Skip to playerSkip to main contentSkip to footer
  • yesterday

Category

📺
TV
Transcript
00:00カズッ!
00:02オタル!
00:05オタルじゃないよ!
00:07
00:10カズッ!
00:11何で オタルが出てきたの?
00:13函館ですよ!
00:15何で オタルが出てきたんだろう?
00:18函館の町に来てます!
00:21このレンガー作りの建物
00:25昔は倉庫だったんでしょうね
00:28今タモリさんがいるのは北海道函館市港に面した赤レンガ倉庫街です
00:43あーこんな続くんだね 本当だ何夢ねもうかなり歴史はありそうですね ここが函館山です
01:00こんにちは奥平です 生まれも育ちも函館の奥平治さん
01:11大学で函館のチリや観光学校を教えています 初めて来たんですけどこんなに残ってるんですね
01:19はいたくさん残っていて これ昔は倉庫はい倉庫です 明治から使われていて100年以上経った今ではですね
01:28飲食店などが入っている観光客に人気のスポットに生まれ変わっています 港町って感じがしますよね
01:36赤レンガー おしゃれっていうイメージですね
01:40このような街並みがあって 観光で訪れる人も良い函館なんですけれども こんな人気を示すデータがあるんです
01:49こちらなんですけれども 市区町村魅力度ランキング
01:541位函館
01:57いやこれが効いてないです
02:011位ですね すごいなホテルなんか人多いよな
02:05はい 外国人も多いですしね
02:07はい そうなんです 魅力的な街として今 函館は大注目という状況なんですね
02:13なんですね で今日のお題はこちらです
02:17じゃん
02:19魅力度ナンバーワン
02:21灰柄な街函館はどうできた
02:24はい 灰柄っていうのは西洋のものを真似たり
02:29洋風だってことですね
02:30このレンガ造りの倉庫も 西洋のものを真似て作ったものではありますよね
02:36はい 灰柄な街は函館はどうしてできたかという
02:42はい では早速灰柄な街函館の始まりから見ていきたいと思います
02:49はい こちらです
02:51始まりました 浦田森
02:55旅の舞台は北海道函館市
02:59世界中から年間600万人以上が訪れる 大人気観光地です
03:08異国情緒あふれる街並みに
03:12絶品グルメ
03:14そしてなんといってもこの夜景
03:17どれも魅力的ですよね
03:22魅力度ナンバーワン
03:24灰柄な街函館はどうできた
03:27タモリさんがブラブラ旅して解き明かします
03:33今日は函館でブラタモリ
03:36遠くまで旅する人たちに
03:41ここはどこだ?
03:43あふれる幸せを祈るよ
03:48はいって今おっしゃるんだよね
03:50僕らの住むこの世界では旅に出る理由が
03:56相変わる動画も回してきますね
03:58誰も皆手は船はしばし別れる
04:03こういうふうに見たことないです
04:06まずは港でハイカラの街の始まりから見ていきましょう
04:23ここがいいですね
04:27ハイカラの街函館の始まりが分かる場所です
04:31はい
04:32いいですね
04:37波が穏やかですね
04:40一番奥の奥ですから
04:42ほとんど外界の影響は受けないんですかね
04:48函館の港で幕末というと何を?
04:52ペリーが来ましたね
04:53あペリー
04:54来ましたね
04:54来ました
04:55開港しました
04:56はいその通りなんです
04:58函館は1859年に長崎横浜と一緒に
05:02日本初の貿易港として開港しました
05:04しました
05:05はいなぜその時函館は選ばれたんでしょう?
05:09天然の良好というのはまず第一です
05:11はい
05:12津田谷です
05:13こちらの地図をご覧いただきたいですけれども
05:15ああここですね
05:16向こうからの風は全部函館山が
05:19防いでます
05:20波穏やかで船を止めておくのに
05:23ぴったりな港だと
05:25良好ですね
05:26はいそうなんです
05:27開港時ペリーも絶賛してましたよ
05:30はいその通りなんです
05:31本人から聞きました
05:32ありがとうございます
05:34ありがとうございます
05:35広くて美しい函館山は入港しやすく安全な点において世界屈指の良好であるこんなに褒めてたんですね
05:49でたんぼめですね
05:51はい
05:52この恵まれた港のおかげで函館が開港地に選ばれたんですね
05:57で開港とともに外国の文化がどんどん入ってきました
06:01外国との玄関口になったことが
06:06ハイカラな街になっていく始まりだったんですね
06:09それでは函館の街がどうハイカラになっていったのか街を歩いて探っていきましょう
06:191本入るだけで全く全然違いますね
06:25こういう建物はすごいちょっと洋風ですよね
06:29洋風に見ますよね
06:31これ2階が洋風なんですね
06:35洋風ですね
06:361階は一応和風
06:38和風ですね
06:39はい
06:40隣もそうですね
06:42和洋節中建築っていいます
06:45建てられになったのは大体明治初めぐらい
06:48へぇ
06:49はい
06:50なんで2階だけ洋風だと思いますか?
06:53そうですよね
06:54全部洋風なら洋風でもいいはず
06:56いいですね
06:57うん?
07:01家の中で世代による意見の対立がある
07:05見せたい住宅?
07:082階は外国人に貸していた
07:12外国人は貸してなかったんですけど
07:14貸してない
07:15でも実は外国と関係があるんですが
07:18え?
07:19ええ
07:20外国船が港に入ってきた時にどう見えるかを考えていただければと思います
07:251階が見えないんで
07:28全部が洋風に見える
07:31見える
07:32あれ?
07:33正解です
07:34ここはどこだ?
07:35そうなんです
07:37イサレな町棚にお見しては
07:39坂多いので
07:41港から見ると
07:42洋館だらけに見えるんです
07:44はい
07:45函館といえば坂が多いことで有名ですよね
07:51明治時代の写真を見てみると確かに洋館ばかりに見えますねえ
08:01外国には負けねえぞ函館はこんなに住んだ町だよっていうふうに見せかけるのに2階だけを洋風にしたって2階に室内はどうなんですか?来ましたどっちだと思います?
08:15そうなんです看板みたいなもんだはい開港後外国を意識していた函館だからこそ洋風に見える町づくりで日本の力をアピールしたんですねさらに歩いてハイカラの町になった秘密を探りましょう
08:45なんですかこれこれ右雑です右雑右雑あ初めて見ましたこんなに大きい右雑ってはい立派な右雑はい右雑が上がりすぎる上がりすぎます
09:05はい作ってますですから火事が多い街だったんですね
09:12函館の歴史というのは、大火の歴史といわれること。
09:16ありましたね、大火。
09:19なんと函館では明治以降、1000個以上燃えた大火が10回も起きているんです。
09:29だからこそ火事に強い町づくりが求められたんですね。
09:36これだけ密集してて、それで真っ平らな土地ですから、強風で煽られば一つ溜まりもないですね。
09:44火が思いっきり広がってしまうわけです。
09:49で、炎症を防ぐという意味でウダツを作ったんだとですね。
09:55実はその火事がハイカラの町函館になっていくのに、鍵を抜いてたんです。
10:04火事と灰カラ、一体どんな関係があるんでしょう。
10:10函館町を歩いていると出会うものなんですけれども。
10:13これですか。
10:14はい。
10:15これでよく見ますよね。
10:16よく見ますよ。
10:17他の町じゃ見ませんよね、これ。
10:20はい。
10:21消火栓。
10:22はい、消火栓。
10:23これ名前がですね、函館型散歩式地上式消火栓といいます。
10:30函館の散歩。
10:331、2、3、散歩。
10:35そして地上式地上式の消火栓。
10:39消火栓。
10:40ポンプ車のホースを直接つなげる。
10:43これが3カ所あります。
10:44これ3カ所同時に使えるってことですか?
10:46使えます。同時に使えます。
10:47そういうことです。
10:48はい。
10:49昭和12年から使われるようになりました。
10:52函館町には2000本以上。
10:54ほー。
10:55はい。
10:56結構見かけましたよね。
10:57見かけるよね。
10:58はい。
10:59この消火栓、お手本にしたものがあるんですよ。
11:01はい。
11:02はい。
11:03こちらです。
11:04はい。
11:05外国にあるやつ。
11:07はい。
11:08アメリカの地上式消火栓なんです。
11:11映画で見ましたよね。
11:12はい。
11:13アメリカの最先端の消火栓を採用して、
11:17デザインで真似しています。
11:19はい。
11:20こういう点もハイカラと。
11:21はい。
11:22こう言いたい。
11:23言いたい。
11:24言いたい。
11:25はい。
11:26火事が起きたとき、いち早く消火するために、
11:30町中に設置された消火栓。
11:33外国から取り入れたデザインが、
11:36町をハイカラに彩っているんですね。
11:41さらに歩いてみたいと思います。
11:42歩いてみましょう。
11:43はい。
11:44田村さん、前を作られたら、いかがですか。
11:49はい。
11:50コンクリートの電柱。
11:52はい。
11:53日本最高。
11:54これ102歳。
11:56えー。
11:57これ、今も現役で使われてるんですか。
11:59上見ていたけど。
12:00現役です。
12:01えー、すごい。
12:02燃えないっていうことで、火事のためです。
12:06はい。
12:07その通りなんです。
12:08燃えやすい木じゃなくて、コンクリートで作ったと言われています。
12:12木造からコンクリートに変わっている。
12:14はい。
12:15目変わりということですね。
12:16えー。
12:17このコンクリートが、実は灰からの一端音になってるんですね。
12:22はい。
12:23はい。
12:24燃えにくいコンクリートが灰からの街とどう関係しているんでしょうか。
12:32その秘密が分かる場所へ向かいましょう。
12:34今向かってる場所がですねかつて函館一番にぎわった銀座通りです向こうですあっこれおー広い通りですねうんこれがかつての銀座通りの写真なんですけれどもおーすばらしい街ですねはい映画館で洋食店
13:04バーなどが集まる北海道で最も栄えていた場所です。
13:09建物も全然違いますね。コンクリートの街づくで。
13:12はい。
13:13そうなんです。
13:14はい。
13:15で、この銀座通りなんですけど。
13:17あれ?その建物って。
13:18そうです。
13:19これじゃないですか。
13:20はい。
13:21はい。
13:22えー?
13:25残ってるんですね。
13:26はい。
13:27へー。
13:29博手町はこのように度重なる大火のあとに燃えにくいコンクリートの建物に建て替えられるようになりました。
13:39大火のあとは新しく建てやすいですよね。
13:42はい。
13:43ええ風に強い町にするための最先端のコンクリート建築が函館の町をハイカロにしていったんですねさらに当時の函館の繁栄を象徴する写真がありますこちらになりますおおうん?あれ?
14:13はいあの建物これじゃないですかそのとおりですそのとおりですうんはい変わらずですね変わらないですね同じようなちょっとちょっと言ってみましょうかあそこまで来た何かあるかもしれないですかね
14:32はい。
14:33はい。
14:34残ってるんだね。
14:35残ってるんだね。
14:37これは何だったんすかね?
14:38これはですね。
14:39写真を手がかりに探してみましょう。
14:45大正12年に建てられたデパート。
14:46デパートですか。
14:47はい。
14:48大正12年に建てられたデパート。
14:52デパートですか。
14:53はい。
14:54北にも西洋風なコックリート建築。
14:55そうですね。
14:56これも100年経ってます。
14:57そうですか。
14:58はい。
14:59デパートっぽいですね。
15:00はい。
15:01ああ。
15:02ああ。
15:03ああ。
15:04ああ。
15:05ああ。
15:06良いですね。
15:07良いですね。
15:08良いですね。
15:23良いですね。
15:24今のビルは角は角なんですけど。
15:26この所じゃ丸ない丸ないですよ。
15:28戒って今おっしゃられたよね。
15:30こういうの。
15:31その通りですね。
15:33Yes, that's the same way.
15:35Yes.
15:37It's been a long time ago.
15:39Yes.
15:41Yes.
15:43There are some pictures that you can see.
15:47I was taking a picture from the front.
15:49It's like that.
15:51Yes.
15:53Sorry, I forgot that.
15:56Oh, my gosh.
15:57Here we go.
15:59It's a picture in the front.
16:01今見える?
16:08何やってるんですかね
16:14もう今見える
16:21懐かしいですね
16:26今も面影を残す100年前の函館の街
16:30当時の様子を見てみましょう
16:36タモリさん
16:49タモリさんがやってきたのは坂の上の高台
16:53ここにハイカラな街を象徴する建物があるんです
16:57行ってみましょう
16:59タタタ
17:01これ随分とオシャレな住宅を変えてですね
17:05そうなんです
17:07高台で
17:09こんにちは
17:17中学旅行
17:19どっから来たの?
17:21浅い川です
17:22浅い川です
17:23浅い川です
17:24大した近くじゃない?
17:27近くもないですよ
17:29近くもないですよ
17:31高台で
17:32高台で
17:33高台で
17:37高台で
17:41何ですか?
17:42何ですかこれは?
17:43旧函館区
17:47高海道
17:49高海道
17:50高海道
17:51この建物は明治43年に建てられた市民のための集会場です
17:57もともと別の場所にあった市民の社交の場が大火で燃えましてこの場所に改めて造ったものなんですね
18:07高台にこれだけ立派な建物をつくるということで復興のシンボルにしたんですねこの建物をつくるきっかけになったのは明治40年の大火市街地の大半を焼き尽くしたといいますそんな大火にも負けず函館の人たちは僅か3年後に市民の集会所として建てられました。
18:37外国の文化を取り入れながら歩んできた函館だからこそハイカラの建物を街の復興のシンボルにしたんですねおお!
18:54朝日川の独生諸君。
19:04朝日川の独生諸君。
19:08いいですね中身は。
19:10本当高台ですねやっぱり。
19:12港一望にできるんですね。
19:15はい。
19:16だんだんとハイカラ動画を回してきますね。
19:22回してきますよね。
19:23はい。
19:24景色を眺めながら当時の人たちの気分を味わってみましょう。
19:30急に優雅になりました。
19:31優雅になりました。
19:32今度お召し上がりください。
19:33当時の人もこうやってここで飲んでたんでしょうね。
19:37函館の暮らしはお洒落だったですね。
19:51実はコーヒーは日本でも早い時期から函館では飲まれていた。
19:57外国とのつながりが深い函館ならではと言えるのかなと思いますね。
20:02文化が入ってくるのが早い町だったんですね。
20:04早い町でしたね。
20:06こうして外国の文化をどんどん取り入れながら、今は函館の魅力になっているのがこちらです。
20:15開港とともに洋食店ができました。
20:20チーズとかバターは修道院でいち早く作られるようになりまして、これが町中にどんどん出てくるようになりました。
20:30そして今や函館のグルメの代表塩ラーメン貿易でやってきた家境の人たちが作った南京そばがルーツだと言われています。
20:39食べ物もハイカラ食べ物もハイカラこうして函館はハイカラ沼として発展をどんどん続けていったわけなんですけれどもさあこちらのグラフは人口ですか?正解です。
21:27一体どういうことなんでしょう?公会堂から歩いて10分その秘密が分かる場所までやってきました南部坂が一番上までやってきましたここは何ですか?排水場?は?排水場ですか?こんにちは。こんにちは。川原です。
21:56川原勝幸さん30年以上函館の水道管理に携わっています函館市民の皆さんに水道水を送るためにですね一度ここに水をためてですねここから送っています。
22:17実は函館はですね明治22年日本で2番目にですね近代水道が整備された町なんですよ。
22:27はい。早いですね。早いんですよ。はい。人口増加のためにですねどうしても水の確保が大きな課題となっていたものですから。
22:37なるほど。急激な人口増加に対応するために水道を整備したんですか。最先端の技術で町をアップデートしたんですね。
22:49それでこの場所にですね排水場を作ってですねあの水を加工したってわけです。
22:55ここに水はどこから来るんですか。
22:57それをちょっと後でですね説明しようかなと思ってそうなんです。そこの部分があるので。
23:04ここ全体でですね大体4700トンくらいの水をためれます。
23:12作られてから100年以上市民の皆さんに水を供給しております。
23:17大体同じような設備でやってるわけですね。
23:20そうですそうです。100年前のものがそのまま今現存してます。
23:24なんとこの芝生の下に100年以上使っている排水池があるんだそうです。
23:35一体どんなものなのか見せてもらいましょう。
23:39足元気をつけてくださいはいはいそれじゃあ奥の方に向かっていきたいと思いますおお狭いもう少しもう少し前ですねはい洞窟みたいですねそうですねタモリさんここですはいここが排水池になります水ありますよはいはいはいここが100年以上前からこれこのまま使ってるんですか?そうですそうです現役で。
24:08すごいすごいすごいすごいですよねここにいったん水をためてそれから排水したそうですそうですそうですそうです当時からそのままそうなんですよ明治からの痕跡ですねそう見れないこんなものははいわあまるで地下神殿みたいな空間ですね
24:38地下から支えているんですね先ほどの場所からちょっと上に戻ってきましたけど地下にあんな空間が広がるなんてそうですねそうですねはいすごいですねはいそれよりもはいどこから水を持ってくるからですよ気になります気になりますか気になりますか気になりますかどこかから持ってくるわけですよはいはい行きましょうはいと言いたいところですね
25:08まだ何かハードルがあるんですかまだ何かハードルがある実はお連れしたい場所なんですが結構距離のある山の方なんですけども熊が出ちゃったんですよヒグマがヒグマがヒグマ?はいヒグマのこと忘れてたそうだそうだそうだ行きませんいやヒグマは動物園で見ますけどね絶対かなわない絶対かなわない
25:38ということで急遽展望台に場所を移して水がどこから来たか探っていきましょう
25:44ご案内したかった場所なんですけどもあそこに白と赤の鉄道がありますねあれのさらに奥の左側にちょっと横長のありますねあの辺に地図で言うとここなんです
26:06ここに行く予定だったんですねはいなんと熊が出る直前にスタッフだけでテスト撮影した映像があったんです水を確保した場所を見てみましょう
26:20ここ建物建物ですけどもはい何だこれ水道橋にも見えますけどねああ近づいてきましたね近づいてきました上がってきましたおーダムそうですダムなんですおおーはいささ流れダムといいますささ流れダムはいこんな形のダム見たことないですねあないですかねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ
26:50函館の町が最短で水を確保できた理由それはこのダムの形にあるんですおよそ40年前に改修しました完成当時はこのような姿をしていました
27:06はいこれより見たことないですねあないですか日本初のバットレス式ダムといいますバットレスはい当時はコンクリートがすごく少ない量で作ったんですよねうん少ないコンクリートの量で強度をつけるのにこれが適してるわけですねそうですそうですちょっとこちらをご覧くださいはいこういう構造ですかはい格子状の板でですね
27:36その薄いコンクリートのダムの壁を支えてるんですよはいこれ知らなかったなこれ当時あの非常に珍しかったバットレス式ダムなぜ作ったと思いますかなんか材料費が少なくて済みそうな感じはしますねその通りです実は当時ですねコンクリートが非常に高価だったんですよそれでコンクリートの量を抑えるために
28:06実はもう一つあるんですけどそれは何だと思いますか材料費が少なくて済むということは後期も短いピンポンです正解ですどのくらいのスピードでできたと思いますかいくら早くてもどれぐらい8年とか実はですね2年8か月でできたんですえ
28:36すごいねそれだけ短縮できるんだこの工法は
28:42これはでも日本で初めての工法ですねそうですイタリアにバットレス式ダムがあってですねその技術だとかを調査してですね函館にこれを導入したんですね
28:58なんかこれもですね函館のハイカラさをですね感じる部分で遊びますね
29:04イタリアの技術を学んで作ったんですねそうですね外国の文化をいち早く取り入れ灰辛な町へと急成長した函館その発展をこのダムそして水が支えていたんですね
29:24行きたかったなぁ本当本当見せたかったんですよ本当珍しいので熊サインだけど実際見えたんですけど悔しいですねいやーすごいマジだった
29:30次回は拡大版人はなぜ富士山が好きなのかその理由を解き明かしますお楽しみに残ってるとは思わなかったなぁ
29:36残ってるとは思わなかったなぁ

Recommended