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00:00今年は太平洋戦争の終結から80年という節目の年です 80年の間日本は平和であり続けました
00:09一方で世界に目を向けてみますと各地で戦火が止まりません
00:14イスラエルのガザ侵攻やイランへの攻撃タイとカンボジアの国境をめぐる武力衝突もありました 毎日途方もない数の命が犠牲になっています
00:30戦争はしてはいけない 誰もがそう思っているはず
00:35しかし今も世界の至る所で戦争は起き 多くの命が失われています
00:46エロシアがウクライナに侵攻して3年半 太平洋戦争は3年8ヶ月に及んだことを考えますと その戦火は筆舌に尽くしがたい状況です
00:57私たちは過去の戦争から何を学び 何を今に生かしているのか大きな疑問が残ります
01:04今から80年前 太平洋戦争で310万人の日本人が犠牲になりました
01:18その一人一人に大切な人がいて かけがえのない暮らしがありました
01:31戦争はそんな人たちの生活を 一瞬で根こそぎ奪います
01:36人の命はいつからそんなに軽くなったのでしょうか
01:45日本は今 戦後生まれが9割近くを占めています
01:52年々薄れる戦争の記憶
01:55あの参加を忘れ 再び過ちを繰り返さないために
02:02池上彰の戦争を考えるスペシャル2025
02:07命の大切さについて改めて考えます
02:1216年目を迎えたこの番組
02:19今回の舞台は山口県周南市
02:23池上と共に向かったのは 俳優宮崎芳子です
02:28宮崎さん またこの季節がやってきましたね
02:36今年は戦後80年ですけど
02:40だんだん体験した方から 直接話の機会は減っていくので
02:45より積極的に登場力を持って 調べていかなければいけないのかな
02:52そうですね こちらから積極的に色々調べたり 話を聞いたりということ
02:57今こそしなければいけませんよね
02:59今日は瀬戸内海大津島というところ
03:02ここにも戦争の記録 あるいは記憶が残っているんですよ
03:09徳山港から南西におよそ10キロ
03:15大津島が見えてきましたよ
03:18瀬戸内海に浮かぶ大津島
03:21人口170人ほどの離島です
03:25太平洋戦争末期
03:27ここである作戦が秘密裏に行われていました
03:34さあ大津島に来たんですが
03:404こそ海天の島と書いてありますよ
03:44これ港に入る時に真っ先に目に入りましたね
03:47そうですよね ここが海天の基地だったからですよね
03:51その海天というのは特攻兵器であったと
03:54そうなんですね 通称人間魚雷というわけですよね
03:58普通魚雷はね 潜水艦あるいは船から
04:01敵の船に向かって発射するわけですけど
04:03中に人間が乗り込んで運転をして
04:06そのまま突っ込んだというわけですよね
04:09皆さんは海天という特攻兵器を知っていますか
04:16人間が魚雷の中に乗り込む敵艦へ体当たりする
04:24決して生きて戻れない必死の兵器
04:28多くの若者が海天とともに南の海に散っていきました
04:37本当に戦況が悪くなってきたというと
04:40学徒羊で本当に若い20歳前後の学生たちに
04:45爆弾を抱えて突っ込ませるという
04:48とんでもない命を消しした作戦でしたよね
04:52そもそもこの海天というのはどういう意味なんでしょうか
04:56これ天を巡らしという意味になるわけですね
04:59本当に戦況が悪化してきて
05:01このままではとにかく日本負けてしまうんじゃないか
05:04と健康一滴、世の中の運命をひっくり返すための
05:08武器という名前で名付けられたわけですよね
05:13ここ大洲島は特攻兵器海天の基地が
05:17全国で唯一残っている場所です
05:22極秘作戦だった海天
05:25離島で人口の少ない大洲島が
05:29うってつけの場所だったのです
05:32うわぁ
05:34はい
05:35こう
05:36ちょっとほら、両方にコンクリートがあって
05:39はい
05:40なんでこんな道が作られたと思います
05:43いや、これ必要ですか?
05:46これ、え?よく分からないです
05:49当時のまま残されている
05:52コンクリートの壁で囲われた道
05:56これは?
05:58海天の基地って昔は極秘だったわけですね
06:02なので、海天の人たちが生き生きをしたり
06:06あるいは海天の人間魚雷を移動させるときに
06:11島の人から見えないようにというので
06:15わざわざこんなコンクリートで
06:17こんな風に作ったんだそうです
06:19目隠しのために
06:20目隠しですね、こちらなんかもそうですよ
06:23現在、歩道部分は補強され、かさ上げされていますが
06:28当時、壁は頭の上を遥かに越えていたそうです
06:33坂道を登りきったその先に
06:39こちらですか?
06:43こちらですね
06:44そうですね
06:45開店記念館です
06:50当時、ここには貸し館搭乗員の宿舎がありました
06:55あった
06:58あちら
06:59
07:01回転だ
07:02これ、私思っていたより大きい
07:05はい
07:06魚雷ですよね
07:08魚雷だけど
07:09潜望鏡がついている
07:11はい
07:12人々1人乗ってたわけですからね
07:14これに乗る
07:16はい
07:18これが、回転です
07:20全長14.75メートル
07:24胴体の直径は1メートル
07:28先端には1.55トンの爆薬が詰め込まれていました
07:34大型艦船でも一発で沈めることができる破壊力だったといいます
07:41ここから乗るんでしょうか?
07:43そこから乗るんですよね
07:45ここから乗るんですよね
07:47ここから乗って
07:49出入り口はここだけです
07:52航空機による特航は神の風、神風と呼ばれたのに対し
08:06人間魚雷の回転は神の使用、神朝特攻隊と言われました。
08:19先端にずっと爆弾が入ってるわけです。
08:25魚雷は一回使って、人間とくっつけるというのが使い捨てにされたって。
08:39一人一人のわかるものが使い捨てですね。
08:44これ見るとそれがとてもよく感じられます。
08:49建物の中に入ると、
08:58開店とともに亡くなった人たちの写真が。
09:03犠牲となったのは搭乗員や整備士ら145人。
09:11尊い命が奪われたのです。
09:19開店に乗り組んだ人たちっていうのは年齢で言いますと。
09:23平均年齢が20.9歳です。
09:27一番多いのが18歳から23歳、4歳まで。
09:32出撃したら敵をめがけてただ突き進む。
09:36そして必ず死ぬ。
09:39開店は鉄の看護家と呼ばれました。
09:44敗戦が濃厚だったにもかかわらず、
09:49天を巡らし戦況を逆転させると信じて、
09:53若者たちは突攻していきました。
09:59彼らが残した多くの遺品には勇ましい言葉が。
10:06自らを奮い立たせようとするように。
10:14これは映画で使われた開店の内部です。
10:19実物に模して作られましたが実は25センチほど大きく作ってあるんですね。実際には1メートルしかありませんのでこれよりさらに小さい。これでも小さい。狭いですよね。狭いですよね。これは座ってたんですか?広がりではなくて座ってたんですか?座っている状態ですね。座椅子のような椅子があります。あれ座椅子か。一応千望鏡がそこにあって。
10:48魚雷の中は人一人がようやく入れるほどです。
10:55戦火って言い方ちょっとお弁がありますけど、どうだったんでしょう。
10:59開店で実際に相手の艦船に対して体当たりができたのが45隻というふうに記録されてます。
11:09分かっているのはですね。そのうちで3隻ほど激鎮。4隻ほど損傷を与えた計7隻ですね。
11:2080人が開店で出撃し、亡くなりました。
11:24しかし激鎮できた敵の艦船はわずか3隻でした。
11:31どういうことですか。
11:33肉声が聞けるんですか。
11:35塚本太郎さんとおっしゃって、学徒動員で出られた方なんですけども。
11:40塚本太郎さんは昭和20年1月21日に開店で出撃し、特攻士しました。
11:52太郎さんが残した声の遺書。
11:56広告関係の仕事をしていた父のスタジオで吹き込んだといいます。
12:03唯一残る搭乗員の肉声です。
12:07はい、先生、先生。
12:09そうして長い間、返信で来た話を。
12:12学校よ。さようなら。
12:14本当にありがとう。
12:16本当にありがとう。
12:17本当にありがとう。
12:19僕は、別と思っていつまでも自分で生きていると楽しくてもらいたいんだ。
12:23自分で全く。
12:25自分で一緒にご恩返しをしなければならない。
12:28僕は、そんなに私の家族で生きている前に、
12:32日本以来のことが生きてはならないといいますか。
12:34当時今、本日月で仕込まる一般の遺書までを記された。
12:3910月8日の雨中間から、我々総合は、
12:43予定の地域と本日に遡り、
12:45声がしないようには伝わったのだ。
12:472世20年。
12:49市政権に追い当たる復帝力も知れても、
12:52この時とも一緒に仕込みよう。
12:55本日的実況では、
12:57出て終わり越えて、
12:58ただ表示、実情、
13:00だって、こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたいって言ってますよね。
13:28この後半も、当時のこの塚本さんにとっては、
13:34本当に正直な熱情なんだと思うんですけれど、
13:39こういうふうに言わせる教育っていうか、
13:45何か世の中の、だってもうそういうものだっていうふうに、
13:48教えられたもの、
13:51でもこれは本当に正直な心情だと思うんですけれど。
13:54正直な、そうですね。
13:55いわゆる検閲というのもない、ご自宅でされている。
13:58ああ、そっかそっか。
13:59確かに、検閲ないんだ。
14:01僕は、もっともっと、いつまでも、みんなと一緒に暮らしたいんだ。
14:16塚本太郎さんの弟が、千葉県松戸市で暮らしています。
14:23こんにちは。
14:24どうも、こんにちは。いらっしゃい。
14:26塚本裕作さん、89歳です。
14:31裕作さんは、4人兄弟の末っ子。
14:35太郎さんとは、12も年が離れていました。
14:41どんなお兄さんでしたか。
14:43いやー、ストイックで、自分に厳しい人だったんですね。
14:48学生の時に、水球部だったんですね。
14:52それの水球部の日本代表だったんですね。
14:57慶応大学の水球部に所属し、
15:01日本代表チームのゴールキーパーも務めました。
15:06とにかく、まっすぐで、自分を立する人だったといいます。
15:12分かれる日は、どんな気持ちでお兄さんを迎えましたか。
15:16疎開の沢原町から呼ばれたもんですから、
15:19兄が帰ってきたから呼ばれた。
15:21でかい歯間の格好してましたから、
15:25とっても格好が良かったですね。
15:29これは、太郎さんが出撃前、一時帰宅した時の写真です。
15:36裕作さんは、太郎さんの横で嬉しそうに笑っていました。
15:43開店は秘密の特攻だったため、
15:49任務のことなど、一切話すことはできませんでした。
15:53しかし、突然の帰宅に、
15:57父と母は何かを感じていたようだ、といいます。
16:02そして、この写真を撮った後、こんな出来事が。
16:08私に対して分かり際に、頬を殴っていたんですよ。
16:15まあ、それは体育会的な意味でしょうね。
16:18語るよりも。
16:20よく、だからここを覚えてますね、殴られたの。
16:23痛みというか、思い出として、
16:27しっかり頼むぞっていうことで、
16:30まあ、両親も頼むって意味だったんだろうけどね。
16:35自分がいなくなった後、後取りとなる寺内へ。
16:41突然殴られた驚きと痛みは、
16:44今も鮮明に覚えていると裕作さんは言います。
16:48舞台というか、父に帰りますってことで、
16:52挙手の礼をして、それで、うちの出て行って、
16:5720メートルぐらい先のところの路地を回った時が、
17:02ものすごく一緒にある。
17:05最後の別れの顔をして、挙手をして、
17:11回って帰って行ったって時にね。
17:14それが、兄の最後の姿となりました。
17:21なんていうんですかね。
17:23どういう風にして、地に泳ぎ、
17:25行くのかってことが、
17:27まあ、情報として、
17:28詳しくは話せないわけですよね、当然。
17:31だけど、あの、別れ際に、
17:34あの、母親に、
17:36着てる着物、
17:38あの、袖かなんかで、
17:40座布団作ってくれてた思ったんです。
17:42回転に突入する時、それを引いて、
17:46座布団にして、死ぬってことだったらしいんですね。
17:51母の着ていた着物で、
17:53座布団を作ってもらいました。
17:57太郎さんは、その座布団を、
18:00回転の操縦席に敷いて、
18:02特攻したのです。
18:05やっぱり、お母様は、
18:07もう、分かってたんですかね。
18:09分かってましたね。
18:11死にに行くことは分かってたし。
18:13被災も、母親78だったかな。
18:16着せてやりましたけどね。
18:18太郎さんの母、幾子さんは、
18:23あの座布団と同じ着物を着て、太郎に会いに行く。
18:27という言葉を残し、
18:29亡くなったといいます。
18:32お兄さんが亡くなられたって聞いた時は、
18:34どんな気持ちでした?
18:36あんまり考えなかったですね。
18:38みんな、戦争で死んでるし。
18:41悲しいという感覚は?
18:44悲しかったのは、
18:46田畑に帰ってきて、
18:48全部焼け野原で、
18:50それで暴雲に寝てたんですけど、
18:53なぜか私と母親だけは一緒になって、
18:56母親が、その、
18:58みかんの花咲を伺って、
19:00歌を歌ってたのでしたから、
19:02黒闇の中で、
19:04母親が泣いてるのが分かりながら、
19:06一緒に、その時が一番つらい思いだった。
19:10極秘作戦だった回転のことが、
19:14初めて報じられたのは、
19:16初出撃から4ヶ月後でした。
19:20新鋭先行艇で体当たり、
19:23輝く身長特攻とあります。
19:26そこには太郎さんの名前も、
19:31特攻兵器回転、
19:34必死の兵器を世に送り出した、
19:36当時の日本について聞くと、
19:39それはもうね、極刻一致ってことでね、
19:43正義だとか悪いとか、
19:45いいとかじゃなくて、
19:47戦って勝つためには、
19:49あらゆる手段を講じなきゃいけないってことは、
19:51子供高齢にはよく分かってましたよ。
19:53でも、我々がそうだったんですから。
19:55小学校3年生が、
19:57もうすぐ覚えたり、
19:59手渡しもやらされて、
20:01何の意味があるんだと思ったくらい、
20:03戦争は大義名分とか、そんなことじゃない。
20:05腹が減る。
20:07そこから不条理が始まってるんですね。
20:11太郎さんの声の遺書を聞いたときは。
20:15国に対する思いが、
20:19高揚してくるんですね。
20:21これは、
20:23もう、
20:25戦争という、
20:27戦争が入ったとき、
20:29これ、私でもそうなりますから。
20:31全体的なものに、
20:33まっこまれてくるんですね。
20:35そういう雰囲気があった。
20:37今、若い人たちは、
20:39流行に憧れるのと同じように、
20:41行かねばならないっていう雰囲気があったんですよね。
20:43だから、
20:45一種の流れ、
20:47強烈な流れ、
20:49今でも、
20:51お祭りだったら、みんな流れで乗るでしょう。
20:53うちの中、じっとしてられない。
20:55出てくって。
20:57戦争という大きな渦に、
21:09巻き込まれる雰囲気があった。
21:15太郎さんは、
21:17特攻する前、衣装をしたためています。
21:21でも、両親に対して、
21:23体に気をつけてください。
21:25頼りはいたしませんが、
21:27心配なさらんでください。
21:29昔の私ではありません。
21:33でも、その後、
21:35ご両親の幸福の条件の中から、
21:37太郎を早く、
21:39覗いてくれ。
21:43記憶から覗けってことですか。
21:45最後が、ママ、パパになってますよね。
21:51本当だ。
21:53その前は、母上って書かれて。
21:57書いてたのに。
22:01でも、最後に突然、ママ、パパって、
22:03最後は、やっぱり親に甘えたということでしょうかね。
22:07私のすることを信じて見ていてください。
22:15太郎さんは、21歳で、その生涯を閉じました。
22:21本当に当時、命が軽んじられてましたね。
22:29でも、今も世界のあちこちでは、命が軽んじられた戦闘が続いてますよね。
22:37特に、ロシアとウクライナ。
22:41本当に、ものすごい数の若者が死んでますよね。
22:45ですよね。
22:47私、こういう言い方が適切に使うのか分からないけど、なんてもったいないことをするだろうと思うんです。
22:55命、もったいない。もっと、もっとよく生かす方法あるのにって思います。
23:04だって、兵器なんですよね。
23:06そうですよ。
23:08この特攻兵器、回転を考え出したのは、軍の上官や将校ではありません。
23:16特攻兵器で、例えば、戦闘機で突っ込むというのは、上からこういうものをやるよってなったわけですけど。
23:24これは、こういうものを若者たちがやるべきだと言って、回転というこういう作戦が作られたそうですね。
23:33やっぱり思い詰めていた若者たちがいたってことですよね。
23:38戦況の輪っかを憂いていた黒木博中尉と西名関代将尉が、人間魚雷回転を提案。
23:49敗戦が濃厚となった昭和19年2月、回転の試作が極秘に始まったのです。
23:59多くの特攻兵器の中でも回転は、発案者が搭乗員になった稀なケースでした。
24:07そして…。
24:08そして…。
24:09訓練が開始されて2日目にですね、事故で亡くなっておられます。
24:15はい。
24:16ですから殉職ということになっています。
24:17殉職ですね。
24:18はい。
24:19発案者だった黒木さんは、回転の訓練中に事故で命を落としました。
24:28そして西名さんは、初出撃で特攻し、21歳の生涯を閉じました。
24:38大洲島には、回転の極秘の訓練基地が今も残っています。
24:45西名さん、あれ。
24:46西名さん、あれ。
24:47これ、トンネルですね。
24:48おー。
24:49はい。
24:50つまり、訓練基地まで行くときに、このトンネルを通って行ったんですよね。
24:56つまり、回転をだから整備されたものを持ってきて、この後、訓練基地まで運ばなければいけないので、極秘のプロジェクトですから。
25:06はい。
25:07回転を運ぶために作られたトンネル、生徒死のトンネルと呼ばれていたそうです。
25:14これ、ほら、両側に車輪の跡が。これ、トロッコですよね。
25:21ああ、レールが引いてあったってことですか。
25:24ええ、これで運んだんですね。
25:25ああ、なるほど。
25:26重さ8.3トンの回転を、隊員たちは黙々とトロッコで運びました。
25:35ここを、あの黒い回転が運ばれています。
25:43はい。
25:44ここがですね。
25:46命がけの訓練ですから、かなりこう、気持ちは穏やかじゃなかったところはあります。
25:50ですよね。
25:52うわぁ。
25:53250メートルのトンネルを抜けると。
25:57いやぁ、きれいな海ですよ。
25:59はい。
26:00回転に登場する若者が、最後の訓練を受けた場所です。
26:09穏やかな風景に、異質な建造物が鎮座していました。
26:15これそのまんま、当時のまんま、こうやって残ってるってことですよね。
26:19うん。
26:20いや、これは私、しっかり作ってますね。
26:24本当に。
26:25建物は老朽化が激しく危険なため、立ち入りは制限されています。
26:32足元が悪いので、気をつけない。
26:34はい。
26:35はい。
26:36じゃあ、先に入ります。
26:38わぁ、深い。
26:40ここは、魚雷用の発射口として使われていました。
26:52もう来る途中も島陰が近くてと思ってましたけれどここは開けてますよね。
27:09大洲島の南西側は、瀬戸内特有の島が連なる地形ではなく、九州まで海が広がっています。
27:21この地形が、回転の訓練に適していたのです。
27:29あ、これですか。
27:31これクレーンの。
27:32クレーンで。
27:33もう実物はないんですけども、ここから回転を釣り上げてですね。
27:38釣り上げて。
27:39海に下ろして、そこの回転を、今度は横滝艇っていう船で、訓練を始める場所まで運んでいた。
27:50昭和19年の9月から始まった回転の訓練。
27:55それからわずか2ヶ月で実践投入されました。
28:00最高速が、約55キロぐらい。
28:05はい。
28:06少しでも突起物があると、シューと水しぶきが上がるので、発見されてしまう。
28:13そこ線を置き上げるとね。
28:15え、じゃあもう外全然見えない状態で。
28:18必要最低限観測して、あとはもう計算と感もあるんですがね。
28:24いや。
28:25それでも訓練後期になると、かなり上達されていますよね。
28:30知られないです、ほんと。
28:34死ぬための訓練ですからね。
28:36うん。
28:39回転は極秘の兵器でした。
28:42そのため、今なお全貌は明らかになっていない、と言います。
28:49回転は、潜水艦のデッキに固定され、目標艦船がいるエリアまで運搬されます。
28:59その潜水艦の元乗組員に当時の話を聞きました当時16歳で重兵として士官の世話係をしていました。
29:21ちょっと気になるのは神風という言葉をだいぶ全国一つでね回転という言葉を少ないのよ僕たちは僕としてはもう残念でたまらぬ同じねえと答えでしょ国のために戦ってね水くらいなくなっとんでしょ清澄さんが乗った潜水艦の看板で撮影された乗組員たち。
29:51手前に映っている台座のようなものここに回転を縛りつけ敵の船の近くまで運んだといいます。
30:07僕たちが一般のヘイターさんとはね回転のことは全く話ありません回転の乗組員たちだけで話したりねまあ僕で一緒に見たのは将棋みたいなのをしたりねしておったわね。
30:24当時最年少だった清澄さん特攻に赴く海点の隊員には近づきがたい雰囲気があったといいます昭和20年7月九州沖海点を乗せた潜水艦に艦長から命令が下りました。
31:18日本の国はこれでも最後のぞいてねそして身を収めているかな祖国へ対してこれが若井田敬にやりてあの沼明の海点の方と僕たちは出艦師の出入り口というか住みこの方でじっと応募を持ってこられたんだけどね。
31:42隊員はどんな言葉を残して出撃したのでしょうか。
31:48発車準備よしって問い合わせが出るわけでほぼてことから発車準備よしという言葉が返事が来るとそうすると続けて艦長が何か言うことはないかという最後の言葉をね書いての答えよ。一番隊長は天皇陛下万代最後の言葉。
32:12あとのね乗り組みの方は全部もうお世話になりましたという最後の言葉だけだったそうでそれで海点の方は出発する。
32:21それで海底の方は出発する公会長はねいやもう深刻な顔はなかったぞ明るかったぞ明るかったぞって言いなさったかなうんみんな明るい顔やったぞおいでうんまあお国のために死ぬ考えどうかでなまあそれだけ洗脳されたというかな海底の方はな。
32:47再び大洲島です。
32:53この島に池上がぜひ話を聞きたいという人がいます。
32:59こちらは島で唯一の食堂。
33:03ありがとうございます。
33:06松本千恵子さんです。
33:09大洲島で育ち大洲島で生きてきました。
33:14千恵子さんは母から聞いた話を紙芝居にして伝えています。
33:20母がこちらのあの交渉であの低身体をしていたときにそのときに見聞きしたことそれをはい。
33:28あ、低身体で女子低身体って言って。
33:31そうです。
33:32英体さんのいろんなお世話をするという。
33:34そうですね。
33:35そういう仕事だったわけですね。
33:36はい。
33:37このあと千恵子さんの母が目撃した戦争の不条理に迫ります。
33:58ESUVは人の心を自由にする自由という名の冒険をレイバック
34:13メガネは太陽光を操れるだろうか。
34:18可視光聴光レンズ。
34:20可視光線と紫外線を感知してカラー濃度が変化する。
34:24ジンズの新しいレンズ。
34:27レンズはジンズ。
34:30競輪って英語でも競輪って言うんだ。
34:35日本発祥の世界スポーツだからな。
34:38ってことはパパもいつかは世界デビュー?
34:41こんなスポーツ他にないだろう。
34:46加速するビジネス環境あなたの会社をもっと成長させたいDX時代の経営をナビゲート日本の企業を元気にMJS魅力情報サービスMJSひがめきで検索
35:01ゼロボールチャレンジ!
35:03もう飲んだ?
35:07キレッキレで爽快!
35:09ノーアルチューハイもここまで来た!
35:11タカラカラクシゼロボール。
35:12君もチャレンジ!
35:14タカラクシゼロボール。
35:16この壁は突販のデジタル木材。本物の木より機能的で自由な空間作りに役立つの。
35:21黙れ!剛性のくせに!
35:22いや、剛性ではない。デジタル木材だからちゃんと裏から映像を映し出せるのだ。
35:27触るの。
35:28突販。突販。
35:30ご宿泊料金は2700円です。
35:34え?俺の半額?
35:37鳥箱。
35:38複数のサイトのホテル代を比較して宿泊料金を最大で50%節約。
35:43無料キャンセルができるホテルは?
35:44鳥箱。
35:45おいしい朝ごはんが食べられるホテルは?
35:47鳥箱。
35:48彼女たちと行けるホテルは?
35:50もちろん。
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35:53鳥箱ならホテル代を比較して最大で50%節約できます。
35:57ホテル。
35:58鳥箱。
35:59実はゴッシューが気になって。
36:04だったら一撃召集のパーシャルデント召集特許技術で一撃召集悪臭をゼロへいいですねパーシャルデント来たぜラウンド1ボウリングカラオケクレーンゲームスポッチャー!
36:58熱中症対策油断しないで。
37:03水分補給はもちろん。
37:04水分補給はもちろん。
37:05日傘や帽子、ネッククーラーなどで体を守りましょう。
37:09周囲への声かけも忘れずに。
37:12熱中症から命を守る行動を。
37:14夢中になれる明日暮らしへ。
37:19ダメ。かけ氷食べたい。
37:21あるよ。
37:22え?うちにお祭りあるよ。
37:24夏祭りがおうちで作れる。
37:26来ちゃった。
37:27え?楽しいお祭り屋さん。
37:29イケガミヤケラの戦争を考えるスペシャル2025。特攻兵器回転の島で命の大切さについて改めて考えます。
37:46お焦げをください。
37:48太平洋戦争末期の頃。
37:50この小さな島にも海軍の交渉ができてね。
37:54島の娘たちも大勢、定身隊員として働きよった。
37:59仕事はなかなかに厳しかったが、若い娘たちは大和な弟子としてお国のためと信じて骨は惜しまんかったね。
38:09また、明け方3時頃からの水地係もあった。
38:15一般水地は兵隊と工員のご飯。
38:18食糧難の時代じゃったから、ふすまや大豆かすなど、私らのような貧乏人が見ても気の毒なような食事じゃったね。
38:28ところが、偉いヒトラーの高等官水地はまるで違うてね。
38:33毎日銀シャリと呼ばれる白米のご飯。
38:36おかずもその時代めったに手に入らん。
38:40肉や魚など、そりゃあ差があったものいいね。
38:44高等官水地じゃった、ある朝。
38:48周りはまだ真っ暗な中、忙しくに働きよったら、何やら気配がするようなから顔を上げたら、
38:56入口の戸が少し開いてね。
39:00そこから細い手が見えた。
39:02ついで、「おこげは、おこげはありませんか。おこげをください。」
39:06ちゅう、か細い声がせるのいね。
39:09一瞬、夕霊でも出たかと思って、肝を冷やした。
39:13低身隊員は、兵隊や行員と、みだりに口をきくことは許されんかった。
39:19困ります。出てください。
39:21ちゅうて、押し出すしかなかったね。
39:24その後も、何度も、おこげをください。ちゅうてきてね。
39:31とうとう私らは、水地町にじきそした。
39:35あんまりにも気の毒なし、私らもせんないから、どうにかしてください。ちゅうてね。
39:42水地町は、苦い顔をして、黙ってきいちょったが、「わかった。これからは、帰る前には、おこげで結びをつくっておいて帰ってくれ。
39:53あとのことは、わしがうまくやっちょくから。」
39:57その日から、私らは、帰る前には、おこげで小さな結びをつくっておくようになった。
40:04今でも語り継がれる、回転の兵隊たちの裏で、表には出んかったけど、いろんなことがあったよ。
40:13一度なんか私は、床に倒れて動かん兵隊を、一人が襟首をつかんで引きずり起こし、水をかけ、一人がカシの木で殴る。
40:23それを、一人がふんぞり返って、眺めちょるところへ行きようたよ。
40:27かわいそうに、殴られる兵隊は、はあ、動かんかったね。
40:32あの人は、とても生きちゃおれんかったろうと、私は思うたよ。
40:39戦争なんか、ええことは一つもないよ。
40:42あの頃の教育で、私らまで大和なでしことして、アメリカ軍が上陸してきたら、
40:49潔く、ここから飛び降りて死のうね、と仲間と話しようて、飛び降りる崖まで決めちょったんよ。
40:56じゃが、あの時、死なんでええかった。
41:01死んじょったら、あれから後の人生はなかったし、何よりも、私は自分の子にも孫にも会えんかった。
41:10やっぱり戦争はいけんね。
41:12どねえに巧みな言葉で人の心を操っても、国民に死ねちゅう国のあり方は間違おちょるよね。
41:20私は自分の息子をこの胸に抱いた時、つくづくそう思うたよ。
41:26皆さんはどう思うてじゃろうか。
41:29終わりです。お粗末さまでした。失礼いたしました。
41:34そうか。勇ましい話ばかりじゃなかったってことですよね。
41:38そうですね。本当に裏は全然勇ましくないですよね。
41:41完全な格差があるんですよね。
41:44そうなんですよ。すごくある。
41:46で、そういうことも話せなかった。戦後だいぶ長いこと話せなかったですからね。
41:52そうですか。
41:53やっぱり話してはならないっていう掟みたいなのが自分たちを縛ってたんじゃないですかね。
42:00うん。
42:01結果的にそうやってね、戦争のいろんな記憶っていうのが伝承されないですよね。
42:06うん。そうですよね。
42:07そうです。そうです。
42:08ね。
42:12国民に死ねちゅう国のあり方は間違おちょるよね。
42:23これは山口県のある場所の写真です。
42:30この丸いもの、なんだかわかりますか。
42:37蜂の巣のようなこれ、実は全て爆弾の跡。
42:44写真の場所は、山口県岩国駅周辺です。
42:50ここ岩国駅を中心に、アメリカ軍は無差別に爆弾を投下したのです。
43:00その空襲がいつあったのか、というと。
43:04ここ実は終戦の前日、8月14日に激しい空襲を受けた場所なんですよね。
43:138月14日。
43:15もう日本は戦争、ポツダム宣言を受諾して。
43:19はい。
43:20時間的にははっきりしないんですけど、もう一度ポツダム宣言を日本としては受諾したように伝えていた。
43:25そして8月15日に天皇の漁行放送が予定されていた。
43:29その前日、8月14日にですね、激しい空襲を受けまして。
43:35昼前からおよそ25分にわたって行われました。
43:40乗客や送迎車で溢れていた岩国駅前で、500人以上の命が失われました。
43:52フィナーレ爆撃なんて言い方もするという。
43:55爆弾が余ってるから使えって言ったんじゃないかという説と、
43:59徹底的に日本をやっぱり叩いておこうと思ったのではないかというわけですけどね。
44:04終戦直前の8月14日。
44:09空襲で500人以上の命が犠牲になった。
44:21池上がどうしても見たいと向かったのは。
44:26さあ、アメリカの海兵隊の岩国航空基地にやってきました。
44:31はい。
44:32日本軍の日本海軍の航空隊があった。
44:35なるほど。
44:36その基地が戦後はアメリカ軍の基地になっているわけですね。
44:40ここはもともと日本の海軍の航空隊への基地だったものですから、
44:45今ここにその当時を忍ばせるものがあるんですよ。
44:49ちょっと特別な許可を得てですね、中に入ってみましょう。
44:53はい。
44:54広大な敷地に軍人やその家族など、およそ1万3000人が暮らしています。
45:01さあ、そしてこちら。
45:10はい。
45:11この形は。
45:12延滞号ですね。
45:15アメリカ海兵隊基地の中に旧日本軍の施設が。
45:51キッチン寝室にも1点から出張買取お願いできますか?
45:56福ちゃんだね。
45:57福ちゃん。
45:58あれもこれも買い取ってくれるのは。
46:00福ちゃんだね。
46:01福ちゃん。
46:02鉄道全面展望DVDコレクション失われゆく路線車両風景を当時のままに永久保存相関号490円働いて笑おうパーソル。
46:26競合も動いてますよ。
46:27うちの会社じゃあな。
46:28今のままで成長できるのか。
46:30もっとユーザー目線で。
46:31前例がないしさ。
46:32外を見て気づく自分の可能性もあるから。
46:36きっと今だ。
46:37電飾ならデューダ。
46:39ポケモンカードゲームメガ。
46:42ポケモンカードゲームの新シリーズが開幕。
46:46進化の限界を超えたメガ進化ポケモンが登場。
46:50ポケモンカードゲームメガブレイブメガシンフォニア。
46:54本当はやってみたいことがあるんだろ?
46:57でも。
47:01いや。
47:02自分の限界。
47:05自分で決めちゃってない?
47:08自分の殻を破れ。
47:14卵ベーコン肉厚ビーフ。
47:16新登場。
47:17サムライマック。
47:18トリプルビーフ。
47:19ここから始まりだ。
47:21お得なクーポンも。
47:24ハロー、チューリヒ。
47:26チューリヒの自動車保険は、
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47:35ぜひ、お電話ください。
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47:38セブンのスムージー。
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47:43イチゴバナナソイスムージー。
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47:47今日もスムージー。
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48:23競輪って英語でも競輪って言うんだ。
48:29日本発祥の世界スポーツだからな。
48:32ってことはパパもいつかは世界レビュー?
48:35こんなスポーツ他にないだろ。
48:37宇都宮と函館
48:39チェックアップお願いします。
48:40ご宿泊料金は2700円です。
48:42え?俺の半額?
48:44トリバゴ。複数のサイトのホテル代を比較して宿泊料金を最大で50%節約できます。
48:50ホテルトリバゴ。
48:54みんなと違う見方ができたらいつもがもっと面白くなるこれだ開こう自分の世界。
49:22自分の世界。
49:24アメリカ海兵隊岩国航空基地の中に太平洋戦争当時を忍ばせるものが。
49:32さあそしてこちら。
49:34はい。
49:35この形は。
49:36エンタイ号ですね。
49:38そうですね。
49:39アメリカ軍などによる空襲から戦闘機を守るために作られた。
49:44それがこれちゃんと残されているんですよね。
49:47そのままこれ保存されているということなんですね。
49:50保存されているんですね。
49:52旧日本軍のエンタイ号が当時のまま残されていました。
49:59アメリカ軍による激しい爆撃。
50:06だからいわゆる空襲だけじゃなく戦闘機が基準装置という形でやったわけですね。
50:13その時の跡が残っているんですね。
50:15うわぁ。
50:16なんか生しい跡ですね。
50:18当然ね、日本の基地だったわけですから、たびたりアメリカが攻撃したわけですよ。
50:25アメリカ軍による激しい爆撃。
50:29その痕跡は80年たった今も残っていました。
50:35ではどうぞ。
50:38アメリカ軍の中には。
50:40これは。
50:41なんとはい。
50:42えぇ。
50:43冷戦ゼル戦ですね。
50:45これ。
50:48あー、これ。
50:50機体奥まで全部昔はこのように収められていたってことですね。
50:55まさにこの炎帯ごっこに収められて守られていたってわけですよね。
51:011984年の映画で使われたゼル戦のレプリカを。
51:07日米友好の証としてアメリカ軍に贈呈しました。
51:15炎帯号にはこんな工夫も。
51:18ガラスのところをよく見るとですね。
51:21これ、翼の形になっているんですね。
51:24つまり、普段はこれね、格納されているわけです。
51:26いざって時にはこれを外せば、すぐにこう、外に出たわけです。
51:30へぇ。
51:31何から何までもぴったり、飛行機が主役でそれを守る。
51:37ガラスがはめ込まれている部分をよく見ると、飛行機の形をしています。
51:46炎帯号は、飛行機がすぐに飛び立てるように設計されていました。
51:52この炎帯号、アメリカ海兵隊員はどう思っているのでしょうか。
51:59現在、日本とアメリカは非常に強固な日米同盟関係にあります。
52:08そういった意味で、歴史の移行、日米関係の象徴として残していきたいと思っています。
52:14今の日本は、戦争を知らない世代がほとんどです。
52:21それはもちろん悪いことではないんですね。
52:24でも、戦争の記憶が伝わらないというのは、やはりこれは問題があるのではないでしょうか。
52:29というのも、戦争はある日突然始まるわけではないからです。
52:33長い時間、私たちが知らないふりを決め込んだ先に起きてしまうのではないでしょうか。
52:39戦争反対、核兵器反対、小さくてもその声が聞こえなくなったとき、戦争の危機が迫っていると私は思うのです。
52:51池上彰の戦争を考えるスペシャル、2025話。
52:56テレ東ビズ、TVer、ユーネクストで配信。
53:01カレーも好きや。お待たせしました。
53:03この香り、大きくて柔らかいチキンに、コクのあるバターチキンソース。
53:08これ好きだ。
53:11その味、香り、表情豊か。
53:13スッキーヤのバターチキンソースから。
53:15お疲れ。
53:16排水溝を洗っているのに、奥には汚れや菌が。
53:20クッサ!
53:21そこで、簡単洗浄丸、ポン!だけで、パイプの奥でシュワーっと発砲。
53:25洗浄、除菌。
53:27スッキリ。
53:28私たちから箱に変わった、簡単洗浄丸。
53:33競輪って、英語でも競輪って言うんだ。
53:36日本発祥の世界スポーツだからな。
53:38ってことは、パパもいつかは世界デビュー?
53:41こんなスポーツ、他にないだろう。
53:43そのマウスピース、水洗いだけで済ませると、見えない菌がこんなに。
53:52そこでピースクリーン。
53:54この錠剤が水では取れない菌を除菌、徴収。
53:58またね。

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