- 一昨日
カテゴリ
📚
教育トランスクリプション
00:00第1回 核弾頭
00:08今日、依然として1万2千発の核弾頭が地球上に存在し、
00:16核のタブーが壊されようとしていることに限りない悔しさと意気通りを覚えます。
00:2379年前、アメリカが広島と長崎に投下した原子爆弾。
00:36街は一瞬にして焼かれ、未曾有の惨劇をもたらしました。
00:42生き残った被爆者たちは放射線による後遺症や貧困、差別に苦しみ、社会から孤立して生きていました。
00:53私たちが今死んでも、この原爆という恐ろしいことを世界中の人に誰が知らせてくれるんですか。
01:06日本被弾橋は被爆者たちの切実な声から生まれました。
01:12そして、つらい記憶を語り、生涯にわたって核兵器廃絶を世界に訴えた先人たちがいました。
01:20核兵器による死と苦しみを、たとえ独りたみたりを許してはならないのであります。
01:27ノーモーは広島、ノーモーは長崎、ノーモーは大、ノーモーは被爆者。
01:35命と落とし、人類は生きねばならん。
01:40マンカインドマスターリーブ、マンカインドマスターサーバイブ。
01:44人間の命は大切だ。
01:47人間の尊厳を守ろう。
01:49諦めるなよ。
01:51では、自爆。
01:53日本被弾橋のノーベル平和賞を受賞。
02:02しかし今、核のタブーが揺らいでいます。
02:08現在進行中の戦争では、核兵器を使うという脅迫が、
02:12公然と繰り返されています。
02:16被爆者は、世界が必要とする光です。
02:23ノルウェーの首都オスロ
02:28授賞式に出席する日本被弾橋の代表団が到着しました
02:40私たちは本当にもう高齢になっておりますけれども、
02:48今の覚醒情勢が非常に厳しくなっている。
02:51今まで被爆者が訴えてきたことを、さらに強く訴えて。
02:58スケジュール通り、私たちは一生懸命緊張して、
03:02予定表をこなしていけたらと思っております。
03:06亡くなっていった先人たち、それから全ての被爆者が
03:13受賞したことと思っております。
03:16大変ありがとうございました。
03:18まだ被爆者は死なれないなと。
03:24高齢の被爆者は、冬のオスロで分刻みの行事をこなし、
03:28平和への願いを訴えました。
03:38ノーベル平和賞の受賞で、世界は変わるのか。
03:43あの日を知る人たちの、新たな決意とは。
03:47被爆者たちが、未来に託すメッセージです。
03:52メッセージです。
03:57どうもおしまい。
03:59どうもおしまい。
04:00どうもおしまい。
04:01どうもおしまい。
04:03ご視聴ありがとうございました。
04:10失礼します。
04:12こんにちは。
04:13よろしくお願いします。
04:15はい。
04:16よくいらっしゃいました。
04:18すみません。
04:19安倍静子さん、97歳。
04:22日本被弾協の結成当時を語ることができる、
04:26数少ない被爆者です。
04:28びっくりするやら、嬉しいやらで、
04:35ちょっと嬉しい涙が出ましたが、
04:39ゆっくり考えてみたら、
04:41喜んでばっかりお願いしようのような気がします。
04:46いよいよ、ますますしっかりしなきゃいけないな、
04:50思って考えました。
04:53安倍さんは、結婚して間もない18歳の時、
04:59爆心地から1.5キロの屋外で被爆。
05:03顔や右半身に大やけどを負いました。
05:07戦後も、手や顔はケロイドで引きつり、
05:11差別にも苦しみました。
05:13顔や傷を受けたことです。
05:16そして、その色が若い時ほど見にくくて、
05:22傷もひどくて苦しみました。
05:27近所の心ない青年たちは、
05:31赤鬼、赤鬼って生やし立てますし、
05:35とても悲しかったです。
05:40何でも死にたいと思いました。
05:46外出を避け、うつむいて暮らしていたという安倍さん。
05:50当時、多くの被爆者たちが、安倍さんと同じように、
05:55原爆症や差別、貧困に苦しみながら、
05:59ひっそりと生きていました。
06:08流れが変わったのは、被爆から9年後の1954年。
06:13アメリカの水爆実験によって、死の灰を浴びた、
06:17第5福龍丸事件がきっかけでした。
06:22原水爆禁止の訴えが、全国的なうねりとなる中で、
06:26翌年、広島市で、
06:28第1回原水爆禁止世界大会が開かれます。
06:33初めて、被爆者の声が世界に発信された場に、
06:37安倍さんも出席していました。
06:39今後どうして生きて生きようか、
06:43そんなことを考えると、
06:45今のうちに死んでしまいたいとおっしゃっています。
06:48でも、私たちが今死んでも、
06:50この原爆という恐ろしいことを、
06:53世界中の人に誰が知らせてくれるんですか。
06:58これが、切れていった事なんです。
07:04安倍さんは、声を上げ始めた被爆者たちとともに、
07:08援護や原水爆禁止を求めて、国会に請願しました。
07:13そこで、後に総理大臣となる、広島選出の池田勇人議員から、こう言われたといいます。
07:28日本は、アメリカに弱いからね。
07:32おっしゃいました。
07:33日本は、アメリカに弱いからね。
07:34おっしゃいました。
07:35いや、アメリカに気がねんをして、
07:38我々を今まで放置されたんかと思って、ちょっと、
07:42ムッとしました。
07:44ポツンと、今度、いらっしゃる時は、
07:45組織を作って、
07:46組織を作っていらっしゃい、
07:47知恵を授けてください。
07:49バラバラに行ったんでは、
07:50あの、
07:51力がないから。
08:16原爆10日から11年後の1956年8月
08:23日本被弾協が誕生しました
08:27結成大会に出席した安倍さんは当時29歳
08:32被爆者は温かい愛情に飢えていたので
08:37嬉しかったと振り返りました
08:41顔の色は真っ赤でした
08:45日本ザルの顔色のようでした
08:48安倍さんは積極的に自らの被爆体験も伝えてきました
08:55これはご自身が
08:59これね一冊の大学の音です
09:03名刺が
09:06この名刺1枚で1時間の証言をしてまいりました
09:10名刺を貼るのでこうかさばって
09:13こんな安くなります
09:15私の宝物です
09:17これまで被爆体験を語った相手の名刺や
09:23はがきが大切に貼ってあります
09:26私の話をまばたきませんと聞いてくださるんですよ
09:34この人たちが私のような
09:39醜い姿になられないように
09:43どうぞ親からいただいたその体を
09:47そのままで年を重ねていっていただきたい
09:50被爆体験を語り始めて半世紀
09:55安倍さんは間もなく98歳になります
09:59長年証言を続けて訴えてきましたけど
10:04被爆体験があんまり日本もですが
10:10世界の方たちに届いたなと思うんですよ
10:14それやっぱり被爆者の責任です
10:19もう少し世界の人たちに広島の参加を伝わるべきだ
10:25思いました
10:26こちらが世界への挨拶という
10:40森滝一郎さんが書かれた原稿になります
10:43日本被弾教の結成大会で読み上げられた
10:49世界への挨拶の原文です
10:52起訴した森滝一郎さん直筆の原稿には
10:59日本被弾教が設立当初から
11:02核兵器廃絶を人類の問題として
11:06捉えてきたことが分かります
11:11私たちは自らを救うとともに
11:15私たちの体験によって
11:17人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります
11:24森滝一郎さんの次女、春子さんは
11:28世界への挨拶を徹夜で書き上げた父の姿を
11:32今も覚えています
11:34会合をやって帰ってくると
11:38頭にいっぱいあるでしょ
11:41これを書かなくちゃいけないと
11:43頭で考えながらですから
11:46すぐ机に向かうんですよ
11:49何を書いてるとか言ってちょっと望み込む
11:53でも物も言わずに書いてました
11:55核絶対否定の立場に立つ運動の必要性というものを
12:02もう腹の底からですね
12:04感じるようになりました
12:07これより他に人類の生きる道はないと
12:12広島大学の倫理学者で
12:14核と人類は共存できないと唱えた森滝さん
12:1844歳の時爆心地から4キロで被爆し
12:23飛び散ったガラスの破片で右目を失いました
12:29早くから被爆者として世界に出向いて
12:33核兵器廃絶を訴えました
12:35森滝さんを象徴する運動が座り込みです
12:53アメリカなどの核実験に対する無言の抗議です
12:58ところがある日
13:00幼い女の子が通りすがりにつぶやいた言葉が
13:04森滝さんの胸に突き刺さります
13:09小さい子供でしたがね、女の子です
13:12座っとっちゃ止められやすまえで
13:15こういう、部屋運動に対応する
13:18根本的な質問に私には日々受け取ったわけなんです
13:25女の子の問いかけに森滝さんは
13:29反隔運動の悟りにたどり着いたと
13:32後に振り返っています
13:35それは、人々の連帯こそが
13:38世論を呼び起こし
13:40核戦争をも食い止める
13:42大きな力になるという核心でした
13:44自分たちが毎日いろんな運動をやってても
13:50思うようにいくわけじゃないですよね
13:52核を持つ権力といえば国家だし
13:56あるいは大企業、核をつくって
13:59なりわいとする大きな企業ですよね
14:01そういうものに対する力っていうのを
14:05本当に無力な一般庶民、市民である我々が
14:11持ち得るのかっていったら
14:13やっぱりそのつながり、横の連帯の力しかない
14:17元衆議院議員の金子哲夫さんは、森滝さんと活動を共にしてきました
14:3093歳までそういうことを
14:33自らがあそこの慰霊碑の前で
14:361時間座り込みをする人って
14:40そんなにいないと思うよね
14:44僕は理論よりも、そういう行動されてきた姿を
14:50かなり身近に、特に晩年を身近に見てきて
14:54やっぱりそういうのが
14:55反核運動や平和運動には大事だなというのを
14:59教えてもらった気がしますよね
15:03ちょっと、まあ先生座られたら
15:05その位置でみんながあれすることにしよう
15:0892歳の森滝さんです
15:12座り込んだ回数は、この日まででおよそ500回
15:17反核運動の先頭に立ち続けた森滝さんにとって
15:21最後の座り込みでした
15:23座りましたけれども、核は一向になくならない
15:29じゃあ絶望するかというと、絶望するわけにもいかない
15:35やはりある限り、我々の抗議の行動というのは
15:40どうしても続けなければいけないという
15:43そういう気持ちばかりです
15:45この日から半年後に、森滝さんは亡くなりました
15:52森滝さんが確信した草の根の力は、被弾協の活動理念に受け継がれていきます
15:59スピーティーティーティー
16:03スピーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティーティ
16:33また受賞式に出席する日本被弾協の代表員
16:38美牧俊幸さんです
16:3982歳の美牧さんの生活も一気に慌ただしくなりました
17:09出発を前に病院を訪れていました
17:16疲労やストレスで持病の心不全が悪化し
17:21肺に水が溜まっていました
17:23今ノーベル賞取られてからまた2キロほど
17:31体に水が溜まっていらっしゃるわけだから
17:34これレントゲン見てもね
17:35健康外資っておるけども
17:39前後合わせて1週間になりますが
17:44行ってきたいんですよ
17:47それは自分の使命だと思う
17:49そう私の使命
17:51医者だけの立場でお話させていただいたら
17:55ヨーロッパまで行って2週間あれして
17:58いうのは医学的には進められたことではないです
18:03正直言ってね
18:05被爆者としての責任としてっておっしゃってられるんで
18:09そういうこと言うね美牧さん
18:12被爆者としての責任を全うすることやね
18:16そうです
18:16受賞式まで1ヶ月
18:21入院して体調を整えることになりました
18:25美牧さんは原爆投下の翌日
18:29母親と一緒に広島市内に入り
18:32入死被爆しました
18:33当時3歳
18:35原爆の記憶はほとんどありません
18:38家族を奪われた原爆小児が身近にいた経験から
18:56世界で続く紛争に胸を痛めています
19:00病室でも
19:30準備を進めていました
19:313週間の入院を終えた美牧さん
19:46出発が近づいていました
19:48冬のオスロは氷点下
19:52初めて切るというタキシードも用意しました
19:56これタキシード用か
19:58タキシード用のシャツ
20:02襟を立てるんじゃろ
20:04襟を立てるようになる
20:07これが病院が帰ってくるタイム
20:10この人はこういう病気を持っている
20:17乗るえのお医者さんに見てよって言って
20:21具合が悪くなったら
20:23持っていくことにしている
20:27緊張の連続だろう
20:31受賞式には1枚の写真を胸ポケットに収めて
20:56望むつもりです
20:58坪井さん
20:59農業部屋所を受賞に
21:02おそれ行くとなったよ
21:04一緒に行きましょう
21:05という感じだよね
21:06原爆の最大の被害は
21:10たとえ生き残っても
21:13精神的身体的な
21:17人間破壊が
21:18生涯続くのです
21:20坪井すなおさん
21:24三巻さんが
21:26積極的に被弾強に関わる
21:29きっかけとなった人物です
21:30国内外で被爆体験を証言し
21:363年前に亡くなるまで
21:38不当不屈の精神で
21:40核兵器廃絶を訴えてきました
21:42諦めるなよ
21:44ネバーギブアップ
21:46初めて追うた時にあれ
21:49雲の上の人のように見えたやな
21:52ほんと我々が一番元気な魚頃ね
21:56ノーベルヘア賞をね
21:58もらうべきだった方が
22:00坪井さんの
22:03ネバーギブアップの教えを胸に
22:06オスロへ出発です
22:08港町
22:19オスロ
22:20博物館や美術館が
22:23数多く存在します
22:24世界的な画家
22:27ムンクが過ごした町でもあります
22:29海上サウナは
22:37家族連れや観光客で
22:39にぎわっていました
22:40にぎわっています
22:50おかいちや
22:52海の日間や
22:53どんどんどんどちに
22:58あるところに
22:59メールデアカス
23:01ト item
23:04たところの
23:06世界中の領域は西と西と西と西の中で
23:13体は汚染の中で
23:17状態を押しないと
23:19長いフライトを終え 被爆者たちがオスロに到着しました
23:38日本被弾協の代表団は総勢30人 それぞれの思いを背負ってやってきました
24:00田中さん 広島から参加した田中さとしさんです
24:08喜び半分ね 恥ずかしさと情けなさというのかな
24:17核域をなくそうというね そして世界の核域外資を結構という国際条約ができているのに
24:25それに即応を向いているような政府
24:29そこで私たちが衝をいただくということについてね
24:35まあ恥ずかしい思いですよ
24:39すいません お疲れ様でした
24:42長崎で被爆した田中てるみさん 92歳
25:03長崎で被爆した田中てるみさん 92歳
25:09大学で教団に立ちながら 長年被爆者運動にも関わってきました
25:15記者会見に集まったのは 世界中のメディアおよそ60社
25:23相次ぐ質問に答え 核兵器廃絶への思いを訴えました
25:30明日行われる受賞演説 これは責任の重みとかですね
25:41ご自身の重圧っていうのは 現在どのように捉えられているか教えてください
25:45ものすごい重圧を感じて 今読み返してみるとですね
25:49もうちょっとじゃない かなり別の表現をした方が よかったんじゃないかという反省をしたりして
25:57もう本当に明日が不安で不安でしょうがない というのがありますけども
26:03今日記者会見でいろんなことを 言葉でですね
26:07皆さんにお伝えできたことが また一つはよかったかなというふうに思いますけれども
26:12受賞式では20分間の演説という 大役が待っています
26:19自らのスピーチは世界に伝わるのか 直前まで不安を抱えていました
26:42私もお伝えしていますね
26:46あなたのお伝えしています
26:48私たちは世界ではいさつがあった しかし
26:50そういう世界で怖いの 私たちを使った 私たちは
26:54私たちは暴力の 私たちに 私たちに彼を前回しています
26:57それを私たちにすると わないことを忘れています
27:02とても私たちに 私たちにも認められています
27:03でも どうだろうと言うことをつかないと言うことが 変化するという事をあたちに
27:05私たちが言うことを 私たちにきっと何をやっていたことを 言うことを考えた
27:08私たちの子グルをした 子長たちが10年です
27:10学校についても知っているのです
27:15明日に来るのです
27:18とても素晴らしい経験です
27:21ニハン・ヒランキューとのヒバクシャです
27:26責任に責任を貸しているのです
27:32新しい世代の新しい世代のヒバクシャです
27:38この年のヒバクシャです
27:40新しい世代の世界についても
27:44テストリーを従うことができます
27:47彼らの説明を理解することができます
27:51人たちの人たちの社会についても
27:55世界の政治家についても
27:57世界の政治家についても
27:59明日の出前のオスロには
28:034人の高校生平和大使が
28:07高校生平和大使の姿がありました
28:10同世代の若者に原爆の恐ろしさを伝えるため
28:15地元の高校を訪れました
28:18自分たちに何ができるか考え
28:30平和のために行動しようと呼びかけました
28:35自分たちに何ができるか考え
28:40自分たちに何ができるか考え
28:42平和のために行動しようと呼びかけました
28:46自分たちに何ができるか考えは
28:58ああ、それは美しい。
29:00私は高校生の学生にも、私は世界の世界を変えることができません。
29:06それにも、私は本当に自分を変えることができる。
29:10彼女は、彼女は、彼女は、彼女が、彼女が、彼女が、彼女が、彼女を変えることができる。
29:203、2、1…
29:28いよいよ明日歴史的な一日を迎えます授賞式の朝オスロの街は一段と冷え込んでいました
29:55はい、どうぞ。
29:56ああ、着替えられたんですか。
29:58うん、さっき記念写真撮ったでしょ。
30:00広島から代表団に加わった田中聡さんの部屋を訪ねました。
30:06はい。
30:08滞在中は疲れが出ませんでした?
30:10疲れは出ないけど、若干寝不足かな。
30:14田中さんは、中国新聞の元記者で、被爆者の取材にも取り組んできました。
30:22授賞式には、記者時代に取材を重ねた先人たちの写真と共に臨みます。
30:29日本被弾橋を越えられた藤井平一さんね。この人が広島県被弾橋。
30:36これが最初、出発点。
30:38出発点。
30:39被弾橋。
30:40うん。
30:42藤井平一さん。孤立していた被爆者たちの救済に取り組んだ、日本被弾橋の生みの親とも言われる人物です。
30:52原爆投下当時は、東京にいて無事でしたが、父親と妹を奪われました。
31:06惑うてくれと声を上げて、被爆者の先頭に立ち、募金活動や国会請願も行いました。
31:19藤井さんは、沈黙していた被爆者たちの切実な声を聞いていました。
31:26生活状況。その日の米にも事を欠く。
31:34私のように、国家奉仕で倒れた人間に何らの援助を与えぬのはなぜか。
31:42藤井さんは、奔走して立ち上げた日本被弾橋で、初代事務局長を務めました。
31:51減衰爆禁止運動が、庶民の歴史を世界史にする運動だとはじめから思っていたんです。
32:00今日、いよいよ行われるノーベル平和賞の授賞式なんですが。
32:09授賞式の朝、中継レポートを担当したRCCの松本清高記者です。
32:16私が今回、ノルウェーのオスローに取材に来たのは、母方の祖父が日本被弾橋の初代事務局長だったという縁です。
32:29松本記者は、藤井平一さんの孫にあたります。
32:34これ一番真ん中の下が母なんですけど、小学校時代に遠足がありますって行こうとしたら、遠足はもう休んで一緒に募金に行こうって言って、
32:49この姉妹たちと首から募金箱をぶら下げて、街中でずっと立ってたりしたっていう思い出があったそうです。
32:57レポートでは、祖父の支援を受けた被爆者が口にした、生きていてよかったという言葉を紹介しました。
33:07生きていてよかったという言葉の裏には、被爆者たちの死んだ方がましだと思えるような人生があったんだと思います。
33:18私たちの人生が今から亡くなるまで、自分が亡くなるまで生きていてよかったと思える人生になるかという保証はどこにもありません。
33:28一人ひとりがとにかく一生懸命自分のことを考え、世界平和のために活動しなくてもいいと思うんですけど、
33:39必死にそんな世の中になればいいと願い続けることが大事だと思います。
33:43この時、祖父や被爆者のことを思い、涙が出そうだったと明かしました。
33:54携帯に入れた祖父の写真とともに、授賞式を見届けます。
33:59授賞式まであと4時間。
34:16写真撮影は先人たちも一緒です。
34:26授賞式はオスロ市庁舎で行われます。
34:41授賞式はオスロ市庁舎で行われます。
35:01この会場で授賞式がまもなく始まります。
35:04こちら、世界のメディアがここに集まっています。
35:07受賞理由は核のタブー確立に貢献したこと。
35:24ノーベル賞委員会は長年の証言活動を評価し、全ての被爆者を称えました。
35:33ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇。
35:39また、パレスチナ自治区ガザ地区に対し、イスラエルが必要に攻撃を加える中で、核のタブーが壊されようとしていることに限りない悔しさと意気通りを覚えます。
35:58訴えは13歳の時に見た長崎の惨状へと続きました。
36:04一発の原子爆弾は、私の身内5人を無断な姿に変え、一挙に命を奪いました。
36:15その時、目にした人々の死に様は、人間の死とはとても言えない有様でした。
36:23たとえ戦争といえども、こんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけない、私はその時強く感じたものであります。
36:35そして、核兵器も戦争もない世界を目指そうと呼び掛けました。
36:4110年先には、直後の直接の被爆体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。
36:52これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代の皆さんが工夫して築いていくことを期待しております。
37:02核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付くこと、自国の政府の核政策を変えさせる力になること、それを私たちは願っております。
37:22大きな大きな舞台の重みはいかがでしたか?
37:30いやー、やっと軽くない。
37:33世界に伝わったと思いですか?
37:35いや、これからですよ。どういう報道をしているかわかりませんけども。これからやっと広めていったら。
37:44広島でも歴史的な瞬間を大勢の人たちが見守りました。
37:59その時に、爆心地から東、3キロ余り離れた自宅に。
38:06シラン教がノーベル賞をいただいたということはね、その父が訪れているんだという警鐘を鳴らされたんだと私は受け止めております。
38:23あの8月6日のね、1940年の8月6日の広島の子どもたちのような目には、合わせてはならないぞというね、思いが一層強くなりましたね。
38:39今日もこういう会を開いていただいて。
38:43徳京の社術を投出するためには、本命 impacting the market.
38:56空港を抑えやすくなる、ブースポット大会を求められます。
39:04登山さんに見たことに会えるに、徳京町が然り去ることです。
39:12授賞式の夜、オスロの街を照らすトーチライトパレード
39:17平和を願う人たちの明かりが通りを埋め尽くしていました
39:42今回の取材で話を聞いた被爆者たちは
39:49受賞はゴールではなく新たな出発点だと口を揃えて答えました
40:12ゾ feels зад体感はどの問題とfounder時がどの取材でも 대らすればなく NHS
40:16가지が勉強�ryを伝えること今まで観 賞することでご視聴ありがとうございました
40:222月働会議現金準語に届くご視聴ありがとうございました
40:31Kai,agon!闇!闇!闇!闇!闇!闇!闇!闇!闇!闇!闇!闇線!闇!闇、閇!闇!闇 Zel!闇!闇!闇!闇!闇!wi写時大!闇!闇!闇!闇!우時代!闇!闇!闇!闇!闇!
40:42オスロ視聴者では毎日様々な楽曲の鐘の音が流れます
41:12受賞式に合わせて流れていたのは
41:308月6日の平和記念式典の最後に合唱する
41:34広島平和の歌です
41:3716階に鐘を演奏する小部屋があると聞いて訪れました
41:46鐘を演奏するラウラ・マリア・ルース・ロッテンさん
41:52ラウラさんはノルウェーでも数人しかいないというカリオン奏者です
42:14鍵盤と屋上の鐘がワイヤーでつながっていて
42:21鍵盤を押すと実際に鐘が鳴る仕組みです
42:25これを鳴らすことでオスロのこの街に鐘が鳴る
42:31選曲と演奏はラウラさんの役目です
42:44屋上を見せてもらいました
43:10大小合わせて49個の鐘が
43:14オスロの街に平和の歌を奏でます
43:18受賞式の翌日から
43:35早速被爆者たちが動き始めました
43:38広島から運ばれた被爆石のある広場
43:43記者時代に訪れたというこの場所で
43:47田中さんは高校生や反格団体と
43:50これからの活動を誓いました
43:53喜びにしたのは昨日で終わり
43:57今日からは何をするか
43:59この喜びを今後の行動にどう生かしていくか
44:04ということにエネルギーを向けてやっていきたいと
44:08被爆者は後がない残り時間ないと言うけど
44:10若い人に皆さんに言いたいのは
44:13あなたたちも後がないんですよと
44:15帰国の日を迎えました
44:21やっぱり当日
44:22委員長から
44:25症状をもらった時
44:27ちょっと涙がポロッと出ました
44:30それは何の涙だったんですか
44:35私たちの先人のおかげだから
44:37私がポロッとはないんですよ
44:41先人の
44:42広島の平和
44:44慰霊碑の34万人が
44:46無念の仕事を遂げられた方が
44:50たくさんおられ
44:50そういう人たちの
44:53テレビさん最後
44:56若い人へのメッセージいただけませんか
44:58あなた方ね
45:00私らを含めて
45:02日本世界の方々
45:03これからの日本と世界を
45:08ずっと作り上げていくのは
45:11皆さん方は若い人だったから
45:13僕らはここまで頑張ってきたけど
45:16いっぱい課題を残したまま
45:18やがていなくなると思いますから
45:21だから核兵器はとにかく
45:24まず使われないようにしないといけない
45:25これは当面の問題ですよね
45:27そんな未来の問題じゃないけど
45:29とにかく最終的にやっぱり
45:31核兵器は地球上には置かないと
45:34持たないということの達成まで
45:36若い人たちが頑張ってほしいと思います
45:41以上です
45:44日本原水爆被害者団体協議会の皆様
45:56おめでとうございます
45:57核兵器も戦争もない平和がない
46:01世界が一日も早く訪れますよう
46:05心よりお祈り申し上げます
46:07核兵器は今も世界から消えることはなく
46:22日本政府は核兵器禁止条約にすら
46:26距離を置いたままです
46:28それでも被爆者は訴え続けます
46:39ノーベル平和賞の受賞で
46:44世界に託された核兵器廃絶の願い
46:48被爆者の声を受け継いでいくのは
46:55私たち一人一人です
46:58私たち一人です
お勧め
59:15
57:41
24:22
49:59
42:44
22:29
27:23
22:06