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00:00挑戦、成長、そして信念それらが長く紡がれた先に可能性は広がる。
00:29今年5月、彼は新潟県の県央エリアに足を踏み入れた。
00:39こんにちは石田健です。今田んぼが広がっているこのつばめ市にやってきたんですけれども、あちらの方にですね工場がたくさん見えています。
00:51今日はとある分野で日本の主要産業を支える企業に迫っていきます。
01:01老舗。一般的には創業100年を超える会社を指す。
01:09新潟県は1200社を超える老舗企業が存在しその割合は全国で3番目に多いそれだけ蓄積された多くの技術や思いがそこにはあるその老舗企業が持つ底力ポテンシャルをこの人と共に再発見していく。
01:37ちょっとレンズ触るのは人生で一番違います今起こっていること多くの人がこういう人に対しての反発だとか
01:48石田健企業家であり投資家東京拠点にさまざまなメディアでニュース解説を行いインターネットメディアザ・ヘッドラインの編集長も務めているこの番組では彼の磨かれた視点をきっかけに
02:18次回予告
02:48燕市の遠藤工業。
02:53ここでは日本の主要産業を世界一へと押し上げた機械が作り続けられている。
03:00一体どんな機械なのか。
03:05こんにちは。 こんにちは。
03:07ようこそ。 石田と申します。
03:08遠藤です。よろしくお願いします。
03:103代目の遠藤光六さんだ。
03:17工場内にはふだん我々が目にすることのないような製品が並んでいる奥へ奥へと足を進めていくとそれはあったここはですね当社の主力商品であるスプリングバランサーというものの組み立てをしているところですスプリングバランサーの組み立てなるほど
03:46組み立てているこちらの機械。
03:53スプリングバランサー高度経済成長期の頃からおよそ半世紀にわたり日本の自動車産業を支えてきたというそのすごさは見た目からは想像がつかない果たしてどのようなものなのか?
04:20要するにバランサーの目的はこういったものでいろんな工具を上からぶら下げるしかもぶら下げるだけじゃなくていろんな位置に持っていってもその位置にバランスしているという意味なんですね。なるほど。すごく重い機械でも軽い機械でも同じように扱えるわけですよね。そうです。そうです。
06:42山上市にある農機具メーカーには多くのバランサーが設置されていた。40年以上前に導入し今も使い続けているという。
07:01かつて工場で働くには必要不可欠だった力を使う作業。バランサーがその概念を覆した。
07:15量の多い製品ですとやっぱり大手メーカーがどんどん出てくる分野ですけどもいわゆるニッチの分野というのは量は多くないけどもやっぱりないと困るねと。そういった品物を我々は手掛けているんですね。非常に小さなビジネスなんですよね。
07:37それだけだったら駄目だということでどんどんどんどん変えていくというのが当社のポリシーで。
07:47沿道工業はこの地で長く生き続けてきた老舗企業ここに至るまでには積み重ねてきた技術を投げ打つような重い決断があった本社の一角には会社の歴史を物語る重要な製品が保管されている
08:17ここにあるですね大福町の類はですね明治時代が多いですねなるほどこちらにあるように明治20年とか最も古い製品として飾られていたのはツイキドウキそのツイキドウキというので154年前に始まった当社の事業なんですがこういったものを作って東京で売っていたという時代だったんですね。
08:45ものづくりの町ツバメ山城地域ツバメ市は金属加工が盛んな地域として知られているその歴史は江戸時代初期の枠木造りから始まった
09:05さらに八彦山近くの鉱山から良質な銅が採れたことで銅木の文化が発展
09:13中でも一枚の銅板を土で打ち伸ばし製作するツイキドウキはツバメを代表する名産として広がっていった
09:25明治時代
09:35遠藤工業の創業者遠藤松次郎は銅木造りに没頭
09:42しかし度重なる戦争により銅は資源として国に差し出され廃業の危機に追い込まれるそんな危機を救ったのがあの生活用品だった
09:57これはですね会社が始まった原点のナイフスプーン大正年間にこのツバメ市全体にですね養殖器を作ろうというそういう動きがありまして当社の創業者もそれに加わってこの町の養殖器を始めたということです
10:16大正時代
10:19第一次世界大戦によりヨーロッパの工場が軍需生産への転換を余儀なくされツバメにナイフやスプーンの注文が殺到
10:30ツバメの金属養殖器は世界から高い評価を受けカトラリー発祥の町として広く知られるようになる
10:46また松次郎は動機作りから養殖器の生産へと舵を切った
10:521935年海外への輸出を目指して株式会社化し遠藤工業が誕生する
11:04しかし第二次世界大戦では戦争に使われる爆弾の製造を強いられたため
11:14養殖器を作ることができなくなったという
11:17そして戦後
11:231952年に養殖器の生産輸出を再開
11:31海外から高い評価を受けていた遠藤工業の養殖器には多くの注文が寄せられ
11:40会社は飛躍的な成長を遂げた
11:44ツバメの養殖器は1950年代からアメリカを中心に普及する
11:52ただアメリカで爆発的なヒットを記録したことで
11:581958年
12:01関税による輸入制限を受けることになった
12:05実は日米貿易摩擦の第一号は
12:14ツバメの養殖器だったのだ
12:16遠藤工業の業績は急速に落ち込み
12:22窮地に立たされる
12:23松次郎の後を継いだ2代目の六尾
12:30会社の今後を左右する
12:34大きな決断を下す
12:36それまでの技術を投げ打ち
12:48全く違う世界に飛び込んだ
12:51金属加工で大きな発展を遂げてきた
13:03ツバメ市
13:04この辺りもまさに歴史の中で
13:07昔の食器
13:09そうですね
13:10この辺りはですね
13:12ちっちゃな養殖器の工場が
13:15たくさん町の中に並んでいるような
13:18町並みでした
13:20昔はですね人口当たりの社長の数が日本で一番多い町だなんてことは子どもの時に聞かされたことがあります
13:31地場産業の発展の背景には業種転換の歴史があるかつて一大産業を築いたマクギやすりキセルそうした名産品が時代の移り変わりとともに次々と衰退
13:51その波は養殖器にも押し寄せた
13:58あのやっぱり養殖器はですね
14:02あの輸出が非常に厳しくなって
14:06もうだんだんやっぱり生産量が減ってきてると思います
14:09燕の養殖器のピークは1980年代海外への輸出が伸び売り上げは500億円以上に上ったが貿易摩擦や円高などの影響を受け今は5分の1ほどにまで減少そうした中燕では多くが業種や業態を変えながら今も事業を続けている
14:39ここはもう養殖器の町だからそういう文化を大事にしていくことで考え方ももちろんあってただ一方そういったものづくりっていう原点がありつつもその時代とかその先を未来を見てどんどん新しい事業を開拓されてきたわけですもんね。
14:561960年代日本は高度経済成長期の真っただ中急成長を遂げていたのが自動車産業だった世界2位の自動車生産国になっていた日本
15:26それが養殖器の傍らで開発していたスプリングバランサーだった当時はですね今と違って国産品が何もない時代なんですね日本はある自動車会社の人からですねこのスプリングバランサーアメリカ製のスプリングバランサーの写真を見せられて
15:56これを国産化したいんだけどお前のところできますか?ということです。
16:00これ金物をやっていたから食器をやっていたから得意だよということではなく全くなかったんですか?全くなかった。当社がやってる品物は津波の技術ははっきり言って全く関係ないですね。
16:11金属の加工から機械製品の製造への大転換国産のバランサーは当初見向きもされなかったが製品には自信があった粘り強く売り込んだすると1社また1社と採用されやがて9割以上の自動車メーカーが導入
16:41自動車大国へと躍進した その裏には遠藤工業のバランサーがあった
16:533代目の社長に就いた遠藤光六さんは販路を世界へと広げ インド、中国にも展開
17:03バランサーの品質は高く評価され 瞬く間にシェアを拡大
17:09そして今よ世界シェアは3割を超えるまでに成長した会社に宿る技術力は海を越え再び花開いたしかし
17:27今こう日本の自動車産業もどんどんEVになったりとかしてなかなかこう苦しい部分もあるじゃないですかそういったその日本のものづくり全般に感じる危機感というのもありますかありますよこの商品でこれから伸びていくっていうのはあまり見えないですね
17:43押し寄せる新たな変化の波そんな今若い力が立ち向かっていた
17:59当社の社長をご紹介します
18:18今年4月、遠藤工業は3代目の遠藤光六さんが社長の座を下り、息子の高志さんへと世代交代が行われた。
18:39開発を進めていたのがこちらのバランサーこちらのロボットがこのバランサーを操作してですね荷物をA地点からB地点に搬送するというのを自動的にできないかということで。
19:03産業用のロボットがバランサーを操作することでほとんどの作業を自動化するという完全に自動化全てを自動化する前に既存の例えばアームだったり機械とかを組み合わせることで少しずつ変化をというかやっていくわけですね。
19:25どんどんロボットとかですね自動化になってきて人手の作業がまあ少なくなってきてると思いましてまあ需要がだんだんとは減ってきてるんですね。
19:34ソフトウェアとの融合でより進化したバランサーしかし今新たな変化が求められていた年々シェアを広げる電気自動車ガソリン車に比べて部品数が少ないため組み立ての作業が減り
20:04人による作業がなくなるそれはすなわちバランサーが必要なくなるということでもあったこうある種の危機感というかどんどん自動化する中で極端な話バランサーいらなくなっちゃうかもなっていうところの10年後20年後の未来っていうのもやっぱりちょっとよぎったりはするんですか?
20:26ずっとは続けていけないと思うのでやっぱり新しい商品開発っていうのは当社の昔からの文化ですのでどんどんチャレンジしていければなと思っています。
20:38強みだなと思っているのってこの辺りですか?
20:40好奇心ですよね。絶対必要な好奇心なんですよ。
20:44面白いと思うか面白いと思わないからなんですよ。
20:48やっぱりね面白いと思わないとうまくいかないですよ。
20:52なるほど。
20:53人類が豊かになって幸せになってきたという理由は何だと思います?
20:59それはですねテクノロジーなんですよ。
21:01テクノロジーが全ての人類の発展を牽引してきたと私は思ってるんですよ。
21:07だからやっぱりテクノロジーを捨てちゃいけない。
21:11すいませんお食事中でごめんなさい。
21:19何年目ぐらいですか?
21:23ここが同期なんですね。
21:25工場見学させていただいた際にバランサー初めて触って軽さに感動したというかすで興味持って応募させていただきました。
21:35新しい技術とか今までやったことないことをチャレンジしてきた歴史だっていうところをすごく教わってこれから何かこう必要な会社が今後伸びてこれからも成長していくために必要なのなんだなっていうのってあったりしますよ皆さん。
21:49やはりこう新しいことをどんどんどんどん取り入れてやっぱ何が求められているのかという。
21:55もちろん武器も活かしつつニーズに合わせたところでやっぱ新しいことをやっていくことが必要なのかなと。
22:03今の製品に満足することなく新しい商品を今の技術を使ってどんどん作っていけたらなと思います。
22:09引き継がれていくものづくりの魂。
22:19次なる主力商品の開発に向け技術者たちは最先端のテクノロジーに挑み続けている。
22:29会社を軽くアセットを軽くしていこうという考え方もあるわけですよね。その中でも物を作るっていうことはやっぱりすごく価値として大きいと思いますか。
22:43最後はやっぱり作れるところが最終的にはこう価値にはなってくるかなと思ってますしいずれどんどん時代が変わっていくにつれてやっぱりそういう生産できる能力を持っているところがやっぱり会社として非常に強みにもなるかなと思ってますので。
23:03時代の変化に合わせ業種や業態を変えてでも世に役立つものを作り出そうという思いがこの地にはある。
23:19遠藤工業の創業者遠藤松次郎はこんな句を残している先人の残せし技を学びつつ後の世人の道を開かむグローバルで見た時に今製造業とかサービスのITとかもそうですしAIもそうですしすごい変化してますよね。
23:47これ事業としては難しい局面にあるという考え方もあればそうじゃない。どうですか。
23:52これはですねもう絶好のチャンスだと思います。
23:55なるほど。
23:56というのはですねいろんな既存の秩序が今壊れるとかですねアメリカの例じゃないですが壊れるとかグローバルがどんどん進んでいろんなところと近くなってきた。
24:07日本の場合は少子高齢化でもう社会の構造がどんどん変わっていきますよね。
24:14そうするとですねそこに必ずですね我々が手がけるチャンスがあると生かすことができるかどうかがそれぞれの企業に問われているところだと思います。
24:25地域に秘められた可能性。
24:37見つめ直す新潟のポテンシャル。
24:43老舗企業のポテンシャルを見てきた今回その力は想像以上でした。
24:50AI、ソフトウェア、単なるものづくりの域を超えてまさに今最先端の経営そしてテクノロジーがその会社にはありました。
25:02まだまだ日本には知られざるポテンシャルを持っている企業がたくさんあるはずです。
25:08これからその魅力をその力を伝えていくことがもしかすると日本経済の鍵になっていくかもしれません。
25:18脈々と紡がれてきたものづくりの文化。
25:28世の中がより便利にたとえ小さな市場でもそこで生み出されたものは人々の生活を豊かにした。
25:41私たちの街には可能性がある。
25:51それはまだ多くの人が知らない分野でも。
25:56その人が知らない分野ではないことがありました。
26:04私たちの街ではないかもしれません。
26:09私たちの街ではないかもしれません。
26:13私たちの街ではないかもしれません。

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