもらわんば。
01:10:53だか。
01:10:54泊まって行かんべか。
01:10:55だいぶ寒いか、絵の長。
01:10:57はい。
01:10:58当時、沢内には福祉施設がなく、
01:11:02病院で預かるほかありませんでした。
01:11:04ゆっくりして行って行くよ。
01:11:09しかし、
01:11:10越冬入院は、
01:11:12医療費の無駄遣いではないか。
01:11:14医療の必要がない患者を入院させているのではないかという批判を浴びます。
01:11:20僕たちは、要するに村の人たちが健康で長生きすればいいと思ってやっててね。
01:11:29だから、これが福祉とか医療とかっては考えてない。
01:11:33あるいは医療、ある時は医療かもしれない。
01:11:36ある時は福祉かもしれない。
01:11:37そこは、いちいち線を引く必要はないんでね。
01:11:42村の人が困っていれば、何とか手を出すという。
01:11:47やっぱり、本当は、
01:11:48手が抜けば、
01:11:49いいせいだほうがいいか。
01:11:53それをね。
01:11:55なんぼか病院もいいか。
01:11:56病院のほうがいいな。
01:11:58なんか、
01:11:58どうがたいなってからな。
01:12:01みんな患者さんが多く出はるから、
01:12:03いいかにもなにがんのってらんの。
01:12:06そうなんだ。
01:12:07そったら、まだ気にしねえたち。
01:12:11まだまだ。
01:12:12たまる。
01:12:14飲料してらん。
01:12:18こんなことないんですよ。
01:12:19こんなことない。
01:12:25この時期、国は社会的入院を抑制するため、
01:12:30長く入院するほど、
01:12:32診療報酬が下がる仕組みを導入していました。
01:12:38病院の収入が伸び悩む一方で、
01:12:41充実した医療体制を支える人件費は、
01:12:44膨らんでいきます。
01:12:50沢内病院の赤字は、
01:12:521985年以降、
01:12:55急速に増えていました。
01:13:00病院の赤字が、
01:13:02村の財政を圧迫していると問題になります。
01:13:08村民集会で、
01:13:10効率的な病院経営を求められたのです。
01:13:13企業経営というものが、
01:13:19企業的な発想というものが、
01:13:21なければ絶対にできない。
01:13:23理屈だけでは絶対にできない。
01:13:24のが私の基本的な考え方であります。
01:13:27したがって、
01:13:28それがどこまで増えていけば増えていくほど、
01:13:30皆さん方が、
01:13:31学校をやるとか、
01:13:33産業をやるとか、
01:13:34土木をやるとか、
01:13:35あるいはそれ以上に、
01:13:36村の職員というものを、
01:13:38給与を払うとか、
01:13:39というようなことが、
01:13:40できなくなってしまいます。
01:13:41決してうちの病院は怠けていて、
01:13:43それで赤字だということではないということです。
01:13:45患者さんの数は、
01:13:46うちの病院より多いです、一般の。
01:13:48ただ医療費は安いんですね、うちはね。
01:13:50これなぜ安くするかというと、
01:13:51村の人がかかりやすくするためです。
01:13:54そうなんですね。
01:13:55小借り安いのは、
01:13:56村の人がなるべく病院にかかってもらいたいからです。
01:13:59安くね。
01:14:00そうすると、
01:14:00軽い家にかかるし、
01:14:01もう人も減るし、
01:14:03そういうことなんです。
01:14:04それが村の病院の働きだと思って、
01:14:06今までそういう約束ごとでやってきました。
01:14:08うちの病院に今の現状を眺めていますと、
01:14:12入院患者さんを見ていてもね、
01:14:14あれ、医療というのもかなり福祉面が強いんです。
01:14:19超高齢社会に直面した沢内病院。
01:14:25病気の予防に加え、
01:14:27福祉の役割も担おうとしてきました。
01:14:29村人が健康になれば、
01:14:33大きな病気が減り、
01:14:35高い診療報酬を得られなくなります。
01:14:39その一方で、
01:14:40収入にはつながりにくい高齢者が増えていました。
01:14:44村がね、健康になって、
01:14:51ですよね、
01:14:52みんな働いて村が豊かになる。
01:14:55病院はどうしても患者さん減っちゃう。
01:14:58病院はどうしようかなとなる。
01:15:00実際、探しになったの。
01:15:03医療費も安くなったし、
01:15:05病院は赤字だし、
01:15:06どうするんだってなった。
01:15:08それが一番村で、
01:15:09地域社会としては健康な状態でしょ。
01:15:12ところが、場所によっては、
01:15:15病院は患者さんがいっぱい来て、
01:15:17病院は大きくなってくるけど、
01:15:19村の国保が財政が危ないとか、
01:15:23保険税が高いとか、
01:15:24村の人は税金が高いとか、
01:15:27というと、
01:15:27これは地域というのは不健康でしょ。
01:15:31そういうこと、
01:15:31どっちを選ぶかですよ。
01:15:33病院に稼げって言うんですよ。
01:15:35病院に稼げっていうことは、
01:15:37患者を作れっていうことですからね。
01:15:38だから、もしそれだったら、
01:15:43村の人を健康にさせて滅びていく方が、
01:15:46いい病院だろうと、
01:15:47僕は思う。
01:15:505、4、3、2、1、
01:15:542000年、
01:15:56介護保険がスタート。
01:15:57自宅で暮らす高齢者を支えるサービスが、
01:16:05大きく広がりました。
01:16:12訪問介護や、
01:16:13デイサービス、
01:16:14ショートステイなど、
01:16:16利用者の選択肢は、
01:16:17飛躍的に広がりました。
01:16:19介護保険は、
01:16:2640歳以上の国民全員が保険料を負担し、
01:16:30介護が必要な高齢者を社会で支える仕組みです。
01:16:34評論家の樋口恵子さん。
01:16:46介護保険成立に、
01:16:48国の審議会の委員として、
01:16:50積極的に関わりました。
01:16:56介護保険の最大の功績は、
01:17:01老いというものを、
01:17:02社会のというか、
01:17:05国家、社会、地域、
01:17:08家庭という密室の中に、
01:17:11嫁とセットで閉じ込められていた老いを、
01:17:14社会に、
01:17:16社会の明るみにさらし、
01:17:19世の中の全ての人に、
01:17:20見える化したということ。
01:17:2265歳以上の人が、
01:17:26養介護の人が、
01:17:27どういう状況にいるか、
01:17:28認知症の人が、
01:17:29どれだけいるか、
01:17:30家族がどれだけ困っているか、
01:17:33どういう経過で、
01:17:35養介護になっていくか、
01:17:37そんなの介護保険できてから、
01:17:38みんな分かったんですよ。
01:17:39岩手県、
01:17:45旧沢内村。
01:17:482005年に、
01:17:49隣町と合併し、
01:17:51西和賀町になりました。
01:17:54老人医療費の無料化は、
01:17:57この時、
01:17:57終わりました。
01:17:58病院は、
01:18:02去年、
01:18:03新しくなりました。
01:18:06旧沢内病院の独自の取り組みは、
01:18:09引き継がれませんでした。
01:18:13今、
01:18:14高齢化率は、
01:18:1545%。
01:18:18人口の半分近くが、
01:18:2065歳以上となりました。
01:18:22自治体ごとに定められる介護保険料は、
01:18:28県内で2番目に高くなっています。
01:18:35旧沢内病院。
01:18:374月、
01:18:44医師の増田進さんは、
01:18:46かつて40年勤めた、
01:18:48この病院を訪れました。
01:19:01ねえ、懐かしいね。
01:19:02懐かしいねえ。
01:19:12これは、
01:19:13これもロックさんでした。
01:19:14これね。
01:19:16住民の命を守るために、
01:19:18私は命を懸けよう。
01:19:21かつて、
01:19:22生命行政を掲げた、
01:19:25深沢雅夫村長が、
01:19:26残した言葉です。
01:19:28お年寄りの医療費無料化の、
01:19:33効果はありましたか、
01:19:34なんて聞かれて、
01:19:35どれがあった。
01:19:36村が変わった。
01:19:37明るくなった。
01:19:39え、ほんとにそう。
01:19:40だから、
01:19:41ちざな言い方をしたんだけど、
01:19:43そのとき、
01:19:44福祉は力だよなって言ったんだね。
01:19:46ほんとに。
01:19:47そういう困った人を助けるとね、
01:19:50ほかの人が助かるんだよね、
01:19:51家族とか、
01:19:53働き手が。
01:19:55で、
01:19:55村全体が、
01:19:56こう、
01:19:56明るくなってこう、
01:19:58活発になるんだね。
01:20:00それをほんとに、
01:20:00沢内で感じたの。
01:20:07今、
01:20:08沢内では、
01:20:09増え続ける高齢者たちが、
01:20:12家族と離れ、
01:20:13介護施設で暮らすようになりました。
01:20:18増田さんは、
01:20:20できるだけ長く、
01:20:21家で暮らし続けられるよう、
01:20:24診療所を開き、
01:20:25顔なじみの人たちへの、
01:20:27診察を続けています。
01:20:28いい膝だよ。
01:20:33こっちも少し上がりすぎて。
01:20:41ちょっと我慢ね。
01:20:42ちょっと我慢ね。
01:20:43介護保険が始まって15年。
01:20:526月、
01:20:54有識者らが、
01:20:55介護の危機を訴えました。
01:20:59医療や介護、
01:21:00介護の方がもっと深刻でありますが、
01:21:03こちらがですね、
01:21:03極めて危機的な状況になるのではないかと。
01:21:06首都圏での介護不足が深刻化するというのです。
01:21:12今、
01:21:15全国で介護を必要とする人は、
01:21:19600万人に達しています。
01:21:23国は、
01:21:2410年後には、
01:21:25介護人材が、
01:21:2738万人不足すると見込んでいます。
01:21:302008年から、
01:21:35インドネシアなど、
01:21:37海外から介護士を受け入れています。
01:21:44介護保険料の負担は増え続け、
01:21:4810年後には、
01:21:491人当たり、
01:21:50年間10万円になると予測されています。
01:22:00さらに、
01:22:06日本は今、
01:22:08世界に類を見ない、
01:22:09少子化社会も迎えています。
01:22:13高齢者を支える世代が増えることは期待できません。
01:22:22これからの日本社会を予測した、
01:22:25人口ピラミッドです。
01:22:26団塊世代が80代を迎える2030年には、
01:22:33高齢化率は31.6%。
01:22:37さらに、
01:22:382060年には、
01:22:40女性の寿命が90歳を超え、
01:22:43高齢化率は40%になることが予測されています。
01:22:51世界で、
01:22:52まだ誰も経験したことのない、
01:22:54超高齢社会に、
01:22:56日本は突入していくことになります。
01:23:09高齢者を支えてきた、
01:23:11家族、地域などの基盤は、
01:23:14今、
01:23:15失われつつあります。
01:23:16いち早く医療の枠を超えて、
01:23:26高齢者と向き合ってきた、
01:23:28天本博さんは、
01:23:30住みなれた街で、
01:23:32暮らし続けられる仕組みを、
01:23:34新たに作ろうとしています。
01:23:35一人暮らしでも、
01:23:43認知症になっても、
01:23:45生活の支援を受けながら、
01:23:47生きていける街づくりです。
01:23:49地域の人々と一緒に、
01:24:05高齢者を見守るネットワークを、
01:24:08築こうとしています。
01:24:09戦後70年、
01:24:17日本は、
01:24:18押し寄せる高齢化の波に、
01:24:20追われてきました。
01:24:23今、
01:24:24未来を見据えて、
01:24:26新しい社会の在り方を、
01:24:28どう描くかが問われています。
01:24:29モデルだけ挑戦ですよ。
01:24:35モデルがないと。
01:24:37今までの事例がないものの中で、
01:24:39やっぱり求めているものを、
01:24:41やっぱり作っていかなきゃいけないと。
01:24:43そういう環境づくりというものは、
01:24:46我々も関わらなきゃいけないし、
01:24:49住んでいらっしゃる人も、
01:24:50関わっていかなきゃいけないと。
01:24:52そういうものを討論するとか、
01:24:54そういうものを、
01:24:55我々として仕掛けていかなきゃいけないとは思いますけどね。
01:24:58生活し続けていける条件づくりというものは、
01:25:04医療・介護のバックというものも必要ですけど、
01:25:08まずは生活、
01:25:09共同して生活していく、
01:25:12まちづくりの風土という社会を、
01:25:18もう一回再構築していくということは、
01:25:22それはある意味での、
01:25:24一人一人の役割を、
01:25:28持つことの大げさに言うと、
01:25:32生きがいのような、
01:25:33生き生きとしてくれる、
01:25:35役割を持つということをね、
01:25:38すごく、
01:25:39する側も、受ける側も、
01:25:42それぞれは作っていかなきゃいけないとは思いますけどね。
01:25:45このままいくと、
01:25:47おそらく、
01:25:49養飼い後高齢者の数が、
01:25:52一番増えるのは、
01:25:54段階の世代の方が、
01:25:55後期高齢者になって、
01:25:58ますます動いていく、
01:26:002030X年だと思うのですけれど、
01:26:03私はファミレス社会と呼んでいますけれど、
01:26:07ファミリーがレス、
01:26:09少なくなっていく、
01:26:11社会が、
01:26:11この15年間の間に、
01:26:13あっという間に、
01:26:15進展して、
01:26:16高齢者、
01:26:20在宅在宅と言われますけれど、
01:26:23養飼い後者の在宅は、
01:26:26家が、
01:26:26持ち家があるだけじゃいけないですね。
01:26:29ケアがついていなければ、
01:26:33終末期というか、
01:26:34療養期の高齢者は、
01:26:36過ごすことができません。
01:26:38そのケアを、
01:26:38大部分を担っていた家族が、
01:26:41ほとんどいなくなったわけですから、
01:26:47地域とかそういうことを単位とした、
01:26:50底辺の遊園社会を作る。
01:26:54この仕組みを、
01:26:55大急ぎで作ることが、
01:26:57もう時間は、
01:26:59あと10年ぐらいしかないと思います。
01:27:03今まで苦労しながら、
01:27:04厚労省だって苦労しながら、
01:27:06いろいろやってきた面もあるんですから、
01:27:08国民の間から、
01:27:11市民の間から提案して、
01:27:13それを政策に取り上げたことも、
01:27:15いっぱいあるんですから、
01:27:17やっぱり、
01:27:19行政、市民の知恵を総結集して、
01:27:22総力戦でないと、
01:27:24これは乗り切れない。
01:27:25ご視聴ありがとうございました。
01:27:40ご視聴ありがとうございました。
01:27:43ご視聴ありがとうございました。
01:28:13ご視聴ありがとうございました。
01:28:14ご視聴ありがとうございました。
01:28:16ご視聴ありがとうございました。
01:28:18ご視聴ありがとうございました。
01:28:21ご視聴ありがとうございました。
01:28:25ご視聴ありがとうございました

お勧め

46:06