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00:002025年 米の価格高騰が続いている
00:043月 日本政府は備蓄米を放出し 価格を落ち着かせようとしたが 効果は限定的だった
00:16高値の理由として様々な説が入り乱れる
00:20米の値段をどうしたらコントロールできるのか 政府はその難しさに直面している
00:27実は300年前江戸幕府も同じ悩みを抱えていた
00:36当時米の値段は大阪で決まっていた
00:41全国初犯から膨大な量の米が集まり
00:45そこで大阪商人がつける値が全国の米価を左右していた
00:54幕府のコントロールがきかない巨大マーケットができていたのだ
01:02そこに挑んだのが八代将軍徳川義宗だった
01:08米は人々の命に直結するだけでなく 幕藩体制の根幹である
01:16その価格決定を商人たちに任せてよいものか あの手この手を繰り出し米の値段を幕府の力で統制しようとする
01:28だが大阪の米商人たちも譲らず様々な手段で抵抗する
01:36スタジオでは経済学者と歴史作家が米の値段をめぐってしのぎを削った
01:42吉宗と大阪米商人の戦いを読み解いていく
01:48米が余って値段が下がるって我々にとって当たり前のことが そもそも吉宗にはまだこの時点では理解できていなかった
01:55天下の米の値段は大阪商人が決めてます だけれどもどの大阪商人が決めてるんですかって聞かれても
02:03誰が決めてるわけじゃないんです
02:07米の値段を決めるのは誰か
02:11将軍吉宗と大阪米商人の20年にわたる主導権争いの天末を追う
02:41歴史のターニングポイントで英雄たちに迫られた選択
03:03その時彼らは何を考え何に悩んで一つの選択をしたのでしょうかそしてあなたならどうしますか今回の主人公はこちらです江戸幕府八代将軍徳川義宗です
03:16吉宗といえば教法の改革まあ知られてますけれども米将軍と呼ばれたほど米に関わり続けた将軍でしたね今回はそんな将軍吉宗が悩み続けた江戸時代のお米の大問題米の値段ですね米価ですねスポット当てます
03:37そこでご覧いただきたいのがこちらです江戸時代の米の値段の推移を表したグラフです空さんもう上がったり下がったりもう激しい動きですね乱高下して激しい値動きがあるしかもこれ幕末の戦乱の時代だけじゃなくて平和な時代でも結構大きな値動きの幅があるわけですこの米の値段を注視してたのが幕府ですね当時の武士たちは今と違って南国鶏などというようにお米でサラリーもらっている
04:07つまり武士にとってはお米の値段が高いか安いかは死活問題で武士の生活と幕府財政に大影響を与える米の値段を大体程よく維持していくことが大事だったわけですよねでもこれはあんまり教科書には出てこない江戸時代の一面ですよねそういった状況を踏まえてどんなところがポイントになってきますか
04:37この関係がはっきり記録され始めた江戸時代の半ばこの吉宗政権のことを今日はぜひ見ていきたい。
04:50では今回の主人公吉宗が将軍に就任した時からご覧いただきましょう
04:55教法元年将軍となったばかりの徳川義宗には頭を悩ます問題があった 幕府の財政なんである
05:09江戸時代前期幕府の財政は豊かだった
05:16佐渡金山や岩見銀山から大量の金銀が産出され さらに神殿開発により農地が増え続けた
05:30年具の収入は増加 幕府財政はこれらによって賄われていた
05:42だが江戸幕府ができてから100年 金銀の産出量は減り 神殿開発も頭打ちになっていた
05:51一方で大規模公共工事や災害復興で支出は増加
06:00幕府財政は厳しいものとなっていた
06:06この状況を打破するために吉宗が考えたのは
06:09米の増収
06:11より多くの米を幕府の蔵に収めることだった
06:16京法7年 吉宗は揚げ舞のせいを実施
06:23大名たちから穀高1万石につき100石を浄納させ
06:28代わりに産金交代の負担を軽減した
06:35またさらなる神殿開発を推し進め農地を増やした
06:40これで幕府の財政は再建されるはずだった
06:50ところが予想外の問題が起きる
06:54米価が暴落したのだ
06:57京法56年 米一国の価格は銀60門目から70門目で推移していた
07:09それが京法7年いきなり42門目に落ち込んだ
07:16原因は米余りだった
07:20神殿開発を続けてきた結果
07:22江戸幕府ができた当初およそ160万兆部だった農地は
07:28300万兆部近くにまで増えていた
07:34一方この頃人口増加が止まり
07:37供給が需要を大きく上回るようになっていた
07:41米がダブつけば値段が下がるのは必然だった
07:46米価下落は財政再建にストップをかけることになる
07:56それだけではない
07:58これは爆反体制の危機でもあった
08:05米の値段が下がれば
08:08法録を米でもらっている全国の武士の収入が減り
08:11生活が苦しくなる
08:14武士たちの不満が幕府に向けられれば
08:17徳川政権が揺るぎかねない
08:20吉宗は米の消費を増やそうと
08:25酒造りなどを奨励する
08:27しかし値段はなかなか上がらない
08:31なぜなら米の値段は
08:34幕府とは別のところで決まっていたからだ
08:38それは天下の台所大阪だ
08:45当時大阪の中野島一帯には
08:51全国諸藩が米を保管する蔵屋敷が立ち並んでいた
08:55各藩は物を買ったり
09:01参金交代などの処刑費支払いのため
09:05米を金に買える必要があった
09:08その取引の場こそ大阪だった
09:12四代将軍家綱の時代に西回り航路が整備され
09:16各地の米は続々と大阪に運び込まれるようになる
09:19およそ90の藩が大阪に蔵屋敷を構え
09:25米を売りさばいていたのだ
09:29中野島のすぐ北の堂島に
09:31米粒をモチーフにしたモニュメントがある
09:34米市場の跡地を示すものだ
09:37京方年間この堂島で多い時には
09:38200万石もの米が取引されていたという
09:42しかもその取引方法は
09:45幕府から見れば不思議なものだ
09:47こちらは堂島米粒をモチーフにしたモニュメントがある
09:51米市場の跡地を示すものだ
09:53京方年間この堂島で多い時には
09:55200万石もの米が取引されていたという
09:58しかもその取引方法は
10:01幕府から見れば不思議なものだった
10:03こちらは堂島米市場の取引の様子を描いた絵だが
10:10200万石の米取引のはずが
10:13どこにも米だわらがない
10:17堂島米市場の歴史を研究する高槻康夫さんが
10:24当時米取引に使われた品を見せてくれた
10:27今ご覧いただいているのは米切手という代金を納めた人に発行される証券ということになります
10:38大阪商人は米の現物ではなく
10:44各藩の蔵屋敷が米の入札の際に発行する
10:49米切手という証券で取引をしていた
10:52米切手には藩の名前
10:57米を落札した者の名前
11:00発行番号などが書かれていて
11:03その藩の蔵屋敷に持っていけば
11:07米の現物を受け取ることができた
11:10この1枚で10穀
11:13現在でいうと1500キロの米に相当した
11:17米だわらは重くかさばり手軽に取引ができない
11:24米切手を使うことで簡単に取引することを可能としたのだ
11:30転売して利座屋を稼ごうとする者も現れ
11:35米切手は商人の手から手へ
11:38実物の米ではありえない速さで渡っていった
11:42それだけではない
11:48大阪商人はもう一つ驚くべき取引を開発していた
11:52超曖昧取引といわれるものだ
11:57実際に行われた超曖昧取引の書類が残っている
12:04この商人はまず6月に米3000秒を
12:14一国銀64本目6部で購入する契約をしている
12:20ところが支払いも米の受け取りもしないまま
12:25翌月に600票、400票、2000票と
12:32買った3000票を全て別の商人に売りさばいてしまった
12:37結局、紙の上で取引が行われただけで
12:44実際には米は一切動かなかった
12:47何の意味があったのか
12:49超曖昧のポイントはですね
12:54売りと買いの量を同じだけ入れることで
12:57まず売買をキャンセルすると
12:59ただ買った時の値段と売った時の値段は違います
13:03価格が上がったり下がったりっていうことをすることを利用して
13:08利益を得ようと
13:10そういう取引ということになります
13:11紙の上だけで差し引きゼロになるよう取引をして
13:18その差額で儲けを得ようとする
13:21超曖昧取引は米を利用した陶器だった
13:30さらに驚くことに、この取引は米を持っていなくてもできた
13:35まず1国銀60問目で売りましょう
13:42と取引してしまい帳面に残しておく
13:46だが相手に渡す米はない
13:49それは別のものから買うのだ
13:531国銀50問目
13:57よし買いだ
13:58するとどうだろう
14:0260問目で売り50問目で買ったから
14:06生産すると1国当たり銀10問目の儲けとなる
14:11現物なしに紙の上だけで取引し後日生産する
14:18超曖昧取引は現代の先物取引の走りだったといわれている
14:24米がやっぱり誰しも関心がありますよね
14:30だから飽きないよじゃあやろうっていう時に米だったらみんな分かるわけですね肌感覚が
14:35なので米を対象に先物取引をやるのが一番盛り上がると人々が集まるだろうと
14:41調べれば調べるほど現代に通じるというか現代に先んじてる面すらあった
14:45米切手の転売と超曖昧取引
14:52大阪商人は実物の米を動かさない架空の取引を作り出すことによって巨大な市場を生み出した
15:00その結果同島米市場で付けられた値段が全国の米の値段を左右するようになっていく
15:10米を売る大名たちも自分たちの米を大阪で高く評価してもらおうと工夫を凝らした
15:19熊本藩の記録にその努力の様子が描かれている
15:27例えば一粒よりといって
15:30村に命じて一粒一粒厳選させ見た目のいい米を集めて見本としたり
15:37俵に生産した農民の名前を書いた札を指して責任の所在を明らかにしたり
15:43自分たちの米をブランド化しようとしたのだ
15:50米市場は常に熱気にあふれていた
15:56終了時刻となっても取引をやめないので市場の者が水をかけたが
16:02商人たちはずぶ濡れになりながらも取引を続けたという
16:06だがそれは江戸幕府から見れば怪しげで好ましくないものだった
16:14幕府は大阪の米取引を不実の取引と呼び
16:21米国を招く者として厳しく規制した
16:24元六十年 幕府が大阪で出した町ぶれにはこうある
16:34米俵のやり取りもせず
16:39口頭で売買を行うか
16:42あるいは俵数を書いた紙面だけを売買し
16:46博打同然の商売をしている者がいる
16:49こうした取引をする者は資材もしくは牢に入れる
16:56新たに将軍となった吉宗もまた大阪の米取引に厳しい態度で臨んでいた
17:06江戸時代の政治史を研究する大石学さんは吉宗の思いについてこう読み解く
17:16庶民の生活の安心安全を守るという点では米価というのは軸になりますよね国家権力というものが社会の隅々まで手を伸ばして庶民を助けながら米価を安定させていくこれが政治の役割だと吉宗が考えたわけです大阪商人が値段を上げたりあるいは下げたりしますからそういう形で米価というか幕府の意向と違うところで決まってるこれが吉宗にとってはやっぱりいらざたしいところだったと思います
17:44大阪の米取引を取り締まろうとする吉宗だが商人たちは米切手や超曖昧での取引をやめることはなかった
17:56そして強法7年あの米価大暴落が起きたのだ
18:06どうすれば大阪商人が握る米の値段の決定権を幕府のものとし米価を回復することができるか将軍義宗と大阪米商人の戦いが幕を開ける
18:36あともう一つは江戸時代米の生産はやっぱり規模は稲作は西日本多いです関東平野広いように見えるけどやっぱあれ火山灰なので旗作が多いですよねなるほどそうすると米の比重は西日本に多いそれで大阪がずっとやっぱり米取引の中心で大名の年宮米は大阪海米って言って大阪に集まるわけですなるほど
19:05さあ今回もお二人のゲストをお招きしていますまずは作家の門井由伸さんですよろしくお願いします
19:13よろしくお願いします
19:14幕府財政の再建のために吉宗はお米をたくさん作らせたわけですよねでも米余りで米価が暴落しちゃうこれ門井さんは吉宗にとってはもうちょっと計算外というか
19:24おそらくこの時点では多分吉宗という人は需要と供給の関係を理解していなかったんだと思うんですね
19:33それは吉宗に限らず当時の政権にいた人はみんなそうだったと思うんです何なら日本中の人々がほぼそうだったと言ってもいいですね
19:41僕も実際この時代の金融の世界を小説に書いてすごく困ったのが江戸時代には需要と供給にあたる言葉がないんです
19:53江戸時代にはそういう概念そのものがないですのでお米たくさん作ったらお米が余って値段が下がるという我々にとって当たり前のことがそもそも吉宗にはまだこの時点では理解できていなかったんだろうというふうに思いますね
20:10だからこそ大阪でやっていることがなおさら一層悪いことのように見えるということだと思います
20:16続いて経済学がご専門の飯田康之さんですよろしくお願いします
20:22よろしくお願いします
20:23飯田さんは江戸の吉宗と大阪の商人たちの争いどこがポイントだってご覧になりますか
20:29何にも増してこの大阪の道島の米相場世界で最初の先物取引所なわけですね
20:36世界で最初の
20:37はい実際に現物を取引するのではなくて出た損得の分だけを払えばいいですよと
20:43これを取り仕切るためには相当な商人が組織化されていないといけない
20:49これができたっていうのは世界ではまさに道島が最初なわけです
20:55なるほどでも実際にはお米を持ってないのにその先物取引で儲ける
21:00これやっぱり江戸の武士たちから見るとちょっと理解難しかったでしょうね
21:05実際ですねこの先物取引の説明って現代でも先物とかオプションを説明学生に説明するのに相当苦労するんですよ
21:16苦労する僕も江戸の経済史やってる時ここが一番難しかった
21:20武士は本当経済分かりにくいですよ帰国千金って言ってお米は扱ってもいいけど
21:26税には汚いから触らないだって幕末だってそうですよ
21:30武士買い物に行く時恥ずかしいからほっかもりしていくんですから
21:33泥棒に行くのと同じなんですよ上級武士が買い物するってことは
21:37デデッデデッデッデデッみたいに言って買いに行くんですよ
21:40物を見つかりが買いに行くかそういうもんなんだよ
21:45それだけ税にに対しての価値
21:47経済学が無視にあるはずがないんですよ汚いものなんだあれは飯田さんは米の価格が暴落してしまう状況どういうふうに思われていますか?
21:56はいそれまでは人口ってもう食料生産と一対一に対応してたんです
22:01食料が増えたらそれだけ人間が増えてで食料が足りなくなったらそれで人間が減るっていうところがですね
22:09ちょうど強法器辺りから日本は米の国高はまだ伸びているのに人口が伸びなくなっていくんですね
22:18このように食料生産と人口の動きが別の動きをしたというのは主要国の中では最初は日本だと思います
22:29で米はそれなりに取れているのに人口はあまり増えないとなると相対的に初めて米が余るっていう局面が出てくる
22:41そうなってくると今まではお米を食べるというのが人生のすべてだったのがちょっと着飾ってみるとか場合によっては本を読む芝居を見るっていうふうになっていくそうすると特別なお米からいろいろ商品ある中の一つとしてのお米っていうふうに立ち位置が変わってくるその最初のタイミング。
23:07だから吉宗がこの時点で気づかないっていうのは世界史上の転換点なわけですからなかなか最初から気づくというのは難しいのかなと思いますよね。
23:19吉宗がこの時点で神殿開発を奨励したっていうのは江戸幕府の歴史だけを見てもすごい時代遅れなんですよね。
23:27やり尽くしちゃったことを開発し尽くしちゃったのになおさらやろうとしているのでそういういわば遅い手を打ってやっぱりダメだったというのがこの時点での吉宗ですね。
23:39さあ米の値段を決めるのは誰なのか。吉宗と大阪商人たちの戦いが始まります。
23:49大阪市内にこの地で活躍した企業家たちをテーマとする展示館がある。
23:55ここで貴重な資料を見せてもらった。
24:02江戸時代の道島米市場に関わる記録をまとめた米商旧記である。
24:14米家が暴落した強法7年12月。
24:19幕府が大阪町奉行に出した指示。
24:21超曖昧取引。
24:28戦国までのうちは勝手に捕まつるべき。
24:33資材までちらつかせて取り締まろうとしてきた超曖昧取引を戦国に限り容認するという。
24:44米家の下落を放っておくわけにはいかない。
24:47価格高騰を招くとしてこれまで禁止してきた不実の取引を認めれば、
24:55米家が上昇するのではないか。
24:57そう考えたのだ。
25:01だが吉宗は米の値段を大阪の商人に委ねたわけではなかった。
25:09米家の決定権を幕府のものとするため一策を講じる。
25:13米商九記によると、
25:22教法十年、
25:24木の国や原兵衛ら三人の江戸商人が、
25:27大阪に米の会所を作ることを願い立て、
25:32幕府がこれを公認した。
25:33今後大阪商人が各藩の蔵屋敷から入札で米を買うときは江戸商人が運営する会社を通すことが定められた。江戸商人はその際手数料を取ることも許された。
25:56この仕組みがうまくいけば幕府は江戸商人を通して大阪の米市場を統制し米の値段を支配できるはずだった。
26:21だが大阪商人はしたたかだった。なんと彼らは江戸商人の会所を通さずに各藩の蔵屋敷と直に取引する方法を考え出す。
26:35大阪商人どうしたかというと入札で売らなければいいんですよねというところを解釈してじゃあ会いたいで1対1で私に個別に米切手を発行してください。形としては借金の担保という形でもいいですよとかいろんな形で1対1で発行を求める。
26:54入札を経ず1対1で米切手の受け渡しをするならば江戸商人を通す必要はない。
27:05江戸商人の会所に大阪商人が集まることはなかった。
27:10吉宗の目論みは失敗。
27:15だがなぜ大名たちは大阪商人の求めに応じたのか。
27:23それは大名たちにとって大阪商人が大切な資金源だったからだ。
27:30各藩は蔵屋敷にある米の量以上の米切手を発行し、商人たちに買い取ってもらっていた。
27:39いわば米切手を担保に借金し資金調達をしていた。
27:46大阪商人に協力するのは当然だった。
27:53結局江戸商人の会所は手数料を取れずに経費ばかり加算で1年で廃止となった。
28:05だが吉宗は諦めない。
28:08強法12年、別の江戸商人に大阪での会所作りを命じる。
28:17今度は大名との1対1の取引も禁じた。
28:22困った大阪商人たちは翌年幕府に探願書を提出する。
28:27そこには市場の混乱を生む吉宗の政策への通列な批判が込められていた。
28:37お金のない者は商人の仕事を辞め、夫婦は離散し、妻は遊女に身を売るしかありません。
28:48困窮し命も尽きかけています江戸商人3人の私利私欲と大阪商人とその家族数万人の困窮どちらが大事でしょうか?
29:05吉宗がみんなの生活を豊かにするために米価を形成しよう価格を形成しようと思っていたのにそれが逆にみんなの生活を脅かすことになってしまった大阪商人たちは逆に逆手にとってうまい表現でですね吉宗を批判した自分たちの政策が誤ってるってことを急断されてしまったわけですね。
29:27結局この会所も廃止となる。
29:34吉宗の道島米市場への介入は失敗を繰り返し米価も思うように上向かなかった。
29:42京法15年、ついに一国銀31門目にまで落ち込んでしまった。
29:49もはや米市場の主導権争いをしている場合ではない。
29:55吉宗は決断する。
29:57京法15年8月、大阪に出した町ぶれには大阪米秋内の儀古来致し来たり候通りの仕方をもって勝手次第つかまつるべく候。
30:19これまでどおり勝手に取り引きしてよい吉宗は折れたのだただ一つ条件をつけた
30:33詰まるところ米相場よろしくなるためやらせてあげるけどもただそれはあくまでも米価が安定しているということを条件としているんだぞということをきちっと強調した上で認可をする。
30:50そうすることで手綱をちょっと引きつつですね持ちつつやらせてみるということにかじを切ったんじゃないかなというふうに思われます。
30:59一方で吉宗は米価をあげるための手を打ち続ける。
31:11京法16年、大阪町奉行所は重だった町人100人以上集め一定量の米を買って手元に置くよう命じた。
31:24米の流通量が減れば値段が上がると考えたのだ。米価が上がれば米を買った町人たちも得をするはずだった。
31:37だが彼らはなかなか買おうとしなかった。
31:43米価が上がってあの売るってことができればいいですけどいつ売れっていう指示も来るか分からない。
31:49そういう中で当然買う側としては躊躇して少しでもその買う時期を遅らせようとか額を減らせよう。
31:56みんなが疑心暗鬼になって買い進まないというところで米価が思うように上がらなかった。
32:02米価はなんとか銀40門目あまりに上昇するが、暴落前の70門目には到底届かなかった。
32:15同じ強法16年の10月、大阪町奉行所は5人の重だった米中外相を呼び出し、米価がなぜ上がらないか問いただした。
32:29すると商人たちはこう答えた。
32:34米中外の人数を確定し、株札を交付ください。
32:40株札とは、組合の会員証のようなもの。
32:46勝手にやってよいと言われても、ルールを守らない者が現れれば、市場は統制がきかない。
32:55そこで、幕府から株札をもらった者が市場を運営し、ルールを守らせることができれば、信頼性が上がり、米の値段をコントロールしやすくなるという理屈である。
33:09幕府はこの願いを受け入れ、大阪商人たちにおよそ1300枚の株札を交付、株仲間として認めた。
33:24大阪米市場は幕府公認となったのだ一方がこう出ればもう一方はこう出るっていうまさに長々橋という感じでしたね。
33:42そうですね吉宗もとうとう大阪に直接手を出し始めて貴の国や源兵衛ら3人を最初にこの大阪に派遣するんですねまあはっきり言ってもう江戸の息のかかった商人ですよねでその時に大阪もまあいいんにように抵抗するわけなんですけども大阪の商人もそれが本当に巧妙で例えば一例を挙げますと大名にお金貸しますよっていうんですねうん。
34:08お金貸しますけれども貸すには担保が必要ですからその担保として米切って預けてくれませんかというふうにはいすればお金は動いて米切っても動いているのに名目上はこれは売買ではありません借金ですよしたがって手数料を納める必要はございませんとこういう論理を立てるんですね。
34:32すごいですねでこの時に注目すべきはこれ大名はもう完全に共犯なんですよねもう完全に江戸の方向いていないで大阪の方向いている江戸時代の日本ってねそうですね3つぐらいね力の源泉があるんですよ一つはもちろん強制力武力による暴力の強さでやってる吉宗たち江戸幕府もう一つが天皇の政権もう一つが大阪なんですよ大阪ですが大阪ですが大阪ですが大阪ですが大阪ですが大阪ですが大阪ですが大阪ですが大阪ですが
35:02大阪は何かっていうとこれはお金の力なんです僕今日ちょっとね私物で見つけたの持ってきたんですよこれはね大阪の淀谷達五郎という大商人があまりに贅沢をしすぎたので江戸幕府に全部の財産を没収されて潰された
35:32経済の力のすごさを思い知ったんですまずね淀谷達五郎土蔵いくら持ってるか米や豆を入れられる730ですよ730土蔵を持ってるんですよそれであと初代名にどのぐらいお金貸してたかっていうとこれが本当だとするならですよ530万両と書いてあるんですよこれ加賀藩の年収の十数年分なんですね全ての年収のもう幕府と比べたって一人の商人が圧倒的にお金を持ってたんですよ
36:02っていう状況がもはやもうこの時代にはできているしかもそれは大阪だ金の力のすごさと幕府の強制力の凄まじさっていうのがもう如実に分かりますね本当ですねでもその大阪の商人たちはその吉村の考えに屈しなかったわけですよね飯田さんはどうご覧になってましたこれが市場経済の面白いところで天下の米の値段は大阪商人が決めてますだけれども
36:32どの大阪商人が決めてるんですかって聞かれても誰が決めてるわけじゃないんですこれは現代もそうです株価はどこが決めてますか日本の株価は東京証券取引所が決めてますけどどの証券会社が決めてるって言われるとどこも決めてないんですね市場の流れで勝手に高くなったり今回の場合は安くなってしまってるそれをどうにかしろと言われましてもと
36:58何もできることがないのに何か命令されてるってなったらもうこれはどうにもなりません助けてくださいしか選択肢がなくなってくるんですよねそれはもうまさにおっしゃるとおりでこの時に同じ時代に江戸ではどうなってたかっていうと江戸ではある程度顔が見える商人が価格を決めてたんですよね
37:28その江戸の感覚で大阪に当たっちゃうと大変なことになるかなという感じがいたしますマーケットの規模が全然違うってことですよね
37:43そして志宗は米韓の統制争いの相手だった大阪の米市場を幕府公認とします志宗は何かと処罰をちらつかせたりとかそういう状況だったけれども認めるっていう行動に最後になるっていうことなんですか
37:58吉宗がやっぱりだんだん学んでくるのは締め付けるよりも権利を認めてやった方がむしろ好都合なんじゃないかでルールをある程度型にはめるとそういったことで吉宗がだんだんとこの市場の呼吸みたいなものに合ってくるそのプロセスがそして吉宗に選択の時が訪れます
38:24幕府公認となった米市場は株仲間が運営し一般の人々も参加できることとなった 特に盛り上がったのが超曖昧取引だ
38:39少ない資本でも取引できるため多くのものが一攫千金を夢見て参加した
38:45驚くべきことにこの取引には地方から参加することもできた 道島米市場からは毎日のように飛脚が走って大阪の米相場を全国に伝えた
39:04江戸時代後期には上り綿で伝達することもあった
39:11後に書かれた投資指南書からは当時の陶器ブームの様子が伝わってくる
39:21相場の工芸をよく思い入れたらば満了の小金を縁も目を振らぬ間なり と一瞬にして億万長者になれると歌われ
39:35また別の本では他人を羨んで売ったり買ったり腹を立てた勢いで売ったり買ったり天井の値段で売ることや底値で買うことに固執する
39:50これらを避けることが相場の秘訣と書いている
39:55さらに陶器こそ価格を正しい方に誘導するという理屈が登場する
40:06一部の商人が値段を決めれば少数の利益のためだけに相場が上下する
40:17だが多くの陶器家が情報を持ち寄り値段をつければ
40:22誰もが納得する適正な価格になるというのだ
40:26実際陶器家たちのつける値段は米価に大きな影響を与えるようになっていた
40:33だがそれにより米価のコントロールはますます難しくなっていた
40:41そしてさらなる事態が襲いかかる
40:45強法17年
40:49西日本に害虫が大発生し田畑を食い荒らした
40:54被害は甚大だった
40:57吉宗は東日本の米を被災地に送らせるなど必死の対処をしたものの
41:041万を超える餓死者が出た
41:07米価は一気に79問目余りに高騰した
41:15それは皮肉にも吉宗が目指してきた値段であった
41:20だが事態が落ち着くと今度はまた大きく下がってしまう
41:25思い通りにならない
41:27このまま米の値段を大阪の米商人に任せておいていいのだろうか
41:37この時の吉宗の心の内に分け入ってみよう
41:42米の値段が上がると思って
41:47大阪道島の米市場を認めたというのに
41:51全然結果が出ないではないか
41:54商人たちの勝手な飽きないでは望む根にならん
42:00いっそ幕府が米の値段を決めてしまうべきではないか
42:06いや取引がここまで大きくなってしまった今
42:12幕府の一存で全てを決めることができるとは思えも
42:19やはり米市場に委ねるしかないのではないか
42:23商人とて米の値段が下がり続ければ商売にならん
42:29任せて待つしかないのではないか
42:33米の値段は幕府が決めるか市場に委ねるか
42:41吉宗は選択に迫られていた
42:44江戸時代の出版物に記されていたという
42:50陶器によって物の価格は適正になるという言葉
42:54これ飯田さんどう捉えますか
42:56現代の経済学では常識ですよね
42:59なぜならばみんな安い時に買って高い時に売りたいんです
43:05ということは安値券では買いが入りやすく
43:09高値券では売りが出やすいわけですから
43:12安い時の値段が上がり高い時の値段が下がりますので
43:16価格を安定化する機能がある
43:18ただ価格を安定化するんであって
43:22別に価格を上げる機能はマーケットにはないんですよね
43:26現代から見た場合に
43:28吉宗の見る正しいということと
43:31大阪商人が見る正しいということは別なんですね
43:36大阪商人にとっての正しいというのは
43:40価格が適正であるということ
43:42世の中の実情を反映しているということ
43:45でも吉宗はまだここでは正しいということを
43:49どこか正義だと思ってるんですね
43:51政治的正義があって
43:54その正義のために価格というのは
43:58コントロールされるべきもの
44:00市場で陶器家が価格を形成すると
44:06結局はいいところに落ち着くっていうのは
44:10あるんですよね
44:11じゃあ物の値段って何が決めてるんだろう
44:14大事なのが心理状態ですね
44:17心理状態
44:18僕は学生時代に江戸時代の米相場氏が記したものをいっぱい読んでみたことあるんですよ
44:25そしたらね何が物の値段を決めるのかを
44:28坂田の本間総急という人がね
44:31ひたすら考えるんですよ
44:33向こうで風になびく旗がブワーッとなびいてるね
44:37であれやあの旗はなぜなびいているのかって言ったら
44:42最初は風が吹いているからだと理解した
44:45これは風が強ければ強くなびくのは時給関係
44:48だけど違いました
44:50あそこに旗が見えるという私の心が動かしてるんです
44:56そうなんですよ
44:57でこれなんですよ
44:58相場っていうのは自分の心に見えてるもの
45:01市場に参加している人の心が見えてるものがつける値段なの
45:05だからもううわもっと上がるぞとかって集団心理になったら
45:09行き過ぎるのも相場はたくさんあったと思いますよ
45:12それでは選択に参りましょう
45:15思い通りにならない米の値段をどうしたらいいのか
45:18選択1
45:20幕府が米の値段を決める
45:22そして選択2は大阪の米市場に任せる
45:26皆さんが吉宗の立場ならどちらを選択されますか
45:30まずは門井さん
45:31僕は幕府が米の値段を決める方だと思います
45:36吉宗はこの時点ではまだ自由経済というものに100%の信頼を置いていない
45:41もう一つはやっぱり江戸から見ると
45:44大阪の向こうには西日本があって
45:48西国大名も実力のある
45:50そして生産力もある大名がゴロッゴロいるわけですから
45:53うっかり完全にこっちが手綱を手放してしまった場合に大阪商人が西の方向いちゃうんじゃないかと
46:01そうなったら今度は政治的にやばいことになるということを考えると吉宗はこの時点では完全なる自由経済にはまだ踏み切れていなかったというふうに思います
46:11何なら1回与えた認可を取り上げることも考えていると思います
46:15飯田さんはどちらを選択されますか
46:18私は選択の2市場に一任するという方法
46:23これは積極的というよりも消極的にやはりですね
46:29幕府が米の値段というのを統制するというのが
46:33やはり次第にできなくなってきているんじゃないのかなと
46:36特に大阪の規模の市場になってしまうと市場参加者も多い
46:42需給の要因も審理の要因も
46:44共に非常に複雑で複雑すぎるので
46:48一任するしかないっていう部分があるのかなと思うんですね
46:53井空さんはどちらを選択されますか
46:55僕も選択2で市場に米の値段を一任する
46:59そうですよね
47:00どんなに幕府が風の動きを変えようとしたって
47:05相場ってのはコントロールには限界があるので
47:09できないんですね
47:10幕府が値段を決めるっていうのは
47:12ただね米の値段が高くなりすぎて
47:16みんなの心理が賛成しそうな場合だと
47:18ある程度聞く場合があります
47:20時折行き過ぎるのも相場になった時に
47:23小さな介入を行うっていうような程度に
47:26とどめるべきですね
47:27それでは吉宗の選択をご覧ください
47:32米価を上げるため
47:36大阪米市場に対し
47:38吉宗が取った選択は
47:40京法20年10月
47:47大阪に新たな町ぶれが出される
47:50大阪においては
47:53米一国につき
47:55銀42問目以上で売買が行われるべきで
48:00それ以下での買取を望むものは
48:03一国につき10問目ずつ上納すべし
48:07当時の米の値段は
48:11一国銀30問目台前半
48:14にもかかわらず
48:1642問目以下で取引してはいけないという
48:19吉宗は
48:22米の最低価格を一方的に決めることで
48:27強引に米価の上昇を図ったのだ
48:29最初のうち商人たちは
48:36またすぐに撤回するだろうと考えた
48:39だが今回は幕府は強行で
48:43最低価格を撤廃することは
48:46絶対にないと告知した
48:48幕府が米価を決めるという
48:54強い覚悟の現れだった
48:56市場介入ですよね権力のですからそういう形でしないとならないぐらい逆にもうどんどん米っていうものが市場にあふれてしまうっていうわけですね政治の役割としては私はあったんだろうと思いますけどね何もしないっていうわけにいかないししないと無策でやっぱり庶民から批判を受けますからね。
49:17だがその結果起きたのは米市場を通さない裏取引の横行だった
49:24このままではせっかく公認された米市場が形外化しかねない
49:30大阪の米商人たちは最低価格の廃止を訴え
49:38単元書を連名で提出した
49:41その内容が江戸時代の町ぶれや個人が残した記録をもとに編纂された大阪市市に掲載されている
49:50そこに込められているのは大阪商人が思う正しい市場のあり方だ
49:58自由な取引ができる大阪米市場では実物の金が必要な時には
50:07たとえ買った価格より低くとも売ることができます
50:11しかし価格が決められていては低い価格で買い取ろうというものが出てこないため
50:20米切手を売ることができなくなります
50:23勢い取引全体が減少することになるのです
50:29自由であってこそ市場は取引が成り立つ
50:37幕府が勝手に値段を決めては意味をなさなくなってしまう
50:42更に続けて書かれていたのは痛いですよね大名が困るっていうのはやっぱり幕府にとってはやっぱり自分の政治がうまくいってないっていう証拠にもなりますからね
51:04この探願書から2ヶ月後幕府は最低価格を廃止した
51:12同じ年吉宗は米価に対する政策を大きく転換する
51:20貨幣に含まれる金銀の量を減らすことで貨幣の流通量を増やしインフレを誘導したのだ
51:34海中直後は一時的に相場に混乱を起こし
51:40米の値段は一刻90門目近くまで上がってしまうが
51:46進化兵が出回るにつれ60門目前後に落ち着いていった
51:52以後幕府が大阪の米市場への直接介入を行うことはなかった
52:00米価の直接統制に失敗を繰り返した吉宗に対し
52:09町人の間でこんな風説が流れたという
52:13役人どもが世話焼くうちは米は安かった
52:19なが今年の秋構わずに放置したところ米の値段が上がった
52:26考えないことだ
52:29物の値段は天地が決めることなのだから
52:34将軍となって35年後の還元4年
52:41吉宗はこの世を去った
52:43その遺品の中からは米の相場が書き込まれた紙束が見つかったという
52:50相場を見ながら日々頭を悩ませていたのだろうか
52:56米価をコントロールしようと
53:01天地の断りに抗った吉宗らしいエピソードである
53:06吉宗の死後
53:10幕府は米の値段に問題が起きるたび
53:13米商人の代表者を大阪奉行所に呼び出すようになった
53:18妙な風雪が流れていないか
53:24値段を吊り上げようとする輩がいないか
53:27幕府と商人たちが対話しながら
53:30米価の信頼性を守っていくようになる
53:34その後
53:39貴金の時など例外はあるものの
53:42米価は幕末直前まで
53:4450から80門目の間で安定した推移を見せる
53:50米価の安定
53:54大阪・堂島米市場はその役割を果たしたのである
54:01吉宗の選択は大阪で取引される米の最低価格を幕府が決めるというものでした
54:12ただですね
54:13探案書が出され
54:15その2ヶ月後には最低価格廃止
54:17政策転換を余儀なくされるわけですけれども
54:20これ井田さんどうご覧になりました
54:21はいやはり口先介入ではダメなんですね
54:24聞かないんです
54:25このシステムというのを機能させる唯一の方法は
54:30政府自身
54:32この場合だったら幕府自身が米相場に参加することです
54:37参加する
54:38つまりは値段が下がりすぎたら幕府が買い
54:42値段が上がりすぎたら幕府が備蓄前を放出する
54:46そこに踏み込めなかった
54:48踏み込まない以上
54:49マーケットの力に抗うことってのはやっぱりできないんですね
54:54門井さんどうご覧になりました
54:56最後に吉宗が価格統制をやろうとして失敗して
55:02吉宗が一種の一代ではこれが限界だったかなというふうには
55:07思うんですが逆に言えばここまではできたと
55:11振り返ってみますと江戸幕府が始まった頃って
55:15お米の値段というのは武士の値段だったと思うんです
55:19つまり武士にとってだけ都合がいいか悪いか
55:24それだけで測るものだった
55:25ところが吉宗の頃になるともうそうではなくて
55:28もうその米下にいろんな人がぶら下がっていて
55:31もちろん武士もそうだし大名もそうだし
55:33商人もそうだし全国の農民もそうだし
55:37言ってみればその最初は武士の値段だったものが
55:41天下の値段もしくは万民の値段になった
55:44そういうターニングポイントにいる人として
55:48吉宗という人は重要だったんだなというふうに思いますね
55:51確かに吉宗が力づくで大阪の米市場を
55:55なくさなかったから育ったという見方ができるということですね
55:58あと身をもって失敗してくれたということもあると思います
56:02この失敗から学んだ
56:06その買い合ってか
56:08この後吉宗は経済政策の基本方針が大きく変わります
56:12ポイントになるのは
56:15今までどうやって米の市場を動かすかだったんですけれども
56:21米の値段って何で決まってるかって考えた時に
56:25銀の値段で決まってるって考え方もできるんですね
56:29ここから先むしろ金や銀
56:34貨幣懐中によって価格を変えていく
56:38米に直接介入するんではなくて
56:40金融政策の方で価格を動かしていくっていう考え
56:44こういったところを積み上げて変わって成長してっていうところが
56:49あっ天才じゃなくて英雄だなと
56:52吉宗がそもそも最初は受給の関係もよく分かっていないことから考えると
56:58よくまあ勉強したなというふうにも思うし
57:01僕多分吉宗はこういうの好きだったと思うんですよね
57:05ココと考えたり相場はこの多分ね数字が好きな人だと思うんですよ
57:11そういう意味では大変だったかもしれないけども好きなことをやって生涯を終えたということは言えるのかもしれません
57:28今回米の値段っていうのは現代も今も注目をまとっているところでお話始まりましたけれども
57:36最後に伊沢さんいかがでしょうか
57:38僕ね日本ってやはり米の国なので
57:41米価がコントロールできるできないって非常に政権にとっては重要で
57:47やっぱりこの後田沼政権だとか佐田信政権だとか
57:52どんどん江戸時代の政権吉宗洋の政権って
57:55米価によってやっぱりすごい左右差にする政権が壊れたりするんですよ
58:01でもねいつも思うんですけど
58:04それ一般庶民がお米の値段が上がりすぎて
58:09本当に困っているのに政治のエリートってそれに鈍い場合があるんです
58:14それでその政治のエリートが食べ物
58:18昨日までいくらで買えたものが2倍近くもなった時に鈍い場合
58:22大抵大きなしっぺ返しを民衆から受ける
58:25そりゃフランス革命だってなんだって一緒ですね
58:28まあ吉宗は米価に強く関心を持ち
58:32強く介入した最初の歴史人物だと思いますから
58:35それを見る中で思ったのは
58:37政治のエリートってなやっぱり人々の生活にどのぐらい敏感であるか
58:41特に主食の価格にどのぐらい敏感であるかってのは
58:46重要なんじゃないかというふうにしみじみ思いましたね
58:50皆さんありがとうございました
58:52スポーツヒューマン横綱豊昇龍
59:03気持ち悪せなかったけどやっぱ養殻なんだって
59:07重圧と戦った夏場所を追った
59:11世界ふれあい街歩き
59:16イタリアマテーラ
59:18美しい洞窟の街で助け合い生きる人たちに出会いました
59:24NHKBS火曜夜9時
59:27BS世界のドキュメンタリー
59:31フィリピンの歓楽街で働く女性と
59:34セックスツーリストとしてやってきた外国人男性との間に生まれた子供たち
59:39多くが支援もなく貧困に苦しむ中
59:42DNA鑑定で父親を探し出す試みが始まった
59:46子供たちの未来を変えることはできるのか
59:53NHKBS10日夜

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