- 一昨日
カテゴリ
🎥
ショートトランスクリプション
00:00明治時代に生まれた柔道
00:06その神髄は心身の鍛錬による人間形成にあるとされました
00:17昭和に入り柔道は他の武道とともに
00:21軍国主義の精神に深く結びつけられるようになります
00:25柔道は学校教育に取り入れられ
00:31国家に尽くすための精神教育に重点が置かれました
00:40柔道の創始者カノージゴロは
00:43柔道が国策に利用されることに反対の意を表します
00:48我らの解く道は中世道である
00:53右に偏ったり左に傾いてはいけない
00:58しかし時代の流れはとどまることなく
01:05柔道は戦争の影響を色濃く受けるようになります
01:10柔道の創始者カノージゴロは
01:18柔道の創始者カノージゴロは
01:19戦争へと向かう時代の中で
01:22国家は柔道に何を求めたのかを探ります
01:27お会いしましょう
01:40京都平安神宮の脇にある武徳殿です
02:10明治32年試合や稽古を通して柔道や剣道などの武道の振興を図る場所として設立されました
02:25中央には天皇のための御座所が設けられています
02:37スポーツライターの玉木正幸さんです
02:40武徳殿は昭和の初め武道が軍国主義に結びつけられた時代の象徴だと考えています
02:49武道を国家のために役立つものにしようというような意図がすごく伺われますね
02:58やっぱりそれは勝負の気風といいますか
03:02武道武士軍事というものを重要視する時代であり国の政策があったと思いますね
03:13どんどん戦争が広がっていくという時代の中で
03:17自分たちが武道をやっているのもそれは国の精神と一致しているんだという
03:22そういう意識というものが広まっていったと思います
03:27明治28年日本は日清戦争に勝利しました
03:34大国真を打ち破った快挙に国民は湧き立ちます
03:42この木を捉えて武術家の中に武術の信仰を図る者が現れます
03:55江戸時代に流星を極めた武術は明治の世になり
04:00時代遅れのものとして下火になっていました
04:03武術の最高を願う堅実家の言葉です
04:13日清戦争において国民の心を強くしたのは
04:19武術により身につけた武士道精神である
04:30こうした風潮の中で武術信仰を図る民間団体として
04:35大日本武徳会が生まれます
04:37その拠点として建てられたのが武徳伝でした
04:42武徳会の設立趣旨です
04:54武士を講じて攻防抑散
05:02武術によって天皇そして国家を支えるということが目的とされました
05:14柔道の創始者であり当時行動館の館長を務めていた
05:19加納次五郎も武徳会に協力します
05:22国家を支える人材を柔道によって育成しようという考えは
05:32加納が唱えたことでもありました
05:35己を完成し世を保育するが
05:41柔道修行の休憩の目的である
05:45加納は門邸を柔道の指導者として武徳会へ送り込むなど
05:57武術の振興に取り組みました
06:04同じ頃
06:05武術家たちは武術を学校教育に取り入れることを念願しました
06:10加納も自らの講演で
06:17柔道を学校教育に導入する利点を述べています
06:22柔道と申す者は
06:26終身のみではなく
06:28一層広く終身の教えでございますから
06:32気象を引き立て
06:34愛国の情を
06:36必要いたします
06:38しかし
06:44こうした主張は
06:46国になかなか受け入れられませんでした
06:48体を鍛える上で
06:53武術は
06:54西洋から導入した近代的な体操に
06:57及ばないとみなされたのです
06:59一部には
07:02武術は封建的で古臭いものだという批判もあり
07:06武術の振興に追い風が吹くようになります
07:13一般市民の間に西洋文化が広まり
07:18エログロナンセンスがもてはやされるなど
07:21大敗的な風潮が生まれました
07:25大敗的な風潮が生まれました
07:32また大正デモクラシーの下
07:37国民の権利意識が高まり
07:39市民運動が暴動にまで発展することもありました
07:44こうした状況の中
07:49大正14年
07:51政府は治安維持法を交付
07:53言論思想の統制に乗り出します
08:03同じ頃
08:04武術は人間形成に重きを置いた武道として
08:08学校教育への導入が
08:10盛んに叫ばれるようになります
08:12武道は西洋思想にかぶれた青少年を鍛え直すのに
08:18最も効果的な方法だと考えられたのです
08:22剣道および柔道は我が国固有の武道であり
08:30必実合憲なる国民精神を寛容することができる
08:41昭和6年
08:46剣道と柔道は中学校の必修科目となります
08:51その後
08:59学校の道場の中には
09:01紙棚が設けられました
09:07そして授業の最初に
09:09紙棚に礼をするように指導されます
09:16大日本武徳会が掲げていた
09:19国家と武道を結びつける思想が
09:22学校教育に広がっていきます
09:25しかしそれは
09:33行動館の加納寺五郎にとっては
09:36決して望んだ形ではありませんでした
09:40行動館で柔道の歴史を研究する
09:46村田直樹さんです
09:48村田さんは
09:50大日本武徳会と
09:52加納寺五郎の
09:54愛国心に対する考え方には
09:56差があったと考えています
09:58武徳会の方は
10:02行動館と比べますと
10:04組織の大きさ
10:06それから
10:07構成員の
10:08スタッフの中身ですね
10:10これはもう
10:11かなり違いますので
10:12非常に国絡みのレベルの話での愛国心
10:20まず一つはですね
10:21可能師範の方は
10:23行動館の立場での愛国心
10:26一般修行者はそれぞれ
10:30勤勉に励むことであるとか
10:34仕事を全うすることであるとか
10:36貯蓄をすることであるとか
10:38平素の勤勉な生活
10:41これを非常に大事にすることが
10:44大方の人々における
10:46愛国心の姿であるということを
10:48具体的に書かれているんですよ
10:53可能は柔道の精神を
10:55日常の営みに生かすことで
10:58愛国心は育まれるとみなし
11:01柔道を国家や政治の動きと
11:03結びつける考えとは
11:05一線を隠していました
11:10しかし時代は
11:12国粹的な風潮に傾いていきます
11:18昭和7年
11:19515事件が起こりました
11:28軍事政権の樹立を目指した
11:30海軍の青年将校たちが
11:32犬飼い師匠を射殺しました
11:41その翌年
11:42公道館でも
11:43若い柔道家たちが
11:45可能に引退を求めて
11:47厳しく詰め寄るという事件が起こります
11:506万人の柔道家を抱える公道館が
11:57武道報告の行動を起こさないのは
12:00可能の中君愛国の精神が不足しているからだと
12:05批判したのです
12:07こうした批判に対して
12:14可能は述べています
12:18我らの解く道は
12:20忠誠道である
12:22右に偏ったり
12:24左に傾いてはいけない
12:31極端な軍国主義に傾くと
12:33日本が世界から
12:35孤立する事になるのではないかという
12:37危惧を
12:38可能は持っていました
12:45しかし
12:46可能の考えとは裏腹に
12:48やがて日本は
12:49軍国主義への道を突き進み
12:52柔道は他の武道とともに
12:54その波に飲み込まれていきます
13:02武道による教育は
13:04日本の実質的な傀儡国家として
13:07建国された
13:08満州国でも行われました
13:16満州国のスローガンとして掲げられたのは
13:19五族共和です
13:21官民族、満州族、日本人、朝鮮人、モンゴル人が
13:27協力して
13:29満州に理想郷を作ろうというものでした
13:40昭和13年
13:42満州に建設された
13:44建国大学です
13:46さまざまな民族の学生たちが
13:49一堂にそろい
13:51満州国の将来を担うための
13:53エリート教育が行われました
14:02ここで
14:03柔道をはじめ
14:04剣道、合気道が必修科目とされ
14:07相撲、球道も選択科目として設置されました
14:17卒業までの6年間
14:19学生たちが必ず武道に触れるように
14:22カリキュラムが組まれていました
14:31柔道部が
14:32全満州の武道大会で優勝するなど
14:35課外活動も盛んに行われていました
14:56武道の歴史について研究している
14:58獅子田文明さんです
15:00獅子田さんは20年前
15:03建国大学の武道教育に携わった人物の
15:06聞き取り調査を行いました
15:12指導者の一人
15:13枠田三郎さんの証言です
15:19指導もやす、柔道もやす、剣道もやす
15:23ヅプロジェクトの文化ができる
15:24指導も授業もありました
15:34菅田さんの文化の大会に持っていた
15:35その文化の文化に対しては、その武道を注ぐ自身を明かしてい
15:37たれを聞くと
15:38あいつの確認でもね、日本人に聞きながると言うことなんだな。
15:47特に満州の建国大学で武道教育をやったのは、日本人にするためだったんだ。
15:55日本人化するためだったんだということをね、気せずフッと言われるんですね。
16:03その時私はそういう気持ちは全然、そういうことを聞くためにですね、伺ったわけじゃなかったんでね。
16:12非常に心に残ったんですね。
16:15建国大学は指導者の大学なんで、指導者の大学でまずリーダーとしての日本人的なリーダーを作り上げると。
16:24しかし、そうした教える側の考えは、必ずしも学生たちに浸透していたわけではありませんでした。
16:37漢民族のある学生の言葉です。
16:41武道はサッカーやバレーと同じで、体を健康にする運動の一つでした。
16:47また、中には武道教育そのものに疑いを抱く者もいました。
16:57後に公日運動に参加した学生の言葉です。
17:03武道を学ぶと行動につながれて、日本の侵略拡充政策の一役を担わせられることになる。
17:11私は教官の目を避け、休んだりした。
17:16技というものが学べないのは当たり前のことで、精神なんて有に及ばずだった。
17:30昭和12年、日中戦争が始まります。
17:35国策として中国への侵攻が進められました。
17:41選挙区の拡大に対し、政府は国民精神総動員運動を進めます。
17:50一般市民の生活のあらゆる場面で、国家への協力が求められました。
18:02この頃、民間団体だった大日本武徳会も、国家の機関として組み替えられます。
18:11会長は内閣総理大臣が務めることになりました。
18:21組織の理念はこう改められました。
18:23国民的気迫をこぶ心霊するとともに、一旦緩急の際は、一種をもって高温にほうぜざるべからず。
18:35当時、武道に期待されていたものとは何だったのか。
18:47獅子田さんはこう分析します。
18:48精神主義が支援していますからね。
18:55やはり戦いの時に、確かに武道でやると、スポーツでも何でもそうなんですけど、技術が同じでも、あるいは多少の差でもですね、精神のそういう奴が勝つわけですね。
19:07そうすると、武道教育の関東精神、最後までやり抜くっていうね、そういう教育っていうものが、戦争に役に立つってことはあるでしょうね。
19:19戦局が悪化するにつれ、武道教育は一層の広がりを見せます。
19:32武道は国民学校でも必修となり、さらに武徳会の指導により、正規の授業以外にも武道を学ぶことが奨励されました。
19:41当時、厚生省が武道の指導者向けに作成した手引書です。
19:55武道を教えることの大切さが、こう説かれています。
20:04武道、武の精神は、日本人全体の根底に深く培われ、
20:11発して軍人精神となり、不屈不当、順中無雑の大和魂となっている。
20:30昭和18年、学生たちに対する徴兵が始まり、武道の教育を受けた多くの若者たちが戦地へと向かいました。
20:41武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道、武道
21:11GHQは戦前の日本の教育制度を調査し、武道教育が軍国主義を助長したとして、その中止を打ち出します。
21:25さらに、戦前の武道教育の中心組織だった大日本武徳会を解散させました。
21:41政治的性格を持つ団体ではないと判断された行動感は、存続を認められます。
21:53しかし、その際、柔道を精神修養の側面を切り離したスポーツとして扱わざるを得なくなりました。
22:02加納次五郎が精神鍛錬の修行として意義を見出していた柔道は、戦後になって大きな転換期を迎えたと玉木さんは考えています。
22:23戦争時代の精神主義というのは、相当強い精神主義に傾いたわけですね。
22:30ですから、本来、あるべき精神主義というものを使えなくなった、言えなくなった。
22:39やはり柔道にも、日本人、日本の文化ならではの精神というのが脈々と流れていると思うんです。
22:47それを主張できなくなったというのは、柔道のあるべき姿を伝えにくくなったという言い方ができると思うんです。
22:55それで、スポーツの勝ち負けというものだけが重視されるような、
23:02そういうスポーツ柔道を全面的に認めなければならないような時代が始まると思いますね。
23:10ご視聴ありがとうございました。
23:40世界有数の柔道大国、フランス。
24:04その礎を築いたのは、日本人、河石美樹之介です。
24:10河石は、カラー帯の導入を図るなど、画期的な指導法で、フランスに柔道を広めました。
24:17次回は、国際化の中で形を変えていく柔道の姿を見つめます。
24:22全国地デジ科テスト。
24:332011年7月、オタクのテレビはどうなってしまうのか。
24:38では、行ってみましょう。
24:39あなたのご覧のテレビは、アナログ放送です。
24:46こうなる前に、地デジへの準備をお願いします。
24:50困ったこと、わからないことがありましたら、総務省地デジコールセンターまでご連絡ください。
24:55さあ、移行までもうすぐです。
24:57ご準備をお早めに。
お勧め
25:14
1:39:01
1:50:03
50:36
1:45:28
45:31
0:33
37:55
1:49
4:17
30:20
13:40
1:26:36
1:30:43