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00:00世界中の人が彼女の姿を一目見に訪れる
00:06モナリザ
00:11ルネサンスを代表する芸術家
00:14レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた世界の
00:18四方だ
00:19半世紀前その絵がなんと日本にやってきた
00:30その人気は空前絶後連日長蛇の列ができ150万人が押し寄せたそれはまさにモナリザ競争曲
00:59このモナリザ来日実現の影には時の総理大臣田中角栄の存在があった
01:08だがおよそ500年前に描かれたその絵はあまりにも繊細だった
01:23どうやって彼女を傷つけずに運び展示するかその難題に日本の若き技術者が挑んだ
01:32どうやって彼女を傷つけずに運び展示するかその難題に日本の若き技術者が挑んだ
01:41特殊部隊を作って開拓しようじゃないか
01:50万が一失敗したらどうするんだとかねビビってまああの尻込みするのが本音でしたね
01:59そして迎えた公開初日衝撃的な事件が起きる
02:09なんとモナリザに向けて赤い塗料が吹き付けられたのだ
02:16社会の課題を浮き彫りにしたモナリザ店
02:24その熱狂の舞台裏に 3つの視点から迫る
02:46500年もの長きにわたり謎めいた微笑みをたたいてきた美女
02:56彼女の名はモナリザ
03:00ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた美術史上最高傑作とも呼ばれる絵画です
03:09今からおよそ50年前そのモナリザが日本を熱狂の渦に巻き込みました
03:19運命の分岐点は
03:251974年4月20日
03:28東京国立博物館でモナリザが初めて公開された日です
03:39たった1枚の絵を見るために連日数時間に及ぶ行列ができました
03:45来場者の数は50日間で150万人
03:52しかしこの世界の四方を遠く離れたフランスから日本へ運び
03:58展示するには計り知れない関門がありました
04:04第1の視点はモナリザを守り抜いた人たち
04:08ルーブル美術館からは湿度や温度の管理はもちろん
04:15テロや妨害といった不足の事態への対策など
04:19さまざまな厳しい注文がつけられていました
04:23彼らはいかにしてその注文をクリアし
04:27モナリザを守り抜いたのか
04:29陣地を尽くした作戦の舞台裏に迫るアナザーストーリー
04:38高度経済成長を遂げ
04:46万国博覧会に湧いた日本
04:50その3年後
04:53嬉しいニュースが飛び込んできた
04:57なんとモナリザが日本にやってくる
05:01人々の期待は膨らみ
05:05街中に彼女の姿があふれた
05:09なかなか本場行っては見られないから
05:14世紀の美女だから一回見ようかなっていう
05:17だがモナリザはあまりにももろかった
05:23表面には無数のひび割れが
05:35当時ルーブル美術館の学芸員だった
05:39ジャンピエールキューザン
05:41ペパンのパネオドペープリーが
05:44結構薄い
05:46そして本当に効果性が
05:48非常に効果性が
05:49非常に効果性に
05:51非常に効果性の
05:53イロメトリック
05:55外線を当てると
05:59額の上に傷があることが分かる
06:03絵が裂けた痕跡だ
06:06湿度が高ければポプラの板がゆがみ亀裂が広がる恐れがある。
06:31世界の司法に万が一のことがあってはならない。
06:38危機対応を任されたのは、文化財保護を専門とする当時26歳の若手研究者だった。
06:50いきなり世界の宝と言われるモナリザに関係することになって、どこまで自分ができるのかなと。
07:00日本の技術力が問われる試練でもあった。
07:07やっぱり世界に二つとない大事なものでしょう。
07:12うまくいってもともといかなかったら大変ですもんね。
07:17彼らはどうやってか弱き美女を守り抜いたのか。
07:26モナリザ展開催の4ヶ月前、会場となる東京国立博物館にルーブル美術館の関係者がやってきた。
07:40目的はモナリザの安全確認。
07:49ルーブル美術館館長、ピエール・コニアム。そして、科学研究所所長、マドレーヌ・ウール。
08:01彼らが展示場所に選んだのは特別5室。
08:08ツタンカーメン展もここで開催されていた。
08:14この場所なら不足の事態に対応できると考えた。
08:21部屋の奥にモナリザを置き、観客の動線は右から左へ流れるように作る。
08:30もし何かあれば、裏側からモナリザを運び出すことができる。
08:37フランス側は厳しい展示条件も突きつけた。
08:44海上の湿度は50%前後。
08:51温度は18度から21度の間を保つこと。
08:56これが守られないなら、観覧中止を要求する。
09:01ルーブル美術館では、温度と湿度が常に一定になるよう、徹底して管理されていた。
09:16だが、特別5室は天井が高く、空間が広いため、空調での管理が難しい。
09:30さらに、入口から外気が直接入り込む恐れもあった。
09:39どういう条件で展示をするか、見たこともない。
09:44触ることが全く許されないようなものを相手で展示するわけですから、緊張はしました。
09:55巨大な空間で温度と湿度を一定に保つ。
10:01この難題をどうクリアするか。
10:06そんな中、一人の男が名乗りを挙げた。
10:11ガラスメーカーの宮城幸男だ。
10:16これは大変だと。世界で一番有名な絵を日本まで運ぶのは大変だし、日本に来ると日本の場合はどうしても湿気が多いとか、それからたくさんの人が入ってくると温度変化があるとか、それをまた多くのお客さんが見て問題が残らないようにするには、それには当然ガラスが必要だろう。
10:43ガラスケースの中にモナリザを納め、その中で温度と湿度を一定に保つ。
10:54その提案を博物館側が受け入れ、設計図を起こした。
11:02それまで前例のない展示方法だった。
11:08ガラスメーカーの開発者、伊藤博。
11:13当時の常識をこう語る。
11:17絵の正面にガラスをかけると危ないとか、反射して見えないとか、帰ってタブー視されてたでしょ、ガラスって。
11:27だから絵について利用しようという考えとかは全くなかったんですけどね。
11:34大きなガラスが張られたケースの中にモナリザを配置して守る。
11:43そのガラスにさまざまな工夫が凝らされた。
11:49まずは防犯対策強化ガラスが使われた。
12:10ハンマーで叩いても割れないガラス。
12:13ということで、これを絶対使わないといけない。
12:17観客側に1センチの厚みの強化ガラスを貼る。
12:22そして、モナリザ側に使われたのは意外なガラスだった。
12:29これは車用のガラス。
12:33危ないというので、安全のためにプラスチックを挟み込んだ合わせガラスという技術が発達してたんですね。
12:43万一、強化ガラスが割れても、破片で絵を傷つけないようガードする。
12:52このモナリザのガラスによって初めて、その建築用の技術と自動車用の技術を合体した製品ができるわけですね。
13:02さらに、温度と湿度を一定に保てるよう、2枚のガラスの間に空気層を設ける。
13:12高層ビルなどで実績のある技術だった。
13:19ケースには不足の事態に備えて、こんな工夫も。
13:25隠し扉だ。
13:29この扉を開ければ、即座にモナリザを逃がすことができる。
13:38そして、ここ。
13:41ケースの下にある小さな空間。
13:44これが後に、モナリザを救うことになる。
13:51隠して世界初の美術品用密閉展示ケースが誕生した。
14:02その頃、フランスでは、モナリザを送り出す準備が着々と進められていた。
14:13実はモナリザは、日本へ送られる前に、一度、海を渡っている。
14:22日本店のおよそ10年前、アメリカ店が開かれた。
14:28その時、作られた輸送用のコンテナがこちら。
14:37アメリカへは船で運んだが、今回日本へは、飛行機を使う。
14:47離着陸時の振動や気圧の変化が大きく、絵に負担がかかることが予想された。
14:58そこで、以前使ったコンテナを丸ごと飲み込む特大ケースを新たに作った。
15:07日本人でただ一人、
15:12ユーソーキに導くことができるようになった。
15:17その時、日本人でただ一人、
15:22ユーソーキに導くことができるようになった。
15:27アメリカが初めて経験する、空の旅。
15:32この時、日本人でただ一人、
15:36輸送機に同乗した大使館員の内田博康。
15:44準備万端。
15:46いよいよコンテナに梱包しようという時。
15:51作業員の負担は、
15:53胸足を持って、
15:55入れた時に、
15:57ドワンという、
15:59すごい音がして、
16:01ウールさんはキャーッと声を上げました。
16:05僕らもドキドキだけ、
16:07板の上にかかれて、
16:11無数のシワがやっている。
16:13どうなっているか、
16:15もう開けられませんからね。
16:17東京に来るまで開けられませんからね。
16:20果たして無事なのか不安を抱えたまま日本へ向けて飛び立ったパリを建っておよそ18時間後展示会場に運ばれるとすぐルーブル美術館の担当者が梱包を解き絵の状態を確認した
16:48そしたら、館長はパルフェ。
16:53完全でやる。
16:55大丈夫でやる。
16:56僕の方を見てね。
16:57そういう風に言ってました。
16:59本当にあれ、肩の荷が下りるってのはああいう事なんでしょうかね。
17:03モナリザは無事、ガラスの展示ケースに収まった。
17:12だが、関係者の不安はこの後、さらに増すことになる。
17:18モナリザ展は空前の大ブームとなり、一目見ようと全国から人が押し寄せた。
17:33そして大型連休が終わった頃、ある異変が起きる。
17:40展示ケースの中の湿度が1%から2%くらい、非常に緩やかにですけれども、少しずつ湿度が上がってきて。
17:54大入りの観客の熱気が影響したのか、わずかに湿度が上がり始めたのだ。
18:01大変小さな変化ではあるんですけれども、ただこのまましておくとやはり、もっと大きな変化になりかねないので、何かあったら日本側の責任になりますのでね。
18:16その時、役に立ったのが展示ケースの下の小さな空間。
18:25そこにあるものを置いていた。
18:29調湿剤といって、中の湿度を一定にするためのゼオライトと呼ばれるものを入れておいたんですけど。
18:40ゼオライト。
18:43周囲の湿度に応じて、水分を出し入れする性質を持つ鉱物だ。
18:50美術品に使ったのは、三浦たちが世界で初めて。
18:57湿度調整に役立つはずだと考え、入れておいた。
19:03湿度の上昇に気づいた三浦はすぐさま、ゼオライトを増量。
19:1230分後、湿度は下がり、安定。
19:18その後も50日間の回帰中、湿度は一定に保たれた。
19:26無事に大役を果たした三浦。
19:33夢が夢中でやったっていうのが正確なところですね。
19:38文化財研究所に入って、最初の仕事が成沢だったわけですね、実際。
19:45最初にそういう仕事に巡り会えたっていうのは、やはりラッキーだったと思いますけれども。
19:55初めて訪れた東洋の地で、モナリザはガラスケース越しに微笑んでいた。
20:06門外不出とされていたモナリザ。
20:13なぜこの時、日本へやってくることになったのでしょうか。
20:19実は、あの大物政治家が関わっていたのです。
20:27第2の視点は、時の内閣総理大臣、田中角栄。
20:38独自の外交戦略を進めようとしていた田中は、フランスとの駆け引きの中で、モナリザ来日を手繰り寄せます。
20:48モナリザ来日の裏にあった国家間の思惑に迫るアナザーストーリー。
20:58日本にモナリザがやってくる2年前、あの男が総理大臣に就任する。
21:09田中角栄君を本院において、内閣総理大臣に指名することに決しました。
21:24田中角栄。
21:30独自の嗅覚と桁外れの行動力で、政界のトップに駆け上がった。
21:38日本はまだE12、E12発展を続けなければならないくらい。
21:45田中が唱える、経済発展の道筋を示したベストセラーが、日本列島改造論だ。
21:56その執筆に深く関わっていたのが、通産省から出向し、総理秘書官を務めた、小永圭一。
22:09モナリザ誘致は、密かに文化庁が交渉を続けていた。
22:16その話を耳にした時の田中の反応を今も覚えている。
22:23田中さんは聞いた瞬間に、それはすごい話だなと、うまくいくといいねと。
22:30経済のことは詳しいけれども、文化のことはあまり、深い造形のある田中さんという印象はなかった。
22:40一般的にですね。その田中さんが、ムナリザを呼んでくると。
22:47いうことになると、田中のイメージも変わる可能性があるんじゃないかなっていうのを、
22:52密かに期待したというのはありましたよね。
22:56だが当時、誘致交渉の最前線にいた大使館員の内田は、ことはそう簡単に進まないと感じていた。
23:09レベル側は、そういうことはありえないと、極めて指定的な対応でございます。
23:18まあ、それが実現するというふうにはちょっと考えられなかった。
23:22モナリザはなぜ、日本に来たのか。
23:28国家間の思惑がせめぎ合う中で、どんな役割を果たしたのか。
23:35モナリザ来日の前年。
23:42田中は、ヨーロッパ歴法に赴いた。
23:46最初の訪問国が、モナリザを有する文化大国、フランスだった。
23:54首脳会談に向かう田中の足取りは、重かった。
24:03ヨーロッパの現代政治を研究する、西南学院大学教授、山本武史。
24:12ポンピドー大統領なんかは、日本なんかは遠い国だというようなことを言ったり、
24:17日本が経済成長するということは、経済摩擦にもつながる側面があって、
24:23むしろそっちを嫌っているような発言をしているんですね。
24:29そのような経験というのは、やっぱり日本の外務省、外交官も、
24:33おそらく確実につかんでいるんで。
24:36当時、日本とヨーロッパとの間には、貿易不均衡の問題が横たわっていた。
24:48そんな中、フランスの首脳陣は、あるプロジェクトへの投資を日本に求めるため、待ち構えていた。
24:59フランス領のアフリカに、ウランの開発プロジェクトがあったわけですね。
25:07で、それに一緒にやりませんかというような話が起こっておって。
25:16原子力発電に欠かせない、ウラン鉱石の開発。
25:22それは、日本が求めるものでもあった。
25:29当時は、経済発展のために欠かせない、安定した電力の供給源として、
25:36原子力発電所の建設が進められていた時代。
25:41石油だけに依存している経済というのは、もう限界があると。
25:49だから、もっと多角的ないろいろなことを考えなきゃいけないということで、
25:54当初はそれが石炭、石油ということだったわけで、
25:58それが一歩進んでさらに原子力ということになってくるわけですよね。
26:05日本の資源外交は、戦後一貫して、アメリカを軸に展開してきた。
26:14その関係を超えて、他国と取引するのは難しかった。
26:20だが、田中は、資源確保のリスクを分散しようと考え、
26:28フランスとのウラン鉱石の共同開発の提案を受け入れる姿勢を示す。
26:37すると、さらなる提案が持ちかけられた。
26:44フランスが作る濃縮ウランを買わないか。
26:50これはあんまり表には出てない話なんですけれども、アメリカの関係者をずいぶん、結果的には刺激することになったわけでね、恐らくアメリカの立場から見るとね、俺とやろうとしているのに、なんか、こちらで浮気をしようとしているというふうに写った点はあったんじゃないかと思います。
27:16ほんの2ヶ月前、日本はアメリカと濃縮ウランの共同開発を確認したばかりだった。
27:29一方、フランスもアメリカとの関係に苦慮したことがあった。
27:37そんな中、両国の外交交渉の過程で利用されたのが、モナリザだったという。
27:501960年代、アメリカとソ連が覇権を争う東西冷戦の最中。
27:59当時のフランス大統領、シャルル・ドゴールは核兵器を持とうとしていた。
28:08その姿勢に不快感を示したアメリカ大統領、ケネディ。
28:15緊張関係に陥った両国の関係を好転させるため、フランスはある決断を下す。
28:27モナリザをアメリカに貸し出す。
28:34こうして1963年1月、門外不出だったモナリザが初めて海を渡った。
28:44首都ワシントンに掲げられ、アメリカ国民は熱狂的に受け入れた。
28:55フランスを称えるケネディのスピーチ。
29:12そのわずか6日後、ドゴールはこう宣言した。
29:19フランスは核保有宣言を行った。
29:38緊張が続く両国の関係に、モナリザはどんな役割を果たしたのか。
29:51アメリカの歴史作家、デイビスは残された記録から、この時のことをこう読み解く。
30:01この時代、プログラムに行ったプログラムに行ったポーズを許可するのに申し上げる必要がある。
30:09フランスは、ダイシャルの国の国の国の国にも何ですか?
30:12それは、大金の国の国内で、üllt英国に利用された uphold、文化、文化を選択する、ツールと文化、文化と文化を使うことあった。
30:22It was as if the Mona Lisa had brought together two great powers.
30:52France from the Norshukran's purchase of the Pompidou president of the President of the Pompidou President of the United States.
31:02The day, he would be meeting the会見.
31:08《80年後のロシクフランの問題等についてはフランスを中心にしてロシクフラン工場の製品を日本が引き受ける意思があるということを明らかにいたしておきました》
31:36France's proposal, and he said that he was in the position of France.
31:43He said that he was in the position of the decision.
31:48He said that he was in the position of Pompidou.
31:53He said that he was in the position of Mona Lisa.
31:58I think it's possible to be able to use it as a country.
32:08I think it's a foreign country.
32:13I think it's important to be able to use it as a country.
32:23So I think I would like to make the card for the first time I would like to make the card for the first time I would like to make the card.
32:39and therefore I came to Japan and he returned to Japan.
32:42But it's also known that it was clearly called
32:46because if it was the California Chinese President of the country,
32:47it was also known to be as a country.
32:52An idea of what it was like was that,
32:57as I mentioned,
32:59we would also encourage people in the línguer
33:05to share personal power with its economy,
33:08I think it's important to work on the same time.
33:10I think it's important to have a good job.
33:14I think it's important to have a job.
33:21It's important to have a job.
33:23After that, the French Revolution,
33:26the end of the day,
33:29she is in the Lourdes.
33:33Mona Lisa, she was looking forward to looking forward to it.
33:41She was standing in the front of Mona Lisa.
33:47She was looking forward to seeing a little bit.
33:53She was looking forward to seeing a little bit.
33:57二種物関係の歴史的な1ページを隠すようなことだよなというのをルーブル博物館を見物しながら行っておられます
34:08彼女の微笑みに田中角栄は何を思ったのだろうか
34:16国家間の思惑と関係者の努力が実現させたモナリザ店
34:28しかしその初日に世間を驚かせる衝撃的なことが起きます
34:40モナリザスプレー事件
34:42一人の女性が突然モナリザに向けて赤いスプレーを噴射したのです
34:49第3の視点は
34:53この騒動を起こした当人米津智子
34:59彼女はなぜこのような行動に出たのでしょうか
35:05彼女がモナリザ店を通じて日本社会に問いかけたものとは何だったのでしょうか
35:11モナリザ店
35:17モナリザ店初日
35:19東京国立博物館にできた大行列の中に
35:24米津智子の姿があった
35:27そして会場からわずか5分後
35:33大勢の客とともになだれ込むように
35:37モナリザへと近づくと
35:39スプレーを取り出し
35:43赤い塗料を吹きつけた
35:48彼女に当時の話を聞きたいと取材を申し込んだところ
35:57メールでこんな返事が届いた
36:02褒められるようなこととは思っていませんが
36:09社会と自分が接点を持った出来事として
36:13大切に考えていくつもりです
36:17なぜあの時
36:20あのような行動に出たのか
36:23かつて彼女自身が語った映像がある
36:29コミコードをしよう
36:32という提案があって
36:34それは私がやるべきだ
36:36私がやりたいと思ったんですね
36:39その事件は
36:42芸術とは誰のものかを
36:45世に問うものだった
36:47モナリザ展が開催された1970年代
36:57世界で大きなうねりとなったのが
37:01ウーマンリブ運動
37:03社会に強くはびこる
37:06女性差別の撤廃を訴えていた
37:09米津も参加していたが
37:14彼女の訴えは
37:16女性差別だけでなく
37:18自身の右足の障害をめぐる
37:22もう一つの差別だった
37:27障害者文化を研究する
37:30新井 勇気
37:33米津の事件を起こすまでの
37:38反省をつづった本も執筆している
37:41米津さんご自身
37:44女性運動家でありながら
37:46ポリオの後遺症がある
37:48障害当事者でもあったんで
37:49女性への差別も
37:51障害者への差別も
37:52共に経験していました
37:54ポリオとは
37:56戦後流行したウイルス性の感染症
38:00主に子供がかかり
38:03筋肉に麻痺が残ることがあった
38:07米津は2歳半で罹患
38:12右足に麻痺が残り
38:16青春時代は
38:17後期の目にさらされることに苦しんだ
38:21そんな彼女がなぜ
38:26スプレー事件を起こしたのか
38:29日本のウーマンリブ運動は当時
38:35一つの大きな問題に
38:38反対の声を上げていた
38:40それは
38:45優生保護法の改正
38:48妊娠した時
38:51胎児に障害の可能性がある場合
38:54中絶を可能にするものだった
38:57その動きに
39:01米津は行き通った
39:03私のような障害者は
39:07生まれてこなきゃよかったというのか
39:09そんな時
39:13モナリザ展を主催する文化庁から
39:17あることが発表される
39:20身体不自由者
39:24お断り
39:26混雑する会場での安全に配慮し
39:31会場を必要とする障害者や
39:34乳幼児を連れた人は
39:37来場を控えるよう通達したのだ
39:40その時の思いを
39:43米津自身が語っている
39:45これはもうまさに障害者を排除し
39:51ベビーカーも排除する
39:54優先語そのものじゃないかって
39:56抗議行動しよう
39:58という提案があって
40:00それは私がやるべきだ
40:02私がやりたいと思ったんですね
40:05事件当日
40:08米津は前売り券を持っておらず
40:11いつ入れるかも分からなかった
40:14そんな時
40:18一人の女性に声をかけられたという
40:22友達が来られなくなったので
40:27チケットを差し上げます
40:29そこで米津は決心した
40:35これも運命かなと
40:38彼女はこう叫んだ
40:44障害者を排除する
40:48モナリザ店に反対する
40:51展示ケースのガラス作りに奔走した
40:56伊藤
40:57肝を冷やした
40:59え、素材にかけられたって聞いた時は
41:03びっくりしましたけどね
41:05笑えたと思ったんですけどね
41:07笑えたんじゃないと
41:08下の方に
41:10濡れただけで
41:13あと床に落ちたと
41:14問題はなかったという報告を
41:16聞いたもんですから
41:17安心しました
41:18米津さんの行動は
41:21モナリザを傷つけようというものではありませんでした
41:23モナリザが厚いガラスで保護されていることは
41:27ご本人も知っていたそうです
41:29それでも伝えたいことがあったんだと思います
41:33米津は
41:36刑犯罪法違反で起訴され
41:39過料3000円を言い渡された
41:43モナリザ店の会場となった
41:51東京国立博物館は
41:532022年に
41:56創立150周年を迎えた
41:59その記念資料の中で
42:04モナリザ店のスプレー事件に触れ
42:08こう記している
42:09本店によって
42:13当時社会問題となっていた
42:16人権の問題が
42:18大きく浮き彫りにされた
42:21あらゆる来場者が作品の前で立ち止まり
42:26作品との対話を楽しむことを望む学芸員にとって
42:32本店は特別店のあり方そのものにも
42:36最高を促す良い機会となった
42:40芸術とは
42:44誰のものか
42:46モナリザ店は
42:48人権や芸術の意味を問い
42:51その後の展示のあり方を
42:54見直すきっかけとなった
42:56さらに
43:00ルーブル美術館での展示方法にも
43:03影響を与えたという
43:05モナリザ店によって
43:35日本店をきっかけに
43:38ガラスのケースに守られている
43:41そして
43:44あの時と変わらぬ微笑みを
43:47こちらへ投げかけている
43:50アナザーストーリーズ
43:57犯罪がはびこった香港の幕臣
44:00入親と命と命とも
44:02九龍城塞の実態に迫る
44:09BS世界のドキュメンタリー
44:13生まれて以来
44:13未来のイギリス国王となる準備を続けている
44:16ジョージ王子
44:17チャールズ国王と
44:27ウィリアム皇太子夫妻は
44:29どのような帝王額を授けるのか
44:31新しい時代の国王の姿を探る
44:34BS今夜11時25分
44:38究極ガイド2時間で回る
44:43芸術の都
44:45イタリアフィレンツの街を
44:46豊田真穂さんと三浦翔平さんが
44:49究極のルートでご紹介
44:51放送は26日木曜
44:53夜7時
44:54ご視聴ありがとうございました

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