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00:00역사 문제를 둘러싼 끊이지 않는 갈등
00:22우리는 그들의 생각이 무척 궁금합니다
00:26하타노스 미호는 태평양 전쟁 이후 일본의 역사인식이 어떻게 형성되었고
00:46또 어떻게 변화했는지를 연구한 정치학자입니다
00:49왜 일본이 주변국과 여러 역사 문제로 부딪히는지
00:55그 근원을 쫓아왔죠
00:58일본은 왜 과거사 문제를 외면하려는 걸까요?
01:05수십 년간 반복된 역사 갈등을 과연 극복할 수 있을까요?
01:15전 세계에 흩어져 있는 위대한 생각들을 모았습니다
01:20어떤 생각은 우리를 저 먼 곳으로 데려갑니다
01:27전 세계에 흩어졌습니다
01:30영국의 그들의 Cory이 영국의 Voors
01:31연구 바이 시험을 좁게 만드는 소리
01:33amen...
01:35저는 영국의 조정
01:35한달의 정돈이
01:37그 아이암아
01:37한글자막 제공 및 자막 제공 및 자막 제공 및 광고를 포함하고 있습니다.
02:07例えば1980年代に外交問題化した歴史教科書あるいは首相の約束二神社参拝です。
02:18例えば教科書問題であれば日本の歴史教科書の記述は文部省の検定にもかかわらず植民地支配を正当化している、
02:30あるいは侵略戦争を指定しているといった指摘が中国や韓国からなされる場合です。
02:39第二は慰安婦問題や強制労働問題のように、被害者個人に対して日本政府がどのように具体的に償うのかという問題です。
02:50第一と第二の問題の背景には、近代日本が引き起こした侵略戦争や植民地支配をどのように認識するかという問いかけが当然答わっていますが、
03:04問題の性質には違いもあります。
03:06第一の教科書や靖国問題の場合、歴史認識の反省や修正を求められることはありますけれども、
03:18具体的な利害関係を争うことはないのが特徴です。
03:22基本的に言葉の応酬であります。
03:27それが言葉の応酬であるがゆえに、熱しやすく冷めやすいという傾向がありまして、
03:33言葉が引き金となって大きな運動を引き起こす場合もあります。
03:39これに対して第二の場合は、被害者個人、この個人には企業や団体を含みますが、
03:47この個人に対して賠償・補償、あるいは謝罪・責任といった具体的な対応が求められます。
03:551990年代以降に外交問題化する慰安婦、あるいは強制労働、在外被爆者、
04:02最近戦争など、いわゆる戦後保障と呼ばれる問題群がそれです。
04:08今回はまず、安国問題を取り上げてみます。
04:1385年8月15日、長曽根総理大臣は、戦後の首相として初めて公式に安国神社に参拝しました。
04:34安国問題といえば、閣僚の参拝が合憲か違憲かという国内問題でありました。
04:42中曽根衛首相の参拝は、宗教職を帯びない参拝形式であれば、憲法に違反しないという政府の判断を踏まえたものでありました。
04:57しかし、中国から思わぬ反発を招くことになります。
05:019月下旬の人民日報は、侵略戦争の責任者である永久戦犯、戦争指導者が安国神社に祀られていることを取り上げ、
05:17首相の公式参拝には、戦争の性質と責任を曖昧にするものと批判しました。
05:26当時は、秀樹元首相らを軽視した永久戦犯が、1978年に安国神社に合宿されていましたが、それに反発したわけです。
05:42合宿とは、天皇の名による戦争や事変における戦死者、戦没者といいますが、
05:50その戦死者一人ひとりを安国神社に最新、神として祀るという明治以来の宗教的儀式で、
06:00総数で246万人に上ります。
06:04太平洋戦争の戦死者が9割以上に上っています。
06:08中曽根首相以降、10年間、首相外相、官房長官の安国忍者参拝は、
06:20公私に関わらず途絶えることになります。
06:23それは、後藤田官房長官が、平和条約によって東京裁判の判決を日本が自宅したという事実を踏まえるならば、
06:36公式参拝を懸念する相手国、相手の感情を無視することはできないとして、
06:43公式、非公式を問わず参拝を中止するよう、
06:51党の有力者あるいは閣僚に説得した結果でありました。
06:5580年代の中曽根政権の時代は、
06:59安国忍者参拝の断念、そして教科書の修正、
07:05そして国内の右派勢力に対して、
07:08中国との円滑な関係維持を優先しました。
07:14その結果、特に韓国の場合は、
07:18日韓の戦略的協力を優先する中曽根総理の強力なリーダーシップが、
07:25教科書、あるいは靖国といった、
07:28非常に移ろいやすい歴史問題の紛失を抑えていたということができます。
07:35次に、総理大臣の参拝が大きな問題となったのは、
07:392001年から始まる小泉総理大臣の参拝でした。
07:452001年4月、新しい内閣を発足させました小泉首相は、
07:50終戦記念日には必ず参拝すると明言していたとおり、
07:55靖国神社を参拝を復活させました。
08:02ただ、自民党の連立政権の相手である公明党や、
08:07それから予定されていた法中法官に対する外務省の懸念を配慮しまして、
08:15実際には8月15日の2日前の8月13日でした。
08:21小泉総理は参拝後に、
08:27戦没者に心からなる敬意と感謝の誠を捧げ、
08:33あのような戦争を二度と起こしてはならないと不戦の決意を新たにした。
08:39永久戦犯とか、特定の個人にお参りしたわけではないと語りました。
08:45参拝は事前に分かっていたため、
08:51外交当局は中国、韓国との首脳会談を早めに設定して、
08:59両国の反発を最小限に抑える努力をしました。
09:04しかし、2001年の10月、中国に続いて韓国を訪問した小泉総理は、
09:12金出順大統領との会談に立ち立ちまして、
09:16植民地支配による苦痛と損害に対して心からなる反省とお詫びを記者団に語りました。
09:23日本の植民地支配によって韓国の国民に対して
09:39多大なお損害と苦痛を与えたことに対しまして
09:47心からの反省とまたお詫びの気持ちをもって、
09:56今、いろいろな展示や施設や拷問の跡を見させていただきまして。
10:09そして、金出順大統領との会談では、
10:1398年の日韓共同宣言の遵守、
10:16靖国問題では内外の人々がわだかまりなく平和の祈りを捧げられる方向を検討すると述べました。
10:30小泉市長と金出順大統領は、
10:3310月下旬にも上海で再開しまして、
10:37日韓歴史共同研究の推進、
10:40そして新追悼施設の検討を早急に立ち上げることを合意しました。
10:48最初の参拝の後、
10:50中国、韓国とも2回目はないものと期待していました。
10:53しかし、小泉総理はその後も毎年参拝を続けまして、
10:59最後の6回目は2006年でしたが、
11:032006年の終戦記念日で参拝しました。
11:09この終戦記念日に総理大臣として参拝したのは、
11:14中曽根市長以来21年ぶりでした。
11:16自民党の連立与党の公明党や
11:19外務省幹部の参拝実践の要求にも取り合いませんです。
11:25こうして中国とは首脳会談が
11:29日の開けない事態に陥っていきました。
11:332002年10月、
11:35メキシコで解散のエペック首脳会議の際、
11:39江沢民主席は小泉総理に、
11:42首相の靖国参拝は13国の中国人民の感情に触れる問題だとして、
11:52小泉総理に辞聴を求めました。
11:55しかし小泉総理は、
11:57だと戦争はしてはならないという気持ちで参拝したと、
12:03持論を展開するのみでありました。
12:05小泉首相にとって靖国参拝は、
12:08誰からも干渉されない心の問題として誇られていて、
12:14それと対外政策は別次元の問題だというふうに理解できます。
12:20首相の靖国参拝について、
12:23韓国政府が首脳会談のたびに小泉総理に要求したのは、
12:29新しい追悼施設の建設でした。
12:32前に述べましたように、
12:35君出順大統領と小泉首相の合意は、
12:38それを受けて、
12:402001年12月、
12:42政府は福田官房長官の諮問機関として、
12:45懇談会を設置しました。
12:48この懇談会は、
12:49約1年の検討を経て、
12:51靖国忍者などの施設の存在意義を損なわない範囲で、
12:56新しい施設を容認するという、
12:59そういう趣旨の報告書をまとめました。
13:02この新施設の是非をめぐって、
13:05日本の政界は二分されました。
13:12首相の靖国参拝の定着化を目指す国会議員のグループは、
13:17国立の施設に断固反対との決議文を採択しまして、
13:22260名を超える超党派の衆参両議員の署名を集めました。
13:33一方、新しい施設に賛同するグループ、
13:39これは2005年の10月、
13:42超党派の議員連盟を組織しまして、
13:45翌年には130名を要する勢力となりました。
13:49韓国側の要請を持ち帰った山崎拓という自民党の副総裁でしたが、
13:56彼が取りまとめ役になりました。
14:00両者の対立は、
14:02結局ポスト小泉政権の貢献レースに波及しました。
14:09ポスト小泉の有力な候補は、
14:12安倍晋三と福田康夫の2人の自民党議員でありました。
14:19しかし、2006年7月20日に、
14:26永久戦犯の郷氏が、
14:28昭和天皇が参拝を避けてきた理由となっていた、
14:33という報道が日本経済新聞でなされました。
14:38総裁選の重要な争点として大きく浮上しそうになりましたが、
14:54その直後、福田康夫は総裁選への不出馬を表明しました。
15:02こうして、
15:062006年9月20日の総裁選で、
15:12安倍晋三が圧勝しますと、
15:14ただいま、第21代住民党総裁に指名いただきました、
15:21安倍晋三でございます。
15:24まずはじめに、
15:25本日まで約5年間、
15:28住民党総裁として、
15:30改革をしっかりと前進させてきた小泉総理に、
15:34心から敬意を称し、
15:36また御礼を申し上げたいと思います。
15:46安倍晋三首相の中間訪問が発表されました。
15:51この両国訪問の素早い設定には、
15:54安国問題で、
15:56共闘の姿勢を示していた、
16:00中国や韓国の帰省を制する狙いがありましたが、
16:05行き詰まったアジア外交の打開のため、
16:07水面下で、
16:09中国や韓国の外交当局と戦略対話を継続していた、
16:15外務当局の成果でもありました。
16:186年10月、
16:192006年10月、
16:20とりわけ中国との関係修復を望んだ安倍首相は、
16:25就任直後に中国を訪問しました。
16:30中国訪問は、
16:33首相としては5年ぶりで、
16:35氷を砕く旅と銘打たれました。
16:39両国の外交当局の判断で、
16:42安国参拝については、
16:44銘言を避けました。
16:452008年5月には、
16:51国賓党が国賓として来日しまして、
16:55戦略的互経関係を豪華的に推進する、
16:59そのことを掲げた共同声明に署名しました。
17:02日本側は、
17:07中国の発展が国際社会に好奇をもたらしている。
17:13そして、
17:13中国側も、
17:14戦後日本の平和国家としての歩みを高く評価しました。
17:182012年の12月、
17:23第二次政権を発足させました安倍首相は、
17:27連立を組む公明党の反対を仕切って、
17:30靖国参拝を勧告しました。
17:33総理大臣による参拝は、
17:35小泉首相以来でありました。
17:377年ぶりでした。
17:38中国あるいは韓国の人々の気持ちを気づせる、
17:44そんな考えはもうとうございません。
17:47再び戦争の参加によって人々が苦しむことのない事態を作るとの誓いを、
17:56この決意をお伝えするために、
17:59この日を選びました。
18:02国内世論は賛否が二分されましたが、
18:05対外的には、中韓はもとよりEUやシンガポールからも強い批判をありました。
18:14特にアメリカの反応は際立っていました。
18:18在日アメリカ大使館は、
18:20直ちに日本の指導者が近隣諸国と関係を悪化させる行動を取ったことに、
18:27アメリカは失望しているとの声明を発表しました。
18:31さかのぼってみれば、
18:33占領下のGHQ、総司令部による司令の結果とはいえ、
18:39永久戦犯を含め、戦没兵士をいかに慰霊するか、
18:44追悼するかという重大な問題を国が介入できないまま、
18:50宗教施設として靖国神社に預けてしまったことが、
18:54今日の事態を招いてしまいました。

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