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信心の極意は言葉では表現出来にくい (2025-04-16)
Wagakokology-Jp
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2025/4/16
信心の極意と言うものは言葉では表現出来にくいものがある。その極意の一つとも言えると思うが、師匠大坪総一郎師は天地との交流とかコミュニケーションと仰って居られたものがある。天地金乃神様との心の通い合いとも言えると思う。阿吽の呼吸と言うが、神様が、愛してるよと口に出して言われることは無いが、神の愛を感じて行くのである。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
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00:00
疑いをされて信心してみよう。見かけは我が心にあり。
00:18
疑うことを知らぬような人がありますが、そんな人が信心して信頼心を起こすとおかげがあり、
00:26
また大変疑い深い人があるが、ひとたび神様のおかげを受けると、人一倍の信心ができるようになる。
00:35
前者を教祖様の信心とするなら、後者は笠岡の根高大臣の信心と言えよ。
00:43
疑いも切らず信じも切らぬものがつまらぬ。
00:47
無事故が半信半疑ならおかげも半分。
00:50
疑おうてかかれば全部嘘。信じてかかれば皆おかげ。
00:56
信心をするとかさせていただくとか、信心の稽古とか申しますけれども、
01:07
その信心をするというところにも、やはり信心の極意というようなものがあるように思いますね。
01:16
そしてその信心の極意というものは、言葉で表現するのはなかなか難しい。
01:27
そのアウンの呼吸と言ったりいたしますね。
01:34
気心ですか。気心の知れた人の間で、その、ああだこうだ、口に出しては言わないけれども、
01:49
なんとなく相手の心がわかるというのでしょうかね。
01:55
ああ、今こうしてほしいのだな、ああしてほしいのだな、といったようなことがわかるような感じがする。
02:02
その明確に、ああだこうだ、と明確にわかり、表現ができる、ということではないけれども、
02:16
なんとなくそう感じる、という世界がありますね。
02:21
例えば、好きな人同士ですか、恋人同士の間であったり、また親子との間であったり、
02:32
ああ、今、親がああいうことを考えているのかな、
02:36
子供が、ああ、今こういうことを思っているのかな、というふうなことであったり、
02:43
また、夫婦間であったり、
02:45
その、ああ、今、これが欲しいんだな、欲しいけれども、
02:51
口には表せないんだな、と、まあ、口では言わないけれども、
02:55
まあ、心の中ではこういうのが、こうして欲しいんだな、
03:00
と思ったり、その、感じたりすることがありますね。
03:06
その、やっぱり、なんとなく感じる、ということが大切だと思いますね。
03:17
それは、人間の相手との意思の疎通というのでしょうか、
03:25
意思が通い合うというのでしょうか、
03:27
その、相手と、まあ、心が通い合う、ということがやっぱり大切ですね。
03:37
まあ、この、日本人には、これが、日本人、東洋人でしょうか、
03:44
日本人というのでしょうか、
03:46
割とこういうことを、まあ、する、するというのでしょうかね。
03:52
相手の、まあ、言わないで、心を察する、という、そういう、まあ、腹毛とも言われますけれども、
04:02
そういう、ものでしょうかね。
04:05
ところが、一方、西洋の人たちは、ある意味、言葉に出さなければ、
04:12
その、意思が伝わらないと。
04:14
ですから、日本人の間で、その、好きな人の間でも、
04:21
それこそ、夫婦間でも、愛してます、とか、好きです、とか、
04:25
いうのは、なかなか、恥ずかしくて、言えませんけれども、
04:31
むしろ、西洋の人たちは、アメリカでもそうらしいですけれども、
04:37
言葉で、いわゆる、口に出して、
04:40
I love you、と、言わなければ、
04:44
そして、また、言われなければ、
04:47
愛しているというものを、感じない。
04:50
口に、言葉に、出して、
04:53
相手に、伝えて、
04:55
そして、その、言葉を、
04:57
持って、
05:00
伝えられた、
05:01
まあ、思いというのでしょうか、
05:03
それを、持って、
05:05
相手の、心を、
05:06
確信するというのでしょうかね。
05:09
ですから、
05:11
特に、こちらでは、
05:13
愛してます、
05:14
愛してます、と、
05:17
言い続ける、
05:19
ことが、
05:19
多いようですね。
05:21
それによって、また、
05:22
相手の人が、
05:23
ああ、愛されているんだ、
05:25
と、感じる。
05:26
そういう、
05:28
なんて言いましょうかね、
05:29
言葉を、
05:30
持っての、
05:31
心の、
05:32
通い、
05:33
心の通い合いではないですね。
05:36
言葉を、
05:36
持っての、
05:38
通い合いというのでしょうか。
05:41
師匠は、
05:42
天地との、
05:43
コミュニケーション、
05:45
ということを、
05:47
教えてくださいます。
05:49
天地との、
05:50
コミュニケーション、
05:51
いわば、
05:52
神様との、
05:54
コミュニケーション、
05:55
ということですね。
05:57
天地、
05:57
金の神様との、
05:59
コミュニケーション、
06:00
まあ、
06:00
天地との交流、
06:03
神様との交流、
06:04
という表現も、
06:06
なされますけれども、
06:09
その、
06:10
神様と交流する、
06:13
心が通い合う、
06:15
ということですね。
06:17
これなどは、
06:19
言葉で、
06:20
ああだ、
06:20
こうだ、
06:21
というのが、
06:21
大変難しい。
06:22
なんとなく、
06:25
心で感じ合う、
06:27
という世界だと思いますね。
06:31
その、
06:32
神様の、
06:33
お心を、
06:35
感じる、
06:35
という世界ですね。
06:37
神様が、
06:39
ああ、
06:39
今、
06:39
こう、
06:40
おっしゃっておられるのだな、
06:42
ああ、
06:43
しろと、
06:43
おっしゃっておられるのだな、
06:45
と、
06:45
神様が、
06:47
それこそ、
06:48
西洋の、
06:49
人たちの、
06:51
交流、
06:53
コミュニケーションの、
06:54
あり方、
06:55
ではありませんけれども、
06:57
いわゆる、
07:00
なんと言いますかね、
07:03
神様が、
07:04
直接、
07:04
まあ、
07:05
西洋流に言えば、
07:06
直接、
07:08
右に行ってください、
07:09
左に行ってください、
07:11
私は、
07:11
あなたを愛してますよ、
07:13
と、
07:14
言葉に出して、
07:16
その、
07:17
意思を伝える、
07:18
心を伝える、
07:19
というのでしょうか、
07:21
そういう作業、
07:22
を、
07:23
がなされなければならない、
07:26
それによって、
07:27
お互いの心、
07:28
というものを、
07:30
まあ、
07:30
確認し合っていく、
07:33
ということのようですけれども、
07:35
日本人は、
07:37
どちらかというと、
07:38
それは、
07:38
まあ、
07:40
苦手なように、
07:41
思いますね、
07:43
ですから、
07:44
愛してください、
07:45
とか、
07:45
こうしてください、
07:46
とか、
07:46
愛してます、
07:48
とか、
07:49
好きです、
07:49
とか、
07:50
あまり、
07:51
はっきり、
07:51
口に出さない、
07:53
言葉に出さない、
07:55
しかし、
07:55
それが、
07:56
相手の仕草であったり、
07:59
ちょっとした、
08:00
物言いであったり、
08:02
そういうものの中に、
08:04
相手の心というものを、
08:07
感じていく、
08:08
相手の心ね、
08:09
というのでしょうか、
08:11
その、
08:12
まあ、
08:12
相手の心を読む、
08:14
という、
08:14
独身術というのがありますが、
08:17
そういうものにも、
08:19
通じるのかもしれませんね、
08:23
その、
08:25
神様の心を読む、
08:28
という、
08:29
まあ、
08:29
そう表現してしまえば、
08:31
ちょっと、
08:32
少し違うと思いますが、
08:33
神様の心を、
08:37
お心を、
08:38
感じる、
08:39
ということなのですね、
08:43
この、
08:43
神様が、
08:44
それこそ、
08:45
言葉に出して、
08:48
右に行きなさい、
08:49
左に行きなさい、
08:51
こうですよ、
08:52
ああですよ、
08:53
と、
08:53
教えてくださるならば、
08:55
まあ、
08:56
さぞ、
08:57
逆なようにもありますけれども、
08:59
どうも、
09:00
この、
09:00
神様は、
09:01
そう、
09:02
やはり、
09:03
日本人的神様なのでしょうかね、
09:06
ダイレクトに、
09:08
その、
09:08
人間の、
09:09
理解する言葉を持って、
09:12
右に行け、
09:13
左に行け、
09:16
神は、
09:17
ウジ子を愛している、
09:19
とか、
09:19
神は、
09:20
ウジ子が好きだ、
09:22
とか、
09:23
は、
09:23
表現されないように、
09:25
思いますね、
09:26
もちろん、
09:27
中には、
09:28
ご心眼であったり、
09:29
その、
09:30
ご心地ですか、
09:33
であったり、
09:34
神様の声を聞いたとか、
09:37
いうことも、
09:38
ありますけれども、
09:41
そういうことの方の方が、
09:44
少ない、
09:45
どちらかというと、
09:47
まあ、
09:48
思わせぶりというのか、
09:49
神様のお心は、
09:52
ああ、
09:52
こうだろうな、
09:54
ああ、
09:54
今、
09:54
こう思っておられる、
09:57
こうせよと、
09:58
おっしゃっておられるのだろうな、
10:00
と、
10:00
こちらの方が、
10:02
神様のお心を、
10:04
感じていく、
10:06
そういう、
10:07
まあ、
10:08
信心のあり方というのでしょうか、
10:11
の方が、
10:11
まあ、
10:14
これは特に、
10:15
師匠大壺総一両氏の、
10:17
ご流儀かもしれませんが、
10:19
そういうところが、
10:20
あるように思いますね、
10:24
もちろん、
10:24
神様から直接、
10:26
ああだ、
10:27
こうだと、
10:28
あの、
10:29
これは、
10:31
教祖様でしたか、
10:32
いわゆる、
10:33
教祖様に、
10:34
神様から、
10:35
ご祭伝という、
10:37
神様が、
10:38
時期、
10:39
時期、
10:39
何ですか、
10:41
時期、
10:42
時期、
10:43
何と言いますかね、
10:45
時期に、
10:46
話しかけてくださる、
10:49
ということが、
10:50
あったようですが、
10:51
それは、
10:52
だんだん、
10:52
亡くなる、
10:53
といったように、
10:55
そういう、
10:56
教えがありますね、
10:58
いわゆる、
10:58
ご祭伝は、
10:59
もう、
10:59
この方限りだ、
11:01
といったような、
11:02
ところでしょうかね、
11:03
いわば、
11:04
神様が、
11:04
直接、
11:05
語りかける、
11:06
ということは、
11:08
もう、
11:08
あまりしないと、
11:11
そして、
11:12
ならば、
11:12
どうするのか、
11:13
こちらから、
11:15
神様の心を、
11:16
おもんばかる、
11:18
というような、
11:19
信心、
11:21
になってきているように、
11:23
思いますね、
11:26
その、
11:27
神様の心を、
11:29
感じ取る、
11:31
そういう、
11:32
信心、
11:34
の、
11:34
あり方、
11:35
が、
11:36
やはり、
11:38
大切だ、
11:38
ということなのですね、
11:40
そういう、
11:42
神様の、
11:42
お心を、
11:43
感じ取る、
11:45
そういう、
11:47
傾向をしなければ、
11:49
この、
11:49
信心が、
11:51
進むということが、
11:52
なかなか、
11:53
ありませんね、
11:55
それは、
11:56
神様を、
11:57
直接、
11:59
神様がですね、
12:00
私どもに、
12:01
神様が、
12:03
あなたを、
12:03
愛してますよ、
12:05
と、
12:06
直接、
12:06
声をかけられることは、
12:08
ほとんど、
12:09
ないからですね、
12:10
その、
12:13
さまざまな、
12:14
なりゆきの中に、
12:16
いろいろな、
12:17
出来事の中に、
12:18
もちろん、
12:19
おかげを、
12:19
いただくことの中に、
12:21
ああ、
12:22
これは、
12:23
神様が、
12:24
愛してくださっているのだな、
12:26
ああ、
12:27
これは、
12:28
神様の、
12:29
愛の、
12:30
まあ、
12:31
印だな、
12:32
それこそ、
12:33
難儀は、
12:34
神のウインク、
12:36
とも、
12:36
申されますように、
12:38
難儀は、
12:38
それこそ、
12:39
神様が、
12:40
宗派を送ってくださっている、
12:42
愛してくださっている、
12:44
という、
12:44
その、
12:45
まあ、
12:46
印であるわけですね、
12:50
そういう、
12:50
神様の、
12:52
神様からの、
12:53
印を、
12:54
感じ取って、
12:55
何か、
12:58
何という、
12:58
何か表現がありましたね、
13:00
ダイレクトに言うのではなく、
13:03
マーディックトリでは、
13:05
何ですかね、
13:07
その、
13:08
例え話というのか、
13:10
何となく、
13:11
分からせるという、
13:12
のがありますね、
13:14
何となく、
13:15
気づいてもらう、
13:16
分かってもらう、
13:18
という、
13:19
この、
13:20
神様は、
13:21
宗子に対して、
13:23
そういう、
13:23
働きかけを、
13:24
なさるものだと、
13:26
いうことなのです。
13:28
ですから、
13:29
こちらの方が、
13:31
ああ、
13:31
今、
13:32
神様は、
13:32
何をおっしゃっておられるのだろうか、
13:35
このことには、
13:36
どういう、
13:36
お心が、
13:37
現れているのだろうか、
13:39
と、
13:40
その、
13:40
神様の心を、
13:43
おもんばかる、
13:45
という、
13:47
作業が、
13:48
私どもの中に、
13:49
いるわけですね、
13:50
そして、
13:52
その中に、
13:53
あ、
13:53
これは、
13:53
こういう、
13:54
神様の心だろうな、
13:56
今、
13:56
神様が、
13:57
こうおっしゃっておられるのだろうな、
14:00
と、
14:01
神様の、
14:01
心を感じる、
14:03
そういうことの、
14:05
体験の積み重ね、
14:08
が、
14:09
いよいよ、
14:10
神人の奥側へと、
14:12
導かれることになるのでは、
14:15
ないでしょうかね。
14:16
ただ、
14:18
神様が、
14:19
愛してるよ、
14:20
と、
14:21
言われたら、
14:22
あ、
14:22
そうですか、
14:23
愛されているんだな、
14:25
と、
14:25
わかる、
14:26
というような、
14:29
信愛が、
14:30
わかるということではないと、
14:32
神様が、
14:33
愛してるよ、
14:34
と、
14:34
言われることはないけれども、
14:37
その、
14:37
お働きの中に、
14:39
愛されている、
14:40
ということを、
14:41
実感として、
14:42
感じていく、
14:44
神様の、
14:45
お心を、
14:46
感じていく、
14:48
そういう、
14:49
信心だ、
14:50
ということなのですね。
14:55
どうも、
14:56
うまく、
14:58
伝えられませんけれども、
15:01
信心の極意、
15:02
というところは、
15:04
どうも、
15:04
言葉では、
15:05
伝えにくいところがある、
15:07
感じ取っていただくしかない。
15:11
神様の、
15:12
心も、
15:13
こちらの方が、
15:14
感じていく、
15:15
そういう世界だ、
15:18
ということですね。
15:20
どうぞ、
15:21
よろしく、
15:22
お願いいたします。
15:24
ありがとうございます。
15:45
ご視聴ありがとうございました。
15:47
ご視聴ありがとうございました。
15:47
ご視聴ありがとうございました。
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Wagakokology-Jp
2025/1/2
16:23
目細い信心とは目細かく天地金乃神様の御働きを感じること (2024-12-07)
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2024/12/7
15:26
信心をすると心配事や困ったと言うことが無くなります (2025-03-29)
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2025/3/29
16:17
信心とは生き様である (2024-11-11)
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2024/11/11
16:09
有難く頂いて行けば必ずおかげになると言う絶対信 (2024-09-02)
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2024/9/2
14:27
真の信心とは天地金乃神様を大切にする心 (2024-12-14)
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2024/12/14
13:42
この道の信心とは天地金乃神様の御心に適う生き方を求め続けること (2025-03-16)
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2025/3/16
14:10
真の助かりには心磨きの肚決めと天地金乃神様への絶対信が要ります (2024-12-25)
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2024/12/25
14:14
この成行きはどう言う神様の御心の現れであろうか (2025-02-17)
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2025/2/17
14:27
人間中心の信心から、天地金乃神様中心の信心へ (2024-12-30)
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2024/12/30
12:54
心が育っていないから天地金乃神様の真の愛が分からない (2024-10-13)
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2024/10/13
16:08
天地金乃神様は氏子の願いを叶えて下さり、心を育てようとして居られる神様 (2025-01-17)
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2025/1/17
15:42
天地金乃神様と仲良くなるには神様とのコミニケーションが大事 (2024-11-27)
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2024/11/27
16:06
打てば響くような天地金乃神様の御働きが頂ける信心 (2025-06-11)
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2025/6/11
13:52
真の信心に真のおかげ、真のおかげとは心が育つこと (2025-06-28)
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3 日前
15:32
信心がもし天地金乃神様のおかげを受けられなかったら信心としての値打ちは無い (2025-01-16)
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2025/1/16
16:42
天地金乃神様の御心に触れて初めて真の助かりの世界がある (2025-02-08)
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2025/2/8
12:53
成行きの中に天地金乃神様からの受け返答があるから楽しく信心が続けられる (2024-12-20)
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2024/12/20