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教育トランスクリプション
00:00:00戦後80年、カメラが記録し続けてきた映像から、明日への希望を探ります。
00:00:17そして今から80年前、戦後の焼け野原から復興を目指した時代。
00:00:42がむしゃらに働き、豊かさを求めてきた時代。
00:00:59バブルの崩壊、その後の失われた30年。
00:01:03社員は悪くあるなぜんか自分が割れちゃうよ自分が暮らしを揺るがす未曾有の災害にも直面しました
00:01:15泣きたい時には泣きながら、今を生きていきたいです。
00:01:22いくつもの壁にぶつかりながら人々は何を大切にしてきたのかそして明日への希望とは?
00:01:31今夜のクローズアップ現代はこちらのお三方と戦後80年を振り返っていきます。
00:02:15これを見ますと青の良くなっていく、赤の悪くなっていくが時代ごとで大きく変化しているんですよね。
00:02:24茂松さん、20年前の戦後60年を振り返る番組にもご出演いただきましたけれども、この80年の変化って改めてこうやってご覧になってどうでしょうか。
00:02:34その2005年を扱った回のサブタイトルが混迷の時代。
00:02:41それでもね、グラフ見てると全然変わってないじゃないですか。
00:02:47ということはね、2005年はまだまだ混迷の始まりだったんじゃないか。そういう気がしてます。
00:02:55三宅さんは1994年生まれで、ちょうどこの辺りにお生まれということですね。ちょうど入れ替わってますね。
00:03:04もう悪くなっていってしかいかないっていう生まれてこの方って感じなんですけど、まあでも本当にこうなっていくと、皆さんの本当意識が全然変わっていった時代なんだなと思いますし、ちょうど自分が生まれた頃っていうのはインターネットとかが出てきて、まさに今のデバイスの環境の始まりだったっていう時代でもあるので、ちょっとそこも面白いなって思いました。
00:03:24この良くなっていくという言葉ですけれども、将来に対して希望を持っているとも言い表せると思います。
00:03:33源田さんはまさに希望を書くというものを20年前に提唱して研究してこられました。あの希望って一言で言っても、この時代ごとでやっぱり見えてくるものってありそうですね。
00:03:45そうですね。やっぱりこれだけ激動の変化が80年間にあったわけで、それぞれが時代の中でいろんな希望を追い求めてきたんじゃないですかね。
00:03:54人々がどう明日への希望を生み出そうとしてきたのか、まず見ていくのは戦後ゼロ年、終戦から復興を目指した時代です。
00:04:061945年8月、太平洋戦争が終戦を迎えました。
00:04:15絶望の中、焼け野原から始まった戦後の歩み。
00:04:29海外からの引き上げが始まる中、家族を探す人たちが多くいました。
00:04:38当時のラジオ放送の音声です。
00:04:44古兵第1763部隊11中隊におられた田中さん。
00:04:51お名前は分かりませんが、秋田県出身の方で田中さん。
00:04:56または田中さんをご存知の方は、日本放送協会の尋ね人の係でご連絡ください。
00:05:03この頃、人々が直面していたのは食糧なんです。
00:05:11当時の食糧事情は戦時中より悪かったとも言われています。
00:05:17そして、ご飯の代わりに雑草を食べています。
00:05:30何かと子供をぎっぱり育てていきたいと思います。
00:05:36餌に悩む豚、牛、鶏などが人間に呼びかけました。
00:05:46食糧価格はインフレで日に日に高騰。
00:05:50人々の怒りが爆発します。
00:05:55混乱を抑えるため、ラジオを通して天皇自ら国民に呼びかけるほどでした。
00:06:03その後、日本は本格的な復興へ歩み始めます。
00:06:12その後、日本は本格的な復興へ歩み始めます。
00:06:30きっかけの一つが、1950年に勃発した朝鮮戦争。
00:06:39日本で作った軍事物資をアメリカなどが大量に購入。
00:06:45特殊景気で人々の暮らしに余裕が生まれ始めます。
00:06:52東洋市を誇るキャバレーメトロで、銀噴賞も出て豪華な年越しです。
00:07:01ここは板橋の養老院。
00:07:04今日はストリップショーの一座が異門に来ました。
00:07:07年寄りたちも時代の変わりように、ただ呆然。
00:07:13ただ、人々の明日への不安は拭えませんでした。
00:07:20当時の世論調査で、今後の生活が良くなると答えた人は10%止まり。
00:07:26逆に悪くなると答えた人は、40%を超えていました。
00:07:37明るい話題を求め、人々が集まったのは、街灯に設置されたテレビの前。
00:07:50新橋駅の前に設置された街灯テレビには、2万人が押しかけました。
00:07:56焼け野原だった東京の復興の象徴となったのが、東京タワー。
00:08:08当時の技術の推移を集めて作られました。
00:08:11復興著しい都市部では、労働者の需要が高まり、地方の若者が集団就職で東京にやってきます。
00:08:25しかし、後に金の卵と呼ばれる彼らを待っていたのは、賃金が低く、成り手の少ない仕事でした。
00:08:37自分が体が持たないですよ。
00:08:39家の中断就職する人に、何か言いたいことはないですか?自分の経験から。
00:08:50僕はあまり良いことはやらないから、あまり言うことはないです。
00:08:52当時、若者たちはどう希望を見出そうとしていたのか
00:09:04若い根っこのかい心情
00:09:10一つ、私たちは互いに苦しみに打ち勝ち
00:09:15根っこのようなたくましさを持って生き抜こう
00:09:221959年に結成された若い根っこの会です
00:09:28集団就職の若者が共に遊び励まし合うこの場所には
00:09:33毎週数百人が集いました
00:09:38若い根っこは声張り上げて歌います
00:09:41根っこ根っこ 掘りきた根っこは土の中
00:09:49あ、これだ
00:09:52逃げ合ってきた
00:09:56当時、この会に参加していた鈴木裕和さん
00:10:02長野県から上京し、大工の見習いとして働いていました
00:10:08あの当時で最初もらったのが500円でね
00:10:13休みなんかはもう月に2回、2回ないし1回ですよ
00:10:21うん、知らないと1人じゃ
00:10:22これ難しいと思うよ
00:10:25うん、そこで愚痴言ってすっきりしたと
00:10:28じゃあまた新たに頑張ろうと
00:10:31鈴木さんの結婚が決まった時
00:10:37会の仲間たちがお金を出し合い祝ってくれました
00:10:41根っこの会で同じ仲間とをやっているのが
00:10:51今は考えると一つの盾になって
00:10:56ここまで来たんじゃないかなと思うけどね
00:10:58うん
00:10:59根っこの会ができた翌年
00:11:04時の池田首相は所得倍増を宣言
00:11:08結局経済の拡大発展です
00:11:1210年経ったら2倍以上と
00:11:20日本は高度経済成長期を歩んでいきます
00:11:23テレビ、洗濯機、冷蔵庫
00:11:31いわゆる三種の神器が登場
00:11:34目に見えて暮らしに豊かさが増していきました
00:11:38戦後20年に行われた世論調査で
00:11:44今後の生活が良くなっていくと答えた人は
00:11:4850%以上
00:11:4910年で5倍に増加しました
00:11:52この時代は東京タワーが建設されたり
00:12:00日本初の開催となった東京オリンピックも行われたりして
00:12:04このデータで見ても人々の希望が
00:12:07グーッと高まっていくという時代でしたけれども
00:12:10源田さんはここをどういうふうに分析されるのか
00:12:13いやーこれなんとなくあれですね
00:12:14希望のなんか匂いがしますよね
00:12:16匂い
00:12:17なんかこう希望ってやっぱり可能性っていうものと
00:12:20ものすごく関わっているものですから
00:12:22なんかいろんなことができるようになったら
00:12:24まだもっとできるかもしれない
00:12:26それを社会全体では高度成長って言ったんですけど
00:12:29なんかこう匂いが
00:12:30匂い立つような感じしますよね
00:12:33そうですか
00:12:34茂松さんは1963年のお生まれで
00:12:38匂いというものを赤ちゃんは感じることできないですかね
00:12:42僕自身はね
00:12:43もちろんまだ赤ん坊だったんだけども
00:12:47写真ね
00:12:48あの当時の写真なんかで匂いがあるんですよ
00:12:51うわーこれは
00:12:52可愛い
00:12:53可愛いですね
00:12:54変わらないね
00:12:55あのこれあれですよね
00:12:56あのシェーってやつね
00:12:57シェーはいはい
00:12:58あのイヤミの
00:13:00あのおそ松くん
00:13:00そうおそ松くんのね
00:13:01あのうちの親父はね
00:13:03運送会社にいて
00:13:05あのさっき新幹線もあったけども
00:13:08ちょうどあの時代って
00:13:09あのトラックもいっぱいこう増えてきた
00:13:12あのモータリゼーションの時代で
00:13:14でねうちの親父もね
00:13:16高速道路なんかが開通すると
00:13:19その町に行って新しい営業所で働きっていうのでね
00:13:23岡山大阪名古屋っていう風にね
00:13:25こういっぱい転勤して
00:13:27そうですか
00:13:28でね生活は楽ではなかったと思うんだけども
00:13:31そのさっきのね写真みたいな
00:13:33それからねうちには
00:13:35あの石原雄二郎さんのね
00:13:37あのレコードがあったりしたの覚えてるんですよ
00:13:39そうですか
00:13:40だから本当にヒーローがいた時代
00:13:43あるのかもしれない
00:13:44なるほどね
00:13:46三宅さんはこの時代の書籍なんかも分析されてますか
00:13:50はい自分の書籍で書いたんですけど
00:13:51人生雑誌っていうものが
00:13:54結構この時代は本当に若者の居場所になっていて
00:13:56雑誌の投稿欄で
00:13:58例えば自分がこうやってつらいことがあったとか
00:14:01あとこういう勉強したいけど
00:14:03なかなか勉強するような場所が見つからないって思いを
00:14:06雑誌の投稿欄で本当にトロし合うっていう文化があって
00:14:09なかなかやっぱりこう今も昔も若い人はやっぱり生きづらいし
00:14:14就職して孤独でつらいっていうのは
00:14:17あんまり時代によって変わらないのかなと思ったりしますね
00:14:20やっぱりね寂しさとかそういうものってね
00:14:24時代を超えたものってあると思うんですよ
00:14:28やっぱり人と人のつながりが欲しいとかね
00:14:32特にやっぱり若者で上京してって言うんだったら
00:14:36余計にあると思います
00:14:37根っこの回路が出てきたりね
00:14:39さっきの金の卵ってありましたけど
00:14:41安い労働力って使われた面もあるかもしれないし
00:14:45もっと正直言えば田舎で食べさせていけないから
00:14:48もう出ていくしかないっていう面もあったり
00:14:50ただいいこと何もないっておっしゃったけれども
00:14:53一方ではあの中では食いしばって
00:14:55一国一条のあるうちになって
00:14:57いろんな人と巻き込んで関係を持って
00:14:59それで今の日本経済厳しいけれども
00:15:02日本経済をここまでやってきたっていうのは
00:15:04まさにああいう世代の方々の努力が
00:15:07今の日本を作っているっていうことも
00:15:08間違いないことですよね
00:15:09さあこうして高度経済成長期を歩む日本は
00:15:14繁栄の時代へと突き進んでいきます
00:15:17多くの人が豊かさを実感し始めた1970年代
00:15:25日本中の注目を集める催しが開かれます
00:15:29こんにちは
00:15:32こんにちは
00:15:336400万人が訪れた大阪万博です
00:15:39話題を呼んだのは宇宙船ソユーズを展示したソ連館
00:15:47そして月の石を展示したアメリカ館
00:15:53日本中から人が殺到しました
00:15:56いくつかのパビリオンで
00:16:03むき出しの展示物は
00:16:04しばしば見物客の手で傷がつく
00:16:07しかしありがたそうな像の前で
00:16:10人々は争って再選をあげる
00:16:13この万博に
00:16:19未来への希望を感じたという人がいます
00:16:22当時小学生だった藤井秀夫さん
00:16:26会場に何度も足を運びました
00:16:30やっぱりタイの音を強調したくて
00:16:36ピンマチ風にちょっとアレンジさせていただいてます
00:16:38小学生の頃の感動が忘れられず
00:16:45当時の会場跡地に作られた記念館に
00:16:48今も足しげく通っています
00:16:51当時藤井さんを引きつけたのは
00:16:55日本のパビリオンで展示された近未来の技術
00:16:59ワイヤレステレフォンや
00:17:05リニアモーターカー
00:17:09そして人間洗濯機など
00:17:14未来の暮らしを予感させる展示に
00:17:17心を奪われました
00:17:18将来こんな風に変わっていくんやったら
00:17:27どんな生活になるのかなとかね
00:17:29もっと将来楽しい生活になるんだというような
00:17:34そういうようなワクワク感
00:17:35その後藤井さんは未来の暮らし作りを担いたいと家電メーカーに就職
00:17:43がむしゃらに働きました
00:17:48楽しかったですね
00:17:49もっともっとやらないといけないなという
00:17:52もう本当に御前様でお仕事して会った時もあったし
00:17:55そうですね
00:17:56はい
00:17:56猛烈社員
00:18:02そんな言葉が話題になったのもこの時代でした
00:18:06当時の新入社員の研修を追った番組です
00:18:15平均年齢22歳
00:18:23戦後生まれの新入社員たち
00:18:264月の伊須川の水はまだ冷たい
00:18:30彼らはまだ自分がどんな職場に配属されるのか知らない
00:18:37悪ことなく利潤を追求する現代の企業は
00:18:44サラリーマンたちの心にまで踏み込んで
00:18:47企業の目的にかなった人間を作り上げようとしているので
00:18:52万博の年
00:18:56年間の労働時間は2200時間以上
00:18:59その後も2000時間以上で推移していきます
00:19:04当時東京など都会で暮らす人には悩みの種がありました
00:19:12それは住宅事情
00:19:154畳半で一家が暮らす
00:19:22そうした光景も珍しくありませんでした
00:19:26そこで注目されたのが
00:19:32郊外に広がる農村地帯
00:19:34東京の西に位置する多摩丘陵もその一つでした
00:19:40市場最大規模のニュータウン計画
00:19:511971年入居が始まりました
00:19:55それぞれの夢や希望を持ち込んで
00:20:03人々はこの街に新しい息吹を与える
00:20:06社宅住まいから待望のマイホームへ
00:20:12この一家の生活はニュータウンの歩みとともに変わっていくだろう
00:20:18その頃ニュータウンに引っ越してきた寺田美恵子さんです
00:20:27新婚だった寺田さんの憧れが詰まっていました
00:20:36ニュータウンに引っ越した翌年
00:20:57長男が誕生
00:20:5830歳でした
00:21:00夫は外で忙しく働く中で
00:21:05寺田さんは当時勤めていた国立大学の図書館師匠を辞めることになりました
00:21:113歳までは親が見るものでしょう
00:21:17それも母親が見るものでしょうという空気感ですね
00:21:22子供はかわいいですよ
00:21:24かわいい
00:21:25それに嘘はないんだけれど
00:21:29人間ってそれだけで充足感があるかというと
00:21:32そんなことはなくて
00:21:34仕事としては充実感感じていた時期でもあるので
00:21:39そんな中
00:21:43寺田さんが地域の母親たちと一緒に情熱を傾けた活動がありました
00:21:49図書館や児童館など文化施設がなかったニュータウン
00:21:59子供たちのために家庭から持ち寄った本を貸し出す文庫活動を始めたのです
00:22:05読み聞かせや様々なイベントも行い
00:22:11子供たちが連日押し寄せました
00:22:14子供たちの学びと同時にお母さんたちの学びの場で
00:22:22むしろ子供たちより親の方が学んだかも
00:22:27そのかけがえのない時間
00:22:30値打ち
00:22:32そういうものに気づかせてもらったのが地域
00:22:36自分たちの世界を作る活躍の場が与えられて
00:22:42本当にありがたかったですね
00:22:44自分の支えにもなりましたし
00:22:46この時代を重松さんまさに10代20代で過ごされたと
00:22:54この空気感ってどうでしたか
00:22:56今のVTRもそうだったんだけど
00:22:59子供たちとか若い人たちの存在感が結構あったんだろうなと思うんですよ
00:23:06存在感
00:23:07漫画雑誌がたくさんあって
00:23:09テレビも子供向けの番組がたくさんあった
00:23:13おそらくベビーブームの世代が若者になってきて
00:23:21大人になってきて
00:23:22それから若いお父さんとお母さんになってきてっていうね
00:23:26日本全体が若かった
00:23:29その象徴がニュータウンのニューっていう言葉ね
00:23:33新しいってものがすごくあったような気がしますね
00:23:37そうですか
00:23:37ただこの頃人々の今後の生活の見通しを見てみますと
00:23:43大きく変化しているんですよね
00:23:461965年に2人に1人が良くなっていくというふうに回答していたんですけれども
00:23:53そこから20年後
00:23:551985年には24%と半減しているんですよね
00:24:00これ、源田さんどういうふうに見たらいいでしょう
00:24:02この20年間どう表現すればいいかなかなか難しいと思うんですけど
00:24:06やっぱり一つ大きな物語があった時代だったと思うんですよね
00:24:11東京オリンピックをはじめ万博もあって大きな物語に邁進するっていうことで
00:24:17みんな自分たちでもできるんだっていうことを自信を持った
00:24:20その反面にその歪みっていうのもやっぱり生まれた20年間で
00:24:25公害の問題とか交通事故の問題とか明るいことだけじゃなくて
00:24:30やっぱりそこには必ず影の部分があるから
00:24:32そこに向き合い始めていくと必ずしも良くなっていくっていうことだけで
00:24:36信じるっていうことに対する疑問みたいなことも生まれた20年だったんじゃないかなと思いますけど
00:24:42どうなんですかね
00:24:43それ僕ね、大きな祭りが終わった後
00:24:47なるほど
00:24:48大きな祭りが終わった後の
00:24:50ある種のね、その虚脱感とか
00:24:55さあこれからどうしようみたいな感じのね
00:24:58それを思うとやっぱりあまりにもね
00:25:0060年代、70年代の頭のね
00:25:04オリンピックと万博っていう大きな祭りが
00:25:08その存在感がね、大きすぎたかもしれない
00:25:12ちょうどその頃に
00:25:13ノストラダムスの大予言とかね
00:25:16宇宙戦艦ヤマトとか
00:25:18地球が滅亡する物語っていうのも
00:25:22ずっと普通にあったわけですよ
00:25:24そうなんですよね
00:25:25この時ね、すごくだからね、21世紀がバラ色の未来なのか、灰色なのかっていうのをね、両方、持っていたような気がします。
00:25:37そうですか、このころですね、もう一つ大きな変化がありました、今出てきましたけれども、同じようなものと答える割合が急増するんですね、85年には55%に上りました。
00:25:53この急増って、源田さん、どう見たらいいですか?
00:25:56いや、一つ思ったのは、さっきの大きな祭りっていうか、ある種の豊かさを実現したものを、同じように守っていきたいっていう気持ちと、良くなっていく、悪くなっていく、どっちとも、あっ、同じようだったらいいなっていう、なんかそう、なんかこう、同じであってほしいというのと、よく分からないっていう気持ちが、なんかこう、同じようなものであるのかな、みたいな雰囲気を表しているのかなと思いましたけど、どうなんですか?
00:26:23いや、でもなんか戦後復興はちょっと落ち着いてきて、もうこれ以上何か変わることなんてないんじゃないかっていう感覚も強くなってそうですよね。
00:27:31仕事休んで、まあ、こう、主婦みたいなことをする場面が出てくるんですけど、そこでもちょっとなんか、こう、罪悪感抱えているっていうシーンが、ねじ巻きドリクロニクルって作品の中に出てきて、やっぱりこの時代ってこう、ある意味、男性は猛烈に仕事をして、女性はちゃんと子育てしてっていう役割意識が、まあ、すごいしっかりしてたんだなって思います。
00:28:22世界中に核戦争への危機感が広まります。
00:28:52職場の仲間に反覚の思いを伝えてください。
00:28:57世界で唯一の戦争被爆国の日本では、反覚運動が盛り上がりを見せます。
00:29:04被爆地、広島では、核兵器廃絶を訴える集会に20万人が参加。
00:29:19国連では、山口千二さんが被爆者として初めての演説を行いました。
00:29:24この頃放送された、核戦争の恐怖を伝える番組。
00:29:48アメリカ、ソビエト、両国が現在持っている核兵器は、およそ5万発。
00:29:56全面核戦争で使われたら、人類と地球はどんな運命に見舞われるだろうか。
00:30:02気づき上げてきた今の暮らしを失いたくない。
00:30:20そうした思いから、全国で平和をテーマにした資料館の快感が相次ぎます。
00:30:26沖縄では、姫百合平和記念資料館が開館しました。
00:30:40尽力したのは、姫百合学徒隊だった女性たち。
00:30:45戦時中、負傷兵の看護に動員され、136人の仲間が命を落としました。
00:30:56生き残った当事者たちが、自ら資料を集め、体験を語り始めたのです。
00:31:05お話しするのが辛くてですね、最初のことは、自分は姫百合部隊の生き残りだということすらね、伏せてあったんです。
00:31:15私たちも歳をとっていきます。
00:31:17その中で、私が生きている間に何を残していくかということを、最近考えるようになりまして、
00:31:24絶対にあの体験をみんなに語り継いで、分かってくださらなくても根気強く語り継いでいこうと、語っていこうと。
00:31:34開館から36年、資料館を訪ねました。
00:31:49設立に関わった当事者の多くは、すでに亡くなりましたが、残された証言や展示に、今も年間40万人以上が触れています。
00:32:07亡くなった人たちの慰霊がずらーって並んでいるのを見ると、これだけ多くの命が一瞬にして失われてしまった。
00:32:21歴史の重要とは違って、実際に来て、結構心が締め付けられる。
00:32:27姫売り隊がやっぱり学生であるっていうのが結構大きくて、ウクライナとかガザとかでも、こういう同じことが起こっているんだって思うと、やっぱり関心は湧きますし、変えていかなきゃいけないっていうのは強く思います。
00:32:44実は、今年、資料館では思いもよらない事態に見舞われました。
00:32:495月に行われたシンポジウムで、登壇した西田参議院議員は、資料館の展示について、こう語りました。
00:33:01日本軍がどんどん入ってきて、姫売りの隊が死ぬことになっちゃう。
00:33:11そして、アメリカが入ってきて、沖縄は解放された。
00:33:16そういう文学で書いてあるんじゃないですか、あそこは。
00:33:20だから、歴史を書き換えられると、こういうことになっちゃうわけですね。
00:33:24この発言には、地元、沖縄県を中心に批判が殺到。
00:33:35その後、西田議員は、結果的に沖縄県民と多くの方の心に傷をつけることになったとして、陳謝しました。
00:33:44姫売り平和記念資料館の普天間館長です。
00:33:56実際に、国会議員の発言があった後、どういう声が館には届いたんですか。
00:34:04国会議員の方の発言は間違っていないじゃないか。
00:34:08それから、日本軍は悪くない、アメリカが悪いんだっていう。
00:34:14この資料館の展示はそういうことを書いてないんですけども、戸惑いましたね。
00:34:19実際に体験をした方が語らなく、いらっしゃらなくなっている。
00:34:25今、だから起きている問題なのかなとも思ったりもするんですけども。
00:34:33平和な日々を、明日にどうつなげていくのか。
00:34:38先月、沖縄にある8つの平和関連施設による合同シンポジウムが開かれました。
00:34:49武器のない、殺し合いのない時代を作ることが大目標である。
00:34:56もっと戦争と平和の問題を自分ごととして考えてもらうためには、取り組んでいく必要がある。
00:35:01やっぱり資料館の展示とか、戦争を体験した方々が多くいうことっていうのは、
00:35:13絶対に戦争は繰り返してはいけないということなんですよね。
00:35:17でも、今、争いが世界では絶えないと、この状況をどう考えるかというところで言うと、
00:35:25源田さんは希望学という観点でどういうふうに考えられますか。
00:35:29はい。希望って、そういうことだけ見ると、未来の明るい目標みたいに思われることもあるかもしれないんですけど、
00:35:38調べてみると、やっぱり希望を持って何かやり続けている人って、
00:35:41実は過去に非常に絶望的な経験とか、辛い困難な経験をされてきた人とか地域とか多いようで、
00:35:50やっぱりその困難な状況から前に向かっていくときに、人が託す言葉がやっぱり希望だったりするんですよね。
00:35:57だから、そういう意味では、絶望の歴史というのはなかったことにしては絶対にいけないし、
00:36:03それにきちんと見つめ合うことから、やっぱり希望というのが生まれてくるんだというのが、
00:36:08希望学から学んだことの大切な教訓の一つでした。
00:36:12そしてVTRでは、沖縄の姫より平和記念資料館が今年直面した事態についてお伝えしましたけれども、
00:36:19資料館には子どもと一緒に訪問したいですとか、悲しい史実を伝えていくことは大事だというようなメッセージも多く、
00:36:27寄せられているということなんですね。
00:36:30しっかりその歴史を知らなければいけないという、この大切さって三宅さん、どういうふうに考えますか。
00:36:36今だと、例えば朝の連続ドラマだったりとか、映画のこの世界の片隅だったりとか、
00:36:43エンターテイメントを通して戦争というものを知って、
00:36:46自分ごとにしているという若い世代って結構多いんじゃないかなと思っているんですね。
00:36:52今だと本当に語り部の方といいますか、なかなか実際に体験した方というのがいなくなっていく時代にあって、
00:37:00エンタメとか本当に小説とか、映画、ドラマ、文学がやるべきなことの一つに、
00:37:06戦争の記憶を伝えていって、ある意味自分ごととして物語として受け止めてもらうというのがあるんじゃないかなと思っていますね。
00:37:13その物語を作る立場でいらっしゃいますけれども、渋松さん。
00:37:19今本当におっしゃった通りに、エンターテイメント、物語を通して自分ごとにしていくという力はあるんですよ、物語って。
00:37:30その一方で、怖いものでもあるというか、感情を刺激していくわけで、
00:37:37美しくすることもできるし、それから勇ましくすることもできる。
00:37:45それを思うとね、本当に物語やエンターテイメントを入り口にしてもらって、
00:37:52そこから深掘りしていってほしいなというのが、送り手の本音です。
00:37:59物語って、昔はプロパガンダに使われたような歴史もありますし、
00:38:05すごく強い刺激だからこそ、いい意味で使うこともできれば、悪い意味で使われちゃうこともあるので、
00:38:14やっぱりそれは作り手だったり発信する側もすごく大事だし、
00:38:17読み手としてもこの物語の意味って考えることって、実はすごく大事ですよね。
00:38:22それこそね、ホタルの墓っていうエンターテイメントを見て、
00:38:29ホタルの墓に登場している子どもたちと、
00:38:33同じ苦しみを今、ウクライナで、今、ガザでっていうところまで、
00:38:40想像を広げていってもらいたいなと思うんです。
00:38:43日本の戦争の記憶っていうものを、
00:38:47こう、なんとか遠い国の戦争ともしっかりと結んでいくっていうのが、
00:38:54必要なんじゃないかなと思うし、大事じゃないかと思います。
00:38:58戦後80年、人々が探し求めてきた明日への希望。
00:39:03次に見ていくのは、日本が曲がり角を迎える戦後40年以降です。
00:39:081980年、自動車の生産台数が世界一となり、
00:39:18経済大国としての地位を確立した日本。
00:39:24その頃、アメリカで出版されたのが、
00:39:27ジャパンアズナンバーワン。
00:39:29日本企業の力の源は、
00:39:36就寝雇用、年功序列、質の高い教育など、
00:39:41安定した雇用制度に支えられた日本的経営にあると分析されていました。
00:39:46そして、1980年代後半には、
00:40:02空前の後継期、バブルの時代が到来。
00:40:07この時期、日常生活の中で悩みや不安を感じていないと答えた国民は、
00:40:1451%に上りました。
00:40:17調査が始まった1958年から現在に至るまで、
00:40:22不安を感じていないが、
00:40:24半数を超えたのは、この時期だけです。
00:40:30しかし、1990年に入ると株価は急落し、
00:40:35バブルが崩壊。
00:40:38株や不動産投資に失敗した倒産が相次ぎ、
00:40:42日本経済は買い物的な打撃を受けました。
00:40:46失われた30年とも言われる時代に突入していきます。
00:40:5793年に始まったクローズアップ現代では、
00:41:03低迷する時代の歪みを記録していきます。
00:41:06公共職業安定所には、職を求める人たちが詰めかけています。
00:41:16しかし、企業からの求人は限られ、
00:41:18多くの人たちが希望する仕事を見つけられません。
00:41:24相次ぐリストラン。
00:41:2698年には、失業率は当時として戦後最悪となる4.1%を記録。
00:41:33279万人が職を失いました。
00:41:36年齢的にも、50歳過ぎたらないですね。
00:41:45雇用環境の悪化は若者を直撃。
00:41:49就職氷河期をもたらします。
00:41:51特に、96年卒業の女子大学生の求人倍率は0.45倍と、過去最悪を記録。
00:42:032人に1人が就職できない厳しいものでした。
00:42:06何社ぐらいもありました?
00:42:10うーん、40社ぐらいもありましたんですけど、何社今?
00:42:14内定はまだですね。
00:42:15そして同じ頃。
00:42:20神戸市長田区の上空です。
00:42:30至る所で火の手が上がっており、黒い煙が上空高くまで立ち上っています。
00:42:37阪神淡路大震災。
00:42:41戦後に築き上げたビルや高速道路が一瞬で崩壊しました。
00:42:46死者、行方不明者は6,400人以上に上りました。
00:42:59おばあちゃんは手がつきようがなくて、神戸は大丈夫っていつも思ってたから。
00:43:07本当に、途方に暮れてます。
00:43:10戦後50年の節目となったこの年。
00:43:17人々の意識は、今後の生活が悪くなっていくと答えた人が、
00:43:22良くなっていくを再び上回りました。
00:43:30当時、被災した人たちの心を捉えた曲があります。
00:43:34シンガーソングライター、岡本真代さんのトゥモローです。
00:43:43スタッフから聞いたのが、とにかく神戸の方からのリクエストが、
00:44:11そのラジオにね、リクエストがすごいという話を聞いて、
00:44:16ラジオ局に仕事で行くと、
00:44:19たくさんリクエストもらって、ずっとかけてて、
00:44:23救われましたって、涙ながらにおっしゃってくださるので、
00:44:27もう私もそれを聞くと、いつもうるうるしながら。
00:44:3095年は、いろんな出来事がたくさんね、あったので、
00:44:35なかなか悲しい涙が多かったような気がします。
00:44:43涙の数だけ強くなれる。
00:44:45この歌詞は、実は岡本さんの祖父がくれた手紙の言葉に着想を得たものでした。
00:44:54頑張れっていう応援のメッセージだったんですけど、
00:45:00その一番最後に、涙が多いのが人生だよって書いてくれていて、
00:45:06で、その最後の一行がすごく胸に残ったというか。
00:45:11あれから30年。
00:45:23岡本さんのコンサートには、
00:45:2690年代、この曲に支えられたという人たちが詰めかけています。
00:45:36まさしく宝塚に住んでて、
00:45:38はい、出くわしたので。
00:45:41はい、そうですそうです。
00:45:43激進時代。
00:45:44やっぱり泣いた数だけ強くなれるというか、
00:45:47ああいう感じですよね。
00:45:48みんな泣いてたんで、毎日。
00:45:51今頑張れば将来的に強くなれるんだろうなっていう、
00:45:57勇気をいただきましたよね。
00:45:58いろいろと、
00:45:59あった時代だったなと。
00:46:02今でも、ミュージーエンとかで流したりしてるんですけれども、
00:46:05その涙腺が緩むというか、
00:46:09ですね、泣けてきちゃいますね。
00:46:13明日は来るよ、君のために
00:46:18阪神淡路大震災をきっかけに広がった新たな動きがあります。
00:46:30全国から多くの市民がボランティアとして、
00:46:34災害救援や復興支援のために駆けつけました。
00:46:3795年のこの年は、
00:46:42ボランティア元年と呼ばれるようになりました。
00:46:50ただその後、雇用の流動化が進み、
00:46:54不安定な非正規雇用で働く人が増加、
00:46:58所得の格差が広がります。
00:46:59勝ち組、負け組、格差社会は流行語にもなりました。
00:47:11当時、国会で格差が広がることを問われた小泉元総理大臣は、
00:47:16格差が出るのは、別に悪いこととは思っておりません。
00:47:22今まで悪平等だということの批判が多かったんですね。
00:47:27能力のある者が、努力すれば報われる社会、
00:47:30これは総論として、与野党問わず、
00:47:33そういう考え方が多いと思います。
00:47:34貧しい人が増えている、貧困層が増えている、
00:47:37これはお認めになられますか。
00:47:40これがますます増えていくという状況ではないと。
00:47:45ただ、日本の所得価格差は緩やかな拡大を示しているということでもあります。
00:47:53そういう点によく注視しながら、
00:47:56今後、さまざまな対策を打たなきゃいけない。
00:48:02定職に就かず、アルバイトなどで生活する、
00:48:05いわゆるフリーターの数は、
00:48:082001年に417万人、
00:48:1110年前の2倍以上に増加しました。
00:48:15道端に座り込んでいる若者たち。
00:48:22何か今が楽しければいいみたいな、後からのことは別に考えてないんです。
00:48:31言いたいことはあるんですけど、大人が変われば子どもも変わるみたいな、こっち系だよ。
00:48:36ぐさっとくる言葉でしたけれども、
00:48:402005年はといいますと、良くなっていくが8.4%、悪くなっていくが26.7%ということになりました。
00:48:51人々が明日への希望を見出しにくくなった転換期とも読み取れるかなと思うんですけれども、源田さん。
00:48:58やっぱり働くっていうことが、まだ希望だった時代だと思うんですよね。
00:49:03日本的な雇用システムがいかに素晴らしいかっていう、世界中から来産を得た時期だったことは間違いないし、
00:49:10働けば必ずいいことが待ってるって、まだ信じることができた時代だったのか、
00:49:15それが途中から、あれ、そういかなくなってくるのかなっていう、
00:49:20そういう不安感が、さっきのリストラとか就職氷河期の中で急速に強まっていって、
00:49:26働くことが希望だった分だけ、それが叶わなくなってくるっていうことに、
00:49:30まだ心も動きもついていかなかった、そういう時代がこの20年間だったような気がしますね。
00:49:37それがまた一つ大きな流れとして、ボランティアとか、もっと何か共に助け合うような別の働き方がないかっていうのを、
00:49:44模索が始まった時代なのかもしれない、そんな気がします。
00:49:48三宅さんはちょうどこの時代、子供だったわけですけれども、どういうふうに振り返ります?
00:49:55ですね、結構このVTRの中だと、割と若者は結構心がすさみとか、
00:50:00あと私が子供だった90年代、2000年代って、割と少年犯罪とか、
00:50:07子供たちの心の闇みたいなものも、すごく取り上げられていた記憶があるんですよ。
00:50:13でも一方で大人に自分がなってみると、それこそ私も大谷翔平さんと同じ94年生まれなんですけど、
00:50:20結構、あとハニー・ユーズルさんとか、スポーツの世界で活躍されている方とか、
00:50:26あるいはビジネスであったり、いろんな自分の個性を伸ばして、
00:50:30割と活躍されている方も多いと思うんですよね。
00:50:33でも私、その根底ってやっぱり90年代とか2000年代に、
00:50:36ある程度インターネットが発達して、自分の好きなものを結構深掘りできるようになったりだとか、
00:50:42あるいは地方でもチェーンストアがすごい広まって、
00:50:46いろんなTSUTAYAだったり、ブックオフだったりもできてっていうところに、
00:50:49自分もすごく恩恵を預かったなと思っているので、
00:50:52もちろん景気は悪くなっているんだけれども、
00:50:55意外とそんなに悪い時代でもなかったのでは?と、
00:50:58当事者からすると思っちゃったりするんですよね。
00:51:03本当に2000年代も、ささやかな幸せというか、いっぱいあったなと思ってね。
00:51:10どうしても大文字のニュースというか報道は、
00:51:15光と影の部分を強調してしまう。
00:51:23やっぱり両方あると思うんだよね。
00:51:25光と影。
00:51:27ちょっとひと言言って、俺ちょうどこの頃から大学で働き始めたんですけど、
00:51:32この頃、すごく変化があったなと思ったのは、
00:51:3590年代初頭ぐらいまで、やっぱりモテる学生って、
00:51:39かっこいいとか、背が高いとか、お金持ちとか、
00:51:44ちょっとそういう感じがあって、ちょっとバブル感あったんですよ、モテる学生って。
00:51:48それが、あれ、モテる子変わった?何が変わったんだろうって、
00:51:51やっぱり優しい子がモテるようになったんですよね。
00:51:54やっぱり人を傷つけるようなことを言わないとか、ちょっと上手に寄り添える、男女関係なく、いい時代になったなっていう雰囲気が、今言われてもいいと思ったと、反面、そういう優しい子が傷つけやすかった気がする、自分たちがやっぱり傷つきたくないから、人に優しくするっていう面もあって、なんかまだこの優しさっていうものが、なんかまだ、まだ社会、なんか全体で共有されてないような印象は、今、話、
00:52:24その辺りからね、生きづらさっていう言葉が、こう出てくるようになったと思うんだよね。
00:52:29そうです。
00:52:31この時代って、就職氷河期世代って今言われているような方々が生まれて、本当にそれってもうある意味政治のせいというか、何も対策しなかった人たちがいたからなのに、生まれてしまったのに、
00:52:44それはやっぱりこう、自分たちが、なんか努力してないんじゃないかとか、もっとこう、考え方変えれば、何かこう、いい方に変わるんじゃないかっていうようなことを言うことによって、
00:52:54えっ、じゃあ自分の生きづらさどうしたらいいの?普通に就職ないんだけどっていう人たちが取り残されてしまったんじゃないかっていうのはありますよね。
00:53:01本当ですね。
00:53:02そして、時代はここから現在につながっていきます。
00:53:062008年、世界的な金融危機を引き起こしたリーマンショック。
00:53:17その波は日本経済を直撃します。
00:53:22東海です。日経平均株価バブルの最安値です。
00:53:272009年3月には、日経平均株価がバブル崩壊後の最安値を記録しました。
00:53:36業績が急激に悪化した製造業では、大規模な生産調整の末、派遣労働者の雇い止めが相次ぎました。
00:53:5011月末、派遣切りに遭った人のための電話相談会が開かれました。
00:54:01年末年始には、東京日比谷公園に年越し派遣村が作られ、仕事も住まいも失った人たちが命をつなぎました。
00:54:23今ここにいる、去年1年何だったんだろうな、頑張ってきたのに何だったんだろうなと、ちょっと悔しさはありますね。
00:54:38地面が割れてますよ。地面が、地面が割れてます。
00:54:47そして2011年、震度7の揺れを観測した東日本大震災が発生。
00:54:55最大高さ40メートルの津波が、東北や関東沿岸の町を襲い、2万人を超える犠牲者が出ました。
00:55:13そして、福島で原発事故が発生。
00:55:16絶対に事故は起こらないと言われてきた安全神話が、崩壊しました。
00:55:33さらに、2020年、世界中で猛威を振るった新型コロナウイルス。
00:55:40緊急事態宣言を発出いたします。
00:55:43命を守るステイホーム習慣、お家に居ましょう。
00:55:50現代社会が初めて直面した、パンデミックによる社会経済活動の停止。
00:55:59私たちの暮らしの常識を根底から覆しました。
00:56:08雇用の崩壊や未曾有の自然災害などに見舞われたこの20年。
00:56:13人口は減少に転じ、社会が縮小していく時代となりました。
00:56:22今、明日への希望をどう見出していったらよいのか。
00:56:27夢のマイホームとして入居が始まって半世紀が経った、多摩ニュータウン。
00:56:41住民の半数近くが65歳以上となっている地区もあります。
00:56:46ここで子どもたちのために地域活動に情熱を注いできた寺田美恵子さん。
00:56:58今年77歳になりました。
00:57:07今、地域の仲間と立ち上げたコミュニティカフェで働いています。
00:57:12一人で暮らすお年寄りのために格安で栄養満点の食事を提供。
00:57:22ある女性が私たちに言ってくださったのは、寂しいという言葉は言いにくいけれど、
00:57:38お腹が空いたっていうのは、誰でも言いやすいですよねっておっしゃったんです。
00:57:49月に一度は子ども食堂。
00:57:52最近はベトナムやアフリカからの親子連れもやってきて、
00:57:56他世代が集うカフェとなっています。
00:58:01おいしそうに食べてる。
00:58:02おいしい。
00:58:03おいしい。
00:58:04地域の孫。
00:58:11限界都市とも言われるこの町で、
00:58:15寺田さんは統計では測れない希望の手触りを感じています。
00:58:21安心もするし、自信にもなるし、希望も湧きます。
00:58:26救助になられる先輩たちも福祉庭にいらっしゃいますし、
00:58:31スタッフとしてもお仕事をしていらっしゃいますし、
00:58:35そういう人たちの背中を追っていると、淡々と同じ日々を積み重ねていらっしゃって、日々の淡々とした時間が流れていく、その姿を見ていると、ああ、なんとかなるかなって気がします。
00:58:51うん。戦争されなければね。
00:58:54本当にその通りですね。
00:59:02去年の生活の見通しはといいますと、
00:59:06良くなっていくが7.1%、悪くなっていくが31.2%、
00:59:11同じようなものが60.9%ということで、
00:59:15これ実はこの20年ほど、この傾向というのはあまり変わってないんですよね。
00:59:21そうですね。この20年って、茂松さんはどういうふうに振り返られます?
00:59:26はい。さっきのVTRで、派遣切りの話がありましてね、
00:59:31ちょうどその同じ2009年に、派遣労働の人たちを取材した番組を出演したんですね。
00:59:40その時にね、一人の人がおっしゃったんだけど、
00:59:44普通はね、組織の歯車になって働く。
00:59:49しかしね、自分たちはそれですらないと。
00:59:53歯車っていうのは、すり減ってもまた残るものがある。
00:59:58自分たちは燃料なんだと。
00:59:59会社に使われて、使い切ったら何も残らないんだっておっしゃってて、
01:00:08その言葉に応えるものを、20年間やってきただろうかと思うと、
01:00:15少しやっぱり疑問はあるなと思いながら見てました。
01:00:20たまニュータウンの今の姿もありましたけど、
01:00:22あの様子はどうでしたか。
01:00:24これはなんか嬉しかったですね。
01:00:25嬉しかった。
01:00:26あのね、寺田さんがね、希望が湧いてくるっておっしゃった。
01:00:31そうですね。
01:00:32自分の中に湧いてくるっていう発想はいいなと思うし、
01:00:37それから、なんとかなるっていうね。
01:00:40おっしゃってましたね。
01:00:41変わらない、同じだっていうのも、
01:00:44発想を変えていけば、なんとかなるっていう、
01:00:48そういうニュアンスが入ってもいいじゃないかなと思ってて、
01:00:50すごく僕はね、寺田さんに、
01:00:55オールドタウンになってしまったニュータウンの2週目を楽しみにしたいなと思って、
01:01:02すごく嬉しかったです。
01:01:03それこそ子育てとかね、やってると、
01:01:06都心だとなかなかやっぱり、
01:01:07みんなで育てるのを、
01:01:09家族だけだと大変だよっていう方があったらもね、
01:01:11ああいう形でちょっと助けてもらったり、
01:01:14ご飯食べに行ける場所があると全然違いますよね。
01:01:17本当ですね。
01:01:17源田さんは、この20年、数字上で見ると、
01:01:22傾向っていうのは変わらないわけですけれど。
01:01:24ただ、きょうの取材など見てると、
01:01:28もしかしたら数字にはまだ現れていない変化が、
01:01:31起こり始めてるのかもしれない。
01:01:32例えば、悪くなっていくって、ちょっと増えてますよね。
01:01:35ただ、悪くなっていくのかもしれないけど、
01:01:39簡単には絶望しないぞっていう、
01:01:41なんかそういう心意気っていうか、
01:01:43さっきの子ども食堂なんかも、
01:01:45もしかしたらよく知らない子も来てるのかもしれないし、
01:01:48たまたま近所の中で手伝うよっていったような、
01:01:51ちょっとしたご縁っていうか、
01:01:52そういう緩やかな関係の中で、
01:01:54みんなで厳しくなるのかもしれないけど、
01:01:57支え合っていければ、
01:01:59すぐにはそんなに絶望的な状況にならないんじゃないっていう、
01:02:01そういう思いみたいなものを感じられて、
01:02:04最近、次女、強女、後女っていう言葉に対して、
01:02:07なんか、ご縁の縁っていうので、
01:02:08縁女みたいなものが、
01:02:10もっと広がっていってもいいと思うし、
01:02:12いや、もしかしたら、
01:02:13今、だんだんそういうのが増えてきてるのかなっていうのが、
01:02:16カーズタリーもしてたもんですから、
01:02:17明るい出口が希望なんじゃなくて、
01:02:19仮に今、トンネルが真っ暗闇であったとしても、
01:02:22それでも一歩一歩、
01:02:23自分の足とか自分たちの足で、
01:02:25時にはよろめきながら、
01:02:26壁にぶつかりながら、
01:02:28こう進んでいるっていうこと自体の手応えとか、
01:02:30足応えなのかもしれませんけど、
01:02:33そういうものこそが希望なんじゃないかっていう。
01:02:37手応えを感じながら日々を暮らしたい。
01:02:42番組ではこうした人々の姿も伝えています。
01:02:49地方に移住し、
01:02:51新たな生き方を模索する若者たち。
01:02:53コロナ禍でみんなギスギスをし始めちゃって、
01:03:03向こうの方が伸び伸びっていうか。
01:03:07厚みね、すごいね。
01:03:10小さい幸せがたくさんありますね。
01:03:12お迎えさんが野菜くれたりもだし、
01:03:15前感じられなかった幸せがたくさんあります。
01:03:18さらに、好きなアイドルやキャラクターなどに
01:03:23情熱を注いで応援する、
01:03:26推し活。
01:03:29アイドルです。
01:03:29アイドルです。
01:03:324人出たよ。
01:03:33わあ、かっこいいね。
01:03:36かっこいいね。
01:03:38かっこいいね。
01:03:39自分の好きなことを、とことん大切にしたいという人たち。
01:03:59トゥモローが大ヒットした岡本真代さんも、そうした人々にエールを送っています。
01:04:15かつて岡本さん自身、周りからの期待に葛藤し、歌うのが苦しくなったことがありました。
01:04:26今、改めて自分が届けたいと感じられる曲作りに励んでいます。
01:04:32本当に作りたいものを作れる環境ができているので、今。
01:04:40自分が作ったものが、なんか人に届いて、
01:04:46誰かが幸せになれたり、優しくなれたり、
01:04:50何かに気づけたりしたら、
01:04:52本当に自分もハッピーみたいなところはあるので。
01:04:57この好きっていうことを大事にする、
01:05:02三宅さんも強く共感されるんじゃないですか。
01:05:05そうですね。
01:05:06おしかつを自分も結構しているタイプの人間なので、
01:05:09すごくやっぱり好きなものがあると、
01:05:12それをやっている時間が、ある意味いい逃避場所になってくれるというか。
01:05:16逃避場所ですか。
01:05:17はい。なんかこう日常生活にしんどいこととかあっても、
01:05:20例えば好きな本を読んでいると、
01:05:22ちょっと思考回路が本の世界に入り込めて、
01:05:25なんかある意味、好きなことをやっている時間が、
01:05:28自分の居場所みたいになっていくんですよね。
01:05:31だし、なんか例えば友達なんかも、
01:05:33会社でできた友達とか、
01:05:35あるいはなんかこう仕事でできた人とか、
01:05:37大学でできた人とかいますけど、
01:05:39なんかお仕方を通して友達って、
01:05:41また全然違う、それこそ縁があって、
01:05:43友達になったという感じもするので、
01:05:46ある意味、なんか好きなことを、
01:05:47自分の中で言葉にして、
01:05:49それをまた人と共有したりとか、
01:05:51自分の中で大切にしたりすることによって、
01:05:53自分がどういう人間かって、
01:05:55どんどん分かってくるんじゃないかなって思います。
01:05:58ちなみに、
01:05:59茂松さんは何か好きを実践されています?
01:06:03あのね、
01:06:05やっぱり昭和のおじさんなんで、
01:06:07仕事が終わった後の、
01:06:09一杯のお酒が好きで、
01:06:11いいじゃないですか。
01:06:12逃避場所も酒なのかな。
01:06:15でも結構スナックとか、
01:06:16居場所になっている方とかもね、
01:06:18いい意味でいますよね。
01:06:19ただですね、先ほどの世論調査を見ると、
01:06:23今も3人に1人は、
01:06:26将来に対して希望を見いだせていないという回答なわけですよね。
01:06:30この現状に対して、
01:06:32源田さん、どういうふうにしていくべきだというふうに。
01:06:34なかなか難しいと思うんですね。
01:06:36今の時代は、
01:06:38むしろ、じゃあ国や政治がやることは、
01:06:40どっちかというと、
01:06:41希望を与えようとすることではなくて、
01:06:43絶対に絶望的な状況は回避すること、
01:06:46今日、戦争の話もありましたけど、
01:06:49貧困の話とか、
01:06:50自主の話とか、
01:06:51まだまだいろんな解決しなければならない問題がたくさんあって、
01:06:55やっぱり生命とか、
01:06:56非常に根源的な部分は、
01:06:57やっぱり人間共通している部分もあるので、
01:07:00何が絶望的な状況なのかということを、
01:07:02やっぱりちゃんと見つめて、
01:07:04国民にもちゃんと納得するような議論をして、
01:07:08まず絶望を避けるために、
01:07:10何が今できるかということを考えていくというのが、
01:07:13これからは大事なんじゃないかなというふうに思います。
01:07:17絶望はみんな結構一緒であるというのが、
01:07:19本当にそうだなと思って、
01:07:22やっぱり絶望って、
01:07:23本当に貧困だったり、
01:07:24戦争だったり、
01:07:26みんなが嫌なものってやっぱり一緒だし、
01:07:28絶望してしまう状況というのは、
01:07:30やっぱり政治が何とかしていくべきであって、
01:07:33でも一方で、
01:07:34みんな同じだからこそ煽りやすいみたいなところもあると思うんですよ。
01:07:37なので、その絶望をあんまり個人としては煽られすぎずに、
01:07:42本当にやるべきことを日々の暮らしの中でやりつつ、
01:07:47自分にとって希望とは何だろうとか、
01:07:49好きなもの、嫌いなものって何だろう、
01:07:51じゃあ希望をどうやって持っているんだろうということを、
01:07:53一人一人が考えていくのがすごく大事なんだなと思いました。
01:07:57自分自身の希望の物語、
01:07:59紡いでいけたらいいですよね、茂松さん。
01:08:01はい、おそらくね、戦後80年の前半辺りっていうのは、
01:08:08坂道があるとしたら、
01:08:10坂の上に大きな希望があったのかもしれない。
01:08:13そこにみんなが向かっていって、
01:08:16かなえる希望というか、
01:08:18得る希望っていうのかね。
01:08:20で、もちろんそっちも大事なんだけども、
01:08:24それぞれの、それぞれの坂の上があっていいと思うし、
01:08:28一方で、坂を上ってて、
01:08:33しくじった時、
01:08:35転んじゃったんだけども、
01:08:37大丈夫、ここで支えてくれるっていうものを、
01:08:40それがあるっていうのも、
01:08:42すごく大事な希望だと思うんですよ。
01:08:46それを思うとね、
01:08:47底力って僕呼んでるんだけども、
01:08:50失敗した時にしっかりと支えてくれるような、
01:08:53その底力が一番大事な希望かもしれないし、
01:08:58で、もう一つね、
01:09:00自分の代で、
01:09:02叶えられなくても、
01:09:04託す、
01:09:06未来に託すっていう希望もあると思ってて、
01:09:09東日本大震災でね、
01:09:11被災地の漁港の人に取材をしたら、
01:09:15その方はね、
01:09:16自分の代では、
01:09:19復興できないと思う。
01:09:21しかし、
01:09:22自分の息子や孫いるから、
01:09:26息子や孫のために、
01:09:28今、
01:09:29自分のできることをやっておくんだって、
01:09:31おっしゃってて、
01:09:32本当に未来を信じて、
01:09:35その未来にバトンを託すっていうのも、
01:09:38大きな希望だと思うし、
01:09:41それこそ、
01:09:41戦争の記憶っていうのを、
01:09:44継承していくっていうのも、
01:09:46未来に託す希望だと、
01:09:49僕は思っています。
01:09:51ありがとうございます。
01:09:52今日は、
01:09:52戦後80年を振り返ってきましたけれども、
01:09:55NHKでは、
01:09:56過去を見つめ、
01:09:57未来を考える、
01:09:58様々な番組を放送しています。
01:10:01この番組も含めて、
01:10:02プレイリストにまとめましたので、
01:10:04こちらのQRコードからご覧ください。
01:10:07今日、皆さんにお話を伺いましたけれども、
01:10:09希望というのは、
01:10:10いろんな捉え方があっていいですし、
01:10:12いろんな代償があっていいですよね。
01:10:14では、
01:10:14この後、
01:10:15未来にどんな希望を見出していくのか、
01:10:18そのために、
01:10:19今、
01:10:20自分は何をするのか、
01:10:22皆さんはどうしますか。
01:10:27戦争体験者の語りをもとに作られた、
01:10:30姫百合平和記念資料館です。
01:10:32体験者が少なくなる中、
01:10:37当時の実装を伝えようとしているのは、
01:10:40地元の高校生たち。
01:10:42実際、私たちの学校の中に、
01:10:505月、5月の上旬に入ったんですけど、
01:10:53真っ暗でした。
01:10:54ジメジメでした。
01:10:57暑くて、結構滑るんですよね。
01:11:01ゴツゴツもしたので、歩きにくい、
01:11:03なかなかきつい環境の中での治療をしていたっていう絵です。
01:11:07当事者から受け継いだ証言や学びを、
01:11:12自らの言葉で語っています。
01:11:17本当にね、若い皆さんの力ってのはすごいなって思いましたね。
01:11:23こういう姿を見ると、本当に希望が湧いてきますよね。
01:11:29自分が持っている知識ってまだ限られていて、
01:11:32次世代の担い手になる私たちがしっかり知っておかないと、
01:11:35過去から学ぶことで、
01:11:38過去の良い場面も悪い場面も全部学ばないと、
01:11:43現在の平和にはつながらないと思うから、
01:11:46やっぱり良いことも悪いことも全て学ばないといけないなって感じなんです。
01:11:50ご視聴ありがとうございました。
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