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旅トランスクリプション
00:00この動画のシリーズ、街歩きのシリーズでは
00:09ひとまずね、僕のこれまでの人生といいますか
00:12特に大学院進学前後ですね
00:16生活拠点が関東首都圏に移動したその前後の頃からの
00:21実際にかつて訪ねた場所をもう一度ね
00:26行き直して動画に撮っています
00:28最初は大学院の受験の頃
00:31まずはどこを受験するか
00:33関東、東京の大学って実はそれまで知らなくてね
00:37いろんなところ、青山学院とか東大も含めて歩いて回った
00:42その時の動画も作ったし
00:44あと実際にね、修士課程は早稲田大学院を受験しました
00:49その時のね、目白、学習院大学の目の前のホテルに泊まった
00:53その時の動画、その周辺の動画も撮ってきました
00:56その後、無事合格をして大学院、総大大学院に進学はしたはいいものの
01:05なかなか大変でしたね
01:07同級生は大学院生、学生とはいえど
01:10例えば有名な評論家、批評家のお弟子さんとかね
01:14あと文学賞、新人賞の最終候補まで行って無事に本を出しましたとかね
01:20そういった方々が同級生にいて
01:22何も知らずに地方の私立大学からやってきた僕なんかは
01:27カルチャーショック、目が回ってたというのは正直なところ
01:30それでね、周りの刺激を受けてというのは
01:34良くも悪くもね
01:36自分たちの研究家の雑誌、研究室だけじゃなくて
01:41学際研究、学際的なね、ひどい視野を持った研究室なんかにも
01:46例えば文学研究が専門だけど理論的なことですね
01:50文学、理論、哲学とか
01:52そういったことについての論文を出してね
01:56外部の研究室に投稿したりとか
01:58まだまだね、すごい若書き
02:01今考えれば間違いもいっぱいあったんですけど
02:04それでね、無事に研究室に載せてもらったりとかね
02:07まあ、良くも悪くも頑張ってた時期もありました
02:10と同時に修士課程1年目後半ね
02:14とても精神の渇きを覚えたというか
02:17賛美グループリラ、クリスチャンの音楽のグループ
02:21リラのコンサートなんかにも行ったりとかね
02:23その翌年とかもそうですけど
02:24リラのコンサートに足しげく通ってね
02:28そんな思いもあります
02:30修士課程2年目はね
02:31早稲田法支援でリラのコンサートがあったりとか
02:34あとね、リラのピックアップメンバー
02:37一部のメンバーが埼玉県のある教会のチャペルで歌うというので
02:43行こうと思ったんだけれど
02:45道に迷って炎天下3時間ぐらい歩き回ったとかね
02:48その時はたどり着けなかった
02:50その時には教会に行けなかった
02:52そんな思い出もあります
02:54それが2008年頃ですかね
02:56少し今ね、振り返って見ています
02:59勉強、研究のこともね、もちろん大事
03:02と同時に僕の中にしばらくね
03:05長らく文学、文字による表現と
03:09あと音による表現
03:10これね、コインの裏表というか
03:13両方やるべきじゃないかっていうね
03:14そういう考えもありました
03:15これは修士課程の研究テーマでもあった
03:18横光リーチという作家もね
03:20その文字、実体としての物体としての文字
03:23インクの染みである文字がね、我々に意味を伝える
03:26そのメカニズムについて興味を持つのと同時に
03:29音響、音についてということにもね
03:31彼は興味を持ってた
03:32そのきっかけが
03:34横光の場合は上海に行った時ですね
03:36上海、中国語とか英語、フランス語
03:39いろんな言語が
03:40一つの飲食店の中で飛び交っていて
03:43横光は英語は分かんないけど
03:45他の言語は全然
03:47横光の場合はね
03:48他の言語は密集の段階で
03:51それを聞いて理解することはできなかった
03:55そういった音響が飛び交う
03:57意味が分かればそれは言葉だけれど
04:00意味が分からない
04:01自分の知らない言語は音響の波に過ぎない
04:04そういったもののね、ぶつかり合い
04:07それと上海の当時のね、疎開都市
04:09帝国主義の列強が渦巻いていた
04:13そこに日本も入り込んで
04:15そういった状況を
04:17音のぶつかり合いとかね
04:20そういった
04:22あとなんか例えばモチーフとしてね
04:25水とか火とかそういったモチーフの
04:28衝突とか波動とかね
04:31波動とかそういったものとして理解しようとした
04:33それが横光リッチと
04:35上海での経験
04:36そういったことを含めて考えた時に
04:40文字としてね
04:41研究をする文字として論文を書くっていうことと同時に
04:44音として何か表現するってことを同時に考えてたのが
04:47大学院修士課程の頃からの僕のちょっとしたね課題
04:52研究テーマのサブテーマですね
04:55だったわけです
04:57大学院の2年目からね、そういったことも考えながら
05:02いろいろ右往左往してたわけです
05:05相変わらず周囲の人たちはまあみんなね活躍するわけですよ
05:10なんだかんだ研究室に論文を出したりとかね
05:14新人賞に名前がけたりとか
05:16そういう状況で頑張って僕もね頑張ってましたが
05:19ただね、修士2年目までに論文、修士論文を仕上げるのはなかなか難しかった
05:24やっぱりね、文学、人類数千年、少なくとも近代数百年
05:31100年、150年のその積み重ねをたった2年でね
05:36論文にするってのはやっぱり難しいものもありました
05:38それでね、僕の場合は修士3年目までいました
05:42で、3年目
05:46そう、これも言わなきゃいけない
05:48修士2年目から僕は明確に無教会神徒
05:52無教会基礎神徒だと自分でね、言い張って思い込んでいましたが
05:57それでね、大学院の授業とは別に
06:00当時、目黒の今井館でやっていた
06:03無教会研修所の講座にもね、月1回かな出てました
06:07内村勘蔵を読もうとかね、あとカールバルトの講義
06:11こういったものにもね、出てたんですね
06:13これも2年、3年目とね、修士課程の間、通ってました
06:17どちらかというと、修士3年目は
06:19横光理一、新感覚派の研究をするはずが
06:233年目はほとんど内村勘蔵、カールバルトの研究をね、やってました
06:29これはね、方向性としては間違ってなかった
06:33だけれど、まあね、努力の配分をね、ちょっと見誤ったかなって感じがします
06:3910年計画で順々にやればいいものをね、最初の数年でもうどんどんやろうとして
06:45えー、なんていうかね、いろんなとこにぶつかって怪我をした
06:48そんな感じもしますね
06:49それがね、修士3年目の、まあ教訓、反省ですかね
06:55いろんなことをしたけれど、あとね、えー、音に関して音楽活動のようなことも始めたのが
07:00なんと、修士課程3年目でしたね
07:02なかなか無理をしたなという感じもします
07:04ともかく、えー、それで修士3年間が過ぎ去り
07:10で、博士課程、博士課程と言いつつ、学信の特別研究員ですね
07:15僕はこれはもう、院生、学生というよりはもう仕事だと思っていたので
07:19まあ当然ね、お金ももらうので、そうなんですけどね
07:22えー、なので、まあいつも院生というよりは研究員という風にね、称することが多かったです
07:28ただこの時に、あまりね、思ったより言わないけれど
07:32えー、まあ謎の、えー、研究室移動とかね、いろんなことがあって
07:36ちょっとね、精神的にも不安定になった時期もありました
07:40えー、それがね、学信の3年間
07:43割とね、修士3年いった結果、3年3年3年とかね
07:48そんな感じで、えー、人生のスパンがね、えー、スパッと分かる
07:52えー、そんな感じもしますが
07:53この学信3年間は苦労したというか、精神的に苦労した時期ですね
07:58この時は、相変わらず僕は無教会神徒だと言い張っていて、そのための一歩として、のぼりと学寮というね、寮にも入りました
08:06えー、のぼりと学寮で苦手な集団生活、なんとかなるだろうと思って入ってみたら、やっぱりなんとかならなかった
08:13ね、それで苦労した、そういう覚えもあります
08:15でね、えー、まあ学審3年
08:20その間に大きなことがありました
08:222011年です
08:23えー、東日本大震災
08:25この時の出来事ね、画面越しに見る
08:28国内での大災害
08:31昔ね、あの阪神大震災もありましたが、その記憶が薄れてきた頃に、今度は東北
08:38ね、東北は、ずっとなかなか僕はね、自分は東北縁がないなと思っていて
08:44実は震災が起こる1、2ヶ月前に東北出身の方に、全然東北わかんないんですよって話をしたのを覚えていて
08:52その1、2ヶ月後に大震災、実はショックを覚えました
08:55えー、自分が、よくわかんないというか、自分が関心を持ってなかった場所に人がいっぱい住んでいて
09:02その方々が画面越しにたくさん亡くなるという経験を画面越しに見た
09:07えーっとね、正直自分の、えー、自分の無関心さにびっくりした
09:13というところがあります
09:15東北、それまで全然知らなかったところだけれど、こんなに大きな災害、被害が出ていて
09:21そのことに、自分は何もね、照らしもできないし、えー、とても無力だなってことをね、考えた
09:27これ、学進の2年目に入る直前ですね
09:31えー、研究生活に没頭するはずが、ああいった大きな出来事もあってね、いろいろ考えることもあり
09:39さらに、えー、文学、文字による表現と音、音楽とかね、そういった、まあ、表現、コミュニケーションとか
09:46そういったものね、手を広げすぎていて
09:49しかもね、そこに、えー、文学者だけではなく
09:52内村勘蔵とかね、えー、キリスト社との関わり、あのー、まあ、研究課題の広がりがあって
09:59なかなかね、一つにまとまらない、えー、右往左往しながら活動をしていた
10:04そこにね、さらに、えー、震災の後ね、チャリティ活動に参加をしたり
10:09えー、あすまひろくさんのね、えー、コンテクチュアーズ、今で言う、なんだっけ、言論の、言流ですね
10:15えー、言論の元になったグループの、えー、何かイベントの手伝いをするかどうか
10:20この話は立ち消えになりましたがね、そういった話もあった
10:23えー、さまざま、右往左往しながら、えー、過ごしていたのが、えー、2011年ですね
10:29少しずつ、えー、小さな活動ですけどね、えー、始めていったのが、えー、イクトゥスプロジェクトと名前をつけた活動ですね
10:38キリスト教徒として、キリスト社のね、えー、集まりとして、そういった活動をしたいと
10:44これは大学院の研究とは、まあ、ひとまず分けて考えていて
10:47えー、そういった活動の足掛かりになったのが、やはり無教会の、えー、例えば独立連動会とか、あるいは寮の中のクリスマス会とかですね
10:56そういったものを足掛かりにしながら、少しずつ小さな活動を始めていって
11:01で、翌年につなげていこうと、ね、学進が3年間で終わりですから
11:05その後どうするかっていうことね、正直何もわからないまま、えー、とにかく走り回ってた
11:11というところもありますけど、えー、ふんばろう東日本とか、えー、チャリティーイベントにも参加をするし
11:17で、少しずつその関連のね、えー、活動にも出させてもらったりとかしていた
11:23えー、そういった流れの中で、えー、CDも出したことがありましたね、確か
11:30ボーカロイドのCDとかね、えー、様々な活動に、えー、広がっていきながら
11:35じゃあ、でも自分のね、あの、足掛かりとしての活動、研究テーマとかね
11:41どうするっていうところが、定まらないまま、えー、学進3年目が終わったなという
11:46正直ね、学進3年間、多分人生で一番研究活動としては停滞してた時期かもしれないですね
11:53そんな時期もありました
11:55さあ、それで新規一点、えー、その後ね、残野研究者というか、独立系研究者というか
12:03呼び名は何でもいいですが、学進の後、えー、どこにも属さない研究者として頑張る時期が始まりました
12:09この時期のことはね、えー、賛否両論というか、その以前の学進時代までの陰性時代の仲間からはね
12:19正直批判されることもあった
12:21ただね、個人的には良かったです
12:24うん、ね、その学進の時の謎の研究室移動とかもあって
12:28えー、その、ね、なんというか、人生の、えー、触れ幅をね、あの、まっすぐに、あの、戻すということでね
12:36えー、様々なこと、例えば、えー、また博士方やね、別の研究室に入り直すとか
12:42そういったことも検討したことがありました
12:43東大の学際情報とか、あるいは京都大学のね、えー、人間環境学研究科とかね
12:50で、その流れが、えー、2014年の、えー、京都大学での研究発表とかにもつながりますけど
12:56ひとまずね、2013年までに、えー、そういった様々な活動をし、反省をしてね
13:03えー、まあ、軌道修正をしながら走り回ってきたわけですね
13:06ただね、最終的には、その大学院博士課程に入り直す計画は凍結したまま
13:13凍結というかね、延期ですね、えー、70歳ぐらいで入るかっていう、そういう風に今考えてますけど
13:19そのきっかけ、えー、今はまだいいやと思ったきっかけが
13:23これもね、在野研究1年目ですね
13:26もうこれ動画の中で言いました
13:28えー、と、これも踏ん張ろう東日本のね、チャレティーイベントの中で出会った
13:34えー、フリーライターなのかな、ライターの女の子がね、割と苦労したことでね
13:40そういう、二度も博士に入り直すとか、そういう恵まれた人は許せないっていう風に言って
13:45えー、説教された、そんな経験があったりとか
13:48あとね、えー、なぜか、なぜかね、縁ができて
13:53えー、埼玉の自衛隊関係者の会に参加した時の、その取りまとめの方ね
13:59えー、あの、ロッテの、えーとね、寮の寮長さんかな
14:04ロッテのじいさんってみんな言ってますかね
14:06えー、そのじいさんがね、割と口は悪いがいいこと言うんですね
14:11で、その、大学院に入り直そうとしてるとか
14:14東大とか京都大学の名前をすると、バカ野郎って言うんですよね
14:17そんなことよりも、学者っていうのはそういう、ね、研究室に入るだけじゃなくて
14:22ね、現場に入って、いろいろ苦労をして、ね、人の話を聞いて
14:26それも学者なんだっていう話ですね
14:27えー、例えば、まあ、文学研究ならば、ね、図書館のね、本の虫になるのもいいけれど
14:34実際に作家がね、生きていた場所に行ってみて、見てみる、ね、足しげく通ってみるとか
14:40そういったことも大事だとか
14:42あるいは、これはね、えー、研究じゃないんだけど
14:44例えば僕のね、あのー、政治、経済、社会問題に対する考え方で
14:49僕はその、出す原発で地熱エネルギーがいいんじゃないかって言ったら
14:54そのロッテのじいさんがね、そうまで言うなら
14:57えーと、秋田県だっけ、あのー、地熱発電所に行ってゴミさないとか
15:00何でもいいから手伝いをしてから、それから発言をしろと
15:03そしたら話を聞いてやるって言われたんですね
15:06なんかね、そのじいさんは、昔、東電で働いてたのかな
15:10で、東電の原発とかにも関わって
15:14実はあの、津波の時に、あの原発の設計はまずいぞっていうことを
15:18事前に言ってたのに、なんか上の人は聞いてくれなかったっていう話を聞きましたね
15:22そういった話も含めて、そのロッテのじいさんはね
15:26まあ、原発にも関わったし、危険性も知ってたけれども
15:30やっぱりね、エネルギー問題は原発とか、そういった大規模な発電が必要で
15:35地熱じゃダメだっていうね、思ってたみたいですね
15:38だから僕とは話が、考えは違ったんだけれど
15:41ただね、実際に秋田まで行って、汗流してくれば
15:45そうすればね、話を聞いてやるって言ってます
15:47僕ね、その話を聞いて、本当に最もだと思ったんですね
15:50それが今のね、どこにでも出て行って
15:53どこにでも出て行って話を聞いてみるとかね
15:55どこにでも行って、動画とか写真を撮って見てみる
15:58自分の目で見るっていうね、そのスタンスにつながってる
16:01というところはあるかもしれないです
16:03さあ、駆け足でね、復習をしました
16:08振り返りをしましたが
16:092014年までの、実はね
16:12京都大学での研究発表を一区切りという風にね
16:15表向き言ってるんですが
16:17実は2014年の終わり、12月30日かな
16:20そのロッテのじいさんの寮のね、寮長室に行って
16:26朝までね、飲み食いをするっていうね
16:30そういう経験もあります
16:31その時にね、いろんな話をまた聞いたんですね
16:33その時に、たまたまね
16:35いろんな立場の人が来ていて
16:37なんかね、カムナウトさんの選挙の手伝いをしたという女性がいてね
16:42その人が、翌年の2015年の
16:45八王子市議会議員の選挙に出るとか
16:48そういう話をしてて、その手伝いをね
16:51なんか僕がしてはどうかって話になったんですね
16:53その時に
16:55それもロッテのじいさんが言うのが
16:56気丈の空論じゃなくて
16:58実際に駅前に立って自分の主張をすると
17:01八王子の駅前でね
17:02それをやれば手伝ってやると
17:04ロッテのじいさんが言うわけです
17:06僕はその話を聞いて、ああいいなと思って
17:09でね、そのカンさんのお手伝いをした方ね
17:11市民派の活動をやってた方ですね
17:13その手伝いをするかなという風に考えたのが
17:172014年の末
17:19そして2015年にね、繋がるわけです
17:21ただね、今まで縛ってきたことを分かるように
17:24ちょっとね、とっちらかってる
17:26どこへ向かうのか分からないままね
17:29突き進んだという感じがします
17:302015年は
17:33そのまでの、それまでの
17:352014年までのね
17:37様々な学問、芸術活動をやってはきたけれど
17:40うまくまとまらな、なとまらなかった
17:42その反省を踏まえて、まず生活の安定を考えようっていう風にも考えてたし
17:47まあそのね、足分かりで
17:51もしね、八王子でね、その市議会議員選挙
17:54何かね、あの末端で手伝うことがあればっていうことも考えてた
17:58それがね、まあ大体2014年の終わりから2015年の始まりですかね
18:03様々なことがあったんですが
18:06いろいろとね、復習を
18:08いろいろと反省をしながら
18:10そんなことを考えてた
18:11まずは生活の安定であろうかと
18:14学問的なことは、ひとまず2014年の一区切り
18:17学問、芸術活動は
18:19少し縮小しながら
18:21安定を目指しながらね
18:22継続していこうと考えたのがね
18:25大体2015年の始まりだったかなと思います
18:28ついでに言うと
18:28その八王子の選挙の件は立ち消えになりました
18:31やっぱりね
18:32駆け足で何でもやろうと思うとね
18:35失敗するのでね
18:36それはそれでよかった
18:37それがね、2015年の始まりの
18:41ドタバタの始まりのね
18:43状況と言えるでしょう