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人情を捨て、人社会の常識を捨てる (2025-04-18)
Wagakokology-Jp
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2025/4/18
真の信心の邪魔になるもの、それは人情であり、人間の常識観念です。師匠大坪総一郎師は、人情では人は助からん、神情をもってしなければ人の真の助かりは得られないと教えて下さいました。また人社会の常識観念では信心の世界は推し量れません。人の常識を捨てて神様の、天地金乃神様の常識を身に着けなければ人の真の助かりになりません。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
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00:00
おしんくん
00:10
一つ
00:11
式の代わりは人の力に及ばぬことぞ
00:15
物事事節に任せよ
00:18
暑いことも寒いことも
00:21
降ることも照ることも
00:23
神様のご都合によること
00:25
人の力には及ばぬことで
00:28
神様のお心の現れとも言えます
00:31
信心は神様の心に沿うこと
00:34
起きてくる様々なことにも
00:37
これに忠実であること
00:39
それをここ愛楽では
00:42
特に成り行きを大切にと言われています
00:45
神様のお心にかなうことですから
00:48
必ずおかげになるのです
00:51
本来神様のお働きの中身は
00:55
うじこかわいいの一年です
00:57
幸運流水
01:00
任せてすがるほかなし
01:03
信心信望さえしておれば
01:06
物事整わぬことなし
01:08
成り行きを大切にとあります
01:16
その成り行きを大切にさせていただく
01:22
これは神様を大切にする
01:24
神様のお心を大切にする
01:27
ということですね
01:29
その成り行きを大切にさせていただく
01:33
ということにおいて
01:36
これは信心の稽古をすることにおいて
01:41
ということでもありましょうけれども
01:44
邪魔になる心というものがあります
01:51
そのこういう心があったのでは
01:55
なかなか本当の信心になれないとか
01:58
いうことですね
02:02
そのまま
02:06
画像であったり
02:07
画欲であったり
02:09
というものが
02:10
やはりこれは
02:11
信心の邪魔になるというよりか
02:14
もちろん邪魔になりますけれども
02:16
それ以上に
02:17
人が助かるということの上においても
02:20
邪魔なもの
02:22
それは画像であり
02:24
画欲でありましょうね
02:26
わがままの心とでも言うのでしょうかね
02:29
さらに
02:34
師匠大坪総一郎氏が教えてくださる
02:39
愛楽に説くところ
02:41
忍情というのもやはり
02:45
邪魔な心ですね
02:47
よく師匠は
02:51
忍情では人は助からん
02:54
とおっしゃっておられました
02:56
一見
02:58
忍情があると
02:59
あの人は情が厚い人だ
03:02
忍情が厚い人だ
03:03
と言って
03:04
その
03:04
忍情でもって
03:07
人を助けようとする
03:08
かわいそうだな
03:11
と思う
03:13
そして
03:13
忍情をかける
03:15
ということがありますね
03:18
一見
03:20
一見
03:20
忍情があって
03:22
そうすると
03:24
忍徳というのでしょうか
03:26
その
03:27
忍情がかけられる
03:30
そしてかけてもらう
03:32
その人も
03:33
やっぱり
03:34
嬉しいわけですから
03:36
情をかけられると
03:38
何か
03:39
ひさわしいような
03:40
気もしてくる
03:42
そして
03:43
いかにも
03:44
忍情というのは
03:46
まあ
03:47
いいような感じも
03:48
いたしますね
03:49
ところが
03:52
まあある
03:53
人は
03:56
情に
03:57
差をさせば
03:57
流される
03:58
ですか
03:59
と
04:00
書いた方が
04:03
おられましたね
04:04
私はまた
04:07
ある修行に
04:09
入る前に
04:10
忍情
04:11
神風船
04:12
と何か
04:12
いただいたことが
04:13
あります
04:14
今でも
04:15
よくは
04:16
わからないのですが
04:17
あまり
04:17
いい響きでは
04:19
ありませんでしたね
04:20
ですから
04:21
私どもが
04:22
信心の稽古を
04:24
させていただく
04:25
まあ
04:25
誠の信心の稽古
04:27
という
04:28
上においては
04:30
忍情は
04:31
邪魔になる
04:33
のですね
04:34
忍情が
04:35
あったのでは
04:36
本当の人の
04:37
助かりには
04:38
ならない
04:38
それこそ
04:40
人を助ける
04:41
と言っても
04:42
あの人が
04:43
まあ
04:43
かわいそうだ
04:44
という心は
04:45
ありがたい
04:45
ものですけれども
04:46
その
04:48
忍情を
04:49
持って
04:49
人を
04:50
助けよう
04:51
ということは
04:52
本当の
04:53
助かりには
04:54
ならない
04:54
例えば
04:57
忍情を
04:59
持って
04:59
するというのは
05:00
子どもを
05:01
甘やかす
05:02
ようなもの
05:03
にも
05:03
なりかねません
05:04
からね
05:05
神様が
05:07
せっかく
05:07
その人に
05:08
修行を
05:09
与えて
05:09
鍛えようとして
05:10
くださって
05:11
いるのに
05:12
ついつい
05:13
こちらが
05:14
忍情を
05:14
出して
05:15
まあ
05:15
手伝ったり
05:16
してしまう
05:17
そうすると
05:18
神様の
05:19
お働きを
05:20
邪魔を
05:21
して
05:21
しまうわけ
05:22
です
05:23
ですから
05:24
まあ
05:25
人が
05:26
人に
05:27
情を
05:27
かける
05:28
そういう
05:29
忍情は
05:30
なくして
05:32
いかねば
05:32
ならない
05:33
それが
05:34
誠の
05:34
人の
05:35
助かりを
05:36
祈ることに
05:37
おいては
05:38
ですね
05:39
ただ
05:41
人と
05:41
人とが
05:42
仲良くしましょう
05:43
ということで
05:43
あれば
05:44
人情も
05:45
良いのかもしれません
05:46
けれども
05:47
ただ
05:47
人と人が
05:48
仲良くしましょう
05:49
では
05:49
人の
05:51
真実の
05:51
助かりには
05:52
なりませんからね
05:54
同病
05:56
愛
05:56
憐れむ
05:57
ですか
05:57
といったような
05:59
同情を
05:59
し合う
06:00
といったようなことでは
06:01
本当の
06:02
助かりには
06:03
なりません
06:04
やはり
06:06
本当の
06:06
助かりは
06:07
神様
06:08
の
06:09
お働きを
06:11
従前に
06:11
受けて
06:12
受け抜く
06:13
ところに
06:13
助かりが
06:14
得られる
06:15
それは
06:16
もちろん
06:17
その人の
06:17
心が
06:18
育つということの
06:19
上においても
06:19
そうですね
06:20
認知を
06:22
かけて
06:23
途中で
06:24
神様の
06:25
お働きを
06:26
邪悟したのでは
06:27
本当は
06:29
助からないことになって
06:30
しまう
06:32
ということが
06:33
ありますね
06:34
と
06:36
もう一つも
06:37
ありますのは
06:38
常識観念ですね
06:40
私どもの
06:42
常識観念
06:43
観念が
06:44
信心の
06:46
進む
06:47
というのでしょうか
06:48
信心を
06:49
深める
06:50
というのでしょうか
06:51
その信心を
06:53
深める
06:53
ということに
06:55
おいて
06:56
邪魔を
06:57
してしまう
06:58
信心を
06:59
深める
07:00
というのは
07:00
神様の
07:01
お心を
07:02
より深く
07:03
分かる
07:03
ということでも
07:04
ありましょう
07:05
けれども
07:05
そのことの
07:07
邪魔を
07:08
してしまう
07:08
それは
07:09
いわゆる
07:11
常識観念
07:12
だと
07:13
神様が
07:17
私どもを
07:19
ご協同して
07:20
くださろうと
07:20
される
07:21
その
07:21
まず第一に
07:23
手始めに
07:24
されることは
07:25
私どもの
07:26
常識観念を
07:27
外す
07:28
ことを
07:30
教えてください
07:32
というのが
07:33
常識観念を
07:34
外すように
07:35
導かれますね
07:37
まあ
07:39
この私どもの
07:41
常識観念
07:42
というのは
07:43
一つには
07:44
人情にも
07:45
つながるものか
07:46
もしれません
07:46
常識観念から
07:49
言うと
07:49
人情を
07:50
かけるということは
07:51
よいことでも
07:52
ありましょうからね
07:53
その
07:55
いわゆる
07:57
人間同士の
07:59
常識観念
08:01
人間同士の
08:03
間で
08:04
通用している
08:05
常識観念
08:06
それを
08:07
まず
08:07
外さなければ
08:08
ならない
08:09
そして
08:10
人間の
08:11
常識ではない
08:12
神様の
08:14
常識
08:15
を
08:16
いただいていく
08:17
傾向を
08:18
しなければ
08:19
ならない
08:19
わけです
08:20
そうですね
08:25
師匠
08:26
なども
08:27
やはり
08:28
その
08:29
初めの頃は
08:30
書き物
08:32
ですか
08:32
いわゆる
08:34
人が書いたもの
08:35
人間世界に
08:37
おいて書かれたもの
08:38
それを
08:39
読んでは
08:40
ならない
08:40
と
08:42
神様から
08:42
応接
08:43
買ったと
08:44
おっしゃって
08:45
おられましたね
08:46
それはもちろん
08:48
新聞や
08:49
新聞や
08:49
週刊誌や
08:50
そういうものを
08:51
読んでは
08:51
ならない
08:52
ということでも
08:54
あったそうですし
08:56
さらにそれが
08:57
昔は
08:58
今はあまり
08:59
見ませんけれども
09:00
昔は
09:01
その
09:01
襖が
09:02
よく
09:03
立っていましたね
09:04
家の
09:05
敷地にですね
09:06
その
09:07
襖の
09:08
が
09:09
破れたところに
09:11
新聞紙とか
09:12
その
09:13
を
09:14
貼っていました
09:16
子供が
09:17
いたずらをしたり
09:19
して
09:19
破れたところに
09:22
襖を
09:22
貼り替えると
09:23
大変お金が
09:24
かかるから
09:25
その
09:25
破れた部分に
09:27
新聞紙を
09:28
切り抜いて
09:28
貼って
09:29
あったり
09:29
雑誌を
09:32
切り抜いて
09:32
貼って
09:32
あったり
09:33
してたわけですね
09:34
まあ
09:35
その
09:37
あまり
09:38
裕福ではない
09:39
家というのか
09:39
もしれませんが
09:40
そういうもの
09:43
その
09:44
襖に貼ってある
09:46
新聞の
09:48
なってみましょうかね
09:50
切り端というのでしょうか
09:52
そういう
09:53
記事ですら
09:54
読むな
09:55
と
09:56
神様が
09:57
仰せられた
09:58
と
09:59
師匠は
10:00
おっしゃって
10:00
ありました
10:01
まあ
10:02
一切
10:03
いわゆる
10:05
人間の世界における
10:07
常識
10:07
の
10:08
世界から
10:09
まあ
10:10
一つ
10:11
確実する
10:12
必要が
10:13
あるわけですね
10:14
ですから
10:16
私どもが
10:18
修行に
10:19
入らせて
10:19
いただいた
10:20
時には
10:21
もう
10:22
ほとんど
10:23
新聞雑誌と
10:24
いったような
10:25
ものは
10:25
もう
10:27
何年も
10:27
読みませんでしたね
10:29
そういう
10:30
いわゆる
10:31
ある意味
10:33
それは
10:33
雑な
10:35
ものが
10:36
頭の中に
10:38
入ってくる
10:38
その
10:39
雑な
10:40
ものが
10:40
入ってきた
10:41
ものを
10:41
ついつい
10:42
考えてしまう
10:44
ということかもしれません
10:46
まあ
10:47
いずれにしろ
10:49
教会
10:49
修行中は
10:50
ものを
10:53
読まない
10:53
という
10:54
なんと
10:56
言いましょうかね
10:56
そういう
10:57
習慣が
10:58
ついてしまった
10:59
ように
10:59
思いますね
11:00
まあ
11:01
もちろん
11:02
必要なものは
11:03
読ませて
11:03
いただきますけれども
11:04
どうでもよいものであったり
11:07
興味のあるものというのでしょうか
11:10
ただ
11:10
その
11:11
興味本位なもの
11:12
それこそ
11:14
新聞であったり
11:15
雑誌であったり
11:16
週刊誌であったり
11:18
といったようなものは
11:19
もう
11:20
読まなくなりましたね
11:22
ただ
11:22
神様が
11:24
教えてくださるもの
11:25
あ
11:26
この記事は
11:27
読めと言われるのだな
11:29
あ
11:29
これは
11:30
知っておけよと
11:31
神様が
11:32
おっしゃっておられるのだな
11:33
というような
11:35
内行きの上において
11:36
神様が
11:38
与えられるもの
11:40
それには
11:41
目を通しますけれども
11:43
こちらから
11:44
望んで
11:45
今
11:46
世間はどうなっているのだろうかとか
11:48
新聞記事を見たりとか
11:52
週刊誌を見たりとか
11:54
そういうことは
11:56
一切
11:56
なくなりましたね
11:58
もちろん
11:59
何かの本を読むというようなことも
12:02
めっきり少なくなったように
12:03
思います
12:04
ただ
12:05
お道の
12:06
本
12:07
があるものは
12:09
やはり
12:10
与えられたものは
12:12
読ませていただきますけれども
12:14
こちらから
12:15
求めて
12:16
読もうということは
12:17
あまりしなくなりましたね
12:19
それは
12:20
一重に
12:21
神様が
12:22
与えてくださるもの
12:24
それ以外は
12:26
いただかない
12:27
という姿勢の
12:29
一つでも
12:30
あろうと思います
12:31
その
12:33
常識なども
12:36
そうです
12:36
師匠は
12:38
よく
12:39
小法
12:39
中法
12:40
大法
12:41
というようなことも
12:43
おっしゃっておられました
12:44
まあ
12:45
人間社会での
12:46
法律というものが
12:48
小法というものでしょうか
12:49
これが
12:51
中法があり
12:52
また大法
12:52
という
12:53
神様の世界で
12:55
通用する
12:55
法律というものも
12:57
あると
12:57
人間社会では
13:01
ダメだと
13:02
言われて
13:03
おるものでも
13:04
神様の世界では
13:06
良いと
13:06
言われることも
13:07
あると
13:08
それは
13:09
新人が
13:10
進めば
13:11
そういう世界も
13:12
あるのだと
13:13
例えば
13:14
人間の世界でも
13:16
そうだけれども
13:17
今は
13:18
18でしょうか
13:19
20歳でしょうか
13:20
分かりませんが
13:21
日本では
13:23
お酒が
13:23
やはり
13:24
成人にならないと
13:26
ダメだという
13:28
法律がありますね
13:29
アメリカでは
13:31
これは
13:31
21歳です
13:33
21歳未満は
13:35
お酒とかは
13:36
ダメですね
13:37
その国によっても
13:40
違うのでしょうけれども
13:41
そういう風に
13:44
許されない世界
13:46
許される世界
13:48
これもまた
13:49
常識によって
13:51
決まっている
13:52
わけでしょうけれども
13:53
これが
13:55
神様の世界にも
13:57
やはり
13:57
神様の世界の
13:59
常識観念というものが
14:01
あるには
14:02
あるのだけれども
14:03
それは
14:04
人間が
14:05
考えている
14:06
常識観念とは
14:08
全く
14:08
違うものだと
14:10
いうことなのです
14:12
泥棒をする
14:15
人間社会では
14:16
許されない
14:17
けれども
14:19
神様の世界で言うと
14:21
それは少しまた
14:22
ニュアンスが
14:23
違ってきますね
14:25
全ては
14:28
人間のものだ
14:29
私のものだ
14:30
と思っているから
14:32
泥棒が
14:34
泥棒になるわけですけれども
14:36
それが
14:38
私のものではない
14:39
神様の
14:40
恩物だ
14:41
全ては
14:42
神様の
14:43
恩物だ
14:44
土地にしろ
14:45
家にしろ
14:46
私のもの
14:47
人間のもの
14:48
というものはない
14:48
大いなる
14:52
人間の
14:52
勘違いでも
14:53
あるわけですよね
14:54
その常識観念には
14:57
人間の
14:58
大いなる
14:58
勘違いが
14:59
含まれますからね
15:00
家土地
15:02
財産
15:03
人間のもの
15:05
と言えるものは
15:06
本当は
15:07
何一つ
15:08
ないわけですから
15:09
土地でも
15:11
この土地は
15:11
私の土地だ
15:12
と言っているけれども
15:13
天地に
15:16
比べたとき
15:18
私の土地というものは
15:19
ありませんからね
15:21
人間がただ
15:22
そう主張しているだけであって
15:24
神様の目から
15:26
ご覧になれば
15:28
まあ
15:29
少子千万ということでは
15:31
ないでしょうかね
15:32
というように
15:34
人間の常識と
15:36
神様の常識とは
15:38
明らかに
15:39
違うものがあると
15:40
ですから
15:41
本当の
15:42
信心をさせていただくためには
15:44
まずは
15:45
人間の常識観念を
15:47
捨て去らなければならない
15:48
そして
15:50
神様の
15:52
常識観念というのでしょうかね
15:55
それを
15:56
まあ
15:57
身につけていかねばならない
15:58
ということになるのですね
16:02
とにかく
16:04
人間の
16:05
人情であったり
16:07
常識観念というものは
16:09
本当の
16:10
信心を進めていく上においては
16:13
邪魔になるものだ
16:15
取り外して
16:16
いかねばならない
16:17
ということなのですね
16:20
どうぞよろしく
16:22
お願いいたします
16:24
ありがとうございます
16:40
ご視聴ありがとうございました
16:48
ようで泊忙やすきがいいんだよ
16:53
いただいて終わり、
17:02
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