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00:00偶然の勝利はあれでも敗北はすべて必然。
00:08日本の歴史を彩った偉人たちは、いかにして敗れていったのか。
00:13その裏にはどんな原因と過ちがあったのか。
00:19今回は主君を次々と変えながら大大名に出世した東堂高虎の敗北をひもときます。
00:30転機となったのは秀吉の弟秀永との出会い。
00:36それまでとは一点忠誠を尽くし数々の先行を上げるも武士の身分を投げ打ち出家してしまった理由とは。
00:47破れし者たちの失敗から学ぶ人生哲学。
00:53偉人敗北からの教訓。
01:02歴史上の偉人たちが犯した失敗から私たちは何を学ぶのか。
01:10偉人敗北からの教訓。
01:13進行役の中西優里です。
01:15そして歴史作家の伊藤潤さんです。
01:17今日もよろしくお願いします。
01:19よろしくお願いします。
01:21さあ来年の大河ドラマの主人公は、
01:23豊臣秀吉の弟の豊臣秀永ですよね。
01:27秀永は本当に優秀な人物だったと聞いていますけれども、
01:31彼の目線で見たドラマというのも気になりますね。
01:33なかなか新鮮なチョイスですよね。
01:35本当に楽しみは楽しみなんですけどね。
01:38ただ秀吉周辺の戦国ドラマっていうのは、
01:40出尽くした感がありますんでね。
01:42やはり新たな視点や解釈が必要になってくると思うんですよ。
01:46その点、脚本家の方には相当のプレッシャーがかかってるんじゃないですかね。
01:50そうですね。
01:51どんな展開になるのか、すごく楽しみですね。
01:55さあ、今回はその秀永の家臣になったことで、
01:59運命が開けたこの武将。
02:03東道高虎の敗北に注目したいと思います。
02:07高虎といえば転職というイメージがすごく強いですね。
02:12何度も主婚を変えながら成功していったというイメージがありますけれども、
02:16実際その失敗とか挫折というのはあったんですか。
02:20高虎といえばね、やはりうまく主婚を変えて生き残った成功者の一人というイメージが強いと思うんですけどね。
02:27その子孫にも落ち度がなかったということで、
02:30家を明治市まで続けることができたという、まさに典型的な成功者だと思うんですよね。
02:35高虎の人生にもですね、やはり失敗とか挫折ってほとんどないという感じで、
02:40皆さん捉えがちかと思うんですけど、実は一つだけ大きな失敗をしてるんですね。
02:45今日はその点をですね、深く掘り下げていきたいなというふうに思っております。
02:49今回はそんな東道高虎の敗北に注目しながら、現代にも通じる教訓を探っていきます。
02:55まずは東道高虎とはどんな人物だったのかこちらをご覧ください。
03:01黒田官兵衛、加藤清正と共に三大築上名人と歌われる東道高虎は、1556年、
03:11近江の国東道村の土豪、東道虎の次男として生まれました。
03:21幼い頃から体格に恵まれていた高虎は、若くして北近江の大名、浅井長政に仕え、姉川の戦いで偉人を飾ります。
03:33ところが17歳の時に同僚を殺害しやむなく浅井家を出奔してしまいます高虎はその後僅か3年の間に主君を3人も変え男世を渡り歩きます。
03:53そして21歳の時5人目の主君に仕えます織田信長の重心だった羽柴秀吉の弟羽柴秀長です高虎は秀長の下で鉄砲隊などの戦術や祝上術、交渉術などさまざまな能力を磨いていきます。
04:22そして数々の合戦で武功をあげ、秀長亡き後は秀吉の天下統一を支えます。
04:32その後、文禄慶長の駅でも武名をとどろかせた高虎は秀吉の死後徳川家康に組みし、関ヶ原の戦いで東軍の勝利に貢献しました。
04:48徳川方として大阪の陣でも活躍した高虎は家康没後も徳川将軍家に仕えついには伊勢伊賀を中心とする32万石を超える大大名となりました。
05:04主君を何度も変えながら戦国の世をたくましく生き抜き大出世を遂げたそんな華麗なる人生にも暗い影を落とす場面がありました。
05:22一途に仕えてきた秀長の死後家族を継いだ若き主君豊臣秀康をわずか4年で失い主下である大和豊臣家が断絶してしまうのですその時高虎は高野山に上り出家してしまいました高虎敗北の瞬間です高虎敗北の瞬間です高虎敗北の瞬間です高虎敗北の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国の戦国は
05:52そして武士に復帰し大大名へと躍進を遂げた理由とは今回は死価を失い出家した東堂高虎の敗北に迫りますさあここで東堂高虎の人生の主な出来事を振り返っていきましょうこの高虎が生まれた東堂家というのはどんな家だったんですか?
06:20近江の国の犬神軍の東堂村の土豪だったんですねおそらく地名が東堂だったんでそこから自分の性を取ったんではないかなと思うんですよね
06:30でねあの高虎は次男だったんであの有力なね大名に主観しようとしてですねおそらくですねかなり小さいうちから武芸の腕を磨いたと
06:40この高虎かなり身長が高かったと大男だったと言われていますけれどもどんな少年だったんでしょうね
06:47記録に残る身長は6尺2寸って言いますから190センチもあったんですね
06:52ただ幼少の頃からですね人並み外れた体格だったということで腕っぷしには相当の自信があったみたいですね
06:59でこれ面白いエピソードがありましてね12歳の時に俗が出たということで
07:05父とお兄さんが族退治に出かけるっていうことになったんですよで高虎12歳だったんで自分も行きたいと言ったんですけど
07:13お前まだね原服前だがダメだということで待ってろというふうに言われたんですけど
07:182人が出かけた後自分も出かけましてね高虎は賢かったんで
07:23父と兄が正面からね賊が隠れているという屋敷に突入するんで
07:29おそらく賊は裏口から出てくるだろうと読んでですね
07:32あえて裏口で待って賊が出てきたところを打ち取ったんですね
07:36すごい頭いいですね
07:38頭いいですね
07:39その後高虎は本当にこう主君を次々変えていきますけれども
07:43主君を変えていくというのは当時はよくあったことなんですか
07:47いやこれよくあったことなんですね
07:48主君を次々と変えていく武士のことを渡り方公認というふうに呼ぶんですけど
07:53要は非正規雇用者で陣鳴りをして武功を上げ
07:58正社員として採用されようとそういうことが狙いなわけですよね
08:02ただですね一旦渡り癖がつくとですね
08:06なかなか一箇所には定着できないんですね
08:08それはなぜですか
08:09それはやはり自分の評価が高いんですよ
08:12自己評価が高い
08:13過信してるんですね自分の力を
08:15じゃあ何か少し気に入らないことがあると
08:17よしじゃあもう出て行ってやるみたいな
08:18そういうことになりかねないということですね
08:21高虎はね実は荒っぽいんですよ
08:24相当傲慢だったと思うんですね
08:26浅井県にしてもその後
08:28まあ主観した厚事件にしてもですね
08:31些細な行き違いからすぐに切り合いを行っちゃうんですね
08:34それで強いから勝っちゃうわけですよ
08:36そうなるともともといた箇所に切っちゃったということで
08:40せっかく正社員として仕えた家からですね
08:43出て行かなければならなくなってしまうわけですよね
08:45子供の頃から気性が荒かったという高虎は
08:50若き日に何度もトラブルを起こしています
08:53ところが5人目の主君
08:55秀永との出会いが後の運命を変えました
08:58高虎が出世の糸口をつかむまでの道のりをご覧ください
09:03何度も主君を変えながら
09:08大大名へと出世したことから
09:10日和美夜渡り上手とのそしりを受けた東堂高虎
09:15果たして本当にそうだったのでしょうか
09:20高虎の実像に迫る著書を持つ江宮さんは
09:26高虎は人並み外れた体格を生かし
09:30出世を強く望んでいたといいます
09:33身長が約190センチ
09:37体重が113キロ
09:39この時代としてはものすごい大きい子供だったと思うんですよ
09:45村という小さな体の中では
09:47リーダー的存在ではなかったかと思いますよね
09:50お父さんの道後ということで
09:52戦場稼ぎの出稼ぎですよね
09:55将来父親のように合戦に出て
10:00光明を挙げて偉くなりたいというふうには思ったんじゃないでしょうか
10:0415歳で最初の主君
10:08浅井長政に仕えた高虎は
10:10姉川の戦いを始めとする
10:13織田軍との合戦で武功を上げるも
10:16その手柄をめぐる争いから
10:19同僚を殺めてしまいました
10:21この喧嘩が正しが正しくないかなんですけれども
10:27おそらく一方的に責められちゃったんじゃないでしょうかね
10:31そうするとここにいてももう見込みはないなと
10:34見切りをつけるのが早かったんだと思いますよ
10:36高虎は浅井家を出奔し
10:40新たな士官先を求めます
10:43ところが行く先々でさまざまな問題に直面し
10:50主君を次々と変えていきます
10:54東道高虎研究の第一人者藤田さんは
11:00当時の高虎についてこう話します
11:04もちろん若気のいたりといえばそれで終わっちゃうんですけれども
11:10自分では自分の能力を評価してくれるようなですね
11:13そういうチャンスを当然求めてるわけですよね
11:16若いしね
11:17ところがどういうわけか
11:18トラブルに巻き込まれちゃうというですね
11:20浪人時代
11:23有金を使い果たした高虎は
11:26空腹に耐えかね
11:27餅屋の店先に並んだ餅を
11:30無断で平らげてしまったといいます
11:33我に返って店主にお金がないことを打ち明けると
11:38出世払いで構わないよ
11:41と路銀まで持たせてくれたと伝えられています
11:44こういう恩情を受けたことで
11:49あっ人間ってのは優しくしなきゃいけない
11:52優しくされると
11:53それに応えることができるもんだっていう風に
11:56人間としての優しさに
11:58立ち戻ることができたっていう風に僕は思ってるんですけどね
12:01歯漢と出本を繰り返していた高虎は
12:0621歳にしてようやく腰を落ち着けられる主に出会います
12:11信長の重臣秀吉の弟で
12:17敗下の者を広く求めていた橋場秀永です
12:21私に300穀で使えよ
12:26高虎はそれまでの3倍以上の毒で召しかかえられました
12:32お金とかですねそういうことではなくて核なんですよ
12:39300億というのは武将としての核ですから
12:42かなり嬉しかったんじゃないですかね
12:44自分をこれだけ高く評価してくれるっていう人間がいたのかっていう
12:49驚きもあったと思いますよね
12:51秀永に完全に魂奪われたと思うんですよ
12:56豊臣家を研究する矢部さんは
12:59秀永が高虎を評価した点をこう推測します
13:04やっぱり見た目の魅力というか力強さ
13:08主人を点々とはしてますけど
13:10やっぱりそういう経験値っていうのも
13:12若いなりに自分持っていたっていうところを評価した
13:18当時小田家は西国の大大名毛利家と敵対し
13:25一触即滑の状態にありました
13:28秀永の直身となった高虎は
13:33秀吉を司令官とする中国攻めが始まると
13:37秀永に従い田島の国現在の兵庫県北部に進軍し
13:44奇襲により武田城陥落のきっかけを作ったといわれています
13:50高虎が徐々になんていうのかな
13:54自分の部下として信頼を受ける
13:57そういう成長していくのが多分見ててうれしかっただと思うんですよね
14:02まだ自分自身もそこまで多くの信頼的家臣もいないわけなので
14:08大事にしていこうっていう心境が多分あったんじゃないかなと思います
14:12さらに三木城の戦いでの戦後により
14:17合わせて三千石を加造され
14:20侍大将に抜擢された高虎は
14:23両親をはじめ一族を田島に呼び寄せました
14:28足軽のさらに下から始まった自分が
14:34こうやって三千三百国さらにこの先見込めるって
14:38東道村から大勢の家臣団その後の家臣団を呼ぶことになる
14:44言うならば最初の花を咲かせたとっていう感覚じゃなかったでしょうかね
14:49さらに高虎は意外な才能を開花させます
14:55高虎を侍大将にした秀永は
15:18槍働き以外にも様々な役割を担わせました
15:23経理、帳簿をつけるとか交渉ごともするのに
15:28高虎を使うという風にあらゆる面で高虎を使っていくんですね
15:33さらに後に日本一とも言われるあの技も
15:39お城を作るとか屋敷を作るっていうことに興味を持って
15:45それも高虎がこの秀永の下にいた時に
15:49独学で身につけていくんですね
15:52こうして高虎は多岐にわたる技術や能力を習得し
15:58武士の誉れである大名への出世を目指すのです
16:02家柄に関係なく腕一つで認められた人というようなイメージが湧きましたね
16:11高虎の場合ですね、元気元年といいますか
16:151570年、15歳の時にですね、浅井長政に主観するんですね
16:20その頃におそらく城づくりに関わる人たちとの人間関係ができてきたと思うんですよね
16:26その後、浅井長政が織田信長から離反して
16:30朝倉義影とともにですね、姉がの戦いで奮戦しますよね
16:34その時に高虎も首を一つ取ってるんですよ
16:38ところが、結局姉がの戦いっていうのは織田方の勝利になりますから
16:42結局何ももらえないということで
16:44高虎はこの時にですね、やはり勝者の側につかないと
16:48武功を上げてもダメなんだということを痛感したと思うんですね
16:52ただ、21歳までに4人も主婚を変えているじゃないですか
16:56これやはり高虎自身の何か正確に問題みたいなものはあったのかなと
17:02どうしても思ってしまうんですよね
17:04この当時の武士っていうのはみんな自分を課題評価してるのしますよね
17:08いつか偉くなってやるっていう考え方ではなくて
17:11今稼ぐ、これがすごく大事
17:13つまり、常に年望重視の姿勢を持ってるわけですよね
17:17高虎がついていたのは、天正4年って言いますから1576年
17:2121歳の時に橋場秀永と出会うわけですよね
17:24なんとここで国高が300国で採用されるわけですよね
17:29秀永は多分ファーストインプレッションで
17:32こいつはいいなっていう感じで高虎を評価したんだと思うんですよ
17:36だってまだ何の実績もないわけじゃないですか
17:39話しか分かんないじゃないですか
17:40そうですよね
17:40ただ名前は鳴り響いたと思うんですよ
17:43首を何個も取ったとかね
17:44相当190センチ近いということで目立ったでしょうから
17:48秀永の方から考えてみてもですね
17:50寮内の土豪を手名付けるという意味から
17:53工具する必要があったと思うんですよ
17:55例えば高虎を東道家の悪息子を工具で迎え入れたってことになれば
18:00寮内の他の土豪たちも我も我もという形で
18:04秀永に従いに来るじゃないですか
18:06シンボリックな存在だったわけですね
18:08そういうことですね
18:09高虎はその後秀永の下で
18:12中国攻めで武功を挙げたり
18:14どんどん評価されていくじゃないですか
18:16本人もすごくモチベーションを感じていたと思うんですけども
18:20逆に秀永側は高虎のどんなところを一番評価していたと思いますか
18:26武士はですね武芸だけではのし上がれないんですよ
18:28もう一つプラスアルファ
18:30ワンモアのスキルが必要なんですよね
18:32それが彼にとって畜生ノウハウと畜生人脈なんです
18:35ここに彼は重きを置いてかなり勉強したと思うんですよね
18:41特に高虎の場合はですね
18:43我々が培ってきたお城のイメージの原型を作ったという風に
18:47言ってもいいと思うんですよね
18:48すなわち石垣水彫り天守
18:51そういったパーツを組み合わせた
18:53江戸時代の城の創始者という風に言われてますよね
18:56しかもですね
18:57ある程度衣装がシンプルな部分が多いんで
19:01後期の短縮も図れるということで
19:03非常にそういった意味で高虎の合理性が出てるんですね
19:07代表作としては大和郡山城
19:11伊予宇和島城
19:13伊予大津城
19:14伊予今治城
19:15伊勢の津城
19:17丹波笹山城といった形で
19:20高虎が全面的に作った城という風に言われてますよね
19:23その他にも江戸城とか大阪城の不審に
19:26一部手伝ったりとかしてますので
19:27すごいたくさん
19:28トータルで20以上の城に関わっているということですね
19:33さらにそれが後ですけど
19:37水軍の知識
19:39これから水軍だなと思ったら
19:40水軍を強化するわけですよ
19:42自分自身も水軍の勉強してね
19:44こういったところにね
19:45自らの価値を下りてくっていうんでね
19:47非常に高虎賢子ですね
19:49自分を高く評価してくれる人と出会えたら
19:54よしこの人のために頑張ろうと思いますよね
19:58でも万一その関係が切れた時
20:02ショックは想像以上に大きなものになりそうです
20:07高虎賢は主君秀長のもと
20:12獅子奮人の活躍を見せ
20:14やがて大名へと出世を果たします
20:16ところが秀長が他界し
20:19主家が断絶すると
20:20高虎賢は自身で決断を下します
20:23敗北までのカウントダウンが始まります
20:271582年
20:30本能寺の変により
20:33信長がこの世を去ると
20:35高虎は秀吉のもと
20:37無本人明智光秀の討伐に貢献します
20:41さらに翌年
20:45秀吉と柴田勝家の織田家長城決戦
20:50静ヶ岳の戦いで
20:52柴田軍の猛将を敗走させると
20:55高虎の評価は一層高まり
20:58秀長に対する忠誠心も増していきます
21:02付き合えば付き合うほど
21:06この人は私にとって一生の主君であるという
21:10思いを強くしていったんじゃないかと
21:12ちょっと年の離れた兄貴的な存在だって考えると
21:16そういった肉人的な情愛も
21:19生まれてきていたんじゃないかなというふうに思います
21:23さらに小牧長くての戦い
21:28奇襲攻め四国攻めでも軍港を挙げた高虎は
21:31ついに紀伊の国小川一万石の領主となりました
21:37これやっぱり一国の一条に一国一条の主になったと同じですよね
21:44自分の領地を得るということは
21:47ですから最高な気持ちになれたんじゃないですかね
21:511586年
21:54秀吉の邸宅である樹楽亭の一角に
21:59徳川家康の屋敷を作ることになり
22:03高虎がその主規を任されました
22:05この時
22:11渡された設計図を見た高虎は
22:14守りに弱点を見つけたといいます
22:17独断で工芸風を武家風に変えるんですね
22:24しかも抜け道だとか
22:26いろんな防御の点も
22:30考えた屋敷を作るんですね
22:33高虎は自分の資材を持ち出してまで
22:37納得のいく屋敷を建てました
22:39指図と違うのはなぜか
22:45家康が完成した屋敷を見て問いただすと
22:49高虎はこう答えたといいます
22:53もし家康様に不良の事態があれば
22:58主である秀長の不幸届き
23:01関伯秀吉様の念木にも関わりますので
23:05私の一存で変更いたしました
23:08ご不況であれば容赦なくお手打ちください
23:12家康はこの気配りに深く感じ入り
23:18高虎の名を心に留めたといいます
23:21高虎はその後も順調に出世街道を歩みますが
23:28突如ある問題を突きつけられます
23:32主君秀長の後継者問題です
23:37着難のいなかった秀長は
23:46織田家の重心だった庭長秀の三男
23:49千丸を養子に迎え
23:51すでに6年がたっていました
23:53ところがここに来て秀吉が老井の秀康を秀長の後継ぎにするよう命じたのです
24:02あの秀田川は割とですね
24:07そこら辺は気にしてたと思うんですよね
24:09ちょっとこれは困ったなと
24:10この時高虎は自分に実種がいなかったこともあり
24:16当時実際の千丸を養子としてもらい受けました
24:20千丸と秀康が揉める可能性も当然想定されちゃう
24:26その危険性を積むという意味でも
24:29うちで引き取るというようなことを言った可能性は十分ある
24:33これで問題は丸く収まったかのように思われました
24:381590年秀吉は天下統一の総仕上げ
24:49小田原攻めに向かいます
24:51この時高虎は病に侵されていた秀長に代わって軍を率き出陣しました
25:00小田原出党の都市には病気治りましたという風に宣伝をするんですけど
25:08おそらくそれは死期を落とさないようにという政治的な配慮だと思うんです
25:15だからこそ逆に高虎は自分がこの軍をまとめるという
25:20かなり重い責任を持たされていたと思うんです
25:22ところが高虎の願いもむなしく
25:32翌年秀長が息を引き取ります
25:35大和中南国はちょうど100番国ですから
25:39それを追わなきゃいけないというものすごい重圧と
25:44同時に一番信頼していた主人に死なれてしまった悲しみと失望感とという
25:50真っ黒い塊のようなものが高虎の心と体には
25:55一挙に押し合わせてきていたような気がします
25:59秀長の死後13歳の秀康が家族を継ぎ
26:05大和郡山上司となりました
26:08高虎は若き主君を支えつつ
26:13指南役も任されます
26:15武将としての鍛錬終了も今からですしね
26:22そういう意味では結構しんどい役所を任されたというところがあったと思うんです
26:291592年
26:37高虎は秀吉が目論む大陸進出を果たすため
26:41文禄の駅に出陣します
26:44主君秀康には国内の前線基地である名古屋で御詰めをしてもらい
26:54自身は水軍の指揮を取り
26:58大和豊臣家の武勇を示しました
27:01彼がいることによって秀康はその一つの舞台を率いても遜色ない人間に見えるっていうでしょうかね
27:11重臣高虎の後ろ盾があればこそ秀康は一発の大名でした
27:19ところが悲劇は突然訪れます
27:311595年当時のため大和の戸塚川を訪れていた秀康が病に倒れ急死してしまったのです
27:43このままではお家が絶えてしまう
27:47高虎は秀吉に必死に懇願しました
27:53お家の存続を切にお願いいたします
28:00弟の家ではあるが断絶はやむを得ぬ
28:04いくら秀永の家とはいえそこに子供がなければこれを取り造ったようにしてしまったら他の家が同じようになった時に救わなきゃならないじゃないですかこれはやっぱりやっておかなきゃいけなかったことだと思います
28:22高虎の願いは通じず大恩ある大和豊臣家は断絶してしまいました残された秀康の家臣はほとんどが秀吉の直臣となりましたところが高虎はただ一人大名の地位を投げ打ち出家して高野山に入ってしまいました
28:52高虎決意の敗北です大和中南元皇中南元皇家を守っていくんだと遺言で約束をしたにもかかわらずその約束をわずか数年で果たすことができなくてしかも家まで潰してしまった秀永との出会いからおよそ20年高虎は一人大名の地位を投げ打ち出し
29:22自らの実力で勝ち取った大名の地位と名誉に固執することなくきっぱりと別れを告げたのです
29:30高虎は家に仕えていたというよりも人に仕えていたというような感じなんでしょうかね
29:39今に伝わる話でやはりかなり秀永と恋にしてたと秀永からも可愛がられていたというふうに伝わってますけど
29:48ただ高虎ぐらい賢くなるとそれだけではなかったような気もするんですけどね
29:52そういう感情の問題だけではなく
29:54急成長している橋場家の当初の弟ですよ
29:57あの人年望重視だからね高虎は
29:59それで評価してもらえるということを彼は分かってたんですよね
30:04戦国時代といえば定番の悩みですよね
30:07この後継者問題ですけれども
30:09こういった後継者問題というのはですね
30:12耐震なら耐震であるほど難しいですよね
30:15特に家に男子が生まれなかった場合
30:18誰から養子をもらうかでその家運に大きな差が出てきますよね
30:22でまあ高虎の運が開けたのは
30:25あの秀永から養子の千丸
30:28後の高吉をもらったことになるわけです
30:30私の養子でよろしければもらい受けますと
30:33これを秀永に言うわけですよね
30:35秀永としてはですね
30:36これ高虎に恩を感じるわけですよ
30:39この時も高虎は秀永の重心としての地位を確立するわけですよね
30:43なるほど
30:44この秀永の家系が途絶えた理由の一つとも言えるのが
30:47その秀永の後継者を
30:49まあ秀吉の老いである秀康にするという
30:52秀吉の判断ですよね
30:54これはなぜそういう決断に至ったんでしょうか
30:57あの機内やその周辺って
30:59豊臣政権とってすごく大事な地域ですよね
31:01ですからその周囲をですね
31:02安全な人つまり一族で固めたかったわけですよね
31:06ですから長秀の三男の千丸っていうことでも良かったんですけど
31:10さらに老いの秀康の方が安心ですよね
31:13ですから秀康を大和大南皇家を継がせろという命令を下したんだと思います
31:19でもまたこの秀康が若くして急死してしまうじゃないですか
31:22定説では深酒がたたって
31:25栃川温泉で療養中に17歳で病没ということなんですけどね
31:30まあ高虎は秀永の家の存続というのを強く望んでいましたけれども
31:35これなぜ秀吉は拒否してしまったんでしょうか
31:38ここで歴史作家ならではの視点で歴史の裏側を考察する
31:44伊藤潤の見解ポイント
31:46豊臣政権というのはですね
31:49虫解液という形で後取りがいない場合は解液にするというのをですね
31:54基本ルールにしてるんですね
31:56で秀吉がここの方針を貫くにはですね
31:59自らの身にちも犠牲にする必要があったわけです
32:02実は豊臣政権というのは基盤が脆弱なんですよ
32:06小田家の同僚みたいな人たちを家臣にしてるわけですよね
32:09そういった大名たちを従わせるには
32:12つまり平等性を徹底していかなければいけない
32:14政権としての権威を高めるには
32:16平等性こそ一番の特効薬なんですよね
32:20秀吉としては泣く泣くですけど解液に処したわけですよね
32:24ここで高虎は何とかそういったことを阻止すべく運動したと思うんですよ
32:30ところが残念ながら解液になってしまったということで
32:33自分自身絶望して出家したというふうに言われてるんですよね
32:38そうなんですね
32:39さあもう一歩後の主君となる家康との関係性についても
32:44ちょっと見ていきたいんですけれども
32:46やっぱすごいですよね
32:47高虎のやはり次時代を担うのは誰だという先見の銘ですよね
32:52秀吉健在の頃
32:53つまり秀吉が上り流のごとに勢いがついている
32:56関白の頃ですよ
32:58その時でももしかして豊臣家というのは後継ぎもいないし
33:02もうこれで滅びるかもしれないということまで読んで
33:06その時代を担うのは誰かというのを
33:08家康で担んだわけです
33:10逆に家康から見てこの時の高虎に対しては
33:13どんな印象を抱えたと思いますか
33:15一つのパスができたなと
33:17つまり豊臣大名の中に一つパスができることによって
33:21そこを突破口として豊臣大名を自分の進歩に増やしていけるな
33:27なんてことを考えたなと思うんです
33:28戦国時代代表する賢い人間ですよこの2人は
33:32その2人がやっぱりあうんの呼吸で通じ合った瞬間が
33:36この時だと思うんですよ
33:37自分が一番大切なものを失うと全てを投げ出したくなる気持ちも分かります万一の事態を避けるためにもあらゆる可能性を考えできる限りの対策を取っておくことも必要かもしれませんね
33:55主を亡くした高虎は一旦武士の身分を捨てますがその後復帰し大大名へと躍進を遂げます
34:05そして築城名人として名を馳せます
34:08高虎の華麗なる後半生を見つめます
34:12主君秀長と秀康の母代を弔うべく40歳で出家した高虎ところが秀吉はそれを許しませんでした
34:24お前を坊主にしておくのはもったいない わしのもとで働け
34:31高虎は秀吉に逆らう術もなく減続します
34:37小山山に登った秀長秀康の霊も弔った
34:43形としては武士を辞めた
34:46それでもってまたそういう形で秀吉から壊れている
34:49ここでもっていつまでも行ってたら周囲の人間にまで迷惑かけるような自分だけじゃどうもかく
34:563年後秀吉が他界すると高虎は家康のもとに身を寄せます
35:04秀長と家康は非常に仲が良かった
35:08なぜ仲が良かったかっていうと
35:102人の理想はやはり戦争のない世界ってものだったっていうふうに言われてます
35:15そういった共通してる部分が秀長家康にあって
35:20高虎は家康に近づいていくのに
35:23なんのためらいもなかったと思います
35:25もしかしたら秀長の再来を家康に見ていた可能性もあります
35:311600年関ヶ原の戦いが勃発すると
35:36高虎は西軍諸将を省略し
35:39大谷義次隊を撃破します
35:42さらに1615年
35:47大阪夏野陣では戦法を務め
35:50豊臣軍との激戦の最中
35:52多くの重心を失うも
35:55徳川軍の勝利に貢献しました
35:57その後江戸城をはじめ
36:03様々な築城にも力を尽くした高虎は
36:06最終的に32万石を超える所領を得たのです
36:13露浪の実から大大名へと出世を遂げた高虎は
36:19三金交代の折に
36:22かつて恩義を受けた持ち屋に立ち寄り
36:25当時の何倍もの代金を支払ったと伝えられています
36:29三重県津市にある津城
36:36初代津藩主となった高虎が
36:40江戸時代初期に大改修した城です
36:44地元でガイドを務める深見さんは
36:49高虎の築城手腕をこう解説します
36:53まずシンプルなお金をかけない築城術
37:02時間かけずにお金かけずに作った
37:05それがまあですね
37:06いいやすこに大変それはいいやないかと
37:10全国にこの高虎港の築城術が
37:13広まっていったということになるかなと思っています
37:15さらに高虎は城下町を整備し
37:21藩に富をもたらしました
37:24とにかく町が地域の政治経済の中核になって
37:29そこを中心にこの汎料の経済を回していくようなですね
37:33次の時代を呼んだ町づくりを行っているというところが
37:37彼の先進性ということが言えると思います
37:40高虎をまつる高山神社
37:45城下町巣の礎を築いた高虎について
37:51宮司の忠さんはこう話します
37:54市民の皆様は高虎さん高山さんと皆さん親しみを持って言っていただきます
38:02風見取りとかご祭りみたいなっていうようなことを言う方も実はいらっしゃいました
38:11でも最近は高虎皇が滋賀県の甲羅町の一号師の息子として生まれ
38:18だんだんと出世をしていったということで
38:21出世の神様というふうにも見ていただいている部分もありますし
38:27すごい武将さんやったんやなっていうことが
38:31やはり誇りの持ってくださる方も
38:34だいぶ増えてきたように思います
38:36毎年10月に行われる祭りでは
38:40高虎にちなんだ行列が人気を集めています
38:44一度は出家したものの
38:48代々名へと躍進し
38:50三代将軍家光の代まで
38:52徳川将軍家に忠義を尽くした高虎
38:5675歳で生涯を終えたその時
39:01体には無数の傷があり
39:04指も数本失われていたといいます
39:07乱世を戦い抜いた東堂高虎の魅力とは
39:13文武に非常に強くてですね
39:17まあそれはもう第一級のものがあったと
39:19何でも知っている何でもできる
39:22二番手に徹する
39:23そういう生き方をされた方やと思います
39:26目立つことなく
39:28やはりその世の中のことを考えて
39:32生きた人物
39:34それがこう皆さんに共感するところではないかなと思うんですね
39:39若き日の失敗を乗り越え
39:44霊君との出会いにより
39:46自らの道を切り開いた高虎の生き方は
39:49私たちに人生のヒントを与えてくれます
39:54立ち回りがうまいとか
40:00ごますりなんていう言葉で聞くと
40:02ちょっとネガティブな印象もあるんですけど
40:04高虎の場合は
40:06もっと凛とした感じ
40:08さっそうとした感じ
40:10自分のプライドは捨ててないぞっていうのは
40:12すごく伝わってくる
40:13そんな生き方ですよね
40:15いやーまさにその通りですね
40:17高虎がすごいのはですね
40:18やっぱり決め打ちができることなんですよね
40:20切り押しの死後
40:21要は性質に導けるのは
40:23家康様しかいないということで
40:25自分の持っているのも
40:26全部を家康にかけるっていう潔さ
40:28これが高虎の強さだと思うんですよね
40:31そうですね
40:31実は家康というのは
40:33天下を性質に導きたいという
40:36思いが強かったと思うんです
40:37しかも自分は一番力を持ってますよね
40:40大名の中でも
40:40そうなってくると
40:42やはり大義を掲げているという形になるわけです
40:44家康が
40:45それについていくということは
40:47ある意味
40:47性質
40:48つまり平和の世の中を築くことに
40:50協力するということになるわけですから
40:51当然それ正義ですよね
40:53そういったこともあったんで
40:56高虎は家康様という形で
40:58まさに家臣のように従ったんだと思います
41:00確かにね
41:02高虎というのは
41:03豊臣家にすごく恩があって
41:05豊臣大名です
41:06しかし
41:07豊臣家が天下の主として
41:09性質に導けないのであれば
41:11別の主について
41:13一緒に天下の性質を導いていくという
41:16そういう形で
41:18新たな秩序を作っていくというのは
41:21これ全然おかしいことではないと
41:23私は思うんですよね
41:24そうですね
41:25この関ヶ原の戦いの後ですね
41:28家康の下ではどんな働きをしたんですか
41:30大阪の陣でも積極的にですね
41:32戦法というか
41:35一つの戦線を受け持って
41:37見事な奮戦をするわけなんですけどね
41:40この時ですね
41:42東道軍はですね
41:43長宗家弁軍とですね
41:455000の兵で対峙してたわけなんですよね
41:48高虎の前には
41:49目前にですね
41:50沼地があったんですよ
41:51ところが高虎はですね
41:53家康様に忠説を尽くすために
41:55突入を命令するんですよね
41:56沼地での突入って
41:58足取られて大したスピード出ないですよね
42:01そこで一族の幼馴染を含めて
42:04300人も打ち取られてしまうんですよね
42:07そうですか
42:07実はそこに高虎唯一の落とし穴があったんです
42:11逆に家康側も
42:13ある意味元豊臣型の人間じゃないですか
42:15高虎
42:16よくここまで信頼できたなというのも思うんですよね
42:19家康もね本当に高虎信頼してますよね
42:23しかも家臣じゃないところがメリットがあるんです
42:25戸様じゃないですか
42:26元豊臣大名ですよね
42:29あれだけ恩を受けた人が
42:31家康様についてる
42:32だったら自分もいいよねみたいな
42:33そういうノリってすごくあったと思いますよ
42:36改めて東道高虎の敗北から
42:39私たちが学ぶべき人生の教訓をお願いします
42:43杉たるは及ばざるが如しですね
42:47私はですね
42:49高虎最大の敗北というか挫折というのは
42:52大阪夏の陣だと思うんですよ
42:54そうなんですか
42:55でもこれ結果論ではなくてですね
42:58ここまで来たら高虎はですね
43:00大阪の陣は戦ったという事実だけが大切だって
43:03やはり自分の温存に努めるべきだったと思うんですよね
43:06それがやはり家臣に対してもですね
43:09これまでの労に報いるということになるわけですし
43:13徳川家に対してもですね
43:15戦ったという事実だけで十分だったと思うんですよね
43:17これはですね
43:19本当に高虎がまさに杉たるは及ばざるが
43:22如しだったんではないかなと思うんですよね
43:24自分が浸水する人に認めてもらいたいという気持ちは分かります
43:30でも多くの損害を被ってまで思いを果たそうとするのは
43:35行き過ぎかもしれませんね
43:37これぞ東堂高虎の敗北から学ぶ教訓です
43:42高虎といえば転職とか白作りというイメージで
43:53ちょっと止まってしまっていたんですけど
43:55ここまで頭のいい人だったんだ
43:57もしこれが全部高虎の計算だったとしたら
44:00ちょっと怖いぞって正直思ってしまいました
44:04怖いくらい頭がいい人というのが高虎だと思うんですよね
44:07それに対してねやっぱり家康というのも
44:10同じくらい賢いということで
44:11ある意味この2人がですね
44:13300年近くに続く
44:16江戸時代の礎を作ったと言ってもいいと思うんですよね
44:18だから秀永との相性がいいと言われていますけれども
44:22本当に相性が良かったのは
44:24もしかしたら家康かもしれないですね
44:26そこまでうがった見方をしてしまうとね
44:28高虎がかわいそうなんですけど
44:30それはまあ高虎もですね
44:32出世したいという意欲が強かったんで
44:34祝に迎合していくということはあったと思うんですけど
44:37実際に家康との仲というのは良かったみたいなので
44:40まあそういった意味で言うとですね
44:42その高虎も幸せだったんじゃないですかね
44:45そうですね
44:45はい
44:46斉藤さん
44:48きょうもありがとうございました
44:49ありがとうございました
44:49偉人敗北からの教訓
44:54それではまた次回お会いしましょう
44:57ご視聴ありがとうございました
45:02ご視聴ありがとうございました
45:03ご視聴ありがとうございました

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