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人を助けたいと言う欲が育つこと (2025-05-25)
Wagakokology-Jp
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2025/5/25
師匠大坪総一郎師は、合楽理念がある限り代勝りのおかげが受けられると仰っておられましたが現実において代勝りになっていると言える人は居ないように思えます。代しぼみになる原因は何か、合楽理念を正しく行じていないと言うことも有りましょうが、心が育っていないと言うことの方が大きいように思います。それは人を助けたいと言う欲が育っていないと言うことではないでしょうか。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
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00:00
ご理解第12節
00:11
神に会おうと思えば庭の口を外へ出てみよう
00:16
空が神、下が神
00:18
根高大臣の見教えによって知るのは誠の信心です
00:26
そこから天地の大音がわかります
00:29
またその大音に報いる生活ができるのです
00:34
見るものすべてが神の姿
00:36
聞こえるすべてを神の声といただけるとき
00:40
初めて天地丸生かしの神を
00:43
体全体で感じ取ることができるようになります
00:46
私は毎朝天地を庭の口に出ておがいます
00:52
天地のエレキを十分に全身に受ける思いがいたします
00:59
天地のエレキを十分に全身に受ける思いがいたします
01:08
天地のエレキは何でしょうかね
01:14
神様の願い、神様の思い、神様のお心
01:22
というようなものではないかと思いますね
01:27
神様の思いを受ける
01:30
それが私どもの原動力ともなる
01:35
ということではないでしょうか
01:40
その信心の原動力というものですが
01:44
師匠大坪総一雄氏がまだ
01:48
いわゆる人が助かるというようなことになる前の
01:54
その信心の原動力の一つと言いましょうかね
01:59
ある課題というようなものを
02:03
心に持っておられたと
02:04
おっしゃっておられましたね
02:07
それは
02:07
お道の教会がいろいろあるけれども
02:13
初代の時には大繁盛
02:17
人がたくさん助かったけれども
02:20
二代、三代となるに従って
02:23
ご親徴さんの数も少なくなる
02:26
そういう教会が多いと
02:31
大体そういう傾向にあると
02:34
いわゆる
02:37
日まさり、月まさり、年まさり、大まさり
02:42
となっている教会が
02:45
少ないというのかほとんどない
02:48
ということであったそうですね
02:52
ですからその、どうして大まさりにならないのだろうかと
02:58
大まさりに
03:00
その教会というものが大まさりに発展する
03:05
いや、一体どうあったらよいのだろうか
03:11
といったようなことが
03:13
信心の、まあ、師匠の課題の一つでもあられたようです
03:18
まあ、それだけではないでしょうけれども
03:21
その一つではあられたと
03:23
また、本教においても
03:26
いわゆる教祖様のご時代
03:29
その当時は
03:31
まあ、ほとんどの教会が初代ですから
03:34
その初代の時に
03:36
大繁盛を見たと
03:38
それが二代、三代になるに従って
03:42
教会の、まあ、教制というのでしょうかね
03:45
ご親父さんの数、そのものも少なくなってきたと
03:49
いわゆる大まさりになっていないわけですね
03:54
大しぼみというのでしょうか
03:57
そういう現実があると
03:59
そこのところを
04:02
まあ、その課題をクリアするというのが
04:04
一つの、まあ、目的でもあったようですけれども
04:10
やはり、みんなもそれを問題にしておられる
04:16
どうして、うちの教会は
04:19
初代の時はあんなにご批評をいただいたのに
04:22
私の代になったら
04:24
まあ、二代、三代、四代と
04:26
代が重ねにつれて
04:28
だんだん減少傾向にある
04:31
しぼんできた
04:31
どこにあるのだろうか
04:34
何が原因だろうか
04:36
と、その答えの一つとして
04:41
初代、師匠大坪総一郎氏は
04:45
愛楽理念もその答えの一つだと
04:49
おっしゃっておられますね
04:51
この愛楽理念を
04:54
行事で行く限り
04:57
大まさりのおかげが受けられると
04:59
愛楽理念、私も
05:05
私の二代、三代、四代と
05:08
その先はどうなるかは
05:11
わからないけれども
05:12
愛楽理念がある限り
05:15
大勝負だと
05:16
愛楽理念がある限り
05:19
そしてその愛楽理念を
05:21
行事でくれる限り
05:23
それも行事ということにおいても
05:26
正しく行事ということでしょうね
05:31
愛楽理念を正しく行事でくれる限り
05:36
大まさりのおかげがいただけれることは
05:41
確信すると
05:42
しかし、行事ないならばわからないと
05:46
おっしゃっておられましたね
05:49
そして
05:50
師匠が亡くなって
05:54
30年
05:56
その果たして
05:59
大まさりになっているであろうか
06:02
と振り返った時に
06:05
現実を見た時ですね
06:07
振り返るというより
06:08
現実を見た時に
06:10
大まさりのおかげをいただいている
06:14
とは言えないような現実がある
06:21
やっぱり師匠のもとでも
06:24
大まさりのおかげを
06:27
ということには
06:29
なっていないのだろうかと
06:31
ある大阪の教会などでも
06:35
ある教会はずっとそのご比例というものを
06:38
維持しておられるようですが
06:40
やはり初代と師匠と同じ時代頃に
06:44
ご発展されたある教会は
06:47
やっぱりご信者さんの数は
06:49
減っておられるようですね
06:51
まあ教会としては
06:52
大きな教会で基盤ができておられるのか
06:57
維持しておられるようですが
06:59
ご信者さんの数はやっぱり
07:01
半分以下に減っているのではないでしょうかね
07:05
さあこれが師匠のもとではどうだろうか
07:09
やっぱり師匠のもとで
07:12
師匠が亡くなってその後
07:14
ご比例が2倍3倍と大まさりに
07:19
増えてきている
07:20
発展している
07:22
とは言えない現実があるように思いますね
07:28
それはどこに原因があるのだろうか
07:35
と私もずっと考えておりましたが
07:39
なるほど
07:40
愛楽人がありさえすれば大まさりになると
07:43
しかしここにおいても大まさりになっていないような現実がある
07:50
それはどこにあるのか
07:53
これは私の場合
07:55
私個人の場合においてもそうですけれども
07:58
何が足りないのか
08:01
それは欲だと
08:06
今朝いただきます
08:08
教えていただきますのは欲がないからだと
08:12
師匠は願い以上思い以上のおかげをいただいております
08:18
と言われました
08:20
願い以上思い以上なのです
08:27
願いがないところには思いがない
08:30
願いがないけれども思いがないけれどもおかげをいただいております
08:36
とはおっしゃっておられませんね
08:39
どこまでも願い以上思い以上のおかげをいただけるのが
08:45
愛楽人でもあるわけです
08:48
願いがないのにおかげをいただいております
08:51
思いがないのにおかげをいただいております
08:55
ではないのです
08:57
願いがあってそれ以上に神様がおかげをくださる
09:05
思いがあってそれ以上に神様がおかげをくださる
09:10
という神様なのです
09:12
またの見教えに
09:17
たどみもせんものを神様は叶えてはくださらない
09:22
ともおっしゃっておられますね
09:26
私どもが願うから
09:29
思いがあるから
09:31
それ以上にそこに神様が喜ばせようとしてくださるわけです
09:37
ですから私どもが例えば
09:40
儲けたいと100円儲けたいという願いが
09:46
思いがあれば200円儲けさせてくださったり
09:50
1000円儲けさせてくださったりするのでしょうけれども
09:54
もし私どもに儲けたいという意識が全くないならば
10:00
これはこの事故は儲ける気はないのだな
10:05
いらないのだなということで
10:07
200円も100円も1000円もそういうおかげはくださらない
10:12
この事故はこれはいらないのだな
10:15
ということになってしまうわけですね
10:18
ですから私どもがやっぱり
10:22
願い以上思い以上のおかげをいただこうとするならば
10:27
願いがなければならない
10:29
思いがなければならない
10:31
そしてその願い以上思い以上になるような
10:37
おかげをいただかねばならない
10:39
そのためには愛楽に念を行しなさいというわけですね
10:44
まず願いありき思いありきということかもしれませんね
10:50
多くの教会が2代3代となるに従って
10:57
よく言われますね
10:59
親苦労 子楽 孫子敷ですか
11:04
で親の代の親の晩年またはこの代には発展するけれども
11:10
孫の時代になったら子敷になってしまう
11:14
というようなことを言われますが
11:15
どこに違いがあるのか
11:18
何の違いがあるのか
11:20
どうして2代3代と続かないのか
11:25
もちろん行事ないからだと言ってしまえば
11:30
それまでですけれども
11:31
行事ようとしない
11:34
行事ないからだという前に
11:37
行事ようとする意欲がないからだということなのです
11:42
いわば欲がない
11:44
欲が育っていない
11:46
初代の時には欲が強かった
11:50
この企業なら企業
11:53
この商売なら商売を発展させよう
11:56
という旺盛なる意欲があった
11:59
だからその発展した
12:01
しかし2代になると
12:04
まあそこそこに発展したから
12:06
まあそれ以上発展させようという
12:09
しなくとも十分に食べていけれるようになった
12:14
会社経営がうまくいっている
12:16
まあそこそこに行っている
12:18
まあ2代3代と
12:21
まあその財産が多少は続くわけですね
12:25
ですからそれ以上に会社を大きくしようとか
12:29
企業を大きくしようとか
12:31
いう意識願いが
12:34
気迫になってきた
12:35
そこで目立つのは
12:40
だんだん商売が傾いているという現実だけが目立つわけです
12:46
それで
12:49
教会にしても
12:53
ご比例が落ちてきた
12:54
なぜ落ちてきたのか
12:56
それは
12:58
意欲が
13:00
衰退しているというのが
13:03
育っていないからだと
13:06
その
13:07
その欲ですね
13:09
師匠の代には
13:12
初代の代には
13:13
欲が現れた
13:15
それこそ教祖様もおっしゃっておられます
13:18
画上
13:19
画役を離せとはおっしゃっておられますが
13:22
画上画役を離れて
13:24
そして
13:24
ゆいよ
13:25
何が残るのか
13:27
それは
13:28
ゆいよ
13:29
欲が募ってくると
13:30
画上画役を離した後に
13:33
欲が募る
13:34
おかしな話ですけれども
13:36
そうなのですね
13:37
その欲なのです
13:39
その欲はどういう欲か
13:41
人を助けたいという欲だ
13:44
と
13:45
その
13:45
5万年に
13:47
私にも欲があります
13:48
だんだん
13:51
人を助けたいという欲が
13:52
強くなってきましたというようなことを
13:56
おっしゃっておられたと思いますが
13:58
師匠の身教えにもありますね
14:01
欲というものがだんだん
14:04
膨らんでくるものだ
14:06
強くなってくるものだと
14:07
それは
14:08
人を助けたい
14:10
お役に立ちたい
14:12
いやむしろ
14:13
お役に立ちたいというよりか
14:16
人を助けたい
14:17
という欲だと思いますね
14:20
この人を助けたい
14:22
という欲が
14:24
育たない
14:26
育っていないから
14:28
教会のご比例も
14:31
落ちてくるということになるのでしょうね
14:33
これは私にもあります
14:37
その私にも
14:38
人を助けたい
14:39
という
14:41
その欲が
14:42
まあ
14:43
薄いのだと思います
14:45
それほど強くない
14:46
しかしこれが
14:48
なるほど
14:50
師匠の教えを伝えたいという
14:52
思いはありますけれども
14:54
そこに
14:55
人が助かれさえすれば
14:56
人を助けたいという欲が
14:59
まだまだ気迫ですね
15:01
私どもの心の中に
15:06
その人を助けたい
15:08
という欲が
15:09
獅子を
15:11
ほどしに育っていない
15:13
そこに
15:14
いわゆる
15:15
人が助かるという
15:17
働きにも
15:17
なってこないわけです
15:19
人を助けたい
15:21
という欲がないところに
15:23
願いがないところに
15:25
神様が
15:25
それ以上の
15:26
働きをくださることは
15:28
ないわけですからね
15:30
どうでも
15:32
私どもの中に
15:34
まずは
15:35
人を助けたい
15:36
という欲が
15:37
いよいよ
15:38
膨らんでこなければならない
15:39
募ってこなければならない
15:41
そうでなければ
15:44
大正のおかげも
15:45
いただけない
15:47
ということになりましょうね
15:49
大正になる
15:53
まあ
15:54
教会ですけれどもね
15:55
教会としての
15:56
大正になる
15:57
その肝心
15:59
要は
15:59
その大を
16:02
重ねることに
16:03
人を助けたい
16:04
より多くの
16:05
人を助けたい
16:06
という
16:07
思いが
16:08
願い
16:09
意欲ですね
16:11
これが
16:11
どれほど強く
16:13
膨らんできているか
16:15
育ってきているか
16:17
ということに
16:19
かかっているように
16:20
思いますね
16:21
もし
16:24
大正になっていない
16:25
とするならば
16:26
それはその
16:27
欲が
16:28
育っていないからだ
16:30
人を助けたい
16:32
という欲が
16:34
気迫になっているからだ
16:36
ではないでしょうかね
16:38
では
16:40
どうぞ
16:41
よろしく
16:42
お願いいたします
16:43
ありがとうございます
16:51
ありがとうございました
16:53
ご視聴ありがとうございました
16:55
ありがとうございました
16:57
ご視聴ありがとうございました
16:59
ご視聴ありがとうございました
17:00
ありがとうございました
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