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  • 2025/5/18
「そう、実に今日はよく晴れた」伊兵衛は話をそらすように、低い庇越ひさしごしに空を見あげ、貧乏ゆすりをし、また空を見あげ、そして立ちあがった。
朗 読:岩倉 洋子
たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
Ihee looked up at the sky over the low eaves to deflect the conversation, shook his head, looked up at the sky again, and then stood up.
Recitation: Yoko Iwakura
Taoyaka Internet Broadcasting Website: http: //taoyaka.at-ninja.jp/

カテゴリ

📚
教育
トランスクリプション
00:00たおやかインターネット放送がお送りする朗読の時間
00:17山本修五郎作 雨上がる最終話
00:26そう実に今日はよく晴れた
00:28伊兵衛は話をそらすように低い日差し越しに空を見上げ貧乏ゆすりをし
00:35また空を見上げそして立ち上がった
00:38お出かけなさいますの
00:41いや出かけやしない
00:43ちょっとその
00:44彼は宿の外へ出て落ち着かない目つきで城下町の方を眺め合った
00:53かなりイライラしているらしい
00:55ふとそっちへ歩き出しそうにして思い返して短い吐息をついた
01:02その時後ろでいきなりテテンテテンと太鼓の音がした
01:08あまり突然だったので彼はびっくりして横へ飛びのいた
01:12おはようございこんにち円満大吉でござい
01:18猿回しであった
01:20どこかしらゆがんだしなびたような体つきの
01:25不自然に陽気なその猿回しはそんな挨拶をして
01:29猿を背中に止まらせ
01:31太鼓をたたきながら足早に城下町の方へ去っていった
01:35天気は申し分なしですがね
01:40小部屋へ戻ってしばらくして伊兵衛がそう言った
01:45ともかくまだ二日目だし
01:49先方でもなんとか行ってくるだろうしね
01:52黙って立つというわけにもいかないと思うんだが
01:57そうでございますわね
02:00でも私支度だけはしておきますわ
02:04それはそうですとも
02:06どっちにしてもここは出て行くんだから
02:09伊兵衛はドキリとして誇張して言うと
02:14カマキリのように首をあげた
02:17馬のひずめの音が宿の前で止まったのである
02:22おたよも聞きつけたのだろう
02:24これもはっとしたようだったが
02:27すぐ我に返って包み物を続けた
02:30伊兵衛は立ってえもんを直し
02:34できるだけ落ち着いた口ぶりで
02:36来たようだね
02:38こう言いながら出て行った
02:40ちょうどど前牛尾大陸が入ってくるところだった
02:45伊兵衛はドキドキする胸を抑え
02:50できる限り平静を装い
02:52優しく微笑しながら上がり花まで出迎えた
02:56いやここで失礼します
02:59牛尾大陸は多少今はしそうに
03:03汚らしい家の中を見回して
03:05この前の時よりずっと霧工場で行った
03:09主前が申しますには
03:12誠に稀なる武芸者
03:14その類のないお腕前といい
03:17高枚なるご思想といい
03:19ろくだかにかかわらずぜひご随人が願いたい
03:24また犯行に置かれましても
03:27特にご熱心のように廃されまして
03:30いやそんなそれはかぶんなお言葉です
03:34私はそんな
03:36そういう次第で東方としてはすでにお召しかかえと決定しかかったのですが
03:43そこに思わぬ故障が起こったのです
03:47伊兵衛は息を呑む地面が揺れ出すように感じてぐっと膝をつかんだ
03:54故障といっても東方のことではなく
03:58責任は底元から出たのですが
04:02第六は冷ややかに続けた
04:05それはあなたが賭け試合をなすった
04:09城下町の猿道場において金数をかけて試合をし
04:14勝ってその金数を取って行かれた
04:19もちろんご記憶でございましょう
04:22伊兵衛は辛うじてうなずいた
04:26そしていつか青山家の道場で
04:29相手の三人のうちの一人が
04:32彼を見るなり逃げ出したことを思い出した
04:35確かに覚えております
04:38覚えておりますけれども
04:40伊兵衛はおろおろと
04:42それは実はまことに気の毒なものがおりまして
04:48この宿にいた客なんですが
04:50理由の遺憾にかかわらず
04:54武士として掛け試合をするなどということは
04:58不面目の第一であるし
05:00それを訴え出たものがある以上
05:03東方としては手を引かざるを得ません
05:07残念ながらこの話はなかったものと
05:12思いくださるように
05:13後代六は白線の上に紙包みをのせ
05:19それを伊兵衛の前に置きながら言った
05:23主前が申しますには
05:26殺傷ながらこれを旅費の足しにでも
05:30お受けくださるようとのことでございました
05:32いやーとんでもないこんな
05:35伊兵衛は泣くような顔で手を振った
05:39こんなご心配はどうか
05:42いろいろいただいていることでもあり
05:44どうかこんな
05:45いいえ
05:48ありがたくちょうだいいたします
05:51こう言いながら
05:53おたよが来て
05:54夫の脇に座った
05:56伊兵衛は狼狽したが
05:59大六も驚いて
06:01あやふやに頭を下げて
06:03何か言おうとした
06:04しかしおたよは
06:07その隙を与えなかった
06:09いくらか興奮はしているが
06:12しっかりした調子で
06:14はきはきと次のように言った
06:16主人が賭け試合をいたしましたのは
06:20悪うございました
06:21私もかねがね
06:24それだけはやめてくださるようにと
06:26願っていたのでございます
06:27けれども
06:29それが間違いだったということが
06:32私には初めてわかりました
06:35主人も賭け試合が不面目だということぐらい
06:41知っていたと思います
06:42知っていながら
06:44やむにやまれない
06:45そうせずにいられない場合があるのです
06:48私ようやくわかりました
06:51主人の賭け試合で
06:54大勢の人たちが
06:56どんなに喜んだか
06:58どんなに救われた気持ちになったか
07:01おやめなさい太陽
07:03失礼ですから
07:04はい
07:05やめます
07:07そして
07:08あなたにだけ
07:10申し上げますわ
07:11お太陽は向き直り
07:14声を震わせていった
07:16これからは
07:18あなたがお望みなさるときに
07:21いつでも賭け試合をなすってください
07:24そして
07:25周りのものみんな
07:27貧しい
07:28頼りのない
07:29気の毒な方たちを
07:30喜ばせてあげてくださいまし
07:32彼女の言葉は
07:36おえつのために消えた
07:38牛を大六は
07:41へきえきし
07:42具合悪そうに交代し
07:44そこで
07:46なんとなくお辞儀をして
07:48ひらりと外へ去っていった
07:50時刻は中途半端になったが
07:54区切りをつけるという気持ちで
07:57二人は間もなく宿を出発した
08:01あの晩の米も余っていたが
08:05主膳のくれた金も
08:07接班して
08:08宿の主人に預け
08:10また
08:11長雨の時や困っている客があったら
08:15世話をしてやってくれるようにと頼んで
08:18夫婦がわらじをはいていると
08:21あのおろくさんという女がやってきた
08:23病的に痩せて尖った顔を
08:27愛想笑いらしい
08:29みじめに引きずらせながら
08:31ご心臓さん
08:32これ持っていってください
08:34と薬袋の古びたのを
08:38三条そこへ出した
08:39わらじに食われた時
08:42つけるといいんですよ
08:44タバコの灰なんですけどね
08:46つばでねってつけるとよく聞きますよ
08:50もっといいおせんべつをしたいんだけど
08:54そう思うばかしでね
08:56つまらないもんだけど
08:59いいえ
09:00うれしいわ
09:01ありがとう
09:03オタヨは親しい口ぶりで礼を言い
09:06本当にうれしそうにそれを懐へ入れた
09:09宿の人たちに追い分けの宿外れまで送られ
09:14そこから右へ曲がって峠へ向かった
09:17伊兵衛はなかなか楽譚から抜けられないらしい
09:22オタヨは強いて慰めようとは思わなかった
09:26これだけ立派な腕を持ちながら
09:30その力で出世することができない
09:32なんという妙な回り合わせでしょう
09:35なんというおかしな世間なのでしょう
09:39彼女はそう思う一方
09:42ふと微笑を誘われるのであった
09:45でも私このままでもようございますわ
09:49人を押しのけず
09:51人の席を奪わず
09:53貧しいけれど真実な方たちに混ざって
09:57機会さえあれば
09:59みんなに喜びや望みをお与えなさる
10:02このままのあなたもご立派ですわ
10:05こう言いたい気持ちで
10:08しかし口には出さず
10:10時々そっと夫の顔を盗み見ながら
10:14オタヨは軽い足取りで歩いていった
10:17伊兵衛も次第に気を取り直していくようだった
10:21失望することには慣れているし
10:25感情の向きを変えることも
10:27習慣でうまくなっている
10:29ただ妻の思惑を考えて
10:32早急に機嫌を直すわけにはいかない
10:36といったふうであった
10:37だがその遠慮さえつい忘れる時が来た
10:43峠の上へ出て幕でも切って落としたように
10:48目の下に突然隣国の三夜が打ち開け
10:52さわやかな風が吹き上げてくると
10:55彼はパッと顔を輝かして
10:58やーやーと叫び出した
11:01いやーこれはこれは素晴らしい
11:06ごらんよあれを
11:08なんて美しい眺めだろう
11:11まあ本当に本当にきれいです
11:17どうです
11:20からだじゅうがいさみ立ちますね
11:23へー
11:24彼は丸い顔をにこにことくずし
11:28少年のように生き生きとした光で
11:32その目をいっぱいにした
11:34早くもその眺望の中に
11:38新しい生活と新しい希望を空想し始めたと見える
11:43ねえ元気を出してください
11:46元気になりましょう
11:48妻に向かって熱心にそう言った
11:52あそこに見えるのは
11:54十万五千石の城下ですよ
11:57土地は繁盛で有名だし
12:00何しろ十万五千石ですからね
12:04一つ今度こそ
12:07と言ってもいいと思うんだが
12:09元気を出して行きましょう
12:11わたくし元気ですわ
12:15おたよは明るく笑って
12:18いたわるように夫を見上げながら
12:21巧みに彼の口まねをした
12:23と言ってもいいと思いますわ
12:27山本修五郎作
12:31雨上がる
12:32最終話をお送りしました

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