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00:00凄いなやっぱり今日は函館に来てますおーやっぱ何度来てもすごいねおーこの区切れうん今タモリさんがいるのは北海道函館市函館山の展望台です函館といえばここから見る夜景
00:29きれいですね函館はブラタモリでくまなく回っておりましてあの時は桑子先輩がまだいらっしゃった頃ででも函館やり尽くした感じだなこんにちは
00:55野村雄一さん30年以上にわたり函館の歴史を研究しています
01:0210年前函館ブラタモリで行きましてやり尽くしたっていう感じがあるんですけど
01:10今回この函館の中で私たちが向かう先というとあの辺り市街地の真ん中にちょっと白い細長いタワーが見えるのが分かりますでしょうかね
01:23その向こう側に緑が広がっているんですけれども
01:28はいはいはいあそこの辺ですかね五稜郭は
01:31そうですね
01:32あそこは行ってないですねそういうの
01:34うーん行ってません
01:36はい
01:37お二人五稜郭というとどんなイメージがありますでしょうかね
01:42幕末ですね江ノ本武明
01:45藤方俊三
01:47藤方俊三
01:49そうですねあの幕末の函館戦争その戦いの舞台になったということで有名ですよね
01:56はい
01:57で本日のお題ですけれども
01:59はい
02:00これ田森さんめくっていただけますでしょうか
02:03いくの?
02:04はい
02:05何でしょう
02:06はい
02:07幕末の要塞五稜郭の秘密
02:14あの五稜郭の秘密をですね探っていくと
02:18うん
02:19幕末の日本の激動の時代が見えてきます
02:23うーん
02:25分かりました
02:26はい
02:27行ってませんでした
02:28はい
02:29よかったです
02:30申し訳ないです
02:31はい
02:32それでは五稜郭に行ってみましょう
02:34はい始まりましたムラタモリ今回の旅の舞台は北海道函館市にある五稜郭幕末に作られた星型の要塞です函館を代表する人気スポットで年間およそ100万人が訪れます幕末には戊辰戦争最後の戦い函館戦争の舞台になります
03:03激動の時代に翻弄の時代に翻弄された五稜郭の秘密とは
03:10タモリさんがブラブラブラ旅して解き明かします
03:17今日は五稜郭でブラタモリ
03:19今日は五稜郭でブラタモリ
03:26それ効果があるかね?
03:28溢れる幸せを祈るよ
03:33クロスファイヤー
03:36僕らの住むこの世界では旅に出る理由が本話な自己関係誰もみんな手は船はしばし分からん
03:485稜郭の秘密を探る旅まずは五稜郭がよーく見える場所からスタートです
04:12五稜郭タワーの上から見ると五稜郭の全貌が見渡せるんです
04:27そのために作られたんですか?
04:28そのために作られたんですよ
04:29そのために作られたんですよ
04:30わざわざ?
04:31そうですね
04:32へぇー
04:35早速タワーに登って五稜郭の全貌を見てみましょう
04:42おーこれ思っちゃうより高いですね
04:46あっよく見えますね
04:48あー綺麗
04:49ほんと真上から見えるんですね
04:53あっこれは作る甲斐があるわ
04:56あっこれはキレイだわ
05:01ではタモリさんあの尾の五稜郭は何のために作られたん?
05:09やっぱり開国をしてそこの辺りを防衛する防備を固めるということですよね
05:14That's right.
05:44Just look at the church in the temple.
05:50Yes, it is a church.
05:56It is called the武行所.
06:00The church is called the church,
06:02and it is called the church.
06:08Yes, but the church is called the church.
06:12確かに役所を守るためが金にしては立派すぎますよねそもそも何でこんな形にしたんでしょう?
06:31実は五稜郭にはモデルとなったものがあります 16世紀頃にヨーロッパで普及していた星綿の要塞を参考にしたものになります
06:48でもそのわざわざ西洋式にしたのはどんな糸があったと思いますか?
06:55なるほど
07:04五稜郭を作り始めたのは1857年
07:09幕末もいいとこですね
07:12外国人がやってきて 西洋式のパナ城があるのを見てすげえなと驚かすため
07:24まさにそうなんですか
07:27そうなんですか
07:30日本にも西洋と同じ要塞を作る軍事力と技術力があったということをですね
07:39アピールするために五稜郭が作られたということになります
07:44それ効果があるかな?
07:48実はですね こちらの地図をご覧ください
07:53五稜郭はこちらに
07:56ここですね
07:57外国にアピールしたい割には港からずいぶん離れた場所にありますね
08:05どういうことなんでしょう?
08:07港が近いということはそこには結構外国船がどんどん入ってくる
08:17大砲が持ってますね
08:18そうですね
08:19狙いは一発だ
08:22当時の大砲の射程距離というのは大体3キロというふうに言われていました
08:27ですので五稜郭は海から3キロ以上離れた内陸に作ったんですね
08:33こっちからも大砲は届かない距離
08:37コンパスであって
08:40こうなった
08:42当時日本は外国というですね
08:48前代未聞のその出来事をですね
08:51前にして
08:52外国船が何をしてくるか分からないという
08:57異常な緊張感につまれていたと思います
09:00ペリーなんか相当周到にやってきて
09:04港の推進とかを全部測ってますからね
09:09そうですね
09:10何を狙っているのか分からないですよね
09:12人の土地に来て
09:14人の土地に来て
09:15そうですよね
09:16勝手に
09:17勝手に測量して
09:19それは不安ですよね
09:21そうですね
09:25外国船からの攻撃は怖いけど
09:27外国に向けて日本の力もアピールしたい
09:31そんな複雑な思いの中で生まれたのが五稜郭なんですね
09:36実はですね五稜郭の中にも幕末の歴史を物語る秘密がまだまだあるんですよ。ありますか?はい。それではいよいよ五稜郭に向かいましょう。
09:54This is where the entrance is.
09:58Yes.
10:00Oh, the cat.
10:04It's a cat.
10:06A cat.
10:08It's a cat.
10:10It's a cat.
10:12It's a cat.
10:14It's a cat.
10:16It's a cat.
10:18It's a cat.
10:22That's a cat.
10:24So, we're going to get to the entrance.
10:32The守護 room is the way it is.
10:36I'm going to go to the entrance.
10:40Here we go.
10:42Here we go.
10:44Oh!
10:46Oh!
10:48Oh!
10:50Oh!
10:52Oh!
10:54Oh!
10:56Oh!
10:58Oh!
11:00Ah!
11:08Oh, man.
11:12This is what they do, and this is what they do.
11:42There's no way to go.
11:44It's possible to lose sight.
11:46It's possible to lose sight.
12:12Here is another one for the memory.
12:17It's called A
12:31This is a
12:32Yes, it's a
12:33Here
12:34This one
12:36This one
12:38This one
12:39Here
12:42こういうふうになりますでそうすると佐藤さんが半月号からさらにクロスファイヤーなんと入り口は3方向から狙えるんですか西洋式の星型要塞は守りがとっても硬かったんですねこうして西洋の要塞をモデルに作られたご両国なんですけれども
13:12ただ幕府の人間たちがどうしても譲れないものがあったんですね
13:20幕府の人たちが譲れなかったものって一体何なんでしょう
13:31ここはきれいに作ってますね
13:33こちら幕府の人たちがどうしても譲れなかったもの石垣になります
13:41そうですかサンギズミってやつですかね
13:46そうですねサンギズミですね
13:47五稜郭は形だけ見ると西洋式なんですけれどもこういった石垣の積み方はもう日本のお城ですね
13:58どうしても作っちゃうんだねこれね
14:00保守派がいるんだよ
14:02いやこれは西洋式ですよって言ってもやっぱり素人やお前石垣だろってこともあるんだね
14:11あの爆発の混乱の中ですね急いで西洋文化を取り入れようとする当時の人々の戸惑いを表すもの
14:21石垣からも幕末という時代を感じますねいよいよ五稜郭の中心部奉行所へ行きましょうお奉行所
14:50立派なもんですねこれは五稜郭自体は西洋式なんですけどもこの奉行所は全く日本式ですね威圧的ですねあの暴露が効いてますねあれが建物の特徴ですね
16:42あの函館戦争の時に五稜郭自体の改造も行われているんですああそうですかさっきのを見てみると完璧ですけどねはい一体どう変わったのかじゃあその函館戦争の痕跡を行きましょう行きましょう行きましょうはい函館戦争の痕跡が残っているんですか探しに行ってみましょう
17:12これは戦争の当時もあったわけですかそうですねその前の奉行所を作った時にその奉行所の庭として植えられたものですね
17:24北海道は元々赤松は自生していないのでこれは佐渡島から苗木を取り寄せて植えたという風に
17:36戦火をくぐり抜けて生きてきたんですねそうですねはい
17:42ひょっとしてその坂ですかそうです今見つけられましたけども旧幕府が改造した痕跡なんです
17:52これ大砲を上げやすくするためですか早いですね早いですね早いすぎですね
18:00これを書くのは土塁の上に大砲を引き上げるためのスロープ
18:06このスロープこそその函館戦争の時に作られたものなんですね
18:11それ以前はじゃあここに階段で上げてたんですか
18:21この急勾配を大砲を持ち上げるというのはなかなか厳しいですよ
18:28ということは旧幕府が来る前はこの土塁の上には大砲は
18:35なかったんですか
18:37なかったと
18:38そうですねそういうことになります
18:41江戸子たちも函館五陵閣にやってきて
18:45鉄壁のままに五陵閣があるぞ
18:47で中を見たらあれれってあれれになった
18:55旧幕府はかなり慌てて五陵閣を急遽実戦仕様の要塞に改造していったんですね
19:03でもあんまどうなるかわからん幕末に
19:10実戦を想定してないっていうのはおかしいですよね
19:14確かにどうして実戦をあまり想定していなかったんでしょう
19:20その理由を探りにやってきたのは五陵閣の裏側です
19:29この浦門橋で注目していただきたいのが
19:36あの堀の石垣ですね
19:38はぁ
19:40ノズラになってますよこれ
19:43自然のままの石ですね
19:46見た目全く重要視してませんね
19:50ここまではやっぱり保守的石垣はもう
19:55ちょっとまんばれなかったんでしょうかね
20:00はぁ
20:02端っこに意地見せてますよ
20:04表の立派な石垣に比べると
20:09裏は全く違いますね
20:13どうしてなんでしょう
20:16こちらをご覧ください
20:21今いるのがここですね
20:25こっちは同心ながらとか書いてありますね
20:29柿節の方が屋敷ですかね
20:32はい
20:33五陵閣に勤めていた役人とその家族などが住んでいた家
20:41そうするとこの裏門のルートというのは
20:44通勤
20:46そう役人たちの通勤路だった
20:49通勤はこれいいかってこと
20:52つまり普通に役所で
20:57役所に
20:58五陵閣自体は西洋式の要塞をモデルにして
21:03要塞としてのポテンシャルは高いものをしていました
21:07でも爆物に開口して
21:10いろいろ商業的な関係に外国がなっていくと
21:14そうするとあまり軍事的な脅威を感じられなくなって
21:18いい人じゃんってこと
21:20そういった中で五陵閣あくまでも武行書であるので
21:26それほどしっかりとした防備でなくてもいいんじゃないかというのが
21:34この裏側の方からを見ると何となく分かってくるのかな
21:40開国後外国の脅威に備えて作られ始めた五陵閣ですが
21:46完成までの7年の間に
21:50外国が貿易相手になり緊張感も和らいだってことですか
21:58だから実戦をあまり想定してなかったんですね
22:02ただしその後の残念ながら箱鉄戦争の時に
22:12日本人同士の戦いの場という風に
22:16劇的に場所に変わってしまった
22:20内戦のために近志郎が使われようとは思ってもよかった
22:26短い間に目的も機能もどんどん変わっていった五陵閣
22:34まさに幕末という激動の時代が生んだ要塞だったんですね
22:40さあ五陵閣の秘密もこれで終わりと思われるかもしれません
22:50実は五陵閣には知られざるもう一つの五陵閣があったんです
23:02もう一つの五陵閣って一体何なんでしょう
23:13港の近くまでやってきました
23:16もうそこ目当ですね
23:21そうですね
23:23そうですね
23:24こちらの地図をご覧下さい
23:28今私たちのこの辺りです
23:31この辺りですか今いるの
23:32こちらに伸びてくるのがこの坂が
23:35ウオミ坂
23:36はいウオミ坂ですね
23:38この坂になります
23:41これが坂ということはこの先というのは
23:45もう海だったわけですね
23:47そうですね
23:48昔は海だったんですね
23:50ではこの先隠れている部分に何があったと思いますか
23:56何があったでしょうか
23:57いいですか
23:58はいどうぞ
24:02伝天岬お台場
24:05このお台場は先ほど言ったもう一つの五陵閣といえる存在
24:11一二三四
24:13カクカクしてますね
24:15はい
24:16六角
24:18六角だよね
24:19本当は六角形なんですけど
24:21まあほぼ五角形
24:22ほぼ五角形ですね
24:23この台場ですね今は解体されて残ってはいないんですけれども
24:28うん
24:30かつての台場の写真がこちらになります
24:32はぁ
24:34これいつ頃作られた?
24:35実は五陵閣とほぼ同じ時期に作られて
24:39大きいですね
24:41大きいよね
24:42大きいよ
24:43海を埋め立てて作っているのでその上にはこれは全部石垣で
24:47うん
24:49これ砲があるときなんですかね
24:51砲座ですね
24:53これが十五個あったので十五分の大砲がこう海に向けてずらっと並んでいたと
24:59この弁当湯岬台場は函館を最前線で守る存在として作られた
25:06じゃあこれセットになってるんですか
25:08そうですねあの五陵閣は役所であったんですけど
25:12こちらは実戦的な軍事的なものとして作られた
25:17この辺ですよね
25:19そうですね
25:20何か残ってないですかね
25:22今はその姿を見ることができませんが
25:27昔はどんな様子だったんでしょう?
25:30reo
25:33reo
25:35reo
25:37reo
25:42reo
25:47reo
25:49reo
25:51reo
25:54reo
25:56reo
25:58実は函館戦争の時ですね旧幕府軍の新選組が実はこの台場を拠点としていたんですね。
26:14そうですか。
26:16五陵閣には幹部である家本とか土方がこっちにいたんですね。
26:22新選組が攻めてきて弁天三崎台場は孤立してしまったわけなんです。
26:30それを聞いた土方は仲間を助けようと五陵閣を出て弁天三崎台場の方に向かっていくんですね。
26:39しかし途中で撃たれて戦争してしまう。
26:45土方はそこで出たところで撃たれたんですね。
26:49で土方がなくなってしまってその後間もなく絵の元たち旧幕府軍が降伏して羽子たち戦争が終結したということになります。
27:01陸の五陵閣と海の台場。この2つが舞台となり激動の時代に終止符が打たれたんですね。
27:15実はですねこの台場あの今はこのように取り壊されてなくなってしまっているんですけれども実はあの今も羽子館の町の中で生き続けているんですあるんですか?
27:33行ってみませんか?
27:37役目を終えて取り壊された台場どんな姿で残っているんでしょう?
27:47入船漁港と入船漁港。
27:51石垣ですねずっと。
27:55そうですねはい。
27:56これはひょっとして台場の石垣ですか?
27:59その通りです。
28:00残ってるんじゃないですか。
28:03この辺り明治30年前後に港の改良工事をしているんですね。
28:11その時に壊した石垣の石をこの防波堤に積み替えて。
28:20ずっと積みてますね。
28:23日本の転換期に生まれた2つの五稜郭が今もこの函館の町を見守っているんですね。
28:42日本がやっぱり近代国家に生まれ変わる時のまあ海の苦しみっていうのはこの北海道の函館というどっちかというとまあ端っこの方で行われてたということですよね。
29:08終焉地が函館で。
29:10終焉地が函館であったということですね。
29:13激動の場所でしたんだよね。
29:15そうですね。
29:16はい。
29:17ねぇ。
29:26幕末の音が聞こえます。
29:29石垣を触ってみると、時代の音がするのです。
29:35イステルドです。
29:37広志です。
29:42函館の町で、ブラッドオリー。
29:45舞台は函館。
29:47灰からな町はどうできた。
29:49ここはどこだ。
29:51次回もお楽しみに。
29:54Ha, ha, ha, ha!

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