- 一昨日
カテゴリ
🎥
ショートトランスクリプション
00:00現在世界中に普及した柔道
00:08中でもフランスは子供から老人まで
00:12およそ56万人が柔道を楽しむ柔道大国です
00:17その発展の礎を築いたのは
00:23日本人の柔道家でした
00:25川石美希之助です
00:30昭和10年フランスで柔道の指導を始めた川石は
00:37川石メソッドと呼ばれる新しい指導法を編み出しました
00:42フランス人の理解を助けるために技を理論的に解説
00:53さらにスポーツとしての娯楽性を柔道に取り入れました
00:57この川石メソッドはフランス人の心を捉え
01:04柔道が普及する原動力となります
01:07やがてフランスからヨーロッパそして世界へと
01:13柔道は大きくその裾野を広げていくのです
01:18柔道第3回は戦前から戦後にかけて
01:24柔道がどのように国際化していったのかをたどります
01:48フランスの首都パリ
02:04この町にフランスのナショナルチームが利用している柔道場があります
02:12壁にはフランス柔道の発展の歴史を描いた絵が飾られています
02:23柔道の創始者カノージゴロウとともに
02:29河合氏ミキノスケの姿も見ることができます
02:31河合氏はフランス柔道の父と呼ばれ
02:41今もフランスの柔道家たちの敬愛を集めています
02:45河合氏ミキノスケのおかげで
02:52今フランスには15万人もの遊弾者がいるんです
02:56彼らは河合氏の大家族なんですよ
03:00それこそが彼の偉業だと思います
03:03しかし日本では河合氏ミキノスケの名はほとんど知られていません
03:16河合氏の出身地姫路市にある兵庫県立武道館です
03:20スポーツライターの玉木正幸さん
03:27玉木さんはここに河合氏の功績を紹介する展示があると聞き
03:32尋ねました
03:33玉木さんは異文化の中で柔道を広めた
03:47河合氏の活動を見つめることは
03:49広く文化の国際化を考える手がかりにもなるといいます
03:53河合氏ミキノスケを日本の人がよく知るようになると
04:02やっぱり外国文化と日本の交流の仕方
04:07そのノウハウのようなものがもっと具体的に分かるような気がしますね
04:13外国と付き合わなきゃいけないとか
04:16国際化しなきゃいけないという言葉はよく言われますが
04:19実際にどうしていいのかわからない
04:21でもこういうふうにしてやった人がいますよ
04:23という例を知ることは重要だと思います
04:26明治時代
04:31人間形成を目的に
04:34加納自五郎によって生み出された柔道
04:36その至難所として設立されたのが
04:40高道館です
04:48大正九年
04:49大学生だった河合氏ミキノスケは
04:52高道館に入門します
04:54上達は早く
04:564年後には余談に昇格しました
04:58しかし
05:05世界で活躍する政治家を夢見ていた河合氏は
05:08大正十五年
05:09アメリカへの留学を決断します
05:16当時の河合氏の口癖です
05:18俺には日本は狭すぎる
05:23アメリカに渡った河合氏は
05:30地元の人々の要望に応え
05:32柔道クラブを設立
05:34弁学の方々は柔道の指導を始めました
05:37さらに昭和六年
05:44今度はイギリスに移住し
05:46オクスフォード大学で柔道を指導します
05:49そして昭和十年
05:56三十六歳の時
05:57河合氏はフランスに渡り
06:00柔道の指導で身を立てることを決意します
06:03フランスはヨーロッパの大国でありながら
06:10柔道がまだ普及していませんでした
06:12しかし河合氏は
06:15ここでも柔道が受け入れられる余地は
06:18十分にあると見ていました
06:19当時フランス人は日本に高い関心を寄せ
06:28雑誌にはしばしば
06:30柔道や柔術に関する記事が登場しました
06:33日露戦争以降
06:39柔道は小さな日本人が大きなロシア人を破った
06:44神秘的な技術として献殿されていたのです
06:47河合氏はパリに柔道クラブを開き
06:55新聞などのメディアを積極的に使い
06:58柔道を売り込んでいきます
06:59柔道の技が神秘的なものではなく
07:09御神術として日常に生かせるものだと強調し
07:13フランス人の心を引きつけていきました
07:24こうした努力が実り
07:25河合氏のクラブには多くのフランス人が入門しました
07:29しかし問題が起こります
07:33最初は楽しんでいたはずの生徒たちが
07:37すぐに飽きてしまい
07:39続々と辞めていったのです
07:41この頃の河合氏の指導方法は
07:46技の説明をせずに繰り返し練習させて
07:49体で覚え込ませるというものでした
07:52これは理論を理解した上で実践に取り組みたいという
08:01フランス人の気質に合いませんでした
08:03こうした状況を打開しようと
08:11河合氏は後に河合氏メソッドとしてまとめられる指導方法を編み出します
08:16河合氏は技を特徴ごとに分類
08:23それぞれの技がなぜ有効かを理論的に説明しました
08:28フランス人が理解しやすいように
08:33技の力が加わる場所や重心の位置など
08:38柔道の原理を教えたのです
08:40さらに技の名前は理解しにくい日本語から
08:50番号で呼ぶ方法に改めました
08:52例えば背負い投げは片技2号として教えたのです
09:00河合氏美希之助の長男 範一さんです
09:07現在フランスで柔道の指導に当たっています
09:11範一さんは父親の最大の工夫は
09:16生徒のやる気を持続させることにあったと考えています
09:26日本では白帯から有断者の黒帯になるまでの間は
09:31茶帯しかありません
09:32これでは黒帯を手にするまでの間
09:36自分の実力がどの程度なのかを確かめにくくなります
09:40そこで河合氏は白帯と茶帯の間に4色の帯を追加
09:51それまで3段階だったものを7段階に細分化し
09:56さらに帯の色ごとに習得すべき技を定めたのです
10:01生徒たちには目標が明確になっただけでなく
10:10自分の実力の向上が目に見えて分かるようになり
10:14練習の大きな励みとなりました
10:16父は伝統的なやり方にとらわれることなく
10:30日本で生まれた全く違う精神性を持つ柔道を
10:36どうやって西洋人に教えたらいいかを考えたのです
10:41さらに河合氏は稽古の旅ごとに新しい技を指導しました
10:50通常日本の道場では一つの技を磨くことに長い時間を費やします
10:57河合氏は生徒が飽きることなく楽しみながら学べるように工夫したのです
11:04河合氏三木之助の伝記を初めてまとめた吉田彦さんです
11:18河合氏が様々な工夫をしなければならなかった背景には
11:24日本とフランスの文化の違いがあったと考えています
11:29一番寒い時に漢中稽古というふうな
11:34つらい稽古をこなしてこそ一人前になるというような
11:39そういう考え方があると思うんですけれども
11:42フランスではあまりそんな風な苦しみを通しで
11:46換気に至るみたいな
11:48それはないとは言いませんけれども
11:50あまりフランス的な考え方ではないと思いますね
11:53むしろ体が固くなったから少し柔道でもやろうかという
11:58そういう考え方の人も多いそうですからね
12:02ですからちょっと柔道に対する考え方は
12:06だいぶ違うと思いますね
12:09河合氏がフランスで教え始めて8年
12:16河合氏の柔道クラブは1500人の生徒を抱えるまでになりました
12:21河合氏が柔道の普及に尽くしている頃
12:31太平洋戦争が始まります
12:33日本軍は次々と欧米の植民地に進行していきました
12:39こうした中柔道をはじめとする武道は
12:50軍国主義に深く結びつけられていきます
12:53柔道は学校で必修科目となり
13:01戦場で国家のために屈することなく戦う精神を養うことが目的とされました
13:06フランスで柔道というのが河合氏三木之助のおかげですね
13:17おかげでどんどん発展していくと
13:20その同じ時代に日本では戦争の時代に入っていくわけですね
13:26ですから精神主義の柔道とでも武道とでも言いますか
13:32かなり考えが思想的に違う柔道に変わっていくわけですね
13:39フランスのスポーツ柔道と日本の精神柔道というふうな
13:462つのものが今度は戦後になると
13:49出発点が違うところからやっぱりまた新たな動きが起こると思います
13:56昭和20年終戦
14:01河合氏三木之助はこの時を日本で迎えました
14:07戦時中敵対国フランスから退去するよう日本政府に命じられていたからです
14:14国内ではGHQ連合国軍総司令部による占領政策が始まり
14:23教育をはじめ様々な領域で民主化が推し進められます
14:28その中で柔道は軍国主義を助長したとして
14:35学校での教育が禁止されました
14:38また国家と結びつき武道教育を担った団体
14:46大日本武徳会は解散に追い込まれました
14:49行動官は政治的団体でないと判断され
14:57存続を認められましたが
14:59入門者は大きく減少します
15:02河合氏は敗戦国となった日本での柔道の先行きに不安を抱きました
15:12その頃河合氏がパリの柔道指導者へ向けて送った手紙です
15:24柔道の歴史は変わりました
15:28我々は民主的なスポーツ柔道を組織しなければなりません
15:34強大なフランス柔道連盟は独自の強い影響力を持つべきです
15:40そしてもちろんもう日本の下にいるべきではありません
15:45有望な未来があるのはフランス柔道だけです
15:58昭和23年11月
16:00フランス柔道界が日本政府に対して強く働きかけた結果
16:06河合氏はフランスへ戻ることができました
16:09河合氏が復帰すると
16:18フランスでの柔道の普及はさらに加速します
16:21その中で河合氏は柔道の創始者
16:28加納寺五郎が大切にしたことにも力を注ぎます
16:32柔道による人間形成です
16:36河合氏のクラブの規約です
16:44道場に上がるときは軽く頭を下げて敬意を表すべし
16:52稽古中は一切の死後禁図
16:55日本の道場と同じように礼節を重んじることに対し
17:02フランス人からの反発もありました
17:04正座でお辞儀する礼をする
17:10これはフランス人に向かないと
17:13そもそも座る必要がない
17:16正座をする必要がないわけですねフランス人は
17:18だからそれはやめて立って礼をしたり
17:22握手するだけでいいんじゃないかということを
17:25フランス人が言ったときに
17:26河合氏美樹之助は非常に反発するんですね
17:29これだけは日本の柔道の精神で
17:34根本的なものに関わるから
17:36この礼だけは変えることはできないと
17:40いうふうに言って
17:41正座して礼をするっていうのを
17:44フランスに伝えたわけです
17:45確かに日本の柔道とは
17:48異なる点が非常に多かった
17:50でもある意味で日本よりも
17:54もっと守った日本的なものも
17:57フランスの柔道には存在したという
17:59言い方も言えるんじゃないかなと思いますね
18:02戦後、河合氏メソッドにより
18:08柔道はベルギー、オランダなど
18:11ヨーロッパの近隣諸国
18:12そしてフランスの植民地だった
18:15アフリカの国々まで広まります
18:17柔道人口が増える中
18:26河合氏が望んだのは
18:28柔道の国際的な組織でした
18:31昭和26年
18:38フランスを中心に国際柔道連盟が発足
18:42加盟国はヨーロッパの11カ国で
18:45日本不参加での出発でした
18:48同じ年、連盟に加盟している
18:58国々の柔道家がパリに集まり
19:00第一回ヨーロッパ選手権が開催されます
19:04この時、日本の国際柔道連盟への参加を促すため
19:13フランスは高道館館長の
19:15カノー・リセを招待しました
19:17河合氏が審判を務める中
19:25個人戦と団体戦が行われました
19:28カノーは大会の規模や
19:36海外の柔道家たちの熱心な姿勢に目を見張ります
19:40柔道国際化の機運を感じ取った日本は
19:47翌年、国際柔道連盟に加盟
19:50以後、指導者を世界各地に送り込むなど
19:54柔道の普及に積極的に取り組んでいきます
19:57昭和36年
20:04柔道の国際化を象徴する出来事が起こります
20:08第三回世界柔道選手権大会で
20:14オランダのヘイシンクが
20:16日本の実力者たちを次々と破り
20:19優勝しました
20:23日本人以外の世界チャンピオンが
20:25初めて誕生した瞬間です
20:27ヘイシンクはヨーロッパで修練を積み
20:32日本にも留学して柔道の技を磨いた選手でした
20:36ヘイシンクは柔道をカワイシメソッドで学び始めたのですから
20:46父はこの勝利を誇りに思ったでしょう
20:50しかしヨーロッパ柔道だけの勝利だとは
20:57私は思いません
20:59なぜなら
21:01ヘイシンクはレベルの高い相手を求めて
21:06日本へ渡り
21:08稽古を重ねたのです
21:10彼の勝利は柔道そのものの勝利だったのです
21:16それから8年後の昭和44年
21:23カワイシミキノスケは病気のため69歳で亡くなりました
21:28パリ郊外にあるカワイシの墓
21:35カワイシの名前の下にはこう刻まれています
21:39フランス柔道の生みの親
21:43独自の指導法でフランスに柔道を広めた
21:53カワイシミキノスケ
21:55玉城さんはカワイシの成功は
22:01日本文化の国際化を考える上でも
22:04しさに富んでいるといいます
22:06ミキノスケは柔道あるいは日本の文化というのは
22:13米や麦と同じようなもので
22:15その土地にあったものでないと
22:18育たないという言い方をしているんですね
22:21ですから米や麦を改良するのと同じように
22:25その土地にあったものに変えるべきものは変える
22:28ということは非常に変えることに関しては
22:31積極的だと思います
22:33でも変えないものは変えないと
22:35いうところもミキノスケは
22:38しっかりとした芯のようなものを持っていたと思いますね
22:42これは柔道だけの問題ではなくて
22:45あらゆる文化
22:47日本の文化
22:49あるいはフランスの文化が日本に入ってくる場合にも
22:53本当にフランスのものと言えるような場合も
22:57あらゆる世界の文化に言えることで
23:00よく言われるグローバリゼーションというものに対する
23:05考え方
23:06疑問を提起しているというような
23:09言い方もできると思いますね
23:11ご視聴ありがとうございました
23:25ご視聴ありがとうございました
23:40世界共通の国際ルールの下
24:06柔道は勝敗を競うスポーツとして普及しました
24:09その中で本来の柔道の精神が失われつつあるという批判も聞かれます
24:16次回は山下康博さんとの対談を交え
24:20国際化の時代に柔道の伝統はどう受け継がれようとしているのかを見つめます
24:25全国地デジ科テスト
24:352011年7月お宅のテレビはどうなってしまうのか
24:40では行ってみましょう
24:41あなたのご覧のテレビはアナログ放送です
24:47こうなる前に地デジへの準備をお願いします
24:51困ったことわからないことがありましたら
24:54総務省地デジコールセンターまでご連絡ください
24:57さあ移行までもうすぐです
24:59ご準備をお早めに
お勧め
0:46
|
次
18:03
45:01
4:13
50:25
8:39
9:19
4:24
43:26
1:31
15:00
1:26:36
1:30:43
39:20