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00:00石段を1159段登った先にその場所はあります。すごいきれいな駿河湾。
00:29海沿いの険しい山の上にきらびやかな神殿が立ち並びます。
00:40わあ、きれい。
00:57久能山東照宮徳川家康が埋葬され神として祀られている場所です。
01:18境内の博物館には家康が手元に置き愛用した品々が納められています。
01:29その中に、数奇な運命をたどった本日の名品が。
01:44名品に来歴あり、時を越えて人々の心を揺さぶり、自ら歴史の主人公となってきました。
01:59こんな名品の一つ天下人徳川家康の陽時計。その450年に及ぶ来歴には驚きのドラマが隠されていました。
02:14この本です。
02:19歴史の1ページに刻まれた金の時計。千葉県沖で起きた巨大ハンセンの海岸事故。背後に渦巻くスペインの野望。
02:43唯一無二の時計にあの大英博物館が調査に乗り出した。
02:56しかし、時計には思わぬミステリーが。
03:11最新のX線調査で浮かび上がったそしてある夜、忽然と消えた時計。
03:28一体誰が時計を盗んだのか。
03:35徳川家康の陽時計。450年の来歴。
03:42時空を超えた旅に招待されたのはあなた。
03:49富士山を間近に望む静岡市。
04:06家康が晩年を過ごしたところですここが東照宮か久能山東照宮は1617年の創建。
04:33県眼たる極彩式の社殿は国宝です。
04:48家康の時計を守ってきた最初に案内してくれたのはこの神社で一番大切な場所です。
04:53家康の時計を守ってきた名誉宮司の落合秀邦さん。
05:02最初に案内してくれたのはこの神社で一番大切な場所です。
05:08ここが家康のお墓神廟といいます。
05:18家康が指定された。
05:21ここに埋葬してほしいと言われて家康が眠っておられることになります。
05:27松本真理香さんは大河ドラマ青井徳川三代で家康の孫千姫を演じ2023年のどうする家康にも出演。
05:46家康には深いご縁を感じてきました。
05:53家康っていうのはすごく自分にとって関係性が自分なりにあるなっていうふうに。
06:11境内にある博物館へ収められているのは家康が生前に愛用した品々そのうち191点が重要文化財になっています。
06:33その中の一つがこの家康の用時計ということになります。
06:39素敵ねえはあ繊細ですね徳川家康の用時計高さ21.5cm金メッキで覆われた真鍮製です目を引く銀の文字盤!
07:07独特な形はヨーロッパの教会のようにも見えますドーム状の屋根にはエキゾチックな透かし彫りが施されています側面は扉になっていて開閉が可能。
07:30そこに描かれているのはアーチからの景色。
07:37スペインを思わせる岩の丘に築かれた城。
07:44日本に現存する最古のゼンマイ式機械時計。
07:53日本に現存する最古のゼンマイ式機械時計。
07:581 回ゼンマイを巻くと30時間動くといいます。
08:02文字盤が見られる窓のついた革張りのケースも一緒に残されています。
08:14ここに何か書いてありますね。
08:171581年にハンス・デ・エヴァロが私をマドリッドで作ったというふうに書かれてあるそうです。
08:29マドリッドってことはスペインで作られたってことですか。
08:32そうですね。この時計はスペインの国王から徳川康子に贈られた時計ということになります。
08:42スペイン国王から。
08:44今から400年以上前にスペイン国王から日本に贈られたというこの時計。
08:59世界でも類を見ないほど貴重なものでした。
09:06イギリス・ロンドン。
09:122011年、大英博物館にある依頼が寄せられました。
09:22日本に古いヨーロッパの時計が残っているので調査してほしいというものでした。
09:33当時、大英博物館時計部門の責任者だったデイビッド・トンプソンさんです。
09:44これが日本から送られてきた写真ですある日大英博物館の私のデスクに電話がかかってきたのです静岡の神社に残された古い時計の写真を見てもらえませんかとね送られてきたのはあの家康の時計の写真でした
10:12これは面白いと思いましたね
10:19時計には遠近法を駆使した彫刻まで施されていてあまり例がないものだったんです
10:281年後
10:33トンプソンさんの姿が苦悩山にありました
10:40静岡まで出向いて調査をするのは私にとって初めてのことだったんです
10:52大英博物館の専門家が調査に乗り出したとあって日本のメディアも色めきたちました
11:03実物を見たらとても小さな持ち運びができる時計でした機械構造としてはよくあるものでしたが歴史的に他にはない大変重要なものです
11:20はるばる海を越えて日本にもたらされ400年にわたって保管されてきた時計トンプソンさんが特に注目したのは部品でした時計は長く使い続けていくうちに修理が重ねられますそのため部品の多くは交換され古い時計ほど元のパーツが残っています
11:50ている可能性が低いというのです
11:57時計というのは休みなく動き続けるものですから修理をしないと調子が悪くなってしまいます
12:07ところがこの時計は部品がほとんど交換されておらず 作られた当初のまま残っていました
12:18作られた当時のまま保存されてきた世界的にも貴重な用時計
12:25なぜ家康のもとにこの時計がもたらされたのでしょうか
12:33時計は400年前に遡ります
12:40きっかけは江戸時代初めに起こった海難事故
12:48暴走半島の東に位置する千葉県御宿町
12:55暴走半島の東に位置する千葉県御宿町
13:021609年9月日本沖合を公開中のスペイン戦が暴風のため進路を見失い
13:17大勢の乗組員が漂着したため村人たちが総出で救助をしたという話が伝わっています
13:24こんにちは
13:37スペイン戦漂流救出に関するコーナーです
13:44男の人たちは弱った人たちを抱え上げて助け出したと
13:50で女の人たちは時期がもう冬にさしかかっておりましたから
13:55なんとか蘇生させようと思って自分の肌で温めて
13:59そしていわゆる生き返らせたと
14:03村人たちが総出でスペイン人たちを救出したということは
14:08大変おこりにしておりますね
14:11当時網元だった岩瀬家が救助の指揮を執ったと伝えられます江戸時代に建てられた母屋を訪ねてみるとこの針がガレオン船の船体の一部と言い伝えられています
14:37ええこのそうですね全部船体の一ブラシですね船体のどこに使われてたのかはちょっと分かんないんですけれどこの市松模様はなんかスペインではこういうふうに塗るのが多いんだそうです
15:00座礁したサンフランシスコ号は1000トンもある巨大な帆船
15:08乗組員は373人うち317人が御宿の海岸に漂着し村人に助けられたと記録されています
15:21かつて太陽の沈まぬ帝国と呼ばれたスペイン 植民地メキシコで産出する銀を運びフィリピンへ
15:31東アジアの陶器や絹織物を買い付け巨満の富を築いていました
15:41サンフランシスコ号が座礁したのは太平洋を航海しながらメキシコへと戻っていく途中のことでした
15:53助けられたスペイン人の中にいたのがフィリピンの臨時総督だったロドリゴ・デ・ビベロ
16:03家康はビベロたちを手厚くもてなし新しい船まで提供
16:09一行は無事メキシコへと戻ることができました時計はその感謝の印としてスペイン国王から贈られたものだったのです
16:23へーそんな話があったんですね
16:30あれ?江戸幕府って鎖国してたんじゃなかったっけ?
16:38ん?家康がスペイン人を招いたってどういうこと?
16:44家康公は実は外交には大変積極的でした
16:51え?
16:54私が出会った頃の家康公はこんな地図を眺めながら世界に思いを巡らせていらっしゃいましたよ
17:03これは…昔の世界地図ですね…えっと…ん?あれ?日本はどこにあるんだろう?
17:18この辺りです
17:20家康公は世界の情勢にも通じていてできるだけ多くの国々と貿易をし日本を豊かな国にしようと考えておられたようでした
17:35とするとあのスペイン戦の一件も家康にとっては絶好の外交チャンスだったそうですしかし外交には必ずと言っていいほど裏の糸が付きものだということはご存じですね?
17:57人命救助のお礼としてあなたが日本に送られたとてもいい話だと思ったんですけどはいですがそれはあくまでも表向きその裏ではスペイン国王と家康公それぞれの野望が渦巻いていました野望?
18:12今日はあなたに私が見てきた400年余りの話をお聞かせしましょう。
18:31ヨーロッパ人の残した資料から江戸時代の外交史を研究するフレデリック・クレインス教授
18:43この本です ポルタガル人とスペイン人から家康がいただいた贈り物についても書かれてその中で
19:03エーヌハウドホロロージーと書いてあります。これは一つの金の時計ということで家康の用土計を指しているに違いないと思います。
19:15外国人施設たちはこと細かに家康と一見して様子を記録。家康が何を考えどのような行動をとったのかを知る手がかりとなっています。
19:35家康が外国人施設と面会していたのは駿府。今の静岡市です。
19:48家康は64歳で将軍を息子秀忠に譲ると駿府に城を築き、大御所として政治に携わります。
20:00ここは昔、東海道でした。
20:12これは非常に広い道で、ここに人々が行き来していて、外国人の記録からするといつもこれすごい混んでた道だったんですね。
20:26ここに駿府城があって、天使閣の一番上から家康が実は外国の施設の到来を見たりしていました。
20:36とにかく全ての外国人は船で日本に来たら、一回この駿府城に来て、家康に越見しないといけませんでした。
20:48なので毎年、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、いろいろな国の施設がこの駿府に来ていました。
20:59城下には金座や銀座が置かれ、小判や銀貨が作られました。
21:06たくさんの商人が集まり江戸や上方と並ぶ繁栄ぶりだったといいます訪れた外国人たちは町の様子をこう書き残しています駿府の町は郊外を含んだロンドンほどの大きさもある大変清潔な町で寺も美しく人口は12万ほどあります。
21:34人口は12万ほどある現在公園となっている駿府城の跡その中央に活腹のいい家康像が。
21:48イヤスが私たちを待ってくれました。
21:53大御所時代をイメージして作られたと思われます。
21:59外国人施設たちはイヤスのことをなんて呼んでたんですか?
22:03やっぱり日本の君主に越見しに行きます。
22:07なのでイヤスを大体皇帝、エンペラーとか大御所時代で一応隠居していると思われがちなんですが、実際の権力を持っているのはイヤスだと。
22:21市内の寺に家康の絵が残されていました。
22:35家康が63歳の時に描いたと伝わる自画像です。
22:42ああ、これですか。すごい。
22:52有名な自画像ですね。
22:55すごく外国施設が描いていると全く同じような表情をしているんですね。
23:07外国人施設が見た家康とは。
23:12中世の老人で威厳のある陽気な顔つきをしており、さほど色黒でなく少し太っていた。
23:24こっちの方がリアルに見えますね。
23:29ガラスがあるので、本当はもうもっと近づきたいぐらいな感じなんですね。
23:35静岡で大御所として君臨した家康。
23:42そのまなざしはなぜ海外に向けられていたのでしょうか江戸幕府を開き天下を支柱にした家康。
23:58基盤を固めるために進めたのが鉱山の開発。
24:05岩見、佐渡など主要な鉱山を幕府の直轄としました。
24:13岩見銀山では当時世界の3分の1の銀が生産されたと言われます。
24:23日本は世界有数の金銀産出国だったのです。
24:30金銀こそが国を豊かにする最大の資源。
24:37ところが日本の技術力には限界があり、効率よく大量に生産することができずにいました。
24:47そこで家康が目をつけたのが、スペインの植民地だったメキシコの鉱山技術。
24:54最先端の技術を何とか入手したいと考えていました。
25:00そんな檻にナンパしたスペイン船。
25:07願ってもない機会と捉えた家康は、救出したビベロに、メキシコから鉱山技師50人を派遣してほしいと伝えます。
25:19一方、手厚くもてなされ帰国したスペイン人一行。
25:26彼らもまた、これをある野望実現のためのチャンスと考えたのです。
25:32なるほど。家康公の狙いは、銀を生産するための技術だった。
25:45じゃあ、スペインの狙いは?
25:48つまり、日本の金と銀です。
25:53マルコポーロが東方見聞録に、黄金の国ジパングのことを記して以来、西洋人たちはずっと黄金を追い求め続けていたんです。
26:05あの、そのジパングって本当に日本のことだったんですか?
26:11少なくとも、本塾で救助されたあのビベロはそう確信したようで、
26:17日本は良い国、金銀を驚くほど産出している、と伝えています。
26:25そして、スペイン国王は、すぐさま日本に死者を送り込みました。
26:32黄金を手に入れるチャンスとばかりに。
26:34その通り。
26:36そしてスペイン国王はその重要な外交の第一歩には時計すなわち私を送る必要があると考えたのです。
26:46時のスペイン国王はなぜ家康への贈り物として時計を選んだのでしょうか。
26:58スペインでも著名な時計の専門家、ホセ・ダニエル・バルケロさん。
27:13送られた時計には、ある意味が込められていたといいます。
27:20時計という進んだ文化を家康に贈る。
27:27それはすなわち、スペイン国王が家康を自らと対等な偉大な支配者として認めたということです。
27:37なぜなら当時、移動や経済活動のために正確な時を知ることに大きな価値があったからです。
27:49時をも支配する権力。
27:53時計はその象徴として、スペインでは城や教会といった権威ある建物に取り付けられました。
28:04成功に組み立てられた時計。
28:08その点検や修理には特別な技術が必要です。
28:13バルセロナ郊外にある時計の専門学校。
28:20技術の継承を目的に職人を養成しています。
28:34ああ、日本に送られたこの時計は知っていますよ。
28:38当時、日本では作れなかった機械式時計で、スペイン王室の時計職人、ハンス・デ・エヴァロの名前が刻んでありますね。
28:53家康の時計にあった、ハンス・デ・エヴァロという名前。
28:59スペインでも有名な時計の製作者でした。
29:06時計職人、ハンス・デ・エヴァロは1530年頃に生まれて、亡くなる1598年まで、スペイン王室に仕えていました。
29:16装飾が美しく、とても手の込んだ時計を作る、優れた時計職人でした。
29:23エヴァロが仕えたのは、スペイン帝国最盛期の国王だったフェリペ2世。
29:31宮殿には国王愛用の時計が残されています。
29:38執務室のデスクに置かれているこの時計は、エヴァロが手がけたもの。
29:46スペインでは国宝に指定されています。
29:51支配者の象徴として家康に贈られることとなった時計。
30:06託されたのは、特別施設に任命されたセバスティアン・リスカイノ。
30:13新大陸とされた北アメリカを調査したことで知られる探検家です。
30:25表向きは遭難者救助へのお礼しかし真の目的は日本近海にあると信じられたこうして時計はいよいよ日本へ大国スペインから贈られた最高級の時計。
30:50初めてあなたを目にされた時、家康はどんなご様子でした?
30:57好奇心旺盛なお方でしたから、一目で気に入ってくださったようです。
31:04あ、でも…
31:07でも?何かあったんですか?
31:11え?
31:15スンプに到着したビスカイノ。
31:20およそ40人の兵士を引き連れ、堂々と行進開始。
31:26赤々と掲げるは、スペイン国王の紋章を示す御旗。
31:31響き渡るラッパの音そして祝宝の銃声儀式や祝祭で行うスペイン式の行進をそのままに披露したビスカイノ一行。
31:43しかし、それが行けなかった。
31:47えっ?どうしてですか?
31:50たくさんの兵士が鳴り者を鳴らし、旗を掲げながら城に向かってくる。
31:57おまけに銃声までとどろく。
32:00まるで合戦の合図じゃないですか?
32:04あ、たしかに。攻めてきたみたいですよね。
32:10家康公は、かなり不快に思われたようでした。
32:15そんな賢悪なムードの中で、私は他の品々とともに大きな部屋に並べられた。
32:30私を挟んで向かい合う家康公とビスカイノ。
32:34しかし、会話はほとんどない。
32:37実はビスカイノは、知らずにあの行進をしたわけじゃない。
32:42わざとやったのだ。
32:44スペインの移行を見せつけるために。
32:48結局、最後まで空気は変わらぬままに、越見は終了。
32:54そして、部屋には誰もいなくなった。
33:04結局、越見の成果は?
33:08望んでいた鉱山技師についても回答がなく。
33:12イエアス公は、失望されていました。
33:16ビスカイノは、どう思っていたんでしょう。
33:20彼も最悪な印象を持ったようで、後にこのように記録しています。
33:26日本人は世界で最も卑劣な国民。
33:32イエアスは非常な皇帝だと。
33:36それは、随分な言い方ですね。
33:40もとより目的は、日本の黄金を手に入れること。
33:46対等な関係を築こうとは考えていなかったのでしょう。
33:50イエアス公とスペインを。
33:54それぞれの思いは、決して交わることはなかったのです。
33:58結局、家康はビスカイノとの交渉を打ち切ります。
34:08その後、金銀島の調査のみならず、キリスト教の布教を進めようとするスペインに対し、家康は厳しい態度で臨んでいきます。
34:25ビスカイノと面会した次の年には、キリシタン金教令を発令。以後、江戸幕府は徹底的にキリシタンを弾圧。スペインとの交流も途絶えます。
34:44しかし贈られた時計は家康の大切な愛用品となりました久能山東照宮の博物館には時計とともにスペインから贈られた品々が展示されています
35:07これ、鉛筆ですか?
35:14そうです。
35:15こっちはメガネ。
35:16メガネですね。
35:17これも家康の愛用品だったんですか?
35:21はい。
35:22老眼鏡みたいなものだと思いますけどね。
35:26こちらの方はね、家康がなくなった後のこの筆箱にも入ってたものですから、使ってたということでしょうね。
35:36好奇心旺盛で新しい物好きだった家康。
35:43しかし、時計は実用品として使われることはなかったと考えられています。
35:51その当時の日本はですね、その時の測り方が違ってたんですね。
36:00はい。
36:01ですから、この時計は直接は役に立たなかった。
36:05ほとんど使われなかった可能性があるんですよね。
36:09なるほど。
36:10なるほど。
36:11現代とは異なっていた江戸時代の時の測り方。
36:26時計の歴史を専門にする佐々木勝博さん。
36:38当時の人々はどうやって時刻を決めていたのか、伺いました。
36:43家康の時代の時刻制度っていうのは、これは不定時法といいまして、1日を明けむつくれむつで昼と夜に分ける。
36:55それぞれを6等分するという、そういう時刻制度が使われていたわけですよね。
36:59基本的にはお寺の鐘、あるいはお城の中に出られられた鐘で、その鐘をついた音を聞いて時刻をしていた。
37:10では、この時計は家康にとってどんな存在だったのでしょうか。
37:17ああいった機械時計っていうのは、ある意味ではその当時のですね、西洋で言っても最先端の技術。
37:24そういったものが家康の手元に、ある意味では宝物のように家康の手元に来たわけです。
37:30そうすると、多分時を測る目的で使うんではなくて、お客さんに動かしてみせる。
37:38チーンと音を鳴らしてみせる、そういうことをしていたんじゃないかなと、そんな気がします。
37:47江戸時代の時間の間隔って今とは全然違うんですね。
37:54それにどこにでも時計があるわけじゃないし待ち合わせとか何時まで仕事とかすごく難しくないですか?
38:04時計の代わりに手を使っていた人もいたようです。
38:11手?
38:14あっ…
38:15だんだん日が落ちてきて、自分の手の筋が見えなくなるとクレムツ。
38:22そこからは夜と判断するわけです。
38:26見えなくなりました。
38:29クレムツですね。
38:31江戸時代はほとんどの人が日の出と共に起き、日の入りと共に寝る生活をしていたようですから、もうお休みの時間です。
38:43手の筋が見えなくなったらそろそろ寝る。
38:50健康的ですね。
38:52だけど、せっかく日本まで来たのに、あなたは時計としての本領を発揮できなくて、ちょっと残念でしたね。
39:05でも家康公は私のことをいつも傍らに置いてくださいました。
39:12そして今もなお、私はこうしてずっとおそばにおります。
39:181616年4月17日江戸幕府初代将軍徳川家康は75歳で死去。
39:35時計は最後まで主のもとにありました遺言により亡骸は降りしきる雨の中その夜のうちに久能山に葬られます家康を御祭神として祀る東照宮が創建され時計をはじめ愛用の品々が奉納されました。
40:04時計は東照宮の宝物となり人々の目に触れることはありませんでした。
40:13幕府は聖域となった久能山への立ち入りを厳しく制限参拝を許されたのはごく僅かな人々だけ1年を通して門番が厳しく見張っていたといいます。
40:41そのため久能山にはこんなものも残されていました。
40:48これは久能山東照宮に伝わっている火縄銃なんですけれども24時間3交代制ぐらいで門番がずっといたわけですよね。その人たちがこれ使ってたかというそういうものなんですよ。持ってみます?
40:55いいですか。
41:02どうぞ。
41:03重いですよ。
41:04どうぞ。
41:05重いですよ。
41:06どうぞ。
41:07重いですよ。
41:08どうぞ。
41:09どうぞ。
41:10どうぞ。
41:11どうぞ。
41:12どうぞ。
41:13重いですね。
41:14こんな手構えて何か打てないですよね。
41:17こうしてこうしてこうやって。
41:21もうちょっと無理ですね。
41:23重いですよね。
41:24重いでしょ。
41:25重いでしょ。
41:26重いでしょ。
41:27重いです。
41:28ええ。
41:30家康の市からおよそ250年。
41:37時計を取り巻く環境に大きな変化が訪れようとしていました。
41:40こうしてこうしてこうしてこうやって。
41:43こうしてこうやって。
41:45もうちょっと無理です。
41:47重いでしょ。
41:48重いでしょ。
41:49重いでしょ。
41:50重いでしょ。
41:51重いでしょ。
41:52重いです。
41:53ええ。
41:54家康の市からおよそ250年。
41:56家康の市から大きな変化が訪れようとしていました。
42:051867年。
42:08家康から15代にわたって徳川家が将軍を務めた江戸幕府が政権を返上。
42:19明治になると家康を祀る久能山はもはや聖域ではなくなります。
42:25時代の大きなうねりの中で家康の時計も長い眠りから覚めようとしていました。
42:381889年。
42:51東海道線静岡駅が開業。
42:53多くの参拝者が久能山を目指してやってくるようになりました。
42:58境内には宝物館が作られ、家康の時計は一般に公開されます。
43:08300年以上止まったままだった時計は戦後間もなく動くことが確認されました。
43:21ベルが鳴ることも分かり、6月10日の時の記念日に全国放送されます。
43:30時計は貴重な文化財として世の中の大きな注目を集めていくことになるのです。
43:55そんな中、事件は起こりました。
44:021955年11月20日未明。
44:12久能山を見回っていた盗職者が異変に気づきます。
44:19鉄格子が焼き切られ、9点の宝物が姿を消していたのです。
44:27その中には大切な家康の時計もこの盗難事件は大きく報じられ懸命な捜査が行われました。
44:42しかし何の手がかりもつかめぬまま時が過ぎていきました。
44:57事件発生から2か月半、事態は思わぬ展開を迎えます。
45:04舞台は静岡の新聞社。
45:11夜9時50分ごろ、謎の訪問者が訪れてきました。
45:17男は包みを預けるとすぐに姿を消しました。
45:24対応にあたった社員のご子息に話を聞くことができました。
45:34何が入っているかやっぱりわからないものですからね。
45:39それで一応調べてみました。
45:42それが久能山のほうで盗まれた時計だと。
45:48徳川家康の時計だったと。
45:51父が第一発見者だということで若干疑われた部分もあったわけなんですけれども。
45:56見つかってよかったんじゃないかなというふうには思いましたね。
46:02帰ってきた時計には一通の手紙が添えられていました。
46:15新聞で小学生の寄せた一文を読み、180度考えを変えるに至った。
46:31新聞に載せられた小学生の文章が犯人の心を動かしたというのです。
46:44これは小学2年生の男の子が新聞に投書した文章です。読んでみてください。
46:57壊したり捨てたりしないでそっと時計を返してください。
47:08返す時、もしおまわりさんに見つかったら僕らが謝ってあげます。
47:14これを読んで犯人は戒心したんです。
47:21この純粋さが胸を打ったんですね。
47:24一月後に逮捕されたのは29歳の男でした。
47:29犯行の動機は、結婚したいと思っている女性を泥沼から救うため、などと言っていました。
47:38九能山の下見をしたり、鉄格子を焼ききる方法を研究したり、一年がかりで計画した犯行だったそうです。
47:47思う女性のために?ともあれあなたがご無事でよかったです
48:172012年に時計を調査したデイビッド・トンプソンさん。
48:24イギリスに帰ってから、あることがずっと気にかかっていました。
48:31時計につけられた金属製のプレートなんですが、
48:40九能山に報告したときは、あまり気になっていなかったんです。
48:47でもイギリスに帰国してから、どうもおかしいと引っかかるようになっていきました。
48:58プレートのつなぎ目がきれいではないし、彫刻の仕上げも周りとはかなり違っていたからです。
49:10トンプソンさんの指摘を受けた久能山東照宮は精密な調査を静岡大学に依頼しますじゃあX線出します。
49:29担当した青木徹教授X線を使って名前が刻まれたプレートを調べたところ謎めいた発見が何か2つ重なってるまあ2つか3つか分かりませんけど重なってるという映画そこでは見られました。
49:53そのまま直接は読み取れなかったんですがそこから分析処理をして浮かび上がったところでちょっと予想もしない文字が出てきたと。
50:02プレートの下から見つかったのは時計の制作者らしき別人の名前。
50:13ニコラウスでトロエステンベルク。
50:20さて皆さん覚えているでしょうか刻まれていた制作者の名前はエヴァロ。超一流の技術を持つ時のスペイン王のお抱え職人でした。
50:39その下に別の制作者の名前が一体なぜ。
50:46調べてみるとニコラウスでトロエステンベルクもまたスペイン王に仕えた時計職人の一人だったことが分かりました。
51:00さらにX線で浮かび上がった文字からブリュッセルで制作されたらしいことも分かりました。
51:12当時ブリュッセルといえばスペイン帝国の一部。
51:17多くの時計工房があったところです。
51:22ではなぜトロエステンベルクの名前の上にわざわざエヴァロの名前が刻まれたのか。
51:31実はその謎はまだ解明されていません。
51:38そこでプレートの謎を専門家の皆さんに推理してもらいます。
51:47家康の時代メキシコには贈答用の時計がストックされていたといいます。
51:59当時のスペイン王はいろいろなところに時計を送っています。
52:04例えば1580年に中国の皇帝にも時計を送っているような記録が残っています。
52:14そのためにメキシコの不幸に複数の時計がストックされていたんじゃないかなと思います。
52:26クレインス教授は時計がメキシコに渡る前にエヴァロが修理したのではないかと推理。
52:38ハンズ・エヴァロがおそらくちょっと改良を施して改良したので、自分のプレートをこのトゥルステンベルクの名簿の上につけたと思われます。
52:55続いて時計の歴史のエキスパート、国立科学博物館の佐々木勝博さん。
53:04メキシコにあった時計の中に家康にふさわしいものが見つからなかったからと推理します。
53:13実際に準備する期間というのは4ヶ月弱しかなかったんじゃないかと。
53:21そうなりますとトゥルステンベルク作の作らせたもの、これが多分メキシコにあったんだと。
53:27それがあったので、ハンステ・エヴァロの名前をつけて、牽引付けに名前をつけて、それを返礼品としたのではないかというふうに考えられるんですね。
53:44大英博物館のトンプソンさん。
53:49極めて政治的な理由だったのではないかといいます。
53:55メキシコで家康への贈り物として時計を選んだわけです。
54:02ところが、まずいな、ブリュッセルで作られたと書いてあるぞ。
54:08スペインで国王の時計職人が作ったことにしなければ。
54:14と、なったのでは?
54:17それで、エヴァロの名前をつけたと思うのです。
54:22当時のブリュッセルはスペイン帝国の統治下にあったものの、その支配を嫌い、反旗を翻していた時期。
54:32氾濫が起きたブリュッセル製の時計を送るのはまずい。
54:39そこで、新たなプレートを取り付けたのだと推理します。
54:46そして、スペインの時計の専門家、バルケロさんは?
54:55実は、日本で行われたX線による調査について、全く知りませんでした。
55:07とても驚いています。
55:11しかし、時計の品質や年代から、エヴァロの工房から出たことは間違いないでしょう。
55:20誰が作ったにせよ、この時計には金銭に変えられない価値があるのです。
55:26時計はさらに新しい歴史の一コマに立ち会います静岡市内にある料亭かつて江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の屋敷があったところです。
55:51徳川家とゆかりが深いこの場所で、ある国賓に家康の時計が披露されました。
56:02こちらの月光の的洋平でございますね。どうぞ。
56:07こちらの台の上に時計を、宮司が置かれて、
56:12こちらの方に4人様お並べになって、これをご覧になりました。
56:182017年4月、外交関係の樹立150周年を前に来日したスペイン国王ペリペ6世ご夫妻。
56:37そして当時の天皇皇后両陛下です。
56:44両国友好のシンボルを一目ご覧になりたいと静岡に出向き時計と対面されました。
57:05一応4分ほどということで決められてあったんですが、最終的にはですね、本当に熱心にご覧になって、10分ぐらいご覧になってらっしゃいましたですね。
57:19今家康の用時計はオリジナルの部品が摩耗しないよう大切に保管されています。
57:34実際に針が回ることはなくても歴史という時を確かに刻み続けています。
57:46不思議ですね。
57:56あなたは家康公と出会ってから時を告げることがなかった。
58:03それなのに、こうしてあなたといると、家康公の時代から今に至るまでの時が強く心に残ります。
58:15私も、ずっと一緒に時を刻めるような時計と出会えたらいいなぁ。
58:25きっと出会えますよ。
58:28きっと出会えますよ。
58:45徳川家康の用時計。
58:49450年の来歴。
58:58世界入りにくい居酒屋ホペインコルドバとにかく陽気な人たち甘いお酒甘いおつまみ一体何が入りにくいのかこれは楽しそう今の人生から抜け出せるならもう細かい事情は無理ややっぱりPS今夜9時45分から
59:28朝鮮弁護士カン・ハンス型破りな弁護士が権力に立ち向かう痛快時代劇BSプレミアム4Kで日曜夜9時NHKBSは木曜金曜の2回放送MLBダルビッシュが日本選手最多の日米通算204勝目をかけてマウンドへ大記録がかかる試合はBS102チャンネル25日午前8時35分
59:55朝鮮弁護士カン・ハンニ links

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