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  • 2025/5/14

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トランスクリプション
00:00こんなことになってますが 日韓の歴史を振り返るとですね
00:05こういう女性がいたということを 今改めて知っておくべき時期かもしれません
00:11朝鮮王朝最後の皇太子妃は日本人だった
00:19行いが立派なので 韓国の母と表現され始めたのです
00:25激動の時代 運命を切り開いた女性の物語
00:29ご覧いただく前に ちょっとこちらをご覧ください
00:32昭和天皇のお妃でいらっしゃいます 高潤皇后のいとこにあたるのが李政子さんです
00:44日本の皇室に生まれながら朝鮮王室に突入で 波乱万丈の生涯を送りました
00:51日韓の架け橋を目指した彼女は 2つの国に何を残したのでしょうか
00:56現地を取材しました
00:58平成が始まった1989年
01:05一人の女性がソウル中心部にある宮殿で 息を引き取った
01:10旧姓を梨本宮と言い
01:13日本の皇族から唯一朝鮮王朝に 突入だ李政子妃
01:18結婚相手は朝鮮王朝最後の皇太子 英神皇李銀殿下
01:291910年の日韓併合後 日本の皇族に準じる地位を与えられ
01:36留学のため 幼くして日本に連れてこられた
01:41二人の結婚は勢力だった
01:46英神皇の夫人で日本女性だ
01:52韓国の母とよく言われています
01:56韓国の母と呼ばれ慕われている 正子妃
02:01これは6年前 韓国で出版された電機
02:05去年には書や絵の作品集が作られた
02:10なぜ韓国の人々の記憶の中に 今も生きているのか
02:15日本でも来月10日大阪で 正子妃を主人公にしたオペラ
02:35ザ・ラストクイーンが初上演される
02:40企画主演は在日コリアン2世のオペラ歌手
02:44ジョン・ウォルソンさん
02:47自らその運命を受け入れて
02:49そしてまたいろんな困難があっても
02:52それに立ち向かい また未来を切り開いていく
02:56この二つの国に対する思いというのは
03:01私自身の思いとも重なって
03:04もう本当に魂の底から 歌わせていただいています
03:10正子妃が自分の婚約を知ったのは 新聞記事
03:1615歳の時だった
03:19当時のことを晩年こう振り返っている
03:23新聞に婚約のことが出たのが 本当に大変な驚きだったわけですよね
03:29やっぱりもうこうなった以上は 決して一生懸命やりますって
03:34申し訳ないでしょうがないんですものね その自分のことですから
03:38以来 神方を朝鮮式に真ん中から分け 学習院に通学
03:44運命を潔く受け入れた
03:47結婚式は1919年1月に決まった
03:53ところが式の4日前 銀連家の父 古城皇帝が休止
04:00婚儀は延期された
04:02日本側に毒殺されたのではという 噂が朝鮮全土に広まり
04:07路上に人々があふれ 独立万歳が叫ばれた
04:12いわゆる三一独立運動だ
04:18これはその家中に 政子妃が書いた日記
04:243月7日
04:27殿下はどんなにしていらっしゃるのかしら
04:30朝鮮の人々の暴動は どんな風なのかしら
04:34なんだか心配である
04:38国家に強いられた結婚だったが 次第に二人の間には本物の愛が芽生えていった
04:463月28日
04:50今日は待ちに待った嬉しい日
04:53久しぶりにお姿懐かしく
04:56今日はお話しすることができて 嬉しかった
05:02今年は三一独立運動から100年 韓国ではさまざまな記念行事が行われている
05:12ソウル中心部の安屋区駅では
05:17こちらが100年タワーです
05:19100年前に起きた
05:21三一独立運動の活動家たちの 顔写真が並んでいます
05:27多くの人が行き交う駅の至るところに
05:30当時の記憶を伝える資料が並ぶ
05:35さらに若者でにぎわうソウルテハンのでは
05:38独立運動を題材にした現代舞踊が
05:42実はおもとにこれまで日が当たらなかった 当時の女性活動家に焦点を当てた
05:49加害者を覚えていなくても 被害者の痛みは代々受け継がれ続いていくのです
06:03日本と韓国が本当に一緒に 心から手をつないでいける関係になることを望みます
06:10三一独立運動は1919年3月1日
06:17この公園で独立宣言書が読まれ始まった
06:21今記念行事の一環としてこの公園と連携した 国立記念館の建設が進められている
06:33なぜ100年も前の出来事を 現代によみがえらせるのか
06:40反日のために行うのではありません
06:44韓国の元外務省アジア局長 キムソクウさんは
06:50今の日本への反発ではなく
06:53当時の日本統治への反発の意味合いだと説明する
06:583.1独立運動は韓国の民族的な誇りの 源泉なのです
07:09植民地の状態で全国民が平和的な方法
07:17非暴力的な方法で独立しようと 抵抗した運動だからです
07:23独立運動の起きた年に延期された マサコヒと銀殿下の懇議は
07:353年後 慶城 現在のソウルで取り行われた
07:39四季に臨むマサコヒの決意は堅かった
07:46たとえどんなに日戦関係が悪化して
07:49万一危険が身に迫るような 事態になっても
07:53私は殿下と運命を共にしよう
07:57しかしすぐに困難が
08:01生後8ヶ月の新王子が突然亡くなった
08:06古城皇帝と同様 毒殺という噂を聞いたマサコヒは
08:12なぜ罪のない子が 日本人の血を理由に
08:15亡くならなければならないのかと 涙にくれたという
08:21私の人生の一頭最初に 本当に大きなショックでしたから
08:26苦しございました一時はね
08:28前を向いて進もうという気持ちが そのとこから
08:31培われてきたんだと思うんでございます
08:34太平洋戦争が終わると 日本での暮らしは一変
08:40皇族の身分と国籍すら失った
08:44さらに朝鮮戦争で南北が分断
08:47二人の居場所はどこにもなかった
08:51生活に困窮し 都心の邸宅などを売り払った
08:56これからはもっともっと 強く占くてよ
09:08戦うのも私 ものも私
09:17マサコヒを演じるオペラ歌手 ウォルソンさん
09:21マサコヒは戦後 ふるさとへの帰国を強く望む
09:26銀電家の思いに応えたい 一心だったという
09:30イースンマン大統領の頃は
09:33いろんな政治的な思惑もありまして
09:37受け入れを拒否されたということで
09:40しかしマサコさんは本当に頑張ってですね
09:43その後のパクチョン・ヒ大統領の時にはですね
09:46単独で韓国まで行かれまして
09:49直接訴えて やっと帰ることができたんですが
09:53やはりご自分が
09:56朝鮮王朝の最後の皇太子 ヒだという
10:00そういった誇りも持ってらっしゃったと思います
10:04もちろんそれは日本人としての皇族出身だという
10:07また誇りも持ってらっしゃった
10:10そして韓国への帰国が実現
10:14夫の死後もマサコ・ヒは韓国に残り
10:18二人の念願だった福祉活動に尽力する
10:23これはマサコ・ヒが作った名機園
10:27障害者が自立して生きていけるよう
10:30職業教育を受けられる施設だ
10:33マサコ・ヒと共に障害者教育に取り組んできた
10:38キム・スンヒさん
10:41家におるそういう身体障害者がおるとき
10:46あんまり表に足さなかったわけなんですよね
10:49裏部屋の方におってちょっと隠したような状態だったのに
10:54それをマサコ・ヒ天下がそういう人たちに教えて
11:01外に出して技術を教えるという
11:05そういう目的でし始めたので
11:08マサコ・ヒが支援した子どもたちを無料で診察した
11:13当時の病院の院長パク・チャン奥さん
11:17マサコ・ヒを中心に多くの支援の輪が広がっていったという
11:22いつも助けてくれてありがとうと言ってくれました
11:29私たちの障害者に対する認識がかなり変わりました
11:35関係した人たち
11:38みんなが写真を撮りたいというほど人気がありました
11:42今も生徒100人がバスで通い
11:4773人が施設に寝泊りして
11:50さまざまな技術を磨いている
11:52学費は無料
11:54マサコ・ヒは無料
12:01事業費を年出するため
12:03マサコ・ヒは自ら書画をしたため
12:06尻尾焼きを作り
12:07日韓でバザーや作品展を開いた
12:11自ら宮廷衣装を着て
12:13ファッションショーまで行った
12:15利益はすべて福祉事業に注いだ
12:21両陛下も皇太子皇太子比時代
12:24作品展に足を運ばれた
12:28日韓激動の時代にあって
12:42和を求め続けたマサコ・ヒ
12:45そこには銀殿下と交わした約束があった
12:50お遅刻の機会があったらば
12:52不幸な子供のための仕事を残して
12:55ということを2人で語り合ったことがございますので
12:59今、主人の代わりに
13:01一緒の気持ちで
13:02私が動かなければならないと思いまして
13:06マサコ・ヒの作品展を去年開催した
13:09ジョン・ハグンさん
13:13この作品はリ・マサコさんの作品の中で
13:16終作であるといえます
13:18先に枯れた衛進農園の恋しさからか
13:21仲良く一対の鳥が梅の木にとどまっている
13:25こういう姿をとても愛おしく思っておられました
13:31マサコ・ヒの人柄と作品に長年魅了され
13:35現在200点を超える作品を所蔵
13:39マサコ・ヒの作品は韓国の宝だと話し
13:43販売はしないという
13:46マサコ・ヒの素晴らしい志を
13:51韓国の国民は知るべきだし
13:53尊敬し、慕う気持ちを持たせるため
13:56慈悲で作品展を開催しています
13:59マサコ・ヒを通じて日韓の交流が行われ
14:03素晴らしい志をお互いが共有できるようになってほしい
14:081989年
14:1587歳で亡くなったマサコ・ヒ
14:20葬儀は準国葬で行われ
14:23多くの韓国国民が列をなした
14:27ソウルに隣接するキョンギドにある2人の両母、エイエン
14:36母妃には揃ってウィミンと刻まれている
14:40意味するのは、一生茨の道を歩んだ人
14:47逆境の中、運命を切り開いた韓国の母、マサコ・ヒは
14:52銀電化と共に静かに眠っている