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教育
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00:00北海道などに占領していたアイヌ民族が日本兵として戦争に駆り出された歴史をご存じでしょうか。
00:09複数の証言から激しい差別を受けながら戦地に向かったアイヌたちの複雑な思いが今年5月アイヌ民族による舞踊が披露された。
00:38舞踊のテーマはウレシパモシリ共に生きる大地を意味するアイヌの言葉だ。総監督を務めた北海道釧路市のアイヌ民族秋部デボさんはウレシパモシリについてこう説明する。
01:02風も山も火山もこの波一つ湖一つこれらが全部お互い支え合ってこの世界は成り立っている。だから戦争している場合じゃないよということを言えるのはこの言葉だ。
01:21しかしアイヌの歴史は戦争や差別と切り離せなかった。
01:31独自の言語や文化を持つ日本の先住民族アイヌ。
01:39明治政府はアイヌが暮らしてきた土地を取り上げ、酒漁や鹿漁、アイヌ語も禁止した。
01:49さらに旧土人保護法に基づいて農耕に適さない荒れた土地を渡すなど保護という名のもとに同化政策を推し進めた。
02:04アイヌは独自の文化を奪われ過酷な差別と偏見に見舞われた。
02:19アイヌの伝統が色濃く残る北海道ビラトリ町二二谷。
02:27浜田清高さん。
02:31父ひろしさんの墓前に来るたびに50年以上前のある夜のことを思い出す。
02:41ひろしさんは幼い清高さんに突然自分の体毛を剃るよう指示したという女王にやらせりゃいいのにと思ったんですけど小学校5年生の俺にやらせるんですよあれはつらかったですねだから毛が生えてるつまりイコールアイヌっていうのがすごく嫌だったんだろうなって小学校5年生なりに思いまして私。
03:11ひろしさんへの教師による差別は日常茶飯事だったという。
03:19結構いい点数まあ100点に近い100点だったかなとったらしいんですよ。そうするとそのその時の教官からアイヌであるお前が100点取れるわけがないと。
03:32そういってそのなんていうの言われもない差別ですよねとんでもない差別を受けたと。
03:42さらに。
03:44お金に関することですね。それがなくなったと。
03:52だから今度お前アイヌだからやったべというような本当にひどいあれですねそういうのを受けてもう絶対やってないと言って結局その親父のことを気に食わないその同級生か何かがやったらしくて。
04:14差別されてきたアイヌだが戦争が始まると日本軍の兵士として戦地に駆り出された。
04:29広志さんは二十歳で日本兵として旧満州へ戦後地元の広報誌に舞台の中で浴びせられた言葉についてこう記していた。
04:48日本語わかるか?文字読めるか?
04:53うちの隊員にはアイヌがいるらしいと。
04:58アイヌは出てこいっつって。お前らその生肉食うのかって。
05:02まあ吊る仕上げですね。いじめですわ完全に。
05:06ああっただろうなと思いますよ。
05:08みんなの前に何千人もいる中で前に出されてってそういう吊る仕上げは最初の頃は受けたって言ってましたね。
05:18舞台の中でアイヌ兵が差別を受けたという証言はほかにもある。
05:27これは1994年に放送されたニュース映像。
05:33千歳市のアイヌ民族配属された旧カラフトの部隊で上官から激しい暴力を受けた。
05:48あの野郎はアイヌのくせに生意気な奴だと。そう言って私をこきおろしておりました。
05:55ただ一つだけ、この私がアイヌ兵士であると。アイヌであるということだけが暴行する目的だったと思います。
06:10仲本さんは危険な前線に送り込むための特別部隊に選ばれたとき仲間の多くがアイヌのように見えたという。
06:25死ななきゃならんようなひどい危険なところへはこのアイヌの兵士でもって補って、まあなるべく和人の兵士は生き残しておきたいということじゃないでしょうか。
06:40アイヌがルーツの野村清一さん。
06:47見た目と体格を理由にソ連の最前線に送られたと孫のサトシさんは言う。
06:57お前はロシア人に見えなくもないから、ちょっと敵の陣地に行って、それこそちょっとスパイ活動なのか、物資調達なのか、食料調達なのかわからないけど、行ってこいって言われて。
07:16それも上官だから逆らうことできず。で、やっぱりあっけなく捕まっちゃって。なんて理不尽っていうかね。それがね、舞台の人みんなに平等に何か与えられた使命ならまだしもっていう感じですよね。
07:37アイヌだけではなく、他の少数民族が日本軍に都合よく利用された例もある。
07:49サハリンの北方少数民族、ウィルタだ。
07:56ソ連と日本の国境付近を比較的自由に行き来できたという地理的な理由や身体能力の高さから日本軍によってスパイ活動に従事させられた。
08:15よいしょ。
08:18旧満州の舞台に所属したアイヌ兵浜田博さん。
08:32差別を受けたにもかかわらず、舞台での自身の活躍について誇らしげに記していた。
08:43成績優秀にして、進級は各階級とも第一選抜であった。
08:51得意だった馬の世話で上官に気に入られるなど、弘さんは軍の中で二頭兵から軍曹まで昇進した。
09:05やっぱり戦争行って認められたいんだと。頑張って手柄立てて見返してやるみたいな人もいっぱいいたんじゃないでしょうかね。いたと思いますよ、やっぱり。
09:20アイヌの近現代思想史を研究する国立民族学博物館のマーク・ウィンチェスター助教は戦争に平等を求めたアイヌ民族も多数いたのではないかと指摘する。
09:42北海道の植民地化によって被ってきた不利の部分を、ある意味でやっと自分たちが徴兵されることによって、平等の立ち打ちに立つことができるというような状況が作り上げられていくんですけれども。
10:08沖縄。戦死したアイヌ兵たちが眠る場所がある。
10:20伊都満市前平。
10:24木漏れ日が差し込む集落の高台に南北の塔と刻まれた慰霊碑が佇んでいる。
10:34きむんうたり。
10:36アイヌ語で山の友という意味だ。
10:42なぜ遠い沖縄に北海道の先住民族の言葉が刻まれたのか。
10:53沖縄県伊都満市にある南北の塔。
10:58そこになぜアイヌの言葉が刻まれているのか。
11:04国内最大の地上戦ともいわれる沖縄戦。
11:14死者は日米合わせて20万人以上。
11:19沖縄県民のおよそ4人に1人が亡くなった。
11:26実は沖縄戦での北海道出身の戦没者は1万人余り。
11:34沖縄県に次いで2番目に多い。
11:39死体がね、ごろごろ一番悲しく、一応かわいそうだなと思ったのは、母親がね、子供を背負って、そしてここから半分になっている。
11:57そして片方に片方には子供が泣いてる、その母親が死んでるんだけど、こっちは母親の胴体がそっちにある、道路の反対側に。
12:10そんなのがもうずっと沖縄戦での愛の兵の戦死者は少なくとも43人。
12:24同化政策の影響などで正確な記録は残っていない沖縄戦を生き延びた北海道徹賀川町出身の元アイヌ兵徹志豊治さん。
12:43思い出す夢見るべきあるようんどんな夢が一番多いですねいややっぱり不意にこう弁護が現れてたそして何だかの話してるんだろうなと一緒に夢見るようんうん
13:02徹志さんは31年前このインタビューの後に亡くなった妻慶子さんは。
13:17平和だから親だ兄弟だって仲良くできるっていざ戦場になったら自分の身守るのがね精いっぱいだってよくそう言ってだから戦争はするもんじゃないって戦争はするもんじゃないってそれはよく言ってました。
13:36徹志さんは戦火に散った仲間の姿が忘れられなかった。
13:45沖縄行ってくれよ。もう一回。
13:52戦後、徹志さんは戦没者を弔うため幾度となく沖縄に足を運んだ。
14:10その場所は糸満市前平。
14:16ガマと呼ばれる洞窟がある。
14:19案内してくれたのは地元住民の仲良喜功さん。
14:25かつてそこには藍の陛か地元住民か誰のものかも分からない多くの遺骨が無造作に集められていた。
14:39徹志さんが最初来た時はですねここに遺骨は全部投げ込まれていたんですよねこれを見て徹志さんはこのままではいけないということでいつか立派な塔を建てて何しようという考えだったんですよ。
14:59この場所に1966年に建てられたのが南北の塔だった。
15:09その後の映像にはアイヌ伝統の先祖供養の儀式イチャルパを行う徹志さんら北海道から訪れたアイヌたちの姿が残っている。
15:26南から北まで身元が分からない戦没者の遺骨を治め慰霊したい戦後も沖縄の住民たちと交流を深めた徹志さんたちは願いを込めた。
15:48徹志さんと共に南北の塔に携わったアイヌの北海道釧路市の高齢者施設でスムーズな日常会話が難しくなった今も当時のことは覚えていた。
16:12聞こえます?
16:16沖縄戦のことでね、お話し聞きたいんですって。
16:26南北の塔も覚えていますか?
16:32よく知ってます。
16:37僕のそこは。
16:46一生忘れたことはありませんが。
16:54今年1月、南北の塔を訪れた親子が沖縄にいた。
17:06釧路市出身の藍野で20代のころから沖縄に暮らす玉城みゆきさんと長男の弘明さん。
17:19南北の塔の意味を伝え、残したいと考えている。
17:29だいぶ汚れてるね。
17:33慰霊碑の前にたまった落ち葉と枯れた花。
17:40南北の塔では5年に1度、アイヌの先祖供養イチャルパが行われてきた。
17:48しかしその儀式は20年前から途絶えていた。
17:56南北の塔がアイヌだけの墓だと誤解されたり、遺族が高齢化したりしたためだ。
18:07二人は北海道から再びアイヌたちに来てもらい、沖縄の人たちと共に慰霊をしてほしいと考えていた。
18:20やっぱりね、ここで多くのアイヌの方が亡くなられているっていうのは事実の話ですから、
18:26ぜひそこを慰霊をしていただきたい。喜ばれるんじゃないですかね。
18:30今からまたね手を取って仲よくほんとここですここだけですよねアイヌと北海道が関わってるっていう沖縄では多分平和になるたびにはどうしたらいいのかなっていうほんとにこの考えさせられる一つのここは原点なのかな。
18:51そして6月23日沖縄戦没者慰霊の日。
19:03玉城さん親子の働きかけが実った。
19:09戦後80年の節目に6人のアイヌたちが儀式を行うため、20年ぶりに南北の塔を訪れた。
19:22アイヌたちは木を削って作った神への捧げ物。
19:29イナウを使って祈るのが伝統だ。
19:33みんなの協力のおかげで今日これが実現したということで、本当に私は嬉しく思っています。
19:43南北の塔で先祖供養イチャルパが復活した。その様子を地元住民たちが見守る。
20:04ここで亡くなられた兵士、民間、もしかしたら米兵も含めてね、冥福を祈らせていただきました。
20:14誰かが死ぬのを平気な顔で見ていられるほど俺は神経強くないんで、ここからぜひ戦争をやめてほしいというのは言いたいですね。
20:27いつも感じている。ここはそういうことを語るにふさわしい場所だと思っています。
20:35イチャルパの後は沖縄の人たちが追悼。
20:44慰霊碑の前で静かに手を合わせた。
20:54できればもう毎年一緒に同じ日にやりたい。
20:59ただやっぱり儀式が違うから、合同では難しいけど、同じ日に時間が済むし、今日のようにやっていきたい。
21:10両者をつないだ玉城さんは。
21:13まずは滞りなく無事に終えることができたことが本当に嬉しいですね。
21:23平和をどう築いていくかというところにおいては、やっぱり今生きている人たちがこの南北の党を知って、自分たちに何ができるのかなっていうのを知ってもらうと同時に一緒に考えていくっていう、そういう場にしたいなというふうに思っているので。
21:40追悼の後、地元の子供たちとアイノたちが共に歌い踊った。
21:51一緒に踊ってくれるんだなっていうのがあって、すごい優しい人たちだなって思っています。
21:55一緒に踊ってくれるんだなっていうのがあって、すごい優しい人たちだなって思って。
22:07一緒に踊ってくれるんだなっていうのがあって、すごい優しい人たちだなって思って。
22:22また来て、またお話ししたいですか。
22:30差別を乗り越え戦争を二度と起こさない南北の塔の前で願う。
23:16雑誌などで大きく取り上げられて、アイヌたちの間に勇敢に戦えば差別を克服できるという期待が生まれたのかもしれません。
23:26一方、仲間の出兵を見送る際に、一日も早く戦争が終わり、若者たち全員無事帰ってこれられるよというふうに祈ったという記録や、出兵するアイヌにこの戦争はシャモン、つまり和人の戦争であると。
23:42だから戦争に行っても人を殺すなと話したアイヌもいるという文献も残っています。
23:48アイヌ兵たちと非常に複雑な思いが垣間見えました。
23:53VTRの中で高齢者施設のベッドの上で取材を受けてくださった支度さんが、南北の塔は一生忘れたことはありませんと、
24:04とてもはっきりと力強くおっしゃった場面が、私はとても心に残りましたし、いろいろと考えさせられました。その点いかがでしたか。
24:13当初、支度さんの娘さんに取材依頼をしたときに、おそらく会話をするのは難しいんじゃないかというようなお話でした。
24:22ですが実際はおっしゃるとおりで、あのようにはっきりした口調で答えてくれましたし、それだけやはり支度さんにとっても、アイヌ兵にとっても、また地元住民にとっても、非常に歴史を振り返る上で、象徴的な場所であり、大事な場所なんだなというところを感じました。
24:40アイヌ以外にも、多くの朝鮮半島、あるいは台湾の人たちが沖縄戦を戦ったこと、これを私たち差別した側が忘れてしまっていますよね。
24:55そうですね。近年でもSNSにアイヌはもういないというヘイト書き込みがあったり、日本は対一民族だなど、その存在そのものを否定するような心ない書き込みが相次いでいます。
25:08そして沖縄戦についても、姫百合の党に関して、自民党の議員が歴史の書き換えなどと発言し、後に謝罪撤回することがありました。
25:20南北の党をめぐる歴史からも事実を伝えていくということ、そして日常生活でも多様性を尊重し、平等で平和の社会をつくるということ、もう一度、今を生きるみんなで考えていければと思いました。

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